親友である彼女たちはどうやって知り合ったのか、萃香は夢の中でそれを思い出す。
これは孤独だった彼女と正直な彼女の誰も知らない出会いのお話。
満月は既に沈みかけ、人の時間を示す光が東の空から登り始める頃、博麗神社の片隅で伊吹萃香は夢を見ていた。宴会があったわけでもないが、珍しく八雲紫が夜にやって来て、二人で博麗霊夢と飲んでいたのだ。霊夢からは嫌な顔を隠そうともされなかったが、妖怪は元々忌避されるものであれ受け入れられるものではないと、二人とも特に堪えた様子もなく、一人の人間を飲み潰し、二人で古い話をしながら飲み明かし、日が昇るからと八雲紫が帰り、一人になった小さな百鬼夜行は自慢の瓢箪を抱えて眠りについたのだ。
*
彼女が見たのは懐かしき光景。鬼である彼女にとっても昔と言える程の過去、八雲紫と出会った時の話。誰も知らない二人だけの話。未だ幻想郷という物が存在せず、妖怪が夜の闇を闊歩していた時代。酒呑童子と呼ばれ、鬼を統べていた彼女は、力を持たぬ人間に敗れ、住処の山を追われていた。追われていた、という言い方は正確ではない。彼女は、非力な人間達の智勇に敬意を評して、自分達がこのまま野垂れ死にしてもいいと思っていた。それがどういう訳か生き残ってしまったのである。騙し討ちされたことに怨みはない。自らの力量も弁えず真正面から挑んでくる阿呆よりは余程好感が持てる。それならば、何故彼女が生き残ってしまったのか、否、
「あんた、何者なんだい」
満足出来る死に様を邪魔されて彼女は苛立っていた。知らない相手ではあるが、彼女はその女が自分を見たこともない土地にまで連れてきたことを理解していた。黄金の髪を手で梳いて、妖艶に微笑んで彼女は言う。
「ただの妖怪ですわ。名前はありませんので、今は
殺気を放つ鬼が相手でも一歩も気圧されない。紫は扇で口元を隠して嗤う。今日を騒がせた鬼の大将も、自分の前では稚児変わりないとでも言うかのように。
ただの妖怪と名乗ってこそいるが、彼女の放つ妖力は下手な鬼よりも遥かに膨大だ。いや、単純な量だけで言えば萃香をも凌駕しているだろう。
切った口から流れ出る血を吐き捨てた。紫の意識が僅かにそちら向いた隙に、萃香は大地を踏みしめ、五歩はかかる距離を一瞬で詰める。突き出された拳は、直前で首を捻った紫の顔のすぐ隣を通り過ぎる。陶磁器のように綺麗な白い肌から血が流れでているのは、音にも届く速さに回避が遅れたからだ。
「気に入らないね、その態度」
命の危険がすぐそこにあったにも関わらず、紫は表情を変えない。しかし、彼女の目だけが変化したのを萃香は見逃さなかった。それは、危機に対する恐怖ではなかった。自分の思い通りに相手が動かないという苛立ち。自分の方が格上であると考えている者の侮蔑を込めた視線。殆ど野放しにしていたとはいえ、数十の鬼を従えていた彼女の自尊心を傷つけるには十分だった。
「何のつもりかしら」
「それはこっちの台詞だよ。人様の邪魔するとはどういう了見なのさ」
予備動作も無しに力だけで蹴り上げる。人の身なら重みもない一撃だが、鬼の身でやればそれだけで胴体を二つに割れる太刀となる。速度も十分、意識の外から放たれた一撃は防御する暇も与えられずに腹部に直撃し、紫の体がくの字に折れ曲がって吹き飛び、木々をなぎ倒してようやく止まる。土埃で視界は煙り、追撃をするのは愚策だと判断して萃香は立ち止まったまま相手の出方を伺う。起き上がる様子はない。所詮はこの程度か、萃香が吐き捨てた。
「力もないのに偉ぶってんじゃないよ」
「なら、力を示せばいいのかしら」
倒した筈の紫の声、萃香の勘は声がした方を向くことすら許さず、即座に大地を蹴って横へ飛ぶ。上からそこにたたき落とされたのは見たこともない鉄の塊。声の主を探していれば間に合わず、質量に潰されていただろう。全快ならばなんて事もないが、人間と争い傷ついた今では十分な驚異であっただろう。いったいどうやって、萃香が見上げると、蹴り飛ばされた腹部を押さえ、血反吐を吐きながらも堂々と宙に浮かぶ紫の姿があった。見た目こそ痛々しいが、萃香も負けず劣らず体を血に汚している。
一瞬の静寂、お互いの目には既に相手を見下す意志はない。自らの蹴りを受けて立ち上がる妖怪を、一撃でこれほどの威力を持つ鬼を、全力を持ってねじ伏せなければならない、対等に扱うべき相手であることを理解していた。
