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お昼を終えたあと、ヴィータはどうにも仕事に集中できなかった。
今日中に終わらせる予定のデスクワークが、まだ半分以上も残っている。それでも頭の中は疲れきったカイズの顔でいっぱいになっていた。
「……いったいどうしたんだろうなカイズのやつ。勉強が忙しいっていっても、普段から習慣みたいに勉強してるし。それに本人は夜更かししてって言ってるけど。体壊すほど夜更かしするやつじゃないよな」
ならいったい何が彼を苦しめているのか。
結婚式のスピーチが憂鬱なのだろうか。いや、それで体調を崩すくらいなら、初めから受けるはずもないだろう。
なら、教導実習で学生に教えにいくのが嫌なのだろうか。確かに教導官になるなかで、その項目が嫌いだという局員は何人か見てきた。だが普段から明るい彼を見ていると、そんなふうには思えなかった。
「いや。そのどっちだってあたしは構わねえんだ。……何で話してくれないか。それが問題なんだよな」
辛いことがあるなら、相談してほしかった。困ったことがあるなら、二人で解決していきたかった。
今まで互いの困難はそうやって解決してきたはずだ。それにカイズは恥ずかしがりながらも、子供に嫉妬したことだって話してくれた。
「それが何だって今回は話してくれないんだよ。……そんなにあたしじゃ信用ねえのかよ」
ヴィータは机に頬を当てると、大きなため息をつく。だが自分とカイズには大きな絆があるはずだ。
彼が大丈夫だと言うのだから、今回はそれを信じよう。ヴィータは釈然としないながらも、仕事を続けていくのだった。
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「あー、遅くなっちゃったな」
前半仕事にあまり手がつかなかったのがいけなかったようだ。定時の時間を三十分ほど過ぎると、ようやく今日の業務が終わる。
「でも一時間はかかると思ってたからな。これくらいなら、待っててもらえばよかったかな」
お昼に話し合った結果、今日はカイズの家で一緒に夕飯を食べることになっていた。
本当は一緒に夕飯の買い出しに行く予定だったのだが、仕事の遅れを理由に彼には先に帰ってもらっていた。
「まあ疲れてるカイズに夕飯作ってもらうのもあれだし。偶にはピザでも頼んでゆっくりと。――――あれ」
ヴィータはそこで言葉を止めると、思わず廊下の角に隠れてしまう。
そんなことをせずに、自然に話しかければよかったはずだ。だがカイズと白衣を着たシャマルを見てしまうとそれができなかった。
な、何でカイズがまだここにいるんだ。それに何でシャマルと。
ヴィータは廊下の角から、二人をのぞき見る。すると、シャマルがカイズに何かの袋を渡している姿が見えた。
「一応体に残りにくいものを選んで起きました。でもあんまり調子が悪いようでしたら」
「いいえ。これだけもらえれば大丈夫です。……すみませんでした。急な相談ごとで」
「ううん、それはいいんだけど。……ヴィータちゃんにはこのこと話したの?」
「…………いえ。その必要はないので」
カイズの口から放たれたその言葉。自分には話す必要がない。そんな否定の言葉に、ヴィータの心臓が大きく鼓動する。
あたしには関係ないって。何でだよ。だってあたしとカイズは恋人同士で。困ったことは何でも相談できるって思ってたのに。それなのに、どうして――――?
自分を蔑ろにする言葉に、ヴィータの足が震える。だがこのまま逃げ出すわけには行かない。きっと何か理由があるはずだ。
ヴィータは震える足に力を込めると、わざと大きく足音を鳴らした。
二人の視線がヴィータに集まる。そしてカイズが罰悪そうな顔をすると、ヴィータの鼓動はさらに早くなった。
「ど、どうしたんだよ、その紙袋。や、やっぱり、調子悪かったんじゃ、ね、ねえのか?」
声が震える。だが必死に平静を保つと、二人に近づく。ヴィータはその紙袋の中身が知りたくて、それを手につかむ。だが――――。
――――バシン!
