暗い。暗い世界に僕はいた。
このトンネル内に閉じこめられていったい何時間が経っただろうか。僕は何も考えずに、ただ身をちぢこませていた。
「おら、いったい何を隠しやがった! 早くだしやがれ!!」
数分前から成人男性の動きが活発になっている。このトンネルに閉じこめられて、救助がくる様子もないのだ。
他人など関係ない。自我を丸だしにし、自身が生き残ることを優先し始めたのだろう。
若い男は老人や女性などに詰め寄ると、なけなしの食料を奪っていく。
そんな彼らに楯突くことを誰もしなかった。こんなところで正義感を振りかざしても、痛い目を見るだけだ。
弱い人間はただ搾取されるか。それか僕のように黙っているしかないんだ。
体育座りで、ただじっと待ち続けていた。それでもし救助が間に合わなかったら僕は…………。
その未来を考えると、体が震えだした。
だが仕方がないだろう。生き埋めになったメンバーで僕が一番年下なのだから。
そんなふうに震える過去の自分を、カイズは俯瞰で眺めていた。
そして過去の自分に言ってやりたかった。これからすぐにでも助けにくる。だから怖がる必要なんてないんだと。
過去の結果を知っているからこそ、安堵している自分がいる。
しかしその記憶は脆くも崩れさり始める。
「おい、ガキ。テメェなに隠してるんだよ」
「…………えっ?」
「その腹んなかになにか隠してるんだろ。おら、さっさとだせよ」
「ぼ、僕は何も」
「いいから立てっていうんだよ!」
「ひっ、は、はい」
子供の自分がその場から立ち上がる。すると、その懐からは、大量のパンが落ちていった。
何だこれは。知らない。俺はこんなの知らないぞ。
あの時の自分は食料など持ってはいなかった。そもそも大人に絡まれもしなかったはずだ。
だが目の前の光景は違う。男は落ちたパンを見ると、持っていた鉄パイプで子供の俺を殴りつけた。
「――――――!」
声にならない声をあげると、過去の自分が地面に転がる。頭からはじわじわと血がにじみ出ており、とても軽傷には見えない。
「ガキがふざけやがって! おら、残りもだせよ!!」
「持ってない。僕はなにも持ってないよ」
「嘘つくんじゃねえよ。だったらこのパンはなんだよ。ふざけたこと抜かして、一人だけ生き残ろうってか!!」
「ち、違う。ぼ、僕は……」
必死にパンの存在を僕は否定する。だが無情にも男の大声に引かれて、ほかの大人たちもこちらに集まってきた。
「何だ、このガキが食料持ってるのか?」
「だったらよこしてもらわないとな。こんな子供よりも、俺たちのほうがちゃーんと社会貢献してるんだしな」
「お、おいふざけるなよ。俺が始めに見つけたんだぞ」
「じゃー、こっからは早いもの勝ちってことでー」
鉄パイプや刃物を構えると、男たちのギラついた視線が全てこちらに集まる。
違う。こんなの違う。こんなわけがない。こんなはずが。
カイズは男たちの間に入るが、彼らに干渉することができない。過去の自分は恐怖で動くことができず。
ただその瞬間に怯えることしかできなかった。
「それじゃー、おっさきー」
我先にと男が鉄パイプを振りかぶる。それに負けじと、ナイフやバットなどがカイズの頭を――――――。
「うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ、ああああぁあぁぁあぁぁぁあ!」
頭が痛い。吐き気がする。何がどうしたのかわからなくなる。
カイズは白い綿布団を取り払うと、頭を抱え叫び続けた。
「ああああぁぁぁぁあああぁぁあ、何だよ。俺は、違う、こんなの、ヴィータさん。ヴィータさん!」
あの時自分を救ってくれた彼女の名前を口にする。誰かに話を聞いて欲しかった。誰かに今のは悪い夢だと慰めて欲しかった。
だが目の前の現実は。いや、目の前の夢は彼に何も答えてはくれなかった。
どうやらここは病院のようだ。白いベッドに、ナース服を着た女性。目の前のベッドには患者もいた。
だがこんなに叫び声をあげたのに、誰もカイズのことを気にもしない。当たり前だ。この世界ではヴィータがいなければ、自分はただの空気でしかないのだから。
「何で俺は、俺が、俺でなかったら。くそ、ちくしょう!」
どうせ叫んでも誰も気にしないのだ。カイズはベッドから起きあがると、全力で壁を殴りつけた。
