[完結]Home is the sailor, home from the sea.   作:Гарри

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「大規模作戦」-4

 潜水艦と戦わなければならなくなった時には、隼鷹と先輩の二人が戦闘の要となるだろう。二人を全力で守らなければなるまい。

 

 そう気を張っていたのだが……最初の接敵以来一度も交戦しないまま、艦隊は予想範囲に入った。僕は二人分の探査領域が最大限になるように、隊列を組み直した。間延びした横列を組んだ上で中央の隼鷹と利根をやや後退させたような変則的なものになったが、必要は行為を正当化してくれるものだ。二人ずつのバディ制までは崩していないから、先輩と北上が探査に集中していても教官と僕とで足元を守れるし、敵が来れば上空の水観が教えてくれるだろう。機を見計らって、艦隊に手で停止信号を送る。隣の北上がわくわくした顔で僕に言う。

 

「お、やっちゃう? やっちゃう?」

「あーもうやっちゃいましょー」

「うわ何それ、似てなさすぎて引くわ……大井っちいたら今頃ここ血の海だよ?」

 

 傷ついたので白けた顔の北上を無視して不知火先輩に無線で連絡する。今日はもうふざけないことにしよう。

 

「五つ数える。そのタイミングで発信を頼む」

「了解」

 

 この短いやり取りを終えてから北上を見ると、彼女は最早先ほどの軽口を叩いていた艦娘と同じ相手だとは思えないほど、真剣な顔になっていた。僕は胸を締めつけられたかのような痛みを感じたが、それはただ痛いだけではなく、何か心地よいものでもあった。それは、美しいものを前にした人間が感じる痛みだった。不自然に見えないよう気を払いながら彼女から目を逸らし、カウントダウンを始める。一々数を数えるなんてまどろっこしいと思う者もいるだろうが、好き勝手ばらばらにやらせるより同時に音波を発信した方が、より探査距離が伸びるかもしれないと僕は考えていた。つまり、波の重ね合わせの原理である。これにはデメリットもあった。不知火の発する音波と北上の発する音波が重なって強め合う部分だけでなく、弱め合ってしまう部分も出てくるのだ。

 

 しかし、今回はそのデメリットは大きな問題にはならないと僕は判断した。潜水艦基地がどれだけの大きさであるにせよ、弱め合った部分に丸ごと収まってしまうほどではないだろう。部分的にでも基地らしきものを捉えてしまえば、接近して再探査すればいいだけだ。それよりも僕が危惧していたことは、この知識が提督を目指していた頃に行った半端な勉強によって得られた不完全な理解に基づいているという点だった。思った通りに行かなかったら、言い訳の一つでもしなければならないだろうか? 失敗は恥だ──噂では、聞く耳を持つ人に対してあらゆる失敗は「これも経験さ」と語りかけるそうだが、だからといって恥でなくなる訳ではない。それに、過ちが常に取り返しのつくものとも限らないのである。「えっ」とか「あれ?」とか「うわっ」が最期の言葉になった人間が(艦娘以外を含む)、人類の歴史の中にどれだけ沢山いたものか、想像もできないほどだ。

 

 潜水艦映画でお馴染みのあの音が鳴り、少し間を置いて僕の情報端末に白黒の映像が表示される。音の跳ね返りをコンピューター処理して映像化したものだ。僕はそれに目を走らせる。建造物と認められるものはない。敵の潜水艦も見えない。「どう?」と北上の目が訊ねてくるが、色よい返事をしてやることはできなかった。無線で先輩たちと後方の隼鷹らに「反応なし、警戒しつつ前進」と呼びかけて、移動を再開する。無駄打ちを防ぐ為、現在地から探査直径分は動くつもりだった。だがそれよりも先に対処しなければならない問題があるようだった。水観妖精たちが、こちらに接近してくる敵航空隊を発見したのだ。そのおおよその数を聞く限り、このありがたくないプレゼントの送り主は正規空母二隻と推定できた。気軽にあしらえる相手ではないが、一目散に逃げ出さなければ命がない、というほどでもない。

 

「隼鷹、出番だ」

「あいよ。紫電改二、行っちゃってー!」

 

 僕は水観を収容し、艦隊員たちに輪形陣を取るよう命じた。指示するまでもなく、隼鷹と利根が中央に滑り込む。不知火先輩と北上はその左と後ろを守り、右と前は僕と那智教官だ。砲を構え、他の艦隊員たちにも対空戦闘の用意をさせる。敵の姿が僕にも捉えられるぐらい近づいてきた。接近してくる連中に何もできないのは耐えがたい苦痛だ。撃ちたくなるが、まだ届かないと分かっている。無駄弾は厳禁だぞ、と自分に言い聞かせる。

 

 三式弾があればな、と思った。第五艦隊発足時に用意しようとあちこち駆けずり回ったのだが、何処でも入り用な装備の上に戦艦に装備させた方がもっと効果が上がるものだからという理由で、重巡戦隊には回してくれなかったのだ。僕は男だから同性の補給担当士官を相手に色仕掛けをすることもできなかったし(いやもしかしたらできたかもしれないが、僕は()()()()()なやり方で目的を達したかったのだ)、これでもし隼鷹に紫電改二を回すことさえできていなかったら、僕らは今日に至るまでの何処かで敵機から手ひどい打撃を受けていたことだろう。那智教官や僕は対空射撃が得意だから生き残る確率が比較的高いが、二人残ったところで後の四人が轟沈してしまったら何にもならない。これは『最後に生き残るのは誰だ』ゲームではないのだ。

 

 敵航空隊が射程内に入った。上空で編隊を構築している紫電改二に先んじて、僕と教官で対空射撃を始める。利根も僅かに遅れてそれに参加した。隼鷹から聞いた話だが、航空戦ではフォーメーションを崩さないことが非常に重要らしい。どんな戦闘でも大概はそうだと思うのだけれども、なんて茶化した僕に向かって、空では特にそうなのだ、と彼女は言った。連携を崩された航空機は、いとも容易く食われてしまうものなのだと。だとすれば、今僕と教官がやっていることは、敵にとってまさに死ぬほどひどい嫌がらせに違いなかった。熟練の妖精たちによって時限信管をセットされ、弛まず磨き上げられた技によって放たれた砲弾が、いじらしくも懸命に編隊を保とうとする敵機群のど真ん中で炸裂するのだ。ぽん、と破裂音がした時にはもう遅い。砲弾の破片を受けて煙をたなびかせながら落ちていく機もあれば、爆風をまともに食らって機体の制御を失って落ちていく機もある。

