[完結]Home is the sailor, home from the sea.   作:Гарри

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「広報部隊」-3

 今だ、と僕の中の那智教官が言った。彼女を信じないで誰を信じられるだろう。僕は迷わなかった。彼女が指示した通りのタイミングで、発砲を行った。狙いは軽巡最後の一隻、数を減らすことを主眼においた砲撃だ。僕の数学力をフルに発揮した発砲は、見事に敵軽巡の装甲を貫いた。二射目、三射目を重巡や戦艦に放つが、彼女たちは素早く反応して回避行動を始めた。こうなると動いてないだけこっちの分が悪い。僕は急いで立ち上がり、辺りに反撃の砲弾が降り注ぐ中を海に飛び出した。岩を挟んで隠れ、腕だけ突き出して敵の概ねの位置に発砲する。当たることを期待していないので、使ったのは撮影に使う筈だった演習弾だ。どうせ海に落ちる分には区別がつかない。連中の動きを悪くできればそれでいい。隼鷹が僕の隣に戻ってきた。脇腹に血がにじんでいる。無傷では逃げ切れなかったらしい。大した怪我じゃない、と彼女は言った。元気そうなので、浅く切っただけなのだろう。

 

「あたしの方はカンバンだ。後は任せるからさぁ、しっかり守ってくれよ?」

 

 軽い口調だが、その声に緊張が混じっていることを聞き取れる程度には僕は耳がよかった。隼鷹の航空機隊は敵の対空砲火でその数を大幅に減らしつつあり、最早攻撃によって敵を撃破することにではなく、リ級の偵察機を使わせないことや、敵全体の意識を逸らさせて隙を作ることに主眼を置き始めていた。ありがたい手助けだが、いかんせん一対三の現状である。魚雷を放つことも考えたが、無駄撃ちになる確率が高い。それは許容できなかった。戦闘用の弾頭を装備した魚雷は、一斉射分、つまり魚雷発射管二つで六本しか持っていなかったのだ。魚雷を命中させることがどれだけ難しいかを考えると、六本持っているということと一本しか持っていないということに、大きな違いはなかった。千分の一が千分の六になったところで、慰められはしない。

 

 航空支援と演習弾で動きを封じ、実弾での攻撃を続ける。重巡の一隻に直撃したが、大破にまでは至らなかった。反対に、撃ち返された砲弾は僕の左腕を掠めただけで肉を薄っぺらく剥がして取っていった。痛みで体が固まりそうになるが、自分を叱咤して岩陰に飛び込む。僕の牽制がなくなったのを見て、奴らは近づいてきた。戦艦が僕らと岩礁そのものを挟んで真向かいに立ち、残り二隻の重巡は二手に分かれて回り込もうとしているようだ。まともにあれらを始末しようにも、同時にという訳にはいかない。一人は倒せるだろうが、もう一人をやる前に僕が戦艦に撃ち抜かれるか、隼鷹が二人目のリ級にやられるかだ。つまり、僕はまともじゃないやり方を取ってでも、重巡二隻を始末しなければいけない。それなら思いつくものはあった。何しろ、僕を訓練したのはきっと万人が度肝を抜かれるほどまともじゃない訓練教官だったのだ。

 

 僕は右腕の連装砲一門、それと足につけた三連装魚雷発射管を一つだけ残して、艤装を解除した。海上を航行する為の靴もだ。これで僕は海の上に立てなくなる。隼鷹は呆気に取られて見ているが、僕が諦めたとは思っていないだろう。諦めと楽観を捨てるのは、艦娘訓練所で誰もが通る道だ。僕らはあそこで、歯の一本や爪の一欠けでも残っている限り、両目が潰れ両足がもげ、腹に穴が開いていようとも、深海棲艦にとって甚大な被害を及ぼしかねない危険な存在になる術を学ぶのだ。そこに軟弱な感情が差し挟まる余地はない。那智教官は言った──「昔、私はある艦娘を見た。そいつは深海棲艦に撃たれて頭の四分の一が吹き飛ばされたが、それでも沈む前に自分を撃った深海棲艦どもを道連れにしていった。ここを出るまでに、お前たちも彼女のようになるのだ」そして僕はあそこを出たのだ。それは即ち、教官のお墨付きで、僕は話に出た艦娘の段階に達しているということである。まして彼女は頭を撃たれていたが、僕と言えば左腕をちょっと削られた程度の傷しかない。沈むまでもなく、今相対している敵をどうにかできるかもしれない。

