[完結]Home is the sailor, home from the sea. 作:Гарри
「初めましてなのです」
彼女はにこやかな表情でこちらに手を差し出した。僕はその手を取って、しっかりと握った。ぴくりと反応するのが分かった。「やあ、会えて嬉しいよ」「こちらこそ、今回はよろしくお願い致します」手を離し、彼女の目をまっすぐに見る。そこに、見慣れた敵意を感じていた。気のせいかもしれない。駆逐艦娘「電」は、全国に大勢いる。この電が、あの融和派の電である確証はまだない。だけれども、どうしても僕には目の前の電があの彼女だとしか思えなかった。
さっきまで長門が座っていた椅子に腰を据える。彼女の体温が残っていて、ほのかに温かかった。何やら変態めいた思考だな、と僕は自嘲した。青葉も椅子を持ってきて、それに腰掛けた。部屋に入った時と違い、手に鞄を持っている。その中を漁りながら、彼女は「あれえ?」と
「それだったらいいんです。いやはや、何処かの誰かにバレたかと思ってひやりとしちゃいました」
何を探していたのか聞こうか迷って、僕はそれをやめた。電は僕の部屋に何かを投函し、それは青葉が僕に渡す筈のものだったらしい。もう僕は確信を抱いていた。この電は、あの融和派の電だ。どうやって軍に潜り込んだのか分からない。誰かの手引きなしには不可能だろう。だがそれをやってのけた。そして、青葉の下に手際よく配置された。何の為に? 僕を巻き込む為に? 赤城は青葉に戦闘記録を探らせろと言った──そして僕はそれを拒んだ。だから、赤城たちは僕にやらせるのではなく、自分たちでやってしまうことにしたのだろうか。
あるいは、青葉を人質にでもしたつもりかもしれない。望み通りに僕が動かなければ、青葉に何かする気だとか。考えれば考えるほど、その手の嫌な想像が僕の心を
平静を装うことを試みるが、上手く行かない。仕方なく、僕は青葉に言った。「喉が渇かないか?」彼女はこれをお茶の催促だと勘違いして、申し訳無さそうな顔になった。僕は慌ててそれを否定した。「ごめんよ、そういうつもりじゃなかったんだ。僕の部屋にいいお茶があるから、それをご馳走したかったんだよ。自慢じゃないが、僕のお茶は中々のものだよ?」茶葉の格がね、という部分は黙っておいて、僕はそう言った。青葉は友人からのこういった申し出を断らないでくれた。
「電さん、お客さんに頼んで悪いんだが、手伝ってくれるかな?」
「もちろんなのです!」
「よかった。それじゃ、ちょっと待っててくれよ、青葉」
こうして僕は首尾よく電を連れて自室に戻った。郵便受けを見ると、小包が入っていた。それをベッドの上に置き、お茶の準備を二人でする。湯のみを人数分用意し、安価だがおいしいお茶菓子を皿に盛り、湯を沸かす。沸騰を待っている間に、僕は「それで」と電をじろりと見やって言った。彼女は笑いもしなければ、こちらを睨みもしなかった。
「どういう理由でここに来た?」
「あなたがいつまでも動こうとしないので、赤城さんは業を煮やしていました。だからあなたからの依頼を装って、青葉さんに調べて貰ったのです」
青葉の前で僕が余計なことを言わないでくれて助かった、という旨のことを彼女は付け加えて言った。僕は自分が、何故か赤城と電たち融和派の生存を当然のように受け止めていたことに気づいたが、無表情を保った。
「小包の中に戦闘記録をダウンロードしたメモリと、それを読む為の小型ノートパソコンがあるのです」
その言葉には言外に「今度こそ逆らわず、こちらの言った通りに中身を見ろ」という命令めいたニュアンスが混じっていた。僕は頷いた。電はふん、と鼻を鳴らすと、湯沸し器を指差した。「お湯、沸いてないですか?」僕は湯沸し器からお湯を急須に注ぎ、適度に蒸らしてから湯のみにお茶を入れた。まさに
