遥か彼方のアラムガンド   作:小ノ寺祐佑

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第1話 新大陸

 夕闇も深まりつつある頃、1隻の貨物船が大海原を航行していた。掲げる旗は赤地にU字のマークが黄色で描かれている。目的地である大陸まであと少しだ。

 

「…船長!西南西の方向、1マイル先に海賊船発見!こちらに向かってきます!」

 

「なんだと…?ここは不可侵海域だぞ!」

 

 船の主であるボルテックは、今年で60代後半を迎える大ベテランの船長だ。豊富な経験と的確な判断力で船員からの信頼も厚い彼は、丁度曾孫も生まれ、貯蓄も十分出来たので引退を考えていた。

 そんな彼が最後の航行にと決めたのが、労働者層を近くの2大陸と極東島郡との間で運ぶ輸送船だった。ちなみにこの航路、不可侵海域に設定されている。

 海賊という無法者達の集まりであっても、国から海域を侵した場合全国力を持って掃討すると脅されれば、好んで侵入する輩は少ない。

 そんな訳で、最後の仕事は低リスクの船旅となるはずだったのだが。

 

「どんどん近付いてきます!」

 

「くそっ!砲台はどれだけ積んでいる!?」

 

「船首砲2門、側砲15門はあります!」

 

「ちっ!このままやられるわけにはいかねぇ!マストを張って全速で進むぞ!!総員準備を始めろ!」

 

 所詮は貨物船なので、最低限の砲台しか積んでおらず、乗組員達も海戦については門外漢だ。つまり、捕まれば負け。とはいえ、ボルテックは熟練の船乗りだ。こうした危機的状況は何度か経験したことがあり、乗り越えてもいる。

 

「しっかりしろ!てめぇらも船乗りなら、いい経験だぐらいに思いやがれ!これだけの距離があれば大丈夫だ!」

 

 狼狽える船員に檄を飛ばして立ち直らせ、直線上に並び追ってくる海賊船を振り払うように操行しながら、状況を整理する。

 海賊船は同じ等級ぐらいだろう。それならノット数も同じはず。このまま全速力で行けば、差が大幅に縮まることはない。

 大陸はもうすぐ見えてくるはずだ。運が良ければ巡回している軍艦に保護してもらえるかもしれない。そうでなくとも、そこまで来れば海賊船も諦めて引き返すだろう。

 

「船長!乗客が船内から出てきました!」

 

「はぁ、おとなしくしてろってんだ…もういい、そいつらにも手伝わせろ!自分の身ぐらい自分で守れってな!」

 

 不定期に降ってくる大砲の弾の一つが当たった衝撃で、驚いて出てきたのであろう。

 沸いてくる面倒事に封をしてしまいたい気持ちで、ボルテックは怒声をあげて指示する。大陸が見えてくるまであと少し、この仕事ともおさらばだ。

 そう考えていた最中、ボルテックは前方の空に光点を確認した。一瞬星かと見紛われるそれは、見る見るうちに船へと迫っていき--ボルテックの眉間を貫いた。

 容赦なくボルテックを襲ったそれは、形容するなら雷の槍。正確無比に急所を射抜かれたため、痛みを感じる間もなく息絶えただろう。

 槍は雷鳴を轟かせながら止まることなく直進していき、船底に大穴を開けた。船長を拠り所としていた乗組員達は数瞬の硬直の後、パニックに陥った。

 必然的に、乗組員達の動揺は乗客たちに伝播し、負のスパイラルが如く混乱が混乱を呼び、避難行動にすら移れずに、総勢150名に及ぶ人々が船と共に沈んでいった。

 ただ一人の少年を残して。

 

〓〓〓〓〓

 

 閉じていた目に眩しいばかりの光が入ってきて、思わず顔を顰める。

 ゆっくりと、徐々に目を開けて周りを見渡しても視界がはっきりとせず、ぼやけていて、ただ眩しいばかりの光が周りを照らして幻想的にも見える。

 自身の身体に異常がないことを確認して一息つくが、頭の中に靄が掛かったようにはっきりとせず、ぼんやりとしてしまう。

 なんとなく自分を見れば、不思議な光沢のあるシルクのような服を着ている。靴は真っ白で吸い付くようにぴったりだ。

 眼を凝らすと、相変わらず周りはぼやけているが、ただ一点、川が流れているのがはっきりと見えた。他に当てもなく、その方面へ進んでみると、川の向こう側に人だかりがあるのが見える。

 人族や亜人族の猫人や犬人といった多種多様な種族が一同に会して列を作り並んでいる。よく見れば全員が自分と同じような服を着ている。なぜか、そこに加わらなければいけない気がして、自ずと歩みだした。

 川の辺まで辿り付くと、そこには渡し舟がぷかぷかと浮いている。船頭はいない。でも、何もしないでも船があそこまで連れて行ってくれる、そんな気がした。

 船へ乗り込もうとしたその時。

 

「うぉぉぉぉい!」

 

「------!?!?!?」

 

