[完結]Home is the sailor, home from the sea.   作:Гарри

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陽は沈めどもまた昇る
だが短い光が失せた後
我らは終わらぬ夜を眠るのだ

──カトゥルス※52



「第二艦隊」-1

 退院の後、真っ先に僕は手紙を書いた。本当は病院で書こうと思っていたのだけれども、どうにもその気になれなかったのだ。気に入るような便箋がないから、とか、適当に理由をつけて先延ばしにしていた。しかし、大井から「北上さんの手紙に返事を出さないとはどういうことでしょうか?」という内容の速達便が届いて、僕は自分の身の安全を守る為にも腰を上げねばならぬと決断したのだった。民間にも知れ渡っている大井の北上に対する傾倒、それについての話は、その直接的な干渉をこの身に受けるまでは言いすぎだろうとしか思っていなかったが、中々どうして、噂や世間の評判というものも正確な事実を伝えることがあるものである。

 

 しかし、何を書けばいい? 僕はほとほと困り果ててしまった。ここのところあったことは、どれも手紙には書けないようなことばかりだ。かといって、ありもしなかったことを書くのは許せない。また僕はそもそも嘘偽りが下手だから、女の子特有の勘のよさを備えている彼女たちに掛かれば、たちまち看破されてしまうだろう。そうすれば僕は「友達への手紙に嘘を書くような奴」ということになってしまう。その悪評を振り払うには、莫大な労力と献身を必要とする。時には一生掛かったって、拭い去れない汚れになって残るだろう。結局悩んだ末に、また数人の艦娘と知り合ったということを書いた。武蔵と電のことだ。それは嘘ではなかった。ただ、彼女たちがどんな艦娘だったかということまでは書かなかった。自分の信念と実際的な要求を両方満ち足らせしめるには、そうでもしなければならなかった。これでも罪悪感を抱かずにはいられなかったのだ。

 

 武蔵のことを書くには苦労した。誰も、僕が誰を嫌っているかなどということを知りたがりはしないだろう。それよりもむしろ、僕が誰を好んでいるかの話の方が気に入る筈だ。ポジティブな話はみんな大好きだからだ。僕自身、愚痴や嫌いなものの話ばかりをするような人よりも、何が好きかとか、自分が今何に対して夢中になっているのかを話してくれる人の方に好感を持つ。その時の彼もしくは彼女は心から溢れる光に輝いているし、かくのごとき人々の喜びに満ちた声色、熱の入った表情、抑えきれない情熱が身振り手振りに表れるさまは、その人々の愛するところのものに対してそれまで何ら感ずることのなかった僕にさえ、それが実はひどく魅力的で、世に二つとない素晴らしいものであるかのように思わせてくれるからだ。そして、それが好きな人の話(恋愛的な意味ではなくてもだ)になった時には、世に二つとないという部分はまさに文字通りの意味を持つようになるのだ。一体、これ以上、人の心を深く充足させるような話題があるだろうか?

 

 苦労はあったが、真剣に試みればそれなりの結果を得ることができるものだ。僕はどうにか武蔵への悪感情を差し挟まないで、彼女を叙述するという偉業を成し遂げた。上手い具合に書き上げられたとは思わないが、僕みたいに文才のない人間がやってのけたということに意味があるのだ。電のことは武蔵に比べると遥かに楽だった。彼女は僕のことを探りに来た融和派の一員で、これは推測どころか憶測と呼ばれるものだが、赤城に「僕の顔を見ると無性にイライラする」という情報を与えた人物でもあるだろう。パフェを食べなかったのも、きっとその辺が理由なのだ。彼女は、ムカつく相手からパフェなんかおごって貰っても、一さじだって食べたいとは思えなかったのだ。僕は病院のベッドでそのことに気づいた時、傷つくよりも先に、悪いことしたな、とまた思った。電に関する記述の中では、彼女が語ってくれた嘘か本当か分からない家族や艦隊の仲間たちの話をほぼそのまま書き写し、戦争という状況下でもこのように逞しく家族愛や同胞愛が根付き、芽生え、咲き誇っていることは大変に心強いことである、というようなことを記した。検閲担当官へのお世辞みたいなものだ。彼らの機嫌を取っておいて、悪いことはない。

 

