[完結]Home is the sailor, home from the sea.   作:Гарри

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「長門」-2

「雷跡発見! 潜水艦だ!」

 

 長門は僕の言うことだから信用しないなどというような愚かな真似はしなかった。針路を変え、回避しながら潜水艦を探す。こちらには駆逐艦が三隻いるし、軽巡もいる。不意打ちが失敗に終わった以上、敵の潜水艦はもう逃げるか沈むかしかないだろう。

 

 対潜戦闘の経験も豊かな浦風が、敵の位置を特定した。やぶれかぶれの雷撃を食らわないよう、海面から目を離さず、回避機動を続ける。爆雷が投射され、海面下へと沈んでいく。数拍の間を置いて、爆発。黒い水柱が──横ざまに衝撃。吹き飛びそうになるが、勢いをステップで殺して受け流し、回避運動に復帰。体をチェック。腕はついてる。胴も無事、痛みだけで怪我はない。長門が僕を突き飛ばしたのだ。しかし、その行為を責める気にはなれなかった。僕らは砲撃されていたからだ。

 

 砲口炎を、僕らを挟むそれぞれの島影に見つける。そこに深海棲艦が姿を隠していたのだ。道理で電探に察知されない訳である。潜水艦はこちらの気を引く為の陽動だったのだろう。敵の数は不明だが、よく統制されていた。砲撃の精度も高い。逃げるにせよ反撃するにせよ、この挟撃から脱し、仕切り直さなければ、島々が墓標になる。僕は砲声に負けない大声を出す。

 

「ここから抜けないと、天龍!」

「分かってる! 長門、浦風たちと一緒に全速前進、後ろの抑えはオレたちが引き受ける!」

 

 どうやらそういうことらしい。敵の砲口炎目掛けて撃ち返しながら「駆逐連中が逃げる時間を稼ぐだけだよな?」と天龍に尋ねる。肯定が返って来た。それなら、と僕は懐中電灯を点灯し、水偵を出した。やれることは全部やってやる。電灯をつけた瞬間、砲撃がこちらに集中するようになった。きっとその中には、さっきまで長門たちを狙っていたものもあっただろう。

 

 至近弾を受けた。足に砲弾の破片が刺さり、激痛が走る。歯を食いしばって、姿勢を保つ。こければ死ぬ。余計な身じろぎをすれば死ぬし、体勢を崩せば死ぬ。くしゃみ一つで死ぬ世界だ、ここは。やるべきこと以外は、やるべきではない。二発目の至近弾。今度は額をざっくりと切られた。目に入りそうになった血を拳で拭う。まだか、まだ長門たちは……焦りを気にしないようにしながら防戦を続けていると、無電が入った。駆逐艦娘たちは敵の射程範囲から離脱したようだ。長門はこちらの支援に戻ってくる。

 

 僕の水偵の一機が爆弾を投下し、それが島の近くにいた深海棲艦に直撃した。弾薬に誘爆したのか、そいつは派手に炎を上げて爆発した。火のついた大きな破片が島の木々の中に飛び込み、じきに引火、言わば山火事を起こし始める。黄色い光が隠れていた深海棲艦たちの姿をさらけ出した。天龍と示し合わせ、一隻に狙いを絞って撃ち込む。陰に隠れているという優位性の為に、その敵は静止していた。静止は悪いことではない。狙いを定めやすくなるし、隠れている時には無闇に動いたりしないものだ。けれど、自分の位置を知られた時には、静止というのは非常に悪いことだった。因みに、罰則規定(よい本)によると、その罪の報いは死だけだ。※62

 

 水偵と僕ら艦娘が合わせて二隻を始末したことで、深海棲艦たちの砲撃に躊躇いが見られ始めた。いい兆候だ。長門の支援が加われば、ここから脱出できるだろう。奴らを始末するのは僕や天龍のやることじゃない。敵が退いてくれるなら、退かせておけばいい。行かせてくれるなら、喜んで行かせて貰おう。長門の支援砲撃が始まった。生き残った水偵を回収し、電灯を切る。もう、敵はほとんど撃って来ない。燃えている一端を持つ島から距離を取って、再び身を隠している。長門の言ったことは正しかった。ここは危険な場所だ。特に、夜には。

 