 

 息を大きく吸う。時間は少ない。重巡二隻がお互いを射線上に発見すると同時にことを進めなければいけない。しかも、それは隼鷹を敵が発見するタイミングとほぼ等しいのだ。僕は海に入った。久々に、足首から上を海水に浸す感触を覚える。感慨に耽る間もなく、僕は水面下へと身を躍らせていた。砲と魚雷が重石になって手足が動かしづらく、水を掻いて浮力を手に入れることも難しい。進む速度は、僕が望むよりも遥かに遅い。それでもやり通さねばならない。やや遠くに、重巡の航跡が見えてくる。こちらに近づいてくる。僕は自分の位置と隼鷹の位置を思い浮かべ、リ級たちが互いを発見するであろう地点を推測した。そちらに向かう。息苦しくなってきた。反撃を待ち構えているル級やリ級が僕を先に見つけたら僕はどうなる? そんな考えが頭を巡る。知ったことかと言い返し、リ級の位置へと近づいていく。彼女は止まった。水面に、砲が装備された腕を上げようとするのが見える。僕は手を伸ばす。

 

 リ級の立場に立ってみると、こういう風に話が進んだのではないだろうか。まず、仲間と共に岩礁の向こうへと回り込んで追い込もうとする。警戒していた牽制射撃もなく、特攻じみた突撃もなく、順調にことが進んでいた。だが岩礁の陰には、軽空母が一人しかいなかった。あの発砲してきた敵は何処へ行った? 戸惑いながら彼女ともう一人の重巡は立ち止まって、逃げ場のない軽空母へと砲の照準を定めようとする。すると突然、足首に誰かの手が掛かった。体勢を崩して沈みそうになって、友軍を巻き込みかねない発砲を思い留まる。もう一人の重巡も、咄嗟のことに発砲を忘れる。そこを僕につけこまれる。

 

 僕は後ろからリ級の細い足首を掴み、全力で自分の体を水中から引き上げた。ざば、と音を立てて彼女の背後に現れた相手を、この場にいた僕以外の連中はどんな目で見ていたものだろうか。水上に浮き上がった勢いを使って、リ級の体を掴み、その首に左腕を巻きつけて締め上げる。反対側のリ級が砲の目標をこちらに変える。でも、僕が右手を振り抜いて発砲する方が早い。短時間とはいえ水に浸かった砲が撃てるかどうか自信はなかったが、どうにかなった。見つめ合える距離だ。外しはしない。二発の砲弾はどちらも狙い違わずリ級を捉えるだろう。砲の発射と同時に、ル級への雷撃も行う。腕の中の重巡がもがき、僕を振りほどくのに邪魔になる右腕の艤装を解除して肘打ちを試みる。僕は体を密着させ、腕に力を込める。そのまま首をへし折るつもりだったが、ル級がこちらに砲を向ける。仲間ごと撃つ気なのだ。

 

 反射的に、僕はリ級をル級へと突き飛ばした。発砲音、目の前のリ級の腹と背を破った砲弾がそこで止まる。僕は残りの艤装も解除してまた水面下に潜る。ル級は当てずっぽうに撃とうとするが、僕の雷撃を避ける為に動きながらだった。僕はそんな砲撃に当たるものかと思って油断していたのかもしれない。背中をハンマーで殴られたような衝撃が走り、僕は大粒の泡を思い切り吐き出した。意識が持っていかれそうになるのをこらえて、何とか僕は岩礁まで戻れた。這いずって水から顔を出すと、隼鷹が僕の腕を掴んで引きずってくれた。岩に擦れて痛かったが、文句や冗談を言う元気もなかった。座り込み、背中を見て貰うと、彼女が息を呑むのが分かった。ひどくやられたらしい。だがまだ生きている。考えを切り替えて、解除していた艤装を装備し直し、何かないか探す。