 武蔵。今、彼女は何をしているのだろうか。僕は彼女のことが好きじゃなかった。それは確かだ。今でも彼女の言ったことを思い出して、気が滅入ることがある。だが何処か、そう、心の何処かに、彼女の謎めいたところが引っかかっているのだ。僕を班に引き込もうとしたことも、その理由が「班にではなく、彼女個人に僕が必要だから」というのも、武蔵を理解し、心置きなく嫌おうとする僕の空しい試みを阻んだ。だから、僕は余計に彼女を思い、理解したくなって、勝手に落ち込み、不快な気分になるのだ。

 

 あれから何度か、彼女と一緒に食事をした店に行った。うまいサンドイッチ、うまいワイン、マズいジェラートを出すあの店だ。当たり前だが、彼女の姿を見つけることはできなかった。それでも気が向くと、僕は外出許可を取ってふらりとそこに足を運んだ。そうせずにはいられなかった。隼鷹を連れて行ったこともある。そうすれば、あの数日の間に武蔵との間に起こった様々なことの一つを、新しい記憶で上書きできるのではないかと思えたのだ。あるいは武蔵がやって来て、あの挑戦的な笑いと共に何か失礼なことを言い出してくれるんじゃないか、と。けど、そう上手くは行かなかった。隼鷹も店を気に入ってくれたのだけが収穫だった。おいしいものを食べている時の彼女の顔は、一時間だって眺めていられる。彼女ほど感情のはっきり表れる艦娘は少ない。僕は隼鷹の顔が口舌の至福によって燦然ときらめくのを見ると、いつでも救われたような気持ちになるのだ。

 

 彼女の笑顔がなければ、病院から出た後、提督の意向で第二艦隊への出向を命じられた僕はストレスで擦り切れていたと思う。妙高さんと入れ替わる形で第二艦隊勤務となった僕は、恐らく四面楚歌の四字が日本一似合う少年だった。長門を旗艦として、二番艦に加賀、以下足柄、羽黒、川内と続く現第二艦隊は、どの艦娘も僕のことをよく思っていなかった。転属初日に加賀の一睨みを受けた時の恐怖は忘れない。これまでにも何度か交代要員として、負傷を治療している第二艦隊所属艦娘一人の代わりに出撃したことはあった。だがその時には当時の艦隊の二番艦だった妙高さんがいて、彼女が僕のことをしっかりとフォローしてくれていたのだ。長門が妙高さんの助言を非常に重んじていたことも、その時はいい方向に作用した。今はその逆だが、それは妙高さんのせいじゃない。

 

 一度海に出れば、頼れるのは同じ艦隊の仲間たちだけだ。妙高さんは、全力で頼ることのできる稀有な才を持つ艦娘だった。そこに半人前の僕が収まったのだから、艦隊のみなの気持ちも何となく理解できるのだ。

 

 提督に相談したことで諦めか何かを得たのか、長門が僕に直接文句を言ってきたりすることはなかった。かつて曙が僕に放って来たようなキックもなかった。代わりに、僕は艦隊の誰にも相手にして貰えなかった。無視ではない。僕が敵を発見し、報告すれば彼女たちはそれに反応する。質問すれば返事が返ってくる。が、その中には戦友同士が通常持つような友情が存在しなかった。事務的なものだったのだ。この辛さは経験者にしか分からないだろう。当初は次の日が来るのを本気で嫌がっていたが、一週間で慣れた。切り替えることだ。スイッチを入れたり、切るみたいに、第二艦隊で出撃している時の自分とそれ以外の時の自分で分けるのだ。そうすれば、平和を手に入れることができる。彼女たちから受け入れて貰えない悲しみで、見るべきものを見ないままにしてしまうこともない。

 

 例えば、加賀の機動は見事なものだ。空母という小回りの利かない艦種でありながら、最大限に艤装の機関性能を発揮して敵の攻撃を避ける。川内の雷撃の勘も凄い。あたかも敵が自分から当たりに行くみたいに見えるほど、彼女は先読みが上手いのだ。演習で僕が彼女の相手をさせられた時には、何処に逃げても最低一本は僕目指して進んでくる魚雷がいる、という悪夢のような状況に叩き込まれた。僕は二人までにはなれずとも、そこから何かを学ぶことができる筈だった。魚雷の撃ち方、最適化された機動、どちらも重巡にとって重要な技術だ。

 

