[完結]Home is the sailor, home from the sea.   作:Гарри

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お前なしで、故国に起こりつつあるあらゆることを目の前にして、どうして絶望しないでいられよう?

──イワン・ツルゲーネフ※66


「第五艦隊」-1

 執務室に再入室した時に僕を出迎えたのは提督の不愉快な笑みと、それを守る吹雪秘書艦だった。僕は入室の勢いを保ったまま執務机を飛び越えて提督の顔面に膝でも打ち込んでやりたかったが、どう頑張っても吹雪秘書艦の先制攻撃で失神する未来しか見えなかった。そこで僕は、紳士的に振る舞うことにした。そうしている限り、吹雪秘書艦は僕に敵対的接触を実行する口実を得られない。口実や理由がなければ、彼女のような実直な人物は、相手を制圧・鎮圧するという類の行動には出ないものだ。

 

 第五艦隊。悪くない響きだ。軍規では鎮守府、泊地、基地などに所属する提督一人に付き艦隊は四つまで、ということになっているが、そういう原則を無視した、我が二特技研の提督らしい艦隊名である。第四艦隊を第五艦隊に改名したのではないことを確認してから説明を求めると、吹雪秘書艦が提督に代わって解説してくれた。提督はお薬の時間でお忙しいとでも言うのか? 僕は突然降って湧いたような、この新設艦隊における旗艦任命という辞令を喜んで受け入れる気にはなれなかったが、秘書艦の真摯な態度に触れて、せめて説明して貰っている間は大人しく聞いていようと決めた。

 

 説明はこうだった。第五艦隊は特例によって創設を許可されており、実験的なSAR(捜索救難)※67部隊として設立される。その役目は伝統的なSAR任務、つまり何らかの事情で、自力帰投が不可能になってしまった艦娘たちの救助のみではない。行動範囲内で壊滅の危機に瀕している交戦中の艦隊への増援という任務も請け負うのだ。この性質上、空母を除いて低速艦……はっきり言ってしまえば戦艦の配備は困難になる。重巡で替えが効くし、空母のように不在のデメリットが大きすぎる訳でもない。しかも、戦艦を必要としている艦隊は沢山ある。

 

 そこで、重巡を中核とした艦隊を作らなければならなかった。オーケイ、ここまでは分かる。だがどうして僕が旗艦になる? もっと適任がいる筈だ。妙高さんは? 足柄や羽黒だっているじゃないか。三人が三人、第二艦隊所属だが、そこは第一艦隊や第三艦隊辺りから一人連れて来ればいいだろう。僕が旗艦というのはマズいのだ。何しろ僕はこの研究所所属の艦娘として、最後任である。軍への入隊も僕が一番遅い。それがいきなり旗艦だ。後から来て、理由もなしに昇進なんて、周りがどう思うか考えるだけで憂鬱になる。旗艦だぞ? 第一艦隊で言えば吹雪秘書艦、第二艦隊なら長門だ。そこに僕が並べると思うのか? 想像するのもおこがましいことだ。順番や能力で言えば、妙高さんが最適なのだ。彼女がダメだったとしても、とにかく僕だけは選んで欲しくなかった。

 

 しかし、命令は絶対だ。それに僕は艦娘であって、会社勤めの民間人たちとは違うのだ。従いたくないから、とか、嫌だから、というクソみたいな理由で逆らうことができる(無論その報いは受けるだろうが)人々と僕らを隔てるのは、そこなのである。僕らは常に前進し、勝利し、掴み取る──いいえ、僕はやりたくありませんなんて、絶対に言わないのだ。そんなことを言い出すことが許される軍が、どうやって戦争を遂行できるだろうか?

