「…………どうだ。エレナの様子は」
村のパトロールを終えると、シスンは家の前にいるシャマルに声をかける。彼女は本当に申し訳ないと顔を伏せると、弱々しい声で答えた。
「私の回復魔法も全く効果がありませんでした。一応街のお医者さんにも見てもらいましたけど、原因は不明みたいです」
「…………そうか」
エレナの容態が悪化したのは、ここ一週間のことだ。初めはただの貧血だと思っていたが、一向に容態がよくなることはなく。今では左手まで麻痺してしまっている。
このままいったら右手。そして最後には心臓と脳のどちらかが先に麻痺で止まってしまうというのが、シャマルの下した判断だ。
もってあと三ヶ月。それがエレナの余命だ。
シスンは唇を噛みしめると、背中の剣を思い切り地面に突き刺した。
「どうしてだ。どうしてエレナがこんなことにならなければいけないんだ! あいつは元々体が丈夫なほうじゃなかった。だけど、それでも一生懸命がんばって。それでようやく人並みの幸せを得られたのに。…………それなのに」
「……シスンさん」
シャマルの魔法でも、医学でもどうにもできない。
二人の間に暗い空気が漂う。そんな二人に活を入れるように、その赤い少女は声をあげた。
「…………完成させればいいんだよ」
「ヴィータ? 今までどこ――――それはっ!」
シスンはヴィータの持っている黒い魔導書を見て、信じられないと声を上げる。
だがヴィータは違う。確かな確信を持って、その言葉を口にした。
「だったらこの闇の書を完成させればいいんだよ。そして願えばいいんだ。エレナを助けてくれって」
「だ、だがもう残りの時間が」
「時間がなくたってやるんだよ! あと三ヶ月しかない? 三ヶ月もあるんだろ! あたしはやるぞ。絶対に、絶対にエレナを死なせたりなんかはしねえ!!」
「ヴィータちゃん。……ええ、そうね」
ヴィータの決意にほだされたのだろう。シャマルもまた決意を決めると、クラールヴィントを取り出す。
「シスンさん。私たちは愛する主のためにその使命を全うしたいと思います。しばらく家をあけるかもしれませんがお許しください」
「それは。…………断る」
「おい、シスン。お前はエレナのことを助けたくねえのかよ!」
シスンの答えにヴィータが食ってかかる。だがそれは見当はずれな言い分だ。
シスンは一度大きく深呼吸をすると、全ての覚悟を決めた。
「俺もエレナを助けたい。……だから俺にも手伝わせてくれ。俺自身が弱いことはわかってる。だけど時間がないはずだ。どんなに些細なことでも、俺も力になりたいんだ」
「……シスン。―――――よっし、やるぞ。あたしたちでエレナを絶対に助けるんだ!!」
「――――ああっ」
エレナの余命を前にして、ヴォルケンリッターとシスンの覚悟は決まる。
この日から、守護騎士と一人の男の戦いが始まった。
◆◇◆◇
「おい、タコ! なに無茶してるんだよ!!」
「無理も無茶も承知の上だ。これもエレナを助けるためだからな」
戦い初めて一ヶ月。今日の魔物はかなり強敵だった。正直何度か死んだかもしれないと覚悟したほどだ。
だがそれでもやり遂げた。そんな充実感に満たされたシスンに、ヴィータは怒りの声をあげたのだった。
「いいだろ。これで随分とページは進んだはずだ」
「ページが進んだってお前が死んだら意味ねえだろ!」
「それでも。俺はエレナを助けられるなら」
死んでも構わない。言葉にはしなかったが、その決意を瞳に宿す。そんな分からず屋なシスンを見て、ヴィータは馬鹿にしたような声を上げた。
「へぇー、それじゃあエレナが生きてたら何だっていいっていうんだ。――――だったら、だったらだぞ。もしエレナが健康になって、お前が死んで。それで新しい男を作って結婚したらどう思う? 幸せそうな顔して、一緒にお風呂はいって。それで夜は一緒に寝るんだぞ」
「…………エレナが。俺以外のやつと」
