遥か彼方のアラムガンド   作:小ノ寺祐佑

3 / 5
改定:2015/7/13
・巨人との戦闘で、アリクアムの描写変更
・イーリスの出現描写変更


第3話 ジャイアント・キリングのはじまり

「…ねぇ、なんか揺れてない?」

 

「…揺れてるね。」

 

 それは2人が中腹の草原地帯を抜けようとした時だった。

 最初は気付くかどうか程度の揺れだったものが、徐々に身体で振動を感じるまでに大きくなっていく。

 原っぱの中央、白い花が咲き乱れる辺りに突如亀裂が現れる。亀裂は地響きと共に増えていき、人の頭程もある指が出現し、続いて地上へと這い出てきたのは。

 一つ眼の巨人、キュクロプス。神の一柱として語られたことさえあるそれは、何百年前に既に絶滅したと言われ、伝承でしか知られていない。

 6メーテルを優に超える筋肉質な巨躯は、赤黒く分厚い皮膚で覆われている。

 その頭は体に対してあまりに小さくアンバランスで、何より特徴的なのはその目だ。巨大な眼(まなこ)が一つ、顔の大半を占めている。無機質さを感じる瞳は左へ右へと忙しなく動き、何かを探しているようだ。

 口からはギザギザの歯が覗き、一つ一つが鋭い刃のようだ。

 シドは目を見開いて驚愕するが、巨人は反対側を向いており、こちらには気付いていない。シドはそっとメリーを誘導しようと手を触れた。

 

「ひっ!」

 

 びくりと身体を震わせ、声を上げてしまったメリーに巨人は反応し、ゆっくりとこちらへ向き直った。捕食者が獲物を補足した瞬間だ。

 

「ガァアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 キュクロプスの放つ雄叫びが空気を震わせ、そのあまりの声量にメリーの体が硬直する。

 バインドハウル。魔力を持たない人間であれば、まず逃れることができない。とはいえ、動けないのは精神的な部分に因るところが大きい。

 

「メリー!!しっかりして!!」

 

「あ、シ、シド…」

 

 彼女の肩を掴んで揺すり、とにかく動くように促したシドは、同時に状況を整理していた。

 怪物に気付かれた今、メリーを連れて逃げ切ることは難しい。仕草から見てそれほど素早くはなさそうだが、巨躯からくる歩幅のアドバンテージは絶対的だ。誰かが囮にならなければならない。

 

「メリー、よく聞いて。僕があいつの相手をするから、その間に麓まで行って人を呼んできて。」

 

「そんな、無茶だよ!一緒に逃げよう?」

 

「…だめだ。それだと追いつかれて二人ともやられてしまう。それなら、僕が残った方がいい。」

 

 離れた距離にいた巨人がゆっくりと近付いてくる。その歩みは絶対的強者としての余裕で溢れている。あれの相手ができるのか。こうして手が震えている自分に。そう自嘲しながら、それでも守りたいものがあるとシドは意思を固くする。

 

「大丈夫、僕は魔法も持ってるんだから。絶対に死なない。だから早く行って!」

 

「っ!!!」

 

 有無を言わせないシドの声に決意の固さを感じ取り、涙目で走り去るメリーの後姿を見送った後、彼は巨人へと向き直る。

 怪物とシドの距離は5メーテルもない。静かに魔力を展開したシドの周りに燐光が現れ、その変化を巨人は警戒する。双方ともに足を止めて睨み合う形となった。この時間もシドにとってはいい時間稼ぎになる。

 静寂が場を支配し、聞こえるのは風の音だけ。

 持ちこたえられるのか、そもそも勝負になるのか。様々な疑念がシドの頭を過るが。

 

(…何を今さら。)

 

 今すべきことは、メリーが逃げ切れる時間を作ることなのだと、振り切った。

 笑う膝に活を入れ、シドはアリクアム(魔法剣)を展開する。銀光の刃が夕暮れの景色で映える。巨人を中心に弧を描くように周り隙を窺っていると、業を煮やした巨人が遂に動いた。その大きな両手がシドを目掛け降り下ろされ、地面を叩く。

