公園のベンチ。トイレに行くヴィータに手を振ると、カイズは残りのアイスを一気に口に含んだ。
「やった。やった。やった。やっとヴィータさんに俺の心が届いたんだ」
この数週間は決して無駄ではなかった。カイズは嬉しそうに小躍りすると、ぐっと両手を握り込む。
「思えば長かったなー。でもこれで一歩前進のはずだ。闇の書事件の進行はもう止められないけど、それでもヴィータさんが協力してくれるだけで」
「わ、わわ」
「おっと、危ないよっと」
喜んでいるのもつかの間。カイズは目の前で転びそうになっている男の子にスッと手を伸ばす。五歳くらいの子供だろうか。自分の蹴っているボールに転びそうになっている姿が、何とも愛らしかった。
「ありがとうお兄ちゃん」
「なんのなんの、今度はボールに転びそうにならないように気をつけるんだぞ」
「ボール? あっ、僕のボールどこいったんだろう」
「それならあっちに転がっていったよ。待ってろ。いまお兄ちゃんが取ってくるから」
「――――ありがとう、お兄ちゃん!」
カイズは機嫌よくスキップをしながら、転がっているボールを取りに向かう。
「ヴィータさんには信じてもらえたし、子供も助けられたし。今日は良いこと尽くめだな」
本当に今日はいい日だ。
そう言葉にした瞬間、何か小さな引っかかりが生まれた。
何かがおかしい。
その引っかかりが、段々と大きくなる。
何かがおかしい。何かがおかしい。
手を伸ばして、男の子を助けた。それだけのはずだ。
何かがおかしい。何かがおかしい。何かがおかしい。
体が危険信号をあげる。だが喉まで出かかっている違和感をまだ吐き出すことができない。
何かがおかしい。何かがおかしい。何かがおかしい。何かがおかしい。
俺は何をした。転びそうになっている男の子の手を『掴ん』で。男の子にお礼を『言われ』た。
何かがおかしい。何かがおかしい。何かがおかしい。何かがおかしい。何かがおかしい。
そんなことがありえるはずがない。俺という人間は、本当はこの世界に存在してはいない。
存在してない俺はヴィータさん抜きでは誰にも干渉できない。だが一つだけ例外がある。
その例外は――――。
『マスター!』
「うっ、おおぉぉぉぉぉっ!!」
叫びと共に黒刀を両手に構える。カイズはそれを交差すると、全力でプロテクションを展開する。
その次の瞬間、強烈な衝撃にカイズは足が浮く。目の前のソレは左手を振り放つと、プロテクションにヒビが入る。
「ま、まずい」
カイズは地面を蹴ると、ソレから一気に距離を取る。
『ガガガガガガガッ。そうか、貴様が私と同じ存在か。今の今まで気づくことができなかったぞ』
男の子が高笑いを浮かべると、それを合図にしたように体の皮膚が溶け始める。
皮膚がなくなり骨が砕け、そこに残った黒い霧が全く別の形を形成する。
イビツな二本の大きな角が生えた山羊のような顔。その胴体は黒い毛皮に覆われており、長く巨大な両手両足の三本の爪が、その異質さを際だたせていた。
「お前がロストロギア、デスイーターか」
『ああ、そうだイレギュラーよ。まさかあの女と一緒にいたお前が、イレギュラーだとは。……近すぎる故に私も気づかなかったぞ』
「俺がヴォルケンリッターの一員だとでも思ったのか? だったらとんだ遠回りだったな」
『――――いや、そうだとは思わなかったさ。がああぁぁぁっ!』
デスイーターは天に叫び声をあげると、舌をなめずる。その異質な存在に、カイズは一瞬足が竦む。
蹴落とされるな。俺は絶対にヴィータさんを救わなくちゃいけないんだ。
むしろ相手のほうから姿を現してくれたのなら、行幸ではないか。カイズは両手の黒刀を構えると、相手の出方を伺う。
『こないか。なら、私からいくぞ!』
「ぐっ、速い!」
デスイーターは地面を踏み抜くと、獣の如き直進を見せる。真っ直ぐ振りおろされる巨大な三本爪。カイズは思い切り横飛びをすると、その攻撃を回避する。