 突如として左耳に大音声がこだまし、鼓膜が激しく振動して、ついでに視界も同じように揺れ動いたように感じた。

 その余韻がキーンと頭に残ったまま、左を見遣るとダンディーな髭を拵えた小柄な中年が、さわやかな笑顔を見せながらそこに立っていた。

 

「えっと…」

 

「あ~、やっと気付いてくれたよ~。呼んでも全然気付いてくれないんだもん。」

 

「す、すみません…?」

 

 思わず謝ってしまい、抗議する機会を逸してしまった。

 改めて男性を見ると、その男は小柄な体格に似合わず、その背中に剣やら槍やらを背負っている。両手を腰に当てた状態で、こちらを興味深そうに観察している。

 金の刺繍があしらわれた衣服に包まれた男は、傭兵かはたまた武器商人か。その男に興味を惹かれるものがあったが、今は只、向かうべき場所に向けて出発しなければという思いに駆られた。

 

「よ、用事がないようでしたら、そろそろ行こうかと思うんですけど。ちょっと急いでまして。」

 

「ふーん。どこに向かってるんだい?もしかしてあそこの人だかりかな?」

 

 男が指差す方向には、相変わらずの人だかりがあった。ここから距離もそんなに離れていない。これなら遅れずに済みそうだ。

 

「あ、はい、そうです。あそこに急いで行かないと。」

「行かないと?」

 

 …行かないと、なんなんだろう。自分でもよく分かっていない。でも、そうしないといけないという焦燥感だけがある。

 そういえば、視界が前よりも晴れて見える。辺りは相変わらず光り輝いていたが、周りには草木が一本たりとも存在せず、建物も見えない。

 あるのは流れが止まっているように見える川と、全員が全員虚ろな表情をしている人々だけ。今更その光景が不気味に思え、背中に冷たいものが走った。

 そんな僕を見て、男は続けた。

 

「君はあそこに行くべきじゃないよ、シド。少なくとも今はまだ、時期早々だ。」

 

「えっ?なんで僕の名前を…?」

 

 そこで、今仕方まで忘れていたことに気付く。それが引き金となって、混濁した意識がはっきりとしてきた。男はなお優しく笑いながら、僕の手を取った。ゴツゴツとした手だ。

 

「あなたは一体、誰なんですか…?なんで…?」

 

「私は、そうだな。いつもお前の中にいる。実体はないが、いつもお前の中で流れている(・・・・・)んだ。」

 

「はぁ?意味が…」

 

「僕の名前はアリクアム。いつでも君の傍にいるから、必要になったら僕の名を呼ぶといい。」

 

 そんな唐突に説明されても訳がわからない。

 そんなことを思っていると、ドンッと衝撃を受けて後ろへ倒れ込んでいく。今まで道があった場所に道はなく、そのまま真っ逆さまに落ちていく。反射的に男の手を掴んで離すまいと踏ん張ったが。

 

「な、なにしてっ!」

 

「さて、それじゃあ元居た場所に戻ろうか!」

 

「えっちょっと!?」

 

 突然取っていた手を振り払われて、そのまま後ろに落ちていく。微かに知覚できていた景色も、次第に暗くなり、ついには暗闇に飲まれていった。

 

〓〓〓〓〓

 

「っはぁっはぁっ!ごほっ!」

 

 さらさらの砂の感触が手に伝わる。海水を飲み込んでいたようで、すぐに吐き出した。長い夢でも見ていたようだが、漸(ようや)く現実へと引き戻された。

 僕は故郷の八洲より大陸へと向かうため、船で移動中だったのだ。途中までは平和な船旅だった。ところが突然の爆音と激しい揺れが船を襲い、船内の部屋でのんびりしていた僕は飛び上がった。

 上からは船長の叫び声と、人の慌しく動き回る音が聞こえてきて、異常事態が発生したことはすぐにわかった。

 同室の人達が何があったのか確認しに上へと上がっていくのを見て、便乗するようにそれに付いて行った。

 船の上は正に地獄だった。必死に動き回る乗組員達、飛び交う怒声。偶に大砲の弾が船の上を通って海へと着水した。

 船尾からは髑髏の旗を掲げる海賊船が追い縋って来ていたが、いつまで経っても距離は縮むことはなかった。

 このまま逃げ切れるかもと思った矢先、槍のような何かが、舵にいた船長を貫き、そのまま船の中央へと潜っていった。

 そこからは本当の地獄だった。乗組員を含む全員がパニックを起こし、避難誘導すらしてくれない。中には自ら海へと飛び込む人もいた。

 いくらか時が経った頃、最後にバキッという音が鳴って、船は中央から真っ二つに割れ、沈んでいった。それからはどうしたのか分からないが、気付けばここにいた。

 

 日は昇っている。仰向けに倒れていたようだ。上体を起こす。周りには船の破片が散らばり、制服を着た乗組員や同室だった人達、中には海賊の船員と思われる人達が倒れていて、ぴくりとも動かない。

 一番近くにいた誰とも知れない人を揺するが、反応はない。仰向けにして心臓の鼓動を確認すると、何も聞こえなかった。吐き気を覚えて近くの砂場で吐き、再び仰向けで寝転んだ。

 

 一面に広がる星空を眺めながら、生き残ったことを実感していた。

 

