「やっぱりまだ来てねえか」
食堂の窓際の二人掛けの席。ヴィータはトレイを置くと、ため息をついた。
「二週間前なら、あいつがあたしを待たせることなんて絶対なかったんだけどな」
だがもちろんそのことを責めたりなどはしない。今のカイズの精神状況を考えればなおのことだ。
「仮教導試験。……うまくいけばいいんだけどな」
仮教導試験。それは教導資格を取るために、必ず乗り越えなければいけない講習中間ほどにある試験のことだ。この試験に受からなければ、教導実習に行くこともできず教導官など夢のまた夢である。
「合格率三十パーセント。そこまで狭き門ってわけじゃねえけど。それでも三人に一人受かるか受からないか。……学科はほぼ問題ねえ。カイズは勤勉だし、満点合格だって現実味がある。……だけど」
先ほどの模擬戦を思い出すと、小さくため息をつく。
今のヴィータの悩みは、同時にカイズが抱えるものでもあった。
カイズの弱点。それは勤勉ではあるが、動きが型どおりであるということ。まだ魔導師ランクが低いうちなら、それでもまかり通ることはできる。だがカイズはなまじ優秀であったがゆえに、その基本だけでは許されないところまでもうきてしまったのだ。
その弱点はきっと試験官もすぐに気づくだろう。
ヴィータはそこまで考えると、『ガアァァ!』と髪をかき乱す。
「でもそれだけじゃねえ。今のあいつはミッド式でいくか、ベルカ式でいくか。そんな基本的なところで悩んでるんだ」
これは彼の魔導師ランクで考えれば致命的なことだ。
カイズは初めこそミッド式を使っていた。だがここ最近は成長が著しく止まってしまっていた。
そしたらとベルカ式のデバイスを使ってみたが、根本は変わらなかった。カイズは基本的に動けるため、ミッド式もベルカ式もある程度使いこなすことができる。
だが裏返せばそれはどちらも使いこなせていないということにもなるのだ。
どちらもある程度使いこなせる。ここ最近カイズの模擬戦につきあっているヴィータも、その言葉が偽りでないことはひしひしと感じていた。
ヴィータは頭を抱えると、おでこを机にぺったりとつけた。
「うー、何かちょっとした方向性が見つかれば一気に伸びると思うんだけど。でもミッド式かベルカ式か。どっちがあいつにあってるんだよー」
うーん、うーんと頭を悩ませる。
――――カチャン。
そんなヴィータの耳に、食器が置かれる音が聞こえる。彼女はピタリと動きを止めると、ゆっくりと顔を上げた。
「おっ、やっときたのか。カ、え?」
目の前の人物を見ると、頭に疑問符を浮かべる。
「あ、す、すまねえ。その席には先約がいるんだけどよ」
いや、先約がいるどうこうではなく、席ならいくらでも空いているはずだが。ヴィータは周りを見渡すと、半周して目の前の女性を見る。
その女性は二十代中頃であろうか。コバルトブルーの長髪が綺麗になびいている。白衣を着ていることから、医療関係の人間かと思うが、この施設で彼女を見た記憶がどうにもない。
一度見たら忘れられない。それほど彼女の容姿は美しいものだった。
女性はコーヒーを一口飲むと、ヴィータににこりと微笑む。
「ええ、先約がいることは知ってます。ですから、少しだけです」
「お、おお……?」
彼女は向かいの席から動くことなく、体を動かすたびにその大きな胸を揺らす。短いタイトスーツから伸びる足を組み直すと、周りの男が息を飲む音が聞こえるほどだ。
「え、えっと。あたしとあんた。どこかであってたっけ?」
「いえ、今日が初対面で間違いないですよ。まあ私のほうは貴方のことはかなり前から知っていますけどね。あっ、私の名前はサクヤ・シンドウって言います。お見知り置きを」
サクヤはコーヒーカップに指をかけると、再びコーヒーを飲む。その一挙動、一挙動は大人の余裕があり、ジャージ姿でいるヴィータは、どこか居心地の悪い気分になった。
そんなヴィータを追いつめるが如く。サクヤは彼女を観察するような視線を投げかけた。
「お、おい。何かあたしに用があるのか?」
「いえいえ。今日はただ下見に来ただけですから」
「下見ってなんだよ?」
「それはですね。――――あっ、どうやら来たみたいですね」
「来たって?」
『ヴィータさーん。どうもお待たせしましたー』
食堂に響きわたる恥ずかしい叫び声。カイズは食器を持ちながら、二人に近づいてきた。
「今日のお昼は験を担いでカツカレーにしました。カツを食べて。――――えっ!!」
カイズは目の前の女性を見ると表情が固まる。そんな彼を見て、サクヤはひらひらと手を振った。
「やっ、カイズ君久しぶり」
「カイズ君って。えっ、な、何でサクヤがここにいるんだよ!」
「それは仕事で来たからに決まってるだろ。私の就職した製薬会社は多くのコネクションを持ってる。それは君も昔調べたはずだが」
「そ、そりゃそうだけど」
サクヤがいたずらっぽく顔をほころばせると、カイズは気恥ずかしそうに頬を掻く。
――――チクリ。
何だ。いま何かが刺さったような。
二人のやりとりを見ていると、ヴィータは胸に小さな痛みを覚える。
だがそんな痛みよりも、ヴィータにはショックなことがあった。
いまカイズのやつ、シンドウさんのことを下の名前で呼んでたよな。……しかも呼び捨てで。
自分のことは年上だからこそ、ヴィータ『さん』なのだとずっと思っていた。だがカイズは自身より年上の女性に対して、呼び捨てをしたのだ。
――――ズキン。ズキン。
なんだ。なんか変だ。……胸がズキズキする。
この胸の痛みは何なのか。彼女は助けを求めるようにカイズを見る。だがカイズはサクヤに目を奪われており、ヴィータの様子に気づくことはなかった。
「しかし憧れのヴィータ教導官と恋仲になったんだな」
「え、ああ、そうだけど……」
「ということは、もうやったのか?」
「お、おいサクヤ!!」
カイズは食器を机に置くと、サクヤに迫る。
「おっと、その反応だとまだなのか。しかし変な感じだな。学生のころのお前といったら、付き合った次の日にはやらせろやらせろって口うるさかったはずなのに」
「あ、あの頃のことはどうだっていいだろ。と、とにかくいまは帰れよ。それとヴィータさんに変なこと吹き込んでないだろうな」
「ああ、今のところはな。――さて、それじゃあこれ以上邪険にされる前に戻るとしようかな。じゃあまたなカイズ君」
「……ああ、またなサクヤ」
大人の余裕の見えるサクヤと対照的に、カイズは口を尖らせると子供っぽく彼女を追い払う。
そんな二人のやりとりを見て、ヴィータはぎゅっと胸元を握りしめた。
「まったく。あ、邪魔者も行ったことですし、さっさとお昼にしましょうかヴィータさん」
ヴィータ『さん』。その言葉が彼女の胸に深く突き刺さる。
「シンドウさんとはどういった関係なんだよ」
「い、いや、大した関係じゃありませんよ。ささ、早くお昼にしちゃいましょう」
「…………おう」
流したということは、追求するなということなのだろう。ヴィータはこれ以上踏み込むことができず。
いや、踏み込むことを恐れサクヤの話に触れないようにしてしまった。