地面を三回転がると、その勢いのまま立ち上がる。デスイーターは再び地面を踏み抜くと、カイズに突撃を仕掛けた。
「おい、何か作戦はないのか相棒」
『………………』
「黙ってちゃわからないぞ。ぐっ」
再びの攻撃を、またもカイズはギリギリのところで回避する。今度は転がるだけでなく、先ほどより距離を取った。
戦闘が始まり約十秒。そこまで来てようやく、カイズの相棒は声をあげた。
『…………あの攻撃に対して、私に助言できることはありません』
「助言できないって、どういうことだよ」
『あのデスイーターは。……真っ直ぐにしか向かってきません』
「だ、だったら、それに対しての戦法で」
『いえ、無理なんです』
「な、何がだよ」
『――――来ます!』
相棒の声を聞くと、カイズは真正面を見つめる。またも直進してくるそれを見ると、カイズはその場で跳躍する。
「何が無理だよ。やるしかないんだよ」
カイズは魔弾を三発生成すると、すれ違い様にそれを打ち込む。
だがデスイーターはまるでその攻撃がなかったかのように、再びこちらを見つめる。
そして四度目になる突撃を仕掛けた。
「な、何だ。どうして何のダメージもないんだよ!」
困惑するままに、再び敵の攻撃をかわす。先ほどよりも動きを捕らえたそれに、今度は服に切れ目が入る。
相手にダメージを与えることができない。その理不尽に頭の中が混乱し始める。
デバイスは未だに何も言おうとはしない。そんなデバイスに変わり、目の前の存在は大きな笑い声をあげた。
『あーっはっはっはっはっは、そうか、そうか。デバイスのほうは理解していても、人間のほうが理解していないか。それとも人間、ただ認めたくないだけかな?』
「な、何を言ってるんだ。どうして俺の攻撃が効かないんだ!」
そのカラクリがわからなければ、このロストロギアを攻略することができない。カイズの中に焦りが生まれるなか、デスイーターはつまらなそうに声を上げた。
『攻撃が効かない? それは当たり前だ。お前はこの世界に入り込んで何か勘違いをしてたんじゃないのか?』
「勘違い。……俺が?」
『ああ、そうだ。確かにここは夢の世界だ。だが私たちはどうだ。この世界が夢の世界であることを知っているし、ここにいる私たちは現実のものと変わらない。……その意味を、そこのデバイスはわかっているのだろ』
言葉を向けられると、カイズの目が黒刀に向かう。デバイスはカイズが答えを望んでいることを感じると、弱々しく光をあげた。
『マスターの魔力ランクはまだ成り立てのBクラスです。しかしあのロストロギアの実力はAAA以上のものがあります。マイクリエイターと同じぐらいの実力があるということです』
「それってつまり……」
『……マスターの魔力では、デスイーターの障壁を突破できません。さらにあの者の体は強固です。例え突破できても、ダメージはたかがしれているでしょう』
『そういうことだ。いくぞ人間ッ!』
愚直なまでの一直線の攻撃。だがそれでいいのだ。
始めにヴィータと相対したときのように、カイズにはどう頑張ろうともヴィータを倒すことができなかった。
それと同じだ。絶望的なまでに力量の離れたカイズに対して、デスイーターが何かを考える必要はない。
近づいて殺す。それでお終いだ。
「くっ、くそっ!」
カイズは左側に回避しようとする。だがここにきて左右の賭がはずれてしまう。
一直線に向かってくるデスイーターのラインに入った瞬間、カイズは黒刀を交差しプロテクションを展開する。
『無駄だ!』
強靱な三本爪がカイズのフィールドに突き立てられる。 魔力がぶつかり合い強烈な火花があがる。だがそれもほんの少しの間だ。
プロテクションにヒビが入ると、その勢いのまま爪がカイズに迫る。
「ぐっ、この!」
だがそのまま貫かれるわけにはいかない。ベルカ式の黒刀でその爪を押さえ込むと、その場でふんばりを効かせた。
絶対に諦めない。そんな懸命に耐えるカイズの見ると、デスイーターはニタリと顔を歪めた。