 

 浅いところに、僕に撃たれたリ級が倒れていた。死んでいるように見えるが、念の為に首を折っておく。人間や艦娘同様に人型の深海棲艦も、首を折られると死ぬ、という肉体構造上の欠陥を抱えているのだ。死体を自分たちのいるところに引きずり込み、足元に投げ出す。後はル級だけだ。でも、もう策も何もなかったし、思い浮かびもしなかった。ル級は警戒してか、動きを止めずにこちらの様子を探っている。あれは僕が海面下から襲ってくるかもしれないと学んだのだ。実際には、あんなことは力が同程度の重巡だからやれたのであって、戦艦を相手取って掴み合いをしたら、僕なんか首を掴まれて脊椎ごと引き抜かれてしまうだろう。血なまぐさいという点を除けば、まあまあいいトロフィーになるに違いない。しかし、僕は脊椎を衆目に晒して喜ぶほど歪んでいなかった。

 

 隼鷹の放っていた最後の航空機が撃墜された。僕は罵り声を上げそうになって、すんでのところで我慢した。それを聞いた隼鷹がどう思うか考えたのだ。気晴らしにもならない上、相手を傷つけるようなことはするべきではない。その代わりに、僕は生き残る道を探そうとした。曙はまだか? 援軍は? もういい加減こっちに向かっていてもいいだろうに、どうして来ない? 僕は最悪の想像をした。隼鷹の放った航空機も、曙も、榛名さんも、戻れなかったのではないかという想像だ。そもそもおかしいことが続いている。ここは陸地からそれなりに離れてはいるが、それでもこんなに立て続けに戦艦だの重巡だのと出会うような地域じゃない。深海棲艦側の大規模な軍事行動が始まりでもするのかもしれない。別の部隊が、戻ろうとする曙たちを襲ったなら、彼女たちは戦うこともできない間にやられてしまっただろう。航空機の一機ぐらい、しかも速度重視で回避なんて気にもしていなかったなら、運悪く撃ち落されてしまっていてもおかしくはない。この両方が起こったのだとしたら、僕らは九割詰んでるな。

 

 目の前にある問題や苦しみに対して、あるものでどうにか解決する、というのは、極東の伝統的な価値観で言えばささやかな精神的贅沢だ。洗練されきった貴人だけがたしなむことのできるその極みともなれば、およそ何もなしでことを片付ける、というところまで行く。残念なことに、僕らはそこまで風雅を解する身ではなかった。だが、五十路を迎えた光の君※8のごとく、そろそろ死ぬ心積もりをしなければならないということを悟っていた。

 

 これは諦めではない。諦めは逃避でしかない。現実から目を背ける為に行われるものだ。理解とは、悟るということは、受け入れるということだ。誰だったかが言ったように、許すということではない──僕は自分が死ぬなんてことを許す気にはなれない。そんな運命に追いやった全てのものを僕は憎むだろう。深海棲艦、天の巡り合わせ、上官、僕自身、ヘマやった奴、何でもだ。本当に理解するということは、受け入れて、その上で前進することなのだ。その方向や結末がどちらであろうと、問題ではない。僕は死ぬかもしれないということを受け入れた。そうして、それでも死にたくなかったし、死なずに済むにはどうすればいいかを考えることにした。

 