 どれくらいそうしていただろうか。

 ふいに、ぬっと上からのぞきこまれた。金髪で男らしい顔立ちをしている、逞しい体つきの青年だ。野太い眉毛が男らしさを強調し、目立つそれのせいで眉尻にある傷跡が少し目立つ。

 身形も豪奢ではないが、良く仕立てられているフロックコートを着込んでいて、ピッタリなラインが逞しさを強調する。彼は片眉だけを上げながら訝しげにこちらを見ていたが、やがて表情を和らげた。体を起こして青年の方へ向く。

 

「大丈夫か?怪我はないか?」

 

「…」

 

「…しゃべれないのか?」

 

「…も、申し訳ありません!大丈夫です。…」

 

「なんだ、しゃべれるんじゃないか。何か空から光が降ってきたのが見えたから何事かと来てみれば…見たところ船が難破したようだな。君は八洲から渡ってきたのか?」

 

 青年は少し太めの眉毛を掻きながら問うて来た。なんとなくそうではないかと思っていたが、ミルティーク大陸に流れ着いたんだろうか。実際、奴隷船はそこを目指していたし。

 

「…とにかく、君を保護するぞ。着いて来なさい。」

 

「…僕は…」

 

「ん?」

 

「僕はこれからどうしたらいいんでしょうか…?」

 

俯いたまま、恐る恐るそう尋ねると、そっと肩に手を掛けられた。顔を上げると、青年は笑顔を見せて続けた。

 

「それは移動中に聞くとするよ。何も心配することはない。とりあえず、生き残れてよかったな。」

 

「…はい。ありがとうございます。」

 

 ごろごろ転がっている死体はそのままにはできないと、アルクさんは引き連れていた屈強そうな男達とともに簡単な弔いを行った。やっぱり助かったのは僕だけみたいだ。

 

 海岸から程なく離れた場所に、豪奢な造りの馬車が停車しており、初老と思われる御者が正した姿勢で待っていた。2頭の馬車馬も毛並みが良く美しい。懐いているのか、青年が近付いていくと顔をそちらへ向けて甘える仕草をした。

 

「よし!よし!いい子だ。」

 

 声を上げて青年の顔へ自分の頭を摺り寄せた馬の名をファルシオンと言い、気高く佇んでいるほうをポールと言うらしい。正に駿馬、というイメージだ。

 

「アルフォードさん、お待たせしました。」

 

「いえ、とんでもありません。何かありましたか?」

 

「船が難破していて、生存者がいたよ。」

 

「それはそれは。それでその方が?」

 

「ああ、そうだ。…そういえば名前を聞いていなかったな。なんて言うんだい?あ、その前に俺も名乗ってないや。俺はアルク、デュノワ男爵の所で使用人取締役をしている。よろしくな!」

 

「シ、シドと言います。宜しくお願いします…」

 

 僕の反応が薄かったらしく、アルクさんは頭を掻いて苦笑しながら続けた。

 

「シドか。…うん、八洲国らしい名前だね。よろしくね!」

 

 僕を見ながら考える素振りを見せた後、手を取られて無理やり握手をさせられた。

 

 極東島群という複数の島国が連なる地域がある。それぞれの島国は独特の文化や技術を発展させており、島国間でも容姿に違いがある。八洲国はその中でも特徴的な容姿をしているため、出身者は誰が見ても一目で分かるのだ。また、卓越した鍛治技術と他国に閉鎖的な政治で知られている。

 

「それ、じゃあ乗って。」

 

「あ、はい…。」

 

 馬車に乗り込むと、中には鎧と直剣を装備した屈強な男が二人いた。

 ガタン、と音を立てて車体が動き出したと同時に、小窓から見える風景がゆっくりと動き始めた。海岸線からメインストリートまでは森を通るらしく、奥深い森は時々日光が入るくらいで薄暗く、独特の湿った匂いがする。

 青々とした景色の中に溶け込むように、カサカサと動き回る動物は、どうやら狼らしい。少しばかり体が強張る。

 

「大丈夫、向こうもこちらを警戒しているし、近寄ってこれないようにあいつらが大嫌いな匂い袋を馬車に付けてる。襲ってきても追い払うだけさ。」

 

 察したのか、アルクさんは僕にそう説明し、安心していいよと声を掛けてくれた。そのアルクさんはリラックスした様子で傭兵の一人と話し込んでいる。

 しばらくすると森を抜け、整備された大道路へ出た。所々に石造りの外灯が灯っているのが見える。あとでアルクさんに聞いたところ、それは魔除石(まじょせき)と言って、魔獣や動物が寄ってこれないような仕掛けがあるらしい。

 

「ちょっと気になってたんだけど、君は生粋の八洲の人じゃないよね?」

 

 典型的な八洲人の顔は黒目黒髪に彫りの浅い顔だ。

 僕は八洲の特徴である黒髪と彫りが浅い顔立ちなのだが、眼の色だけは黒ではなく、スカイブルーだ。

 

「はい。父親がイリシスの人で、母が八洲人です。父は僕が小さいころに魔物に襲われて亡くなったみたいで、覚えてないんですけど。」

「そうか。お母さんはどうしてるの?」

 