『貴様はこの少女の夢に入り込んで、何か勘違いをしていたみたいだな』
「な、なにを」
『貴様は夢物語の主人公にでもなったつもりか? お前はなー、この少女に強く残る記憶の中で誰よりも弱い。Bランク程度が何を思い違いしていたんだ』
「そ、それでも俺はヴィータさんを助けるんだよ!」
『奇跡を信じてか? 神に祈ってか? だがその気持ちもわからないわけではない。弱きものはそうやって、目に見えない何かにすがり付くことしかできないのだからな。フンッ!』
フリーだった左の爪が横凪ぎに放たれる。だがこのまま後退したら、右腕に押し負ける。カイズは顔を逸らすと、ギリギリのところで爪を避ける。しかし完全に回避できなかったそれは、頬にスッと傷を付けていった。
助けて。助けて神様。
その瞬間だ。脳裏には見たことない子供の姿と声が響く。その子供は何かから必死に逃げていた。
だが路地裏に追い込まれると、祈るように両手を合わせ狂ったように叫んだ。
お願いします。どうか助けてくだ――――。
グシャ。
何かが潰れる音と共に、子供は声をあげなくなる。路地裏に広がる赤色はいったいなんであろうか。
「――――はっ! ぐそ!」
再び放たれる左手を、デバイスで受け止める。すると、次はフリーになった右腕でカイズのわき腹を浅く切り裂いた。
そしてまた。記憶にない光景が脳裏を過ぎった。
大丈夫だよパパ。きっと正義の味方が僕たちを助けてくれるよ。
二人の親子はどこかに隠れているのだろう。狭い場所で身を寄せあっていた。
喋るな。喋るんじゃない。
大丈夫だって。だって僕たち何も悪いことしてないんだもん。
その小さく無垢な目は、自分たちの置かれた状況に微塵の恐怖も抱いていないようだ。
父親はとにかく黙らせようと、ギュッと力強く子供を抱きしめる。だが父親の願いは届かなかった。
木が擦れ合う音と共に、光が射し込む。父親は何人もの男たちに手を引かれると、地面に叩きつけられた。
い、いやだ。助けてくれ。
必死に暴れ回り男はその場から逃げ出そうとする。
グチャ。
また先ほど聞いた何かを潰す音が耳に届く。呆然とした子供の顔に赤い血が降り懸かる。
きっと何が起きたのか理解していないのだろう。もしくは理解したくないのかもしれない。これから自分に襲いかかる理不尽な暴力を。
あ、あ、あああ。
恐怖で叫び声をあげることもできず。
グシャ。
子供はもう声をあげることのできない骸と化していった。
「アアアァァァァァァァアアァァァァァァッ!」
何だ。何なんだ。この頭をよぎる死の光景は。知らない。わからない。理解したくない。
先ほどから流れ続ける死の映像に、カイズは正気を保てなくなる。そんな無抵抗なカイズに振りおろされる爪。
ああ、俺死ぬのかな。
先ほどまでと同じだ。この爪が振りおろされたら、子供たちのように頭を潰されて死ぬ。
たったそれだけで人間は終わってしまうのだ。
『フンッ!』
『――――プロテクション!』
だが彼が冷静でない分は、相棒が補った。無手のままプロテクションを展開すると、直撃を避ける。
しかし足に踏ん張りがないぶん、その巨大な力にカイズは吹き飛ばされていった。
木に思い切り叩きつけられると、その衝撃で胃の中から液体がこみ上げる。
体の痛みからか。それとも先ほどから頭をよぎる光景のせいなのか。とにかくこみ上げるものをすべて地面に吐き出すと、目の前の敵を見た。
「な、何なんだ。今の光景は……」
『貴様のようにありもしない希望にすがりついたものの末路だ。滑稽だったろ。泣き叫び何も抵抗できずに死んでいく姿は。……そういう意味ではお前も私の記憶に留めておくに値する人間だな』
「な、に……?」
『私は貴様のように弱く役立たずなものが、すがり付いた希望に裏切られ死んでいく姿が大好きなんだよ。今まで五百以上の死の記憶を喰らってきたが、私の趣向にはこれが一番合っているようだ』
本当に心の底から嬉しそうにデスイーターは天を仰ぐ。そして汚らしい顔で笑い出した。
