日程:2014年8月31日(日)11:00~16:00
場所:有明・東京ビッグサイト東5・6ホール
いつも私はあの人の側にいた。
あの人が仕事に行くときも。家に帰るときも。ご飯の時だってずっと、ずっとに。
いつもあの人は私に話しかけてくれた。笑いかけたくれた。だからいつでもあの人の近くにいるのがわかった。
だからこそ、本当に遠く。絶対に手が届かない場所にあの人がいることも理解できた。
私が出来ることは、あの人と話し、見ることだけ。
それ以外では、仕事の助けをすることしかできなかった。
どれだけ近くにいても、私はあの人に触れることすらできないのだ。
そんな私にあの人はいつも楽しそうに語りかけてくれた。その日にあった楽しいこと。その日にあった辛いこと。その日にあった悲しいこと。
私はずっと彼の側にいたが、それでも語りかけてくれるのが嬉しかった。私にはその事柄を一緒に体験することはできても、あの人の気持ちはわからないのだから。
時折私は思った。どうして私は今の私としての考えを持ってしまったのだろうかと。
もし私が、もう片側の私だったらこんな考えを持つことはなかっただろう
合理的で最適な判断をする。彼らはそう作られ、必要以上の考えを持たない。
そうすれば、私はこんな叶わない気持ちを持つこともなかったのだろう。
あの人はとても寡黙な人だった。必要以上のことは話さず、よく他人から誤解を受けることがある。
だけど私と話すときは口数が多かった。
それは私が周りとは違うからか。それとも……?
私は、私の気持ちを口にすることができなかった。
それは拒絶される怖さからではない。むしろこの気持ちを否定してくれるのなら、私は昔の私に戻ることができるのだから。
だけどもし、あの人が私の気持ちを受け止めてしまったら。彼はどれだけの批判と罵声を受けることになるのだろうか。
彼をそんな目にあわせたくなかった。私の想いを受け止めると言うことは。彼と一緒になると言うことは。
彼を孤独にしてしまうのだから。
どうして私はこんな形で生まれてしまったのだろうか。
どうして私はこんな感情を持ってしまったのだろうか。
私、私は…………。
急遽召集のかかったあの人は、私を手に取り現場まで向かった。探索中のロストロギアの回収班が、守護獣に襲われ大怪我を負ったようだ。
あの人は私を振りかざすと次々と治療を始めていった。
まだ多くの局員が戦闘を継続している。
その奥にある宝玉は柔らかな光を放っていた。
同じ無機物でありながら、私にはない温かさを持ったそれを見ると、私はそれを羨望のまなざしで覗いていた。
私はその光に手を伸ばす。伸ばす手などあるはずもないのに、それでも必死にその手を伸ばした。
そしてその光もまた、私の想いに応えたのだ。
一際大きな光が奥からあがる。その瞬間、私の体は地面に落とされた。
いったい何があったのだろうか。あの人が私をこんなに乱雑に扱ったのは初めてだった。
だがそれも仕方がなかったのだ。あの光があがった瞬間、私は片手で持ち上げられる大きさではなくなってしまったのだから。
あの人と周りにいた局員が驚いたような目で私を見た。
あの人は目を見開いたまま、その手を伸ばす。私は差し出された手に、自身の手を重ねた。
手を重ねる。そんな人間同士では当たり前の行動に、私は驚きを隠せなかった。
だって私に手が伸ばせるはずがないのだ。
私は。私はただの『インテリジェンスデバイス』なのだから。
診断の結果、私の体は人間のものと全く変わらないものに変質していた。
いつもの整備とは違う。外から見ているだけだった、人間の検査が終わると私とあの人は呼び出しを受けた。
だが今回のことであの人が怒られることはなかった。ロストロギアの暴走。それ故の事故としてこの件は片づけられた。
歩くという行為を知らなかった私は、なかなかうまく立ち回ることができなかった。
だけどあの人はそんな私を気遣ってくれた。私にはそれが心の底から嬉しかった。
心の底から。そうなのだ。この胸に宿る温かな想いは、プログラムではない。私は、私はあの人と同じ人間になったのだ。
人間になってからは、覚えることがたくさんあった。
人間は食事をしなければいけない。
人間は睡眠をとらなければいけない。
人間は排泄をしなければいけない。
今まで情報として理解していたことを、なかなか行動に起こすことができず、あの人にはたくさん迷惑をかけた。
だけど私が謝る度にあの人は嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。そんなあの人の顔を見ると、私も自然と笑いかけていた。
私たちは二人で生活をするために、独身寮から出てアパートを借りた。