放った拳は壁にヒビをいれることもできず。そんな弱い自分が、悲しくて辛くて。
ただ無力な自分をいたぶり続けた。
「くそ、くそ、何で俺だったんだ。俺は何を思い上がってたんだ。俺はヴィータさんの恋人だってだけで、それだけでこの話を受け入れた。どうしてもっと考えなかったんだ。なんで、ヴィータさんのことを一番に考えられなかったんだよ!!」
こんなBクラスそこそこの自分では、あのロストロギアには勝つことができない。勝つことができなければヴィータを救うこともできないのだ。
愚かな自分を呪いたかった。舞い上がっていた自分を殴り倒したかった。
カイズは殴り続けていた壁に頭突きを入れる。そして額を当てたまま、ずるずると倒れていった。
「……それに俺は怖がってしまった。絶対にヴィータさんを助けなくちゃいけないのに。それなのに、死の記憶を刻み込まれて足が動かなくなっちまったんだ」
絶対に助けるが聞いて呆れる。だけどもうどうにもならないのだ。
それにこの世界にはヴィータさんの仲間がいる。高町教導官やフェイト執務官、時空管理局の人間たちがいるのだ。だったら自分の出る幕はないではないか。あのロストロギアと言えども、それだけの人数を前にして戦えるはずがない。
「……いや、それはただの建前だ。俺は。……俺は死ぬのが怖いんだ」
「死ぬのが怖いのは当たり前ですよ。……私もその気持ちわかりますから」
「――――えっ?」
その声はいったい誰がかけたものだろうか。いや、声をかけられるはずがない。だってこの世界はヴィータの干渉なしでは、自分を認識することすらできないはずだ。
そう思いながらも、カーテン越しの隣のベッドを見つめる。その白いカーテンが開かれると、小さな女の子は温かいまなざしでこちらを見つめた。
「……はやて、さん? でもどうして」
「いやー。ヴィータにはカイズさんが起きたらお願いって言われてましたけど。さすがにいきなりの叫び声は私もびっくりしました」
「ヴィータさんが?」
そういうことなら納得がいく。ヴィータがはやてにその想いを託したのなら、彼女は自分との記憶がなくとも、初めから知っているように自分と接してくれるはずだ。
カイズはすぐにでも口を開こうとする。だがはやては右手を前に出すと、ゆっくりと首を横に振った。
「ここでは話にくいと思うんです。だから屋上にいきませんか。――――私も聞きたいことがあるんで」
その少女の眼差しはまるで全てを悟っているようで。いや、きっと過去の彼女も何かがおかしいと気づいていたのかもしれない。
だが今の彼女に事情を説明したところで、この記憶は変わらない。しかし変わらないからといって、その真剣な眼差し無視することは自分にはできなかった。
「――――わかりました。全部お話しますね」
「ありがとうございます」
はやてはそれだけ言うと、ベッドの横にある車いすに移動する。カイズはそれを補助しようとするが、ゆっくりと首を振る彼女を見て、その足を止めた。
「せめて押していきますね」
「おおきに」
カイズははやての車いすを押すと、そのまま病院の屋上に向かっていった。
誰もいない夕暮れの屋上。カイズははやての隣につくと、全てを話した。
いまヴィータ達が何をしているか。はやての体がどうなってしまうのか。これからどんな事件が起きるのか。そしてこの世界が夢であること。現実のヴィータが命の危機にさらされていること。
どうせここで話しても、カイズのお世話をするという役割を終えた瞬間、はやては全てを忘れるはずだ。
その前提を話していても、はやては真摯にカイズの言葉に耳を傾けてくれていた。
カイズは全てを話し終えると、空を見上げ乾いた笑い声をあげる。
「あっはっは、でもこんなこと言っても信じられないですよね。ほんと、ごめんなさい」
「そんなことありません。私は、カイズさんの言葉を信じます」
「信じるってなんで。どうして俺なんかの言葉を信じられるんですか。だってここが現実の世界じゃないって言ってるんですよ」
「うーん、それはそうなんですけど。……でもやっぱり信じます。いえ、信じたいっていうのが私の本心です」
「信じ、たい?」
「ええ、そうです」
はやてはゆっくりと目を閉じると、車いすを前に進める。そして屋上からの町並みを見ると、温かな笑みをカイズに向けた。
