[完結]Home is the sailor, home from the sea.   作:Гарри

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「第五艦隊」-3

 僕と対峙していたリ級の艤装が、腕ごと吹き飛んだ。砲弾が飛んできた方を見ると、僕の二番艦がル級を沈め終わっていた。流石だ。響がリ級の脇を抜けるようにして軽空母の方へと駆けていく。僕は僕の艦隊員たちに通信を繋いだ。「利根、この場を頼む。北上と協同してリ級エリートに当たれ。響の方に行かせるな。響はそのまま軽空母を攻撃。中破に追い込め。隼鷹、響の直掩機を出せるか?」「沢山は無理だぜ」「それでいい。余裕が出たら艦攻艦爆で利根たちを支援してくれ。二番艦、僕と来い。救援に行くぞ」彼女らはそれぞれ了解の返事をして、行動に入った。救援対象のいる海域に向けて後進しつつ、せめてもの支援としてリ級たちに撃ち続ける。

 

 敵は片腕と無傷のリ級エリートが一人ずつ、響の接近を許した軽空母一隻。それぞれがバラバラに動いており、連携は取れていない。これなら僕と二番艦がいなくても対応できるだろう。敵に援軍でも来れば別だが、そうなれば利根は彼女の戦術的判断に従って新たな命令を下す筈だ。そのことを遮るものは一つとてない。何となれば、旗艦が彼もしくは彼女らの生存中に指揮権を委任した艦娘が下した決定の責任は、その委任者にあるからである。旗艦代行を選んだのは誰かということを考えれば、これは当然のことだと言えるだろう。旗艦代行が大きな失策を犯したとして、本来の旗艦が「自分の与り知らぬところで起こったことだ」などと主張するのは、子供の言い訳に過ぎない。利根はこういった事実をわきまえている。

 

 ここのことは彼女たちに任せるとして、考えるのは救援先のことだ。敵を殲滅して救助できれば、それが最高である。でもエリート戦艦二隻に空母だの雷巡だのが揃ってて、制空権がないとなると、殲滅勝利は夢のまた夢と言わざるを得ない。人類側勢力圏に逃げ込んで、敵が「これ以上追うと危険だ」と思って退いてくれるのを待つしかあるまい。つまるところ、撤退支援だ。あちらの現旗艦瑞鶴に航空戦力が残っていれば、その仕事もやりやすくなる。周波数を合わせ、連絡を取る。今度は最初から音量を下げておいた。お陰で瑞鶴が叫んでも、僕には普通に話しかけられたぐらいの声にしか聞こえなかった。

 

「こちら第二特殊戦技研究所所属、第五艦隊旗艦。救援要請を受信し、急行中だ。旗艦瑞鶴、そちらの状況は?」

「最悪よ」

「君に航空戦力は残っているか?」

「残ってるけど、発艦しようにも修理要員に飛行甲板と弓を直させなきゃいけなくって、私、とてもじゃないけどそんな余裕ないわ」

 

 瑞鶴と中破した熊野を敵射程外に下がらせ、妖精の修理要員に艤装を直させる。弓だけでも直せたなら、発艦だけはできる。それまでは小破の最上と僕ら二人で敵をさばき、修理が終わり次第航空戦力を投入。敵を撹乱(かくらん)し、その隙を突いて撤退。安直な絵だが、急ごしらえの作戦などこんなものだ。「二十分……いや、十五分でそちらに駆けつける」と僕が言うと、瑞鶴は「それまで何とかして保たせるわ、お願いだから急いでよね」と返事をした。案外にしっかりした態度だ。心の芯のところでまでは打ち負けていない。

 

 リ級エリートの姿が水平線の向こうに消え、連中への牽制砲撃が不可能になった地点で踵を返し、速度を全速に切り替える。僅かな数を残して、爆装した水偵を飛ばした。瑞鶴たちの正確な位置を確かめ、爆撃で支援する為だ。爆撃については何の足しにもならないかもしれないが、援軍が来ることを知った敵が、実際以上にこちらの戦力を大きく見積もってくれることを祈ってのことだった。期待してのこと、と言わなかったのは、そうならないことを半ば分かっていたからだ。水偵が多少飛んできた程度、僕が深海棲艦側だったら気にも留めまい。よしんば多数の増援が来ると予想しても、到着前に疲弊した瑞鶴たちを撃滅し、そそくさと逃げ出せばいいと考えるだろう。