「母は3ヶ月前に亡くなってしまいまして…。」

 

「…ごめんな、余計なことを聞いた。」

 

 申し訳なさそうにそう言いながら俯く彼に、僕は慌てて続けた。

 

「い、いえ!最初は悲しかったですけど、このご時勢、悲しんでばかりもいられませんし、今はもう乗り越えましたから。」

 

「君は強いんだな。」

 

 アルクさんの言葉はどこまでもやさしい響きを持っていて、つい気を許してしまうような、そんな不思議な力があるように思えた。

 

「それで、この大陸には何しに来たの?」

 

「環境を変えたかったのと、仕事を探しに。その、仕事がなかなか見つからなくて…」

 

 最初は故郷を離れる気はなかった。住み慣れた島国が居心地が良かったからだ。

 ところが母に守られる生活から一変、自分で食い扶持を稼がなくてはいけなくなって初めて、自分の立ち位置が見えてきた。

 閉鎖的な島国の気質なのか、少しでも人と違えば差別の対象になりやすい。僕の容姿も例外に漏れず、碧眼のせいで仕事にありつけず、母の残した貯金はすぐさま底を付いた。

 

「あぁ…なんかよく聞く話だなぁ。この話題は止め!」

 

暗い話になってしまうのを察したのか、アルクさんは無理矢理に別の話題を振ってきた。

 

「ところでシドは何歳なのかな?」

 

「僕は14歳です。あと3月もすれば15歳になります。」

 

「俺は18だから、3歳違いか。うん、あんまり変わらんな!」

 

 3歳も違えば結構違うような…と思うが、アルクさんがそう思うなら敢えて何も言うまい。

 

「だからってわけじゃないんだけど、敬語は止めて…というのは難しかったら、せめてもっと砕けた話し方にしてくれるかな?」

 

「す、すみません…ちょっと人見知りする性質でして…。」

 

「ほらまた!確かに僕の方が年上かも知れないけど、やりにくいからさ。ね?」

 

 僕にとっては、波風を立てないように人には基本敬語を使うのだが、本人が望まないのなら従う外ない。

 

「…わ、分かりました。」

 

「うんうん!そうだ、移動中に話すって約束したよね」

 

 彼は満足したように頷いた後、真面目な表情に戻って、そう切り出した。

 

「これからのことだけど、この事故について国へ報告をしに行くことになると思う。君は唯一の生存者だから、付いてきてもらって、そこで事故の詳細について話してくれるとありがたい。その後は自由さ。国の窓口が大きな街にあるから、そこでなら仕事も選り取り見取りのはずさ。」

 

「自由…ですか。わかりました…。」

 

 それからこの大陸とデュノワ男爵について色々と聞いた。

 このミルティーク大陸はルブラン、アポリトス、マグワイアの3国が支配し、その他中小の国家は大半はルブラン王国の属国となっている。

 現在3国は和平関係を保っており、交流もあるようだ。特にアポリトスは聖教が建国した宗教国家であり、国家間を超えて宗教活動をしている。

 ルブラン王国は3国の中で属国が一番多く所有領地も広い。デュノワ男爵はその直轄領の一つを預かっているらしい。

 名前はロベール・デュノワと言い、新興(成り上がり)貴族であること。公正な人であり、誰に対しても(奴隷にすら)平等であること、しばらく前に奥様を亡くされていること、愛娘であるフランがいること、それはもう溺愛していること、等々。言葉の端々からアルクさんが彼を信頼していることを感じ取れた。

 

 デュノワ男爵の屋敷は森を抜けた道路を北に真っ直ぐ進めば着くらしく、馬車がカーブすることもなく進んだ。その単調さからついうとうとしてしまい、ついに眠ってしまったらしく、気付いたら屋敷の門前に到着していた。

 

「相当疲れてたみたいだね。まあ、そりゃそうか。」

 

「すみません…」

 

「気にすることないよ。今日は男爵様に事情を説明したら、さっさと下がってしまおう。」

 

 アルクさんはそう言って、馬車が悠々と通れる広い門を開けた。3台ぐらいは余裕で通れそうな道路が真ん中に敷かれていて、左右には見渡す限りの畑が広がっている。よく見ると4区画に分かれていて、2区画ずつで別のものを栽培しているようだ。

 

「左に見えるのがサクラビートで、砂糖の原料になるんだ。右に見えるのはケッシーの花だ。主に鎮痛薬の原料になるんだよ。御屋形様のこの時期の主力商品だ。」

 

 僕の隣でアルクさんが説明してくれた。畑のほうでは屈強そうな男達が楽しげに話しながら収穫作業をしているのが見える。首元に首輪型の拘束道具が付けられていることから、奴隷であることが分かる。

 地面からニョキっと生えた葉っぱは2メーテル程の高さがあり、地面の下にかぶら形の身があって、それが砂糖の原料となる本体だ。ケッシーの花は対照的に原料となる実が地上に出ていて、まるで大きな種のような形状をしている。花の咲いている物もあり、それらが枯れて初めて原料となる実が表面に出て来るそうだ。