まだ見ぬ。というか、見たくない男の姿が頭に浮かぶ。幸せそうにその男と歩き、衣食住を共にし。そして夜は、その男と。
そこまで考えると、シスンは額に青筋を立てた。
「…………それは。許せないな」
「そうだろ! だから絶対に死ぬなんて思うなよ。エレナにとって、お前の代わりはいないんだからなっ!」
ヴィータは頬を膨らませると、ズンズンと先に行ってしまう。ヴィータのその言葉は、命がけと考えていた自分の心に深く突き刺さった。きっとただの綺麗ごとでは今の自分は抑止できなかったはずだから。
だがそれでも一つだけ訂正がある。シスンは駆け足でヴィータの隣に着くと、彼女の頭をクシャクシャと撫でた。
「な、なにするんだよ」
「いや、ありがとうなって思ってな。だけど俺からも一つ言わせてもらうぞ。――――ヴィータ、お前だってエレナにとって代わりのないかけがえのない存在なんだ。だからお前も絶対に死ぬなよ。俺たち誰も欠けることなく、絶対にエレナを救ってみせるんだ」
「――――あったりめえだよ! 今更言われるまでもねえ!!」
ヴィータはギュッと手を握りしめる。シスンはそんな彼女と拳を合わせると、新たに決意を固めていった。
◆◇◆◇
「お帰りシスン。……最近、忙しいみたいだね」
「ああ、すまないな。ここ最近魔物の勢いが増してるみたいでな。…………エレナには迷惑をかけるな」
「ううん。迷惑なんてことないよ。…………ごめんね、みんなが頑張ってるのに、ご飯の用意もできなくて」
「それは言わない約束だろ。大丈夫だ。ここ最近シャマルの料理もそれなりに食べられるようになってきたし。それに近所のみんなもお裾分けしてくれるしな」
「だけど、それでも、うっ、こほっ、こほっ」
話の途中でエレナはせき込んでしまう。ここ最近はずっとそうだ。少し長く会話を続けようとすると、喉の方がもたないのだろう。
日に日にエレナの体は弱くなっていく。だがそんな弱々しくなったエレナを、シスンは力強く抱きしめていった。
「……シスン。ごめんね。あはは、どーして私ってこうなのかな。……多くを望んだことなんてないのに。ただ普通に生きたいだけなのに。それすらも神様は許してくれないのかな」
「――――エレナ」
「ねぇ、シスン。私、私死にたくないよ。シスンと結婚して、たくさんの家族ができて。ようやく、ようやく孤独じゃない幸せな時間が過ごせるって思ったのに。……やだよ。やだよ」
その言葉は、結婚してからエレナが初めてこぼした本音だった。今までエレナは多くの不幸に見舞われてきた。
それはシスンと出会ったときもそうだ。だがそれでもエレナは死にたくないとは今まで言わなかった。
自分はいつ死んでしまっても構わない。それが出会った頃のエレナの本音だった。
だがエレナは幸せを知ってしまった。自分と結婚し、ヴィータたちと出会いその温かさを知ってしまったのだ。
シスンは泣き崩れるエレナをさらに深く抱きしめる。そして力強い声で誓いを口にした。
「大丈夫だ。絶対に俺が。――――俺たちがエレナのことを助けてみせる。だから俺たちを信じて待っててくれ」
「シスン。――――うん、信じるよ。私、シスンのこと、みんなのこと信じてるから」
シスンの言葉には何の説得力も理屈もなかったはずだ。だが彼女の愛する旦那が。そして彼女の愛する家族が、自身を救おうとしてくれている。
それがわかると、エレナの顔にあの頃のような笑みが宿る。この笑顔を絶対に失いたくない。
シスンは抱きしめる腕の力を緩めることなく。
死力を尽くすことを改めて誓っていった。
◆◇◆◇
これで全て元通りになる。やっとエレナが救われる。その想いは、ザフィーラ、シグナム、シャマルの悲鳴により打ち砕かれていった。
「ぬああぁぁぁぁっ!」
「うああああぁぁぁ!」
「きゃああぁぁぁっ!」
何が起こっているのかわからなかった。確かに闇の書は完成したはずだ。