紫が扇子を振り上げた彼女の背後には陣が浮かび上がり、妖力の塊がそこから萃香目掛けて幾つも放たれる。地面を走って萃香はそれを避け、足だけで木を登って紫の居る高みまで飛び上がる。魔弾を踏みつけ、手が焼けることも厭わず掴み、空中を器用に動いて紫の元へ迫る。最後の一歩、紫に拳が届く直前で無数の目が萃香を取り囲んだ。目眩ましか、目玉ごと萃香は振り抜く。その感触は肉体の柔らかいものではなく、固い地面のものだった。鬼の全力に大地がひび割れる。俄には信じ難い光景に紫はもしあの拳が自分に当たっていたら、想像しただけで冷や汗が背中を伝う。萃香も、如何にして自分の向きを変えたのか困惑していた。恐らくは、先程の目玉が神隠しのごとく何処かへ連れ去ってしまうのだろう。だったら、目玉に感知されなければいい。滅多に使うことのなかった能力だが、相手があの妖怪ならば不足はない。萃香は勝つために手段を選ぼうとはしなかった。
萃香の姿が薄れていく。
「・・・・・・四重結界」
順調であった筈の萃香の動きが止まる。霧になった体はむりやりに戻され、両手両足を宙に縛られる。
「くそっ! なんだこれは」
「貴女の動きを封じる結界ですわ。これならば鬼の力でも容易く打ち破れない」
勝利を確信した紫が萃香と同じ高さまで降りてくる。距離を取り、仮に破られても対応にできるようにはしているが、明らかに安堵の笑みを浮かべている。
「私の勝ちですわね」
「・・・・・・そりゃまだ分かんないでしょ」
身動きの取れない萃香の目にはまだ戦意が残っている。四重結界を打ち破る算段があるのか、そう判断した紫は息の根を止めるためにありったけの妖力を込めた魔弾を練る。生かしておきたかったが、このままでは自分の命が危ない。苦渋の判断だった。だからこそ、命を奪われるはずの萃香が笑ったことに気付けなかった。
「きゃっ!?」
死角になっていた背中から誰かに殴られて、紫は体勢を崩す。振り返れば、そこに居たのは本体よりも小さな鬼の姿。萃香の能力で作られた分体。それだけでは紫に遠く及ばないが、紫は萃香の狙いに気付いて焦りを持って本体に視線を戻す。目と鼻の先に彼女は居た。目いっぱいに力を込めた拳が準備を終えている。予想外の攻撃に意識が逸れた瞬間、力任せに拘束を振りほどいたのだ。
萃香の拳が紫の体を打ち据えるのと、練り上げた魔弾が萃香を吹き飛ばすのはほぼ同時だった。普通ならどちらも死んでいただろう。しかし、同時であったために威力を完全に伝え切ることが出来ず、指一本動かせない状態になりながらも二人とも生きていた。
殺しきれなかった。それだけは分かった。相手はまだ動けるかもしれない。自分の命の終わりを感じながら萃香は目を閉じた。これも悪くは無いと感じた。
再び萃香が目を覚ましたのは、日の光を感じてだった。鬼としての驚異の回復力が体を動かせるまで治している。全身の痛みを感じながら立ち上がった彼女は自分のすぐ近くでまだ倒れている紫の姿を見つけた。どうやら自分ほどの回復力は持っていないらしい。今なら簡単に殺せるだろう。しかし萃香はそれをしなかった。強者には敬意を、紫を自分と並び立つものだと認めた彼女に殺すという選択肢はもはやなかった。覚めてしまった酔いを取り戻そうとして、伊吹瓢を連れてこられる時になくしてしまったことも思い出す。
仕方ない、目が覚めたら紫に酒を頼もう。昨晩まで殺し合っていたこともなかったことにして、萃香は新しく認めた友人にする頼みごとのことを考えていた。
「殺さないのかしら」
萃香と同じ頃に目が覚めていたのだろう、紫は動くほどの力はないにせよ、意識ははっきりとしていたらしい。
「鬼の勝負で言えば引き分けだね。動けない相手を一方的にいたぶるのは趣味じゃない」
「貴女を倒した人間は同じことをしたのに?」
「弱き者が強き者に立ち向かうためには当然の手段だわ。でも、互角の相手の寝首を掻くなんて鬼の名が廃るね」
紫は黙る。生かされた、というわけではないことを悟ったからだ。彼女の中では勝負自体がついてしまったのだ。萃香がそんな紫の様子を見て笑う。
「だからさ、お酒持ってきてくれないかな。
「その名前は」
「名前を持っていないって言ってたでしょ? だから
紫にとっては初めての経験だった。強い妖怪であったせいで常に孤独だった彼女の眦に涙が浮かぶ。萃香を助けたのは気まぐれだったが、もしかしたら本当は共に話せる相手が欲しかったのかもしれない。そうだとするならば、彼女の目論見が最上の結果をもたらしたと言えるだろう。
「ええ、よろしくね。萃香」
これは萃香と紫の出会いのお話。この後に紫が萃香の我侭に付き合わされたり、いつしか八雲の姓を名乗るようになったり、新しい亡霊の友人も含めて騒ぐこともあった。そして話は幻想郷にまで続くことになるのだが、それはまた別の話。
連載中の方で戦闘シーンが書けないからむしゃくしゃして書いた。稚拙な文才に反省はしているが後悔はしていない。
あ、良かったら連載している方もどうぞ。