[完結]Home is the sailor, home from the sea.   作:Гарри

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「第五艦隊」-4

 初陣を済ませ、第五艦隊の旗艦として本格的に働くようになってからは、時間が飛ぶように過ぎた。出撃し、報告書を書き、吹雪秘書艦に「司令官の手間を省きましょう」と突っ返され、書き直し、那智教官の意見を伺い、「旗艦学校で何を勉強していたんだ?」というお叱りの言葉をいただき、もう一回書き直し、どうにかそれで吹雪秘書艦のチェックを通して貰い、ついでに提督に頼んで僕の水偵を水観に更新したり、隼鷹の艦載機を用意する為に補給科の分からず屋を脅したりなだめすかしたり、利根の砲を改修する為に数々の書類を書き、北上の単装砲を連装砲に改めさせたりしていると、数ヶ月が数分のように感じられた。

 

 特に北上の説得には時間を使った。彼女は並々ならぬ情熱を単装砲に持っていたんだ──でも連装砲の方が戦闘では有用だ。連装砲への装備交換は彼女の命を守ることになるだけでなく、僕の命や、利根の命、那智教官の命を守ることにもなるのだと言い、呉の大井に電話させてようやく口説き落とせたほどだ。大井は初めこそ「でもそれが北上さんの望みなら」と説得に乗り気ではなかったが、「本当に愛しているなら、時には彼女にとって耳の痛いことも言ってやるべきだ」と意見するとあっさり手伝ってくれた。旗艦になって、指揮でなく口先や、その他の戦闘とは関係ないことだけが達者になっていっている気がする。

 

 そのことは補給科の士官と話した時にも実感できた。最初、僕は正規の手続きを踏んで彼に装備の必要性を説いた。隼鷹は軽空母であり、その性質上搭載可能な艦載機の数が正規空母に比べて少ないということ、だからこそ高性能機を搭載し、質で数の不足を補わなければならないこと、配備数が少ないだけ、補給線の負担にならないこと……思いついた理由や利点を片っ端から書類の形に整えて送付し、補給科士官がそれをもっともであるとして認めてくれるのを待った。結果は「却下」だ。

 

 もちろん僕には、青葉がかつて広報部隊に移った時のように書類を書きまくって士官殿をうんざりさせ、彼の判断を捻じ曲げさせるという、穏便な選択肢があった。しかし、僕もそこそこ長く戦争の中にいる。穏便さ? クソ食らえ、そいつは時間が掛かるのだ。戦争だぞ。明日、明後日、明々後日、もしかしたら今日の午後にでも、隼鷹の艦載機の性能不足が僕ら第五艦隊を全滅させる原因になるかもしれない。士官殿の言う通りに我慢して、一ヶ月も二ヶ月も待つつもりはなかった。

 

 そこで僕は士官殿がオフの時に飲みに誘った。これは接待(贈賄)という奴だな、と彼が思ったのは間違いない。いい服を着ていたし、バーに行く前に寄ったレストランでは、会計を僕にさせたからだ。自分の半分ぐらいしか生きてないような子供に食事の代金を払わせるというのは、どんな気分なんだろう? 僕だったら十歳にもならない少年と食事に行って、食後に彼が財布を取り出したら、すかさずその手を押し留めるだろう。だがまあ、とにかくその士官殿は僕と違う考えを持っていた。

 

 バーの隅っこ、ソファー席に腰を下ろして、僕は彼と話すことにした。上座へどうぞ、なんて言って彼を奥にやり、逃げ場を塞いでやった。それから話を始めた。ところで、贈賄をする上で気をつけておかなければいけないことが一つある。受け取った側が、貰うだけ貰っておいて約束を果たさない、などということがないようにしておかなければいけないのだ。広報部隊にいた時、出張所の衛兵がこれをよくやっていた。僕を目当てにやってきた()()()のカメラマンや記者たちが金を握らせてくると、彼らはそれを受け取った上で連中を門の外へと叩き出したものだ。

 