 長門と合流する。頬に小さな切り傷がある他には無傷だった。頷き合い、駆逐たちの待っている方に向かう。早く合流しよう。駆逐数隻で夜の海というのは、気の落ち着くものではない。僕としても、彼女らが心配だった。移動しつつ水筒を開き、怪我した部位に振りかける。足の傷は破片が刺さったままだったので、抜き取ってからだ。涙が出るほど痛かった。暗くてよかったと思う。長門や天龍に泣き顔を見られるなんて嫌なことだ。治療を終えて水筒を戻し、前を向く。すると、ぼんやりと行く手にシルエットが見えた。止まっており、人の姿に見えるようなところもある。が、駆逐艦ではなさそうだ。「長門、見えるかい」「ああ……こちらの艦娘とは思えない。私なら届きそうだが、砲撃するか?」長門は天龍にそう尋ね、彼女は撃つように言った。発射の瞬間に頭を殴りつけられたみたいなショックを周囲に与え、轟音と共に、大口径の砲弾が飛んで行く。

 

 静止目標に当てられないような艦娘を前線に送るほど、軍は馬鹿ではない。長門の砲弾は数発が外れたが、残りの数発は当たるであろう軌道を描いて落ちていった。そして何かに弾き返された。「何だと?」これは僕じゃなく、長門の言葉だ。彼女は自分の砲の威力を把握している。並大抵の相手には、艤装を盾にしたとしても弾き返すことなどできない。できるとしたら、長門並か、彼女よりも強い誰かのどちらかだろう。そんな相手は数少ないが、存在することは疑えない。何しろ、今僕の見ている前でそれが証明されたのだから。

 

 今度はあちらの砲声が鳴った。攻撃されていると分かっていて、動かない理由はない。僕らは一斉に散開した。けれども、敵が撃ったのは実弾ではなく照明弾だった。光に照らされて、こちらの位置が丸見えになる。でも、それは相手も同じことだ。僕は眩しい光に目を細めつつ、敵の姿を見て、ごくりと喉を鳴らした。長門の悲鳴のような声が聞こえた。もちろん、実際に彼女は悲鳴など上げはしなかったが、僕には悲痛に叫んでいるように聞こえたのだ。「空母棲鬼!」偽りの太陽※63の下、艤装の上に寝そべって、余裕の表情を浮かべた空母棲鬼の艦載機が、次々と発進していく。僕は、ぼけっとそれを見ていた訳ではなかった。対空砲火を展開し、幾らかを落とす。だが望んだほどは落とせなかった。それは空母棲鬼が、僕に向けて砲撃を始めたからだ。空母の癖に艤装に大きな砲を持っているのは、ズルいように思える。加賀だってあんな大砲は使わない。矢か副砲ぐらいのものだ。長門に無電を飛ばす。

 

「どうする?」

 

 落ち着いた声が出たことに自分でも驚いた。予想や希望というのはしばしば裏切られるものだ。僕らはよく「こうなるだろう」という推測をする。しかし、そこには常に間隙があって、物事は決してその通りには動かない。それこそ抜け穴と言うべきものが、人間の予測を嘲笑う現実をもたらすのだ。そのことを僕は知っていて、だから落ち着いていられたのかもしれなかった。恐慌状態に陥るよりは、いいことだ。

 

 長門は返事をしない。どう答えたらいいか迷っているのか? 天龍にも同じことを問う。どうすればいいんだ? 僕は指揮官じゃない。旗艦の立場には、過去と現在のどちらでも立ったことがなかった。こんな時どうすればいいのか、分からなかった。僕はがむしゃらに敵の戦闘機の機銃掃射を避け、撃墜し、空母棲鬼の砲撃を切り抜け続けていた。その行動には指針も何もなかった。生き延びようとしているだけだった。

 

 何度目かの指示の要請をしていると、無電に雑音が入った。耳が痛んで僕は舌打ちをし、聞こえて来た声によって顔をしかめた。「何度(ナンド)デモ、何度(ナンド)デモ、(シズ)ンデ()ケ……!」周波数を知られてしまったようだ。こういう時の為に、予備周波数の用意がある。だが僕はすぐには切り替えなかった。空母棲鬼が他に何か言うかもしれない。僕からの交信で、相手を怒らせたりすることもできるかもしれない。普通に戦っても勝てそうにないなら、普通でなくなることだ。

 