 

「栽培しているのはそれだけじゃないけどね。」

 

 馬車が中央の大通りをどんどんと進んでいく中、次々と畑で作業中の奴隷たちからお帰りと、アルクさんに声が掛けられる。アルクさんも陽気にそれに答えていた。

 

「なんていうか、ここは本当に垣根がないんですね。奴隷とその他の間に。アルクさんにも気軽に話してますし。」

「うん、そうだろう?ここは奴隷たちにとっては天国かもしれないね。基本的に申請さえすれば外出も自由だしさ。」

 

奴隷用の拘束道具のことをレシーバーと言い、主人が持つコントローラを操作することで、スタンさせるなど殺すこと以外はできる。ただ、一定範囲を超えると、生存確認はできるものの制御できなくなるのだ。

自然、主人は奴隷の行動範囲を狭めるようにするのが普通なのだが、ここではそれがないらしい。

 

「なんていうか…心が広いというか、信頼関係が成り立っているというか…」

「驚いたかな?今まで逃げた人もいないし、ここよりいいとこなんてないからさ。」

 

 驚いている僕を見て彼は悪戯っぽく笑った。ちなみに御者台にいるアルフォードさんは男爵様のご息女専属の執事らしい。そんなことを話していると、大通りを抜けた先に屋敷が見えてきた。

 塔を3つ繋ぎ合わせたような2階建ての建物で、どこかチグハグさが感じられる。屋敷前には噴水があり、そこでは子供達が水遊びに興じていた。

 馬車を停車させて降りると、一番年長と思われる女の子がアルクさんを見つけて駆け寄ってきて、満面の笑みを見せながら話し掛けてきた。

 

「アルクさん、お帰り!今日のお使いはどうだった??」

 

「ただいま、メリー。いつも通りだったよ。聞きたかったら後で僕の部屋においで、みんなも一緒にね。」

 

「わぁ、楽しみぃ~!この人はだぁれ?」

 

 首を少し傾げながら彼女が興味津々にこちらを見てきた。少し癖のある亜麻色の髪が揺れる。肩辺りにまで伸びていて、手入れをされているのか、ちゃんと揃えられている。美少女、と言っていいと思う。くっきりとした二重瞼にエメラルドグリーンの瞳、白く透き通る肌。水浴び中のためか、少し膨らんだ胸を隠すチューブトップとパンツだけの姿は、結構目に毒で、目のやり場に困ってしまう。

 

「彼はシドって言うんだよ。八洲国からこっちに渡ってくる途中で、船が難破してしまったみたいでね。」

 

「八洲国から来たの!?すごぉい、お話聞きたいなぁ!」

 

 急激にテンションの上がった彼女がぴょんぴょんと跳ねながら僕の手を両手で握ってきた。僕はいよいよ落ち着かなくない。

 

「彼女はプルメリア。ここの使用人の娘さんだ。お母さんも美人さんなんだよ!」

 

「やめてよもうっ!みんなはメリーって呼んでくれてるから、あなたもそう呼んでね?」

 

「あっ、ぼ、僕はシドって言います。」

 

「あ、顔赤くなった!トマトみたい!」

 

 そう言いながら左手をクスクスと口に当てておかしそうに笑う。

 僕が困っていると、アルクさんが助けに入ってくれた。

 

「こらこら、いじめるのもそこまでにしとけよ?」

 

「いじめてないよぉ。」

 

「彼にはまず御屋形様に会ってもらわないといけないし、さっき言ったように船が難破して大変だったんだ。明日にしなさい。」

 

「はぁい!」

 

 そう言うと、彼女は僕の耳元で「また明日お話しようね?」と囁いて、最後に人懐っこい笑顔を見せてから水遊びに戻っていった。ここまで異性と近い距離で会話したのも久しぶりで、変にドギマギしてしまった。すごくいい匂いがしたなぁ、と思っていると、アルクさんが僕の顔を見てニヤニヤとしている。

 

「もしかして、一目惚れ?」

 

「えっいやいや、そんなんじゃないですから…」

 

「そうかそうか、ああいう小悪魔的なのが好きなんだな?ん?」

 

「か、からかわないでください!そんなんじゃないですってば!」

 

「あぁ、わかったわかった!そういうことにしとこう。じゃあ男爵様に会いに行こうか!」

 

 それ以上反論することも出来ず、思えば短い間に随分と砕けた関係になっている気がすると思いながら、溜息をついて彼について行った。

 

 屋敷の中は外見とは違い、すごくシンプルに纏められていた。中央の天井にあるシャンデリアがあるが、金銀が散りばめられたようなものでもなく、酷く質素だ。

 富豪の屋敷内なんてそうそう見たことはないが、それでも内装や調度品はもっと煌びやかで豪奢なイメージがあったのだ。

 

「二階に上がろう。男爵様の前でも気張らなくて大丈夫だから。」

 

 中央ある階段登っていきながら、僕の鼓動は早くなっていく。貴族様に会うなんて生まれて初めてだからだ。

 上りきった先は左右に道が分かれていて、ぐるっと一周できるようになっている。それぞれに部屋が幾つかあるようだ。右側を進んでいくと突き当たりに別棟へ繋がる扉があり、その中の一室が御屋形様の書斎であるらしい。

