朝ご飯を食べ終えると、二人は外出をすることになった。本当はヴィータがこんな状態だ。外にでるなどもってのほかだとは思うが、外に行くとヴィータが駄々をこねたのだ。
「だって映画のチケット今日まででしょう。早く行こうよー」
確かに今日ははじめからヴィータと映画にでかける予定だった。だがどうしてヴィータちゃんがそれを知っているのか。いや、元々ヴィータもヴィータちゃんも同じ一人の存在なのだ。情報を共有していても不思議はないだろう。
「…………きっと今度は誤魔化しきれないよな」
前回ヴィータちゃんがでてきたときは、八神家の機転と行動で何とか命を繋ぐことができた。
だが今回はその助けも望めそうにない。そしてすでに彼女が発狂するだけの行動は起こったあとなのだ。
「せめて命があるといいな」
カイズがそんなことを思っている間、左腕に抱きついたヴィータは嬉しそうに頬を擦り寄せていた。
「えへへー、えへへー」
「なんだかすごいご機嫌だね」
「だってー、初めてお兄ちゃんと一緒にお出かけできたんだもん。楽しいに決まってるよー。お兄ちゃんは嬉しくないの~」
「い、いや、そんなことはないけど。……ないんだけど」
ないのだがこの気持ちは何なのだろうか。ヴィータと一緒にいられて、楽しい休日のはずなのに、どうにも乗り気になれていない自分がいる。
(それって、やっぱりこの視線のせいなのだろうか)
繁華街を歩く中、自分たちに向けられた好機の視線はとてつもないものである。何人もの戸惑いと好機の視線。そして極一部の羨望のまなざしは、あまり居心地のいいものではなかった。
(でも、それだけなのか。……なんか、変な感じだな)
自分でもその違和感の理由がわからない。
ヴィータはカイズの顔を見上げると、にこりと笑みを浮かべる。カイズもそんなヴィータを見ると、小さく笑いかけるのだった。
◆
公園のベンチで二人は肩を並べる。ヴィータは缶ジュースから口を離すと、勢いよく話し出した。
「映画すごかったね。ロボットがガァーってでてきて、怪獣がグァーって襲いかかってきてー」
「前評判はあまりよくなかったけど。うん、あれはいい意味で王道な話だったね」
「でも最後は二人とも無事でよかったねー」
ヴィータは先ほどから映画の感想をしきりに話している。映画はどの年齢層にもあいそうなものであり、逆に今のヴィータには好感がよかったようだ。
だがカイズはどこか遠くを見るような顔をしていた。なぜだろう。映画の内容は悪くなかった。ヴィータちゃんもご機嫌だ。なのにどうしてこんなにも気が晴れないのだろうか。
きっとこのヴィータちゃんの人格も、心配をするほどのものではないと思う。この人格がでたからといって、脳に深刻な影響があるとか、そういう心配をしているわけではない。
だがどうしてか気持ちが落ち着かなかった。
「…………どうしたのおにーちゃん?」
心配そうにヴィータが顔をのぞき込んでくる。カイズはそんな彼女を心配させないように、笑みを見せるがそれはどこか元気がなかった。
そんな二人の前に、青い制服の男性がやってきた。
「おほん。そこのお二人さん、今日は平日のはずだが、こんな昼間から公園でどうしたのかな」
「えっ、あ、これは…………」
いよいよ来たか。いや、いままでヴィータと一緒にいて、職質にあわなかったこと事態が奇跡に近いのだ。
ちらちらとカイズとヴィータを見る職員。カイズは管理局局員の証明書を出すと、そのまま言葉を続けた。
「ちょっといろいろありまして、この子を預かってるんです。管理局の高町なのはさんか八神はやてさんに問い合わせてもらえばわかると思います」
何度もシミュレートしてきたことだ。カイズは教科書を読むようにすらすらと言葉を述べる。そんな彼を見て、制服の男も理解してくれたようだ。
だが隣にいるヴィータは違った。彼女は不機嫌そうに頬を膨らませる。
「ねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんにとって、ヴィータって何なのかな」
「ヴィータちゃんはヴィータちゃんだと思うけど?」
「…………そういうことじゃなくてね。海の時みたいに言ってくれないの。ヴィータはお兄ちゃんの恋人だって」
「――――えっ?」
それは数ヶ月前のことだ。八神家の面々と海に出かけたときに、ヴィータは男性二人に絡まれたことがあった。
その二人に自分は親か親戚かと言われた。だがそのときに周りの目を気にすることなく『俺はヴィータさんの恋人だ!』と公言したのは記憶にも新しい。