 哀れなジャーナリストたちのそういう姿を見ていたので、僕は席に座った時、そろそろ彼が僕の要求に応じる理由を作ってやるべきだと思った。そこで言った。僕の艦隊がどんな仕事をしているかということをだ。捜索救難(SAR)任務と、緊急時の援軍。後者については、即応部隊(QRF)※72とでも言うべきだろうか。あるいは戦闘捜索救難(CSAR)※73任務として一括りにしてしまってもいいだろう。「あんたが考えを変えないなら」と僕は士官殿に言った。「今度から任務の度に、本当なら助けられた筈の救援対象の艦娘が一人か二人轟沈するだろうね。それで、残った連中は誰かから聞くのさ。彼女らの仲間が死んだのは、あんたが高性能な艦載機を寄越してくれなかったせいだ、ってな」これは抜群に効いた。僕が彼の名前や幾つかの個人情報を、これまでに聞き出していたのも大きな武器になった。健全な家庭の持ち主なら誰でも、家族に危害を加えられるのは嫌がるものだ。

 

 自分が汚れてしまったようにも感じていたが、こんなのはみんなやってることだ、そう提督も言っていた。ただ彼女のような人間の言うことを何処まで受け入れたものか、僕はまだ迷っている。長門は不愉快な女性だったが、仕事をしている時は全幅の信頼を寄せるに値した。第二艦隊の多くの艦娘たちだって似たようなものだ。だが提督は? 僕は普段彼女がどんな仕事をしているのかも知らないのだ。お飾りめいたものとはいえ、旗艦という立場にもなったというのに。

 

 僕が知っているのは、彼女は薬物依存症患者で、性格が捻くれていて、生きるのを楽しんでいて、だから艦娘や職務上の必要から彼女と接触しなければならない職員たち相手に好きなだけ皮肉や嫌味を言える提督という職業を、心から愛しているということ程度だ。後は、彼女が片目片腕片足だってことも知っている。そんなのは提督という女性を論ずるに当たっては、本質に関わりもなければ本当に何ということもない、ちょっとした付け足しみたいに扱われるべきものだが。実際、彼女にとって手足など飾り程度の価値しかないらしい。はっきりそうと言った訳じゃないが、態度がそう示していた。それから長門に「ダイエットの必要がなくていい」と言っているのを耳にしたこともある。

 

 そう、長門と言えば、彼女と那智教官の再会はある意味で映画的な一シーンだった。食堂で第五艦隊が軽食を取っていた時のことだ。丁度、長門の第二艦隊もそのタイミングで食べに来た。彼女が那智教官を避けていたのか、単に運が悪かったのか、まだ二人は顔を合わせていなかった。そして席を探して食堂をざっと見回し、彼女を穴が開くほど見つめている一人の大ベテラン艦娘に気づいた。その時の長門の顔は、端的に言ってよい見世物だったと思う。まず「別の『那智』でも来たのか」という少し嫌そうな表情になり、それから教官が右腕の代わりにつけている義手に視線が行って目を見開き、更に顔の火傷痕を視認して……あんぐりと口を開けた。僕はそれを面白がっていたが、やがて長門の目が潤み始めるのを見てむしろバツが悪い気分になった。

 

 教官に「行ってあげたらいかがですか?」と声を掛けようかと思ったが、それよりも先に教官は僕を一瞥した。言葉は無粋が過ぎると感じて、僕は頷いた。彼女はトレーを持って席を立ち、長門のところへ行った。会話が漏れ聞こえてくるのを期待して、僕は耳を澄ました。果たして、望み通りになった。だが二人が言ったのはこれだけだった。「行くぞ、泣き虫」「そうだな、片腕」がっかりして、僕は目と肩を落として溜息を吐いた。そして首をもたげると、同じようにしている響と目が合った。僕らは互いを理解しあって、ニヤリと不敵な笑みを交わした。それを見て、那智教官は知っているが長門を深く知らない利根と北上、その逆に長門はそれなりに知っているが那智教官を余り知らない隼鷹はぽかんとしていた。

 

 二人はその晩、飲みに行ったようだ。ようだ、というのは、長門の姿を昼以降見ることがなかったからである。教官の方は食堂で見た。夜遅くにふと喉が渇き、食堂で水など飲もうかと思って出向いたところ、教官が一人でいるのを見つけたのだ。水の入ったコップをテーブルの上に置き、何をするでもなく入り口に背を向けて腰を下ろしていた。僕は声を掛けたかった。だがその背中が、触れることのできない個人的な感情を示しているのを見て、諦めた。あれは、当事者以外には誰にも手出しできない領域だ。どれだけ深く彼女のことを敬愛していたとしても、僕などが好奇心や好意などで首を突っ込むべきものではなかった。だから仕方なく、その夜は喉の渇きに苦しみながら寝なければならなかった。