 

 説明を受け、それを聞きながら自分の身に何が起こったのかということを咀嚼する時間を与えられたことで、僕は緩やかに現実を受け入れることができた。ただ、弱音を全く吐かなかった訳ではない。予防線を張るという意味でも、それを言わないでおく手はなかった。「僕はここに配属されて一年と経ってません。そんな奴の指揮で艦隊が戦えると?」すると初めて提督は自分で何か言う気になったらしかった。

 

「気にしなくていい、できるようになる。二番艦として優秀な者を用意しておく。これが資料だ」

 

 秘書艦経由で渡された書類を、ほとんど見もせずに突き返す。提督は面白そうに眉を上げた。

 

「見るまでもない、か? まあいいだろう。空母枠にはお友達の隼鷹を入れる。秘書艦、第一艦隊に隼鷹の代わりを探しておけ。それと、残りの枠は何だ?」

「軽巡二と駆逐艦一、もしくは重巡・軽巡・駆逐それぞれ一です、司令官」

「駆逐には不知火か、響か……ふむ、確か第一艦隊の時には響とよく組んでいたな? 響を回す。響の穴は不知火に埋めさせろ。後の枠、二人分は旗艦が好きに選べ。解散。ああ、言い忘れていたが荷物をまとめておくように」

 

 彼女の「解散」の言葉で即座に部屋を退出しようとしていた僕は、最後の付け加えられた指示によって止まった。「どうしてです?」と僕は質問し、提督は「そりゃ、お前が旗艦学校に行くからさ」と真顔で言った。

 

 旗艦学校。わざと似たような響きにしたのかは知らないが、こいつは言ってみれば士官学校みたいなものだ。艦娘が()()()旗艦になるに当たって、指揮を学び、指揮官としての心構えを学ぶ場所である。軍法では、艦隊の一番艦に就任する条件として、ここを卒業することが義務付けられていた。講師ほぼ全員が退役した艦娘であることを除けば士官学校と変わりはなく、三分の二に減った実技訓練と二倍半に増えた座学を除けば、艦娘訓練所とも大差ない場所だ。僕はそこで四ヶ月を過ごし、その後で二ヶ月の卒業試験を受けなければならなかった。率直に言って、人生でこれ以上に忙しい六ヶ月はなかったと思う。訓練所時代、僕らは毎日へとへとになって息をするのも億劫なほど疲れ切るまでしごかれたが、寝る時間は長めに取ってあった。座学にテストはなく、最低でも実技教官の許可さえ出れば僕らは訓練所を出ることができたのである。

 

 ところが旗艦学校は違う。複数の学科ごとにしばしばテストがあり、そのどれにも合格点を取らなければならなかった。本来なら、入学にもテストが課されていたのだ。僕はそのテストを受けなくて済んだのだが、それはこの旗艦学校に関する軍法を、長門と提督がよく知っていたからだった。それを参照するならば、野戦任官的に旗艦の任を務めたことのある艦娘は、入学試験を受けなくともよいという条文を見つけることができる筈である。長門は、天龍が死んで彼女が意識を失った後、僕が旗艦を一時的に務めたと証言したのだ。僕はどうやって彼女が意識を失っている間に起こったことを証言できたのか、さっぱり分からない。軍がどうしてまたそれを正当なものとして受け入れたのかもだ。けど、そうなった。

 

 そうなった以上だ、僕はやり遂げなくてはいけなかった。だってそうだろう? しくじったら放校、元の艦隊に戻ることになる。提督の目論見は潰れ、彼女は苛立ちを抑える為に薬を沢山飲むだろう。そのせいで仕事を増やされた吹雪秘書艦はお怒りになり、長門はでっち上げの証言までしたのを無駄にされてキレる。僕は死ぬ。多分ね。三日以内には。

 

 人間には限界があるが、軍はその限界というものを見極めることに長けていて、死ぬ気でやればクリアできるギリギリのラインを熟知していた。僕は僕自身を活用するだけでなく、軍がつけてくれた、訓練所を出た後の兵隊なら誰でもできることを代わりにやらせることのできる民間人の使用人を活用して、そのラインを見事に乗り越えた。この経験は僕の自尊心を大いに高め、使用人に指示を出すことによって、誰かに命令するということに慣れるという経験を積むこともできた。軍は大抵、何にでも二つ以上の目的を持たせたがるものだ。

 