部屋は狭かったけど、私は幸せだった。むしろあの人を近くに感じられるこの部屋のほうが嬉しかったくらいだ。
もう私はあの人と一緒に現場に向かうことは出来ない。
いつも一緒にいた私たちは、私が人間となることで離れることが多くなってしまった。
だけど寂しくはなかった。私がデバイスだったとき、あの人はいつもすぐ側にいた。だけど今よりずっと遠くに感じていたから。
でも今は違う。たとえ体が離れていようとも、心はいつもあの人の側にいたから。
そんな生活が一年ほど続いただろうか。あの人は私を食事に連れ出すと、指輪とともにプロポーズをしてくれた。
嬉しかった。あの人と一緒になれることが。
神に感謝した。私に指輪をはめることの出来る指を与えてくれたことに。
結婚式は誰にも祝福されることもなく二人だけで行われた。
あの人に友達が少ないこともあったが、私が元デバイスということが一番の原因だろう。
人間同士でない婚約に世間はあまり寛容ではなかった。
だけど私は幸せだった。そして彼もまた幸せだったと思う。
私はその日のことを決して忘れなかった。
私が消えてしまうその日までは。
私が体調を崩し始めたのは結婚して半年後のことだ。
突然体が重くなるのを感じると、呼吸をするのが苦痛となっていた。
その時はあの人にすぐに病院につれていってもらい、事なきを得た。だが同時に私は、私の体で起きている異変に気づかされたのだ。
『体の一部の臓器が機械に変質している』
そんな病状は聞いたことがない。だが抜き出された部品を見ると、私はその症状の理由に気づいてしまった。
それは私がデバイスだったとき、駆動系として使われていた部品の一部だった。
まるで、止まっていた時が動き出したかのように、私の体はデバイスへと戻り始めていたのだ。
その事実に私は膝を崩した。
私は。あの人は。そしてお腹の中にいるこの子はいったいどうなってしまうのか。
私はその場で泣き崩れる。そして、あの人が管理局をやめたのはそのすぐ後のことだった。
あの人の実家は、大病院だった。あの人はあまり家族のことは話してくれず、病院の息子だったこともここに来るまで知らなかった。
朦朧とする意識の中、あの人が父親に怒られている姿だけはよく覚えていた。
『今更よくのこのこうちの敷居をまたげたな』
『だからそんな化け物との結婚は反対だったんだ』
そんな罵声を浴びても、あの人は怒ることはなかった。私を救うには、今は大きな施設が必要だったから。
だからいくら私が貶されても、あの人は下唇を噛みしめ耐え抜いたのだ。
多くの人を救いたく、時空管理局の前線医療をしたいとあの人は家を飛び出した。だからこそ、あの人の医療知識は元から高水準だった。
あの人が名医と呼ばれるまで時間はそこまでかからなかったと思う。
あの人の父親もまた、そんな息子の姿が嬉しかったのだろう。私のことは毛嫌いしていたが、息子の姿に誇りに思っていたようだ。
だけど私は何も変わらなかった。変われなかったのだ。
あの人は医術、魔術各方面から様々な治療法を試してくれた。だが私の機械化は収まることはなく。
不意にやってくるその現象に、私はいつも怯えていた。もし次の瞬間、私の脳が機械と化したら。
もし次の瞬間、私の心臓が機械と化したら。
私はもう私でいられなくなるだろう。
ただ唯一安心だったことは、体の機械化にお腹の子は一切干渉されてないことだ。
だから私は神に願った。この子が生まれるまで。どうかその時までと。
そしてその時がやってきた。私はもう自分で歩くことも、自分で考えることもほとんど出来なくなってしまっていた。
あの人は何度も何度も私のことを気にかけてくれた。もし私が頷いてくれるなら、あの人は私のお腹の中の子供を……。
だけど私はそれに頷かなかった。
でも、だからこそ、私はあの人に確かなものを残してあげたかったから。
だからこのままでいいと。
恐怖に怯え、絶望に押し潰されそうになりそうながら、私はようやくその日を迎えることができた。
その頃にはもう私は何も考えられずにいた。ただそれでも脳裏にはあの人の顔がしっかりと焼き付いていた。
出産が始まると、いくつもの機械が床に散らばる音がする。
もう私の中はこんなにも元の私に戻りつつあったのだ。
そして手術室から産声があがった。
元気な男の子だ。よく頑張ったな。
我が子を抱き上げると、あの人は赤ちゃんの顔を私に見せてくれた。
それだけで私は満足だった。だからもう大丈夫だった。
私はあの人に大切なものをたくさんもらったから。
だからもう。
あの人は涙を流しながら、何かを叫んでいた。
そんなに悲しい顔をしないでください。私は幸せでした。
だから。だから、笑って。