座って、温かいお茶を飲んでも、僕の背中はいやに冷たい汗でじっとりとしていた。「おいしいですねぇ」と喜んでくれる青葉に笑いかけるが、それもぎこちなかった気がした。何種類かある茶菓子の中から煎餅を選んだ青葉は、両手でつまんで少女らしさをわざとらしくアピールしながら食べていたが、ふと僕に訊いた。「しかし、どうしてあんなものが必要だったんですか?」「うーん、考えがまとまったら一番に教えるよ、約束する」僕は嘘を言った。その罪で百万年は生きたまま地獄の炎で焼かれるだろう。それでも、青葉をこれ以上巻き込みたくなかった。彼女はいい子だ。僕の友達は、みんないい奴らばっかりだ。だから、余計なことからは離れていた方がいいのだ。
青葉は執務室で再会した時のようなまばゆい笑顔を浮かべて「約束ですよ!」と言った。心がずきりと痛んだ。
少しお喋りをして、食堂や工廠、甘味処の場所を説明してから、僕は青葉の部屋を出た。旗艦の書類仕事はその為の絶好の口実だった。今日は僕の秘書艦にも休みをやっているので、誰かが来る心配もなかった。僕はベッドに置いていた小包を手に取り、開封した。中に入っていたのは、電の言った通りのものと、小さなイヤホンだった。パソコンを起動し、USBメモリを差し込む。メモリの中のフォルダを開くと、目が回りそうになるほど沢山のファイルが現れた。
設定を幾つか変更し、開かずともフォルダ上にプレビュー画面を表示できるようにしてやる。これで読むのに一々開く必要もない。戦闘記録に混じって、赤城からのメッセージもあった。音声ファイルだ。だからイヤホンを同封していたのだろう。僕はまずそれを再生した。何故なら、その音声のファイル名にそうするように指示が書いてあったからだ。
「これを聞いているということは、あの子は務めを果たせたようですね。本当は電話か何かで話したかったのですが、盗聴やこちらの居場所が露呈する恐れがありましたので、このような形を取らせて貰いました」
赤城の落ち着いた声。あの数日間、融和派たちのグループに囚われていた日々の記憶が蘇り、体が緊張するのが分かった。
「戦闘記録から何を読み取ることができるか私から解説したいところですが、前にも言った通り、それはできません。しかし、ヒントを差し上げることはできます。訓練所の座学で鬼級以上の深海棲艦や、人型深海棲艦について何を学んだか、思い出して下さい。そうすれば、必ず気づくことができるでしょう。……私たちにはあなたが必要です。どうか、お願い……気づいて」
たったそれだけのメッセージだったが、僕は彼女の声に正真正銘の懇願の色が聞き取れたことに困惑していた。彼女は本気で、僕に何かを知って欲しがっている。僕に何かを「させる」のではなく「知らせる」ことだけを欲している。
馬鹿なことを、と僕は唇を噛む。彼女は融和派だ。電もそうだ。あいつらは僕を縛り首にしようとした連中だ。同じグループではなくとも、同類には違いないのだ。それを忘れてはいけない。よしんば彼女らが僕を脅したりすることなく、純粋に知って貰うことを望んでいたとして、その通りにして何の得がある? 僕がこの社会で生きるのを困難にするだけのことじゃないか。彼女らが僕に知らせようとしていることなど、どれ一つ取ってもきっと、知らない方がマシなことなのだ。そう思い込んでいた方がよかった。
けれど、赤城は「業を煮やし」ているらしい。電の身を危険に晒すことを承知で青葉の下へ送り込み、しかも僕と接触までさせたところを見るに、相当な度合いだろう。これ以上、僕が彼女の望みを突っぱねていては、何が起こるか分からなかった。僕は自分の安寧と周囲の安寧を天秤に掛けた。そして、自分さえ黙っていれば丸く収まるということによって、自らの安息を切り捨てることにした。
ファイルを選択し、目を通していく。戦闘記録の提出者は、指揮された艦隊の提督名義となっていた。彼我の戦力や戦闘の推移、結末がまとめられていて、真面目に読んだら全てに目を通すのに数ヶ月は掛かりそうだった。そこで僕は、戦力と決着の二つだけに着目することにした。それなら、一目で把握できるからだ。