 

 それでも深海棲艦の航空隊は意地を見せた。こちらの対空射撃を脅威と認めると、さっと数機ごとに散らばったのである。反応が早かったので、数はまだ隼鷹の紫電改二を全部合わせたよりも多い。乱戦に持ち込み、迂闊に空を撃てないようにするつもりなのだ。敵味方入り混じる空へ砲を放つのは、友軍誤射を経験する最も簡単な方法だろう。一度空中で乱戦が始まったら、主砲を用いた対空射撃は戦闘空域からはみ出た不注意な敵機に向けるぐらいしか出番がなくなる。その時には艦爆と艦攻にだけ気をつけて、回避と指揮に集中しよう。

 

 隼鷹が無線で指示を仰いでくる。

 

「あたしの艦戦、そろそろ前に出すかい?」

「ああ、よろしく」

 

 いずれ艦隊の真上で航空戦を始められるよりかは、こっちの対空砲撃を早めに切り上げて艦隊前方で空戦を始めさせた方が安心できる。対空砲撃で削れるだけ削りきってから無傷の友軍航空戦力で敵を相手取る、というのが理想なのは認めるが、残念ながら対空砲火に統制された敵を足止めしたり追い払う効果がそう見込めないのでは仕方ない。僕らが撃っている間にも、奴らは近づいてくるのだ。止められるのは、同じ航空機だけなのである。プロペラ音も高らかに敵へとまっすぐ突き進んでいく紫電改二の編隊に、僕は「頼んだぞ」という気持ちを込めて軽く手を振った。

 

 緊張に息が浅くなっていたので、深く呼吸する。落ち着いていよう。敵艦の姿はない。紫電改二が敵の航空隊を撃退するまで、敵の艦爆・艦攻に気を払っていればいいだけだ。僕は無線の周波数を隼鷹の航空隊が使っているものに合わせて、空の戦況を把握しようとした。どうやらあちらは数の力で拮抗しているようで、隼鷹隊の方にも深海棲艦たちの方にもこれという決め手がないようだ。このまま引っ張り続けることになったとしても、先に長く移動しなければならなかっただけ深海棲艦たちが燃料の点で不利だろう。負けないなら何でもいい。機銃の発射音や、口は悪いが腕は一級の戦闘機乗りたちが盛んに発する種々の罵声や笑い声に混じって行われる、荒っぽいけれど真面目な報告に耳を傾ける。艦爆・艦攻は比較的少数……艦戦が大半だ、と妖精たちは口々に言っていた。

 

 隼鷹と同じような配分で航空隊を編成しているのか? まず思いついたのはそれだった。しかし、それは筋が通らない。最初に僕は、数からして正規空母二隻と判定した。二隻もいれば、十分に制空権争いと対艦攻撃を両立することができる筈だ。僕が隼鷹に艦戦を多く積ませたのは、この艦隊に彼女しか空母系の艦娘がいないからであって、もし第五艦隊にもう一人空母がいたならそうはしなかっただろう。となると、可能性はもう一つの方に絞られる。離れたところで艦戦同士を戦わせておいて、艦爆・艦攻は大きく回り込んで艦娘を直接攻撃。僕らは紫電改二で敵航空隊を釘付けにしたつもりでいたが──その実、逆に敵の航空隊によって釘付けにされていたのだと知ることになる、という段取りだ。

 

 教官に自分の考えたことを伝える。彼女は短い思考の後に、二つの案を提示した。一つは、このままその艦爆・艦攻隊を迎え撃つというものだ。僕と教官を最大の火力源とし、水観なども総動員して防御することになる。不可能ではないが、危険は大きい。守らなければならないものが多すぎるのだ。不知火先輩と北上はもとより、唯一の空母である隼鷹も重要な護衛対象である。空を奪われれば、なぶり殺しになるのは目に見えている。僕は教官の説明を聞きながら、心の中で順位をつけた。隼鷹の優先度を最高に決め、二位を不知火先輩に、三位を北上にした。自分が最低なのは分かっている。後でたっぷりと自己嫌悪に苛まれる時間が持てることだろう。心の中の響は「誰も君を責めやしないさ」と言ったが、僕はそれを無視した。そうすることで、妄想の響にそう言わせた自分の浅ましさをも無視することができた。

 

 那智教官が僕に示してくれたもう一つの案は、敵の別働隊が発見され次第、そいつらに全力で対空砲火を浴びせながら制空権争いをしているど真ん中に移動するというものだった。言い方は悪いが、隼鷹の航空隊に半ば全てを押しつける形になる。敵が艦戦を切り離させたのは、相手にしたくないからだ。なら、させてやろうじゃないかというのがこの案の根本に存在する理念で、理屈は通っていると言えば通っているのだが、紫電改二は無敵の戦闘機ではない。大きな被害を出すことになるだろう。そうなれば、次に航空戦を行った際、制空権を取れないかもしれない。それは避けたかった。僕は覚悟を決めて、艦隊員全員に聞こえるように無線通信を行った。

 

「艦爆・艦攻で構成された敵の別働隊が来る可能性がある。利根、隼鷹の護衛をしっかり頼む。最悪の場合、身を挺してでも守るんだ。隼鷹は利根がそうしなくても済むよう、回避に集中してくれ。脅すつもりはないが、敵は君に集中するだろう」

「はっはっは、その命令、しかと承ったぞ。なあに、吾輩に任せておくがよい!」

「りょーかい、回避は速度が全てって訳じゃねえってとこ、見せてやんよ」

 

 利根が僕の命令の意味を理解していない筈はなかった。僕は彼女に、最もつらい時間を共に支えあって一緒に艦娘になった友達に、「それが必要なら死ね」と言ったのだ。なのに利根は笑った。それが彼女の旗艦の命令なら、僕の判断だというのなら、必ずやり遂げようという意志を込めて、彼女は笑ったのだ。何度目か分からない胸の痛みが僕を襲った。内側から何かに食い破られそうな痛みが、僕の罪悪感を証明していた。これが失われなければよいと思う。一生ついて回る罪の意識になってくれればいい。それが旗艦の引き受けるべき責任というものだ。精神的には快い痛みに耐えながら、次の指示を飛ばす。

 

「北上、不知火の両名も、対空戦闘より回避に専念しろ。君らのソナーが今回の任務達成には大切だ」

「不知火、拝命しました。あなたの期待に応えてみせます」

「うえぇ、避けるの苦手なんだよねぇ。やっぱあれかな、魚雷が重いんかねぇ。ま、やるだけやってみますかー」

 

