全ての人に挨拶を終えて、家路につく途中。ヴィータは夕暮れ空を眺めながら、ため息をついた。
「あーあ、何だか情けない姿を見せちまったな」
サクヤの旦那の店を後にし、ヴィータはそのことについてずっと落ち込んでいた。
自分はカイズのことを誰よりもわかっているつもりだった。きっと彼は困っている人がいれば助けに行くし、自らの身の危険も省みない。
だからこそ彼と結ばれるということは、常に別れと隣り合わせだということはわかっていた。
いや、それはなにもカイズだけではない。手に負えない事件があれば、きっと元軌道六課の面々はすぐに集結をかけられるだろう。それに自分の性格を考えれば、呼ばれなくともきっと頭を突っ込んでしまうはずだ。
誰かのために身を粉にする。それは今に始まったことではない。多くを救えるのなら、そのためなら一歩も引かない想いはその心にあった。
『ヴィータさん』
瞬間、あの優しい声が自らの中に響きわたる。そうだ。自分は何かを成し遂げて死ぬのなら、ずっと怖くないと思っていた。
だがあの雪に埋もれたときに、自分は死というものに本当に恐怖を感じたのだ。
絶対になくしたくない。絶対に離れたくない人と出会ってしまった。
そのせいで、自分は本当に弱くなってしまったのだ。
「あたしは弱く。……いや、違う。この想いは」
ヴィータは自らの心に答えを浮かべる。これが本当に正しいのかはヴィータにはわからない。だけど絶対に間違ってはいないと。そう確信することはできた。
「カイズが帰ってきたら。ちゃんと伝えねえとな」
その答えにたどり着いたヴィータには、もう不安はなかった。彼女はギュッと手を握りしめると、二人が暮らすアパートに帰っていくのだった。
◆
鍔迫り合いになろうとした瞬間、カイズはその刃を反らすと攻撃を回避する。
(勝てるとは思ってない。だけどこの差は)
ベルカの騎士、特にシグナムと戦うときはとにかく距離を作らなければいけない。それは頭ではわかっている。
だが試合開始と共にあっと言う間に距離を詰められ、次の瞬間勝負が決まってもおかしい状況ではなかった。
それでも何とか堪え忍んでいるのは、シグナムのデータがイノセントハートに多く取り込まれているからだ。
デスイーターやノーナンバーズより強く、非殺傷設定とはいえシスンよりも思い切りよく打ち込んでくるシグナム。逆に言えば、ここまで耐えている方が奇跡であった。
「どうした、防戦一方であるのがお前の答えなのか!」
「そうは言っても。――――ぐっ!」
避けきれなかった剣撃で、ミッド側の黒刀がたたき落とされる。これでもう距離をあけることすらできない。
カイズは二股の黒刀の防衛システムを解除すると、そのシステムを完全に演算のみに回した。
どうする。どうする。どうする。
この回避ももう長くは続かない。すでに呼吸は乱れているし、体力も限界に近づいている。
正直、シグナムがこの戦いでなにを求めているのかはわからない。だがこのまま何も示さないで終わることだけは、あってはならないはずだ。
だがこのままでは。
カイズの顔に焦りの色が見え始める。シグナムはそんな彼を見ると、剣撃を止める。
その瞬間、カイズは彼女から距離をとる。シグナムはそれを追撃することなく、一呼吸おいた。
「――――次で終わりだ。答えを出してもらうぞ」
上段にレヴァンティンを構えた瞬間、あたりの空気が凍り付くのがわかる。手加減など初めからなかった。だからこそわかる。この一撃を受ければ、自分はしとめられると。
だがこれは逆にチャンスだ。このまま持久戦に持ち込めば勝てる相手に、彼女はわざわざ一撃粉砕の体勢に持ってきてくれたのだから。
チャンスは一瞬だ。カイズはデバイスと自らの知識を重ね合わせ、シグナムがどの角度で打ち込むかを必死に演算する。
そしてその一撃よりも早くカウンターを放つ。カイズの一撃ではシグナムの斬撃は止められないだろう。だがうまくいけば引き分けには持っていける計算だ。
「――――行くぞ」
シグナムが上段の剣の角度を変える。その角度に剣が構えられるのはカイズとイノセントハートの総意と一致していた。
絶対にタイミングは外せない。ここで決める。
ベルカ式の黒刀を握りしめると、真っ直ぐにシグナムを見る。
「ハアアァァァァァァッ!!」
大気を震わせるほどの叫びと共に、シグナムが突撃を仕掛ける。もう少し、もう少し距離を詰めれば。
その瞬間を見謝らないように。カイズは踏み込む足に力を込める。
『――――カイズ』
「えっ」
刹那、大切な人が自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。だがここに彼女はいない。しかし確かにその声は彼の心に響いたのだ。
「ぐっ、あああぁぁぁぁぁぁっ!!」
叫びと共に、踏みしめる足に力を込める。迫りくる刃、それをカイズは。
――――ドスンッ!!