 鍵はさっきと変わらない。魚雷三本だけが、僕が沈められる前にあの戦艦を始末しうる、唯一の武器だ。砲はその足しにしかならない。決定打には力と数が足りない。魚雷を絶対に外すことなく当てるにはどうすればいいか。方法は三つ。天に祈る、止まっている目標に撃つ、直接叩き込む。天に祈るのは論外だ。まず僕が信じてもいないのだから、あっちもご利益を下さるとは思えない。止まっている目標に撃つ? いい考えだ! どうしてみんなそうしないんだろうな? 多分みんな飛びっきりの馬鹿なんだ……それか、敵が足を止めてくれないからだろう。直接撃ち込む? 単にトラディショナルなやり方であるだけでなく、変わらないロマンがある。それから手足の一本や二本が吹き飛ぶ危険性もセットでついてきてお得だ。まともに動ければこれを採択してたんだが。

 

 ル級が動き始めた。多少の危険を覚悟で僕らを潰しに来るつもりなのだ。彼女は拍子抜けするだろう。消耗した重巡一隻と、航空機を放ちきった軽空母一隻だ。そう手こずりはするまい。どう考えてみても、僕はやられる。それでも、もう一頑張りする価値はあるんじゃないか? 僕は隼鷹を見て思った。彼女は怪我をしていない。時間を稼げば逃げられるかもしれない。英雄的な犠牲だ。きっと故郷の公園に銅像や記念碑の一つでもぶっ立ててくれる。僕の志願を促す為に軍が大幅に増額してくれた手当てその他を貰って暮らしながら、父と母は毎日そこで涙を流すだろう。そして彼らを襲った恐るべき喪失を日常にしていくのだろう。

 

「隼鷹、立たせてくれ」

「何か、思いついたのかい?」

 

 そう言いながら彼女は手を差し伸べてくれた。掴んだその手は震えていた。彼女がアルコール中毒を患っているのでもなければ、それは恐れによるものだろう。彼女を臆病だとか、それ以外に思いつく色々な表現を使って謗ることは容易い。でも僕だって怖いのだ。震えが体に出るか、心に出るかの違いだ。僕は十五歳だった。彼女の年は聞いていないが、もう十分生きたという齢でないことだけは確かである。同じ恐れを共有する彼女を、守りたいと思った。それは隼鷹が女性だからではない。彼女が僕にとって、特別な相手という訳でもない。ただ彼女を沈ませたくないと思った。僕は死ぬということがどんなものか、かなり近くで見たことがある。小さい頃だが、それは僕の心に焼きついたように残っている。あんなものを体験するのは、人生を生き尽くして、死以外の全ての喜びと悲しみを知った後でいい。つまり、彼女にとって、今日であるべきじゃない。僕は海を指差した。

 

「行くんだ。回り道した方がいい。まだ敵がいるかもしれない。分かるだろう?」

 

 彼女は賢明な女性だ。酒が入っていても正しい判断を下すことができる、稀有な人格者だ。そして、軍人でもある。それが意味するところは、彼女は割り切って計算をすることもできるということだ。しかし薄情だということではない。彼女は僕より先に、自分だけで逃げるということを思いついていただろう。それでもきっと賭けていたのだと思う。僕がとても独創的なやり方を──戦艦を撃退せしめ、ここから彼女だけでなく二人揃って戻れるような案を、何処かから考えつくことに。だから、その賭けに負けた時、彼女は賭け金を支払ったのだ。彼自身がそう望んだことであったにせよ、自らの承認によって友人をここに置き去りにしたという事実を、背負うことになったのだ。

 

 ル級が隼鷹の動きに気づいて、回り込んでくる速度を速めたのが分かった。僕は体をどうにか敵の来る方向に向け、姿も見えない内から発砲を始めた。撃っているのは、他に使う当てもなくなった演習弾だ。実弾は残り数発しかない。岩礁の陰から、艤装を大盾のようにしながらル級が現れる。僕は実弾を撃ち込む。一発、二発、三発、四発、五発、六発。全部艤装の外殻で弾かれた。硬いもんだ。これと撃ち合って互角に沈められる戦艦型艦娘ってのは凄いな。外殻に当てても意味がなさそうだが、演習弾を撃ち続ける。奴は岩礁に上がり、一歩一歩近づいてくる。隼鷹はもう水平線の向こうに逃げただろうか。足の速い方じゃないから、まだ掛かるか。僕は撃つのを止めた。ル級が大盾の隙間から顔を見せ、僕が抵抗の意志を失っているのを見て、それを下ろした。砲は僕に向いている。いつでも僕を殺せる。「おい」と僕はル級に呼びかける。そして感情のなさそうな目を向けるそいつに、かつて彼女の友達だったのかもしれない深海棲艦の為を思って、一つだけ言ってやった。