カイズが力ずくでヴィータから袋を奪い取る。形振り構っていなかったのだろう。ヴィータは袋の角で手のひらが切れるのを感じると、それを隠すように後ろに回した。
「な、なんだよ。何でそんなに慌ててるんだよ。――――何であたしに話してくれなくて、シャマルに話してるんだよ!」
「ヴィータちゃん、これには深いわけがあってね。カイズ君は――――」
「――――シャマルさん! 黙って!!」
カイズの声が廊下に響きわたる。普段の彼からは考えられない叫び声に、ヴィータとシャマルは思わず口を閉じてしまう。だが声をあげたカイズは違う。
喋れない二人の代わりに、言葉を続けた。
「ヴィータさんに言わなかったのはその必要がないと思ったからです」
「な、何でだよ。――――どうしてだよ!」
「――――ヴィータさんには関係ないことだからですよ!」
「――――――」
自分には関係ない。そうハッキリと言葉にされた瞬間、ずっと我慢していた感情が表に出始める。
ヴィータは目に涙を溜めると、それを流さないように必死に我慢する。だが駄目だ。このままではカイズの前で泣き出してしまう。
「――――――うっ」
ヴィータは二人に背を向けると、そのまま走り出してしまう。動き出した瞬間に、こぼれた涙が廊下に落ちる。
そんな彼女の姿を見て、シャマルはカイズに詰め寄った。
「い、いくら何でも今の言い方は」
「……いいんですよこれで。それと約束どおり、絶対にこのことはヴィータさんには言わないでくださいね」
「…………ふん、わかりました」
シャマルは心底呆れたと、そっぽ向くと歩きだしてしまう。二人の女性に置いて行かれたカイズは、手に持った紙袋を地面に投げつける。
そしてコンクリートの壁を力強く殴りつけていくのだった。
◆◇◆◇
夕暮れの公園。ヴィータはベンチに座ると、ごしごしと涙をぬぐい去っていた。
「ふん。なんだよカイズ、ふん」
彼に拒絶された悲しみの後にきたのは、途方もない怒りだ。
なにがあたしには関係ないだよ。カイズにとってあたしはその程度の存在だったのかよ。
どんな理由があろうとも、自分には訳を話してほしかった。確かにシャマルのように専門的なアドバイスはできないかもしれないけど、それでもだ。
ヴィータは涙を完全にぬぐい去ると、夕暮れ空を見上げた。
「…………カイズのバカ」
そう口にし怒りがこみ上げた瞬間、ヴィータは自分自身が随分と変わったことに今更になって気づいた。
「あたしって、こんなに怒ったり悲しんだりできたんだな。……十年くらい前ならともかく、もう結構な大人になったんだけどな」
まだはやてと出会った頃の自分は、どうしよもなく子供だったことを覚えている。
はやてにべったりで、人の話を聞かない。夕飯前にアイスを食べたり、なのはに子供扱いされては随分と拗ねていたはずだ。
最後に大泣きしたのはいったいいつだったろうか。
人の生死が関わらず、ここまで怒ったのはいつ以来のことであろうか。
カイズと付き合うようになって家族と違う。それでも一番近くにいてくれる人ができて、きっと自分は弱くなったのだろう。
そうでなければ、こんなに自分の心が乱されるわけがないのだから。
「ふん、なんだよ。あたしに関係なくたって、話してくれてもいいじゃねえかよ」
がっくりと肩を降ろすと、大きなため息をつく。そんな彼女を見て、その少女は心配そうに声をあげた。
「どーしたのお姉ちゃん? 何だか元気なさそうだけど」
「えっ、あれ。えっと。……確かこの前公園で泣いてた」
「うん、そうだよ。あの時は本当にありがとうねお姉ちゃん」
二週間ぐらい前であろうか。カイズと公園で待ち合わせしたときに、虐められていた小等部の少女を助けたことがあった。あの時は泣きっきりだった彼女だが、今の笑顔を見ると友達づきあいはうまくいっているようだ。
「別に気にしなくていいって。それより、あの後はあの男の子になにもされてねえか?」