「この、化け物め……」
「あっはっはっは、んん? ハッ!」
デスイーターはぴたりと笑い声を止めると、カイズの足を爪で貫く。ヴィータのラケーテンの比ではない。可能な限り人を苦しめるために放たれた一撃に、カイズは苦悶の声をあげる。
そんな彼を嬉しそうに見ると、デスイーターは講釈を続けた。
『私が化け物なら、あの少女は悪魔か? 殺した数なら、あの少女のほうが上だぞ』
「お前と一緒にするな。ヴィータさんは望んでそんなことをしてたんじゃない」
『ああ、その通りだ。あの少女は大切な主のために、身を削って死ぬ物狂いで戦っている。本当は戦いたくない。それでも戦って、戦って、戦って、戦って。――――その末に誰も救われなかったとしたら。あの少女はどんな顔をしてくれるかな?』
「――――お前、まさか!」
『ああ、そのまさかだよ。少女の大量殺戮の記憶は確かに魅力的ではある。だが私が一番欲しい物はそれではない。殺戮兵器でありながら、救われた存在。その存在がもし救われなかったとしたら。そんな絶望に歪んだ記憶を貪ってやりたいんだよ~』
「そんなことできると思っているのか。いくらAAAクラスだって言っても、言ってしまえばそこがお前の限界だ」
たかだかBクラスの自分がここまで生きているのがいい証拠だ。確かにデスイーターは強いかもしれない。だがそれはこの世界のヴィータと同等か、下手をすればそれより下だ。
それにこの世界にはヴォルケンリッターを含め、高町教導官や時空管理局の面々もいる。
その全てを相手にして、この存在が勝てるとはカイズには到底思えなかった。
デスイーターはその言葉に気を悪くしたのか、再び爪を降ろすとカイズの腹部を貫く。
「ぐああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
『はっはっは、そんなこと貴様に言われるまでもない。今まで私がいた未開拓地と比べて、こんな化け物ばかりの世界ではそれは無理だからな。だが絶対に失敗しない瞬間がこの世界には存在するんだよ。――――その時の唯一の癌が貴様だったが。まあ私の取り越し苦労だったようだな』
「があっ、ああっ、がああああっ!」
『おっと、死の記憶を強く刻みすぎたかな。なに、今すぐにでも解放してやろう』
ゆっくりと爪が振りあげられる。狙いは脳天。それで人間は死に至る。
「――――おーい、どこいったんだ!」
「ちっ、あの少女か」
デスイーターは舌打ちをすると、掲げていた腕を降ろす。
『今あの少女に私の存在を認識されるわけにはいかないな。――――だが悩みの種は全て消えた。貴様はせいぜいこの世界の終わりまで眠っているんだな』
デスイーターはその身を黒い霧にすると、一瞬のうちにその場から消える。
カイズは倒れまま立ち上がることもできなかった。
「…………相棒、俺たちは助かったのか」
薄れかけた意識のまま、そう小さくつぶやく。地面に落ちた黒刀は、淡い光をあげるとその質問に答えた。
『いいえ、私たちの存在は。…………歯牙にもかけられなかったようです』
「はは、そうだよな。……そうなんだよな」
俺は弱い。きっとヴィータさんの記憶の中で輝かしく光っている誰よりも弱い存在なのだ。だからこそデスイーターも遊ぶようになぶり、止めもささなかった。
「どうして俺なんかが助けに来ちゃったんだろうな。Bクラスの俺なんかじゃなくて、賭になっても六課の面々が来てたら。そしたら…………」
『………………』
「何か言ってくれよ相棒。なぁ、頼むよ」
「おい、お前どこに行って。――――な、何だよ。どうしたんだよ!」
傷だらけの自分の姿を見て、血の気の引いた顔でヴィータはこちらに駆け寄る。
だがそんな彼女の顔を、カイズは直視できなかった。
ごめんなさい、ヴィータさん。俺じゃ貴方のことを。
その先が言葉になる前に、目の前が一気に暗くなる。意識を失うその間に、ヴィータの叫び声がただむなしく公園に響きわたってくのだった。