初期の戦闘に艦娘の姿はなく、記録部分には通常艦艇の名前が代わりにあった。そして決着は大抵がこちらの敗北だった。例えば深海棲艦との戦闘、日本の海軍(当時は海軍ではなかったが)が初めて連中と戦い、その記録を残すことのできた戦闘だ。それは、驚くことではないが、人類側の大敗で終わっていた。当時の敵の戦力は、現在駆逐や軽巡として分類されている深海棲艦が……合わせて数十隻ほどと見られている。僕はその表記を見て違和感を覚えた。
大規模な戦闘においては、当然こちらの戦力も数を揃えて出す。あちらもそうする。何十人、何百人、何千人という艦娘が海を駆け、また何千もの深海棲艦と戦うのだ。その中には駆逐もある。軽巡もある。だが重巡も戦艦も空母もあるのだ。だというのに、この戦闘では駆逐と軽巡しか現れていない。
その後の戦闘も、非人間型の深海棲艦ばかりが報告に上がっている。また戦争そのもの、戦闘の頻度も、現代に比べて余りに散発的なものだった。まるで自然災害か何かのようだ。僕は人型深海棲艦が現れる最初の記録を探し、見つけた。洋上を航行中の通常艦船で構成された艦隊の前に、駆逐や軽巡を連れて一隻だけで現れたらしい。後に重巡リ級と分類される個体だったようだ。
それ以降、人型深海棲艦がちょくちょく報告書にも出て来るようになった。そして遂に僕は、僕が生まれるよりもずっと前に行われ、人類が戦術的敗北と戦略的勝利を得たあの海戦、複数の人型深海棲艦を撃破し死体を回収、当時既に現れていた「妖精」たちの協力で解析して、現在の艦娘のプロトタイプ、妖精たちが言うところの“船魂”を転写しない、「誰でもない」艦娘が産み出される切っ掛けとなった、あの海戦の報告書にたどり着いた。次へ、そのまた次へと読み進めていく。赤城の術中に陥れられているぞ、という警告は頭の片隅にあった──だがそんなものでは、好奇心を止められなかった。
旧型の艦娘が投入されてから、人類は深海棲艦に勝利することが増えていた。しかし、それに従って人型深海棲艦の数が増加していたようだ。結局は、質の差で人類はじりじりと制海権を奪われ、記録されている戦闘海域も段々と本土へ近づいていた。ここからどのように巻き返して行くのだろうか? 不謹慎ながら、よくできた戦記を読んでいる時のような期待感さえ僕は覚えていた。だから、危うく見落とすところだった。本土近海での防衛戦において、鬼級深海棲艦が登場したのだ。記録されている外見の特徴から、それは泊地棲鬼であると断定できた。
これは僕を大きく混乱させた。深海棲艦について、生物学的所見以外に訓練所や旗艦学校で教わったことは少ない。その一つは奴らが敵であること、そして敵は死ななければならないということだ。後は、鬼級・姫級などの指揮官的役割を果たす深海棲艦は、『人類の優勢によって』表に出て来ざるを得なくなった連中だということ程度だった。でも記録を見る限り、泊地棲鬼との初交戦時は人類の負けがほぼ確定していた状態だった。加えて、泊地棲鬼や他の鬼級・姫級などは、その後の交戦でもしばしば姿を見せた。
僕は軍が勘違いしているか、あるいは僕らに勘違いさせようとしていたことを認めた。認めるしかなかった。明らかに、これらの深海棲艦は人類の優勢によって引きずり出されたのではない。まだ「人類にとどめを刺す為のダメ押しとして現れた」という考えの方が説得力がある。その場合でも、何故最初から出て来なかったのかという問いには有効な答えたり得ない。
では何故、現れたのか? 赤城が僕に考えさせようとしているのはこれだ、という予感があった。どうして人型深海棲艦は、旧型艦娘配備のタイミングでその数を急激に増加させたのか? 鬼級深海棲艦が、奴らの優勢な時期に出現し始めたのは何故か? 軍はどうして事実を曲げて教えたのか?