 

「足元に気をつけろ」

 

 彼女はリ級の死体を踏みそうになっていた。艤装で視界が隠れていたから仕方ないだろう。彼女は大股でそれを跨いだ。ほう、こいつは驚きだ。仲間を踏まないというだけの社会性があるらしい。その割に、さっきはその仲間ごと僕を撃とうとしたが。ともかく、これで一矢報いることぐらいはできそうだ。眼前に立ち塞がったル級が声を出した。ノイズが混じったような耳障りな言葉が、僕の頭を揺らす。

 

「オマエ──」

 

 僕は魚雷を抱えたリ級の死体に向けて持っていた実弾の最後の一発を撃ち込んだ。触発信管が起動し、眩い閃光が僕を包む。閉じた目を開くと、少し離れたところにぼろぼろのル級が吹き飛ばされていた。うつ伏せになって、明らかに左腕が折れ、背中の煙突めいた艤装は影も形もなくなっている。僕は満足してそれを眺めていたが、いい言葉を思いついた。言う機会を逃す前に口にしておこう。

 

「気をつけろって言ったろう?」

 

 魚雷の爆発音で耳がイカれたらしく、自分自身の声すらちゃんと聞こえなかったが、今のセリフは相当キマった筈だ。それだけに、ここに隼鷹がいないことや、ル級がゆっくりと立ち上がったことが残念でならなかった。全く、戦艦のタフさには恐れ入る。つつけば倒れる程度に疲弊していはしないかと、演習用弾薬を撃ち込む。ダメだ、直撃しても軽くよろめくだけだ。万策尽きた。何も思い浮かばないし、せめて演習弾によるこの嫌がらせを続けようとする。ところが、最後まで僕はツイてないというか、何というか。今装填した分で、演習弾も最後の一発だった。どれだけ撃ったのか分かろうというものだ。顔にでも当ててやろうと、狙いをつける。脳震盪など起こして倒れてくれれば、という、愚の骨頂のような考えが脳裏を過ぎる。笑って、僕は人生最後の一発を撃ち込んだ。

 

 ル級の頭が吹き飛んだ。僕はぽかんとした。演習弾にそこまでの威力はない。頭のないル級が岩場に膝を突き、バランスを崩して倒れる。理解が追いつかないまま、僕は腕を下ろした。そしてふと誰かの気配を感じて、海の方を向いた。そこには艦娘がいた。そいつの後ろには、岩礁から撤退した時と同じ姿の隼鷹と、真新しいちゃんとした包帯を頭に巻いた曙が見えた。加賀と足柄もいる。僕はこちらに近づいてくるその艦娘を見て、笑おうとした。何が何だかよく分からん時は、とりあえず笑っておけばいいのだ。その姿を見て、今や互いに言葉を交わせる程度まで近づいた僕の救い主は、抑えきれない不快感を込めて、吐き捨てるように言った。

 

「無様だな」

 

 そういう初対面だったので、僕はこの戦艦長門という艦娘が最初っから苦手だった。

 

*   *   *

 