 一向に動こうとしない空母棲鬼からの攻撃を避けながら、砲撃を行う。彼女は僕の砲弾が当たる直前、無造作な動きで手を振るい、それを打ち払う。長門の砲弾弾きを見ていなかったら、度肝を抜かれていただろう。笑い声混じりの通信が入る。「()クト、(オモ)ッテイルノカ?」狙い、撃つ。弾かれる。よし、この距離なら外さないようだ。僕は大きく息を吸い込む。空母棲鬼はまだ笑っている。「無駄(ムダ)ナコトヲ……カワイイナ」「ああああああああ!」「ァッ!」叫びを彼女の耳に届けてやる。思った通りだ。彼女は反射的な行動として、思わず身を竦め、手で耳を抑えた。そこを撃つ。砲弾が狙ったところに飛んで行く。夜の闇を切り裂く一条の光が、空母棲鬼の本体に突き刺さる……そう思った。

 

 咄嗟に彼女は艤装を動かし、避けようとしたのだ。砲弾は彼女の体に当たらず、彼女の左の手元にあった航空甲板部分に直撃した。まあ、これで航空甲板の一つは使えなくなった。願ったよりは小さな戦果だけれども、空母棲鬼相手にやったのだ。大金星と言ってもいいだろう。だが、僕にできるのはここまでだ。ここからは、長門の力が不可欠だった。とにかく何でもいいから、長門を動かさなければならなかった。彼女は戦ってはいるが、それは航空機からの攻撃に反応してのことだ。それではダメなのだ。彼女のやるべきことは、空母棲鬼を始末することである。空は天龍と僕に任せて、だ。

 

 周波数を予備のものに変え、長門に呼び掛ける。返事は、やはりない。空からは爆弾が降ってくるし、気を抜くと魚雷がやって来る。戦闘機による機銃も嬉しくない。何より、空母棲鬼の砲撃は完全に僕だけを狙い始めた。声一つのせいで砲弾を身に受けたのが余程気に入らなかったようだ。逃げる僕の背中目掛けて、食らったら最後だと思うような砲弾を放ってくる。最早、僕のことを可愛いとは言ってくれないだろうか? 首だけ後ろに回して見ると、彼女の被弾した航空甲板は燃えていた。その火と照明弾の光に照らされて、空母棲鬼の顔が見えた。最初の余裕は消え失せて、怒りに顔を歪めている。端正な顔が醜い感情に歪んでいるのは、何処か奇妙なエロティシズムを僕に感じさせた。

 

 長門は返事ができないのか、それとも無視しているのか。もう我慢ならなかった。僕は彼女のところに向かおうとした。平手を一発食らわせてやれば、正気に戻るかもしれない。空母棲鬼は脅威だ。今の戦力で戦って勝つのは難しいだろう。でも、この場を切り抜けるのが不可能な相手じゃない。こんなところに空母棲鬼が出るなんて僕は知らなかったが、もし軍の方も知らないのなら、どうにかしてここから生きて帰り、報告しなければいけない。でなければ、また同じことが繰り返されてしまう。ここを夜に通ろうとして、襲われる艦娘たちが出てくる。そんなのは見過ごしておけなかった。

 

 と、深海棲艦の艦上爆撃機が投下した爆弾の一発が、長門の足元に落ちるのが見えた。あの大きな艤装を身につけた長門が、初年兵みたいに無様に海の上をバランスを崩して転がり、沈み始める。彼女ほど慣れた艦娘なら、通常は自分での海上への復帰が可能な筈だ。しかし、今の彼女はそうではないようだった。僕は泣き出したい気持ちになりながら長門のところに一直線に向かった。当然、それを撃つ側からすると、動きが読みやすくなる。それでも、長門をここでみすみす死なせられなかった。砲弾が二発、僕の手前と僕の奥へと落ちる。夾叉(きょうさ)って奴だ。それが意味するところはヤバいの一言に尽きる。砲弾が落ちたところに立つのは、大きな水柱と、それに比べれば少し小さな水柱。主砲と副砲での砲撃だ。生身に当たれば到底、生きてはいられない。

 