 こちらの背筋までぴしりと伸びそうなほど軍人らしい先輩の声と、気の抜けそうなほどだらけた北上の声。対照的な返事だが、僕は北上がどんな点についても全力を尽くしてくれることを疑わなかった。軽口は彼女なりの精神統一法なのだ。これがある限り、真面目の一言が服を着て歩いているかのような長門の第二艦隊には入れられないなと考えて、少し口の端が緩んだ。北上の軽口のいいところは、それを聞いた僕ら他の艦娘にまで余裕を与えてくれるところだ。普段と変わらない様子の彼女を見ることで、自分も普段を取り戻せるのだと思う。最後に僕は教官への指示を出した。

 

「好きにやってくれ、教官。それが一番だろう」

「ふっ、それではこの那智の戦、見ていて貰おうか」

 

 首を縦に軽く振り、水観を出す。予想が外れてくれればいい。そうしたら僕は心配しすぎの旗艦だということでからかわれるだけで済む。が、僕には根拠のない確信があった。物事は、そう上手い具合に進まないものだ。警戒を始めて十分と経たない内に、水観妖精がこちらに連絡を寄越してきた。昨夜以来空に(そして僕らの頭上に)広がっている雲の上を調べたいから、高度を上げていいかという打診だった。ただでさえ動きが鈍く機動力や戦闘力に欠ける水上機で、高いところを飛ぶのは感心できない。下手に目立ったら、戦闘空域から抜け出た敵艦戦に目をつけられる恐れもある。だから僕は避けたかったのだが、妖精たちはどうしてもと言って聞かなかった。仕方ない、短時間だけだからな、と言い含めて、上昇させる。

 

 途端、彼らは真っ逆さまに落ちてきた。後ろに艦爆艦攻それに多少の艦戦を引き連れ、必死の機動で攻撃を避けながら。僕は咄嗟に叫んだ。

 

「対空戦闘! 撃て!」

 

 回避運動を行いながらの砲撃を開始する。主目標は水観に食らいついている艦戦隊だ。いい餌だと思って、我先にと食らいつこうとしている。まだあちらに動かせる艦戦がいたとは思わなかった。クソっ、僕の見立て違いだ。敵艦隊には軽空母が追加でいたとか? まさか正規空母三隻なんてことはないだろう。追加の軽空母ってのもおかしいと思うぐらいだ。六隻中三隻が空母系なんて偏った編成、これまでに見たこともない。ちくしょう、水観じゃ艦戦と正面から戦うのは無理だ。妖精たちに逃げ回るよう命じる。それから教官に重点目標を艦爆・艦攻とする、と伝えようとしたところで、僕の右手側数メートルのところに爆弾が落ちた。爆風と波で足元がぐらつき、捻じ曲がった破片が脇に食い込み、体から血が流れ出すあの嫌な感触に背筋がぞわりとする。毒づいて、お返しの砲撃。当たり所がよかった。まとめて二機の艦爆が落ちた。くたばれヒコーキ野郎ども(Хуй в рот, говнолёты)※95※96※97、よくも僕の脇腹に穴なんか!

 

 かっと頭に血が上るが、それと同じぐらい早く沈静する。いや、させた。旗艦の仕事にキレて撃ちまくることは含まれていないからだ。教官に伝えようとしていたことを伝え、艦隊員たちに「足を止めるな」「撃ち続けろ」の二つを命じ続ける。おかしなもので戦闘中でも、砲弾や爆弾、魚雷に当たればマズいことになると分かっていても、不意に立ち止まってしまう艦娘は多い。新米艦娘でも熟練艦娘でもこれは変わらない。集中力が切れてしまった時、気が抜けてしまった時、彼女らは足を止めてしまう。そしてしばしば、そこを撃たれる。で、死ぬ。訓練所で習ったことの一つだ。那智教官は言った。「弾に当たりたくない? なら動け。燃料は奴ら(深海棲艦)住まい()を汚染してやる為に積んであるんじゃない。艤装を動かし、戦場を駆け、生きて帰る為にあるんだ」全くその通りだ。

 

 戦闘を続けながら考える。やはりどう考えても敵機の数が多すぎる。敵の編成は相当偏っていると見ていいだろう。今度こそ見立て間違いということはない筈だ。であるならば、ここを凌げば残った護衛の三隻を料理するだけで足りる。戦艦か重巡か知らないが、六対三なら多少の負傷があっても押し切れるだろう。とにかく今だ。今を切り抜けなければ。

 

 こちらに向かってくる雷跡が見えた。今から針路を変えていては間に合わない。咄嗟に片足を上げる。魚雷はしゅーっ、という気体の放出音を立てながら足元を通り過ぎていく。安心して足を戻した。だが早すぎた。海面に戻した方の脚部艤装の立てた波が、信管を作動させたらしい。その魚雷は僕の後ろで爆発した。水柱が上がり、それに弾き飛ばされる。体が浮き上がるほどの衝撃だったが、すんでのところで右足を前に出して着水できた。左のすねがひりひり痛む。破片でざっくり切られていた。

 

 舌打ちして、希釈修復材を振り掛ける。破片などによる刺し傷、特にその破片等が刺さったままの傷は戦闘中に放置してもいいが、切り傷はよくない。それは出血面積の違いに起因する。指ぐらいの太さの破片が一センチ刺さった傷より、腕ぐらいの長さで深さ数ミリの切り傷の方が危険なのだ。多量の出血は意識レベルの低下、ひいては判断力の低下に繋がり、それが意味するところは戦死、轟沈、好きなように言えばいいがともかくそういう結末である。より長く生きていたいなら、治すべき傷にも順位をつけなければならない。

 

「隼鷹、航空隊の様子はどうなってる?」

 

 離れた位置にいる彼女に無線で呼びかけるも、回避に必死なのか返事がこない。自分で確かめた方が早そうだ。彼女の航空隊の無線を傍受してみる……聞く限り、天秤はこちらに傾いているようだ。だがまだこちらに救援を出せるほどの余裕はなさそうだった。二兎を追わせるつもりはない。隼鷹の航空妖精たちが今の仕事を済ませるまでは、新しいタスクはなしだ。

 

