過去への嫉妬
「ふんふ~ん♪ ふふふふ~ん♪♪」
休日の午後のこと。ヴィータは掃除機を片手に、鼻歌交じりで部屋の掃除をしていた。
いつもよりも念入りに、特にぐーたらしていた痕跡が残らないように隅々まで掃除をすることを二時間。
綺麗になった部屋を見ると、ヴィータはよしと額の汗をぬぐった。
「これだけ掃除すればもう大丈夫だよな。…………でもニ週間かー。初めは短いと思ったけど、本当に長かったよな」
ニ週間というのは、カイズが教導合宿に言ってからの期間である。
管理局員候補に教導をする都合上、カイズはその間寮暮らしをしていた。その間、必然的にヴィータは一人で待つことになり、随分と寂しい思いをしていたのだ。
彼女自身思うところもあり、はやての家に戻ることもなく。ようやく迎えた今日であった。
ヴィータは掃除機を片づけると、冷蔵庫から牛乳を取り出す。それを一気にあおっていくと、「はあぁ~」とため息をついた。
「いや、まあ少し時間が空いてよかったんだけどな。電話越しとはいえ、あんなことして。……ちょっと顔合わせ辛かったし」
一週間前、カイズから電話がかかってきた時のことを思い出すと、恥ずかしさのあまり頬が熱くなる。カイズは特に気にしていなかったが、改めて思い出すとやはり恥ずかしいものは恥ずかしかった。
「でもようやく帰ってくるんだな。あー。…………寂しかったな」
カイズが目の前にいないからか、思わず素面の状態で本音が零れてしまう。そして一度彼のことを思い出すと、ドンドンと寂しさがこみ上げて来てしまった。
「でも紛らわすっていっても、特に何もないしな。――――あっ、そういえばこれは見てもいいんだよな」
ヴィータは本棚に近づくと、いくつかの背表紙を見る。そこに置かれているのは、主にカイズの教導官になるための教則本だ。
だがそれとは違う、色鮮やかな分厚い本をヴィータは引き抜いた。
「そういえば、何だかんだカイズの昔話って聞かせてもらえないんだよな。……別にいいんだよな。普通に置いてあるわけだし」
特に誰かがいるわけではないが、一応言い訳をしておく。ヴィータはカイズのアルバムを胸に抱えると、そのままベッドに腰を下ろした。
「おー、これは中等部の頃の写真か。やっぱり今と比べると、どこか幼い感じがするな。……それに、カイズのお父さん。息子の入学式でもやっぱり怖い目をしてるんだな」
カイズの隣にいるガタイのいい男性は、息子の入学式だというのに眉間にシワを寄せていた。
ヴィータは初めてカイズの父親にあったとき、その顔のせいで相当緊張をしたものだ。
初対面なのに、自分はどうしてこんなに嫌われているのだろうかと、右往左往もしていた。
「嫌われてるか。……まあ半分当たりだったんだから、間違いではないんだろうけどな」
いや、そのことを今思い出しても仕方がないだろう。ヴィータは次のページをめくると、カイズの姿を目で追った。
「これは修学旅行か。ってか、どうして男って木刀とか好きなんだろうな」
カイズのグループはなぜか五人とも木刀を構えており、見えない何かと戦っているかのようなポーズをとっていた。
次のページ、また次のページとめくると文化祭や音楽祭、運動会など様々な写真がアルバムいっぱいに敷き詰められている。
そんな彼のゆったりとした成長を見ていると、ヴィータの中で少し寂しい気持ちが生まれた。
今の人生が悪いわけではない。むしろ愛する家族と愛する人を見つけられたのだ。これ以上の人生はないだろう。
だがもし自分が普通の人間として生まれてきたら。そうしたら、彼と一緒に輝かしい青春を送れたのかもしれない。
彼の時間に自分がいないのが、ヴィータには少し寂しかったのだ。
「まあだからこそ、今はこうやってずっと一緒にいるんだけどな。……まあそれはいいんだ。あたしだって、はやての傍にいられて幸せだったし。でも、だけどなー」
ヴィータは眉をひそめると、次のページ、また次のページへとアルバムをめくっていく。そして。そうしているうちに、段々とイライラが溜まっていった。
「――――ガアアアァァァァァァァァァッ!!」
最後には奇声をあげると、バシンッ! とアルバムを閉じていくのだった。
◇◆◇◆
「終わった、終わった、終わった、終わったあああぁぁぁぁぁっ!」
もうすぐ夕が暮れるという時間帯。カイズは自宅への帰り道を全力で走っていた。
正直慣れない教導で体も心も疲労に満ちている。だがヴィータがどれだけ寂しい想いをしているかは、すでに一週間前に彼女の口から聞いていた。
それに彼自身も、ヴィータに会えなくてすでにどうにかしそうであった。
「これは帰ったらすぐにハグしてもらわないと。……俺のヴィータさん分が、0になりかけてる」
このままヴィータ分が0になれば、自分に待っているのは『死』だ。
それほど熱烈に早くヴィータに会いたかった。
カイズは自分のマンションに帰ってくると、急いで鍵を取り出す。
ガチャガチャとキーを回している時間すら、長く感じる。カイズは扉を開けると、駆け込むように中に入っていった。
「ヴィータさん! ただいま帰りました!!」
靴を乱暴に脱ぎ捨てると、すぐに居間に滑り込んでいく。
カイズはパアァとした笑顔をヴィータに向ける。――――だが、当の本人はどこか不満げな顔をしていた。
「んー、お帰りー」
「えっ、ヴィータさん?」
「どうしたんだー」
「い、いや、えっと。……あれ?」
一週間前のことを考えたら、すぐにでも抱きしめてくれると思っていた。だが当の本人にその気はなく。なぜか不満たらたらな顔で、こちらを見下していた。