なのに、なのにどうして彼女たちが消えなければいけない。どうして、どうして。
「く、くそ、なんだよこれは!」
闇の書からいくつもの触手が伸びる。ヴィータはグラーフアイゼンで抵抗していくが、それもささやかなものだった。
「何でだよ。どうしてだよ。これじゃあエレナは。エレナは! くっそおおぉぉぉぉぉっ!!」
ヴィータはカートリッジをロードすると、闇の書に向かいに特攻を仕掛ける。だがその想いは届きはなしない。
グサリ、グサリと鋭利な触手がヴィータの体を貫く。ヴィータは口から大量の血を吐き出すと、目に涙をためシスンを見た。
「ご、ごめんなシスン。…………ごめん、エレナ」
それが断末魔だった。ヴィータの体は先ほどのシグナムたちのように霧散すると、文字通り跡形もなく消えていってしまう。
その光景をエレナは声一つあげることなく見上げていた。これまでの課程の何一つも知らない彼女は現状を理解できない、いや、したくないのだろう。
放心状態で座り込んでしまったエレナに、闇の書が迫る。シスンは剣を構えると、闇の書に向かいそれを振りおろした。
だが止められるはずがない。ヴォルケンリッターの誰もが叶わなかったそれに、弱き自分がかなうはずがないのだ。触手に腹部を貫かれると、それだけで彼はもう動けなくなってしまった。
「ぐぞ、ぢぐじょおおおおおぉぉぉっ!」
どうして俺はこんなにも弱いのか。どうして俺は何も守ることができないのか。
「やめろよ。やめてくれよ。俺は約束したんだ。必ずエレナのことを救ってやるって。何でだよ。どうして当たり前の幸せすら望んじゃいけないんだよ!」
絶対に助ける。助けなくちゃいけないんだ。
シスンは息も絶え絶えにエレナに手を伸ばす。エレナもまたシスンに手を伸ばした。
だがその手は届きはしない。エレナは闇の書に体を吸収されると、最後の叫び声をあげた。
「シスン。――――――――!」
最後の想いは言葉にはならなかった。
だが届かなくてもわかる。エレナは助けてと叫んだんだ。
「くっそおおおおおおおぉぉぉ!!」
だがシスンは叫び声をあげることしかできなかった。
瞬間、世界が闇に包まれる。そしてシスンの意識は途切れていった。
◆◇◆◇
どうして自分だけ生き残ってしまったのだろうか。
ここ数年はずっとそのことだけを考えていた。
気がついたら自分は、全く知らない次元に飛ばされていた。どんなふうに力が働いたのかはわからない。だがどんな力が働いたかは理解できた。
「……俺は。あいつらと同じ存在になったのか」
何年経っても老いることのない体。それはヴォルケンリッターたちと同じ、人ならざる体であった。
「どうして俺も死なせてくれなかったんだ。エレナがいない世界など、生きている価値なんてないのに」
だがそう思っていても、死ぬことはできなかった。
エレナは生をあれだけ求めていた。そして闇の書事件において、一人だけ生き残ってしまったという負い目が自分を死なせてはくれなかったのだ。
「なら俺はどうして生き残ってしまったんだ。…………俺は、何のために」
答えは何も見つからない。だからこそ人として死にながらも、彼は生き続けていった。
◆◇◆◇
闇の書の真実にたどり着いたのは、何百年か経ってからだ。人の願いを叶えるといって、その最後には宿主ごと世界を滅ぼす悪魔の書。それが闇の書だ。
しかもそれだけではない。闇の書は宿主の生命力を奪い、体の機能を奪っていくという例もあったらしい。
だったらエレナの足が不自由だったのは。
エレナが子供を産めない体だったのは。
そしてエレナの体調がどんどん悪化していったのは。
「…………全部、あいつらのせいだっていうのか」
心の中に残っていた幸せな記憶にヒビが入る。
エレナが人並みの幸せを過ごせなかったのも。
エレナが死ななければいけなかったのも。
全て、全て闇の書『等』のせいだったのだ。