 

 その夜からもうかなり経つが、彼女たちの間でどんな話し合いがあったのか、僕は聞こうとも思わないままでいる。何しろ、僕は旗艦として忙しく働いているのだし、世の中の全てが僕に知られるのを待っている訳じゃない。中には、僕という人物にだけは存在すら知られないでいたいと願っている何かもあるのだ。長門と那智教官は暫しの冷却期間を終えて、再び元の鞘に収まった。めでたし、めでたし。彼女たちの関係について僕が旗艦として知っておくべきことは、それだけだと思う。

 

 関係繋がりで述べると長門と僕の関係は相当複雑になっていたが、その解決方法はシンプルだった。僕と彼女は、かつて僕が広報部隊にいた時に由良がどうやって彼女の抱えている嫌悪感を解決したのかを参考にしたのである。僕らは互いを無視し合い、できるだけ彼我の物質的距離を遠ざけるように心がけた。僕がこのところもっぱら自室で旗艦の仕事に忙殺されているのもあって、この平和的手段は絶大な効果を上げた。これによって長門はムカつくクソ野郎を見なくて済み、僕は旗艦権限を最大限に濫用した結果生まれた“旗艦付秘書艦”制度により僕の書類仕事などを手伝ってくれる特定の第五艦隊員一名と共に、うんざりするほど大量の報告書や陳情書を仕上げることができたのだった。

 

 旗艦付秘書艦制度というのをざっくばらんに言うと、志願した第五艦隊所属艦娘を書類仕事に付き合わせるだけなのだが、これが中々に好評だった。もちろんそれは艦娘の中の黒一点たる僕と話したりじゃれあったりできるから、ではなく、僕が個人的に設定した特別手当、つまり報奨金があったからである。那智教官は書類仕事について「教官時代でもう飽きた」と言って手伝ってくれなかったが、残りの四人は七日ごとの交代制で秘書艦を務めてくれた。一人に付き二万円払ったので僕の懐具合はミネソタの冬※74並みになったが、任されたことを完遂できないという屈辱を免れることはできた。

 

 思い出すのは、響が初めて担当した時のことだ。直前まで秘書艦をやっていた隼鷹が二日に一度はへべれけ状態で手伝いにやって来るという割とマジで勘弁して欲しい具合だったというのもあり、同じ酒飲みでも真面目にやってくれる響は本人の美しさも相まってまさしく天使のようだった。一週間は飛び去って行き、僕は彼女に二万円を渡した。すると彼女は言った。「ねえ、友達から貰ったお金に、その友達と一緒に飲みに行く以外の使い方があるって言うのかい?」遠回しなお誘いに気づくことができて、実に幸いだった。

 

 僕と彼女はバーに行き、カウンターに並んで腰掛けた。二人して初めての店だったので、気取りたい年頃の僕は精一杯格好をつけて注文をした。「ラスティ・ネイル。リンスタイプで、ウィスキーはアイラモルトを。ドランブイとウィスキーの比率は一対三。氷はクラッシュアイスで」※75 バーテンダーの頬がちょっとひくついたが、彼はプロフェッショナルだった。頭で何を思っていたにしろ、微笑みを浮かべて「かしこまりました」と言い、わざわざ向き直って響の注文を聞いた。ぶすりとした表情で彼女は短く答えた。「ウォッカ」※76それで決まりだった。なにせ、このバーテンダーは人生経験を積んだ大人である。そんな彼ほどの人物が響の注文に対して「好みの銘柄は?」とか「氷はいかがですか?」とか「チェイサーに何か飲まれますか?」などという大変に愚かな発言をしないのは全く当然であった。

 

 出て来たものを何杯か飲む内に、やがて僕らは酔い始めた。カウンターでぺちゃくちゃやるのは趣味じゃないので、二人用のテーブル席に移った。そして声のボリュームに気をつけながら、友人同士の楽しい会話を交わした。響は言った。

 

「酒はね、普段君が感じているあらゆる抑圧から君を解放してくれるんだ。それで、それでだよ、君はその素晴らしい恩恵を、ただ口と喉を使って受け入れるだけで得られるのさ。そして上首尾にことが進めば、気を失うまで飲み続けられる……一人か、二人以上でね。さっきのは何だい、リンスタイプ? 比率? 君の飲み方は純粋じゃないね、口じゃなくて頭で飲んでるみたいだ」