 いいことばっかりだったって訳じゃない。単なる肉体的苦労を得ただけでなく、僕は半年間ほぼ全く自分の時間を持つことができなかった。学科の勉強をし、実技の自主訓練をし、戦術研究を重ね、発表用の原稿を推敲し、発声練習を行い、学科の勉強をし、ちょっと横になって、三度学科の勉強をし──そんな生活だ。お陰で軍法の最終試験は九十七パーセントの成績を取ったが、それが何だ? 戦術は八十五パーセントだった。僕は前線にいるより軍法専門の弁護士でも目指した方がいいのかもしれない。ああでも、実技はそこそこだった。誰がそんな噂を流したのか少し心当たりはあるが、僕は空母棲鬼とまともにやりあったことになっていたから、みんなそれなりに一目置いてくれたのだ。旗艦学校でも多くの艦娘が僕のことを避けたけれど、実技の際に僕を意図的に困らせて足を引っ張ってやろうとするような困った連中はいなかった。

 

 旗艦学校で学んでいる間に、印象深い出来事が幾つか起こったが、陸軍の奴らと話した時のことをよく覚えている。用事で学校外に出た時に、僕はちょっぴり開放感を味わいたくなって、寄り道をしていったのだ。喫茶店に入り、財布を引っ張りだして金を数え、何かを注文する……そんなことに喜びを覚えるなんて、産まれて初めてのことだった。いい気分だった僕は、二人の青年に相席を頼まれた時にも断らなかった。

 

 そいつらは幼年学校から上がったと思しき、陸軍士官学校の若き候補生たちで、明らかに僕のことを知らなかった。初めは面白く話を聞いていたが、士官として自分の下に配属される三十人ほどの部下たちを把握することがどれだけ難しいかを僕に向かって愚痴り出し、それに比べれば艦娘たちの旗艦は五人の面倒を見るだけでいいんだから気楽なもんだ、と言われては、僕も黙っている訳には行かなかった。喧嘩するとお互いよくない立場に置かれるので、あくまで議論の体裁を保ってはいたが、もしその縛りがなければ僕は、そいつらを床の上にでも寝かしつけてやっていただろう。

 

 四ヶ月の訓練の後、僕と他の旗艦候補生たちは色々な艦隊へと二ヶ月の期間限定で配属され、そこの元の旗艦を二番艦として、彼女の補佐を受けながら旗艦を体験する、というテストを受けた。これもまた大変で、詳しくは思い出したくもない。だが一つだけ言うならば、旗艦という地位は、そこにいる艦娘が周りにそう見せているほど、いいもんじゃないってことだ。給料はそんなに上がらない癖に、仕事量と責任は一気に増える。提督の指示通りに実験的艦隊で旗艦を一年務めるよりも、第二艦隊で六番艦を五年務める方が格段にマシだった。

 

 そういう事情があったので、半年後に第二特殊戦技研究所に戻ってきた時、僕は思わず涙を流しそうになってしまったほどだった。旗艦学校に行ってよかったこともある。学べたこともあったし、それに天龍の死や彼女の遺族、それに龍田たちの苦しみのことを考えなくて済んだ。しかし、僕は毎日心から心配していたのだ。僕の知らないところで隼鷹や響、伊勢や日向、吹雪秘書艦、加賀、川内、妙高さん、足柄、羽黒、不知火先輩、それから長門が戦死したらと思うと、気が気ではなかった。利根や北上との手紙のやり取りも忙しすぎて途絶えてしまい、二人は僕を薄情な奴だと思っているに違いなかったし、そう思われたまま彼女たちが戦死していたら、きっと僕の心は何処かおかしくなってしまっていただろう。

 

 けれど幸いにも、本当に幸いなことにだが、誰一人欠けることはなかった。そして今、僕は旗艦に支給される桜花を象った特別の記章※68を身につけ、少しの私物を詰めた鞄を持って、正午過ぎに研究所の入り口に立っていた。いつ帰るかは教えていなかったので、誰も出迎えには現れていない。提督は知っているので、彼女はバラさないでおいてくれたのだろう。そのことに面白みを感じながら、僕は執務室に向かった。ノックをすると、入れと言われる。提督を相手にする時の嫌な圧迫感も六ヶ月ぶりだ。ドアを開けると、先客がいた。彼女に向けて提督は純粋に楽しげに笑っており、僕は思わず漏らすところだった。世界の終わりの日が来て人類が滅ぶから、そんなに楽しそうなのだろうと思ったのだ。この推測は外れだった。

 

「戻ったか。丁度、お前の二番艦が着任したところだ」

 