「私が家族と幸せに暮らしている。そんな未来を私は否定する気はないんですよ」
「そ、それだけで……」
「むしろそれ以上のことがあるでしょうか。……私は信じます。家族と楽しく過ごせる未来を。この世界が夢だということを。――――そしてカイズさんがヴィータを救ってくれるってことも」
「――――ッ!」
その純粋な眼差しが辛かった。せっかくこの少女は温かな未来を信じているのに、自分の力がないために、その現実が打ち壊されようとしているんだ。
だからこそはやてにみんなを説得してほしかった。だがそれが彼女にできないことをカイズは誰よりもわかっていた。
カイズは無力を呪うように下唇を噛む。そんな彼の手をはやては優しく握り込んでいった。
「大丈夫です。きっとカイズさんならその敵にも勝てますよ」
「だ、だけど俺は。何もできなくて。本当に弱い存在で……」
「そんなことありません。ここはヴィータの記憶の世界。そのヴィータの中で、カイズさんは誰よりもヴィータに思われているはずです。そして誰よりもヴィータのことを思っているカイズさんが負けるはずありません」
「だけど、俺はデスイーターに死の記憶を刻み込まれて。それだけで足が動かなくなっちゃって」
「死が怖くない人なんていません。私だって足が動かなくなって、今は体調も安定しないで入院して。もう自分は長くないって。いったいいつまで生きてられるのかなって。そう思ったら、いつも震えてましたよ。あっ、これヴィータ達には言わんといてくださいね。今のところ誰にもバレてないと思うんで」
「……はやてさん」
そう言葉にするはやての体は小さく震えていた。だけど彼女はそんな自分に渇を入れると、両手をギュッと握りしめた。
「もっと自分に自信をもってください。カイズさんは、ヴィータのヒーローなんですから」
「俺が、ヒーロー。……だけど俺は」
果たしてあの化け物に勝つことができるのだろうか。いや、勝つ勝たないの前にあいつには自分の攻撃が通じない。それほど力に格があるのに、どうしたら。
『――――そうですか。状況判断がようやく完了しました』
「えっ?」
突然電子音をあげる相棒に、驚きの声をあげる。
カイズはチェーンを握りしめると、相棒を取り出した。
「状況判断が完了したってどういうことだよ」
『そのままの意味です。私は貴方の能力を最大限に生かすために、全ての基本を網羅しています。それはマスターもわかっていますよね』
「それはわかってるけど。……そんなお前だから俺の力ではデスイーターに勝てないって判断したんだろ」
『ええ、そうです。教科書通りの戦力分析ならマスターの勝ち目は0パーセントです。……ですがここは現実の世界ではありません。夢の中です。私はどうやら教科書通りでありすぎたようですね』
「な、何だ。どういうことなんだ?」
『その質問には後でお答えします。再計算に入りますので、しばしお待ちを』
デバイスはそれだけ言うと、何かを計算し始めたようだ。何がなんだかわからないと、カイズは首を傾げる。
そんな彼のデバイスをはやては、手のひらに乗せていった。
「これがカイズさんのデバイスなんですか。でも私の家族と違って、二本ついとるんですね」
「あ、えっと、一応ベルカとミッドの二刀流なんで」
「へぇー、名前はなんていうんですか?」
「名前、えっと、名前はその……」
ぶっつけ本番の試験から付き合いだしたカイズの相棒。今まで試験や勉強、ヴィータとのつきあいなどで、すっかりそれを忘れてしまっていた。
カイズはそう正直に話すと、はやては頬を少し膨らませた。
「それじゃいけませんよ。私が夜天の書にリインフォースって名付けるように、自分の大切なものにはしっかりと名前をつけてあげないと」
「そ、そうですね。えーっと、どういった名前がいいでしょうか」
「それじゃあ一緒に考えようか。まだヴィータやなのはちゃんたちがクリスマスイブのお祝いを持ってきてくれるのには時間がありますし。――――あっ、ごめんなさい。年上相手にタメ口になってしもうて」
「――――いいえ。はやてさんはそれでいいと思いますよ。それじゃあ短い時間ですけど、よろしくお願いします」
カイズはデバイスを持ち上げると、その姿をゆっくりと映し込んでいく。
今日はクリスマスイブ。
全てに決着がつくであろう。決戦のときは、すぐそこまで迫っていた。