「ん、んん……」
病院の一室、ベッドの横で座り続けていたヴィータはその声を聞くと顔を上げる。
「カイズ、大丈夫なのかカイズ!」
草原の時とは違う。ヴィータのその声を聞くと、カイズはゆっくりと目を開けた。
「あれ、ヴィータさん? 俺、いったいどうなって……」
「お前はあの男に斬られて、それでよくわからないけどあの男がここまで運んできたんだ。もうどういうことだか、あたしにはわけがわからなくて。というか、過去がどうこうっていってたけど、カイズとあいつは昔会ってるのか」
ヴィータがそう質問をすると、カイズはほんの少しだけ寂しそうな表情でヴィータのことを見る。
自分は何かおかしなことを言っただろうか。だがあの復讐者について、ヴィータは何も知らない。
それ故にあの時のカイズの言葉の意味も、今の表情のわけもヴィータには届かなかった。
「でもよかったな。出血の割には傷は大したことないみたいだぞ」
「そうですね。そもそもシスンさんは俺を殺すつもりなんてなかったんですから。……それはヴィータさんのことも多分同じですよ」
「殺す気がなかったって。カイズがあと一歩遅かったら、あたしはなのはのプロテクションを貫通したあの技をくらってたかもしれねえんだぞ」
「…………ええ、それはそうなんですけどね」
全てが終わったはずなのに、未だにカイズの口調は優れなかった。カイズは病室を見渡すと、さらに質問をした。
「そういえばシスンさんはどうしたんですか? 姿が見えないんですけど」
「ん? あいつならお前を病院に連れていったらさっさと姿をくらましちまったぞ。まぁー、世界を救ってたっていっても管理局からすれば犯罪者だし、また逃げ回るんじゃないのか」
「……いえ、あの人にもうそんな時間はないはずです」
「そうなのか? でもお前にはすまなかったって言ってたぞ。なぁー、どうやってあいつのことを説得したんだ。あんなに闇の書のことを恨んでたのに、正直あたしにはチンプンカンプンでよ」
「それはですね。ヴィータさんの時と同じで、あの人の記憶を―――――ッ!」
あの人の記憶。そう言った瞬間に、カイズは自らの頭を抱え込む。そして大きく目を見開くと、ヴィータに詰め寄った。
「ヴィータさん、シスンさんがどこにいったか知りませんか!」
「だ、だからしらねえって。もとよりあいつとは話すことはないし、あいつも話しかけてこなかったしよ」
「そ、んな……。それじゃあ駄目なんだ。そうだよ、どうして俺は今まで気づかなかったんだ。いや、シスンさんの過去の記憶を見た時点で気づくべきだったんだ」
「カ、カイズ? 何言ってるんだよ」
「俺は今までシスンさんの記憶を見ていたと思ってたんです。でも違う。もしあの記憶がシスンさんだけのものなら、エレナさんとヴィータさんが二人で話してる記憶が存在するはずがないんです。――――とにかく早く探さないと、ぐっ!」
「お、おい無理するなよ。浅かったっていっても、怪我をしてることには変わりないんだぞ」
「ヴィータさんお願いします! 俺をあの草原に連れていってください。この街で一番自然に溢れている場所はあそこです。いるならやっぱりあの草原しかないんです!」
「ど、どうして今更あの男に会わなくちゃいけないんだよ」
ヴィータにはカイズの言っていることがわからなかった。やっと闇の書事件に対する答えが見つかって、それでようやく今回の事件が終わったのに。
それなのにカイズは再び事件に首を突っ込もうとしている。今は安静にしていろ。普通ならそう突っぱねるのが正解のはずだ。
だが鬼気迫るカイズの顔を見ると、その言葉は出せなかった。
「お願いしますヴィータさん! このままシスンさんと別れてしまったら。きっと、きっと、俺もヴィータさんも後悔することになります!」
「あたしが、後悔する?」
「今はその意味がわからなくていいです。だからお願いします。一緒にあの草原に行ってください!」