 なので、僕は艦隊員たちの不興を買う覚悟をして、戦闘中に余裕がある時はいつも他の艦の戦いぶりに気を払うことにしていた。それに次いで、彼女たちの有能さが戦闘中にだけ現れるものではないということに気づくと、単なる移動中にも得るべき何かを探そうと躍起になった。無論、自分の仕事をおろそかにはしていない。水上機によって偵察や警戒の手伝いを行い、戦闘においては砲撃支援や撃ち漏らしの処理に徹した。妙高さんならそんな仕事、片手間にでも済ませて長門や足柄などと肩を並べて戦うのだろうが、悲しいことに僕にはそこまでの能力がなかった。

 

 それでも一つだけ彼女たちに比肩するものがあるとすれば、それは砲撃の精密性だ。これだけは、長門も渋々だが認めてくれた。僕は僕の射程距離内では、誰よりも高い命中精度で砲撃をすることができた。何もかも、砲撃の仕方を教えてくれた那智教官のお陰だ。僕と他の艦娘の砲撃に違いは少ないが、その小さな違いが命中率に大きな差を与えるのである。ここのところ第二艦隊が“サーカス”艦隊として働くことはなかったが、もしその仕事が入ったとしても、地味で微力な前座役なら手伝えることは請け合いだった。安全な近海や湾内で訓練用標的を相手に曲芸撃ちをするのは、戦場でまともに撃ち合うよりも気分的に楽だ。標的は撃ってこないからな。この逆を言う奴は、戦闘に出たことがないんだろう。是非、今の僕の立場に立たせてやりたかった。つまり、戦場にだ。

 

 全速で蛇行する僕のすぐ横に着弾し、水飛沫が掛かる。敵の軽巡が僕に狙いをつけようとしているのだ。でもそれよりも早く、僕がその深海棲艦を撃ち抜く。沈んでいく化け物を尻目にして、僕は加賀の位置を確かめる。悪くないところにいた。落ち着いているようだ。ほっとする。彼女は強い。航空攻撃だけでなく、通常の対人用の矢をつがえた弓で深海棲艦を仕留めるのを、これまでに何度か見た。弓を使わずとも、僕の防御を抜けて彼女に肉薄した駆逐へと、彼女は手に持った矢を突き立ててやったものだ。メンタル的な強さで言えば、現在の第二艦隊随一かもしれない。が、あくまで彼女は空母だ。僕に小物狩りという役目があるように、彼女にも本来の役目というものがあり、そこには弓での交戦は含まれていない。だというのに驚くほどしばしば彼女は前に出て、直接戦いたがるのだ。航空機を放ったら後は妖精航空隊任せ、というのが嫌なのだという。言うまでもなく、空母の戦闘とはそういうものだ。それを責めるような艦娘は存在しない。でも、彼女自身には我慢できなかったのだろう。

 

 加賀は弓を目一杯引き、さすまた状の黒い矢じりがついた矢を放った。放たれた先には川内と交戦する重巡リ級の姿があった。直撃はしなかったが、剃刀のように鋭い矢じりはリ級の足をざっくりと切り開いてから海に落ちた。深海棲艦にも筋肉があり、腱がある。そこをやられては立つことさえ難しい。まして、戦闘などできない。川内は加賀と一緒に、間もなくリ級を片付けてしまうだろう。二人のことは心配しないでいい。僕は戦場に標的を探す。並行して、長門、足柄、羽黒の様子を調べる。彼女たちはル級二人と重雷装巡洋艦チ級一人を相手に戦っていた。砲撃戦は長門足柄の二人とル級たちが、雷撃では羽黒とチ級が張り合っている。そのままにしておこうとして、数が合わないことに気づいた。今回の戦闘では、冒頭の航空攻撃で敵を一隻も沈められなかったのだ。砲戦に突入後、僕は軽巡を一隻沈めた。加賀と川内がリ級を始末するだろう。長門たちは三隻の深海棲艦と戦闘中だ。残りの一隻は何処にいる? もう沈められたのか?