 

 第五艦隊の砲声が小さくなり、聞こえなくなる。海の音だけが場に残る。それもやがては、瑞鶴たちの戦闘の音によってかき消されることになるだろう。僕は僕の前を行く二番艦の姿を見た。背中から左右に突き出た、船体を模したような形の艤装と、そこに載った計五門の砲。長靴(ちょうか)型の脚部艤装の上を見れば、日光を受けて白く輝く両太ももに、四連装酸素魚雷の発射管がある。いい装備、いい使い手だ。自分のプライドに遠慮せず言えば、どちらも旗艦の僕よりいい。主砲は僕の使っている二〇.三センチ砲のマイナーチェンジ版だし、僕が最近使っている魚雷は酸素魚雷じゃなくて通常のものだ。四連装ってところは共通しているが、威力や射距離、航跡の視認性は段違いである。そして最重要であるところの、それら装備を操る艦娘としての能力は……比べる気にもなれなかった。

 

 僕の自尊心はさておき、これから並んで地獄に突っ込むという時には心強い。僕は自分の性格をよく知っているが、その肝っ玉の小ささからはあり得ないぐらい、安心していた。しゃきっとした長門を相棒にしてあの島で戦った時でさえ、こんな安寧はなかった。まあ当然だろう。驚くことじゃない。

 

 時間を確かめる。もうすぐ、水平線に敵の姿が見える頃だ。先に接敵している水偵隊が送ってくる情報は正確であり、疑う理由はない。妖精たちによれば上空の戦闘機は少数であり、逃げに徹すれば撃墜を免れることも不可能ではないようだ。必要なら爆弾を捨て、身軽になってでも逃げ続けるように命じておく。どうせ当たらないか、当たっても大きな被害を与えられない程度の爆弾だ。無理に抱えたままでいて、そのせいで落とされるなんて馬鹿げている。今回の水偵の仕事は敵に圧力を掛けることであって、敵を始末することじゃない。

 

 艦娘や深海棲艦たちの姿に先立って、恐らくは瑞鶴たちの艤装からだろう、吐き出された黒煙が立ち上っているのが見えた。じっと目を凝らすと、敵航空隊と僕の水偵隊が宙を飛び交っているのも見て取れる。訓練や演習、実戦で鍛えられた水偵妖精たちは、本職でない空戦にも最善の努力を尽くしている。目を更に細め、敵を探す。緑の髪を振り乱し、手を振って仲間に指示をしている少女の姿、あれは瑞鶴だ。茶色い制服は熊野か。艤装から煙幕のように煙を出しながら、副砲を撃ち続けてル級エリートを牽制している。彼女を庇うように立ちまわっているのはえんじ色の制服を着た最上だ。頭を砲弾がかすったのか、彼女の短髪の一部がごっそりとなくなっており、あらわになった地肌からは血を流していた。

 

 瑞鶴と彼女の艦隊員に接近を通知する。新手の敵と勘違いされて砲撃されたくはない。乱戦状態では、ややもすると敵味方の区別が付かなくなる。同じ艦隊の所属艦娘が互いに撃ち合って轟沈したという事例もあるのだ。数としては多くないが、一例や二例しかないからと言って軽視するのは愚行である。「これより君らの救援に入る。旗艦資格はあるか? ないなら軍規に則り、僕が旗艦を務める」旗艦の資格を瑞鶴が持っているとは考えられなかった。四番艦が旗艦資格を取っているような艦隊など、聞いたことがない。六番艦から旗艦になった僕が言うことでもないが。

 

「何でもいいから、とっとと──ちょっと待って、二隻だけ? 他の艦娘は?」

「十五分ほどあっちの方さ」

 

 僕は自分が来た方向を親指で指差したが、瑞鶴には見える筈もなかったろう。「冗談じゃないわ!」と彼女は言った。もし間近にいたら、砲戦の最中(さなか)でも息を呑む音が聞こえたかもしれないと思えるほど、望みを裏切られた、という気持ちが言葉に現れていた。だが戦意喪失はせず、その怒りを敵にぶつけることにしたようだ。僕が旗艦ということでよいようだったので、指示を出す。

 

「瑞鶴、熊野と共に退避。弓を修理したらすぐに発艦してくれ。熊野は瑞鶴の護衛を担当、最上は残って僕らを手伝うんだ。以上、僕らが戦闘に加入したら命令を実行してくれ」

 