「お、おぅ…………」
カイズの言動は理解も納得もできない。だがそれで彼が納得するなら。ただそれだけを思うと、ヴィータはデバイスを展開していくのだった。
◇◆◇◆
夕暮れの草原。シスンは肌に気持ちのいい風を受けると、空を眺めていた。
「思えば、随分と長い時間を歩んできたんだな」
エレナと結婚して。家族ができて。全てを奪われて。そして多くの人を救ってきた。
管理局からすれば自分のしていることはただの自己満足。ただの犯罪行為かもしれない。だがそれでもよかった。
『ありがとう』
その言葉を受け取るたび、自分は間違っていない。自分は正しかったと。せめて自分自身だけはそう認めてやりたかった。
「カイズ君。まさかあんな若い子に教えてもらえるとはな。それだけでも長く過ごしてきた甲斐があった」
心の中ではわかっていた。だが闇の書に殺された人々。エレナのため。世界のため。そんな御託を並べて、自分自身の強迫観念をヴィータたちにぶつけようとしてしまった。
大層なおじいちゃんが聞いて呆れる。
自分はあの時からずっと成長などしていなかったのだ。
「…………そろそろ時間か」
シスンは自らの体が徐々に霧散していく姿を、まるで他人事のように見ていた。
だがこれで終われる。シスンは自分自身を許すことができたのだから。
「シスンさん!!」
その時だ。草原の奥から、あの声が聞こえてきた。
カイズはわき腹を押さえながら、こちらに近づく。そんな彼を守るように、ヴィータはこちらを睨みつけていた。
「カイズ君。……どうして」
「まだ、まだなんです。俺にはまだ伝えなくちゃいけないことがあったんです!」
「……心配は無用だ。君に諭されて、俺はもう自身を許すことができた」
「そうじゃないんです。貴方に届けなくちゃいけない言葉があるんです。でもそれを言うのは俺じゃない。でも彼女は今その言葉を言うほど力がないんです!」
「……それはどういうことだ」
「もう時間がないはずです。でも今しかないんです。貴方という存在が崩れ落ち始めたこのとき。その時にだけ、彼女は貴方の中からでてこれ、ぐっ、ごほっ、ごほっ!」
「これ以上喋るなカイズ君! 傷に障るぞ!!」
「それがどうしたっていうんですか! 俺のことはどうでもいい。だから思い浮かべてください。願ってください。俺を貴方の中に導いてくれた、貴方の中にずっといた大切な人の姿を!」
「俺の、大切な人の姿」
その姿は忘れるはずがない。
自分は何百年と様々な世界と時を渡り歩いていた。
だがその姿が色あせることは一度だってなかった。
シスンはその場で目を閉じる。
そして水色のミドルヘアの女性を。
自分が愛したたった一人の女性を心に浮かべた。
『――――シスン』
「――――えっ」
その時だ。彼女の声が聞こえた。
だがそんなわけはない。そんなはずがない。
だがそれでもシスンは目を開いた。その瞬間、彼女は楽しそうに笑みを浮かべた。
『やっと。やっと気づいてくれたんだねシスン』
「あ、ああ。エレナ、どうして」
『どうしてなんて私にもわからないよ。でも私はあの事件からずっとシスンの心の中にいたんだよ。シスンは気づいてくれなかったけどね』
エレナは頬を膨らますと、子供っぽく拗ねてみせる。だがシスンはその姿を見て、視線を逸らしてしまう。
「だが俺はエレナを助けることができなかった。俺は――――」
『ありがとう』
「――――えっ」
『闇の書に取り込まれる瞬間、私が言いたかった言葉だよ。確かに短い間だったかもしれない。でも私はシスンと結婚できて幸せだった。私を愛してくれて、本当にありがとうねシスン』
「エレナ。俺は、俺は」
『ほら、大の男が泣かないの。そんな暇があるんだったら、私にも言ってほしいな』
エレナにそう言われると、シスンは涙をぬぐい去る。今度は視線を逸らしはしない。シスンは真っ直ぐエレナを見ると、彼女の言葉に応えた。
