そして、時は過ぎ夜。
午後からずっと、朝潮は珍しくボーっとしたまま一日を過ごしていた。
今日の夕食では大神は金剛型と相席らしく、いつにもましてハイテンションな金剛があーんしてもらおうとしたり、ならばと榛名たちも続こうとしたりしており、声が朝潮たちにも聞こえてくる。
にもかかわらず朝潮は食事をしている大神の顔を、というか唇に視線を漠然と向け、時折自分の唇をなぞったりしている。
大神以外の人物を認識すらできていないようだ。
そのあまりにも我を失った朝潮の様子に、同室の満潮たちは流石に不安を覚える。
「ちょっと足柄さん。やりすぎだったんじゃないの?」
「えー、そうかしら? 問題ないわよ、あれは、隊長と自分のキスを想像しているところね」
「そんな、嘘でしょ。いくら衝撃が強すぎたからって、あの朝潮がそんな事考えるわけ……」
あのまじめな朝潮がキスだなんて思えない。
足柄の言葉を否定しようとする満潮だったが、
「じゃあ、聞いてみようじゃない。ねぇ、朝潮?」
「…………」
足柄の声にまったく反応せず、呆然と大神を見やる朝潮。
ため息をつきながら足柄は、再度朝潮の耳元に声をかける。
「朝潮、隊長に何回キスしてもらった?」
その声に我に返った朝潮は考えがぐちゃぐちゃになったまま直立し、空想していた事をそのまま答える。
「はい、師匠! 大神さんに100回キスしていただきました!!」
一瞬、食堂に静寂が訪れる。
そして、
「隊長、朝潮に100回もキスしたってどういうことネー! キリキリ白状するデース!!」
「ち、違う! 俺は何もやってないって!!」
流石に濡れ衣だと、大神が反論する。
実際今回は完全に無実だしね。
「じゃじゃあ、なんで朝潮があんな事言ったりするデースか!? 火のないところに煙は立たないデース!」
「いや、それは……」
艦娘とは言え、流石に女の子の内面について聞くのは無粋だろうと、朝潮に行ったという教育の内容を聞く事を控えていた事が仇したか、大神には金剛の追及に答えられる材料がない。
席も金剛と榛名に挟まれており、逃げ場など何処にもない。
いや、榛名は俯いている。もしかしたら納得してくれるかもしれないと一縷の望みをかけ榛名を見やる大神。
だ が 、
「一 十 百 千 万 億 調教……うふふふ、大神さんには少々お仕置きが必要みたいですね。100回も駆逐艦にキスするなんて、その、不躾な唇、切り落として差し上げましょうか……大神さんの唇は榛名の為にあれば良いんです……」
榛名は完全に光を失った目で片手でナイフとフォークをチャキチャキとシザーハンドのように擦り合わせて呟いている。
はっきり言って怖い、貞子も剃髪して逃げ出しそうなほどに。
もう一方の手は大神の腕を握り締めている。
微妙に命のピンチな大神であった。
おお、おおがみよ こんなところでしんでしまうとはなさけない
大神の脳裏に米田のそんな叱責が聞こえようとしたとき、
「もう、しょうがないわねー。金剛、榛名、比叡に霧島も、教えてあげるからちょっと耳貸しなさいな」
「足柄、今は隊長を成敗するのが先デース! 隊長を逃すわけにはいかないのデース!!」
「じゃあ、隊長を捕まえたままでもいいから、とにかく耳を貸しなさいな」
「……分かったデース。足柄、手早くお願いするネー」
そして、しばしのときが経過し足柄の説明が終わると、金剛たちの雰囲気は一変する。
「なーんだ、そういうことデースか! もう、それならそうと早く言ってほしかったデース! 隊長、誤解してSorryネ!」
「大神さん、榛名は信じてました……」
榛名、説得力がまるでないぞ。
「はぁ、助かったー」
成り行きはともかく誤解が解け、いつもの雰囲気を取り戻した食堂に安堵のため息を吐く大神。
とは言え、流石に吊るし上げられた場に座り続けるのは無理だったらしく、断りを入れた上で金剛たちの席を離れる。
捨てられた子犬のような目で大神を見やる金剛たちだったが、誤解したのも吊るし上げたのも自分たち。
仕方がないと席を離れる大神に名残惜しげな視線を送る。
ホットコーヒーのお代わりを淹れると、何処に座ろうか一瞬視線を周囲に配らせるが、やがて足柄の元へと向かう。
「さっきはありがとう。助かったよ、足柄くん。相席しても良いかな?」
心の中で歓喜する足柄だったが、表にはもちろん出さない。
おまけに姉妹たちは既に食事を終え部屋に戻っている、つまり二人きりだ。
千載一遇のチャンスをつかむため、自分のアピールを行いながら、大神との談笑を始める足柄。
しかし、自分で火をつけておきながら、自分で助けを入れる。
「これってマッチポンプって言うんじゃない?」
満潮は一人呟いた。
長くなりそうだったので、食堂のシーンだけ分割して閑話に。
信じがたい事に足柄大勝利。