真っ直ぐに刃が振り下ろされる。だがその一撃はカイズを捕らえていない。しかしそれはシグナムも同じことだ。捨て身と共に放たれると思っていた攻撃は、シグナムの体には届いていない。当たり前だ。カイズは地面を踏み抜くと、そのまま遙か後方まで下がっていたのだから。
カイズは木に背を預け、目を見開いたまま荒く呼吸をしている。対して全く呼吸を乱していないシグナムは、その切っ先をカイズに向ける。
「どうして最後の一撃を避けた。相打ち覚悟なら私を倒せたかもしれないぞ」
怒りの色を見せながら放たれた言葉。だがカイズは視線を空に向けながら、独り言のように声を上げる。
「こ、声が聞こえたんです」
「声?」
「ヴィータさんの声が。ここにいないのは俺もわかってます。念話でももちろんありません。でも相打ち覚悟を思った時に、確かに聞こえたんです。……ヴィータさんが悲しそうな顔で自分の名前を呼ぶ声が」
反射的に戦いから逃げてしまった。だが落ち着いた今ならわかる。どうして自分が相打ちの覚悟をやめてしまったのか。
何度も何度も深呼吸をすると、明後日の方向を見ていた目がシグナムに戻る。シグナムは彼を睨みつけた。
「さて、続きを始めるか」
「……いえ、俺はもうシグナムさんと戦いません。Bクラスの俺ではどうあってもシグナムさんには勝てません。どんなによくてもワザと隙を見せてもらっての相打ちがせいぜいです。だからこれ以上は続けません。もし続けるなら、俺とイノセントハートは全力を持ってこの場から逃げます」
「一度受けた騎士の決闘から逃げるというのか」
「はい」
カイズは何の迷いもなく肯定の言葉をあげる。そして困ったように声を上げた。
「だってここで俺が大怪我をしたら、ヴィータさんが悲しむと思うんです。きっと自分自身が怪我をするよりも、ずっと深く大きく。だから俺は一か八かに賭ける気はありません。……もう、俺のことで彼女を苦しませたくないから。――――これが、俺の答えです」
カイズの答えに、シグナムはフンと鼻を鳴らす。だが彼女に怒った様子はない。レヴァンティンを一振りすると、そのまま待機モードに戻していった。
「だ、そうです。主はやて」
シグナムはバリアジャケットを解除すると、カイズもまたそれを解除する。シグナムは二歩後ろに下がると、その代わりにはやてはカイズの前に立った。
「それが、カイズ君の答えなんやね」
「はい。……すみません、皆さんの期待に応えられなくて」
「そんなことあらへんよ。それが私らの望んだ一番の答えなんやから」
はやてはその手に夜天の書を出す。彼女は魔力でそのページをめくると、ある一ページでそれを止める。
地面に白いベルカ魔法陣が浮かび上がると、はやては柔らかい笑みを浮かべた。
「複雑な術式の過程はもう終わらせてあるんや。だから、あとはそれを発動するだけ」
「はやてさん?」
「夜天の書の主、八神はやてが命じる。その管理者権限を持ち、鉄槌の騎士ヴィータの管理者権限を目の前の人物へと移行をする」
「――――はやてさんっ! それは、駄目です!!」
「いいんよ。カイズ君が私らの求めた答えを示してくれたから。だから私らもそれに応えたいんよ」
はやては人差し指を、トンとカイズの胸に置く。その瞬間、カイズの胸には小さな魔法陣が生成された。
カイズはその魔法陣に手を当てながら、首を横に振る。
「駄目です。駄目ですよ。……だってこれははやてさんとヴィータさんを繋ぐ大切なものじゃないですか」
「ううん。私たちにとって、管理者権限なんて『こんなもの』なんよ。こんなものがなくても、私たちヴィータは心と心が繋がってる。だって私たちは家族なんやから」
「あ、ああ……」
胸の魔法陣が収縮される。黙視することはできない。だが胸の奥に確かに刻まれたのだ。何十年とはやてとヴィータを繋いでいた絆が。
瞬間、体が少し重くなるのを感じる。カイズはその場でよろけそうになるが、そんな彼をシグナムが支えた。
はやては夜天の書をしまうと、物憂げな顔をカイズに向ける。
「初めは少し魔力負荷が大きいかもしれへん。だけどしっかり受け止めてやってな。――――その重みがこそが、これからカイズ君が共に歩く道なんやからな」
「はやてさん。……俺、俺」
「ほら、大の男の子が泣かないの。――――改めて、結婚おめでとう。ヴィータのこと、よろしくね」
はやての言葉を皮切りに、終始無言だった八神家が面々が次々と祝福の声をかけていく。
大切な、大きな、そして絶対に落としてはいけないバトンを受け取ったカイズはしばらく声をあげることができなかった。
だが涙を流しながら、それでも、そうであっても、その一言一言をしっかりと心に刻みつけていくのだった。