「うん。お姉ちゃんがしっかり叱ってくれたし。――――それにお姉ちゃんの彼氏さんが、ものすごく怒ってくれたんでしょう。あれ? そういえば今日は彼氏さんいないんですね?」
「えっ、ああ、まあな」
きっと男の子経由でカイズのことを聞いたのだろう。このタイミングでカイズのことを聞かれ、ヴィータは言葉を濁してしまう。
だがそんなヴィータの想いなど知るはずもなく。少女は少し残念そうな表情を見せた。
「お兄ちゃんにもお礼言いたかったんだけどな。それにお兄ちゃんは私のこと庇ってくれたのに、私はそれを必要ないって嘘ついちゃって。だからあの時のこと謝りたくて」
「そ、そうか。……その、今度時間ができたら来るように言っておくな」
「うん、ありがとうお姉ちゃん。――――それにしてもお姉ちゃんはいいなー。あんなに優しい彼氏さんがいて」
「……そうかな」
「絶対にそうだよー。だって今までこの公園で私が泣いてることなんて何度もあったんだよ。だけど助けようとしてくれたのはお兄ちゃんが初めてだったんだよ。ほかの大人も子供もみーんな私たちのことなんて見てみないようにして。だからお兄ちゃんには本当に感謝してるんだ」
大人も子供もみんな見てみないふりをしていた。だがそれは確かにそうかもしれない。子供はわざわざ危険には飛び込まないだろうし、大人だって子供同士のやり取りだと軽く見て過ぎ去るのが普通だ。
かく言う自分だって、カイズの話を聞いていなかったらあの場に首を突っ込まなかったかもしれない。
実際に虐められている場面を見たわけでもない。声だけ聞いたら、子供が親に対してだだをこねている。そう頭の中で片づけていた可能性だってありえたのだ。
だがそれでもカイズはあの場面に首を突っ込んだ。待ち合わせ場所から離れているはずの少女を助けるために。
そんなこと。いったいどれだけの人間ができるであろうか。ヴィータは落としていた肩を少しあげると、小さく笑みをこぼした。
「ああ、そうだよな。……あいつは本当に優しい奴で。――――あたしの自慢の恋人だよ」
「いつか私にもそんな人ができるかな」
「きっとできると思うぞ。――――ありがとうな」
「ん? 私なにかお礼を言われるようなことしたかな。――――あっ、そういえばみんなを待たせたままだった!」
「それじゃあ急いで戻らないとな。引き留めて悪かった。また今度、二人で来るからそのときにゆっくり話そうぜ」
「うん。またねお姉ちゃん!」
少女はベンチから離れると、何度も何度もこちらを振り返り手を振る。ヴィータはその背中が完全になくなるまで、手を振り続けると「よしっ」とベンチから立ち上がった。
「さてっと。イジイジしてるのはあたしらしくないよな。――――まずどうするかな」
「――――あっ、いたヴィータちゃん! もしかして私が一番かな」
聞き覚えのある声が耳に届く。ヴィータは後ろを振り返ると、サイドテールの同僚がこちらに走ってきているのがわかった。
「ん、なのはか。どうしたんだこんなところで。それに一番って何のことだ?」
「ああ、それはそうか。ヴィータちゃんが知ってたら意味ないことだもんね」
「んん?」
なのはとの会話がかみ合わない。だがきっと今まで全速力で走り続けていたのだろう。
何度も深呼吸をすると、デバイスを取り出した。
「とりあえずみんなには連絡してっと。――――これでよし」
「な、何だよみんなに連絡って。それにどうしてあたしを探してたんだ。何か仕事でミスでもあったのか」
「今日はそういうんじゃなくてね。あー、でもとりあえずベンチに座り直そうか。ちょっと走りすぎて疲れちゃって」
「お、おぅ」
せっかく気合いを入れ直したのに、何とも出鼻を挫かれた気分だ。ヴィータとなのははベンチに座る。そして呼吸が落ち着くと、なのははこれまでの経緯を説明し始めるのだった。