 僕は僕の補佐を務める歴戦の艦娘に対して、深い感謝の念と心底からの後ろめたさを感じながら軽く頷き、その眼差しと同じぐらい冷ややかな右手※69と握手した。彼女と自分のことについて語り合う時間を持つのは素敵な考えだが、そういうのは提督のいない時にやろう。提督は僕の報告を興味なさそうに聞いてから、自室に戻って明日の午前十時からの艦隊勤務に備えるように命じた。六ヶ月の苦労を十四秒で片付けられた僕はむっとしたが、提督に怒ったら吹雪秘書艦が怖い。ほら、今だって提督の後ろに立っていて、その冷静な目を僕に向けている。僕がいきなりとち狂って提督に襲い掛かっても、返り討ちにしてやれるようにだ。

 

 二番艦と提督はまだ話があるようだったので、僕は先に退出した。提督のいる空間からは、早く出られれば出られるほどよい。部屋に着くまでに誰か、艦娘とすれ違うかと思ったが、そうならなかった。出撃中だったのだろうか。いつまでも引っ張っていてもつまらないし、夕食のタイミングでしれっと食堂に顔を出してみようかと考えながら、部屋のドアを開ける。その瞬間、ぱん、という音がして、視界がカラフルに埋まった。僕は呆然としながら鼻に引っかかった紙リボンをつまんで外した。「おっかえりぃーっ!」ああ、この声! この酒臭い息、紫の髪! 僕は酔っ払って抱きついてきた隼鷹を無碍に扱うようなクズではなかった。全力で受け止めて抱きしめる。半年も引き離されていた親友同士、当然の成り行きだった。二分か三分はそうしていたように感じるが、実際にはほんの十数秒だったかもしれない。

 

 ようやく離れて、まだぼうっとしながら部屋を見回す。鳴らし損ねたクラッカーをいじくっている響がいた。もう飲み始めていたが、隼鷹と響がいて酒があったなら仕方ないだろう。「これは?」と僕が訊ねると小さな飲み助は「パーティさ。友達が帰ってきて、他に何をやるんだい?」と答えた。隼鷹が後に続いて、けらけら笑いながら言う。「そうそう、あたしらだけじゃないんだぜ? ちょーっとタイミング悪かったけどなぁ」「他って、日向や伊勢とかか」「自分で確かめなよ、そら、聞こえるだろ?」すると廊下の方からどたどたと足音がして、涙が出るほど懐かしい声が聞こえてきた。「ああもー、利根っちがジュース買い足そうとか言うからー!」「飲んだのはお主であろう!」「北上? 利根?」二人の名前を呟いてから何で? と言いそうになって、口を閉じる。僕の方で覚えがあったからだ。

 

 あの女(提督)、マジでやりやがった。マジでやりやがった。本当にやるとは思わなかった。旗艦学校に行く前、彼女は僕に第五艦隊の残り二つの枠を埋めるように言った。そして旗艦学校に入ってから二週間ぐらい後に、その枠に誰を入れたいかと手紙を寄越して訊ねたのだ。第一艦隊もしくは第二艦隊、あるいは第三、第四艦隊から誰を引き抜くか、と質問しているのだと僕は解釈して、彼女に「そうじゃない」という意味のもう一通の手紙を送らせる為だけに、「同期の艦娘から、呉鎮守府の北上と宿毛湾の利根」と返事をした。それっきり提督は何も言って来なかったが、忙しかったので僕は忘れていた。まさか、他所の鎮守府などから引き抜くとは、引き抜けるとは思わなかった。大井と筑摩に何と言えば命が助かるだろう? 分からないが、それよりも今は再会を祝したかった。

 

 利根と北上は、優しかった。僕が手紙を返せなかったことや、その他もろもろの二人に対して行った誠実とは言いがたいことの全てを水に流して、友達として僕を抱きしめてくれた。その耳には前と変わらず、あのピアスが揺れている。僕の耳にもだ。旗艦学校でこんなものをつけていてよいのかどうか分からなかったが、行ってみると、あそこにはつまらない服飾規定はなかった。候補生が彼と彼女らの任務をちゃんと果たしていれば、許されたのである。僕らはそれに触れ合って、同じ訓練所、同じ訓練隊を出た者たちだけが互いに感じることのできる、暖かな同胞愛を分かち合った。