 僕が予想した最悪の展開は、そこそこ当たっていた。隼鷹が送った航空機は撃墜されていたようで、とうとう陸地に辿り着くことはなかったのだ。そして、曙と榛名さんが襲われたのも考えた通りだった。違ったのはここからだ。二人は命からがらでもその攻撃を切り抜けて、出張所の工廠に入るや否や意識を失ってぶっ倒れたのである。工廠の人員はただちに彼女らをドックに入れ、治療を始めたが、二人は倒れるまでに僕らのことを話すことができなかった。工廠や出張所の連中に分かったことは、近海に有力な深海棲艦の一隊がいるようだ、ということ程度だった。彼らは大慌てになった。もしこちらに攻め込んで来たら、広報部隊の艦隊を除いて防衛能力などほぼ皆無に等しかったからだ。そして、その広報艦隊の内、二隻は意識不明、二隻(由良とイムヤ。同じ仕事で一緒にいたらしい)は出張所を離れていて、もう二隻(僕らのことだ)は行方不明。あちこちに連絡して、急いで防備を調えようとした。その喧騒の中で、彼らは僕たち二人を探すことを忘れてしまっていたのだ。

 

 冗談ではなく、それは実際にそうだった。一応「僕たちを探せ」という命令は出たらしかったが、だがその命令を受けたのは誰か? そういう話になると、ある者は別の誰かの名前を挙げ、その誰かはまた違う人の名前を挙げる、という有様だった。僕らは本当に、忘れられていたのだ。思い出させてくれたのは、曙だった。榛名さんよりも比較的傷が浅かった彼女は、治療が終わるとすぐに出張所の連中に全てを話してくれた。ただ彼らも、最初は救援を送ることを渋っていたらしい。幾ら史上初の男性艦娘の為と言っても、自分の命より大切かと言われると、彼らとしても答えに詰まるものがあるのだろう。それは納得できる感情だ。そこで曙は、出張所の防衛に加わっていた、他の鎮守府などに所属している艦娘を勝手に頼った。それがあの長門たちだった。付け加えるなら、彼女らはあの“サーカス”艦隊所属だった。戦闘風景撮影の仕事の後にやる筈だった、イベント共演時の打ち合わせの為に、彼女らの提督と共にこちらに来ていたのである。

 

 その提督は、好意で出張所の防衛に協力しているという立場だった。つまり、気分次第で適当に理由をつけて防衛をやめることもできた。曙の言葉に耳を貸してくれた提督は、そのことを盾に出張所と短く交渉し「侵攻してくる可能性の高い深海棲艦の一隊を迎撃する」という名目で長門・加賀・足柄の三隻を送ったのだった。そして曙と彼女たちは途中で隼鷹を見つけ、僕のところに辿り着いたという訳だ。僕が治療や検査の合間に少しずつ聞いた話では、そういうことらしかった。

 

 わざわざ救援にまで来ておいて、長門がああも僕に辛辣だった理由は分からなかった。受けなければならない診療の多さによって直接会うことはできなかったので、彼女とも上手くやっている隼鷹に感謝の手紙を託したのだが、返事は来なかった。自分自身に向かって何と言うべきかは知らないが、これはもう間違いなく僕が持っている何らかの要素が、多くの艦娘には気に入らないところなのだと思う。それが僕の性別であったならば、もう僕に打つ手はない。というか、それは僕のせいじゃない。それを理由に僕を嫌う艦娘側が悪いと思う。でも、僕が知っている艦娘たちは、そんなつまらない存在ではなかった。これは直感でもあり、またそうあれかしと僕が願っていることの一つでもある。妖精たちの言うことを信じるならばだが、艦娘は旧海軍の軍用艦の船魂が元となっているのだ。それが、性差別などという克服されるべきものに囚われているのを見たくはない。しかし同時に僕はこうも思う。旧海軍の軍用艦の船魂なら、現代の価値観と食い違っているのも仕方ないだろう、と。ま、本当のところは分からない。僕が悪いかもしれないし、僕を嫌う彼女たちが悪いのかもしれない。もしかしたらどちらも悪いか、その逆なのかもしれない。いずれ分かることもあるだろう。様々な謎があるものだが、その中で僕らが生きている間に解明することのできるものなど、ごく僅かなのだ。

