小さな拒絶
「――――うっ」
時刻は午前二時。深夜にも関わらず、カイズの目は覚めてしまう。
「うっ、あっ」
何度も自身の頭を触ると、突然ベッドから飛び出す。
そして洗面所に向かうと、鏡の中の自分をのぞき込む。
目の周りにはクマができており、頬も以前よりやせこけている。そんな姿の自分を見て、彼は苦笑いを浮かべた。
「はっ、ははは。……ひっでえ顔してるな。うっ」
そこまで確認した後にくるのは、どうしよもない吐き気だ。カイズは洗面台に顔を近づけると、何度も何度も胃の中のものを吐き出していくのだった。
◆◇◆◇
「ふんふふーん♪」
赤い髪の少女は、自身の上機嫌さを示すように二つのおさげを揺らしていく。一週間前まで意識不明だった彼女は、そんな浮かれている自分を鏡で見ると、はっと息をのんだ。
「い、いくら退院してからぶりに会うっていっても浮かれすぎだよな。ん、んん。あたしのほうが年上なんだから、しっかりしないとな」
ヴィータは鏡の前に立ったまま、服装をチェックしていく。スーツはしっかり着こなしているし、髪の毛もはねたりはしてない。
とりあえず一安心すると、先ほどまでのスキップ気分を封印し、普通に歩き始めた。
「今日は一緒にお昼食べて。それで時間が合えば夕飯も行けそうだしな。あー、ダメだ。やっぱり顔がにやけちまう」
ヴィータは両手で頬をぐぃーっと引っ張ると、無理矢理表情を落ち着かせる。すると食堂に着く前に、見慣れた背中を見つけた。
ヴィータはできるだけ気分を落ち着かせると、彼の名前を呼んだ。
「おーい、カイズー」
「………………」
「ん、あれ? カイズー?」
黒髪の青年に声をかけるが、彼はこちらを振り向かない。一瞬見間違えかと思うが、そんなはずはないとヴィータは彼の横に近づいた。
「おっ、やっぱりカイズじゃねえかよ。何だよ無視して、って。お、おい。どうしたんだその顔」
「あっ、ヴィータさんこんにちは。俺の顔がどうかしましたか?」
「いやそれをこっちが聞いてるんだよ。何だか随分と疲れてるみたいだけど。……ちゃんと食事とってるのか?」
「それは大丈夫ですよ。局員は体が資本ですからね」
そういってカイズは笑みを浮かべるが、その表情に精気はあまり見られなかった。
「お、おい、本当にどうしたんだよ」
「…………いえ、何でもないですよ。ほんと、最近ちょっと夜更かししちゃってるだけなんで」
「で、でもよー」
「大丈夫、大丈夫ですって」
その言葉だけを述べると、カイズは先に歩きだしてしまう。ヴィータは彼の姿に困惑してしまうが、不安を声に出すことなく、彼の後に続いた。
◆◇◆◇
管理局の食堂。いつもの窓際の席に座ると、ヴィータは口を開く。
「そういえばそろそろシンドウさんの結婚式だな。スピーチは考えたのか?」
「…………はい」
「それと教導実習ももうすぐだよな。二週間の間会えなくなると寂しいよな」
「…………はい」
「…………なあ、カイズ」
「…………はい」
「…………あたしのこと嫌いか?」
「…………は、――――んん! そんなはずありませんよ。俺はヴィータさんのこと世界で一番愛してますよ!」
危なかった。それが見て取れるほど、カイズは慌てた様子で取り繕って見せる。
ヴィータは自分で鎌を掛けておきながらも、肯定の言葉がでなかったことに一安心する。
だがそんなカイズをみたからこそ、ぐいっと彼に詰め寄った。
「なあ、どうしてさっきからそんなに上の空なんだよ。……何かあったのか?」
「い、いえ。別に何かあったとか、そんな深刻なことじゃありませんよ。ただ、最近ちょっと寝付きが悪いなって。すみません、ヴィータさんとのせっかくのお昼なのに」
「そんなことで謝るなよ。それより寝付きが悪いって、どうしてだよ。夜になんかしてるのか?」
「……いいえ。そうじゃないんですけど」
「なら、どうして寝付きが悪いんだよ。原因はわかってるのか?」
本当に心配だと、ヴィータはカイズの顔をのぞき込む。だがそんなヴィータと視線が合うと、彼はすぐにそれを横に逸らしていった。
――――えっ?
そんな彼の行動に、心にチクリと何かが刺さった気がした。
今まで照れ隠しで視線を逸らすことは何度かあった。だがこんな目に見えての拒絶は、多分付き合って初めてのことであろう。
今までどんな時にでも、カイズは自分と真っ直ぐ向かい合ってくれた。そんな彼の、小さいながらも初めての拒絶にヴィータの心が揺れ動く。
先ほどまでの浮かれ気分など、もう欠片も残っていない。ヴィータは焦るように、さらにカイズに詰め寄った。
「な、なあ。ほんと何でも言ってくれて構わないんだぞ。もしかしたらあたしじゃ役に立てないことかもしれないけど、それだったら話すだけでも楽になるかもしれないし」
「……いえ。本当にただ寝不足なだけなんで」
「で、でもそんなに調子悪そうで」
「ヴィータさん!」
食堂に響くカイズの一声。食堂の空気が一瞬に静まり返るのを感じると、カイズは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。こんなに大きな声出す気はなくて。でも本当に大丈夫なんです。ほら、ご飯も冷めちゃいますし、早く食べましょう」
「…………お、おぅ」
ヴィータはこれ以上何も口に出すことができなかった。
ただいつも通りの二人の食事が始まる。
いや、いつも通りにしようと、必死になっているカイズの姿を見ていられなくて。そんな彼の負担にならないようにと、ヴィータもいつも通りを演じ始めていくのだった。