 

 違う、奴は、赤い目のリ級は艦隊の要である加賀を狙っていた。長門と加賀の二本の柱あってこそ、第二艦隊の磐石が保障される。それを崩すなら、装甲の薄い加賀から狙うのが効率的だ。彼女に狙いが向くのは至極当然な成り行きだった。撃とうとするが、射線上に加賀がいる。同士討ちになってしまう。警告のメッセージを入れる。加賀が気づき、身をよじって敵の方を見る。砲撃準備を完了している。咄嗟に伏せろと叫ぶ。声が届いたのか、彼女は身を海へと投げ出した。全力で射撃を行う。あちらも咄嗟に照準を僕に合わせたようだ。周囲に砲弾が落ち、一発が僕の艤装に直撃した。被弾は初めてのことじゃない。転倒は避けられた。だが爆発の熱が僕を焼き、脇腹が火でもついたように熱くなる。それでも前に進む。加賀が海に沈みそうになっているからだ。リ級もこちらに突進してくる。チキンレースと行こう。相互に撃ち合いながら、互いを目指して進む。行きがけに海から突き出された加賀の手を取り、渾身の力で海上へと引っ張り上げた。怪我がないか確認してやりたかったが、それは目の前の敵を片付けてからだ。

 

 右に左に少しずつ振れながら、リ級へと近づいていく。彼女に怯える様子はない。僕が荒廃した気分であることを考えると、敵の豪胆さが羨ましく思われた。その気質ごと吹き飛ばしてやる為に、発砲する。やった、腕を一本もぎ取った──だが僕への直撃ルートを進んでくる砲弾が目に入った。腰を捻り、艤装で受ける。それで間に合ったところを見ると、僕は砲弾が発射される前に砲の仰角その他から、敵の狙いを読み取り、砲弾の目視に先んじて行動したに違いなかった。戦闘の緊張は、時に人間が実力以上の力を発揮できるようにしてくれるのだ。中破状態ではあったが、戦闘は継続できる。生き残っている砲で、リ級の足元を狙う。直接狙えば、外れた時には標的の背後に着弾する。足元を狙えば、外れても前や、横に着弾する。その差は大きい。標的は「自分が狙われている」ということを強く意識してしまう。その精神的効果を狙うのだ。彼女たちに知性があるなら、精神もまたある筈だ。

 

 果たして、リ級は横に大きく回避運動を取ろうとした。それが狙いだった。僕が前もって放っておいた魚雷が、隊伍を成して彼女を待ち構えていたのだ。これぞ僕が非才の身で川内の読みを再現しようとした結果生まれた技術だった。何度も真似をしようとして失敗した僕は、考えを変えたのだ。敵の動きが読めないなら、せめてそれを制限し、読みが当たりやすくしてやれと。この技術は特に、人間型深海棲艦に有効だった。駆逐や軽巡などの非人間型は、精神的効果を与えられるほどの知性がないからだろう。

 

 魚雷の中に突っ込んだリ級は、爆発で吹き飛ばされた。膝から先がなくなっている。そのまま、海面にべしゃりと落ちた。よし、次に取り掛かろう。そう思っていると、矢の風切り音が耳に響いた。僕から遠くないところを通り抜けて行ったそれは、沈みかけながらも一門だけ残った砲を僕に向けて発射しようとしていた、リ級の頭に突き刺さった。加賀の方を向く。彼女はもう僕やリ級の方を見ていない。だが、僕が彼女を助けたように、彼女が僕を助けたのは事実だった。感謝の念を胸に、残った深海棲艦への攻撃に加わる。羽黒の魚雷がチ級を捉えるのが目に入った。いかに戦艦ル級が二人いたとしても、六対二では、最早勝ち目はあるまい。でも数的優位で油断するような艦娘は問題外だ。彼女たち深海棲艦は決して諦めないからである。未だかつて、投降してきた深海棲艦なる存在は確認されていない。徹底的に殺されるまで、最後の一息を使ってでもこちらを殺しに来る。それが深海棲艦なのだ。僕らも、それと同じくらい非情で抜け目なく、しぶとい兵士にならなければいけない。

 

 ル級たちは強かった。長門の巨砲を艤装の盾でよく防いだし、魚雷の航跡を発見する目も優れていた。二人は互いに互いの死角をカバーし合い、盾で自分の仲間を守った。彼女たちを倒せたのは、僕らが六人いたからに他ならない。加賀の航空隊が頭上からの攻撃で撹乱(かくらん)し、長門と足柄の砲撃が盾を使えなくして、川内と僕が雷撃の網で動きを止め、羽黒がとどめを刺した。そうしなければ勝てなかったのだ。深海棲艦の連中は、全く有能だ。人間より優れた生物であるというのも、満更嘘ではないのかもしれない、と思った。けれども、それでも生き残るのは人間だ。これまで僕らが何種類の生き物をこの地球から消滅させてきたか、深海棲艦は知らないのだ。知っていれば、海の底で震えながら、この凶悪な種族が自分たちに気づかないことを祈っていただろう。僕らは勝つ。奴らは死ぬ。今日や明日でなくとも、明後日でなくとも、いずれは。

