[完結]Home is the sailor, home from the sea.   作:Гарри

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私は憎み、かつ愛す。何故かとお前は問うだろう。
私にも分からない。ただそうなるのを感じ、私は苦しむのだ。

──カトゥルス


「長門」-1

「不知火先輩、お昼ご飯食べましょう!」

 

 これまでの経験から、彼女にはちょっと馴れ馴れしいぐらい人懐っこい後輩っぽく振る舞うと効果抜群だと学んでいた僕は、できる限りの親しみやすさを発揮しようと頑張ってみた。意図したよりもずっと軽薄な調子になってしまった気もしたが、対人関係で大事なのは気後れや無用の遠慮をしないこと、それから小さな失敗は気にしないで突き進む豪胆さだ。ただし、気にしないで、とは言ったが、忘れてはいけないことは当然である。失敗は正されなければならないし、仮にも人間を名乗るつもりなら、そこからは大いに学ぶべきだろう。

 

 不知火先輩は僕の元気な声で僅かに目を覚ましたようで、両目を開いて僕を見た。それから自分の格好を確かめると「少し待ちなさい」と言って部屋に引っ込んだ。僕にはその指示に応答する暇も与えられなかったが、答えは決まっていた。女性に待たされることに文句を言うような奴は、経験か諦めのどちらかが足りないのだ。僕はその両方を沢山持っていたし、それに不知火は隼鷹と同じで、身の回りのことをてきぱきと進めることのできる女性だった。

 

 一時期は軍所属の女性ならみんなこうなのかと思っていたが、この種の女性の対極にあるのが伊勢で、彼女は僕のその誤解を訂正してくれた。以前の戦術的助言の礼として、彼女を甘味処に誘った時のことだ。伊勢は五分待ってくれるようにと彼女の部屋までやってきた僕や隼鷹に頼んだのだが、全ての準備を終わらせて出てきたのは予定の十二倍も時間を使った後だったのである。僕と隼鷹は部屋の前から離れる訳にも行かず、仕方ないからぐだぐだ喋って時間を潰さなければならなかった。もし、もう十分も伊勢が用意に時間を掛けていたら、隼鷹は懐のスキットルを取り出していただろう。僕だってそのご相伴に預かった筈だ。

 

 扉がもう一度開くと、そこにはいつもの落ち度皆無な不知火先輩がいた。完璧な比率で蝶結びにされた紐ネクタイ、半袖シャツに薄手のベスト、白い手袋、スパッツ。個人的に注目したいのは手袋とシャツの袖の間に見える、彼女の腕部である。ほどほどに筋肉のついたそこは、目で見るだけでその硬さと柔らかさ、相反する二つの要素を僕に感じ取らせしめる。不知火先輩は気づいていないようだが、彼女は優れた彫刻家が()の全霊を込めて作り上げたかのような腕を持っているのだった。

 

「では、食堂へ行きましょうか」

 

 並んで歩きながら、話をする。彼女は僕が一人で誘いに来たことに興味を持っているようだった。隠す必要もないことなので、素直に一対一で話をしてみたかったからだと答える。深読みしようと思えばできる返事だったな、と言ってから思ったが、不知火先輩は気にした様子はなかった。よかった、好意を持たれることは嬉しいものだが、その好意が余りにも大きいと、却って気持ち悪いと感じられることがある。人付き合いにおいて、極端はよくないのだ。僕は自身をあらゆる点において仏教徒ではないと認識しているが、仏教の中道を行くという姿勢には強い共感と賛意を覚える。まあ、日本人的なメンタリティが白黒どっちつかずの態度をよしとしているだけだ、という推察も、そこそこ確からしいものではあるが。

 

 食堂に行くと、つい最近見たことのある艦娘の姿があった。天龍隊の二番艦、浦風だ。彼女と一緒に二人、駆逐艦娘もいた。この研究所に連れて帰った二人ではなく、輸送艦隊と共に脱出した方である。第二艦隊が護送した二人は、天龍隊が戻って来る前にここを離れて単冠湾に帰っていたのだ。浦風は食堂に入ってきた僕に気づくと、席を立ってこちらにやって来た。手には僕の水筒が握られている。希釈修復材を入れていたものだ。

 

「無事だったんだな、よかった」

「ん……これ、ありがとうね。ようけ(沢山)使うて(使って)しもうたんじゃけど、えかった(よかった)かねえ?」

 

 そう言った彼女から渡された水筒は、空っぽになっていた。浦風は何処となく、申し訳なさそうな顔をしている。「いいさ。資材は補給できるが、命はそうは行かないんだからな」と僕が答えると、ほっとした様子で席に戻っていった。その歩く姿を後ろから眺める。足取りもしっかりしているし、一緒にいる二人の艦隊員も元気そうだ。食事をするスピードがそれを証明している。本当によかった、と思っていると、不知火先輩は僕が話している間ずっと後ろにいたのだが、僕の服を引っ張って注意を彼女に向けさせた。「おっと、すいません先輩」すかさず謝罪しておく。頭を下げるのは常に早い方がいい訳ではないが、今回はそうだ。不知火先輩は人がいいので、この程度のことならば一度謝ってしまえば、それ以上責めるのをやり過ぎのように感じてしまい、仕方ないですねなどと言いつつ許してくれるのである。