 かなり無理のある姿勢で腕を海の中に突っ込み、長門の手を取る。足を止め、引っ張る。彼女は重い。加賀の時と違い、勢いを利用したのでもない僕の力では、引き上げるのに時間がかかる。脱臼の恐れが脳裏を過ぎるが、僕の肩でなければどうなろうと知ったことではない。海の上に踏ん張って、引き続ける。長門の首から上が出た。青ざめた顔をしている。顔に濡れた長い髪の毛が貼りつき、目は閉じられている。見えているところに傷はない。「あんな爆弾の爆風程度で、死んだなどとは言わせないぞ!」目を覚ましてくれることを祈り、彼女を怒鳴りつける。砲弾がまた近くに落ちる。敵の航空機が近づいてくる。肩の砲塔を活用して、それを撃墜する。火を吹いて、近くに落ちた。どうにかほぼ全身を引き上げたが、目を覚まさない。彼女の艤装が邪魔で後ろから抱えられないので、前から抱きついて保持しているような状態だ。お陰で前方が見えない。こんな状態では戦いなどできない。なのに長門は目を覚まさない! どんなに呼んでもだ!

 

 冷静さを欠いていたことを認める。焦っていた。それから恐れていた。怒ってもいた。長門がちゃんと、彼女の全力を尽くしていないと感じていた。不自由な視界に映る天龍は、あちこちの傷から血を流しながら、それでも敵航空隊を翻弄している。彼女が航空隊の大部分を引きつけているお陰で、僕はまだ長門の横に沈まずに済んでいたのだと思う。戦争狂を自らあけすけにする態度に恥じない、比類なき能力だ。この僕だって頑張ってる。だが長門は? 僕は怒りに任せて、付近に漂っていた、さっき自分が撃墜した敵航空機を掴んだ。まだ赤々と燃える火を揺らめかせているような奴をだ。そして、それを長門のむき出しにされた腹に思いっきり押し付けてやった。

 

 戦場を貫く大絶叫は、ほんの一瞬、それを聞いた全てのものの動きを止めた。敵航空隊は攻撃をやめ、空母棲鬼は呆気に取られて砲撃を中止した。天龍も立ち止まり、こちらを見た。僕はと言えば、目を覚まし、混乱し、それから正気を取り戻し、彼女の冷えた柔らかな体に抱きついているクソ野郎を見つけた長門によって、思い切り睨まれているところだった。光の速さで僕は彼女から離れた。長門の艤装は作動し、彼女は海の上に立っている。もう大丈夫だ。彼女は口を開きかけたが、僕が抱きついていたことについて長門が何か言い始める前に、それに被せて僕は言った。

 

「空母棲鬼をどうにかするんだ! 一緒に! 今すぐ!」

 

 彼女は頷いた。同じ方角を向き、そちらへと全力で進む。砲撃が再開されるが、丁度いいタイミングで照明弾が着水して消えた。空母棲鬼は再度の照明弾射撃の為に、弾種切り替えをするだろう。束の間、彼女は撃てなくなる。ありがたい。長門の顔色は未だ戻らないが、開かれた目には活力が戻っている。彼女の冷静な声が、無線と肉声の両方で聞こえた。

 

「天龍、ここからは私が指揮を執る。いいな?」

 

 本来、指揮権の委譲は天龍が言い出すことであって、それを長門の立場から、提案でさえない宣言として行うのは不法行為と言ってもよかった。しかし、この場での最善はそれだったのだ。天龍への提案と了承などという、まどろっこしい手続きを踏んでいる暇はなかった。天龍もそれは分かっており、長門への指揮権の委譲を認めた。「感謝する。対空戦闘を継続せよ、空母棲鬼はこちらで片付ける」「おう、任せたぜ!」天龍の声は生き生きしている。本当に楽しいのだろう。

 

 さて、長門は戦闘に復帰した。空母棲鬼と接敵したという心理的ショックからも、一定の回復をしたようだ。長門ほどのベテラン艦娘がどうしてあそこまで強いショックを受けたのか分からなかったが、精神分析は後にしよう。大事なのは、長門が今、横にいて、共に敵と戦っているということだ。空母棲鬼にもう一太刀浴びせる用意は整った。次は、それをどうやって成し遂げるか考えよう。「策はある?」「破壊された飛行甲板を見ろ」言われた通りのことをする。甲板は燃え続けていた。もうもうと濃煙が立ち上っており、空母棲鬼は鬱陶しそうにそれを時折払っている。

 