考えてみても、僕には納得の行く答えなど思い浮かびもしなかった。普段から、考えるという習慣を持っておくべきだったな、と僕は後悔した。しかし、言い訳をさせて貰うならだが、考えるというのは艦娘の仕事ではない。艦娘の仕事は、海に出て、戦うことだ。国を、そこで暮らす人々を守る為に戦うことなのだ。軍が秘匿する何かを暴くことでもなければ、深海棲艦の出自を云々することでもない。思いを巡らせれば巡らせるほど、僕は奴らに対してげんなりし、もう勘弁してくれ、という気分になるのだった。
一体全体、深海棲艦とは何なのだ? 何処から来て、何を望んでいる? どうして僕らを放っておいてくれないんだ? 何だってこんな戦争を始めた? もしかしたら、答えはあるのかもしれない──初めて深海棲艦と出会ってしまったとされる、何処かの国の海軍だったか沿岸警備隊の艦に乗り組んでいた人々に聞けたなら。だが、それは不可能なことなのだ。深海棲艦たちは、その人々を一人として残さず、海へ沈めてしまったのだから。そうしてその時、僕ら人類と深海棲艦たちは、どちらかが滅ぶか、さもなければどちらもがこの世界で生きていけなくなるまで、互いに果てしなく殺し合うべきだということで合意したのである。それが、それだけが今日まで続く、この二者の公的な関係だった。
部屋の扉がノックされた。僕はパソコンを閉じ、「今行く」と声を掛けた。扉の向こうには、隼鷹がいた。「昼飯にしようぜ」と彼女は言った。僕は救われた気がした。彼女の中に、僕が愛してやまないよき日々の気配を感じたからだ。そこには陰謀や秘密、謎の付け入る余地はなく、ただただ友人たちの和やかな時間があるだけだった。僕は微笑み、「行こうか」と答えた。時間は正午を一時間とちょっと過ぎた程度、昼食のラッシュが終わってテーブルも空いているだろう。青葉を誘い、隼鷹に紹介するべきだ、と思ったが、電が付いてくるであろうことを考えると足が遠のいた。それにどうせ、第五艦隊の全員に彼女のことを教えなければいけないのだ。二度手間をするよりも、一度でまとめて済ませたい。
ところが、食堂に行くと第五艦隊が揃っていた。僕を待っていたのではなく、みんなオフにやることもないし、食堂で仲間同士、親交を深めていたらしい。那智教官がそんなことをしているのを見るのは初めてではないが、何度見ても見慣れないものだ。彼女の手によって艦娘に育て上げられた身として、色々と刻み込まれているのかもしれない。とはいえ北上や利根は僕と違って、すっかり彼女に親しんだ様子だった。もちろん二人は礼儀を知っているので、戦場における大先輩たる那智教官に対して一定の敬意を払ってはいるが、それでも彼女たちの互いに対する態度には、戦友としての気安さもまた表れていたのである。
今日は出撃がないので、普通の量を食べることができる。僕はその小さな喜びを存分に味わうことにした。人生にはそれを生きる者によって長短の違いこそあれども、楽しむコツは共通している。重要なのは、小さなことを喜ぶ心だ。これに尽きる。小さなことを喜べない奴は、いざやこれぞというような、大きな喜びを前にした時に適切な反応ができない。彼もしくは彼女は、そこに到るまでに転がっていた無数の小さな幸福をことごとく無視していたばかりに、感受するということを一切学び得なかったからだ。何たる悲劇、何たる愚鈍さ、だが現実はそういうものだ。
本日のランチセットを男の子らしく大盛りにして貰って、席につく。一方、僕と一緒に注文した隼鷹は見るからに少なめだ。それは果たして、伝統的な女性らしい慎み故のものか、ダイエットでもしているのか、でなきゃ昨日の夜に飲みすぎてまだ頭が痛いのか。彼女は僕のを指して「見るだけでお腹一杯になるよ」と笑った。
「青葉が来たそうだな」
僕の隣にいた那智教官は、こちらを見てそう言った。流石、耳が早い。もう会ったのかと訊ねると「いや、まだだ。会ったのは貴様が最初だろうな」と彼女は答えた。それじゃ青葉の奴、教官がいるとは知らないのかな。彼女、きっと一目見たら肝潰して腰抜かすぜ、間違いなくな。本日のランチセットのメインを張るトンカツをナイフとフォークで切り、ソースを軽くつけたそれをかじりながら向かいの北上と利根に目をやると、彼女たちも同じようなことを考えている目でこちらを見ていた。僕は口の中に含んだものを飲み下してから、彼女たちに持ちかけた。