 それぞれに命令を復唱させてから、砲撃準備に入る。瑞鶴は気を利かせてか、退避する方向を僕らの針路と一致させた。自然、それを追う深海棲艦たちの背はこちらに晒されることになる。彼女の冷静な判断は、その実力を僕に証明していた。いいことだ。彼女の航空隊にも期待ができる。よい空母艦娘は、よい航空妖精を持っているものだからだ。再び空に上がって貰う為にも、失敗はできない。姿勢を安定させ、会心の一射を狙う。最初の一手が大事だ。有効打を与えられれば、大きなアドバンテージとなる。

 

 最上をチ級に当て、ル級二隻は僕たちが相手をする。ヲ級は瑞鶴に任せるとしよう。戦艦と殴り合いながら、対空戦闘を行う余裕はあるまい。ル級エリートは……端的に形容するなら、強敵だ。空母棲鬼もそうだったが、彼女の時は一対三だったから何とかなった。今度は一対一だ。僕一人の個人的な能力は特段優れている訳ではない。リ級なら相手にできる。そのエリートもだ。ノーマルのル級? ふうん、ちと苦労するだろうが、やってやれないことはないと思う。けれどそのエリートは、となると、言いたくないが荷が勝ちすぎる。僕は遠くに見える彼女たちの姿に、恨みを込めて視線を送った。それと砲弾もだ。

 

 二番艦とタイミングを合わせて撃ち始めると、さしものル級エリートたちも一時的な混乱に陥った。最上が僕らに合わせて果敢に攻撃を行った為に、前後どちらの攻撃に対処すればいいのか戸惑ってしまったのもあるだろう。最上の弾がチ級の腹を(えぐ)り、僕の砲弾の破片が一人のル級の左目を潰した。彼女は不運にも、振り返った時に破片を目に受けたのである。それで僕は快哉を叫びそうになったが、二番艦の砲弾が立て続けにもう一人のル級の盾に着弾し、爆発させて右腕ごと潰したのを見て、口を閉じた。彼女はそれぐらいやって当然みたいな顔をしていたから、僕がまぐれ当たりに喜ぶ姿を見せるのは恥ずかしかったのだ。旗艦は威厳を保たねばならない。最初っからそんなもの、持っていなかったとしても、まるでそれがあるかのように振る舞うのだ。それが伝統だ。

 

 手信号で狙う敵を指示する。僕は片腕のル級を担当することにした。優秀な二番艦には、より難易度の高い務めを果たして貰おう。自分が卑怯に思えたが、意地や羞恥で判断ミスをして勝てない、勝ちの目が見えない相手に挑むよりは、卑怯に徹して生き延びる方がよかった。

 

 この点について民間人たちはよく勘違いしているし、稀には艦娘にさえ分かっていない奴らもいるが、軍で何よりも重宝される艦娘は誇り高い愛国者などではない。誇り高くなくとも、祖国への愛に燃えていなくとも、しぶとく生き残って戦い続ける艦娘こそを、軍は愛するのだ。死んだ愛国者はただの死体でしかない。死体は深海棲艦を倒せない。倒すのは生きようとする意志を持った艦娘だ。そいつは己の仕事をわきまえている。自分に課された使命が、生きて戦い抜き、深海棲艦を始末し続けることであると正確に理解しており、愛する(うま)し国日本の為に死ぬことではないと知っている。そいつは、深海棲艦を一人でも多く殺すことについてを語る──そして深海棲艦と戦って死ぬことについてなど、冗談以外では口にはしない。それは真の艦娘がしないことの一つなのだ。

 

 最上は勢いづいて、チ級への攻撃を強める。僕は細身を左手の盾に隠したル級を撃ち続けた。接近して、盾の弱点とも言える砲塔部分に近距離からの射撃を叩き込んでやるしかないだろう。上手く行けばまた腕をもぐことができる。そうならなくとも、無手にまで追い込める。そうなれば後は距離を取って撃てばいいだけだ。頭に描いた未来予想図に、僕は内心ほくそ笑んだ。何だ、ル級エリートも大したことはないな。僕の相棒がお膳立てしてくれたのを(ほふ)っただけ、と言われればその通りだけれども、それでも僕より格上の深海棲艦を倒したとなれば、戦果として申し分ない。今月の給料には旗艦手当の他に殊勲(MVP)手当も付くかもしれない。