「赤と黄色にまばゆく燃えて、彼女はまるで太陽みたいな女性だな。ええと、それから、煙も出てる。なるほど。どっちが陽動する?」

「私がやる。お前では数秒と持たんだろうからな。私の合図で始めろ」

「同感だ、了解。ところで聞きたいんだが、奴とは前にもここで戦ったのか? その時はどうなったんだ?」

「親友を失った。気は済んだか? 今だ行け!」

 

 長門から離れ、空母棲鬼の左手側、煙で彼女の視界が遮られている方に移動する。照明弾が打ち上げられ、海が照らされる。だがその前に、僕は空母棲鬼の視界が煙で潰れる角度へと自分の体を滑り込ませていた。彼女の注意は、今や長門にのみ向けられている。砲撃、防御、砲撃、防御、砲撃……長門と彼女は、まるで遊んでいるようだ。長門の砲弾を空母棲鬼が弾く。空母棲鬼の砲弾を長門が弾く。一度のミスで死ぬ遊びだ。あんな真似ができるのは、彼女たちだけだろう。どうやったら飛んでくる砲弾を手で弾き飛ばせるのか、科学で解明して欲しいものだ。もっとも、技術として会得可能だとしても、僕にそれを学ぶつもりはない。失敗して死ぬのが目に見えているからだ。

 

 じわじわと近づいてくる長門に、空母棲鬼は焦りと苛立ちを感じているみたいだった。初めの内は発砲の間隔を意図的に操作して、防御を失敗させようとしていたのに、今は装填が終了し次第発砲しているようだ。それでも長門の鍛え上げられた堅牢な防御は崩れない。砲撃以外で彼女を攻撃したくとも、航空隊は天龍によってがっちりと釘付けにされている。

 

 たった一隻の軽巡にありったけの航空戦力を投入させられ、挙句の果てにそれでもこう手こずることを、きっと空母棲鬼は(いぶか)しんでいるだろう。彼女の困惑を想像し、それを笑ってやる。あそこで頑張っている軽巡艦娘を誰だと思ってるんだ? 戦争狂にして戦闘の天才、護衛艦隊旗艦、天龍だ。好きこそものの上手なれ、という言葉を体現するかのように、彼女は戦うことについて知っている。どのタイミングで身を捻り、足を動かし、撃ち、防ぐべきか。彼女は全部、知っている。頭でも、体でも。そこらの軽巡なんかと同じように思って貰っては困るというものだ。

 

 身を低くし、雷撃準備に入る。早すぎては魚雷が拡散し、命中本数が減ってしまう。そうなると有効な打撃を与えられない。近すぎれば気づかれてしまうか、自分まで被害を受ける。絶妙な時を選ばなければならない。長門は僕がそれをやり遂げられるとは思っていないのか、視線が突き刺さるのを感じた。そんなことをすれば空母棲鬼が感づいてしまうかもしれないというのに。僕は長門を嫌いつつも、その能力については心の底から信頼している。長門も僕に対して、個人的な好悪の感情を抜きにして、公正に判断して欲しかった。そうすれば、妙な展開にはならなかったかもしれないのだ。

 

 思うに、空母棲鬼が長門の接近に焦り、杜撰(ずさん)な攻防を露呈する一方、長門は彼女が独力で空母棲鬼を始末できるかもしれないと感じ始めていたのではないだろうか。もし彼女が自らの力のみで空母棲鬼を撃破、最悪でも撃退できていれば、僕に一番の手柄を取られるという屈辱もなく、過去の雪辱もほぼ理想的な形で果たせたろう。それは現実で実際に起こったことではなく、あくまで()()()の話だったが、とにかく僕はそう考えている。

 

 空母棲鬼は焦って攻撃が単調になり、長門は勇み足を踏んで防御ではなく攻撃に彼女のリソースを割こうとした。そして、敵はそのチャンスを逃さなかった。僕は決定的な瞬間を見ることができなかったが、無線を聞くことはできた。空母棲鬼の「何度(ナンド)デモ()(カエ)ス、()ワラナイ(カギ)リ……」という偉ぶった言葉に被さった、長門の「被弾した!」という、驚いたような短い声につい振り向いてしまい、彼女の左腕が肩口で半ば取れかかっているのを認めた。そして、僕は彼女の名前を叫ばずにはいられなかった。その声が空母棲鬼に、彼女への攻撃が迫っていたことを教えてしまった。手で空を薙いで煙を払い、砲口をこちらに向ける。僕はそれを見ている。避けられそうにない。回避機動に入る前に撃たれる。避けられない。だから、外させるしかない。

