鬼の形相。今の彼女を一言で表すなら、それが一番正しいであろう。この三日間、家族の前以外では常に怒りを露わにしていたシグナムは、目的の人物を見つけるとその場から走り出した。
「げっ、姐さん!」
ヴァイスは彼女の表情を見ると、その場から逃げ出そうとする。いや、実際にはそのつもりだった。だがあまりの形相に体が萎縮してしまい、彼はそろりそろりと後ずさることしかできずにいた。
そのまま誘導されるように壁際に追い込まれると、ヴァイスは降参だと手を挙げた。
「逃げ回って悪かったですよ。この前の賭のことはほんとーに反省してますんで!
だ、だからそんな怖い顔しないでくださいよ」
「貴様が心の底から反省しているならもうそれはそれでいい。――――今日の用件はそれとは別だ。貴様に聞きたいことがある」
「な、なんでございましょうか」
「整備班のなかに、二世代ほど前の旧型のノートパソコンを持っている男がいるな」
「二世代前の旧型ノートって言ったら。……えっとコウキのことですか。こう、髪の毛がぼさぼさーってしてて無精髭があって」
「そいつだ。そいつについて知っていることを教えろ!」
「そ、その前にレヴァンティンを首もとから離してもらえると、あ、いや、何でもないです。話させていただきます」
今はシグナムの言うとおりにしたほうがいい。本能で悟ったヴァイスは両手をあげたまま言葉を続けた。
「といっても、俺もコウキのことはあまり詳しくないんですよ。あいつがこっちに配属されたのは三ヶ月前のことですし。えっと、その前にはデータ管理をしてたはずですけど」
「ソフト部門からハード部門に移ってきたということか? 何でだ」
「いやー、本当に詳しくはわからないんですよ姐さん。あいつあんまり人と話さないし、気がつくと型式の古いノートパソコンいじってるんで」
本当です。信じてくださいとヴァイスは懇願の眼差しを向ける。シグナムは睨みつける目はそのままに、レヴァンティンを待機状態に戻した。
「どうせ前の部署で何か問題を起こしたのだろう。全くあんなふざけた奴が管理局にいたとはな」
「ふざけたやつ? コウキのやつがですか??」
「あいつ以外に誰がいる。この前の賭もお前とあいつが主体になってやってたんだろう!」
シグナムの怒号にヴァイスは再び萎縮してしまう。だがそれでも申し訳なさそうな顔をした。
「いや、あいつは何も関係ないんですよ」
「関係ないわけないだろう。あいつのパソコンには賭のことが事細かに書かれていたぞ」
「えっ、あー、いや。…………あれは俺が頼んでプログラム組んでもらっただけですよ。初めは転属祝いを含めて、一緒に賭事をやるキッカケにと思って。でもさすがもとプログラマーですよ。あんな旧式使ってるのに、市販のソフトなんて目じゃないソフトを作って」
「そ、それじゃあ本当にあいつはあの賭に関係してないのか」
「へ、へい」
その真実を告げられると、怒髪天だったシグナムの怒りが七分目ほどに下がる。
そ、それじゃあ私の勘違いだったのか。
そう頭をよぎるが、次の瞬間にあの時の出来事が思い出された。
そうだとしても、あいつは何も言い訳をしなかった。何より、あいつは私の胸を、わ、鷲掴みに……。
あの時のことを思い出すと、再び怒りがこみ上げてくる。だがヴァイスの言葉はまだ終わっていなかった。
「それにコウキは俺たちの中では一番真面目なやつですよ。酒はやらない、タバコはやらない、賭事もやらない。俺たちからしたらちょっと堅物すぎる気がしますけどね」
「だが女癖は悪いんじゃないのか」
そうでなければ、いきなり女性の胸を触れるはずがない。シグナムはそういうが、ヴァイスは笑い声とともに大きく手を振る。
「いやいや、それが一番ないですよ。さっきも言ったように、あいつほとんど人付き合いしてないですし。もちろん外ではどうだか知らないですけど、女っ気があるようには見えませんけどね」
「だ、だったらどうしてあんなことを……」
「姐さんが何をされたか知らないですけど、あいつはそんな感情的な奴じゃ。……あー、えーっと、もしかしてですけど。――――あいつのパソコンに何かしましたか?」
「――――えっ」