 

 食堂には人が大勢いて、席を探すのにも苦労する有り様だった。「困りましたね、先輩」「少し別の場所で時間を潰しますか」などと言いながらきょろきょろしていると、今度は定食が載ったトレイを持った天龍が、僕たちを見つけて声を掛けてきた。「今から食事か? 丁度ここが空くぜ、座れよ」くいっ、と顎で四人がけのテーブルの一つを示す。でも僕が見たところ、そこには軍属の研究所員たちが陣取っていた。

 

 と、天龍は彼らに近寄り、ドスの効いた声でその席を譲るように言った。その声ときたら、僕に向けて放たれたものではないと分かっていても、今すぐにその場から逃げ出したくなるほどだった。自制心が働かなかったなら、僕は不知火先輩の手を握ってしまっていただろう。深海棲艦と殺し合いをやっている艦娘である僕でさえそれだ。軍属程度が耐えられる筈もなかった。見る間に彼らは散り散りばらばらになっていった。楽しそうにけらけら笑いながら、天龍はどっかと腰を下ろした。「待ってるからよ、早く買って来な」僕は逃げ出したかったが、もしこの場から立ち去れば一生天龍の恨みを買うことになりそうだった。おまけで龍田による問答無用の断罪が付いてくるとなれば、従うしかない。

 

 券売機に並んで待つ間に、不知火先輩と天龍について話した。彼女は冷や汗らしきものを浮かべていた。

 

「あの天龍はあなたの知り合いですか?」

「訓練所の同期です。あんまり付き合いはなかったんですけど」

「それにしては世話を焼いてくれましたが……やり過ぎなほどに」

「確かに。推測ですけど、不知火先輩がいたからじゃないですかね。あいつ、訓練所では駆逐艦娘たちに慕われてて、よく面倒を見てましたから、先輩が食いっぱぐれるのを見てられなかったんですよ、きっと」

 

 天龍の威圧的な顔や態度にも関わらず、僕らの訓練隊の駆逐艦娘は多くが彼女に多かれ少なかれ世話をされていた。だがこれは天龍という艦娘の特性ではなく、彼女自身の魅力から起こったことだった。天龍は戦闘について、天性の才能というようなものを持っていたのだ。那智教官が彼女に「お前が軽巡でなく戦艦だったなら、面白いことになっただろうな」と言うのを聞いたことがある。才能が手伝って飲み込みが早かった天龍は、その技術を自分だけで独占したりしなかった。知りたがる誰にでも、根気よく教えた。例外は僕だけ。お互いに避けるようにしていたから、当然のことだった。今日だって不知火先輩がいなければ、こちらに声など掛けなかっただろう。先輩には推測だと言ったが、確信があった。天龍、彼女もまた、僕以外には優しい艦娘の一人なのだ。

 

 食券を買い、食事を受け取ってテーブルに戻る。僕は天龍の対角上にある席に座った。心理学的にも意味のある席の位置らしいが、今回は単に天龍の横にも前にも座る気になれなかっただけである。彼女も、顔を上げる度に僕の顔が目に入るのは嫌だろう。人々は気を遣い合わなければいけない。先輩は僕の隣に席を取った。

 

 僕らが席についた時、天龍はテレビを見ていた。戦況や深海棲艦の動向を、軍の行動に差し障りのない程度に説明している番組だ。それによると、現在は僅かに人類優位だが、深海棲艦の反撃の兆候があるとのことだった。何処まで信じられるかには疑問符をつけるべきだが、気構えはできる。朝突然叩き起こされて「敵襲だ! 敵が八分に海が二分!」というような状況になっても、気構えがあれば戦って死ぬ前に「ああ、そういや前にテレビで何か言ってたな、これのことか」と考えるほどの余裕が持てるだろう。

 

 テレビのモニターから目を戻し、護衛艦隊旗艦殿を見るや、僕はびくっとした。彼女が楽しそうに笑っていたからだ。それは丁度、僕が思春期の少年らしい妄想の世界にこもっている時に浮かべているもののようだった。隼鷹に「そういうのは一人の時だけにしような?」と諭されながら彼女によって盗撮された写真を見せられたことがあるから、自信を持って言える。僕は天龍がそんな顔をしているところを初めて見たので、思わず訊ねてしまった。

 

「どうした、何がそんなに楽しいんだ?」

 

 すると彼女は相当に上機嫌だったのか、僕の質問にも気さくに答えた。それでも、僕への否定的なコメントを忘れはしなかったが。

 