 

 探照灯の役目さえ果たしてくれたあの電灯を、空母棲鬼の顔に目掛けて照射する。絶叫の時と同じように、予想外だったのだろう、彼女は身を捩ってしまった。砲弾が頭の近くを掠め、右耳がもぎ取られるのを感じる。きぃん、という音が頭の中に響き、それ以外の音が聞こえなくなる。僕は魚雷を放つ。砲を放つ。回避機動に入る。魚雷はそのどれもが空母棲鬼を捉えるが、彼女は目眩ましを受けながらも、砲弾を防ぎ続ける。艤装は堅固で、僕の雷撃では揺るがない。彼女の砲が僕を捉える。ああ、クソったれ、僕じゃダメなのか?

 

 僕の疑問の答えは「その通り」だった。僕じゃダメだ。分かっていたことだ。僕では勝てない──長門でなくては。彼女の砲弾が、二度目の侮辱によって完璧にキレた空母棲鬼の両足を吹き飛ばした。艤装から火が吹き出て、彼女の顔を一舐めした。火のついた燃料だったようで、すぐさま鎮火されたが、顔に付着した燃料はそのままだった。空母棲鬼は痛みに喚きながら、めくら撃ちを始める。僕はそんな弾に当たらないように、急速に彼女から離れた。とどめを刺すべきだったかもしれないが、それよりも長門の手当が先だ。あんな風に腕をやられては、自分で修復材を使うのは難しい。

 

 長門は空母棲鬼を追い払った最後の一撃を放った後、ぼたぼたと左腕の付け根から血を流しながら、立ちすくんでいた。ナイフを抜き、皮一枚のところで繋がっている腕の残骸を切り離す。それからただちに希釈修復材を使用し、出血を止める。ついでに僕の耳にも振りかけた。長門は立ってはいられるようだが、意識は混濁しており、目に生気がなく、体温が低い。中度の出血性ショックだ。この状態になっては、幾らビッグセブンでも戦えない。天龍に通信を繋ぐ。

 

「長門は戦闘続行不可能、空母棲鬼は撃退、指揮権は君に戻った!」

 

 次の指示を、と言おうとして、耳をつんざく金切り声に口を閉じる。

 

(ヤツ)ラヲ(シズ)メロ! (シズ)メロ! (シズ)メ!」

 

 両足もない身で元気なものだ。大量に出血しているだろうに、滑舌も悪くない。だが、彼女が命令を発しているのが気になった。この付近にいる深海棲艦というと……あの島影にいた奴らか。さっき来た方角を見ると、確かに敵の姿が見える。二隻か、三隻か。空には空母棲鬼の置き土産がまだいて、追手が掛かってる。素敵な状況だ、心が沈む。対照的に天龍は追い込まれれば追い込まれるほど気分がよくなるらしい。声からその様子が透けて見えた。

 

「しゃあねえなァ……うっし、ケツに帆掛けな。島に逃げ込むんだ。教官も言ってたろ、『海上戦だけが砲戦のやり方じゃない』ってよ」

「了解、先導してくれ。対空戦闘を支援する」

 

 つけたままだった電灯を消し、長門に肩を貸して曳航する。速度は落ちるが、彼女を置いていく訳には行かない。友達じゃないが、戦友だ。日本語だと「友」という漢字が使われているせいで意図がやや不明瞭な文章になってしまうな。つまりこういうことだ。僕らはДружба(友情)ではなくСлужба(義務)※64で結ばれた同胞なのである。Службаを「義務」と訳すのはいささか超訳気味だが、不可能ではない。僕の心の片隅に住んでいる響には許して貰うとしよう。心の中で謝ると、彼女は帽子をくいっと上げて、にこりと笑った。許されたようだ。

 

 肩部砲塔での対空射撃を行う。空母棲鬼との戦闘開始からずっと天龍に掛かりっきりの航空隊は、僕からの射撃に対して無防備もいいところだった。戦闘機動によって燃料を消費しすぎたのか、彼らの主が離れたからか、動きも悪い。とはいえ鴨撃ちとまでは言えず、彼らの攻撃は今なお脅威の一つだった。空母棲鬼の指示に従ってこちらを追撃しようとする深海棲艦たちから、今度は僕らが島を使って身を隠しながら進む。航空隊は付いてくるから姿をくらませることはできないが、逃げるところを撃たれる心配は少ない方がいい。