 

 盾に隠れている間は、ル級はまともに撃って来ない。正確に言うと、狙いを定めることができない。だから回避は容易だ。こちらは砲身に注意を払っておき、砲が自分を向きそうになったら少し移動して射線から外れてやるだけでいい。そりゃ、弾が近くを通ったら風圧は凄いが、風で死にはしない。姿勢を前傾させ、足を開いて腰を落とし、ル級エリートに晒す自分の面積を減らしながら突っ込んで行こうとすると、瑞鶴から無線が入った。

 

「敵の航空機に注意!」

 

 目を走らせ、ヲ級が次々と彼女の艦載機を放出しているのを確かめる。一つ罵声を飛ばしたが、無線に乗せるようなことはしなかった。ル級に突っ込むのをやめて、回避と射撃を続けながら考える。どうしてヲ級は戦力を温存していた? 答えは簡単に想像できた。ル級たちが瑞鶴を素早く中破に追い込んだから、か。僕は瑞鶴がヲ級の航空戦力を減らしたのだと思っていたが、発艦前に被害を受けたなら彼女の航空戦力が残っていることや、ヲ級が最低限の航空機を空に上げていただけだったのにも説明がつく。僕らが来るまでは、それで足りていたのだ。思い込みって奴だ。詳しく状況を説明せず、僕を誤解させる一因となった瑞鶴を責めるのはお門違いだろう。切羽詰まった時には、普段の能力の一割も発揮できなくなるものだ。そういう時には、落ち着いている側が配慮してやらなくてはいけない。それを僕は怠った。

 

 ただヲ級の方も失策をやっていた。僕の水偵が来た時に、上空の航空機を増やさなかったことだ。もしかしたら、そうすることで僕が前述の誤解をするように仕向けたかったのかもしれない。でもそのせいで、僕らの接近に気づけなかった。敵に誤った認識を持たせるという戦術的優位を手に入れようとして、本末転倒の結果を招いたのである。ヲ級の艦載機は僕への濃密な攻撃を行い始めた。恐らくは旗艦だとバレたのだ。投下される爆弾や魚雷を避けながらではル級と戦いづらいが、いつでも最高のシチュエーションで戦えるとは僕も思っていない。天気と同じで、たまには期待外れになるものだ。

 

 と、僕の獲物(片腕のル級)は反撃に転じた。爆撃で動きの鈍った僕に砲撃を開始したのだ。焦りながらも水平移動で避け、腕の砲を使って撃ち返す。彼女がそれを防ぎ、再装填の間に僕への対抗射撃を行おうとしたところを、肩の砲で撃つ。これはル級を少し怯ませたが、激しい回避運動の最中に発砲したこともあって精度に欠け、敵を大きく外れて水柱を作るだけに終わった。舌打ちをして、瑞鶴に通信を繋ぐ。無論、お話中だからといって敵は待ってくれない。不規則に動いて航空攻撃をやり過ごしながらの会話になる。自分がとても器用ではなくとも、不器用ではないことを僕は両親に感謝した。遺伝のお陰だろう。

 

「修理は?」

「甲板が終わったわ。今から弓に取り掛かるから」

「甲板? どうして弓を先に修理しなかったんだ」

 

 責める声色になったのはわざとじゃないが、そのことで後ろめたく思いもしなかった。弓を修理してしまえば、発艦だけはできる。着艦には甲板の修理を要するが、それは後でもいいことだ。今は空をどうにかして欲しかった。敵戦闘機が増えたせいで、僕の水上機が一機、また一機と落とされていっている。それを防げるのは瑞鶴の航空隊だけだったのだ。よもや彼女が僕の詰問に答えてくれようとは思ってもみなかったが、怒りを抑えた低い声で瑞鶴は僕に言った。「片道切符の発艦なんて、瑞鶴はしないんだから!」僕は無線の送信ボタンを押さずに、苛立ちを込めて「君の優しさが、僕の水偵を壊滅させるだろうよ」と呟いた。ル級の砲撃が海に落ちた音のせいで、それは僕自身の耳にも聞き取りづらかった。

 