 

 提督には言ってやりたいことが幾らかある。友達のみんなをびっくりさせてやろうとする僕の魂胆を台無しにしてくれたことや、呉と宿毛湾に迷惑を掛けてしまったこと(これは僕が悪いのでただの八つ当たりだ)、いきなり第五艦隊の旗艦などに任じたことそのもの……だが、まあ、忘れよう。僕は旗艦学校を出られた。北上と利根が来てくれた。響と隼鷹も祝ってくれている。僕が旗艦役をしくじったって、優秀な二番艦がどうにかしてくれるだろう。さあ、祝い酒だ!

 

 飲みながら、北上に大井のこと、利根に筑摩のことを訊ねる。僕はこれらの古い友人たちに、よくよく謝っておいた。彼女たち二人が僕の艦隊員だったら、確かにこれほど心強いことはない。でもそれは僕の都合なのだ。彼女たちには彼女たちの生活があって、そこで築いた関係があって、友情や愛情があった筈だ。それを置き去りにさせた。僕の下らない悪戯心のせいだ。第五艦隊は艦娘によるSAR部隊運用のデータ収集を目的としているから、一年ほどで解散すると聞いているが、一年は長い。半年、旗艦学校とテストで研究所を離れていた僕でさえ、古巣を追い出された気分だった。その倍もとなると、僕がその立場に立ったらストレスで擦り切れてしまうだろう。

 

 利根の方、つまり筑摩はそんなに気にしていない様子だった。仲がよくないというのではなく、戻って来るならそれまで艦隊はお任せ下さい、というような雰囲気だったらしい。「初めて会った時からは考えられんほど、あやつも成長しておるよ」と利根は嬉しそうに語ってくれた。姉妹艦がいるというのは羨ましいものだ。その点、僕は知り合うことができなかったが、駆逐艦島風と僕とは一定の理解を持ち合えそうに思えることである。

 

 大井は……北上に手紙を託していた。僕にそれを渡しながら、顔を背けて半笑いで「別の話にしよ?」と北上が言ってくるということは、別れの時には並々ならぬ苦労があったようだ。手紙を開き、読んでみる。そこには思いの外に整った書体で、北上のことについて書いてあった。彼女の癖や、戦場でやりがちなミス、得意な役割、苦手な役割といった、指揮をする上で役立つ情報から、食堂でよく何を食べているかとか、どの仕草が最も可愛いかなどという益体もないが気持ちは分かる内容まで詰まったものだった。手紙の末には「ムカつきますが北上さんの意志を尊重します」という一文もあったので、北上が思っているより大井も大人になっていると見える。ただし、よくよく見ると「北上さんを轟沈させたらあなたの家族を狙いますからね」みたいなことを匂わせるところもあったので、やっぱり北上を呼んだのは安全上のリスクが大きすぎたかもしれない。

 

 僕は響と隼鷹を二人に改めて紹介し、それから響と隼鷹に二人を紹介し直した。そうしていると、日向や伊勢、それに不知火先輩がやって来た。僕の部屋では手狭に思えて来たが、この狭苦しさがいい気もする。妙高さんも、ほんのちらりとだけ顔を出してくれた。お酒を勧めたが、この後も仕事があるということで断られてしまった。第二艦隊は、第一艦隊に隼鷹の代わりとして新しく来た空母の練度上昇で忙しいらしい。そうか、半年の間に新任も入ったのか。これで僕も一番の下っ端卒業という訳だ。その辺の感謝を込めて、それと先輩風を大いに吹かせる為にも、その空母に後で挨拶しに行かなくてはならないな。その時には不知火先輩も同席して貰おう。その空母に、先輩の先輩らしさを見せつけてやるのだ。それを見たら、誰もが彼女を愛さずにはいられない筈だ。

 

