夕暮れの草原、カイズは平べったい岩の上に腰を落ち着けていた。彼の目の前にいるシスンは無防備な背をこちらに向け、仁王立ちしている。
このタイミングなら。
この人をヴィータと会わせてはいけない。
そんなことを何度も思うが、カイズは一歩も動けなかった。
公園でのシスンとは明らかに違う。背を向けていようとも。デバイスを展開していなかろうとも。この人には絶対に勝てない。
それほどの実力の差を、シスンは行動に起こすことなく魔力量だけで示していた。
端から見ているだけでも、その実力はヴィータ以上。これが本気になったら……。
「シスンさんが許せない相手って。……ヴィータさんといったい何があったんですか」
「口を開くな」
「貴方は理由なく誰かを傷つける人じゃない。それは駅前でのやりとりで十分にわかってるつもりです。だから、俺が納得できる理由を話してください。……そうでないと俺は」
「あの女のために戦うか? ――――ふっ、それはあまりしたくないな。俺にとっても短い時間であったが、君のことはそれなりに気に入ってしまったからな」
シスンは大きなため息をつくと、こちらに振り返る。その寂しそうな眼差しに、思わず胸が苦しくなる。
「……俺の家族や世界、そして愛する人は闇の書によって殺されたんだ」
「――――えっ」
「もう何百年も前になるかな。エレナと俺の元に突然あの忌々しい魔導書が現れてな。エレナの願いを叶えるとか、エレナを助けるとか。そんな甘言に乗せられて、俺はあの魔導書の完成を黙認してしまった」
「何百年も前って。でもシスンさんはどう見ても」
「いったろ、俺は大層なおじいちゃんだとな。だが闇の書に関わりながら生き残ってしまった俺は、歳を取ることがなくなってしまった。唯一心労とともに、髪の毛が白くなったくらいかな。――――だがどれだけ心労を積もうとも、俺は絶対に許せなかった。だからここまで歩んできた」
「それは違う! ヴィータさんは、ヴォルケンリッターの皆さんは殺したくて殺したわけじゃ」
「だが実際に人は死んだ。俺の大切な人達はみんな殺されたんだ! 殺す気がなかった? 闇の書の意志で仕方なく? それは大量殺戮が許される理由になるのか!!」
「だけどヴィータさん達はしっかりと罪の意識を持ってます。だから管理局でもその贖罪のために様々な事件を解決しているんです!」
「俺はその管理局が一番気に食わないんだ。あれだけの事件を起こした闇の書の一部が、観察処分という名の無罪放免だと。あいつらがしっかりと罪を償うなら、俺もまだ割り切ることができたかもしれない。しかしあいつらは何の罰も負うことなく。全てを忘れて家族と笑顔でいるんだぞ! 俺から家族を、愛する人を奪ったあいつらが幸せでいることに俺は耐えられなかった!!」
「そ、それは…………」
それは自分が易々と口出しできることではなかった。もし自分が大切な家族を奪われ、愛する人を殺されたらどう思うだろうか。
ヴィータのためなら死ぬことができる。そう思っている自分だからこそ、その後のことは考えるのが怖かった。
だからシスンの怒りももっともなことかもしれない。彼の元の性格を考えれば、応援すらしたくなったかもしれない。
だがしかし。正直自分でも現金な人間だと思う。
だとしても、今その矛先は明らかにヴィータに向いているのだ。だったら、自分のすることは。
(イノセントハート、ここから逃げきれる確率は?)