 視界の端で、北上が投下された爆弾の水柱に包まれるのが見えた。「被害報告!」安否確認も兼ねてそう言いつけると、彼女は煙を吸って咳き込みながら「女のプライド大破!」と冗談で返し、僕に向かって親指を立てて見せた。髪の毛がべたりと肌に貼りついている様子を除けば何処にも変わりないところを見ると、とりあえず彼女を即座の戦闘不能に追い込むような破片は当たらなかったのだろう。幸運な──いや、しぶとい、よい艦娘だ。

 

 投下された爆弾を急制動からのステップで回避する。爆風の熱が僕の肌を一瞬焼くが、遅れて飛び散った海水ですぐに冷やされた。敵の数は減ってきている。僕や教官が落としまくったのもあるが、爆弾や魚雷を投下しきって母艦に戻る機も少なくないのだ。どうする? 追うべきだろうか? そう自問する。母艦は三隻と見込まれる。なら空母ではない敵艦も三隻。隼鷹と利根をここに残して四人で追っても戦術的優位はある。空母を素早く攻撃し、甲板を破壊して発艦不可能に追い込み、残りの三隻を始末。どうだ? 僕は自分の中にいる天龍にこのプランを聞かせてみた。彼女は言った。「調子乗ってんのか?」的確な意見だ。空母は全力で回避しようとするだろうし、空母ではない敵艦は同様に全力で僕らを妨害しに掛かるだろう。その影響下で艦載機への補給を済ませる前に敵空母に打撃を与えるという計画は、寝物語か夢物語でしかなかった。吹雪秘書艦のいる第一艦隊か規格外だらけの第二艦隊ならあるいはやりかねないが、第五艦隊には無理だ。悔しさを覚えるが、感情に惑わされてはいけない。現実を見るべきだ。特にそいつが、目の前に転がっている時には。

 

 あくまで攻撃能力を保っている機のみを狙い、撃ち落としていく。その合間合間に艦戦を叩く。那智教官が艦攻艦爆に注力しているので、空の水観たちにとって守りの要は僕なのだ。戦友の期待や頼みを裏切ることはできなかった。苛立った艦戦の一機が、僕を目掛けて突撃してくる。機銃掃射をするつもりなのだ。頭と主要臓器を砲でかばい、やり過ごす。足や腰に何発か貰ったが、そんなものは修復材をちょいと掛けてやれば治る傷だ。

 

 そうして艦隊の直接攻撃に加わっていた艦戦隊の最後の一機を叩き落すと、水観たちの逆襲が始まった。那智教官や僕、そして他の艦隊員たちの援護砲火で消耗しきった生き残りの敵攻撃隊が、一機、また一機と落ちていく。いい光景だった。それに慢心せず回避運動をしながら眺めていると、隼鷹から連絡が入る。

 

「ごめんよ、さっきはどうしても呼びかけに応じられなくて」

「気にするな、無理して被弾してたらそっちの方が困ってた。紫電改二部隊はどうだ」

「うん、そっちもほぼ撃墜したってさ。終わったら帰還させるよ、それでいいだろ?」

「もちろんだ」

 

 艦隊の全員向けに回線を切り替える。水観の邪魔をしないように対空砲火は止んでおり、数機の紫電改二が手伝うように水観と敵攻撃隊の間を縫って戦っているのが見えた。ひらりひらりと身軽に動き、短い連射で敵を落としていく。空の覇者はやはり戦闘機だな。おかしな納得を感じながら、僕は艦隊員に伝達した。

 

「全員よく聞け。空が片付いたらすぐに移動と索敵を始めて、航空戦力の大半を失った敵艦隊を叩く。それが終わったらゆっくり宝探しだ。敵の艦隊の半分は空母と見られるので、戦力はこちらが大きく勝っていると考えられる。しかし、油断はしないように。ああ、それと各員、被害報告。二番艦より、始め」

「二番艦那智、損傷なし」

「三番艦利根、至近距離に落ちた爆弾の破片を受けてカタパルト不調じゃ。怪我はないがの」

「四番艦隼鷹、損傷なし! 服がちょっとばかり破けちまったけど、涼しくていいぐらいさ」

「五番艦北上、んー、まあ……そうね、小破ってとこかねえ。それよりさあ、機関が微妙にぷすぷす言ってる気がするんだけど、退避していい? ダメ?」

「六番艦不知火、右手をやられましたが被害程度は小破、戦闘続行に支障はありません」

 

 一人ぐらいは中破相当の負傷者が出ると思っていたが、小破以下で済んだとは僥倖である。念の為に詳しく聞いてみると不知火先輩は右手首から先を失ったらしいが、迅速な止血のお陰で出血量も最低限に抑えられたようだ。彼女の使っている艤装は両手をフリーにすることのできるものなので、手や腕をやられても戦闘能力に影響が少ないのもありがたい。これがたとえば北上だったら、彼女の砲撃能力は失われていただろう。北上の最大の強みはその雷撃能力にあるから、砲戦能力の損失は通常そこまでの問題にはならないが、現況では選択肢は一つでも多い方がよい。

 

 空の敵が一掃されるまで、次の手を思案する。敵機は母艦へと戻っていったが、その方角を信じて進んでよいものだろうか。母艦とは別方向に進み、こちらの目を振り切ってから転進して帰投しているかもしれない。でも激しい対空砲火をかわす為に戦闘機動を重ねて燃料を消耗したら、そんな余裕のある飛行はできないのでは? 答えは出ない。どちらを選んでも間違いな気がする。こういう時は考えや視点をがらりと変えてみるのがいい。やってみよう。

 

 僕は深海棲艦(奴ら)だ。六隻の艦娘がいる。軽空母一隻、重巡三隻、雷巡一隻、駆逐艦一隻。僕は「軽空母一隻」であることから高性能な艦載機を有しているのではないかと推測する。対してこちら(深海棲艦)側の持っている艦載機は平均的な性能だ。数は多いが、あちらの練度と機種次第では押し負けることさえあり得る。なら空での勝利は望むまい。帰る先の空母を沈めれば、航空機など放っておいても落ちるもの。都合のいいことに、敵のホームは装甲の薄い軽空母だ。僕らの艦戦と一部の艦攻・艦爆は時間稼ぎと陽動に徹させ、残りの艦攻と艦爆はそちらに気を取られている艦娘たちの側面に回り込み、集中攻撃を加える。雲の上を行くことで燃料消費を犠牲に隠密性を高め、奇襲の効果も見込める。

 