 

 まだ昼だったが、弾薬と燃料が減ってきたので、ここまでにしようということになった。各々の傷に止血を行い、帰投の為に転進し、巡航速度で燃料を節約しながら進む。燃料の節約などというのは、広報艦隊にいた時には考えもしないことだった。対外的な顔の一つになる僕らへの補給は、潤沢なものだったからだ。恵まれた環境で育った者は、その幸運が理解できないものである。僕も、この研究所に来てやっと、そのことを知った。今は珍しく特務か何かで出払っているが、普段は物資輸送隊の護衛を専門としている、第三艦隊の潜水艦たちには頭が上がらない。

 

 身内じゃない護衛艦隊たちについてもそうだ。この前、というか今朝だが、研究所のドックから天龍が出てくるのを見た。単冠湾のあの天龍だ。僕は一目でぴんと来た。ああいう直感は、口で説明できるものではない。懐かしくなって、嬉しくなって、訓練所で彼女とどういう風に接していたかを忘れ、僕は思わず話しかけ、彼女が物資輸送隊の護衛任務で駆逐艦娘たちを率いていたことを知った。研究所へは補給と休息に立ち寄ったらしい。龍田はと聞くと、彼女は彼女で別の護衛艦隊にいるので、ほぼ必ずどちらかが泊地にいない状態で、最近は時間が取りづらいらしかった。僕は自分のことのように悲しくなった。あの二人を引き裂くようなことが、許されていい筈もない。天龍は持ち前の責任感の強さから、昔話に花を咲かせるよりも任務を果たしたいということを僕に言った。またな、と僕は言って別れた。

 

 長門が手信号で停止命令を発した。僕らは減速し、止まった。「付近の艦隊から救援要請が入った。これからそちらに向かうぞ」僕の方には入っていないが、彼女の艤装には、僕ら通常の艦隊員よりも高性能な無線機器が搭載されている。旗艦の特権という奴だ。また、当然の措置でもある。彼女の声は艦隊員のいる場所にあまねく響き渡らねばならない。艦隊員の声が長門に届かないことはあってもよいが、その逆は絶対にあってはいけないのだ。僕らは旗艦命令に従い、更にもう一度転進した。指示を受け、巡航速度から戦闘速度に上げ、先鋒として急行する。長門は戦艦としては足の速い方だが、重巡と比べるとそれでも遅い。まずは三隻、僕、足柄、羽黒が全速で進み、その後に長門、加賀、それから護衛に残った川内が続く形だ。ただ加賀は航空隊を飛ばすことで、僕たち先鋒隊と同じか、それよりも早く救援に駆けつけることができるだろう。僕は装備や残弾を確認した。先鋒隊は交戦が可能な距離に入ったら、各自の判断で敵艦隊を引っ掻き回すよう命令を受けていた。それを果たすのはいいが、弾薬を使い切ってはいけない。どれだけ自分が持っているか把握しておけば、使い切ることはそうそうないものだ。

 

 近づいていくにつれて、救援を求めてきた部隊の無電が僕にも届き始めた。耳を疑った。天龍の護衛艦隊だ。朝に別れた後で出発した彼女は、輸送隊の護衛中に敵の艦隊と出くわしたのだ。思わずこちらから連絡を送る。既に長門が説明しているだろうが、それでもだ。同期の艦娘が轟沈の危機にある時に、声の一つも掛けないでいられるほど、僕は冷血ではなかった。返事によれば、護衛対象の輸送艦隊は二隻の駆逐艦と共に戦場を離脱した後のようで、天龍たち四隻は敵艦隊を撃退しようと躍起になっているらしい。敵は重巡リ級と空母ヲ級を中心とした艦隊だという。それなら、いつも通りにすれば勝てる。僕の仕事は、天龍たちが沈まないようにすることだ。相手がどれだけ手練の深海棲艦であっても、長門と加賀、それに川内が到着すれば、こちらの勝利は決まったようなものである。それまで何としても、天龍と彼女の艦隊員を守らなければ。

 

