管理局の廊下。シグナムは見慣れたすす汚れた銀髪を見ると、その背中に声をかけた。
「廊下で会うのは初めてだな。整備のほうはどうしたんだ?」
お昼が入っているであろうビニール袋と、片手に型遅れのパソコンを持ったコウキは、その声を聞くと振り返る。
「もう全部終わっちまったよ。まあ最近ずっと平和が続いてるからな。もう整備室の端から端まで整備し尽くしまったよ」
「奇遇だな。私も今日の業務は先ほど全部終わったところだ」
「そっか。……じゃあ今日は外にでも行くか。いい天気だしよ」
そう何気ない、自然な言葉をかけられる。別に普段から約束をしているわけではなく、シグナムが勝手に押し掛けている関係だと彼女は思っていた。
だからこそ、コウキのほうから食事に誘われたことにシグナムは心に温かみを感じるのだった。
「で、では、そうするか」
「弁当は?」
「途中でロッカーに寄ってもらえるとありがたい」
「おう、それじゃあそうするか。案内頼むな」
シグナムのロッカーの場所を知らないコウキは、彼女の隣に着くと歩幅を合わせる。
男の人と一緒に歩いている。そう意識すると、シグナムは心にむずがゆいものを感じた。
(そういえば、男と関わることなんて私にはほとんどなかったからな)
常に戦いに身を置いてきた。仲間に男は何人かはいるが、それでも女性の戦友のほうが遙かに数が多い。
無言のまま互いの靴の音だけが廊下に響く。こういうとき何を話していいのか、シグナムは頭をぐるぐるさせた。
(得意なレンジは? 得意な武器はあるか? ……いやいや、何を考えてるんだ。もとよりあいつは整備士だぞ)
なら好きな陣型は? フェイントは何度入れるか? 空中戦はこなせるか?
さまざまな考えが浮かぶが、全てが戦闘に対することだとわかると、彼女は心の中で頭を抱えた。
(わ、私には戦闘のことしか話題がないのか…………)
いつだろうか、ヴィータに『戦闘狂』だと言われたことがある。だが当時は、自分と接戦できる相手ができたことがただ嬉しかった。そう思っていた。
(テスタロッサも特に付き合うことに不満は持ってなかった。だからそれが普通だと思っていたが)
ヴィータの言葉が何度も何度も頭の中で反芻していく。何か、何か話題はないのかと必死に頭の中を絞り込んでいく。
「…………なぁ、好きな武装は、ぷっ、どうしたんだいきなり止まって」
考え抜いた末の質問は彼の肩にぶつかることにより遮られる。
ロッカーはまだ先なのだが。シグナムがそう口を開こうとすると、それよりも先に目の前の男が口を開いた。
「あれ~、もと先輩。こんなところで何をしてるんですか~」
コウキよりも年下であろう、二十代前半の男がそこにはいた。赤く清潔感が漂う髪の毛に、きちっと着こなされた制服。まるでコウキとは真逆だった。
コウキはばつの悪い顔をしたまま、口を開こうとはしない。
「ここはあんたみたいに責任を放り投げるような男の来る場所じゃないんですよ。いやー、それにしても油まみれの作業着が本当にお似合いですね。あまりにもぴったりすぎて、大きなゴミかと思っちゃいましたよー」
その男は包み隠すことなく、コウキを挑発する。だが彼は何も口にしない。ただすまなそうに、頭を垂れるだけだった。
そんな彼の態度が気に入らないのだろう。男はシグナムをちらりと見ると、さらに言葉を続ける。
「女連れでいいご身分ですね。まあ整備士なんて俺たちプロジェクトチームと違って暇で暇でしょうがないんでしょうね。あーあ、こっちは誰かさんが抜けたせいで、休んでる暇なんて全然ありませんよ~」
「…………そんなに忙しいことになってるのか」
「はっ、今のあんたには関係ないことですよ」
ただただ挑発する行動に、シグナムの中でいらいらが増す。この二人の関係は彼女にはわからない。だが短い間ではあるが、コウキと一緒にいたシグナムにはわかる。
彼はこんなふうに責められる人間では決してない。
「おい、貴様――――」
シグナムは一歩前にでようとする。だがビニール袋を持った手が、彼女の行動を抑制した。
言い訳何もない。ただ力なく首を振るコウキを見ると、シグナムはそれ以上前にでることができなかった。
挑発に乗らず、何も言わない二人を見て男は「チッ!」と舌打ちする。
「それじゃあ忙しいので僕はこれで。せいぜい、大好きな機械と遊んでいてくださいね」
男は二人の横を過ぎ去ると、もう一度大きく舌打ちする。
「お、おい、言われるだけ言われて、それでいいのか」
そうシグナムは避難の声をあげるが、男の背中が見えなくなるまで。いや、見えなくなってもしばらくの間、コウキは一切口を開くことはなかった。