「甘味でも賭けるかい」
「いやー、賭けになんないでしょ」
「吾輩も同感じゃ。青葉は絞られとったからな。まあ誰が一番絞られとったかと言えばまた話は別じゃが、そやつはどうやら虐げられるのが好きじゃったらしいしの」
「まあ何て言うの? 十人十色、
二人して僕を見ながら失礼なことを言ってくるので、足を伸ばしてすねを蹴っ飛ばしてやった。北上だけでは彼女に不公平なので、利根にもだ。「なんと! 虐げる方も行ける口か!」などと言う重巡には二発目をお見舞いしてやりたかったが、その前に那智教官が面白がっていると一目で分かる笑いを顔に貼り付けて、参入してきた。
「何だ貴様、まだ十七の癖に屈折しすぎじゃないか? よもや修復材をけしからん行為に使ってなどいないだろうな。いかんぞ、軍の資材を私的に使用するのは」
「やめて下さいよ、教官。僕は怪我するのもさせられるのも好きじゃないんですからね」
「そういえば格闘訓練の時に、私に真っ先に襲い掛かってきたのも貴様だったか」
「それは教官がやれって言ったんじゃあないですか」
「あの時に勢い余って腕を折ったのがお前を歪めてしまったのだとしたら、それは申し訳ないことをしてしまった。しかし、そんな奴がこの研究所の第五艦隊の旗艦にまでなるとはな」
これだよ、全く。候補生時代のことを知られているというのは、どうにもやりづらい。けれど何となく、このやり込められる感じが嫌いではなかった。厳しかった那智教官の、それだけではない新しい一面を知ることもできたのだ。長門が言っていたような、罪のないからかい──言われた側も、笑いながら言い返せるような程度のものだ──を愛する一面は、那智教官のイメージを変えはしたが、崩しまではしなかった。それは彼女をより魅力的な人間、魅力的な艦娘にしただけだった。
まあ、やられっぱなしでいるっていうのも芸がない。教官に、成長した教え子の姿を見せてやりたいという思いもある。そこで僕は反撃に打って出た。「ところで、那智教官は加賀に尻を射られたことがあるそうですね? どんな気分なんです、尻をやられるっていうのは?」彼女の顔が変わった。思い出したくない過去を不意に呼び覚まされてしまった女性の、苦々しげな表情だった。誰がそんなことを言った、と僕に訊いてから、彼女は答えを待たずに「長門だな、あのお喋りめ」と真実を見抜いてみせた。そのままだんまりを決め込もうとしていたので、すかさず「響、みんなに教えてやってくれよ」と話を振る。脇腹に鋭いパンチ。久々の那智教官からの鉄拳制裁は堪えるが……悪くない。
「いいよ、昔話は嫌いじゃない。あれはね」
「おいよせ響」
「どうしてさ。もしかして、教え子の前では格好いい『那智教官』のままでいたいのかな?」
「……私は長門に話がある。悪いが離席させて貰うとしよう」
響のからかいに、苦虫を二、三匹はまとめて噛み潰したような顔で立ち上がり、那智教官は足早にその場を去っていこうとする。響のくすくす笑いを交えながら、僕らはその背中に、半年前までなら想像することさえ不可能だったヤジを投げかける。「逃げるのかい教官!」「大丈夫か教官! 吾輩のカタパルトに懸けてもう言わんと誓うぞ教官!」「だから戻って来てよ教官!」だが僕らの渾身の呼びかけも、遂には彼女の心の殻を突き通すこと
那智教官を知る仲間たちと僕は、みんなで笑い合った。彼女を馬鹿にしてではなく、純粋な子供らしい愉快さからだった。笑って、そうして落ち着くと、僕は一人だけこの輪の中に混じれない人物がいることを思い出した。隼鷹だ。彼女は僕の同期でもなければ、那智教官の知り合いでもない。彼女を置いてけぼりにして、自分たちだけで盛り上がってしまった。他のみんなもそれに気づいたのか、気まずい雰囲気になる。
だが隼鷹は初めて出会った日からずっと、僕にとって最高の友人の一人だった。僕の心の中でその地位を勝ち取ることができる人物は、数多くはない。そこに到るには、様々な条件がある。それも自分勝手な条件だ。その中の一つに、度量の広さがあった。これは僕が未熟な子供で、しょっちゅう過ちを犯すことから、付け加えざるを得なかった条件の一つだった。度量の広さ、口で言うのは簡単だが備えることは難しい。でも隼鷹は、完璧にこれを満たしていた。
