◆◇◆◇
暗い。暗い世界に僕はいた。
何もできなくて。ただ無力で。
僕はその場に座り込むことしかできなかった。
暗闇の中。体育座りで座り込んでいる自分を、カイズは俯瞰で眺めていた。
ああ、またこの夢だ。これでいったい何度目だろうか。
いや、この夢を見ること事態、そんなに憂鬱ではなかったはずだったのだ。
だがこの一週間で、ヴィータと初めて出会ったこの夢は塗り変えられてしまった。
一人の負傷者もなく、奇跡的な救出劇だった落盤事故は、デスイーターとの戦い以降、残虐せいのあるものにすり替わってしまったのだ。
病院にいるときは、この夢を見ることはなかった。だが退院して、部屋に一人でいると、毎晩のようにこの夢にうなされだした。
それ以来眠るのが怖かった。眠ってしまったら、また自分は大人の男たちに殺されてしまう。
ナイフで突き刺され、鉄パイプで殴りとばされ。
そして死の記憶にいた人のように、物言わぬ躯とかしてしまうのだ。
だからこそシャマルに強力な睡眠薬を用意してもらった。夢は浅い眠りの時に見るもの。そんな言葉を鵜呑みにし、深い眠りにつこうとした。だがどうやら無駄だったようだ。
「違う。僕は、僕は違う」
服の中から、身に覚えのないパンが転がり落ちる。その瞬間に一発。その一発で過去の自分は恐怖で体が動かなくなってしまう。
いつもと変わらない。このまま大人たちがよってきて、そして過去の自分を殴り殺していくんだ。
目を背けようと思っても、俯瞰の自分は目を閉じることもできない。ただ殺されていく自分を眺め続けるだけ。
そして深夜に目が覚めて、胃の中のものを吐き続けていくのだ。
泣き叫ぶ過去の自分の周りに、大人たちが集まる。
そんななか、ただ過去の自分は否定をし続けた。
そして殺さないでと叫び続けた。
だがそんなことをしても無駄だ。この世界で自分を助けてくれる人間だといるはずが。
――――カイズ。
いるはずがない。そう言葉にしようとした瞬間、誰かの声が聞こえた。だけど誰かが自分の名前を呼ぶはずがないのだ。この過去に自分の知り合いなどいないのだから。
――――カイズ。
だがその声はさらにハッキリと耳に届く。その瞬間に、カイズは先ほどの自分の考えを改めた。
ここは過去の記憶の中ではない。様々な記憶の欠片が作り出した夢の世界なのだ。
――――カイズ。
だからこそ自分の名前が呼ばれないことなんてない。だってその女性は、いつだって自分のことを救ってくれたのだから。
――――カイズ。
その声と共に、暗闇にひとすじの光が射し込んでいく。
ナイフと鉄パイプが目の前でピタリと止まる。
差し込む光がさらに大きく。そして死の記憶に捕らわれていた自分を救うように、大きな穴を開けていった。
◆◇◆◇
「…………ヴィータさん。あれ、俺」
目が覚めると、いつも通りまだ深夜のようだ。だが昨日までと違い、吐き気や苦しみはない。
それどころか、体に感じる温かさが気持ちいいくらいだ。
その温もりを逃がしたくなくて、カイズは腕に力を込める。すると、彼の髪の毛はふんわりと優しい手つきで撫でられていった。
「どうした。眠れないのか?」
「えっ。あれ。――――ヴィータさん、な、何で」
まだ自分は夢の中にいるのか。寝ぼけ眼をこすろうとする。だがそんなことをする必要はないと、ヴィータは自身の存在を表すように強く彼を抱きしめる。
夢ではない。それがわかると、カイズは素っ頓狂な声をあげた。
「どうしてヴィータさんがここに。い、いえ、そんなことよりも俺、ヴィータさんに酷いこと言ったのに、それなのに…………」
「あー、確かにカイズは酷いこと言ったよ。……でもそれもあたしに心配させたくなかったからだろう」
「なっ、どうしてそれを。シャマルさんが喋ったんですか!」
「いーや、シャマルはあたしには一言も話してねえよ。……だからあたし以外の知り合いみんなに連絡したんだよ。カイズがいま悪夢を見続けて不眠症で。それがデスイーターとの後遺症だって悟られないようにしてる。っていうのを全部ぶちまけてくれって。シャマルはちゃんとカイズとの約束を守ったぜ」
「そ、それはそうですけど。……うーん」
それは果たして約束を守ったというのだろうか。カイズは納得がいかないと首を捻る。だがそんなこと知ったことかと、ヴィータはさらにカイズを抱きしめた。
「ごめんなカイズ。あたしを助けたときに、死のトラウマを刻み込まれたって。そんなことあたし全然知らなくて」