 ル級エリートが距離を縮めて来ようとしていることに僕は気づいた。どういうつもりだろう? 戦艦の強みは分厚い装甲と強大な砲であり、一定の距離を開けて戦うのが正道であり、王道である。それをあえて守らないということには、それなりの意味があると推測してもいいだろう。射撃によって牽制しながら、詰められた分だけ彼我の距離を開けようとする。するとその時、最上の苦しそうな声が無線で聞こえた。「くっそぉ、被弾した! 直撃を……」言葉を聞かずに、彼女の方を見る。右の脇腹を押さえた彼女の足元を目掛けて進む、白い航跡が見えた。「最上! 魚雷に注意!」通信で叫ぶが、遅かった。

 

 僕も魚雷を放ち、ル級を遠ざけながら最上のところに向かう。行き掛けにチ級に砲弾の雨を降らせ、後退させる。最上は沈む直前だった。服を掴み、びり、と破れる感触を手に覚えながら水中から引き上げると、彼女の左足はすねの半ばから失われていた。彼女の右脇の下に頭を突っ込み、ぐったりとした最上を抱えて回避運動をしながら、希釈修復材をぶちまける。肉が盛り上がり、血は止まったが損失した脚部艤装は戻らない。僕は僕の口に入ってきた最上の血を吐き出しながら、脇の傷にも修復材を振り掛けた。彼女はずっと「ごめん、冗談じゃないよ、これじゃ戦えないじゃないか、ごめんなさい、ボクがもっとちゃんとやってたら」とうわ言のように謝り続けていた。熊野を呼び寄せ、彼女に任せる。

 

 厄介なことになった。僕の二番艦は指示を出すよりも先にチ級の面倒まで見始めていた。それでも戦えているのは凄いが、膠着状態だ。チ級を片付けようとすればル級エリートに遮られ、この戦艦を始末しようとするとチ級に邪魔されている。助けに行きたいが、その為には僕の担当している隻腕ル級エリートを倒さなければならない。懐に飛び込み、雷撃ないし接射、最悪の場合はナイフ……急ぐならそれしかないだろう。敵は距離を詰めようとしてくれている。それに乗れば、簡単に近づける。ル級は待ち構えているだろうが、その罠の上から食らいついてやるのだ。

 

 覚悟を決めろ、と心で囁く。興奮によって、意識が研ぎ澄まされていくのが分かる。今から、またしても旗艦としては失格なことをやるのだ。ナイフの重みを感じ、それを振るわずに済ませたいものだと念じる。そして回避運動をやめた。その場で立ち止まった。

 

 ル級は困惑しない。彼女もまた足を止め、盾を、その砲を僕に向けてくる。艦娘と人型深海棲艦の海戦において、滅多にない瞬間だ。二者が対峙し、動かずにいて、砲を向け合っている。それは西部劇の決闘のシーンを思い出させた。頭の隅に残しておいた冷静さで考える。ル級エリートは腕を一本やられており、そこから今も血を流し続けているだろう。時間を置けば彼女が不利になる。速攻を仕掛けたい筈だ。近づいて来ようとしたのもそれが原因だろう。波に揺られながら、まだ相手は撃ってこない。僕も撃たない。彼女の動きを見る。海上を航行していた時は気づかなかったものが見えてくる。彼女はふらふらしていた。血を大量に失って、意識が保てないのか。だから砲を向けても、撃ってこない。狙いをつけることができないから、おおまかな方向にしか撃てないと彼女自身も理解しているのだ。

 

 前進を始める。ジグザグに走り、僕の動きを察知した当てずっぽうの射撃を避ける。頭の上を一発が通りすぎて行き、皮膚一枚と一掴みの髪の毛を奪われた。血が飛び散り、目に入りそうになるのを拳で拭い去る。ル級が思い出したように動き始め、僕を迎え撃つ姿勢を整え、前へ出て来た。盾に身を隠し、体当たりをしようとしている。

 

 那智教官の教えを回想する。彼女は自分の豊富な経験がどれだけの価値を持っているか知っていて、それについて社会主義的な考えを持っていた。(知識)の再分配という訳だ。ル級が格闘戦においてどんな動きをするかも彼女は教えてくれていた。盾を構えたら、そのまま体当たりをするか、直前で盾を上げて(へり)で打つかだ。縁での打撃と体当たり、どちらが来るかを見抜くには足先や体の向きを見ればよい。どちらかの肩を突き出すようにして、腰を落としていれば体当たり。体や両足先が正面を向いていれば打撃だ。もちろん、あっちも馬鹿じゃない。体当たりから素早く打撃に移ることもあるし、それらの姿勢からの砲撃もあり得る。