「とりあえず上着脱げよ。シワになっちゃうだろうし」
「あっ、はい」
カイズは指定された通り、ハンガーに上着をかける。
何か、何かがおかしかった。この空回り感は、デスイーターを倒し、病院の屋上で落ちあった時と同じ匂いがした。
だが今回自分は何をしてしまったのだろうか。確かに教導中は女性にも教えることがあったが、そんなことで怒るとは到底思えない。
だとしたら、一体何が。
カイズはヴィータに気付かれないように、恐る恐る辺りを見渡してみる。
だがいかがわしい本や映像などは彼女が家に来るようになってから、全て処分したはずだ。なら、何が彼女を。
しかしいくら思い返そうとも、見当がつくこともなく。
カイズはベッドに置かれたアルバムを見ると、わざとらしく弾んだ声をあげた。
「あっ、俺のアルバム見てたんですね。いやー、恥ずかしいな。あの頃は馬鹿丸出しだったんで」
「ふーん。別にそんなことないと思うけどなー」
「でも随分とやんちゃな写真がありましたでしょう。皆で木刀持ったり、海の中飛び込んでいったり」
「別にいいんじゃねえかー。それくらい学生らしいやんちゃだと思うぞー」
「あっ、はは。そ、そうですよねー」
何だろう。お茶を濁そうと思って話題を振ったが、なぜかもっと不機嫌になった気がする。今の会話のどこに不備があったのだろうか。
カイズは額から冷や汗を流す。
ヴィータはそんな彼には目もくれず。ベッドの上で、体育座りをすると自分の膝に顎を乗っけた。
「まあよー。知ってるつもりではいたけど。…………お前は相当いろんな女と付き合ってたんだな」
「ブウウッ! えっ、な、なんですか、それ」
「…………このアルバム。ページをめくるたびに違う女と写っててよー。ほんととっかえひっかえだったんだなーって、感心してたんだよ」
いや、その言い方は絶対に感心はしていないだろう。むしろ副音声で「心底軽蔑したんだよ」と聞こえてしまうほどだ。
カイズ自身が一人暮らしを始めたころ。やはり人と会えないことが寂しかったこともあり、何冊ものアルバムを家から持ってきていた。
その後、奇跡的にヴィータと出会える機会があり、ましてや恋人となり一緒に暮らすことになろうとは、当時は夢にも思っていなかった。
そして彼女と出会ってからはイベント続きの毎日で、さすがにアルバムの中身までを気にしている余裕などカイズにはなかったのだ。
「あ、あのですね。確かにいろんな女子とは映ってますけど、みんな結構交際期間は短かったんですよ」
「まあカイズは随分とモテたみたいだかなー」
「い、いえ、そう言うわけじゃなくて。というか、ヴィータさんだって知ってるでしょう。俺はあの頃本気で医者を目指してて、その、そこまで女性を本気で相手にしてなかったって」
「まあなー」
ヴィータはツーンと口を尖らせると、明後日の方向を向いてしまう。
まずい。これはまずい。正直、アルバムにどれだけ女子と一緒にいた写真があるのかは、本気で覚えていない。
だがこれだけヴィータが拗ねてしまっているのだ。その量はとんでもなかったのだろう。
カイズは背中に冷や汗をダラダラと流し続けると、次の言葉が切り出せないでいた。
「あ、あの、あのですね、ヴィータさん」
「ごめん。ちょっと掃除して汚れたから、着替えてくるな」
「あ、あー、ヴィータさーん」
伸ばした手が虚しく空を掴む。ヴィータは奥の部屋に移動してしまうと、サッとカーテンを引いていった。
「…………やばい。まずったぞ。いや、でもさすがにアルバムは処分できなかったし。でも実家に置いてくるぐらいしておいたほうがよかったのか。でも、しかし、思い出がそれだけじゃないのも事実で。だけどヴィータさんは怒ってる訳だし」
いかがわしい本の時とは違い、どう対処していいのか若干わからなかった。
カイズはヴィータが置いていったアルバムを、パラパラとめくる。そして女子と写っている写真を何枚も見ると、「ハアァー」とため息をついた。
「どれもそれもそんなにいい顔してなんだけどなー。……正直、本当の意味で初恋はヴィータさんだったわけだし」
しかしそうは思っていても、彼女には届いていなかったのだろう。
さて、どうしてものかとカイズは頭を悩ませる。すると、カーテン越しにヴィータが声をかけた。
「正直言うと、ちょっと嫉妬してた。…………ごめん」
「こ、こちらこそすみません。その、聞かすつもりで言ったわけじゃなくて、自然と声に出たといいますか」
「それもわかってる。だけど少し悔しかったんだ。――――どうやったって、カイズと学生時代を送れるわけじゃないし。でもそれがわかってるから、イライラがどうにもできなくなっちまってよ」
「いや、誰だって恋人が異性と一緒にいる姿を見たら嫌な気持ちになりますって。俺だってヴィータさんが他の男と一緒にいたら、その。…………腸煮えくりかえりますね」
そんなことはないはずだが、その状態を考えると自身の体温がサアッと引いていくのを感じた。思っているだけでこれなのだ。
実際に体験したヴィータは、その比ではなかったのだろう。
ヴィータは彼の声色から、状態を察したのだろう。慌てるように言葉を続けた。
「でも過去に戻れるわけでも、戻りたいとも思わねえしよ。だから、その。……ちょっとなのはに借りたんだ」
「えっ、何を借りたんですか?」
どうしてここで、高町なのはの名前が出てくるのだろうか。ヴィータはその答えを見せるように、カーテンを開いていった。
30分後くらいを目標に後編を上げます。