「俺も。…………俺もエレナと結婚できて。君を愛することができて。本当に、本当に幸せだった」
『うん。それでよし』
エレナは満足そうに頷くとスッと目を閉じる。
エレナの体は。シスンの体は。こうしている間にも徐々に消えていっていた。
だが二人は涙を流すことなく。笑顔のままに口づけを交わした。
これでもう思い残すことはない。
そう二人が思った瞬間だ。
その声が放たれたのは。
◇◆◇◆
あたしは。あたしはその姿を知っていた。
青いミドルヘアの女性は、ヴィータの記憶にはなかった。だが心に刻まれた想いが必死になって訴えかけていた。
『ヴォルケンリッター……何なりと命令を』
『ご、ごめんなエレナ。そんなことも知らないで、あたしズカズカと踏み込んじゃって』
『へーん、エレナはあたしと一緒にいたほうが嬉しいんだよー』
『だったらこの闇の書を完成させればいいんだよ。そして願えばいいんだ。エレナを助けてくれって』
『ご、ごめんなシスン。…………ごめん、エレナ』
――――――スゥ
走馬燈のように数々の記憶が、心の奥底から吹き上げてくる。どうして忘れていたのだろうか。どうして思い出せなかったのだろうか。
だって彼女と自分は家族で、そして――――――。
「エレナッ! エレナッ!!」
シスンが言っていたからではない。自身の思い出から、彼女の名前を口にする。
ヴィータのその叫びを聞くと、エレナは柔らかい笑みで彼女を見る。
『ヴィータにも辛い思いさせちゃってごめんね』
「違う、エレナは何も悪くない。あたしが、あたしたちのせいで」
『ヴィータたちのせいじゃないよ。あれは誰かが悪いわけじゃない。だから誰も責任を負うことなんてないんだよ』
「だけど、あたしは……」
悔しそうにヴィータは目を閉じる。そんな彼女の前にエレナとシスンは近づく。エレナは泣いている子供をあやすように、優しく頭を撫でていった。
『私は幸せだったよ。だから泣かないで、ヴィータが泣いてると私も悲しくなっちゃうから』
「エ、エレナ……」
ヴィータは流した涙を止めることはできなかった。
だが涙を流したまま最高の笑顔を作ると、初めてその言葉を口にした。
「あたしも。あたしもみんなと過ごせて幸せだった。ありがとう―――――お母さん、お父さん」
『―――――うん』
ずっと、ずっと気恥ずかしくて出すことのできなかった言葉をヴィータはようやく口にする。
ヴィータのその言葉を聞いて、エレナとシスンは安心したと満たされた笑みを浮かべた。
『ヴィータはこれからもっと、もっと。私たちみんなの分までいっぱい幸せになってね』
「うん。うん」
「カイズ君。君には随分と迷惑をかけてしまったな。ヴィータを、娘をよろしく頼む」
「―――――はい」
互いが互いの相手に言葉を述べる。
だがさよならとは決して言わなかった。
だからこそ、四人の最後の言葉は同じものだった。
自分と出会ってくれて。
温かさを教えてくれて。
自分を許してくれて。
その言葉を受け止めてくれて。
『ありがとう』
四人はそう声を揃えると、笑みを浮かべていく。
その言葉を最後に、エレナとシスンの体は完全に消えていってしまった。
だがそれでも寂しくはなかった。
エレナの想いは。シスンの想いは。
二人の中に生き続けているからだから。
だから、だから。でも、だとしても…………。
「……ごめん、カイズ」
二人の姿が消えると、ヴィータは彼の胸に顔を埋める。
エレナは笑顔を望んでいた。だがそうだとしても、ヴィータは迫りくる悲しみを抑えることができなかった。
「ごめん、ごめんなカイズ。でも、しばらくこのままで」
「大丈夫ですよヴィータさん。もう、大丈夫ですから」
「うっ、うう。…………うあぁ」
できるだけ声を押し殺して、エレナとシスンがしっかりと旅立てるようにと、ヴィータはカイズの胸で涙を流し続けた。
そんなヴィータを抱きしめると、カイズはその背中に何度も、何度も優しく手を置いていくのだった。