「マジだったら、いい戦いになりそうじゃねえか。それがだよ。お前にゃ分かんねえだろうけどな」

「実戦を経験してまだ戦争が嫌いにならない艦娘がいるなんて、思わなかったな」

「ちぇっ、てめえもそういう口かよ。ったく、オレの戦争好きでてめえに迷惑掛けでもしたか? あ? 嫌になるぜ、いっつもそうだ。色んな艦隊の連中と会って、話をする。特に、その艦隊で一番腕の立つ艦娘とな。ヒーローだ英雄だってもてはやされてるような奴もいたよ。でもみんな決まって、戦争が嫌いなんだ。頭のおかしい奴でも見るみたいにオレを見やがって。きっとな、ほら、日本人好みの同調圧力とか言う名前のアレさ。だからいつか、この天龍様も大活躍して、カメラの前で言ってやるんだ。戦争が大好きだ、オレが死ぬまで続いて欲しいってね」

「だが護衛艦隊じゃ……」

「もう黙って食えよ、な?」

 

 僕が彼女の態度に覚えたのは、そんなものを覚えてしまったことに対して罪悪感を抱かずにはいられないのだが、反感だった。戦争が楽しいだって? 訓練所にいる間、天龍は戦争を楽しみにしていた。それはいい。僕らはそれについて何も知らなかったんだ。未知のものに恐れを持つのも、期待するのも、人間の性だ。そのことを咎めはしない。しかし僕らはもう外側からこの戦争を見る立場ではない。その中にいるのだ。僕らはみんな、毎朝、ベッドで目を覚ます。その度にこう思う。今日の夜もここに戻って来られますように、明日の朝もここで目覚められますように! それは、僕らが生きていたいからだ。死にたくないからだ。死について怯えており、何かせずにはいられないからだ。

 

 だが天龍は戦争を楽しんでいる。それを責めたとしても、返って来る言葉がどんなものか、僕には想像できた。「楽しんじゃいけないのか?」彼女はそう言うだろう。そして、彼女が正しいのだ。誰も、誰一人としても、彼女が何をどう感じるかを左右することはできない。それと等しく、僕を含めてそんな彼女の姿を見た者が彼女に何を思うかについては、いかなる人物にも否定する権利はない。はっきり言おう、彼女が戦争を楽しんでいる様子を見せびらかす度に、僕は自分が臆病者の腰抜け野郎だと罵られている気持ちになる。彼女の戦争愛好に疑いを掛ける余地がないと分かっているからこそ、より強くそれに敵意を感じる。彼女にも怯えがある筈だと糾弾したくなる。彼女の弱みを暴き立て、お前も僕と同じなんだと、僕と同じで恐怖という底なしの沼に限りもなく沈み続けている、つまらない艦娘、つまらない人間の一人なのだと思い知らせてやりたくなる。

 

 こんな思いをするなら、僕は天龍に話しかけるべきではなかった。僕は怯懦(きょうだ)を他人にも押し付けようとする自分に失意を感じ、また天龍を苛立たせてしまった無闇な発言で場の空気を悪くしたことで、彼女と不知火先輩の二人に対して罪を犯したような気分になった。できることなら、喉に刃など突っ込んで二度と言葉を発することのできない体にでもしてやりたかった。もちろんここは艦娘の所属する研究所であり、近くには工廠もあるから、そんなことをしてもすぐに修復されて、叱責を受けるか精神分析に掛けられるかのどちらかだろう。

 

 不知火先輩と二人で、愉快とまでは行かずとも快適な昼食を取るつもりだったのに、まるで戦闘直後みたいな心地だった。打ちのめされ、傷つき、消耗していた。誰かがここに来て、僕を助けてくれたなら、僕はその人の前に跪いて求婚してもよかった。彼女もしくは彼が応じてくれなくとも、永遠の愛を誓うだろう。「昼食中か、六番艦」ああだが長門はやめてくれ長門はああ畜生さっきのは取り消しだ!

 

 先輩は記録的なスピードで食事を終わらせて席を立った──責められない。僕が長門に嫌われているのは有名だ。不知火先輩も当然知っているだろう。それに、僕にとってこの駆逐艦娘が先輩であるように、彼女にとってこのビッグセブンは先輩なのだ。それも大先輩だ。その大先輩が決めた。今日の昼食は彼女の艦隊の哀れな六番艦だと。僕が来る前は最後任だった艦娘が、どうやってそれに逆らえる? 無理に決まってる。

 

 六番艦。本来は嫌な言葉じゃない。それは、艦隊における指揮担当序列を示すものだ。旗艦は一番艦が担当する。旗艦轟沈、もしくは意識喪失や重傷で指揮が取れなくなった場合、二番艦がそれを引き継ぐ。二番艦が旗艦と同様の運命を辿ったら、三番艦。三番艦がやられれば四番艦。四番艦がくたばれば、五番艦……つまり理論的には、六番艦である僕が指揮を取ることはない。何しろ僕は、艦隊で一番ダメな子だからな。しかし長門が僕を六番艦と呼ぶ時には、常に今のニュアンスよりも深刻な敵愾心がその単語に付きまとった。更に付け加えるなら、“六番”というナンバーに僕が感じる非常に個人的な印象が、長門からそう呼ばれることを僕に嫌わせていた。