パソコンに何かしたか。シグナムは三日前に思い切り彼のパソコンを閉じたのを思い出す。シグナムの顔を見て、ヴァイスもわかったのだろう。申し訳なさそうに言葉を続けた。
「いや、あいつは滅多なことじゃ感情を出さないんですけど、あの旧型のパソコンだけは別なんですよ。ほんと、詳しいことがわからないばかりで申し訳ないんですけど、何でもあのパソコンは――――」
ヴァイスの言葉を聞くと、ずっと真っ赤だったシグナムの顔が段々と青くなっていく。
彼女はワナワナと口を開くと、脱兎のごとくその場から走り出していくのだった。
◇◆◇◆
この場所に来るのはもちろん三日ぶりだ。シグナムは整備室の扉を開けると、ズンズンと中に進む。
「や、やべえぞ!」
彼女の襲来に休憩をしていた整備員は蜘蛛の子を散らすようにその場から走り出す。皆前回の賭のことで怒らえると思っただろう。そうでなくてもこの三日間彼女が怒りを露わにしているのは、局中の噂になっている。
整備員は我先にと整備室から逃げ出していく。そしてやはりその場に残ったのは、一人だけだった。
「……………」
周りの人間など気にすることなく、あの時のようにコウキは一人黙々とノートパソコンに向かい合っている。シグナムは彼に近づくと、後ろから声をかけた。
「お、おい、そこのお前…………」
「(ピクッ)………………」
シグナムの声にコウキの体が一瞬反応する。だがこちらに振り返ろうとはしない。三日前とは違う。彼は故意にシグナムを無視しているのだ。
シグナムはそれがわかると、一瞬後ずさりそうになる。だが意を決すると、そのまま彼の前に回り込む。
そしてそのまま、深々と頭を下げていった。
「お前のことはヴァイスに聞いた。――――本当にすまなかった」
彼女はそのまま床に膝を突くと、その額床に向ける。そこまで彼女が行動すると、コウキは初めて慌てたような声を上げた。
「お、おい、何してるんだよ!」
「謝っても謝りきれることじゃない。だがまずは見えるように謝罪の気持ちを」
「だからって女が土下座することなんてないだろう。とりあえず落ちつけって」
コウキは彼女の両肩を押さえると、何とか頭を下げさせないようにと踏ん張る。シグナムはそれに負けじと、力を込めた。
「お前が賭事に関わってないことは聞いた。悪いのは一方的に勘違いをしていた私だ」
「そんなことないだろう。俺はあんたの、その、む……胸を揉んだわけだし。先に手を出したのは俺の方だ」
「違う! 先に手を出したのは私の方だ。――――そのパソコンおじの形見だったんだろう」
「――――――――」
シグナムの言葉にコウキは一瞬苦い顔をする。だが手の力は弱めることなく、彼女を押さえ続けた。
「悪いと思ってるなら俺の言うことを聞いてくれ。と、とにかく土下座はなしだ」
「…………お前がそういうんだったら、それに従おう」
シグナムは床に正座をすると、真っ直ぐにコウキを見る。彼はその視線から目を外すと、あぐらに置いていたノートパソコンをゆっくりと横に置いた。
「ヴァイス班長から聞いたのか。……ああ、そういえば二ヶ月前に一度暴れちまったからな」
「それもおじ上のパソコンがらみでか?」
「……ああ、そうだよ。こんな型遅れのパソコン使ってないで、最新型のデバイスなりパソコンなり買えばいいのにって足蹴にされて。ついカッとなってな」
彼自身そのときを後悔しているのだろう。額に手をおくと、うなだれるように下を向いた。
「まあほかの奴には伝わり辛いよな。こんな型遅れのパソコンを使ってる方がおかしいわけだし」
「おかしいなんてことはない!」
シグナムはそう力強く言い放つと、コウキは目を丸くする。そこで初めて、本当の意味で彼女と彼の目が向き合った気がした。
「長年連れ添ってきた相方だからこそ可能なことがある。新しいもの新しいものとすぐに流されるよりも、私はずっと共感を持てるぞ」
「だ、だけど、このパソコンはじいちゃんの世代に流行ってた型遅れ品だし」
「ふんっ、そんなことを言ったら私のレヴァンティンは戦乱のベルカ時代からあるものだぞ。―――――だが私は自らの剣を変えることなく、今もこうして戦っている」
シグナムは待機状況のレヴァンティンを展開させる。自らの鍛錬とともに、手入れを怠っていない刀身を見せると、彼女はその大きな胸を張って見せた。