 宴会は深夜まで続いた。明確な終わりというものはなかったので、翌朝まで続いたという解釈も不可能ではあるまい。というのがその晩、会は適当なところでお開きになったのではなく、僕や響、隼鷹、北上に利根、伊勢、日向、先輩と、その場にいた全員が酔い潰れて気絶してしまい、なし崩し的に幕を閉じたからであった。六ヶ月ぶりの飲酒は肝臓を驚かせてしまったと見える。利根はまた北上の上着の中に頭を突っ込んで寝てしまい、響は早々と床の上にごろりと横になって寝てしまった不知火先輩の背中に、がっしりと力強く抱きついていた。隼鷹は傍迷惑にもトイレで鍵を掛けたまま気絶しやがったが、これはもう毎度のことみたいなものだ。伊勢と日向は最大の勝ち組で、僕のベッドを二人で占領してぐっすりと気持ちよく眠っていた。奇妙なものである。部屋の主たる僕は固い床の上で目を覚ましたというのに。

 

 時間は午前六時だった。眠気はあるが、じきに消えるだろうことが分かるほどのものだ。旗艦学校での生活リズムのせいで、僕は以前よりずっと早起きの朝型になってしまったのである。だが今回ばかりは助かった。今日から第五艦隊としての活動が始まるのに、揃って初日から遅刻していてはお話にならない。伊勢と日向、不知火先輩は寝かせておくとしても、後の四人はどうしても起きて貰わなければならなかった。みんな女性ならではの用意などなどあるだろう。少なくとも、シャワーを浴びて歯を磨くくらいのことはする。僕でさえその辺はきちんとするんだから。

 

 トイレの鍵は前に外からも開けられるものに変更しておいたので、息を止め、目を閉じて突入し、便座に頭を突っ込んでいびきをかいている隼鷹を真っ先に引っ張り出す。彼女がトイレの中に垂れ流したものを流してやり、口元にこびりついたものをそれが何なのか考えたりせずに濡らしたティッシュなんかで拭き取ってやる。隼鷹にとっても僕にとっても嬉しいことに、今回彼女の服は汚れていなかった。これなら服を貸してやる必要もないだろう。昨日、チェイサーとして飲んでいたミネラルウォーターをテーブルから取って、顔に掛けてやる。それは、この飲んだくれを起こすのに最も効果的な方法だった。

 

 たちまちにして目を覚ました彼女は、ぺたりと貼り付いた髪の毛を手櫛で乱暴に後ろへと追いやると、酔いの冷めやらぬようにも見える楽しげな笑顔で「おはよう」と言った。「ああ、おはよう。十時出撃、九時半に工廠だ。それまでに身嗜みを整えておいた方がいいんじゃないか?」「そうするよ。あークソ、頭が……二日酔いに効く薬なかったっけ?」用意しておくから、と彼女に言って、僕は隼鷹をシャワー室へと送り出した。次は北上、利根、響だ。まず手間の掛からない響を起こす。頬を指でつっつくだけで目を覚ましてくれるのだ。ちゃんと寝られているのか、心配になるほどである。「朝?」「六時だ」「もう少し寝ていたかったけど、仕方ないね。また後で」ふわ、と可愛らしいあくびをしながら、響は部屋を出て行った。

 

 次は利根と北上、と思ったが、二人は僕が何かする前に起きた。周りの動きと気配を察知して、朝と感づいたのだ。それはいいんだが、利根は朝の挨拶を北上の服の中からするのはやめておいた方がいい。北上は「うあー、服伸びるじゃん」と、ひどく迷惑そうな顔をしていた。それでも無理に頭を押し出しはしないのは、優しさかはたまた服が破れそうだからか。ま、起きているなら問題はない。工廠や自分の部屋の場所が分かることを二人に確認してから、僕は着替えと歯ブラシその他を持って、シャワーを浴びに外へ出た。

 

 提督用のシャワー室は彼女が直前に使用したらしく、シャンプーの香りが漂っていた。鉢合わせなくてよかった。手早く髪と体を洗い、ついでに歯磨きも済ませて着替えをする。女性にとって身嗜みというのは大事だとされている。時間を費やすべきことだと。言わせて貰えば、それはご婦人だけの特権じゃない。男にとってだってそうなのだ。広報部隊の経験から、強く僕はそれを主張する。真の男は眉毛なんて手入れしない? 真の男はヘアトリートメントなんて使わない? そんなのは出来の悪いデマに過ぎない。真の男は、彼がそうしたいと思うことをやる。欲するならば彼は、無駄毛を処理し、香水をつけ、爪を磨き、「今日はどっちの服を着て行こうか?」と自分に問い、髪を脱色し、髪を染め、化粧をするのだ。いや、僕のことじゃない。僕はそこまでしない。する人()いるって話だ。

