(くそ、くそ、くそ、くそっ!)
カイズは頭の中で悪態をつきながら、人ゴミを進んでいく。時刻は午前8時半。
予定通りヴィータが動いていれば、あと三十分で仕事が始まるはずだ。
(デバイスに連絡しても反応なし。心当たりは全部行ってみたけど、全部空振りだ)
この調子では予定通り仕事をしているとは考えられない。だが一縷の望みを託して、カイズは駅に向かう。
(即答するべきだったのか。ヴィータさんとなら一緒に死ねますって。…………だけど言えるわけないじゃないか。少なくとも、俺が絶対口にできる言葉じゃない)
カイズはほかの誰よりも死の苦しみを体験している。
デスイーターに死の記憶を刻み込まれ。様々な人の死を疑似的に体験してきた。
そこにいる人間は誰もが生を望んでいて。そんな彼らの思いを知っているからこそ、『死ぬ』と言えなかった。
(このまま電車に乗れれば間に合うな。――――急ごう)
カイズは競歩で人混みを走り抜けると、駅に向かう。ある程度金額をチャージしてあるデバイスを取り出す。
だが階段を三段登ったところで、視界が捕らえた違和感に気づいてしまう。
いま誰かがいたような。
カイズは後ろを振り向く。すると、階段の前で困ったように視線を動かしている少女が見えた。
高等部くらいの車椅子に乗った女の子を見ると、カイズはさらに視線を奥にやる。
エレベーターが故障中してるのか。
さらにエスカレーターがないこの駅で、本当に駅員を呼んでしまってもいいのだろうかと、躊躇しているのだろう。
確かに車椅子と女の子を両方運ぶのは相当の労力だ。
だけど今の自分に彼女を助けている時間などなかった。少しでもヴィータに会える可能性があるのなら。
『ばーか、なに悩んでるんだよ。そんなの全然お前らしくねえぞー』
「――――あっ」
愚かな考えをした自分を叱咤するように、ヴィータの声が頭の中に響く。
今の声を自身が生み出したただの幻聴だろう。
だがヴィータならきっとそう言うはずだ。先ほどよりも気持ちが少しだけ軽くなると、カイズは車椅子の女の子に近づいた。
「あ、あの大丈夫ですか?」「困っているようだな。そこの少女よ」
カイズと同時にもう一人の男の声があがる。女の子は二人に目を向けると、『は、はい』と上擦った声をあげ言葉を続ける。
「それがその。エレベーターが壊れてしまってて。そ、その、どうしようかと」
「だったら俺が手伝いますよ」「なら俺がそこまで運ぼう」
またしても二人の言葉が重なる。カイズとその男性は互いに顔を合わせると、「はははは」と苦笑いを浮かべた。
見た目はちょっとおっかないけど、いい人そうだな。
随分と鍛えているのだろう。筋肉質な体と染めてない白髪が特徴的な人だ。どこかの世界から観光に来ているのだろうか、この地区では見慣れない黒のマントが彼の風格をさらに際だたせていた。
って、あまりジロジロ見ても悪いな。
「俺はカイズって言います。それじゃあ俺が車椅子を持っていくんで、えっと、その」
「ああ、俺の名前はシスンだ。見ての通り旅の者でな。だが怪しいものではない。と言っても説得力はないだろうけどな」
「いやいや、そんなことないですよ。えっと、そしたらシスンさん。そっちの女の子をお願いできますか?」
「それは断る」
「――――へっ?」
あんまりな即答に、カイズは気の抜けた声をあげてしまう。そんな彼の顔を見て、シスンは「あっはっは」と大笑いした。
「断ると言ったのは、少女を運ぶと言った方だ。こんな風貌の男が運んでは、通報されかねないからな。それにその車椅子は最新式だ。多分重量は百五十キロはあるはずだ。――――それともあれか? 君はそこの女の子の体重がそれ以上にあると言いたいのかな」
「ぶっ! そ、そんなこと言ってないですよ!」