彼女は酔っていない時、または
と、聞いたことのある恐怖の叫び声が食堂の入り口を通して遠くから聞こえて来て、北上と利根と僕は口々にそれについて言った。
「やっぱり賭けになんなかったじゃん」
「青葉も凄い声を出すのう、ここまで届くとは吾輩もびっくりじゃ」
「要領よかったし、あんまり教官にしごかれなくて済んだ方なのになあ」
その後、那智教官は新たな犠牲者を連れて戻って来た。電がいるかと思って警戒したが、彼女の姿はなかった。青葉によれば、疲れているから部屋で休むとのことだそうだ。彼女が何かするのではないかと僕は懸念したが、確かめに行く気にはなれなかった。行ったとしても、僕が電を見つけ出す前に彼女はその目的を達して部屋に戻り、素知らぬ顔をしているだろう。手遅れなら、気にしないでおこう。そう決めて、今を楽しむことにする。ちょっとした同窓会みたいなものだ。
最初僕は、隼鷹が輪に混ざりやすいようにと彼女とのエピソードをあれこれ語ろうとした。しかし気づくと、彼女は僕を差し置いて人気者になっていた。明るいし、よく喋るし、性格もいいと来たら、そりゃそうなるのも当然なのだが、嬉しいような寂しいような、複雑な気持ちだった。けれど、そういった細かい予想外を込みにしたとしても、こうして友人たちと語り合うのが素晴らしい午後の過ごし方であることに疑いはなかった。
まあ、まさかそのまま午後も午後、夕食後まで食堂でくだを巻くことになるとは思わなかったが。途中からは隼鷹と響、僕、それに那智教官がそれぞれの酒を持って来て、それに第一艦隊から日向や伊勢、不知火先輩が合流し、僕の旗艦就任祝い再び、という様相を呈した。そろそろいい加減にしなさい、と止めに来た妙高さんを那智教官が強引に引きずり込んだ時は、その場にいた誰もが拍手喝采したものだ。
気づけば足柄と羽黒もいて、長門も教官の隣にちゃっかり陣取っていた。第一、第二、第五艦隊ほぼ総出とは豪華メンバーだな。酔っ払った頭の中で、那智教官に絡む長門へ向けた嫉妬心めいたものが鎌首をもたげるが、そんなものはアルコールで溺れさせてしまうとしよう。僕はグラスを持ち上げ、ぐびぐびと品のない音を立てて飲み下した。更に一杯、もう一杯、ついでに一杯。ああけど畜生、この嫉妬心とやら、泳ぎがひどく上手いな! 水泳選手かよ?
ハイペースがたたって、僕は座っていたのに頭がふらふらしてくるのを感じた。やろうと思えば制御できるとは分かっていたが、その気にもなれなかった。床に倒れるなら倒れてしまえと投げやりになって、頭を支えていた力を抜くと、こてんと横に首が倒れ、何かに当たった。「んあ?」と近くで声がした。隼鷹の肩に頭をもたれかけさせてしまっているらしい。完璧に酔っ払っている時でなければ、僕は純情な少年らしく顔を赤らめて身を離していたのだろうが、今はちょいと状況が違った。気にせずに、そのまま彼女の肩に重みを掛ける。隼鷹は子供に話しかけるような優しい声で訊ねた。
「どしたのさ、酔うにはまだ早いぜ?」
「楽しすぎたのさ。こうしてても構わないか?」
「気にしやしないよ」
気にしないどころか、彼女は僕が頭を載せている方の腕を動かして、僕の頭を抱きかかえるようにした。もう片手でグラスを取り、中に入っているものを飲みながら、僕の頭をぽんぽんと叩くように撫でてくる。あたかも子供をあやしているかのようだが、奇妙に心地よかった。僕は不意に脳裏を過ぎった疑問を口にした。「隼鷹、君はもしかして子持ちなのか?」「このまま首へし折ったろうかい」「悪かった。続けてくれ」謝って続けて貰いながら、気持ち良い気だるさに身を任せて、辺りを見やる。青葉が視界に入った。あははだのえへへだの笑いながら、しきりに横の利根の脇腹を指でつついていた。面倒な酔い方をする奴だが、可愛らしいものじゃないか。
「なあ」