 

 書斎前に辿りつくと、アルクさんは扉をノックし、程なくして返答があった。声は野太いながら柔らかさがあったが、疲れたような声音をしていた。

 部屋へ入ると両側面に本棚の山があり、中央に書類の積まれたデスクが配置されているのが確認でき、その書類の山に埋もれている人がいた。

 

「ただいま戻りましたよ、男爵様。」

 

「おう、お帰り…」

 

その人はアルクさんの声に手だけを上げて、消え入りそうな声で答えた。なんともフランクな会話だ。

 

「ロベール様、少しお休みになられますか?」

その背後から急に人影が現れ、顔を見てびっくりする。馬車で別れたアルフォードさんだったのだ。彼はいつの間に移動したんだろうか。

 

「いや、まだ大丈夫だ…俺、がんばる…」

 

「これまたすごい書類の山ですね~。一体いつになったら終わることやら。」

 

「そう思うなら手伝ってくれてもいいんだぞ?承認印も貸すから…」

 

「それはやっちゃダメでしょうよ…それはそうと、商会に商品を卸してきましたよ。」

 

「おう、ご苦労ご苦労!」

 

 ようやく顔を上げてこちらを見たロベールは、声から想像した通り大柄な人だった。顎全体に生やした髭はちゃんと整えられて清潔感がある。髪の毛は少し後退しているが、男前な顔を引き立たせていて、逆に紳士に見える。

 ニコニコとこちらを見ながら、僕に目を留める。

 

「その子は誰かな?」

「はい。乗っていた船が難破したみたいで、帰りに保護しました。シドって言います。」

「シ、シドと申します。」

 

 しどろもどろになりながら挨拶をし、腰を低くしようと屈むが、そんなことする必要がないとばかりにアルクさんに止められる。

 

「おう、よろしくな。俺はロベールだ。ロベおじさんと呼んでもいいぞ?」

「えっ」

「男爵様でよろしいですよ。」

 

 アルフォード(仮)さんがフォローに入ってくれた。ここは冗談好きが多いみたいだけど、人見知りの僕としてはハードルが高すぎる…。

 それからアルクさんが成り行きを説明し、商業ギルドへは明日行くことにして、今日は使用人の宿舎に泊まることになった。

 

「アルク、明日もリルトまで彼に付いていってあげなさい。ついでに、手紙も届けてほしい。届け先は後で伝えよう。」

 

「了解です!」

 

「それからウォールズ」

 

「はい、なんでしょうか。」

 

さっと陰から現れたアルフォード(仮)さんは、実はウォールズさんであることがわかった。

 

「君には私の代理として説明に行ってもらいたい。」

 

「了解致しました。」

 

こちらに聞こえるか聞こえないかぐらいの声でウォールズさんと御屋形様が話を進め、一段落着いたのかこちらへ向き直った。

 

「疲れたろう、もう休むといい。さて、わしも休憩するかな。」

 

「何を仰いますか、先程から十分お休みになっていたではありませんか。」

 

「えっ」

 

 ウォールズさんは穏やかな笑顔を称えて男爵様に迫る。先程の優しさはどこかへ消えてしまったらしい。一方、引き攣った笑顔でこちらに助けを求める男爵様。どうすることも出来ないので、アルクに連れられて退室した。

 

「薄情者~!!」

 

「どうせお昼間に遊んてだツケが今回って来たんでしょ?自業自得です~。」

 

 男爵様の悲痛な叫びをバッサリと切り捨て、アルクさんは僕を宿舎へと案内してくれた。

 宿舎は屋敷から出て左側にある別棟にあった。男爵様の邸宅とそう変わらない程しっかりとした造りで、掃除が行き届いているのがわかる。しかも使用人と奴隷が共同で暮らしているらしい。

 部屋に入ると、今日の仕事がどうだっただのと話している3人組がいた。

 

「じゃあ今日はここで寝てもらえるかな?ジャン、ユン、フォー!面倒見てあげな。」

 

「「「了解!」」」

 

「また明日迎えに来るから。身体が痛いとか、何かあったらすぐに言うんだよ?」

 

「あ、はい。わかりました。」

 

そう言われてみれば、海に飲まれたにも関わらず、怪我をしたり痛んだりしていないのは不可解だ。でも、実際にどうともなっていない。むしろ調子がいいぐらいだ。

 

「多分、大丈夫です。むしろ調子が良いというか…」

 

「…それもまたどうなんだろうね。まあ、調子が悪いとか重傷だとかよりはよっぽど良いけどさ。何かあれば3人に言えよ?じゃあ、お休み。」

「はい、お休みなさい。」

 

 アルクさんが立ち去った後、3人は甲斐甲斐しく世話をしてくれた。

 多分同じ年ぐらいのユン、少しだけお兄さんのフォー、そして最年長のジャン。3人は兄弟らしい。

 話もそこそこに用意されたベッドに倒れ込んだ。思えば船ではいつも雑魚寝だったから、ベッドで寝るのも久しぶりだ。身体の調子は良くても精神的疲労はまた別問題だったようで、すぐに眠りに就いてしまった。