「そ、そんなヴィータさんが謝ることじゃないですよ。俺が言わなかったのがそもそもいけないんですし。……それにヴィータさんにはこのことを重荷に思ってほしくなかったんですよ」
「それは無理な話だな。あたしは知っちまったから。だからカイズの身に起こってることを、きっちり重荷に思うぞ」
「……そうですか」
カイズの声に元気がなくなる。きっと自分が苦しむよりも、ヴィータが苦しむほうが何倍も辛いのだろう。
だがその気持ちはヴィータだって同じだ。ヴィータは彼を抱きしめていた腕の力を弱めると、カイズの顔を真っ直ぐのぞき込んだ。
そして彼女自身の贖罪を口にした。
「あたしはカイズに迷惑をかけたことを重荷に思う。だからその重荷を取り払うために、カイズにきっちりお返しがしたいんだ」
「お返しがしたいって。お、俺はそんなつもりで」
「そんなのあたしが一番よくわかってるよ。でもそうだとしても、あたしがなにかしてやりたいと思ったんだ。だから来るのが少し遅くなった。――――だけどこれからはずっと一緒にいる」
「一緒にって。――――えっ、あれ!?」
ヴィータの言葉を聞くと、ようやくその決意の意味がわかったのだろう。カイズはベッドに寝転がりながらも、見覚えのない荷物が増えていることに今更になって気づく。
赤いドラムバックと旅行鞄は、ヴィータの部屋で何度か見たことがあるものだった。
ヴィータはカイズが自分の言葉の意味を理解したことがわかると、彼の首に手を回す。
そして優しく唇を交わすと、お日様のように微笑んで見せた。
「カイズが一人でいるのが怖いなら、あたしがずっと一緒にいる。夜の闇が怖いんだったら、隣でずっと手を握ってる。だからよ。もう一人で全部背負い込むなよ。あたしがずっと傍にいるから。……頼むからあたしにだけは迷惑かけてくれよな」
「……ヴィータさん。でも、だけど」
「もうはやてにも話はつけてあるんだ。そしたらヴィータの心残りがないようにしろって言ってくれたんだ。……それとも、あたしが傍にいたら迷惑か?」
「そ、そんなことありません。ヴィータさんが傍にいてくれて、そのおかげで今日は悪夢も見なかったし。それに」
「それに?」
「家に帰ってくれば毎日ヴィータさんに会えるって思ったら。……それだけで悪夢を見るようになって、よかったなって思えます」
「はは、その言い方。ほんと、お前らしいな」
カイズの自分を気遣った想いと本心が交わった答えを聞くと、ヴィータは再び彼を胸元に抱き寄せた。
彼女の体から聞こえる、トクン、トクンと鳴る心臓の音が心地よくて。
不安の中にいた自分を優しく抱きしめてくれる温もりが嬉しくて。
カイズの瞼は徐々に重くなっていった。
「ヴィータさん。あの、俺」
「おう、おやすみ。……大丈夫、あたしはここにいるからな」
「…………はい」
カイズはヴィータの手をしっかり握りしめると、そのまま目を閉じていく。
目の前は黒い闇に包まれていくが、カイズはもうそれを恐れることはなかった。
規則正しく、幸せそうな表情のカイズを見ると、ヴィータは彼の頭を優しく撫でていくのだった。
◆◇◆◇
「ん、んんー。かぁー、よく寝たな」
こんなにぐっすり寝れたのはいつぶりだろうか。カイズはゆっくりと目を覚ますと、ベッドの中を覗き見る。
「ヴィータさん? あれ、ヴィータさーん」
昨晩隣にいたはずのヴィータがどこにもいない。カイズは迷子になった子供のように右往左往すると、がっくりと肩を落とした。
「そ、そりゃそうだよな。そんなうまい話があるわけ」
「ちょっと待ってろよ。いまガス使ってて手が放せないんだー」
「――――あっ!」
ドア越しにその声は聞こえた。カイズは急いでベッドから飛び出ると、キッチンにいる彼女に目を向けた。
昔自分が買ってきたピンク色のパジャマの上に、エプロンをしているヴィータは、何か料理を作ってるようだ。
温かいスープの匂いに、昨日まで食欲のなかったお腹がぐーっと鳴る。
「お腹空いてるのか。もうちょっと待ってろ。すぐに準備するからな。だ、だけど味は保証しないぞ。……料理はあんまり得意じゃないからよ」
そんな彼女を見ると、ようやく昨晩のことが夢でないと実感できた。カイズはいま目の前にある現実を。そしてこれからのことを思うと、正直な想いを言葉に乗せた。
「ヴィータさん、楽しみにしてますね!」
「だ、だから料理は苦手だって言ってるだろ。あんまりプレッシャーかけるんじゃねえよ」
しかし料理に悪戦苦闘しているヴィータには、彼の言葉の真意などわかるはずもなく。
そんな彼女の後ろ姿を、カイズは満面の笑みで見つめていくのだった。