 

 長門は天龍の横に座ったが、この第二艦隊の誇り高き旗艦殿のお顔から、見て取れることが一つあった。それをするのに十分天龍と親しい間柄なら、彼女は天龍の膝に座っていただろうということだ。無論、僕から最大の距離を取る為にである。これは僕と彼女が無意識下で締結した平和の為の条約のようなものだ、と僕は考えている。要するに、常に可能な限り離れていれば、僕と彼女の間に厄介が起こる確率は最低限に保っていられるということだ。僕が水なら彼女はカリウム、僕が風呂なら彼女はドライヤー。近づけたいか? 本気で? 痛い目を見たくなければ、それはやめておいた方がいい。

 

「天龍、いいか」

「ああ。また後で」

 

 そう言って天龍は食べ終えられた食事のプレートと共に席を立った。最後の一言は僕でなく長門に向けられたものだった。知らぬ間に二人は仲良くなっていたようだ。任務の種類は違えども、旗艦という同じ務めを果たしているからこそ、理解し合えたのかもしれない。長門は戦争愛好者ではないようだが、賢明だ。僕みたく、天龍を怒らせるようなことは言わなかったのだろう。僕は沢山のことを、大勢から学ばなければならないが、長門の思慮深さはそのリストの中でも上の方に入れるべきものだと思う。不思議に思うほどだ、どうして彼女は僕にだけ、ああも無思慮になるのか? 何にでも原因はある。私見だが、理由なき行為、動機なき行為、偉そうな言葉を使うなら「無償の行為(Acte gratuit)※60はあり得る。でも、哲学用語の定義を僕が正しく理解できているかどうかは置いておくとして、原因はいつだって存在するのだ。

 

 長門は質素な食事を持っていた。出撃前に食べるような量だ。しかしそれが何故なのか、僕は訊ねない。僕と彼女は友達じゃないし、どうやら長門は僕に話があるようだ。その話を聞く前に、僕から何か言い出すのは愚策だろう。それは長門を挑発することになる。

 

「私たちの間には以前から何らかの問題があったように思っている」

 

 彼女は予め用意してあった原稿を読むように言った。実際に、頭の中に書き込んであったのだろう。それは日本語としていささか不自然な響きだった。僕が黙っていると、彼女は続きを話した。今度は比較的自然に聞こえる文章だが、彼女の口調も相まって、とても固く聞こえた。

 

「片をつけよう」

「何にだ? 問題だって? 君は自分が何を言っているか分かってるのか?」

 

 自分の所属する艦隊の旗艦に向かってこういう風に喋るのは、通常、他人に勧められるようなことではない。例えば僕が広報艦隊で榛名さんにこんな口を利けば、たちまち曙がやってきて、しこたま殴打して僕に身の程を思い知らせてくれるだろう。ただ、ここでのルールは広報部隊とは違ったのだ。ここのルールでは、最低限の人間としての礼儀、その一線を弁えていれば、彼女には僕を罰することができなかった。そして同じ艦隊に所属する者同士で多少砕けた話し方を用いるというのは、線のこっち側に分類される行為だった。

 

 それでも、望んでじゃないが、長門の機嫌を損ねることはできた。彼女は機械じゃない。ある言葉を言われたとしても、発話者が違えば彼女がどう感じるかも変わる。仕方のないことだ。僕だって、友達に笑いながら「お前は馬鹿な奴だなあ」と言われても気にしないが、嫌な奴に言われたら不愉快な気持ちになるだろう。長門は不快感を鋭い視線に乗せて僕に叩きつけてきた。が、そう堪えはしなかった。何でも慣れるものだ。特に長門の敵意はまっすぐだから、順応するのも楽だった。彼女は言った。

 

「天龍の艦隊は四名で単冠湾への帰路に就く。途中までの護衛が欲しいと、正式な要請を出してきた」

「知らなかったよ。けど考えてみれば、そりゃ護衛の一人や二人、欲しいだろうな」

「提督は第二艦隊から護衛を出させるつもりだ。私とお前が志願すれば、他の四人は休んでいられる」

「事情は分かった。だが君が行く必要はない」

「いや、私たちが行く必要がある。どうしても」

「僕がそれに値すると? ……やれやれ! どうしてもか」

「ああ、どうしてもだ」

 

 溜息を吐いた。彼女の気を変えることが不可能だと分かったからだった。「それじゃ」と僕は言った。

 

「行くしかないな」

 