何が家族だ。何が子供の代わりだ。
その全てはあいつらが奪ったものなのに、あいつらは善人面して、ずっとエレナから奪い続けていたのだ。
そう思った瞬間、ヴィータの最後の時の顔が頭に浮かぶ。あの悲しみはきっと嘘偽りないものであっただろう。
だがそれでも関係ない。俺にはエレナが全てだった。
エレナさえいてくれれば、それでよかったのだ。
「…………わかった。俺が生き残った理由が」
シスンは剣を深く、強く握りしめる。
絶対にあいつ等のことは逃がさない。転成し続けて多くを殺し続けるというのなら、俺が絶対に止めてみせる。
シスンは白髪交じりの頭を掻く。
そして眼孔からは暖かい光がうっすらと消えていってしまった。
◆◇◆◇
ただ強くなりたかった。
復讐のためには力がいる。シグナムにも負けない剣技。ザフィーラの防御を越え、シャマルの回復も追いつかないほどの、ヴィータ以上の攻撃力。
あの闇の書たちに勝つには、それがスタートラインだ。
だからこそ、シスンは戦い続けた。
様々な世界を巡り、様々な強敵を斬り結んだ。
何度も何度も死ぬような目にあった。もう二度と剣が握れないと思うほどの、怪我を負ったこともあった。
だがシスンは折れなかった。闇の書を滅ぼすまで折れるはずがないのだ。
今日もまた世界の驚異と言われるものをシスンは倒した。
あとはさっさとこの世界から姿を消し、この世界の人間の手柄にしてもらえばいいだけだ。
転移魔法を展開しようとした時、ふと視線を感じる。
まだ敵が残っていたのか。そう思い目を向けると、そこには五歳ほどの小さな子供が立っていた。
見られてしまった。闇の書を滅ぼすまで、痕跡を残すことはあまりしたくはない。シスンはどうしたものかと、子供を睨みつける。
彼の形相を見て、子供は一瞬泣き出しそうになってしまう。だが勇気を振り絞り彼の元にやってくると、手に持っていた一輪の花を彼に差し出した。
「僕たちを助けてくれて。ありがとうお兄ちゃん」
「…………違う。俺は俺のためにこいつを倒しただけだ」
「それでも。それでもありがとう。僕たちを助けてくれてありがとう」
その穢れない言葉が、真っ直ぐな感情が、どれだけシスンの心を動かしただろうか。
何百年ぶりにかけられた感謝の言葉に、シスンの目に涙が溜まる。だがここで止まっているわけにはいかない。
シスンは多くの兵隊が迫ってくる音を聞くと、転移魔法を展開する。
「ありがとうお兄ちゃん。僕、お兄ちゃんのこと絶対に忘れないから」
「――――――――っ!」
シスンは転移魔法に乗ると、次元を跨ぐ。
まだ見ぬ強敵と戦うために、全ては復讐のために。
◆◇◆◇
『ありがとう』
『ありがとうございます』
『ありがとうね』
世界を救うたび、悪を倒すたび、シスンはその言葉を受け続けた。
違う。俺はただ強くなりたいから。俺はお前達を利用しただけなのに。
だが本当にそうなのだろうか。
俺は、本当は救いたかったのではないだろうか。あの日救えなかったエレナの代わりに。抗えない暴力に打ちひしがれる人のために。
決意が折れることはない。だが少しずつ、少しずつその想いは横へズレていった。
『ありがとう』
その言葉を聞くたびに、俺の心の闇は少しずつ打ち払われていった。
もし闇の書の事件で自分が生き残ったことに意味があるとしたなら。
もしその意味が今の自分の誓いと違っているとしたなら。
復讐は。憎しみは。何も生まない。
エレナが本当に望んでいたこと。それは――――――
『シスン! ―――――――』
全てを受け止めようとした瞬間、闇の書に飲まれる寸前のエレナの姿が脳裏をかすめる。
きっとエレナは助けてと言ったはずだ。
だがもしその言葉が違うものだとしたら。
何百年とただ戦い続けた自分は、ようやくその可能性に気づくことができた。
その時だった。
闇の書事件が、もう終わりを迎えていると知ったときは。