だがいまはあの時と状況が違う。この見回りの人の前で、そんなことを公言したらそれこそお縄になりかねない。――――いや、だがそれだと話が矛盾してしまう。
ヴィータが子供ではなく大人だということは、他の人間が証明してくれるのだ。なら、どうして彼女を子供として扱わなければいけなかったのか。
その瞬間、朝からずっとモヤモヤしていたものが少しずつ晴れていくのを感じた。
カイズは困ったように視線を漂わせる。ヴィータは俯きながら、弱々しい声をあげた。
「……ヴィータはお兄ちゃんの恋人だよね?」
その言葉には言葉の長さ以上の思いが込められている気がした。だが八歳時のいうことだ。適当に誤魔化すなり、その場で合わせるなりをすればいいはずだ。
いいはずなのだが。
カイズは一瞬、ありきたりな言葉で場を濁そうと思った。だがヴィータの真摯な瞳を見て、その心を改めた。
「……ごめん、ヴィータちゃんは俺の恋人じゃない」
「――――! だってヴィータはヴィータだよ」
「でもヴィータちゃんは言ったよね。ヴィータはヴィータさんじゃないって。多分、いや、つまりそういうことなんだと思うんだ」
そう言葉にした瞬間、ずっと胸の中でつっかえて何かがとれたような気がした。
確かにいまのヴィータのことは放っておけない。だけど自分が会いたいのは、ここにいるヴィータちゃんではなく、ずっと自分の隣にいたヴィータさんなのだ。
「…………ごめん、ヴィータちゃん」
「…………ううん。ちょっと残念だけど、でも安心したよ」
ヴィータがそう口にした瞬間、あたりの景色が突然真っ白になる。そこにはもう公園も制服姿の男性もいない。
本当になにもない空間に、カイズとヴィータは二人きりになってしまったのだ。
「これは、どういう……?」
「これはお兄ちゃんの夢の中なんだよ。って、突然言われても困っちゃうよね」
「夢の中って。えっ、ど、どういうことか全然わからないんだけど……」
「ヴィータもどういった理由かは全然わからないんだー。でもお兄ちゃんの夢への架け橋ができたから。だから最後にお兄ちゃんに会いに行こうって思ったんだ」
「最後って、それってどういうこと?」
「……元々ヴィータは存在しないはずの人格なんだよ。だけどある日、元のヴィータが変な薬を飲んでね。その薬には自分の願望を形にする力があったの。だからね、ヴィータが生まれたんだよ」
「願望を形にって。でもヴィータさんは何を望んでたの」
まさか子供に戻りたいとは思わないだろう。ヴィータもまたカイズが何を言いたいのかわかったのだろう。
首を横に振ると、続きを口にした。
「元のヴィータは心の底ではこう願ってたんだよ。もっと素直に甘えたい。もっとお兄ちゃんと一緒にいたいってね。だからこそヴィータの人格はできあがったの。でもね、もうヴィータの人格は必要なくなっちゃったんだよ。だってもうヴィータは、ヴィータの力がなくてもお兄ちゃんに甘えられるんだもん」
「それは、確かに…………」
今朝のことを考えてもそうだ。今までずっと恥ずかしがっていたヴィータは、ここ最近かなり積極的になっている。
「で、でもだからってヴィータちゃんが消えることなんて」
「ううん、元々時間が早かったか遅かったかの問題だったんだよ。だから最後にお兄ちゃんに会いに来る決心もできた。――――だからこそもうヴィータは安心できたんだよ」
「安心できたって、何が……?」
自分がしたことといえば、ヴィータのためにヴィータちゃんを拒絶したことぐらいだ。それも彼女はこれから消えるのだ。これ以上酷い仕打ちなど存在しないだろう。
だがそんなカイズの手をヴィータはギュッと握ると、小さく首を横に振った。
「だってお兄ちゃんは誰よりもヴィータのことを愛してくれてるんだもの。ということは、ヴィータが消えてもお兄ちゃんはずっとヴィータのそばにいてくれるってことだよね。ヴィータはそれが嬉しいんだよ」
「でも、だって、ヴィータちゃんの意識は消えちゃうんだよね」
「それでもお兄ちゃんはヴィータの側から絶対に離れないってわかったから。それだけで十分なんだよ」
「そん、な…………。でも、だけど」
「だったら一つ約束して」
ヴィータはカイズの元に近づくと、その場でジャンプする。そして朝には届かなかった唇を彼のそれに押し当てると、ニコリと笑みを浮かべた。
「絶対ヴィータと幸せになってね。そうしてくれないとヴィータ怒っちゃうからね」
それが最後の言葉のようだ。ヴィータは子供らしい笑みを浮かべると、その場からゆっくりと姿を消していく。
カイズは弾かれるように彼女に手を伸ばした。