 

 僕が朝の身づくろいを終えて部屋に戻ると、二番艦を除いて、第五艦隊の面々は既に揃っていた。待たせてしまったが、まだ七時過ぎだ。隼鷹の為の薬を薬箱から取って渡してやりながら「朝食でも取りに行くかい?」とみんなに訊ねる。反対する者は一人もいなかった。未だに寝ている伊勢と日向の間に、不知火先輩をそっと寝かせておき、艦隊員たちと部屋を出る。だが彼女たちと共に食堂までは行かず、先に僕は執務室を訪ねた。吹雪秘書艦に、あんたのところの三人は、僕のベッドですやすややってるぜってことを教える為にだ。もちろんその言い方だと語弊がかなりあるから、その通り伝えるつもりはない。ノックして入ると、提督は頭を抱えていた。珍しい姿だ。しっしっ、と追いやるように手を振って、「今はよせ」という意志を伝えてくる。困って秘書艦に助けを求めると、彼女は僕を連れて執務室を出た。

 

「提督はどうなさったんです?」

 

 長門には砕けた口調でものが言えるが、吹雪秘書艦にそれをやる度胸はない。彼女は特大の溜息の後に「昨晩は随分と、お酒を召されたようです」と小声で言った。へえ、酒か。薬と一緒にはやらなかったのかな? やってたら今頃頭痛程度じゃ済まないか。僕は頷いて了解の意を示し、第一艦隊の三人は僕の部屋で休んでいることを伝えた。吹雪秘書艦はその名に恥じない冷たい声で、そのことを承知した旨を告げた。「手は出してない。出したかったけど」と伝えたかったが、それこそ変な誤解を招くだけだろう。言うにしてもせめて前半部だけにするべきか。

 

 秘書艦の前を辞した後、僕は工廠に向かった。明石さんの顔を一目ばかり見たかったのと、優秀な僕の二番艦を朝食に誘う為だ。僕には彼女がそこにいる確信があった。優れた艦娘は、出撃前に二つのことを欠かさない。適度な食事と、艤装の入念な準備だ。朝早く起きて、工廠にいることだろう。入り口から中を覗き込む。工廠は朝も夜もないかのように、誰もが忙しくしている。その騒がしさや(せわ)しさが、活気と感じられて僕は好きだった。それに男の子は全員ではないにしろその多くが、油と機械を愛するものである。あまつさえ油と機械と女の子が一緒になりでもしようものなら、男に対して抜群の威力を発揮する。

 

 思った通り、僕の二番艦は明石さんと話をしていた。艤装を前に、僕を背に、並んで立って話している。明石さんは嬉しそうな声色だ。その背中には「久々に全力を尽くすに値する人が来てくれた!」と書いてある。無論、彼女は僕の艤装や、僕以外の他の艦娘たちの艤装にだって全力を尽くしてくれる。だが自ら持てる限りの力を注ぎ込みたいと思って貰えるかどうかというのは、別なのだ。そんな明石さんの姿を見ると、僕が声を掛けることで邪魔をするのがいけないことのように思えて来た。でも提督は昨日僕が報告に行った時「丁度、お前の二番艦が着任したところだ」と言ったのだ。つまり、他の艦隊員たちはまだ顔合わせをしていないと考えるべきだろう。

 

 少し後ろに立って咳払いをすると、二人は振り向いた。明石さんの顔が一瞬曇ったのを僕は見逃さなかった。旗艦たる者、注意深くなくてはならない。申し訳なさを感じながら、僕は礼儀正しく朝食の誘いを掛けた。それから「第五艦隊では、第一艦隊で採用しているようなバディ制を導入するつもりだ。その組み合わせを決める為にも、是非『互いを知る』機会を作るべきだろう」と僕は笑いそうになりながら言った。この歴戦の二番艦に向かって、自分がこんな、何だか実際以上に偉そうなことを言っているのがおかしかったのだ。僕はまだ十八にもなっていない子供だぞ? 何言ってんだこいつと自分でも思ってしまう。


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