 という訳で、この研究所に配属されて以来、最も起こりそうにないと思われていた事態が発生した。僕と長門とが、揃って同じ任務に志願したのである。提督は鼻を鳴らし、眉を上げ、「なるほど」と言い、薬を四錠も口に入れて噛み割った。その中の一錠に、細い赤線が描かれているのを僕は見逃さなかった。彼女が永遠の地獄に囚われないで済むことを、僕も祈っておこう。僕たちは能面みたいな顔を保ったまま、提督による幾つかの質問に答え、彼女をびっくりさせる為だけに二人で嘘を言いに来たのではないことを証明した。彼女は長門を、次いで僕をその一つっきりの目で睨んだ。僕は彼女の義眼だけを見ることで刺すような視線をやり過ごしたが、彼女の義眼の瞳孔部に三つ目のスマイリーが描いてあるのに気づいて、危うくにこりと笑うところだった。とんでもないところに罠を仕掛けて来やがる。

 

 頬をひくつかせはしたが、僕は苦難を乗り切った。執務室を出て、工廠に向かう。前を行く長門の尻と背中を眺めながら、人生の明るい側(bright side of life)を見ようと考えた。軍規によれば、特別の仕事には特別の報酬が与えられる。僕の命を削るのと引き換えにするには少なく思える給料にも、今月は色を付けて貰える筈だ。感謝状や勲章はその次にいい。家に送って、両親に「どうだい、君らの息子も立派になっただろう」と言ってやれる。勲章の種類によっては、提示することで公共交通機関の割引や無償化などのサービスが受けられることもあるのだ。常に佩用(はいよう)もしくは所持していなければならないのは面倒だが、その価値はある。

 

 工廠でいつもの艤装確認をする。武装の整備状態を確認中、視界の端にさっき見た少女の姿が映った。不知火先輩だ。明石さんと話をしている。長門から逃げた後で、同じ第四艦隊の明石さんのところへと逃げ込んだらしい。まだこちらに気づいていないが、僕は面白さを感じて微笑んだ。逃げた先にまた僕らがやって来てしまうとは、今日の不知火先輩はツイてない。

 

 チェックを終える。出撃に差し障りはない。僕らに先んじて工廠に来ていた天龍隊は、いつでも出られるようだ。長門が僕に護衛任務を持ちかけてきた時から話はついていたらしく、隻眼の少女は僕がいることにさしたる反応を見せなかった。そこに僕は長門の真剣さを感じた。彼女は僕との間に存在するわだかまりを、本当にどうにかしようとしている。だが、どうするつもりなんだ? 彼女自身、これが何によって引き起こされた悪感情なのか、理解できていなかった。提督にそう打ち明けていたじゃないか。それとも、僕より賢い彼女はとうとうそれが何だったのかという答えに到達したのか?

 

 その時、最悪の想像が頭を駆け巡った。戦場での死因で最も多いのは、誰でも想像がつくだろうが、戦死だ。でもその中には、怪しい状況での戦死もある。天龍隊の護衛中はいい。四人の目がある。彼女たちの目がなくなったら? 僕と長門の二人きりだ。それだけでも打ちひしがれたくなるぐらい楽しそうだが、長門が僕に砲を向けてきたら、勝ち目はゼロだ。護衛任務からの帰路で、突然有力な敵からの襲撃を受け、撃退には成功するも轟沈一。そう報告すれば、多くは追求されまい。何しろ第二艦隊旗艦だ。六番艦の僕、それも生前ならともかく死んでいる僕なんかのことをほじくり返して、有能かつ生きている長門まで前線から退かせるようなことを、提督が選ぶとは思えない。

 

 長門の誠実さを信じたかった。旗艦としてではなく、彼女個人としての自尊心と道徳心、それから良識を信じたかった。海図を持った天龍と話し合う長門を、僕は自分の艤装をいじりながら盗み見た。「ルートだけどよ、オレとしてはここをこう抜けたいんだ。早く戻らなきゃ提督がうるせえからなあ」「そこか。少し、危険だな」「でも今日はあんた(長門)がいる、そうだろ?」「……ああ。任せておけ」「期待してるぜ、大戦艦」僕のことは数に入れていないようだが、当てにされるというのは往々にして重荷になる。僕みたいに感じやすい少年にとっては往々どころかいつでもだ。だから、今の状況は喜んで受け入れるべきものだった。僕は僕の仕事をし、天龍と駆逐艦娘たちを守り、それが終わったら長門に殺されないよう気を張っていればいい。最後の一つが達成不可能に思えるが、今はそれについて考えまい。

 

「準備はできたか?」

 

 天龍が彼女の艦娘たちと、その護衛を務める僕らに言った。艤装よし、ナイフよし、希釈修復材よし、サバイバルキットよし。耳のピアスに触れる。これもよしだ。これなしに海に出る気にはなれない。言ってみれば、これが僕にとってのお守りだ。弾を防いでくれるとは思わないが、これがあれば健やかなる時も、病める時も、死する時さえも一人じゃないと信じられる。僕は天龍の問いに頷きを返した。海に出る用意はできて……いない! 僕は天龍に三分待ってくれるよう頼みながら工廠を飛び出し、酒保へと駆け込んだ。酒保店員のお姉さんは目をぱちくりさせていたが、大急ぎで繊細肌用の日焼け止めを出して貰い、それを購入する。お釣りを受け取るのと体を酒保の出口に向けるのと買ったばかりの日焼け止めを塗るのを同時にやりながら、工廠へと戻った。クリームを塗り塗りやってきた僕を見て、天龍は溜息を吐いただけだった。心なしか駆逐艦娘たちの目も冷たい気がするが、気のせいということにしておこう。