 

 天龍が上陸に都合のいい砂浜と、逃げこむのに使える森林を持つ島を見つけ、僕らはそこに突進した。敵の航空隊は既に壊滅状態になっており、やはり燃料切れを起こしたらしく、撃ってもいないのに落ちていく機体もあった。単に幸運だ、と言っては天龍に失礼だろう。彼女が敵の航空隊を引っ掻き回し、燃料を浪費させたからこそ、今この時のこの僥倖が訪れたのである。少なくない努力がしばしば無駄になるが、時には実を結ぶこともあるのだ。

 

 足の立つ適当な深さのところで脚部艤装を外し、小脇に抱えて歩く。長門の艤装までそれをやっている余裕はないので、彼女は引きずらせて貰う。後で掃除が大変だろうが、生き残れたなら艤装の整備ぐらい喜んでやってやる。長門の容態は悪化するばかりだ。意識を喪失しており、一刻も早く応急手当をしなければ僕の横で死んでいくことになりかねなかった。出血性ショックというのは少量の出血でも発生しうる上に、手当てせずに放っておくと出血の多寡に関わらずあっという間に進行する。兵士の永遠の敵だ。そんな奴に、僕の旗艦を渡す気はない。彼女は戦場で、華々しく、派手に最期を迎えるべきだ。何処とも知れないような島の中で血を失って死ぬなど、彼女には許されない。そういうのは僕みたいな奴の担当だろう。

 

 敵の航空隊は残ったほんの少しの燃料を、僕らへの絶望的な攻撃に使うことに決めたらしい。僕は天龍を先に林の中に行かせて、足を止め、電灯をつけて空を照らし、長門を支えたままで撃ちまくる。機銃掃射が数メートル向こうから土を舐め上げるように行われ、何発かを身に受ける。内蔵には損傷がないようなので、修復材を使う。残りは三分の一ほどだ。心もとないが、祈ろうが不安がろうが修復材の雨が降って来る訳ではない。

 

 天龍が森林に到着した。通信でそれを知らされた僕は対空砲火を中断し、長門を艤装ごと担いだ。負傷者を運ぶ時に使う、運搬者の両肩に対象の体重を掛けさせる担ぎ方を使えば、僕でもギリギリ長門を担げた。これがもし武蔵だったら、彼女には悪いが無理だったろう。死にかけの豚みたいなスピードでのろのろと走る。もうちょっと、もうちょっとで天龍のところに辿り着く。そう考えて僕が足腰に持てる全ての意志の力を集中した瞬間、敵航空機が落っことした爆弾が後ろで爆発した。

 

 直撃しなかったのはどうしてか、爆風で宙に浮かび上がりながら僕はとっくり考え込んだ。放物線の頂点に達したところで閃きがあり、林の中、硬い石か何かの上へとうつ伏せにどさりと落ちたところで結論を出した。きっと、僕が余りにものたのた走っていたから、未来位置の予測が上手く行かなかったんだろう。

 

 体中の痛みに耐えながら起き上がり、長門を見る。僕が下になるように落ちたので、彼女は痛みさえ感じなかった筈だ。怪我していたら治療しなければならない。水筒を取ろうとして、それが失われていることに気づく。見れば、月光を鈍く反射する僕の水筒が砂浜に落ちていた。爆弾のせいで腰から脱落したようだ。取りに戻る気にはなれなかった。もう十数秒もすれば追手の深海棲艦が僕らへの視界を確保するだろう。のんきに水筒を拾いに行っていたら、撃たれてしまう。自分がそれに当たらないと信じ込めるほど、僕は幸運な男ではなかった。

 

 長門を引きずり、島の奥へと逃げる。斜面になり、自分が森林というより山と呼ぶべきものの中に逃げ込んでいるのだということを悟る。まあ、高所を取るのは悪いことじゃないか。いい具合に、僕らが上がってきた砂浜の方を見下ろすことのできる地点に、木々が密集して茂っていた。その自然の天幕の下に長門を寝かせる。意識がないので、艤装を外させた上でうつ伏せにして、顔を横に向けておく。彼女の胃には吐くようなものは残ってないかもしれないが、もし固形物が残っていたら嘔吐した際に気道を詰まらせる恐れがある。