「だったら決まりだ。こんな体を優位に生かせることはあまり多くない。ほら、彼女をおぶってやれ」
それだけ言うと、シスンは両腕を組んでしまう。どうやら、その役目を絶対に譲らないようだ。
だが彼の言うとおり、女の子の車椅子は最新式のようだ。果たして傷を一つもつけずに、この階段を上れるか。
一抹の不安がないかと言われれば嘘になる。
カイズは少し納得できないと表情に見せるが、小さく肩を落とした。
「それじゃあすみません。もしよかったら乗ってもらっていいですか」
「は、はい。こちらこそよろしくお願いします」
少女はおずおずとしながらも、ゆっくりカイズの背中におぶさっていく。その姿を見届けると、シスンは彼女の車椅子に手を置く。
「で、ですけどその車椅子は本当に重た、ひゃっ!」
「ん、どうかしたか」
信じられないと少女は目をパチパチさせる。だがそれはカイズも同じだ。
ま、まさか。あんなに軽々と持ち上げるとは。この人どんだけ体鍛えてるんだ。
きっとカイズが女の子に声をかけなければ、シスンは彼女ごと車椅子を持ち上げるつもりだったのだろう。
底の見えない力強さに、上には上がいるものだと改めて認識させられた。
「ほら、何をぼけっとしてる。彼女にも君にも用事があるんだろう」
「用事。――――あっ」
時計を見上げると、すでに予定の電車はでている時間だった。カイズはしまったと思いながらも、まあ仕方ないかとほんの少しだけ肩をおろした。
「いえ。今日は非番なんで特に問題ないです。さっ、それじゃあ行きましょうか」
「ああ、行くとしよう」
カイズは少女を、シスンは車椅子をそれぞれ運ぶ。
次の電車が来るまで、少女は二人にずっとお礼を言い続ける。そして電車に乗り手を振る姿を見て、二人は顔をほころばせていくのだった。
◇◆◇◆
さすがに世は平日だからか、人の数はあまり多くなかった。大の男二人はベンチに座ると、互いのコーヒー缶をぶつけ合う。
「しかしカイズ君のような若者がこのミッドにもいるとはな」
「いえ、俺はたまたま気づいただけで。それに歳のことを言ったら、シスンさんもそんなに大きく変わりませんよね」
髪の毛は白髪だが、歳は二十代後半か三十代前半くらいであろう。カイズは見たままの率直な感想を述べる。その言葉を聞いて、シスンは『あっはっはっは』と気持ちのいい笑い声をあげた。
「そんなに大きく変わらないか。だが俺はこう見えても大層なおじいちゃんでな。きっと歳を聞いたら君も驚くぞ」
「またまたー、変な冗談を言いますね」
カイズも負けず劣らず、気持ちのいい笑みを浮かべる。
一瞬、シスンが少し寂しそうな顔をしたような気がした。だがシスンはコーヒーを口につけると、すぐに素面に戻る。
「さて、それで君はいったい何を悩んでいるんだ」
「――――えっ、そ、それはどういう意味ですか」
「何か悩みがあるから、そんな辛そうな顔をしてるんだろ。正直、初めは車椅子の少女と君とどちらに声をかけようか悩んだほどだ」
「…………そんなに顔にでてましたかね」
「そりゃもう見たままにな。……どうにも性分なんだろうな。困っている人を見ると放っておけなくてな。まあ会ったばかりの俺に話せと言うのはなかなか難しいかもしれない。さらにそれに対して俺が答えをあげられるかもわからない。だが吐くだけでも軽くなる悩みもある。もしよかったら話してくれないか」
そう自分を見つめる瞳は一切の濁りも見えなかった。野次馬根性でも、興味本位でもない。この人は純粋に自分の力になりたいのだろう。
どうして人のためにそこまで懸命になれるのか。
いや、それは先ほどの彼を見ていれば考えるまでもない。ただ救いたい。それだけなのだろう。
先ほど問い合わしたら、やはりヴィータは仕事先に出向いていなかった。どちらにしても、八方塞がりだとわかると、カイズは自然と悩みを口にし始めた。