 

 水路を通り、海へ出る。先頭は天龍、殿(しんがり)は僕と長門の二人が務める。間の駆逐三隻は横一列、互いに話ができる程度の間を開けて並んだ。横の距離は密だが、縦の距離はそれなりに取ってある。まとめて攻撃を受けるようなことはないだろう。それに、天龍が言ったことも正しい。頼れる女、頼れる艦娘、戦艦長門がここにいる。僕はちらりと彼女を見た。彼女が僕をぎろりと睨み返してくれることを期待してだ。だが、いつもなら即座に反応が返ってくるというのに、それがなかった。僕は思わず「どうした、大丈夫なのか?」と声を掛けてしまった。それで、今度こそ「自分の心配だけしていろ」なんて言われるだろうと思った。でも彼女は普通の声で「あの場所は好かん」と言っただけだった。

 

 もっと質問をすればその海域を嫌う理由を聞けたかもしれないが、長門ほどの強靭な艦娘が嫌いだと言い切る場所だ。何か、そこにまつわる強烈な思い出でもあるのだろう。そしてそれがどういったものであるにせよ、当時の長門の立場に自分がなりたいような類の話ではないことは確かだった。僕は口を閉じ、それ以上何か言わないようにしておいた。長門が彼女の長い軍歴の中で通らなければならなかったつらい過去を、迂闊な言葉で思い出させたりしないように。誰かを傷つけるのは、深海棲艦との戦いの時まで待つべきだろう。

 

 水偵を飛ばして進路の警戒を続けつつ、目視でそれ以外の方角を索敵する。主に後方だ。隊列には意味があるのだ。左右は駆逐艦娘に任せておけばいい。と、水偵妖精からの打電で前方に小規模な深海棲艦の艦隊がいることが分かった。軽巡二隻に軽空母一隻の小艦隊で、こちらには気づいていないという。僕は水偵に距離を保って監視を続けるように言っておいて、天龍に無線を飛ばし、指示を仰いだ。今の僕と長門は天龍隊の護衛であって、彼女に隊を動かす権限がある。僕と長門が奇襲すれば倒せそうな敵であっても、勝手な真似はできない。天龍は数秒ほど考えた後で、交戦を避けることを決めた。自身の軍における役割を把握した、見事な判断だと思う。戦争好きで英雄志望の彼女なら、きっと一隻でも多くの敵を沈め、一発でも多くの弾を撃ちたいだろうに。敵を撃たずに英雄と呼ばれるまでになった艦娘など、皆無に等しい。

 

 針路を変えて、迂回路を行く。僕は前を進む天龍の背中を見ながら、さっき彼女に敵意を向けた自分を恥じ、彼女の態度に感じ入った。嗜好の違いはあるが、あいつは大丈夫だ。ちゃんと旗艦をやっている。親しい友達にはなれなくとも、信頼できる戦友にはなれるだろう。ただし、その信頼が一方的なものになりそうな点だけは泣きどころと言えた。

 

 監視を任せていた水偵を引き上げさせる。妖精という存在は、種族全体として見た時には信用できない。だが彼ら彼女らの普遍的特徴として、一つ気に入っている点がある。連中は、己の仕事をきちんとこなすという美徳を知っているのだ。戻ってきた水偵に僕は片手を挙げ、搭乗員へのねぎらいを示した。手早く収容し、待機していた次の水偵を放つ。警戒は怠ってはいけない。怠慢がどのようにして何人何十人何百人もの艦娘を殺してきたか、僕は訓練所で学ばされた。深海棲艦(人類の敵)は決して怠けないということもだ。奴らは掛け値なしに素晴らしい兵隊たちだ。無駄口を叩かない。上官に逆らわない。給料の引き上げも要求しないし、ランチとディナーで別メニューを出せとも言わない。油断もしない。裏切りもない。敢闘精神という言葉の意味に最も忠実な生命体であり、死を恐れない。軍が理想とする有能な艦娘そのものである。

 

 僕もそうなろうとは努力しているが、いかんせん努力や集中には体力や気力を消費する。訓練でそれらを鍛えることもできるが、毎秒毎分の消費量からすると上がり幅は小さい。僕は段々と自分が消耗していくのを感じ、それなのに天龍が「それじゃ、ここからはオレたちだけで行くよ」と言い出さないことに焦燥を覚えた。そうして夕陽が赤々と西の空に燃えるに当たり、とうとう僕は長門に尋ねることにした。

 

「何処まで護衛を続けるんだ? もうすぐ日が沈む。燃料はまだあるが、帰りに戦闘がないとは限らないぞ」

「燃料については心配は必要ない。この後、補給基地に立ち寄る。そこで燃料を補充、小休止を取り、夜の間に例の海域を抜ける。護衛はそこまでだ」

 