と僕は隼鷹に呼びかけた。囁くような相槌が返って来る。「随分賑やかになったよな」彼女はゆっくりと頷いた。広報部隊に入った時、心を開いて話し合えるのは僕にとって隼鷹だけだった。榛名さんは旗艦という立場にあって、遠く感じられていたからだ。だから飲みに行くのも、遊ぶのも、大体が僕と隼鷹の二人でだった。由良や曙、イムヤと折り合いが悪かったのは僕だけなので、きっと彼女たち三人と遊んだ日も隼鷹にはあっただろうが、しかし僕からしてみれば、何かする時はいつでも彼女とだったのである。それがこの研究所に着任して、第一艦隊で伊勢や日向、響と知り合い、第二艦隊では長門と妙高さんに学び、第四艦隊では不知火先輩と親しくなって、第五艦隊創設で利根と北上、那智教官が来て……おまけに今日は青葉までいる。いい夢でも見てるみたいだ。これがずっと続けばいい。
顔を
僕は隼鷹の手を取り、僕の頭から外させてから、自分が立ち上がるのと同時に彼女の体を椅子から引き上げた。「行こう、隼鷹。青葉新聞にご協力だ」「いいねえ、あたしとあんた、元広報部隊として、写真への映り方ってもんを素人どもに見せてやろうぜ」青葉は撮るプロかもしれないが、僕らだって撮られるプロだったのだ。印象に残る写真への映り方については、一家言有するところがある。とはいえ、それは口で説明して分かるようなものでもない。日常的に撮影される者が、その体験から何となくふんわりと掴むようなものなのだ。
隼鷹は自分の足で立てる様子だったので、僕は彼女の手を離した。女性の肉体は男性と比べて非常に華奢で精巧、繊細なものであり、その真逆を行く男性としていかなる失敗をも避けたいのであれば、礼儀をわきまえず不用意に触れればそこから腐って落ちる、などと大げさに考えてもよいほどだ。また昨今の女性というのは、大変に自立心の強いものである。これは深海棲艦との闘争において、集合としての女性たちが、その第一線に立っているという自覚を有しているからであろう。そのような人々に余計な手助けをしようとするのは、それこそ失礼に当たるのだ。
だが、明らかに僕は何か見落としていたか、気づかない内に思いやりというものを失ってしまっていたらしい。隼鷹は「やれやれ」みたいな顔をすると、自分から僕の腕を掴んだ。僕はそのことからようやく察し、自分のミスをごまかす為に意地悪なことを言った。「歩くのがそんなに難しいのか?」「提督の真似をするのってどんな感じさ?」このやり取り、僕が愛してやまないものは沢山あるが、その一つだ。
僕と隼鷹は笑い、次に僕はこれまで絶対にしなかったような奇行に出た。彼女の腕を掴み返し、引き寄せて抱き上げたのだ。バレエか何かかって具合で、僕は彼女の体をしっかりと抱きとめ、その場で一度くるりと回った。隼鷹の足が、テーブルの上に置いてあった水差しの一つを蹴っ飛ばした。水がぶち撒けられ、それを頭から被った日向を見て伊勢がげらげら笑っている。青葉は大喜びだ。世界唯一の男性艦娘が、彼の戦友と共に目一杯サービスしているのだからそれも致し方ない。
青葉に背中を押され、僕は列を作って待っていた艦娘たちの真ん中へと追い込まれた。座位の前列、左に北上、左に利根、その膝の上に響、背後には那智教官……と彼女に抱きついてぴくりともしないでいる長門。何分後ろのことなので彼女が何処を見ているのかも分からないが、長門にとって那智教官がどれだけ大事な相手だったのか知れるというものだ。
視線を走らせれば、日向や彼女の反撃を食らって同じ濡れ鼠になった伊勢、ネクタイを何処かにやってしまい、ベストを脱ぎ、シャツのボタンをそろそろ危険なところまで外した不知火先輩、飲んでいるだろうに微笑みと落ち着きを忘れていない妙高さんが見えた。それに、そうそう、忘れてはいけない。僕の膝の上でこちらの首に手を回し、彼女の背中から肩を掴んで支える僕の腕に体重を掛けて、
「いいですかー、行きますよー?」
酔っ払った記者はそう言うと、カメラを適当な台にセットした。それから身軽にテーブルを一つ二つ飛び越えて僕らのところまで来ると、カメラの方を振り返った。フラッシュがまばゆく僕らを照らし、撮影される。これで撮影は終わりだと思った人々は動き出そうとしたが、青葉はそれを許さなかった。「一枚で終わる訳がないでしょう!」とは彼女の言葉だが、広報部隊にいたことのある僕や隼鷹はそれを身を以て知っていた。そう、宣材写真の撮影は、長い時間が掛かるのだ。
という訳で、その騒がしい夜はもう暫く続いたのだった。