 

 僕は彼女が注文した時に憮然としていたのが、自分のせいだったことを理解した。しかし僕は僕、彼女は彼女だ。響の考えは独特で素敵だが、そういった思想を同意なくして僕に飲み込ませることはできないし、無理に口へと突っ込んで来ようものなら僕はすっかり戻してしまうだろう。そこで僕は響がウォッカを口に含み、僕の飲酒に対するスタンスを責める言葉が止まるのを待って、話題を変えることにした。そしてその時は来たが、予想より早かった為に話題が思いつかなかった。しょうがなく、僕は気まずい思いをする覚悟をして言った。

 

「ところで響、君の臀部が見たいんだけど、いつなら空いてる?」

「私は君の親の顔が見たいよ。でも一応聞いてあげよう。どうして?」

「願ってもないけど、親に紹介するのはまだ早いんじゃないかな……いや、この間、長門の背中に焼印があるのを見たんだ。尋ねたら僕と隼鷹以外はみんな持ってるって言うじゃないか。で、君がお尻の割れ目の上に押したとその時に聞いたのさ」

「そういうことか」

 

 響は納得して頷いたが、その頷きが承諾の首肯ではないことを言い添えることを忘れなかった。友達同士でも秘密を持つことはある。まだ尻の割れ目付近を見るには、十分に親しくないのだろう。僕はそれを知ったからと言って傷つくような勘違い男ではなかった。親密度が足りないなら、上げればいいだけだ。互いに生きていれば、その為の時間を用意することもできる筈だ、と考えたのだった。手始めに僕は響との次の予定を何か入れてみようと決めた。それに打って付けの口実もあった。研究所の近くの外国製ワイン専門店で試飲会をやるのだ。海上輸送路が危険を伴い、一方空輸では少量しか運べないという事情もあって参加費が高いというのは欠点だが、出せない額ではない。

 

 飲んでる最中に言うのも何だけど、と切り出して、僕は彼女を誘った。響は可愛らしく小首をかしげると、隼鷹は誘わないのかと訊ねた。誘いたいところだが、このところの彼女は前にもまして飲酒量甚だしく、彼女を親友だと思っている僕さえ眉をひそめる域に達していた。試飲会の会場を居酒屋に変えたいのでもなければ、連れて行く理由はなかった。とはいえ、心配していなかった訳ではない。何かストレスや不満、酒を飲まずにはいられない理由があるのかもしれないが、いつも酔っ払っている癖に隼鷹はその辺りのプライベートを隠すのが上手いのである。どだい、男性の僕は女性にそういった細工で敵うはずもないのだ。

 

 僕の誘いは、落ち着いた「やめておくよ」という言葉で断られた。僕はショックを受けるよりも、意外さを感じた。断られるとは思っていなかった。響は遠慮の言葉に続けて言った。

 

「今日、飲みに誘った私が言うべきことではないかもしれないけれど、君は旗艦なんだ。だから、艦隊員と過剰に仲良くするべきではないんじゃないかな」

「指揮に影響を及ぼすと?」

「もし及ぼさないでいられるようなら、私は喜んでそんな冷血漢との縁を切るよ」

「考えたが、君が正しいように思えるな。でもだよ、それで行くとすると、君との友情を何か一緒にやることで確かめ直したくなったら……僕はどうすればいいんだ?」

「仕事でもしなよ。私と一緒でもいいし、別の人と一緒でもいいし、一人でやってもいい。とにかく私のことを忘れるぐらい、一心にやることだ。いや、いっそ仕事でなくてもいいな。君が自分の務めだと思うことを果たすんだ。その時私は私の務めを果たしているだろう。君の横か、何処か違う場所で、君のことを忘れるぐらい一心に。そしてその時こそ、私たちが互いを忘れて使命に打ち込んでいるその時こそ、実はめいめいがぴったりと身を寄せあっているんだよ。同じ方向を見てはいなくてもね。そうは思わないかい?」

 