 しかしこの目論見は失敗した。攻撃開始直前に上がってきた水上機に発見され、その連絡を受けた重巡二隻は高精度な対空砲火で我々の艦載機の足並みを乱し、側面攻撃にも的確に対応。そのせいで攻撃はてんでばらばらに行われ、統制の取れていなかったほとんどの単発的な爆撃や雷撃は回避された。また軽空母の持っていた艦戦の性能は高く、その数も思った通りに多かった。送り出した機は多少帰ってきたが、大半は落とされてしまった。これはよくない。軽空母を確実に沈める為の全力攻撃を行ったせいで、今やこちらの打撃力の中核を担っていた艦載機たちは壊滅状態だ。総数で言えばまだあの軽空母に勝っているか、悪くとも同数程度と言ったところだろうが、それでは勝てないということはさっき証明されてしまった。

 

 かくなる上は撤退するか……しかしながら、敵は現在各地で大規模な攻勢に出ている。この艦隊がその作戦の一環で我々の潜水艦基地を目標としてここにいることは明白だ。今退けば、潜水艦の為の有力な活動拠点を喪失することは間違いない。しかも、普段は拠点を守っている潜水艦隊が出払っている! 艦娘たちにそうと知られれば、あっという間に叩き潰されてしまうだろう。ならどうする?

 

 空にいた最後の敵艦戦が撃墜された。着水音とその後に続く小さな爆発で思考が打ち切られる。全く、自分の集中力のなさと言ったらない。先ほどまでの、周りのことが目に入らないぐらい深い思索には戻れなかったが、あそこまで考えがまとまっていたらその続きは働きの胡乱(うろん)な僕の頭でも捻り出せた。奴らは待ち構えない。打って出てくる。そしてまた同じことをやってくるだろう。軽空母(隼鷹)を始末することは難しいと彼女たちは知った。空母一隻分の航空戦力を除けば、まともに戦えるのは護衛艦隊三隻。空のと足しても四対六だ。その僅かな力を分散させることはするまい。だから再び、一点に注ぎ込む。

 

 次の狙いはきっと、不知火先輩か北上だ。その両方という確率もゼロではない。深海棲艦は、臨機応変に重点目標を切り替えてくる柔軟さを持っている。二人は水中探信儀を搭載可能な駆逐・雷巡であるから、潜水艦にとってはこれよりの脅威はないだけでなく、僕らとしても彼女たち二人なしに潜水艦と戦おうという気にはならない(深海棲艦たちは僕らが何の為にここにいるのか、正確には知らないのだ)。先輩と北上、その片方または両方を中破なり大破なり、轟沈なりに追い込めば、たとえ敵を全滅させたとしても僕らは撤退せざるを得なくなる。深海棲艦たちはそう考えるだろう。よし、決めた。

 

「隊列変更、複縦陣。全速前進、敵を探し出して沈めるぞ」

 

 北上と僕を先頭にして、艦載機が去っていった方へ進む。深海棲艦の連中は、自分たちの艦載機と情報を共有している。学術的に確かめた訳じゃない、軍が長年の戦争から導き出した経験則だ。なので、奴らはこちらの位置を知っている。今更小細工もあるまい。第一、何ができる? そうだ、奴らは愚直に敵を目指そうとするだろう。その時、敵の針路をどう予想するか? 大別すれば「自分たちの艦載機の後を追ってくる」か、「それ以外の道を選ぶ」かのどちらかだ。後者の場合、可能性は無限大に広がってしまう。それ故に、深海棲艦たちは僕らが敵航空機を追跡したと仮定して行動するよりない。深海棲艦の航空機が転進によって母艦の居場所を誤魔化していたとしても、あっちの方からその針路上に来てくれる訳だ。

 

 移動しながら激烈な空戦を生き残った水観妖精たちを収容し、行動可能な機の数を訊ねる。偵察と警戒をさせたかったのだが、妖精たちは心底悔しそうに、自分たちの機体は既に満身創痍であり、最も損傷の少ない機でさえもカタパルトから射出された勢いで空中分解しかねない状態だと報告してきた。何機かをバラして組み合わせて飛べる一機を得られないかと打診するも、時間的な原因で接敵までにそんなことをやり遂げることが期待できず、仮に時間があったとしても安定した場所がないと返される。欲しかった答えではなかったが、予期していた答えだったのでショックはなかった。陸地ならともかく、海の上だ。足場と来たら僕の体の上ぐらいのもので、そこで分解と組み立てをさせるのは不可能と言われても仕方なかった。

 

 では利根の水上機隊はどうだろう? そちらにも訊ねてみる。もちろん、共通の旧友(利根)を通してだ。僕は第五艦隊の旗艦だが、利根の水上機隊はあくまで利根の所属であって、彼女の頭越しに命令するのは可能だが不躾な行いである。戦闘中にやむを得ない事情があってならまだしも、警戒航行中ならまず利根に話を通すのが筋と言えた。こういった旗艦としての立ち振る舞いを僕に教えたのは、不愉快だが長門である。吹雪秘書艦は何かあれば大体何であっても自分で片付けてしまえる人だったので、参考にならなかったのだ。

 

 一方、長門はビッグセブンでさえとうとう拭い去ることができなかったと自ら認めるしかなかった、あの僕へのビッグ悪感情──自分で考えていて吹き出しそうになった──さえ抜きにすれば、よい旗艦だった。彼女は僕が第二艦隊にいた頃、僕の水偵を好きにする権利があったが、自分で水偵に命令することはなく必ず僕に命令した。「六番艦、水偵をあの方向へ行かせろ」「六番艦、水偵を後退させろ」。僕に命令するのを楽しんでいただけという解釈もあるし、戦闘時にはしばしば指揮官としてよりも一人の艦娘として戦ってしまう悪癖があったが……艦娘としての師を那智教官とすると、大変不本意ながら旗艦としての師は、長門かもしれない。だからって彼女と仲良くなろうとは思わないが。

 

 利根は彼女の妖精たちとやや長めに話していた。それから通信で言った。

 

「出せんことはないが、今カタパルトを修理できぬか調べさせておる。せめて、それが済んでからにしたいのじゃが」

「どれくらい掛かる?」

「面目ないが、吾輩らでは皆目分からんとしか言えぬな。風邪っ引きぐらいの故障なら見当をつけられもしようが、爆弾の破片を食らっての不調となると、直せるかどうかもさっぱりじゃ。全く、妖精たちに応急修理の講習でも受けさせておくべきじゃった」

 