 

 気配を感じて目を開ける。もう朝になったようだった。他の3人はまだ寝ているようで、鼾や寝息が聞こえてきた。気配は外から感じる。

 コンコン、と扉をノックする音が聞こえて、アルクさんが入ってきた。今日の彼も格好良く決めていた。

 

「起きている…ね。結構早起きなんだね。」

 

「何か、気配を感じて。」

 

「おっと、それは悪かった…て、随分と敏感なんだね。そんな音を立ててたかなぁ…?」

 

「いつもはそんなことないんですけど…」

 

「昨日の今日だから、神経過敏になっているのかもね。時間が解決してくれるさ。」

 

気遣わし気にこちらを見て、最後に両手をパン!と叩いた。

 

「よし!じゃあ悪いけど、首都まで一緒に付いてきて。」

 

「はい、わかりました。」

 

 用意されたシンプルながら生地のよさそうなシャツに着替え宿舎を後にすると、屋敷前に止めてあった馬車まで歩いていく。

 御者台にはアルフォードさん…じゃなくて、ウォールズさんが待っていた。

 

「おはようございます、ウォールズ様」

 

「おはようございます。ウォールズでよろしいですよ。難しいようならせめてさん付けでお願いします。」

 

「は、はい。わかりました。ウォールズ、さん。」

 

 ウォールズさんはアルフォードさんと違って少し厳しい雰囲気が漂う。後で聞いた話だが、やっぱり二人は双子らしい。そんなやり取りの後、馬車に乗り込んで首都へと向かった。

 

 2時間程馬車を走らせると、巨大な壁が目の前にそびえ立っていた。そこが目的地である独立都市国家リルト。この大陸の大部分を支配するルブラン王国の属国。

 門兵の検閲を終えて街中に入ると、そこはまるで別世界のように華やいでいた。どこをみても人、人、人。

 街は区画が目的毎に分かれていて、第一区画は住宅地、第二区画はギルド集合地帯といった風だ。住宅街などは1区画だけじゃなく、他にも何区画かあるようだ。

 ウォールズさんを先頭にギルドまでを歩く。

 

「なんかすごい、ですね。人に酔いそう…」

 

「賑やかだろう?大きな市場もあるし、ここは何でも揃うよ。」

 

「私はあまりこの人混みが好きではありませんね。」

 

 街を入ってすぐにあるのが市場で、様々な露店等が客の呼び込みをしている。陳列された商品を眺めながら、女性や子供が恋人や親に物を強請(ねだ)っている姿が見られる。

 市場通りを抜けるとまた違った賑やかさがあった。巨漢のドワーフやら鎧に身を包んだ戦士っぽい人など、鍛冶職人や傭兵などが行き交うギルド区画だ。

 

 さらに真っ直ぐに突き進むと、突き当たりに城が見えてきた。城の周りは大きな溝で囲まれていて、中央にある跳ね橋だけが城へのアクセスポイントとなっている。

 その城の横に、白い壁と煉瓦造りの屋根の建物があり、"国家治安維持窓口"という表札が門扉に嵌めてある。

 

「ここですね。」

 

 ウォールズさんの一声で皆が足を止める。

 さっそく扉を開けて入ると、奥側にカウンターが端から端まで一列に並んでいて、いくつかは列を作っている。そのうちの一つへと向かう。

 

「もし、国家治安維持に関する事案について報告したいのですが、よろしいでしょうか?」

 

「あ、はい!少々お待ちください!」

 

 年若い、新人らしき係員だ。アタフタと引き出しの中を探している。やっと出てきたらしく、こちらへ1枚の紙と羽ペンをよこしてきた。

 

「こちらの記入用紙にお名前とご住所、事案と発見状況をご記入ください。終わりましたらこちらまでお持ちください。」

 

「了解致しました。」

 

 ウォールズさんは丁寧に一礼した後、カウンター前に用意されている机に向かっていった。その間ウォールズさんの傍で立っていたが、たまに通る人が僕に無遠慮な視線をよこし、落ち着かない気持ちになった。

 

「えっと、ここって何をしているところなんですか?」

 

「うん、担当地区での治安維持活動と発生した事件の取り纏めさ。ルブラン王国だけで全地域を見るのは不可能だからさ。こうして属国に取り纏めさせて、自力で解決できるものはそうする。それ以外の、重要と判断されたものだけが国へと報告が行くようになってるんだ。」

 

 彼が用紙に記入を終えて用紙を提出し、しばらく待った後に職員に会議室へと案内された。しばらく待っていると、コンコンとノックの音がする。

 

「ウォールズさん、お待たせしました。」

「お久しぶりです、デカンダさん。」

 

 どうやら二人は知り合いらしい。デカンダさんと呼ばれた人は、絵に書いたようなおじさんだ。しかも、スマートじゃない方の。立派なのは髭だけで、すっかり後退した頭は油で照り、お腹は迫り出し、分厚そうな唇は変に歪んでいる。