 水平線の向こうに、姿が見えてきた。上を加賀の航空機が飛んでいく。敵の航空機がそれに気づき、迎撃の為に向かってくる。僕も水上機を発進させた。航空戦で活躍は望めないが、敵の妨害にはなるだろう。それに一応は爆装もしている。隙があれば、空母目掛けてぶち込んでやれる。上手くやってくれよ、水偵妖精! 僕はそう願いを込めて、飛んでいく機体を見やった。さあ、もう少しで僕の射程距離だ。砲戦を始めよう。天龍たちの位置を確認し、射線をクリアにする。味方を撃つなんて、考えたくもないことだ。丁度一隻、いいところに突出した重巡がいた。腰を落とし、姿勢を安定させ、狙いをつける。だが、前に出てくるだけあって回避機動が巧みで、狙撃はできそうにない。もっと近づかなければ無理だ。歯がゆい気持ちにやきもきしながら、いつでも攻撃を始められるように準備する。

 

 加賀の航空隊と、敵のヲ級の航空隊との間で戦闘が始まった。数はこちらが不利だ。今回の出撃ではもう数回目の戦闘だから、加賀の隊にも損害が出ているのだ。しかし、航空妖精たちの技量でカバーできる範囲だと僕は信じていた。爆撃を受けないよう、直進から蛇行に移る。重要なのは、舵を切るタイミングだ。それさえ正しければ、爆弾の雨も怖くない。那智教官の受け売りだが、それ故にこれは僕にとって、疑問が生まれることのない真実になる。敵航空機の下をくぐって、ようやく発砲して命中を期待できる距離まで近づく。ここからだ、ここからが正念場だ。視界の端に天龍が写る。手に持った刀は血に汚れ、艤装からは不穏な煙を吐き出している。心臓が締め付けられるような思いになる。彼女の周囲で戦っている駆逐艦たちも、一様に表情が硬い。

 

 水偵からの情報を整理する。敵艦隊は重巡二、空母一、軽巡一だ。他にも二隻いたようだが、そいつらは天龍たちで沈めたようで、艤装か何かの残骸が海上に漂っているとの報告だった。やるじゃないか、と僕は思った。追い込まれてもただでは沈まない、訓練所で叩き込まれた通りのことをやっている。僕もそうしよう。手始めに、先ほど狙おうとした重巡に向けて発砲する。弱った相手から叩こうとしていたのか、しつこく天龍たちに攻撃を加えていたが、これで僕にその矛先を向けざるを得なくなった。空母は加賀が押さえてくれている。残りの重巡を足柄と羽黒がやってくれれば、後は軽巡だけだ。それなら手負いの天龍たちでも引き受けられるだろう……あ、いや。加賀の航空隊が軽巡をやった。見事な爆撃だった。

 

 僕を新しい標的として認識した重巡、リ級がこちらを向く。僕はそいつの目を見て舌打ちをした。こいつも赤目だ。それはつまり、同じ重巡リ級の中でも腕のいいリ級だってことだ。より砲撃は正確になり、防御も固く、簡単には倒せない。僕はもう一、二発ほど食らう覚悟をしなければならないだろう。当たり所が悪ければ、死ぬかもしれない。死ぬなら一発で死ねるといい。溺れ死ぬのだけはごめんだ。

 

 足柄の連続砲撃が始まり、重巡の砲撃を避けながらそのリ級を天龍たちから引き離そうとしていた僕は、頭まで痛くなりそうな轟音に耳を覆いたい欲求に駆られた。第二艦隊の連中は、サーカス艦隊と呼ばれてテレビに出ることもあるくらいで、多くはそれぞれ特技のようなものを持っている。長門は砲弾弾き、足柄は早撃ちといったようにだ。どうやってそれを身につけたのか、僕らは話題にしない。多分これについては、僕が相手にされていないから聞けていないのではなく、彼女たちの間でも取り上げることをタブー視しているのだろう。どういう理屈でだかは知らないが、ありがたい話だった。お陰で、どうして僕が精密射撃できるのか教えなくてもいい。融和派の連中が言ったことを鵜呑みにしているのではないが、妖精なしで艤装を動かすことを深海棲艦と結びつける人々がいるのを知った今、大っぴらに話したいことではなかったのだ。

 

 生来の謙虚さから、これまで友人たちに自分の能力を言い立てるようなことをしなかったのも不幸中の幸いだった。北上や利根、隼鷹でさえ、僕の特技を知らないのだ。知っているのは那智教官だけだが、彼女自身もこの特技を持っている。たとえ運命の巡り合わせでこの力と深海棲艦が短絡してしまったとしても、彼女が僕を売るようなことは起こるまい。第一、那智教官だぞ。彼女が仲間や、彼女の教え子を裏切るところを想像できる奴は、那智教官を知らないのだ。