 生憎だが、その時の僕にはそうは思えなかった。だから、肩をすくめてその言葉を聞き流した。店を出た後の僕にも分からなかったし、研究所の艦娘寮で響と別れた時の僕にも解せなかった。もっと言えば、今の僕だって変わりない。彼女の考え方は、僕にはどうにもスピリチュアルすぎるのだ。あるいは、この僕が主に仕えるタイプの人間だったら理解できたのかもしれない。あくまで何ら根拠のない憶測に過ぎないが、信仰というのは人の思想に大きく関わるものだ。その点を(こと)にする僕と響が、分かり合える筈もなかった。しかし、分からないところがあるからこそ本物の人付き合いというのは楽しいのだ。知っている通り、予想した通りの反応しかしない相手と付き合って何が楽しい? 未知こそ喜びだ。

 

 旗艦任務は大変だったが、それは僕が喜びだと認めるところの「未知」をたっぷり持っていた。苦労もしたが、それが報われると嬉しかった。命を救っているという実感もあった。瑞鶴たちの艦隊を助けた時に始まり、第五艦隊は数々の出撃で多くの危機に陥った艦娘たちを助けた。中には駆けつける前に救援対象が全滅してしまったこともあったし、怒りを禁じ得ないことだが、まだ戦闘可能な救援対象の艦娘が、彼女たちの提督の命令によって敵を僕らに全部押し付けて撤退していったこともあった。自分の艦娘さえ助かればそれでいい、と考える提督もいるのだ。

 

 そんな奴はすぐさま提督としての資格を剥奪してしまうべきだと僕は思う。ああ、そいつは勉強や運動はできるのだろう。提督になるほどだから、発想力やその他の能力もあるのだ、きっと。だが彼もしくは彼女には、戦闘に対する心構えが備わっていない。それは軍服を着ただけの民間人と、本物の提督を分けるものだ。後は、戦場ではなく執務室や作戦室から指揮を執っており、普段接する艦娘たち以外は全部データや情報としてしか見えない存在である、というのも前述の行為に至った理由の一つだろう。だからもし第五艦隊の艦娘全員の顔を見ながら「救助に来た部隊を囮にして離脱しろ」と自分の艦娘に言えるなら、この推定を取り下げてやってもいい。その場合は、極まったクズ野郎だという評価に改めてやるつもりだ。

 

 どうせなら海軍は、艦娘経験者からも提督を募るべきではないだろうか。戦線に戻れないほど負傷した艦娘などで、能力がある場合だけでもいい。そうすれば、戦闘の現実を知っている上司が増えることになる。それは、少なくとも現場にいる艦娘たちからすればよいことだった。認めたくないが、僕は運がよかったのだ。僕の提督は彼女の敵のことをきちんと了解しており、深海棲艦との戦闘に出るということがどれだけ大変かということを正確に認識していた。

 

 青葉の情報によれば、彼女は過去に海上警備担当の通常艦艇に乗り組んでいたらしい。そして不運にも彼女の乗っていた艦は、たった一匹の駆逐艦の接近に気がつかなかった。艦は命からがら逃げることだけはできたが、敵駆逐の砲撃が提督のいた付近に着弾。それで手足や目を失ったとか。そこから彼女お得意の不正な手段を駆使して提督になったのだとしたら、敵の脅威を理解しているのも頷ける話だった。

 

 まあ、信頼と安心の青葉情報でもちゃんと取材したものではないから、何処まで本当かは分からない。彼女にはまだ青葉でなく候補生だった頃に、那智教官の過去に関して誤った情報を僕や他の候補生に掴ませた前科もある。もちろん、この愛らしい快活な少女の優れた情報収集能力を疑うって訳じゃない。限界は誰にでもあるというだけの話だ。特に、入念に隠されているだろうものを探り出そうとする時にはそうだろう。僕はそれを残念に感じた。一人の人間として、提督の過去には興味があったからだ。どうやったらあんな性格の人間が出来上がるというのか、人類全体にとって反面教師として有益な情報になると確信していたのである。でも人類はその叡智を得ることはないだろう。青葉は僕のいる場所に来る理由がないし、呼ぶつもりもない。だから彼女と提督が接触することはない。

 

 と思っていたら来たのが今日起こった最もエキサイティングな出来事だった。提督自らが呼び寄せたのだ。どうして彼女のことを知っていたのか、僕は一瞬戸惑ったがすぐに察した。長門とあの島で二人きりになっていた僕を死んだものと決めつけて、青葉新聞コレクションを遺品整理の名目で勝手に僕の部屋から持ちだして読んだ時だ。多分、その頃から第五艦隊がそれなりに活動したら、青葉を呼んで取材させるつもりだったに違いない。軍、というか海軍の艦娘たちの間で、青葉の新聞は今や絶大な影響力を有するに至っている。彼女はそんなことをしないが、もし青葉が新聞に「最新のトレンドアイテムはバケツ! コミカルに被って他の子たちと一線を画しちゃおう」とか「敵は駆逐から狙うのがデキる戦艦スタイル」とか書いたら、世の提督たちは頭を抱えることになるだろう。男性も女性も、流行やトレンドというものには弱い。