 

 見極めは難しい。集中し、細部のかすかな動きも見落とさないようにしなければならない。だから僕はそうした。そのデメリットのことを考えもせずにそうした。で、当然の帰結として、不注意の報いを受けることになった。空にヲ級の航空隊がいて、連中は僕の注意が彼らから離れる時を待っているということを、僕は忘れるべきではなかったのだ。爆弾が僕の左肘を直撃した。視界が瞬間的に真っ白に染まり、(あご)を殴られたような衝撃が走る。脇を開いていたせいで、腕に当たったのだ。爆風その他が上に逃げたので、体は少し(かし)いだだけで済んだ。僕はル級からの砲撃を回避しながら、皮一枚で繋がった左腕の残骸を引きちぎり、希釈修復材を振り掛けた。頭ががんがん痛む。瑞鶴に修理の進捗状況を尋ねようとして、声が出ないことに気づいた。出たのは天龍が死ぬ前に出していたような、水っぽい音だけだ。思わず僕は自分の顔を触った。そしてそこにあるべきものがないことを認めた。

 

 下顎(したあご)が吹き飛ばされていた。気が遠のきそうになる。腕や指、足を飛ばされるのは想像していた。下顎はしていなかった。覚悟ができていなかった。体が反応してくれなければ、僕はそのまま口から血を流し続けていただろう。希釈修復材が傷に染みる一瞬の痛みの後に、肉が盛り上がる不愉快な感覚。歯までは戻らなかった。まあ、ドックできちんと治療すれば戻るだろう。しかし、これでは指示が出しにくいな。二番艦に指揮権を譲るべきだろうか。いや、彼女にこれ以上の重圧は掛けられない。無線が瑞鶴の声を放つ。

 

「弓の修復完了! 発艦始め!」

 

 空を見る。僕の水偵は二機が残るだけだったが、全滅は免れたようだ。瑞鶴の航空隊がヲ級の艦載機の一群へと飛んで行き、航空戦が開始される。もうちょっと早ければ僕の左肘と下顎も助かったんだが。具体的に言うと甲板を後に回してくれていれば。

 

 ル級に視線を戻す。牽制と幸運を期待してこちらに撃ち続けているが、接近戦で仕留めようという意志は変わっていないらしい。僕は右手でナイフを触った。握ったままでも砲が撃てるなら、鞘から先に出しておいて悪いことはない。だがナイフを抜くということは、攻撃手段を敵に教えるようなものでもある。どちらがいいか? 短く思考し、抜かないことにした。

 

 彼女の再装填の隙を突いて、一気に迫る。盾の隙間からちらりと見えるル級の目は、怯えていない。僕を殺してしまう気でいる。さあ、それができるかどうか、はっきりさせてやろうじゃないか。痛みと戦闘の興奮で、僕の頭は飽和状態になっていた。もう回避運動も取らず、一直線に進む。ル級の目が一際明るく輝いた気がした。後、五歩も進めば触れられるという時になって、彼女の体が正面を向く。

 

 訓練された肉体が反応し、腰をかがめて盾を避ける。頭上を鋼鉄の塊が──すれ違いざまに肩の砲を──胸に痛み──海面に背中から叩きつけられる。何が起こったのか分からなかった。僕は仰向けになって水の下にいた。胸が破裂したみたいに痛くて、腹に何か突き刺さっていた。事態を把握しようとした頭を殴られる。水の上からだ。息もできない。ル級に殴られたのだとは分かった。まだ水に沈んでいないのは、僕が腹に突き刺さったル級の足を掴んでいるからだ。顔を殴られる。目に当たり、ぶちゅり、と音を立てて潰れるのが分かった。盾を叩きつけているのか。

 

 ナイフに手を伸ばそうとする。水の流れに腕が押し戻される。息ができない。苦しい。喉元に手をやりたくなる。それでも全身に力を込めて、ナイフへと手をやる。やっと、指が届いた。つまみ、刃を抜き、ル級のすねに突き立てる。足首まで切り開いて一捻りすると、彼女がバランスを崩した。息がもう続かない。僕の腹を押さえている足をどけて、それを手がかりにしつつ自分の体を水の上に引き上げる。入れ替わりになるようにして、ル級が完全に平衡を失い、水の下へと沈んでいきそうになった。彼女は盾を捨て、僕の服を掴む。浮かんでいようとする努力を放棄し、僕を道連れに沈もうとしている。その手を払いのけ、彼女の首に右腕を絡め、背後に回って締め上げる。ル級はもがく。ばたばたと足を動かし、首を振って頭突きを試みようとし、左手を振り回して僕の(いまし)めから逃れようとする。