 困ったな。飛べる機体を僕に寄越せ、パイロットはこっちで出す、と言ってもいいが、それをすると利根の妖精たちに「くたばれ」を叩きつけられるだろう。しかしパイロットもくれ、と言うと、今度は僕の妖精たちが黙ってはいまい。妖精たちは謎の存在だが、誇り高いことは知っている。特に航空機に乗る妖精たちの自尊心は一種の病気に近い。なるべくなら傷つけることは避けたかった。僕は苦し紛れに「十五分待つ。その間に見当をつけてくれ。でなければ苦渋の決断を下すことになる」と言うしかなかった。それで利根と彼女の妖精たちには全部通じたらしかった。

 

 利根たちが一生懸命になってカタパルトを調査・修復しようとしている間に、僕は北上並びに不知火先輩を交えて、教官と次の戦闘について無線で話をすることにした。いつもなら那智教官と二人だけで話すのだが、次に敵と戦う時、優先目標とされるであろう二人はそのことを知っておく義務がある。僕は自分の考えを三人に話してから、それで、と本題に入る前の取っ掛かりを置いた。

 

「もし深海棲艦たちがそれをするのに十分冷酷なら──つまりほとんど確実にって意味だが、あいつらは用なしの空母二隻を盾役にして突撃してくると思う。ことによっては、発艦を済ませてから三隻とも盾にするって展開もあるだろうな。その盾を引っぺがすのに、北上、君の酸素魚雷を使う。出し惜しみなしでやってくれ。タイミングは君に一任する。盾さえ剥がせば後は三隻だ。航空支援は暫く当てにできないが、五対三なら負けはない。それから、不知火は利根に代わって隼鷹の護衛を命じる。教官と利根は雷撃で敵の隊列をばらばらにしてやれ。足並みが乱れたところを、僕と北上が仕留める」

「一つだけ提案が」

 

 那智教官がそう言った。僕はじれったくなって乱暴に「話せ」と言いそうになったが、どうにか抑えた。代わりに「言ってくれ」と応じる。これなら旗艦の発言としてもみっともなくは聞こえない。

 

「北上は最初の雷撃後、不知火と交代すべきでは? そうすれば不知火の魚雷も活用することができる。今の案では、攻撃力を無駄にすることになりかねない」

 

 要するに、こういう順番でことを進めようと彼女は言っているのだ。北上が雷撃する。後退して隼鷹の護衛につく。利根は不知火先輩の代わりに教官と組む。先輩は北上の抜けた穴に入って僕と組む。悪くない、どころかどうしてそうしなかったのは分からないほど当たり前にそうするべき提案だった。僕が先輩を下がらせようとしたのは、そうしている限り敵の狙いが近くにいる一人、さっきまでの案では北上に集中すると思ったからだ。標的が二人では難しいが、一人なら守りきることも不可能ではない。でもそれなら、駆逐艦より小回りが利かず最大の武器を撃ち尽くしてしまった後の北上より、不知火先輩を前に出した方が戦闘能力の点で見ても回避能力の点から見ても、全体としてよりよく戦えるだろう。まるで役立たずの無能旗艦め、爆風で頭揺らされてボケでも来やがったな。

 

 僕は威厳を崩さないよう、熟慮した結果決めた風を装って言った。

 

「そうしよう。聞いたな? 北上は最初の雷撃後、利根と交代。利根は教官と、不知火は僕と組む形にする。北上、君には以上だ。利根と隼鷹に段取りを伝えておけ」

「四十発一斉射? うひー、いいねぇ、しびれるねぇ。まあ何? どーんと任せちゃってよね! あ、伝達? 了解了解」

 

 何やら黙ってると思ったら、酸素魚雷四十発の同時発射に感動していたらしい。雷巡ならそうなるものなのか? 大井に手紙でも出して聞いてみたかった。ただ、北上の話では彼女も大概らしいから参考にするには向かないかもしれない。二度目の改造を終えた木曽も雷巡になると言うが、残念なことに僕には木曽の知り合いがいない。いたとしても仲良くなれるか分からない。というか今はそんなことどうでもいい。

 

 北上が周波数を切り替え、作戦についての話も終わった。このまま次の局面まで黙っていてもいいが、僕は少しだけ不知火先輩と話すことにした。理由は特にないが、彼女と話しておきたかった。被害担当艦にさせるつもりはないが、そうなってしまうことはあり得るのだ。僕がかばう訳には行かない。僕は旗艦だからだ。僕は、たとえ目の前で親しい友人が死に直面していても、彼女と質量的な死の狭間に割って入って守ることを許されない身なのである。不知火先輩にはそのことを理解させておかなくてはいけなかった。彼女はそんなこと、すっかり承知しているだろうと思う。彼女は先輩なのだから。僕が言わなくったって、了解していて然るべきなのだ。分かっていることをくどくど言われるのは嫌なもので、先輩だってそう感じることに違いはないと確信している。

 

 が、それは彼女の都合であって、僕のものではない。随分と前に明石さんに頼んで設定して貰った、個人用の“秘匿回線”を先輩と繋ぐ。名に反して実際には特別に機密性があるものではないが、格好の良さが何もかもに優先する事柄というものも存在する。

 

「先輩」

「ん、ああ、もう一つの回線ですか。何です?」

「どうか、引き際を間違えないで下さい」

「……大丈夫、不知火は沈まないわ」

 

 普段の口調から敬語が抜けた自然な言葉で返されると、次の言葉を用意していた筈だったのに、出てこなくなってしまう。心配がなくなったのではなかった。響と同じ駆逐艦娘だからか、僕はどうしても彼女が死ぬところを想像してしまう。それも今度は響のように見えないところでではなく、目の前で沈んでいくところを。そんなことにはなって欲しくないのに、だからこそなのか、その幻影が振り払えないのだ。

 

 無理にでも話題を振ろうとすると、利根からの通信が入った。答える前に時計を見てみる。十五分経っていた。

 

「どうだ?」

「時間を貰っておいてこんなことを報告するのは気が重いが……ダメじゃの。直せそうにもない」

「仕方ないな。機体を二機、それとパイロットを一組貸してくれ。一機は君、一機は僕の妖精を乗せるとしよう。折衷案だ」

「うむ。吾輩の妖精たちを説得する。少し待て」

 

 了解、と返事をしようとしたが、その言葉の頭も言い終わらない内に那智教官の声が被さった。

 

「待つ時間はない。一時の方向に敵だ」

 