 

 青葉と久々に言葉を交わし合ったのは、出撃のない日のお昼前、不本意にも呼び出された執務室でだった。またぞろ書類に不備でもあったか、そうでなくとも僕の心を傷つけ、へし折る格好の理由でも提督が見つけ出してしまったのだろうと考えて、うんざりしながらぎゅっと目をつむって扉を開けた僕は、明るい声で「どもー、お久しぶりですー!」と言われて面食らい、すぐさま目を開けた。薄紫の髪の毛を頭の後ろで軽くまとめた、セーラー服の少女が満面の笑みを浮かべてそこにいた。僕はちょっとの精神的空白の後に「青葉!」と言って彼女の手を握ろうとして、ここが執務室であることを寸前で思い出した。友人と久闊を叙するに際して、提督に見られたいとは思わない。

 

 ひとまず青葉へは挨拶だけで済ませておいて、執務机に頬杖を突いてニヤニヤしている提督の前に立ち、敬礼をして「命令に応じて出頭いたしました」と報告を行う。彼女は形式的に必要である返礼をおざなりに行うと、「楽にしろ」と言ってから話を始めた。

 

「第五艦隊の運用開始から半年が経ち、上は中間報告を欲しがっている。捜索救難専門の艦隊を作る意義があるのかどうか、それである程度見極めるつもりだろう」

「そうすると、また報告書を書かなくてはいけませんか」

「その程度で呼びつけるほど私は暇じゃない。スピーチは得意か? 得意になっておいた方がいいぞ……近々、お偉方の前で発表して貰うからな。秘書艦」

 

 視界の外から現れた吹雪秘書艦が僕の横に来て、手に持ったファイルをこちらに渡した。ずしりと来る重みに、僕は顔を歪めそうになった。「それが原稿だ。ああ、感謝していいぞ、発表は一ヶ月後まで引き伸ばしてやった。読めない漢字は事前に調べて、ルビを振っておけ」むっと来て、僕は言い返した。「中学校は卒業してます」「どうしてせめて高校まで卒業しておかなかったのか、理解に苦しむね。もし負傷で退役したら、軍人恩給で一生食い繋ぐ気か? いい人生設計だな、私も真似したいよ」言葉に詰まるが、ここでもう一言返せなかったら僕は僕と共に志願した利根をも侮辱させたままにしてしまう。それを許すには僕は、余りにも深い彼女との友情を持っていた。

 

「提督には学はともかく良心がないんですね」

 

 言葉が過ぎた。吹雪秘書艦の提督に対する忠誠心は、僕のこの暴言をそのままにしておくには強すぎた。それは丁度、僕が利根との友情によって破滅に到る最後の一言を口にしてしまったのに似ていた。彼女の右手が僕の喉に添えられるのが分かったが、僕はどうしてかそれを止めることができなかった。素早すぎたのか? いや、そうではない。それは容易に視認することができた動きだった。だが現実として僕が動くより先に、吹雪秘書艦は僕を跪かせ、こちらの喉を締めあげていたのである。タップしても許してくれないところを見ると、本気らしい。

 

 結局、提督が話の続きをしたいから解放してやるように秘書艦へと声を掛けるまで、僕は苦しい思いをした。ちらりと後ろの青葉を見ると、複雑そうな表情をしていた。止めに入ったものかどうか迷っていたようだ。彼女は正しい選択をしたと思う。あそこで止めに入ったら、吹雪秘書艦は更に左手を使っただけだったろう。青葉の目は僕に「大丈夫なんですかここの司令官は」と尋ねていたが、それについては答えを永遠に保留するつもりである。提督は先の僕の発言を気にしていない様子で言った。

 

「今回の発表が上手く行けば、私は昇進できるだろう。退役後の年金支給額も上がるし、給料も上がる。権力も今にもまして振るい放題だ。従って、失敗は許されん。そこで、現場の艦娘たちからの支援を取り付ける為に、広報部隊から素晴らしく有能な記者を派遣して貰った。彼女は第五艦隊の活動に暫く随行し、取材を行う。可能な限り、協力するように。何か言いたいことは?」