 そんな彼が僕に一瞥をくれると、ウォールズさんに向き直って話を続ける。

 

「それで、こちらにはどのようなご用件で?」

 

「はい、実はデュノワ男爵の領地近くのビギン浜で船が難破した跡がありまして、恐らくは海賊に襲われたと思われます。」

 

「ほう、ビギン浜ですか。あそこの周辺海域は確か不可侵海域だったはず…」

 

デカンダさんの片眉がピクリと動いた。

 

「そうですよね。ですが、瓦礫の中に海賊らしきものと思われる旗もありましたので、間違いはないかと。」

 

「ふむ…。ご報告ありがとうございました。これは大規模な海賊狩りが発動しますな。」

 

 デカンダさんは舌なめずりをしながら嬉しそうに語った。その様子は海賊よりも悪人らしく見える。

 今回の件は間違いなくルブラン王国まで伝わる事案であり、掃討作戦の規模は計り知れないだろう。

 

「それで、やはり生存者はおりませんでしたかな?」

 

「いえ、彼が生存者です。シド、覚えていることを出来る限り話してください。」

 

 紹介された僕は一礼をして、デカンダさんに一部始終を伝えた。

 話終えた後のデカンダさんは、胡乱げな目で僕を見ていた。

 

「雷を纏った槍、ねぇ。」

 

「は、はい。」

 

「まぁ、わかりました。どのように報告するかは、私どもにお任せください。長い間ありがとうございました。」

 

 デカンダさんが席を立ったので、それにつられて僕らも立ち上がると、そこでデカンダさんがなにやらウォールズさんに耳打ちをし始めた。

 

「ところで、新しい奴隷はご入用ではないですか?」

 

「そうですね。今のところは特に。」

 

「私の副業の方もどうぞ贔屓にお願いしますよ。ご希望に添える自信はありますので。」

 

 公職にある人が奴隷商人との二足の草鞋を履いていることに驚いたが、デカンダさんならば納得できる気がした。

 

 アルクさんも頼まれた用事を済ませ、昼食を摂ってから帰ることになった。市場にある屋台を眺めていると、一軒の串肉屋が目に留まる。鉄串に刺された肉の塊が、火の上を回転しながら焼かれていて、いい匂いを漂わせている。

 

「お店に入るのも面倒ですし、あの屋台にしますか。」

「うん、そうしましょう!」

 

 3人分の串肉を購入し、中央にある公園のベンチで食べ始めた。

 

「シド、これからどうする?」

 

報告も終わった今、僕はこれからについて決めないといけない。

 

「どうしましょう…」

 

「もし良かったらだけど、うちに来ないか?」

 

「そうですね、それがいいと思います。」

 

「え、いいんですか!?」

 

「多分、ロベール様はそのつもりだと思いますよ。」

 

 誰も知らない街で心細い思いをするよりは、その方が断然によく思えた。それに、助けてもらった恩返しもしていない。僕は勢い良く頷いた。

 

「ぜひ、お願いします!!」

 

 リルトを離れ屋敷前まで戻ると早速、男爵様に相談をし、二つ返事でOKの返事を貰った。

 宿舎に戻ろうと歩き始めると、一際立派な馬車が向こうからやってきて、屋敷前に停車した。中から降りてきたのは僕と同じくらいの背丈の女の子と目が合う。ストレートの艶やかなワインレッドの髪は素直に肩まで伸びていて、纏っている上品な白いドレスと同じくらい白い肌だ。身体の発育は良く、少女とは思えないほどの胸の谷間がドレスから覗いている。

 

 彼女はにこっと微笑みながら近付いて来て、僕に対して会釈した。気品のある仕草や物腰から、彼女が貴き身分であることは分かる。慌てて腰を低くして屈み、視線を地面に向ける。

 

「そんなことなさらないで、顔を上げてくださいまし。初めまして、ですわよね。私はフランソワ・デュノワと申します。」

 

「こ、こちらに使用人として仕えることとなりました、シドと言います。フランソワお嬢様。」

 

「まあ、新しい家族が増えたのね!私のことはどうかフランと呼んで。」

 

「そ、それは憚られます…」

 

 上品に胸の前で手を合わせながら、嬉しそうな表情を浮かべる彼女は正に天使そのものだ。

 僕は冷や汗を掻きながらそう答えるしかなかった。

 

「あら、かわいいお顔だこと!」

「えっ」

「ふふっ、これからよろしくね!今日はこの辺で失礼するわ。お父様に会わないといけませんから。」

「は、はい。」

 

 僕の顔をまじまじと見つめていたお嬢様は、楽しげに屋敷に戻っていく。

 思わぬ遭遇にしばし放心した後、気を取り直して宿舎に戻った。

 部屋に戻ると、休憩中のユンとフォーが出迎えてくれた。ジャンは仕事中らしい。話をしながらしばらくすると2人とも仕事に出掛けて行き、部屋に一人となった。

 ベッドに潜り込み、目まぐるしく変わっていく状況を整理しながら、まどろんでいった。最後に、何とはなしに少女の顔が浮かんで、そのまま柔らかく心地いいシーツの中に意識がストンと埋もれていった。

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