 教官の示した方角に向けた目を細める。水平線の下から、せり上がるようにして六つの影が並んでいた。予想通り、僕らを目指してやって来たのだ。それにしても、あの並びは──単横陣か? だが、一般的な単横陣に比べて間隔がひどく狭い。隊列の構成員同士、手を伸ばせば触れられそうな距離だ。あれではいい的になってしまう。隼鷹に航空隊の準備をさせ、ばらける前の奴らを狙わせるか……やめよう、理由がある筈だ。深海棲艦は愚かではない。彼女たちは戦争屋だ。無意味なことはしない。無意味に思えたとしたら、それは僕が間抜けすぎて、彼女たちの狙いを理解できていないだけだ。

 

 隼鷹に現地点での待機と、戦闘開始を起点としての航空支援を命じる。北上との迅速な交代の為に不知火先輩を連れて行かなければならないので、暫くは彼女を一人にするような形になるが、致し方ない。空母は後方にいるべきだ。隼鷹は不満そうだったけれど、足を止めた。続いて、北上に無線を繋ぐ。

 

「やる時はカウントダウンか何か頼むよ」

「スーパー北上さまにお任せあれ。今日の分の殊勲手当てはあたしが貰いで間違いなしじゃない? ボーナスで何買おっかなーっと」

 

 いやはや頼もしい。微笑みながら、敵との距離を目測で調べる。そろそろ僕と教官の最大射程内に入るが、当てられはしないだろう。理由は二つだ。一つ、着弾までに時間が掛かるから、発砲を確認してからでも回避されてしまう。他のことに意識が行っている不注意な標的でもなければ、間違いなく外れる。もう一つ、最大射程は「発射した弾が届く距離」であって、「狙って当てられる距離」ではない。牽制にはなるし、あちらの練度が低ければ隊列を乱せもするだろうが、対峙している相手は素人揃いとも思えない。本気で当てるつもりがないことぐらい、分かるだろう。それなら撃ったって、無駄弾にしかならない。

 

 口の中に、苦い液体が溜まる。嘔吐しそうな時にあふれてくる、あの液だ。僕はそれを吐き捨てた。恐怖は兵士の最大の敵だが、戦闘に入ってしまえば脳内の化学物質と経験がどうにかしてくれる。「もう少し近づいたらやるよ」と北上が艦隊員たちに通知した。僕の方は有効射程内への捕捉こそまだだが、連装砲を構え、左右への細かい回避運動を始める準備をする。敵の姿が見え始めてきた。事前の推測通りだ。ヲ級一、ヲ級エリート一、軽空母ヌ級一、後は──よく見えないが、重巡リ級だと思う。彼女は全く、僕の永遠のライバルだな。

 

 重巡たちの姿が見えにくいことからして、どうやら単横陣じゃないみたいだ。はっきりとは分からないが、楔形に並んでいるのではないだろうか。そんな隊列を組んだ深海棲艦を見るのは初めてだ。北上の真剣な声が無線に流れる。

 

「カウントダウン、始めるよ。四」

 

 考えろ。何かある。深海棲艦は無意味なことをしない。そうだ。空母たちを盾にするには複縦陣か複横陣が効率的だろう。なのにそうしていない。あまつさえ、密接している。楔形陣形、密接、何が理由だ? 撃ってみるか? まだ当てられる距離じゃないが、もしかしたらということもある……ダメだ。やめよう。弾薬を節約するんだ。

 

「三」

 

 博打を打つより、効果を推測するべきだ。楔形陣形、密接、その結果としてどんな影響を僕らは受ける? 違和感、疑問、謎、いや、そういうものじゃない。もっと実際的な現象だ。たとえば、空母以外の残り三隻が見えづらい。

 

「二」

 

 だがそれなら複縦陣、複横陣の方がより完璧に隠せる。だから残り三隻を隠すことが目的じゃない。半端に隠れているのは、あくまで主に対する従の結果だ。でもそれ以外に何がある? 新しい海上戦術の試験をするなら、別の日を選ぶだろう。今日はない。

 

「一」

 

 隠すことが目的だ。でもあの三隻を僕らの目から隠すことが目的じゃない。別のものを隠す? 僕らの目から──ああ、クソっ、そういうことか! ()()()()()()()

 

「ゼロ!」

 

 北上が最後のカウントを終えて、四十発の魚雷を放つ。それを合図としたかのように、楔形陣形の間隔が広まる。その合間から更なる敵が姿を現す。リ級、ネ級、更に一隻のヌ級、駆逐イ級エリート、そして──ル級、フラッグシップ。手強いエリートの、そのまた一ランク上の存在。艦隊全員、驚かずにはいられなかったろう。僕は叫んだ。「全艦回避運動! ル級が撃ってくるぞ!」言うまでもなかった。みんな、独自の判断で動き始めていた。僕もだ。ル級フラッグシップの砲撃が降り注ぐ。聞いたことがある。熟練の艦娘や、深海棲艦の古強者の射撃は素早すぎて、連射しているように感じられることがあると。きっとそれだ。

 

「何あれ多すぎでしょ!」

 

 無線で北上が喚く。教官がその声に負けない大声で言う。「北上、下がれ! 不知火は前へ! 利根!」「今行きます!」「分かっておる!」僕の近くに一発落ちる。その威力は、こちらの二〇.三センチ砲の比ではないが、本当に恐ろしいのは威力ではない。ル級の射撃は素早いだけではなかった。正確なのだ。電探を使って精度を上げているに違いない。早く下げないと北上がマズい。なのに彼女は恐慌状態にあり、回避に手一杯で、後退にまで頭が回っていない。このままでは距離を詰められて、その内に当てられてしまう。そうなれば残るのは北上の残骸だ。

 

 彼女の酸素魚雷の発射タイミングから、着弾までの時間を算出する。着弾までは……一分と十数秒と言ったところか。ル級フラッグシップと言えど、酸素魚雷の直撃や僚艦の轟沈を無視して撃ち続けはするまい。だが北上は避け続けられるか? ちくしょう、ちくしょう、僕がかばいに行けたなら、僕がもっと強かったら!

