何一つ変わりのない違和感
◆
流れるような美しい銀髪。その後ろ姿をあたしはよく覚えている。彼女とは悠久の時を共に過ごした。それなのに今は彼女だけが側にいない。
「――――⁉」
その後ろ姿に言葉をかけようとするが声が出ない。
「――――‼」
待って、待ってくれよ。声にならない声を上げながらあたしはその後ろ姿を追う。だがいくら走ってもその背中に追いつけない。すがりつくように必死になって手を伸ばす。だがその手が届くことはなかった。
やがて銀色の髪の女性は姿を消していく。消えゆく彼女を止める方法はなかったのだろうか。本当に彼女を救う方法はなかったのだろうか。
あたしは虚空に向かって彼女の名前を叫んだ。
「――――アインスッ!」
叫び声を上げると同時に上半身をガバッと起こす。ヴィータは額にべっとりとついた汗を拭いながらあたりを見渡す。
今自分は八神家のはやての部屋で寝ている。もしかしてこれまでのことは全て夢で、本当の自分は。
頭の中が混乱する。だが隣で寝ている彼の姿を見て、今が現実であることをようやく実感できた。
「さっきのは夢? ……はは、そりゃそうだよな」
「……う、ん? 大丈夫ですかヴィータさん」
ヴィータの声と起きあがった振動で、一緒のベッドのカイズも目覚めたようだ。カイズは寝ぼけ眼を擦りながらも、心配そうにヴィータの顔をのぞき込んだ。
「起こして悪かったな。久しぶりに懐かしい夢を見てよ」
「夢、ですか? ちなみに何の夢か聞いても大丈夫ですか」
そう訪ねながらヴィータの手をギュッと握り込む。そこまで来てヴィータは自分の手が震えていることに気づいた。
高鳴る心音を数回の深呼吸で落ち着けていく。額の汗と震えが止まるとその名前を口にした。
「アインスが。……リインフォースアインスが出てくる夢を見たんだ」
「アインスさんって確か闇の書事件の時に……」
「ああ、空に還っちまった」
そう言いカイズの手を力強く握り返す。ヴィータは一呼吸置くとさらに続ける。
「久しぶりに海鳴に帰ってきたからか。それともはやての家でずっと暮らしてるからか。……普段なら夢の中であいつに会えて嬉しかったんだけどな。……今日見た夢はちょっと辛かったな」
どれだけ叫んでも、手を伸ばしても、彼女には届かない。まるで全てを背負い還る姿を見届けることしか出来なかったあの時のようだ。
「(いや、違う。あの時と同じなもんか。……アインスは本当に幸せだって笑顔で還ったんだ)」
夢というのは見たいものを見ようとして見られるわけではない。たかが夢でこんなに落ち込むことはないのだ。
ヴィータは気持ちを落ち着けようとする。するとその体をカイズはギュッと抱きしめていった。
「たかが夢なんて俺は絶対に言いません。……辛いときは辛いって言ってくださいね。俺にはこれくらいことしか出来ませんけど」
抱きしめられると、彼の熱を全身に感じる。その温かさは確かに自分がこの場所に存在する。そう伝えてくれているようであった。
ヴィータは手を回すとカイズを強く抱きしめる。
「……ごめん、もう少しこのままでいさせてくれ」
「はい、ヴィータさん」
ヴィータは自身の存在を確認するように、しばらくの間カイズの熱を感じ続けていくのだった。
◆
夕暮れ、いつもの倍ほどの時間をかけて変わりない平穏な視察を終える。だが今日だけは『平穏』であることに眉をひそめ、お互いのデータをリビングで参照しあっていた。
「カイズ、そっちのほうはどうだった?」
「魔力の痕跡も別次元からの干渉もありません。ヴィータさんに言われたとおり一応目視でも何かの残ってないか見ましたけど。……何も変なところはありませんでした」
「こっちもだ。気になって郊外のほうにも行ってみたけどデータ的に何もおかしいところはなかった」
「イノセントハートも同じですね。…………何でしょう、この違和感は」
違和感。それを覚えたのはつい数日前のことだ。買い物の途中、二人は少し道に迷ってしまった。それ自体は可能性としてはいくらでもあるだろう。だが道に迷っただけではない。二人が目指していたスーパーそのものがなくなってしまっていたのだ。
海鳴市視察の初日、迷わず足を運んだその場所には建物が存在せず二人は目を白黒させた。結局そのスーパーはほんの少し離れた場所にあったのだが、果たしてただの覚え違えだったのだろうか。
それからも取るに足らない小さな違和感に二人は苛まれた。公園の遊具の位置、建物の屋根の色、町中の人通り。全てが『気のせい』で済ませられるほど記憶に薄いものばかりだ。
さらにデータと照らし合わせても海鳴市に特に異変はなく、各デバイスにも故障は見られない。何も問題がないことに異様な違和感を覚え、二人は頭を悩ませていた。
それに加えて、ヴィータは心の奥底に途轍もない『ズレ』を覚えていた。
「(海鳴市に帰って来てから、あたしは異様なほどの『幸福感』に包まれてた。始めは懐かしの故郷に帰ってきたからと思ってた。だけど今は、いや正確にはアインスの夢を見てから何かが弱まった。そんな感じがする)」
だがアインスの夢を見て、現状の異変を理解したせいで、そんな気分でないだけとも十分言い切れる。今は感情の分析よりも、実際に体を動かすほうが先であろう。
「……明日は定時連絡だし、なのはに相談してみるか」
「それがいいかもしれませんね。何か言いようのない不安がありますし。……それにこの感じなんか」
カイズはフルフルと顔を横に振ると言葉を続ける。
「とにかく管理局に伝えてちゃんと調査してもらいましょう。俺たちの勘違いならそれはそれでいいですしね。それじゃあ夕食の準備しちゃいますね」
「おう。あたしはちょっと報告書まとめてメールだけでも先に送っておくなー」
台所に向かうカイズとは逆にリビングのソファーに腰掛ける。ヴィータはデバイスを起動すると液晶画面とキーボードを展開した。そして現状を簡潔にまとめるとメールをなのはのもとに送る。
データに異常はなく、小さな違和感があるだけ。あまり気にしすぎていても仕方がない。二人は気持ちを切り替えると食卓に着く。夕飯はカイズ特製チャーハンと玉子スープだ。カイズの一人暮らし飯として十八番のチャーハンはパラパラではなく、少しべとっとしているのが売りだ。初めて食べたときは少し味が濃く感じたが、玉子スープがいい形で調和してくれる。
ヴィータはそれを頬張ると「美味しい」と笑みを浮かべた。
「もうすぐ海鳴での仕事も終わりで少し寂しい気持ちはあったけどよ。でもあっちに戻ったら戻ったで、新居探して引っ越しの準備して。……大変なこともあるかもしれないけど二人ならきっと楽しいよな」
「はいっ! しっかり内見していい家探しましょうね‼」
「おうっ!」
ヴィータはカイズと出会えた今が本当に幸せだと、お日様のようなにっこにこの笑みを浮かべ食事を続けていく。そしてこれが、この夜が、二人にとって本当に長い時間の始まりだった。