 夜の間に? それを聞いて僕の心には不安と興奮がないまぜになったものが生まれた。僕には訓練でのサングラスを使った擬似夜戦しか経験がない。実際の夜戦は初めてだ。絶対にはぐれないように注意して、気をつけていなければいけないと、冷静な僕が頭の何処かで自らを戒める。子供っぽい僕が、敵味方の砲火が闇を切り裂き、発砲炎が横顔を照らし、星空と月明かりの下で戦うことの美しさを歌う。天龍じゃあるまいし、と僕はその歌を一蹴する。だが、駆逐艦や巡洋艦にとって、夜戦が能力を発揮できる絶好の機会であることは正しかった。夜陰に乗じて肉薄し、不可避の一撃を放つ。暗がりの中で互いの目と目が合い、光を反射して輝く相手の瞳孔に恐怖を読み取ることのできる距離で撃ち合う。雷撃には最高の状況だ。闇が雷跡を見つけにくくしてくれるし、彼我の距離も縮められる。

 

 標準装備に暗視装置があればなあ、と胸の内でぼやく。そうすれば、肉眼で夜戦を行う深海棲艦に対して一定のアドバンテージを得られることは間違いない。暗視装置、それも辺縁視が制限され、遠近感を掴みにくくなる単眼式でなくて、両眼式のものだ。一部の艦隊には配備されていると言うが、昨今では基本的に軍はその手の装備を回さない。夜間用装備は探照灯程度だ。それは軍がいい加減なことをやっているのではなく、コストと生産の安定性のせいである。日本はそこに住まう人々なら誰でも知っている通り島国であり、資源に乏しい。高度な暗視装置は軍事技術の塊であり、その生産には希少な資源を要する。一セット作るのに使うのは僅かな資源だ。だがそれを百万セットにしたら? 軍の運営に支障が出る。軍の運営に支障が出れば、国家の防衛に穴が開く。

 

 それでも戦争初期はよかった。艦娘の絶対数が少なかったし、陸の連中が使っていたのを譲り受けて防水加工し、使用できたからだ。今や艦娘の数は増えに増え、軍は常に物資の運用に神経質なほど気を使っている。そんな具合では、高価かつ戦闘中に壊れたり艦娘と一緒に沈んでしまうかもしれない可能性のある、しかも安価な代替品による替えの効く装備など、配備される筈がなかった。そういう理由で、僕らは未だに二十世紀初頭風のやり方を用いて夜戦を行っている。探照灯、照明弾、夜偵。同じ都合で、電探やソナーも配備数は多くない。

 

「ところで、夜戦の可能性なんて聞いてなかったから、専用装備なんて持ってないんだけど」

「では、目をよく慣らしておくことだな」

 

 僕が言葉に責めるような含みを混ぜると、この話は終わりだ、とばかりに長門は別の方向を向いた。どうにかして無理にでもこっちを向かせてやろうかと思ったが、前を行く駆逐艦の一人がこちらを見ているのに気づいて思い直した。護衛担当艦が喧嘩しているのを見たら、彼女たちは不安になるだろう。長門と話をつけるのは後だ。今は、天龍隊の護衛を続けよう。先にもまして気を張り続ける。今はいいとして、夜間の索敵をどうするか……夜が来れば水偵の運用は難しくなるが、不可能ではない。妖精にも疲労という概念はあるだろうが、耐えて貰う他あるまい。後は、長門の言葉通りだ。目を慣らしておこう。補給基地での小休止がその為に相応しいタイミングだ。基地に酒保があってまだ開いていれば、足しになるものがあるかもしれない。必ず覗くようにしておこう。

 

 長門にはああ言ったが、この落ち度は僕のものだった。僕が油断していたせいだ。日をまたぐような出撃ではないと言われでもしない限り、夜までもつれ込む可能性を念頭に入れておくのが軍人というものだ。規則にもちゃんと、今回僕がやってしまったような勝手な早とちりをしないようにと戒める条文が書いてある。つまり、夜戦装備を持っていないのは僕が悪いのだった。補給基地所属の艦隊に装備の余裕があれば、借り受けることもできるかもしれない。その際には申し訳ないが、天龍あるいは長門、でなければ駆逐艦娘たちに頼んだ方がいいだろう。原因不明の嫌悪を受ける僕が頼んだところで、気に入らない奴に貸す装備はないと拒否される可能性がある。確率としては小さなものだが、無視はできない。

 

 幸いにも、補給基地まで接敵せずに着くことができた。到着までの間に僕は浦風と話し、夜戦用装備を借り受ける交渉を頼んだ。基地で三十分の休憩を取るという通達の後、僕は補給を後回しにして酒保へと急いだ。店員のご婦人はシャッターを下ろすところだったが、僕が身分を提示し、事情を説明すると快く最後の仕事をしてくれた。お陰で僕は強力な大型懐中電灯を手に入れることができた。二万円という値段は僕にとって決して安くはないが、命の為ならどれだけ払っても惜しくない。付属の肩掛け用ストラップを使って身に付けると、やや安心できた。電池も替えを含めて購入したので、今晩使う分には問題もないだろう。