 

 だからこそ嬉しいことに、今回の一件で分かったことが一つあった。僕は知らない内に艦娘に嫌われることが割と多いけれど、努力や縁次第でそれを変えられもする、ということだ。曙は口を慎むようになった。クソ重巡とは言わなくなったし、理不尽な絡み方をしてくることもなくなった。それでも罵りを受けることはあったが、それは僕が筋の通らないことを言ったりやったりしてしまった時だけだった。イムヤや由良は僕を避け続けているが、物事は急に変えようとするものじゃない。何でも、ほどほどにやっていくということを覚えなくてはいけないのだ。

 

 しかし、ほどほどにやる、という観点から見ると、あの戦いは実にそこから外れたものだった。僕たちは広報艦隊であって、戦闘部隊ではないのだ。それが近海まで来ていた深海棲艦を撃退したということで、海軍内の狭い範囲では騒ぎもあったらしい。近海警備がなっとらんと憤る連中や、お飾り部隊に手柄を立てられて歯噛みする連中、逆に「海軍で一番下らない艦隊にいた艦娘たちでさえ、かくも立派な艦娘だった」と馬鹿にしてるのか褒めているのか分からない評価を下す連中……僕は自分が艦娘であって、提督でなかったことを感謝しそうになった。なれたかどうかは微妙なところだが、もし提督になっていたら、僕はそういった人々に囲まれて仕事をしなければいけなくなっていたのだ。あいつらは大抵、口で言っていることと腹で考えていることが違う奴らだ。信用には値しない。はっきり言って、会いたくもなかった。だから、僕が検査入院の後に彼らの前で戦闘の詳細報告を行うことになったと聞いた時には、かなりげんなりした。ただでさえもう十分に元気な体を病室で持て余していたというのに、その後にはあの日自分が何をやったかを一つ一つほじくり返されなければならないのか? まるで僕が悪いことでもやったかのようじゃないか。

 

 僕はふてくされていたが、軍もそんなことはお見通しだった。彼らは僕のご機嫌取りに、最も効く薬を投入した。見舞い客だ。北上と利根は何処からか僕が戦闘で負傷したという話を聞きつけており、手紙を送って来ていた。その中には彼女たちの優しい心遣いが詰まっており、僕の返事にはそんな彼女たちへの深い感謝が込められていた。検閲で軍はそれを知り、呉と宿毛湾に圧力を掛けた。二人に休暇を与え、見舞いに行かせるようにだ。これがベテランの艦娘だったら、困ったことになっていたかもしれないが、幸いにして僕らはまだまだ新兵だった。いなくなっても、そこまで戦力に穴が開くことはない。それで、向こうの提督は上層部に逆らう意味もないと判断して、二人に休みを与えたのだった。

 

 彼女たちは、降って沸いたようなその休みが特定の意図を持って与えられたものであることを把握していた。そして僕のところに来てくれた。北上は大井まで連れていたが、これは北上が彼女を僕に会わせたかったからなのか、大井がどうしてもついていくと言い張ったのか、僕にはとうとう判断がつかなかった。二人はそのどちらとも取れるようなことを言っていたし、直接訊くような失礼な真似をする理由もなかったからだ。僕らは戦闘の時のことについて敢えて触れないようにしながら、色々な話をした。その様子から察するに、北上と大井はまだ負傷らしい負傷をしたことがないらしい。立派なことだと思う。大井は訓練所時代の北上の話を聞きたがったので、僕は北上が機嫌を損ねない程度に、できるだけ沢山のことを教えてやった。面会時間一杯に僕らは話をして、とうとう退出しなければならなくなった時、北上は戸口で振り返り、数ヶ月前に見たのと変わらない和やかな微笑みと気の抜けた声で別れを言った。その耳には僕の左耳にあるのと同じピアスがつけられていた。そして大井は昏い瞳でそれを見ていた……利根は僕ではなく北上に四つ目を渡すべきだったのかもしれない。


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