 

 だがそれも僕が踏ん張る為に機関を停止し、思い切り腕と足とに力を込めて、彼女の首の骨をへし折るまでだった。僕は立って、首が捻じ曲がってあらぬ方を向いたル級が沈んでいくのを見ながら、潰れた目とどう見ても陥没骨折している数カ所の傷を手当てしようとして、耳に隼鷹の声を聞いた気がした。彼女の姿を探して欠けた視界でぐるりと見回すと、水平線の向こうから僕の艦隊が駆けつけてくるのを見つけた。安堵の息を吐き、彼女たちにできるだけの指示を出そうとして無線に手をやったところで、突然後ろで爆発が起き、それで第五艦隊の初陣は僕の知る限り終わった。

 

*   *   *

 

 後で、放り込まれた個人用ドックで修復材に浸かりながら、何があったのかを把握する時間が取れたのは幸いだった。ドックに明石さんの好意で後から据え付けられた無線機を使って他の艦隊員たちと話しながら、僕は初陣に際して第五艦隊と僕に何が起こったのかを理解していった。瑞鶴たちとも話したかったが、それは叶わなかった。

 

 何だかそう言うと瑞鶴たちが助からなかったみたいに聞こえるが、彼女たちは無事だった。最上や熊野、瑞鶴は、初めは僕と二番艦のお陰で、その次には残りの第五艦隊所属艦娘たちのお陰で死を免れた。隼鷹の声を聞いたのは、気のせいではなかったのである。利根は彼女の指揮によって敵を撃退した後、大急ぎで僕らのところに向かった。そして彼女らの到着とほぼ同時に僕は二発目の爆弾を受けてみっともなく気絶し、無様にも北上に支えられての帰還と相成ったのだ。旗艦の面子は丸潰れだったが、もし後一分でも利根たちが遅かったらそもそも帰還できなかっただろうということを考えると、僕は面子などどうでもよく思えてしまう。

 

 ル級との接近戦で何をやられたのかは今もって明らかではないが、僕がこうだと考えていることがある。多分彼女は、僕を蹴ったのだ。膝か何かで蹴り飛ばしてから、足先で僕を水の下に押し込み、盾で殴りつけて殺そうとしたのだと思う。これは僕の二番艦が恐らくこれで正しいだろうと言ったことでもあったから、僕は疑わなかった。彼女の何を疑えるだろうか?

 

 彼女は瑞鶴の所属していた艦隊から感状と特別の報奨を貰った。僕には瑞鶴たちからのいたわりの言葉一つだったが、文句はなかった。ヲ級の艦載機の攻撃を回避しながら、チ級とル級エリートをまとめて相手をしていた彼女が、もう一人のル級エリートにボロボロにされた僕よりもないがしろにされていたら、僕はむしろそのことで大変に怒り狂っただろう。こちらのプライドを踏みにじる行為でもあるし、僕は僕の友人たちを筆頭とした、お気に入りの人々が不当に扱われることに耐えられないからだ。

 

 僕は彼女を二番艦につけてくれたことで、提督に深い感謝さえ覚えていた。彼女は、優秀な者を二番艦につけてやると言った。そして僕はと言えば、その二番艦の資料を一目見て突っ返した時から、提督が嘘を言わなかったことを理解していた。何しろ、艦娘になるずっと前から僕は彼女のことを知っていたからだ。それを知らないのは、僕の艦隊では響と隼鷹の二人だけだったろう。僕は二人に詳しい昔話をしたことはなかったし、僕の二番艦の方だってそんな暇はなかったように思える。でもとにかく、僕は軍に入った最初のその日から、彼女のことを知っていたのだ。

 

 彼女の名は、那智である。




魂が目覚め
すると君が再び現れた
まるで揺れ動く幻のように
まるで無垢な美の精霊のように

そして我が胸は歓喜の鼓動に震え
我が全てが再びよみがえった
信仰も、霊感も、生命も、涙も
そして愛もまた、よみがえったのだ

──アレクサンドル・プーシキン※71

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