俺の前だけ あたしの前だけで
「ん、んんー。あれ、カイズがいない」
早朝七時。ヴィータは瞼を擦ると、彼氏の姿を探す。
今日は自分が朝食当番のはずだ。トイレにでも行っているのだろか。ヴィータは左右に目を向けると、そこに見慣れた光景があることに驚いた。
「……あれ、どうして自分の部屋にいるんだろ。だってあたしはカイズと同棲し始めたはずじゃ」
「ヴィーター、そんなん寝ぼけてたら遅刻してしまうよー」
開かれた扉から、はやてが顔を出す。ヴィータは一度目をぱちくりすると、ハンガーに掛かっている服を見る。
足下まで届く紅いドレス。その存在を見て、ヴィータはようやく頭が覚醒し始めた。
「……そうか、さすがにドレスはカイズの家に持っていってなくて、それで一度家に戻ったんだっけ」
「もう朝食の用意はできてるから、みんなで食べようなー」
「うん、ありがとうはやてー」
年下の彼氏の前では見せられないだらけきった顔をすると、ヴィータはベッドから起きあがる。
はやてが扉を閉めると、ヴィータは改めて紅いドレスを見る。そして自分に言い聞かせるように、今日の出来事を口にした。
「今日はシンドウさんの結婚式か。そういえば結婚式の参列って初めてだな」
今日は晴れてよかった。窓から見える光景を見ると、ヴィータは大きく欠伸をするのだった。
◆
車の運転席。はやては車を止めると、隣にいるヴィータに声をかけた。
「本当にここでいいんか。あれなら、もうちょっと中にいけるけど」
「大丈夫だって。電車で来てる人だっているわけだし、このくらいの距離なら問題ないから」
「慌ててドレスの裾踏まんようにな」
「それも大丈夫だって。普段はこれくらいの丈の服で、教導してるんだし」
初めての結婚式に、ヴィータではなく、はやてのほうがあたふたしてしまう。ヴィータは赤色の小さい鞄を持つと、助手席のドアを開けた。
「それじゃあ行ってくるなはやて。また何かあったら連絡するから」
「気をつけてなー。あと、カイズ君によろしく言っといてな」
窓越しに手を振ると、はやての車がゆっくりと走り出す。ヴィータは履きなれないヒールの高い靴に悪戦苦闘しながら、ゆっくりと待ち合わせ場所に向かう。
繁華街の真ん中にある巨大な噴水広場。待ち合わせ場所として有名なこの場所で、ヴィータは自身の待ち人を探す。すると、黒いスーツを着た黒髪の青年が、嬉しそうに大腕を振っているのが見えた。
「ヴィータさーん、ここですよー。じゃなくて、今行くんで待っててくださーい」
あまりにも大きな声に、広場にいた人々の視線がカイズとヴィータに集まる。
「ば、馬鹿、声がでけえよ」
「だって久しぶりにヴィータさんと会うから俺、嬉しくて!」
「久しぶりって、たった一晩だけじゃねえか。ああもう、ほんと恥ずかしい奴だな」
そう文句を垂れながらも、カイズの姿を見るとヴィータもまた自然と顔をほころばせていた。
ほんと、たった一晩だけなんだけどな。
だが彼ほどではないにしても、ヴィータもカイズと会えたのが嬉しくて、慣れない靴で小走りに彼の元に近づく。
カイズはヴィータのドレス姿を見ると、グッと拳を握りしめた。
「やっぱりヴィータさんには紅色が似合いますね。大丈夫ですかー、そんなに可愛いと今日の主役を食っちゃうんじゃないんですか」
「そんなふうに思うのはお前だけだよ。でもまあ……ありがとな」
「いえいえ、本心ですから。それにしても結構攻めたドレスですね。足下はまだしも、肩がでてるなんて」
「ああ、これははやての趣味で。せっかく結婚式に出るんだから、これくらい派手なほうがいいって」
「へぇー、そうなんですか。…………ちなみに、上着はあるんですか?」
「ん、いや特に持ってきてないけど。ど、どうした? なんか変な顔してるけど」
先ほどの上機嫌とは打って変わって、カイズの顔に険しさが走る。何か彼を不機嫌にすることを言ってしまっただろうか。ヴィータは少しおろおろとしてしまうと、カイズは突然スーツの上着を脱ぎだした。
「……とりあえず会場につくまでは、これを羽織ってください」
「これって、え、別に寒くはないぞ」
「そ、そうじゃなくて。その。……嫌なんですよ」
「嫌ってなにが?」
「そ、それはその……」
カイズは少し困ったように頬を掻く。だが観念したように息を吐くと、ヴィータの耳元に口を寄せた。
「ヴィータさんの肩の露出をほかの男に見られるのが嫌なんです。…………すみません。器の小さい男で」
「肩の露出って。……ぷっ、ははは」
「わ、笑わないでくださいよ。お、俺は本当に嫌なんですから」
「だ、だってよ。さすがに気にし過ぎだって。……まっ、カイズがそうしたいなら、あたしはそれで構わないけどよー」
どれだけ独占欲が強いのだろうか。だがそんなカイズの気持ちがヴィータには心地よく、思わず声が弾んでしまう。
しかしそんな声色が、カイズからしては馬鹿にされていると思ってしまったのだろう。
むっと頬を膨らませる彼を見て、ヴィータは「悪い悪い」と彼の腕に抱きついた。
「それじゃああたしも一つだけ言っておくぞ」
「……なんでしょうか」
「あんまりほかの女の前で上着脱いだり、ネクタイ緩めたりするんじゃねえぞ。カイズのリラックスしてる姿、ほかの女に見られたくねえからよ」
「ネクタイ緩めてる姿って。……別に俺の首もと見たって喜ぶ人なんていませんよ」
「さーって、どうだろうな。あたしの肩同様、案外わかんねえかもしれねえぞ」
実際、少し前の夜。お酒を飲む前に、ネクタイを緩め鎖骨が見えたとき、自分はドキリとしてしまった。
だがそれはさすがに恥ずかしくて言えない。ヴィータは「えへへー」といかにも誤魔化しに見えそうな本心の笑みを見せると、ぐいぐいとカイズの腕を引っ張った。
「ほらあんまりぶーたれるなよ。そんなんじゃ友人代表のスピーチなんか務まんねえぞー」
「そうだスピーチだ! ヴィータさん、俺のスピーチ見ててくださいね。ヴィータさんのために俺、一生懸命やるんで!」
「あたしのためにやってどうするんだよ」
「別にサクヤなんてどうでもいいんですよ。俺はヴィータさんに一番よく見られたいんですから!」
カイズがあまりにも真面目に言うものだから、ヴィータは困ったような笑みを浮かべると、「あははは」と乾いた笑い声をあげる。
「そ、それじゃああたしのために頑張ってくれよな」
「――――はいッ!」
実際自分のために頑張らなくてもいいのだが、それが巡り巡ってサクヤのためになるならそれでいい。
とにかくこのままここで話して、遅刻しては元もこもない。ヴィータはコツコツとヒールを鳴らすと、目的地である式場に向かっていくのだった。