私、私は…………。
◆◇◆◇
「――――――はっ!?」
弾かれるようにヴィータはその場から立ち上がる。
今みた映像はいったいなんなのか。突然のことに、頭の理解が追いつかなかった。
「な、何だいまの。何なんだ、あの悲しい記憶は……」
少なくともこれは自分のものではない。ならこの記憶は。
ヴィータは足下にある小さなお墓を見る。だがどうしたことだろうか。目の前にあるはずのお墓が、靄がかかったように薄らいでいく。
「あれ、どうしたんだろう。目が疲れてるのか」
何度か目をこすると、もう一度足元を見る。目を大きく見開いたからか、今度はハッキリとお墓が見えた。
「これは、あんたの記憶なのか。……ユウヒさん?」
だがそう問いかけたところで、墓石が何かを語ることはない。ヴィータはあたりを見渡すと、近くにいる老婆の元へと駆け寄った。
「す、すみません。少し聞きたいことがあるんですけど」
「どうしたんだいお嬢ちゃん?」
「あそこにある、小さなお墓って何なんですか?」
「お墓? んん~??」
老婆は目を細めると、ヴィータの指さした方を見る。だが老婆はゆっくりと首を横に振った。
「ごめんね。もう年だからか、私にゃあ花しか見えないよ」
「えっ、あっ、す、すみませんでした」
ヴィータは頭を下げると、その場から離れていく。さすがに老婆をむやみに歩かせるわけには行かないし、老眼を指摘するのもどうかと思った。
ヴィータは反対方向まで歩いていくと、花に水をあげているナースに話しかけた。
「すみません。ちょっとお聞きしたいんですけど」
「どうしたのかな。お母さんとはぐれちゃったの?」
「そ、そうじゃなくて。えっと、あそこにあるお墓っていつ頃からあるんですか。あと、どうしてこんなところにあるんでしょうか」
「お墓。お墓って?」
「えっ、あの花の中にある小さなお墓です。ほら、ユウヒって書かれてるすぐ足下の」
ヴィータがそう言って指を指すと、ナースはその方向に目を向ける。指さしたわずか10cm先にそれはあった。
だがナースは首を傾げると、申し訳なさそうに口を開く。
「ごめんね。もう私は大人だから、そういうのは見えなくなったみたいなの」
「大人になると見えなくなるんですか!」
いや、それだとしたら自分にも見えないのではないだろうか。ヴィータはそう思うと、ナースはくすりと笑みを浮かべた。
「私も昔は憧れてたなー。妖精とかそういうのが見えるのに」
「…………えっ?」
「君のそういう純粋な気持ちがなくならないのを私も祈ってるね。それじゃあお姉ちゃんは仕事に戻るね」
「あっ、はい…………」
どうやら不思議ちゃんと勘違いされてしまったようだ。いっそ免許証をだして、『貴方より年上ですよ』と言いたい気分だったが、そんなことをしている場合ではなかった。
「ん、あれ……?」
ヴィータは再び足下のお墓に目を向ける。だがどうしたことだろうか。そのお墓はうっすらとし、消えかかっているように見えた。
「ぐっ、この」
ヴィータは魔力を目元に集中する。すると、そのお墓は再び姿を現した。
(これは、めちゃくちゃ高度な幻術がかけられてるんだ。だからあたし以外に誰も見えてないんだ)
知っての通りヴィータは魔力値が高い方だ。だがその彼女においても、これだけ魔力を集中し、そこにお墓があるということを実際見て確信していなければ再び見ることが叶わなかっただろう。
細かい魔力操作に慣れていないヴィータは、一度力を抜く。そしてそのまま木陰にあるベンチへと移動した。
ちょうど花畑から死角になっているこの場所は、その場所を忘れないようにしつつ、目を休めるにはぴったりの休憩所だった。
「…………どうしてあたしにはあれを見ることができたんだ。あの頭痛がなかったら、きっと気づくことすらできなかったはずだ」
だが結果として、自分はあのお墓に気づいた。そしてある女性の悲しい記憶を見せられた。
彼女の悲痛を想うと胸が痛かった。もともとデバイスだった彼女は、人間に恋をし、そして人間と結ばれた。
だがその代償に待っていたものは、変えようのない未来だった。
生まれ方は違えど、ロストロギアから生み出された存在。彼女はどこか自分に似ているような気がした。
ヴィータはベンチの背もたれ越しに、後ろの花壇をみる。相変わらず存在自体が希薄だが、それは確かにそこにあった。
「いったい、彼女はあたしに何を。…………って、やばっ!」
ヴィータはすぐに頭をひっこめると、全力でベンチに身を隠す。こんな頭が混乱した状態で、会話などできるはずがない。
(ど、どうしてこんなところにジュウゾウさんがいるんだよ)
ジュウゾウは相変わらず無表情な顔で、中庭を歩いている。その足はまっすぐにこちらに向かってくるのだった。