 

 足柄の発射した砲弾が、ヲ級目掛けて雨あられと浴びせられる。彼女は小刻みな転舵でかなりの弾を避けたが、目の前に着弾した時に足を止めてしまった。足柄の連射中に立ち止まるのは、思いつく限り最悪の行動だ。それでも彼女は人型深海棲艦、知性ある存在として、最後の意地を見せた。手に持った杖で何発かを叩き落としたのだ。しかし、手に持てる程度の杖が砲撃の前に長持ちする筈もなかった。とうとう、一発が杖ごと彼女の体を貫き、肢体をばらばらにした。これで空はこっちのものだ。僕はちらりと上を見て笑った。帰る場所を失くした航空機とは、哀れなものである。

 

 赤目のリ級、訓練所で習ったところのリ級エリートは、僕の挑発に乗って天龍たちからすっかり離れてくれた。これで遠慮なくやり合える。彼女はまず、残しておいたのだろう水上機を発進させた。観測射撃でもしたいのだろうが、させる訳にはいかない。発進してすぐの、動きが直線的な内に片っ端から落としてやる。相手の動揺が伝わってくるようだった。いい兆候だ。彼女は僕を危険な相手だと認識し、彼女の意識のより多くを僕に割く。だから、横殴りされるまで気づかない。

 

 羽黒の援護砲撃が降り注ぎ、リ級エリートの右腕の艤装に着弾した。爆風で彼女は態勢を崩しかけたが、即座に立て直すと壊れた艤装をパージして動きを早めた。流石はエリートだ、と言ったところか。位置取りを上手に行い、今や彼女は羽黒、足柄、僕の三人と天龍隊の全員を視界に収めている。が、僕以外のみんなはもう一人のリ級に掛かりっぱなしだ。水柱の狭間に見えた姿から察するに、そいつはリ級エリートの一段上を行くリ級フラッグシップと見えて、いかに歴戦の第二艦隊と言えど、そこそこ手を焼いているらしい。まあ、弾薬や燃料が減っていなければ、もっと早く片付いていただろうが……そうならなかったことを嘆いても仕方ない。

 

 エリートに向けて砲撃を続ける。海戦というのは、そこまで劇的な瞬間の連続ではない。岩礁で僕がやったような、水の中に潜ったりだとか、掴みかかったりだとかいうのは、あれは切羽詰まった末の破れかぶれが成功しただけであって、それ以上のものではない。海戦の基本は地味な撃ち合いだ。敵の弾を避けて、敵に弾を当てる。端的に言ってしまえば、たったそれだけのことである。しかし、時には映画さながらのシーンが生まれることもあった。

 

 一発の弾が僕を右腕を掠めた。お湯でも浴びせられたみたいに熱くなる。お返しの一発を右腕部砲塔から放ってやろうとして、肘から先がなくなっていることに気づく。悲鳴を上げそうになるのを耐えられたのがどうしてか、この戦闘を生き残れたらいつか本気で研究してみたい。畜生、と叫び、左肩部砲塔から発砲する。怒りと興奮に任せた一撃だ、当たる筈もない。だが牽制にはなる。僕はすぐに応急処置用の希釈高速修復材を詰めた水筒を取り、親指でフタを跳ね上げて右腕にぶちまけた。みるみる内に肉が盛り上がり、傷が塞がる。新しい腕が生えたりはしない。希釈した修復材ではこれが限度だ。帰還したら、ちゃんとドックで治療を受けなければならない。帰還できれば。

 

 お互いに右腕の砲を失ったとはいえ、艤装だけで済んだあっちの方が被害は小さい。それに僕はこの戦闘に入る前から中破相当の傷を負っていた。分は悪い。フラッグシップはもう始末しただろうか? ……いや、まだだ。長門たちの到着にも、もう少し掛かる。フラッグシップ撃破まで、もしくは彼女らが着くまで逃げ回るか……自分の手で撃沈してやるか。僕は自分の粗末な復讐心と、生命維持本能を天秤に掛けてみた。答えは直ちに出た。復讐はクソだ。明日、今日のことを思い出して「どうしてあんな臆病風吹かしちまったんだ?」と自分を責めるかもしれないが、それでも今の僕は生きていることを選びたかった。


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