「カートリッジシステムや細々とした部品はいくつか交換されている。今の技術なら、これと同じものを量産することも可能だろう。だがそれはあくまでレヴァンティンであって、レヴァンティンではない。長年連れ添ったからこそわかる戦闘のやりとり、ずっと握り自らの手にフィットする持ち手。何より私のレヴァンティンはこれのほかに存在しない。決して換えのきかないものなんだ。お前のそのパソコンもそうなんだろう」
「…………あぁ」
それは二文字であったが、シグナムが語った言葉と同じくらい愛機に対する重みがこもっていた。落ち着いた今ならわかる。型遅れでありながら、劣化で生じる汚れ以外存在しないボディ。キーボードに残る塗装の剥げ具合は、それだけ彼がこのパソコンを使っていることをそのまま意味していた。
これだけ物を大切にする者に悪いやつはいない。シグナムはレヴァンティンを待機モードにすると、再び両手を床に着けた。
「お前の大切なものに先に手を出したのは私だ。しかし卑怯と言われるかもしれないが、レヴァンティンを殴りつけろとは口が裂けても言うことはできない」
「いいよもう。あんたが悪い奴じゃないってのはわかったし」
「それでは私の気が済まない!――――だから一回は一回だ。思い切りやってくれ」
シグナムは両目を閉じると、覚悟を決める。
「い、いやできるわけないだろう」
「それでは私の気がすまないと言ったはずだ。覚悟はできている。さあ早くしろ」
あえて歯を食いしばることなく、そのままを受け入れようと体の力を抜く。いまコウキがどんな顔をしているかはわからない。だがその場にちゃんといることは空気で理解できた。
「……ほ、本当にやらなくちゃいけないのか」
「私のためだと思ってくれ」
「えー、あー、うー。……そ、それじゃあ。ほ、本気でか?」
「早くしろ!」
なぜ殴られる側がこんなにも強気なのか。シグナム自身おかしいと思いながら、口調を強くする。
「…………わ、わかった。それじゃあ」
「思い切り頼むぞ」
「…………おぉ」
コウキが大きく深呼吸するのが聞こえる。どうやら覚悟を決めてくれたようだ。シグナムはその時がいつきてもいいように、体の力を全て抜く。そしてコウキはその手を伸ばした。
――――ふにゅ。
擬音にしたら、きっとこんな音が流れていただろ。シグナムは三日前と同じ感触を受けると目を見開いた。
「いやー、それにしてもすごい胸してるよな。まあ女の胸なんて全然触ったことないから比べようはないけど」
「なっ、なっ、なっ」
――――ふにゅ、ふにゅ、ふにゅ。
何度も何度も感触を確かめるように手が動かされていく。コウキは一度手を離すと、シグナムの胸を揉む位置を変えていく。瞬間、彼の人差し指が彼女の突起にぶつかった。
――――コリッ。
「あっ、やっ!?」
シグナムはあげたことのない声とともに、感じたことのない小さな痺れに襲われた。
きっとコウキは何も気づいていないのだろう。その位置で胸を揉まれるたびに、小さな電流は徐々に大きなものに変わっていく。
な、なんだ。何なんだこの感じは。
胸をイジられたことは何も初めてのことではない。いや、八神家にとって主に胸をイジられるのは日常茶飯事といってもいいかもしれない。
慣れているはずの行為、その行為が全く別のものに感じシグナムはとにかく困惑してしまったのだ。
コウキはそのあと二度ほどその手を動かすと、手を離していった。
「それじゃあ、これで貸し借りは。…………あれ、どうしたんだ?」
顔を真っ赤にし俯いているシグナムを見ると、今度は彼が困惑してしまう。シグナムは恥ずかしさのあまり、目に少し涙を浮かべると、ギュッと右手を握りしめた。
「……いっ」
「いっ?」
「いやああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
普段絶対に叫ばない黄色い悲鳴と共に放たれた右ストレートが、綺麗にコウキの右頬をぶち抜いていく。
彼は空中で三回転すると、そのまま壁まで吹き飛ばされていく。シグナムはその顛末を見ることなく、整備室から逃げるように去っていくのだった。