「そんなに上手く行くでしょうか? ええと、艦娘たちからの支援のことについて、ですが」

「掴む藁は一本でも多い方がいいからな。間違いなく、大きな賛同を得られるだろう。そうすれば、上も多少のことには目をつぶらざるを得なくなる。仮にお前が演壇で失敗しても──まあまず失敗するだろうが──ある程度はカバーできる筈だ」

 

 この嫌味には耐えられた。対象があくまで僕個人であって、僕の友人たちを巻き込むものではなかったからだ。僕は「拝命致しました」と言って敬礼し、その場を辞そうとした。それを呼び止めて提督が言った。「記者を部屋まで案内してやれ。隼鷹の部屋の向かいだ」断る理由と権限はない。その命令も受諾して、青葉を連れて執務室を出る。扉を閉めると、彼女はぷはあ、と大げさに息を吐いて僕を見た。

 

「何なんですか、あの司令官?」

「僕も同じ気持ちだが、その話は部屋でしよう」

 

 吹雪秘書艦の耳に入ったら大変だからな、と青葉に言って笑い、僕は彼女を部屋まで案内した。青葉が荷物を持っていなかったのが気になったが、そんなことよりもここまで来るには時間が掛かったろう。暫し自室となる場所でゆっくり休むべきだ。青葉はなまじ普段から元気なものだから、疲れている時までさも疲れていないかのように見えてしまう。彼女の溌剌とした笑顔が疲労などのせいで失われたり、陰ってしまうのは、僕だけでなく彼女を知る全ての人々にとっての悲劇的な損失だった。

 

 歩きながら、この度のことについて話し合う。

 

「断れる仕事じゃなかったんだろうけど、大丈夫かい? 僕らに随行するってのは大変だろう、戦闘もあるし」

「ふふふ、これでも青葉、戦闘経験は結構あるんですよ!」

 

 何処でそんな経験を? と思ったが、考えてみれば明白だった。彼女が広報部隊に入ったのは、僕と入れ違いだ。それまでは通常の艦隊に編入されていた。ということは、深海棲艦との戦闘を知らない訳がなかったのだ。何というか、僕は彼女がずっと記者だったというような勘違いをしていたことで、申し訳なさを感じた。

 

 その勘違いは僕に、自分は戦闘を経験しているという罪深い優越感を与えていたと分かったからだった。失われてやっとそれに気づいたが、気づかずにそのまま消えていって欲しかった。優越感というのは、十六歳、いや、ほんのちょっと前に十七歳になったばかりの少年としてはありがちな感情だったが、僕は自分がもっと大人だと思っていたかったのだ。その望みはたった今、自壊してしまったが。やれやれ、と胸中で自分の幼さを嘆き、罵った。それから自分の気を逸らす為に、さっき気になったことを訊ねた。

 

「荷物はどうしたんだ? 部屋の場所が分からないってことは、下ろして来たって訳でもないんだろ」

「いやあ、皆様のお陰で最近なんとこの青葉、人の上に立つ身分になりまして。まあ、人を使うのは苦手なので、扱いは部下よりも相棒って感じですけど……その子に先に持って行って貰ったんですよ。彼女は第二艦隊の長門さんが案内してくれました」

 

 それを聞いて僕は自分の幸運と青葉の判断に感謝した。吹雪秘書艦に締め上げられたあの時にもし長門からの追撃も入っていたなら、僕の首は胴体とおさらばして、今頃執務室の床の上にでも転がっていたことは想像に難くないからである。そうでなくとも単純にきまりが悪い。それに青葉は敏感だから、僕と長門の間に何かがあると感づいてしまうだろう。

 

 彼女みたいないい友達に、余計な心配を掛けたくはなかった。僕は僕の友達みんながそうであれと思っているのだが、彼ら彼女らにいつでも幸福でいて欲しいのだ。一風変わった友人のことで気を煩わせることなく、彼のことを思い出す時には常に喜ばしい思い出だけを心に浮かべて欲しいのだ。であるからには、不穏さなどその気配や臭いだけでも彼ら彼女らに感じさせることは許されなかった。

 