 

 補給施設に戻り、燃料などの補給を受けていると、浦風がやって来た。僕が酒保に行っている間に燃料供給を済ませ、要請しに行っていてくれたようだ。彼女は僕を見て首を横に振った。ダメだったか。まあ、仕方ないだろう。こっちが厚かましいことを言ったのだ。断られたとしても、無礼を働かれたとか、ひどい態度を取られたとは思わなかった。僕は浦風に深々と頭を下げた。本来であれば直接僕がやるべきことを、彼女にやらせてしまったからだ。ここの連中は、僕ではなく浦風をふてぶてしい奴だと考えるかもしれない。仕方なかったとはいえ、そんな役目を押し付けてしまったことが申し訳なかった。

 

 小休止が終わり、基地を後にする。もう真っ暗だが、休みの間に目を慣らしておいたのでそこそこ視界は確保できていた。天龍と位置を交代し、長門と僕が先頭に立つ。長門を交えて水偵妖精と打ち合わせをし、帰還時には僕の懐中電灯で誘導することにした。敵に発見されるのを避ける為にも、長く点灯しておくことはできないので、瞬間的に二、三度点滅させるのが限界だが、それでも上空からこちらの位置を捉えるのには十分だろう。近くまで来てくれれば、回収は可能だ。

 

 二度ほど敵の艦隊を避け、偶然近くにいた友軍艦隊にその位置を教えた。じきに砲戦の音が遠くから聞こえてきたので、彼女たちは不運な深海棲艦たちに襲いかかったに違いなかった。その戦闘の音が聞こえなくなった頃、僕らは長門の嫌う(くだん)の海域に着いた。幾つかの無人と思しき島があるだけの、静かな場所だ。近づいてみると、かつては無人ではなかったようだと分かった。苔むしてはいるが、小さな建物が島に生い茂った木々の中に立っていたからだ。きっと、深海棲艦との戦争が始まる前にはそこにも人が住んでいたんだろう。

 

 島と島の間を抜けながら、歴史の流れに言いようのない切なさを感じていると、長門に肘で小突かれる。イラッと来て彼女を見るが、何も言えなかった。彼女の顔を目にした時、僕は途端に言葉を失ったのだ。僕が知っている長門は常に自信満々で、自分の想像を超えるものが現れることはないと信じきっていた。この天と地の間にはいわゆる哲学などが思いもしないようなものが存在するのだ※61、という古人の言葉を、彼女はその態度で以ってせせら笑っていた。しかし、今の長門は暗闇から何が現れるかを恐れている。いや、違うな──彼女は彼女が知っている何かをその中に見るのを恐れているのだ。恐らくは、以前ここに来た時に彼女が見た何かを恐れている。長門は己の恐怖に聞きつけられるのを避ける為にか、囁くような声で言った。

 

「注意していろ」

「分かった」

 

 長門に倣い、囁き返す。彼女は頷いて警戒に戻った。僕も全力を尽くして、索敵を続行する。水偵も飛ばしたかったが、そうすると誘導の為に懐中電灯を使わなくてはいけなくなる。長門はここを特に警戒すべき地点だと考えていて、この海域にいる間は誘導の照明はなしということになっていた。つまり、水偵もなしだ。頼りは長門や天龍の電探と、自分たちの目だけだった。深海棲艦たちのように無言で、夜の海を行く。けど、連中は本当に無言なのだろうか? 鬼級未満の人型深海棲艦さえ、知性や人格を持っているようだ。一緒にいれば、話ぐらいしてもいいだろう。それとも、普通の人間にはその声が聞こえないのか? だとしたら辻褄は合う。

 

 それでもどうして僕にだけは声が聴こえるのかが分からない。この前の夢だってそうだ、あれは深海棲艦の声だった。僕の部屋にいた筈もないのに、彼女の声が聞こえた。謎の声、聞こえない筈の言葉……訓練所の座学では、人間には感知できない波長の音などを使っていると推測されていると学んだが、それでは僕の部屋でのことが説明できない。テレパシー? まさか、そんなことは考えがたい。けれど、奴らに人間の常識を当てはめるのもおかしな話だった。

 

 ぼそぼそと横から何か聞こえて、思考を中断する。長門が一々口に出さないとものを考えられない奴だとは知らなかった。警戒を続ける為、彼女の方を向かずに名前を呼ぶ。「長門」「何だ」「何をぶつぶつ言ってる」「私は何も言ってない」「何だって? それじゃ今のは……」思わず振り向き、長門の方を見る。彼女は僕に背を向けている。その向こう、海面、彼女が見ていないところに目が行く。白い線がこちらへと伸びて来る。海上に敵艦の姿がないのに。僕は叫ぶ。

 

「雷跡発見! 潜水艦だ!」


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