 

「利根、北上を引き戻せ! 教官、僕と組め、前に出るぞ。不知火は隼鷹のところまで後退、北上と合流したらこちらに戻れ、行け!」

 

 回避運動をしつつ、前進する。ル級がこちらを見た気がする。気がするじゃない、見たのだ。僕への砲撃が激しくなったから分かる。漏らしそうになる。漏らしたって恥じるもんか、もしあのル級と戦って生き残れたんなら、失禁なんか勲章みたいなもんだ。歯を食いしばり、重巡たちの砲撃も加わり始めた鉄の雨の中を駆ける。砲を狙い撃つ余裕なんかない。足を別にしたら、今の状況で動かせるのは口だけだ。命令を聞いた教官が、僕の後に続きつつも反論しようとした。

 

「しかし、作戦が……」

「敵が連合艦隊なんて前提はなかっただろう、あんな作戦なんか放っとけ! 僕は敵の右、教官は左、魚雷で叩けるだけ叩く!」

「分かった、弾に当たるなよ、一番艦」

 

 ああ、そのつもりだ。

 

 隼鷹の紫電改二が後方から追いかけてきた。それに反応してか、敵の艦載機も放出される。あっちの奴らは艦載機の発艦が早く済むのが羨ましいと、第二艦隊にいた頃に加賀がぼやいていたのを思い出す。砲撃の濃度が、一瞬だけ薄まった。奴らは陣形を変えようと動いている。自分たちの火力の幾らかを対空砲火に振り分けるつもりなのだ。でも回り込もうとする僕と教官を危険視したのか、すぐ元に戻った。ところがそれが彼女たちの運命を分けるポイントの一つになった。北上の放った酸素魚雷が楔形陣形を保っていた連中に、次々と命中したのだ。ヲ級たちだけではなく二隻の重巡リ級も轟沈したということを、隼鷹航空隊の妖精たちが僕に報告してきた。

 

 狙っていたよりも大きな戦果だが、ざまあ見ろと叫ぶことはできない。まだ敵は多い。四十発の魚雷で五隻やった。でも六隻残ってる。リ級が二、ネ級とヌ級とイ級エリート、ル級フラッグシップ。艦隊が万全の時でなければ戦いたくない戦力だ。けどやるしかない。逃げることはできないだろう。その背中を撃たれるだけだ。利根の声が、砲の着弾音にところどころかき消されながら耳に届く。

 

「北上が負傷した! 北上が大破! 後退中!」

 

 前の二つは理解できた。最後の一つがどういう意味か分からなかった。北上が後退中なのか、利根と北上が後退中なのか、それともまさか、利根だけが後退中なのか? 正確なところを知ろうと問い返すも、返事が来ない。首を巡らせて様子を見たいが、そんなことをすれば動きが鈍る。まだ僕が敵弾の直撃を受けていないのは、運がいいからだけではない。超幸運プラス、高速で動き続けているからなのだ。なのに今スピードを遅めるのはあり得ない。それは自殺行為だ。火薬庫でマッチを擦るとか、独学で飛行機を飛ばすとか、豚の仮装をして屠殺場に紛れ込むとか、瞬間接着剤を昼食代わりに摂取するのと同じことである。※98

 

 目だけ動かして敵艦隊の様子を伺う。北上の酸素魚雷で敵はごく小さな動揺状態に陥っているようだ。砲撃にも精彩を欠いている。無理もない。一挙に半分近く艦隊員を沈められたら、誰だってそうなる。むしろ、その動揺が小さなものでしかなく、士気の崩壊に繋がるほどの大規模なものにならない理由が解せない。きっとフラッグシップのせいだと思う。

 

 あのル級を沈められれば、残りは烏合の衆になる。魅力的な案だ。考えるにつけて心が躍る。僕らしくないことだ。心の中の天龍が「やろうぜ!」と暴れているのだ。彼女の戦争好きには困ったものである。天龍がこんなに興奮しているということは、できないことではないのだろう。何だかんだ言って彼女は冷静に物事を判断できるタイプだ。勝ち目もないのにリスクを犯したり、危険の為の危険を求めるような、命の何たるかを知らない子供ではない。

 

 やるか? 自分自身に尋ねてみる。僕は言う。やめとこう。それで決まりだった。相打ちにはできるかもしれない。艦隊員の命を対価として差し出せば確実にやれる。特に教官の命でなら、敵艦隊全部が買えてしまうだろう。だがそんなことはできない。それしかないのならそうしよう、一生の傷となるだろうが、それでもやろう。ああ、それしかないならだ。今は違う。天龍は気に入らないだろうが、まずはル級の取り巻きをやる。それから本命だ。時間を掛けてもいい。負傷も避けられまいが、我慢しよう。

 

 両足に一つずつ装着した四連装の魚雷発射管、その片方から四本の魚雷が海に放り出され、水を跳ね上げる。僕は白い雷跡を見守りながら、敵艦隊から離れ始めた。雷撃が成功してくれればいいが、雷跡が目立つ僕の通常の魚雷では難しいだろう。期待はしない。僕が期待するのは、那智教官の酸素魚雷の方だ。今回の戦闘では魚雷に頼りすぎだろうか? だけれども、艦娘として自軍に質や量で勝る敵と戦わなければならない時、その敵を砲戦で始末しようとするのは率直に言って無謀である。何と言っても、こっちが一発撃つ間にあっちは三発も四発も撃てるのだ。分が悪い。けれど、魚雷はそんな苦境を一発で引っくり返す潜在能力を秘めている。旧海軍に重雷装巡洋艦などという発想が生まれたのも、むべなるかなというものである。

 

 教官でも僕のものでもない砲弾が、隊列を単横陣に整え直そうとしている敵艦隊の周囲に落ちた。利根の砲撃だ。後退中と言ったのは北上についてだったのだろう。これで利根が戦闘加入、不知火先輩もじきに来る。四対六、まだまだ不利には変わりない。空がこちらのものになれば隼鷹の航空支援に頼れるのだが、妖精たちが言うにはややこちらに不利だとか。望みは薄い。

 

 敵の隊列が組み直された。ル級フラッグシップが砲撃をやめ、ざっと戦場を見回したのが見えた。ふと彼女の顔がこちらを向いて止まる。目と目が合う。猛烈に嫌な予感がする。ル級の指示の下、奴らは針路をこちらに向け、砲は僕に狙いをつけ始める。

 

 問題だ。もし僕の艦隊が隊列を組んでいる時に、三方から一隻ずつに攻撃されたらどうする? 答えは至ってシンプル、六隻がかりで一隻ずつ潰す。わざわざ隊を分けて戦力を分散させる理由はない。僕は自分の状況をチェックする。雷撃は済ませた。砲戦で戦う気はない。よし。次は? 逃げる? 問題外。追われて叩かれておしまいだ。距離を保って戦う? まあ一隻ぐらいは道連れにできるかもしれない。それと艦隊員たちが沈むのを見なくて済む。却下。

 

 この二つが否定されたのなら、残った選択肢は一つだけだった。艦隊員たち全員に通信で指示をする。映画っぽく。わざとらしく。不敵な態度で。そうしないと逃げ出したくなるから。

 

「援護しろ」


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