 それにしても、青葉に相棒か! これで彼女の激務も幾らかの緩和がなされるであろうことを考えて、僕は心底ほっとした。彼女の新聞が楽しめなくなることも辛いが、彼女の健康が損なわれることが一番辛い。那珂ちゃん関連の仕事もあるだろう。聞いてみると今でも誰かに引き継ぐことなく那珂ちゃん関係の仕事をやっているとのことで、僕にはどうやって青葉が彼女のやりたいこと全てを一つも手中からこぼすことなく健やかなる日々を送っているのか、想像もつかなかった。同じ環境に僕が置かれたら、三日と経たずにダウンしてしまうだろうに。

 

 那珂ちゃんの様子を訊ねると、青葉は嬉しそうに話してくれた。僕が同期だということも、その滑舌によい方向の作用を与えた。最近のライブのこと、二人が交わしたアイドルとしての方向性についての議論、那珂ちゃんの懸命さ……築き上げた立場に慢心することなく、新人のように貪欲な態度。真剣で、常に自分の限界を模索し、それを超えようとしている姿勢。青葉は彼女のことになると、新聞について話すよりも遥かに歯止めが利かなくなるようだった。だがそれはこっちだって同じだ。僕は那珂ちゃんの最古参ファンである。彼女がただの「那珂」でなくなることを選んだ日からの付き合いなのだ。彼女の話題となっては、冷静さを失うことを己に許さざるを得なかった。

 

 同期の英雄、那珂ちゃんのことで会話に花を咲かせながら歩き、隼鷹の向かいの部屋、青葉と彼女の相棒が使うという一室まで連れて行く。青葉の相方が待っていれば、部屋の鍵は開いているだろう。そして普通に考えて、彼女を置き去りにして何処かに行く理由はなかった。ドアノブを握り、捻る。よかった、鍵は開いている。ドアを開けて、青葉を行かせた。彼女は戸口で振り返った。もう少し話していたかったな、と思いながら「それじゃあ、何かあったら僕はそこの部屋にいるから呼んでくれ。もし僕がいなかったら、向かいの隼鷹もいい奴だ。僕の同期だと言えば、必ず力になってくれるよ。そうでなきゃ、新聞記者だって教えてあげれば一発さ」と告げる。

 

 すると青葉は困惑顔で言った。「あれ、上がっていかないんですか?」ふうん、そりゃ僕だって君がそう言ってくれるなら上がってまだまだ話もしたいんだが、疲れているだろう? 話ならこれから暫くいつでもできるじゃないか。僕の気持ちは差し置いて、今は休むべき時だよ、青葉。「それじゃ、上がらせて貰うか」「ええ、是非どうぞ! まずは青葉の相方を紹介しますね!」僕は内心の考えをぐいぐいと奥底へ押し込んで、青葉たちの部屋に入った。

 

 部屋にはやはり先客がいた。しかし予想外の先客だった。いや、予想外の数だった、と言うべきだろう。僕は青葉の発言から、彼女の相棒一人がいるものだと考えていた。それは大筋で間違っていなかったが、違うところもあった。一人ではなかったのだ。そこには青葉の相棒を案内した長門の姿もあり、二人は腰を下ろして話し合っていた。長門は僕には決して見せないような柔らかな微笑みを、その子に見せていた。僕は呆気に取られて彼女の名を呼びそうになり、最初の「な」で力を失って口を間抜けな半開きのままにした。長門はそこでようやく僕と青葉の姿に気づいた。表情が焦り、恥じらい、怒り、嫌悪、無、の順番で目まぐるしく変わっていく。最後に彼女は話し相手へと顔を向け、固い声で言った。

 

「ではな、楽しかった」

「また詳しいお話をお願いできますか?」

「もちろんだ、時間がある時ならいつでも答えよう」

 

 席を立ち、僕の脇を抜けざまに、青葉に気づかれないほど短く、彼女は僕を睨んだ。なので僕も睨み返した。怯えすくんでいるだけの男じゃないところを見せてやったのだ。青葉の前でそんな無様なところを見られたくない気持ちもあった。長門が僕の珍しい仕返しを感じ取ったかどうかは分からないが、僕は満足しながら意識を部屋の中に向けた。青葉が彼女の相棒の肩に手を置いてこちらへ体と注意を向けさせ、紹介してくれた。

 

「こちら、ここ暫く青葉のお手伝いをしてくれている、電ちゃんです」

「初めましてなのです」

 

 彼女はにこやかな表情でこちらに手を差し出した。


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