 

 それから僕は──ああ畜生、こんなこと考えるのも勇気が要るが──長門の服を脱がした。そうしなけりゃならなかった。体温を上げる為に、濡れた衣服がいつまでも彼女の体にくっついてちゃ都合が悪い。天龍に代わって欲しかったが、彼女は敵を監視していたんだ。奴らは僕らの隠れた島の前で、次の動きを考えるように待機しているらしかった。長門が女性だからここから先は僕にはできない、代わってくれ、なんて言い出せる状況じゃなかった。

 

 脱がせると言っても、やることは少ない。長門は、彼女が艦娘であるという大前提がなければ、半ば痴女めいた格好をしている。これは武蔵なんかも同じだが、どうして一部の艦娘たちは人間をかくも安心させてくれる衣服というものを軽んずるのだろうか? あれやこれやのどうでもいいことを頭に浮かべ、罪悪感と恐怖を抑制しつつ僕は僕の旗艦殿の薄布を剥ぎ取っていく。と、背中に何か見えた。汚れが付いているのかと最初思ったが、それは文字と数字の集まりであり、刺青か何かのようだった。何だろうとは思ったが、彼女の背中を直視し続けることは戦場に場違いな艶かしさを感じ続けることだ。目を逸らさざるを得なかった。

 

 そうやって彼女をすっかり脱がせた僕は、長門のものに比べればまだ乾いていた自分の上着を着せた。それを失った僕は肌寒いが、悪くても鼻水が出るくらいだ。長門の回復の為なら鼻水程度、甘んじて受け入れよう。次に、サバイバルブランケットを出し、長門を包む。断熱性に優れたこの布は、彼女を温めてくれるだろう。そこまでやってから、僕は天龍に尋ねた。

 

「次は?」

「ここで助けを待つんだよ。何だ、打って出るとでも思ったのか? ……GPSはダメだ、いつも通りぶっ壊れちまってる。でも駆逐共が近くの泊地なり基地なりに救援を求めに行くだろ。一日二日ここで頑張れば、助けが来るさ」

「君のところの二番艦は特に有能そうだしな。そうだ、天龍。君の怪我の治療をしなくちゃ」

「ちっ、染みるのは苦手なんだよ。頼むからちゃっちゃと済ませてくれ」

 

 彼女を座らせて、希釈修復材ではない、通常の医療品を用いた手当てを行う。長門の分を使おうかと思ったが、彼女が何処にそれを持っているのか分からなかったのだ。少なくとも、服には取り付けていなかった。通常の医薬品は傷口を瞬時に治してしまうようなものではないが、止血にはなる。天龍は体のあちこちに傷を負っていたが、どれ一つとして大きなものはなかった。そのことを言うと、彼女は誇らしげに豊かな胸を張り、獰猛な笑みを浮かべた。「あったりまえだろ! オレは世界水準超えの天龍様だぜ?」装備の水準について何か言う気にはなれないが、天龍を世界中の軽巡艦娘とその能力について比べた時、かなり高位に位置することは容易に信ずることができた。それだから、僕が彼女の傷を消毒し、止血剤を振り掛けて包帯や大型絆創膏で固定すると、歯の隙間から出てくるような苦痛の呻吟を漏らすのがおかしかった。

 

 手当てが終わると、彼女はぶすっとした顔で礼を言い、僕に少し休むよう命じた。その言葉を聞くや、体の疲れがどっと出てくる。願ってもない申し出だった。少しでも長門の体温を上げさせる為に、彼女の包まるブランケットに一緒に入る。ひしと身を寄せて、こちらの体温が長門に伝わることを祈った。そのまま寝ようと思ったが、目が冴えて眠れない。まあ、目を閉じているだけでも体力は回復できる。天龍に適当なところで交代するから声を掛けてくれ、と言って、僕は眠る努力を始めた。意味のない努力だった。長門と天龍の息遣い以外の全てが、僕には深海棲艦が姿を現す予兆に思えたのだ。風が吹き、草木がざわめき、夜鳥と虫が鳴く度に、僕はその音の出所へと神経を尖らせてしまうのだった。その為、うとうとするのが精一杯だった。


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