(極めて低いですね。あの男の口振りを考えると、少なくともヴォルケンリッター全員を相手取っても戦えるぐらいの力量はあるはずです。武器はあの大剣一つのようですが、それがどのような効力を持っているかは不明です)
(それはわかってる。俺が聞いてるのはその数値だ)
(…………12パーセントと言ったところでしょうか。しかしそれも街中まで追ってこない計算の元です。もし彼が手段を選ばなければ、街一つ崩壊するでしょうね)
12パーセント。それは一見すれば絶望的な数字に見える。だが今の状態でも十回に一回は逃げれるということだ。
それがさらにヴィータが来た瞬間ならどうであろうか。
彼女の実力を考えれば、その確率はさらにあがるはずだ。
(今一番駄目なことは、俺がシスンさんに人質に取られることだ。だからヴィータさんの到着とともに、戦線から離脱する)
ヴィータを置いて逃げるのは心苦しい。だが本気のヴィータの前には、自分は足手まといでしかない。
ならいち早くこの場から離脱して、ヴィータが時間を稼いでいる間に、管理局に応援要請を送る。
いくらシスンが強くとも、局単位で動けばなんとかなるはずだ。
(……シスンさんには悪いと思うけど。だけどヴィータさんがやられるのを、ただ見てるわけにはいかないんだ)
覚悟は決まった。あとはタイミングを見計らうだけだ。
カイズは待機中のデバイスを握りしめると、耳を澄ました。風が草原を撫でる音が、吹き抜けては落ち着く。
その音を何度聞いただろうか。その魔力が近づいて来るのを、二人の男は同時に気づいた。
「…………来たか」
赤いバリアジャケットを着た少女は、デバイスを構えこちらに飛んでくる。
あとはタイミングを見計らうだけだ。ヴィータが降り立ち、シスンが隙を見せた瞬間に。
「――――何を考えているかわかっているさ。弱き者の気持ちは俺が一番よくわかっているからな」
「―――――えっ」
背後から聞こえる言葉に、思わず気の抜けた声をあげてしまう。
だって今まで彼は自分の目の前にいたはずだ。なのにどうして、背後にいるんだ。
『マスタッ!!』
カイズよりも早く異変に気づいたイノセントハートがバリアジャケットを装着させる。
管理局のそれとは違う、黒いバリアジャケットを身にまとうカイズ。だがその程度の防御力は、シスンには関係なかった。
「君は眠っていればいい。なぁに、目覚めた時には人間でない魔力の結晶体が数体消えた世界になってるだけだ」
「そんな、ゴハッ!」
わき腹にメリメリと拳がめり込む。重くあまりにも深いその一撃は、きっと加減されたものなのだろう。
そうでなければ、カイズがこの一撃に耐えられるはずないのだから。
痛みに意識が薄れる。だがカイズは倒れることなく、シスンの肩を掴むと彼をにら見つけた。
「ヴィータさん達は魔力の結晶体なんかじゃない。今を生きてるれっきとした人なんだぞ」
「……いいや、奴らはただの結晶体だ。だから世界から消えようと関係ないさ」
「ふっ、ふざけるなよ」
「ふざけてなどいないさ。だからこれで君ともお別れだ」
シスンはカイズの手を振り払う。カイズは受け身を取ることもできずに、ただ彼を見上げることしかできなかった。
シスンはまたあの悲しげな表情をカイズに見せる。その時だ。まるで何かが霧散したかのように、シスンの肩の一部が消えていくのが見えた。
「シ、シスンさん……?」
「人ならざる魔力の結晶体。俺も闇の書の一部も生きているべき存在ではないんだ。…………さようならだカイズ君。最後に話せたのが君で本当によかった」
「そん、な。――――っ!」
言いたいことはいくらでもあった。聞きたいこともいくらでもあった。
この二人が戦っていいわけがない。だが彼を止めるには、自分はあまりにも弱く、彼のことを何も知らな過ぎた。
本当にこのまま終わってしまうのか。
ヴィータのことを。シスンのことを救ってやることはできないのか。
カイズの中で様々な後悔が交差する。
だがそこまでだ。
カイズは痛みに耐えきれず目を閉じると、そこで意識が途切れてしまうのだった。
◇◆◇◆
「テメエェェェェ! カイズに何してやがる!!」
彼が倒れた瞬間、ヴィータの中に冷静さは完全になくなっていた。
やっと答えが見つかったのに。やっと彼と向き合えると思ったのに。それなのに、彼を失うことなどもう考えられなかった。
急降下の勢いとともに、ヴィータはグラーフアイゼンを構える。さらにブースターで速度を増したそれは、真っ直ぐにシスンを捉えた。
「フンッ!!」
だがその一撃からシスンは逃げることをしない。
真っ直ぐに大剣を構えると、それを真っ向から受け止めた。
「安心しろ。この男には人質になってもらってるだけだ。――――殺してしまっては、貴様が逃げ帰るかもしれないからな」
「ふっざけるなよ! 生きてたって死んでたって、あたしがカイズのことを見捨てて逃げるわけねえだろうがっ!」
「どうだか。殺しの機械の言葉など信用ならないからな。だからこそ俺もエレナもあんな甘言に乗せられてしまった」
「――――ああ、そうかもしれねえよ。だけどそうだとしても、あたしはもう逃げねえって決めたんだ! 罪は償う。だけどそれは死ぬことじゃねえってな!」
「――――あれだけの事件を起こしておいて、まだ生きたいと宣うか。それを俺が許すと思ってるのか!」
「テメェの許しなんていらねえよ!」
「――――むっ!」
昨日のそれとは違う。ヴィータの速度と威力、そして想いを乗せた攻撃はシスンの大剣を徐々に押し込む。
ギィン! このままでは押し切られると、シスンは大剣を傾けヴィータ一撃を捌く。
ヴィータは弾かれた衝撃を生かし、シスンから距離を取る。全力で戦っては、近くにいるカイズを巻き込んでしまう。
ヴィータのその意志をシスンも感じ取ったのだろう。
ヴィータに悟られることなく、あえて誘われたふりをすると、ヴィータに向かい接近を試みるのだった。