 それほど速くはないものの、その迫力に圧されたシドの動きが数瞬遅れ、慌ててバックステップするも間に合わない。指の先が触れただけで相当な距離を吹っ飛ばされる。

 

「くっ、そ!!」

 

 何度も地面を転がって、ようやく地に足がつく。身体中が軋んで痛み、意識は朦朧とする。

 魔力を9割方残しているにも関わらず、掠っただけで深刻なダメージをシドは受けていた。元居た場所を見ると、衝撃を受けて地面に亀裂が入っている。

 思考が定まらない中、第二波がシドを襲う。

 

「ガァアアア!!」

 

 シドを掴もうとするように豪快に左手を外から内に振るう。身体の痛みを無視して跳躍、巨人の振るった手は虚空を掴む。

 

「ギアアアア!!」

 

「はぁっはぁっ!!」

 

 怪物は雄叫びを上げ、その猛攻は止まらない。左右の手を交互に振り抜くだけで途轍もないリーチと共に広範囲をカバーするその攻撃に、巨人にすれば小人同然の少年は回避に徹する外ない。

 なんとか距離を取ろうとしても巨人の1,2歩だけですぐ距離を詰められる。仕損じれば重傷を負うことが確実な状況で、シドは精神を削り取られていく。

 間断なく攻めていたキュクロプスが、両手を上空に掲げ叩きつけの動作を見せる。その動作を捉えた彼は、巨人の股を目掛けて走り抜け―その足首を切りつけた。

 

「っ!!」

 

 機動力を奪う目的で放った渾身の攻撃はしかし、失意に終わる。魔法剣が与えたダメージは薄皮1枚を切り裂いた程度であったからだ。

 

「ウグァアアアアア!!」

 

 それでも巨人の怒りを買うには十分であったらしく、その目はギラギラと敵意を漲らせていた。

 小人を警戒しながらもその目はどこか一点を捉え、地面に指を押し当てた(・・・・・)。地面が割れ出てきたのは、その巨躯に誂えたような岩の棍棒。まるで愛用している得物の感触を確かめるように何度か握り絞め、シドへと歩き出した。

 ふざけろと、シドは悪態を吐きたくなった。只でさえリーチ差があるというのに、さらにそれを広げようというのか。

 

(…ここじゃ、持たない!)

 

 魔力で身体能力が底上げされているとはいえ、絶え間なく動き続けなければならず、巨人よりも体力の消費が激しいシドにとっては、障害物のない草原では明らかに不利だ。

 目に入ったのは間伐の済んだ雑木林。林へと全力疾走するシドを逃すまいと、一つ眼はドスンと地面を震わせて追っていった。

 

             ☆☆☆

 

 その頃、同じく脇目も振らず走る女子が一人。

 淡い色の前髪はびっしりと汗を掻いた額に張り付いて、その顔は疲労の色が濃く出ている。それでも彼女は休みなく走り続ける。過ぎる後悔を振り払い、今自分に出来ることは麓に助けを呼びに行くことだと言い聞かせて。

 大分日も落ちており、道中には一人として人はいない。ピクニックに来ていた他の人達も既に下山しているのだろう。

 山を下るのは登山時よりも時間が掛からない。このまま速度を保てれば、半刻も掛からずに街へと到達できるはずだ。

 脇道からガサガサと草を掻き分けるような音がしたのは、そんな時だった。注意深く見れば、闇に紛れるようにいくつもの影が林の中でメリーを追っている。その眼は暗闇に潜む蝙蝠のように赤く光り、彼女を見据えていた。

 

(なんで、こんな時に!)

 

 そこまで迫っていることから、霊脈の魔除け効果は働いていないと思っていいだろう。

 彼女は懐を確かめて、ただでさえ白い顔をさらに白くさせる。そこに仕舞っておいたはずの臭袋がないのだ。

 ひ弱な少女にとっては生命線ともなるそれなしでは、魔獣を退ける術はない。今も襲ってこないのは、微かな残り香があるからか。

 メリーはさらに走る。馬車馬のように走る。只管(ひたすら)に走る。

 もう後少しで林道を抜け、街の入り口に着くはずだ。そこには強力な魔除けの聖炉灯があり、魔物も寄ってこれない。

 

「あっ!!」

 

 走り続けていたからだろう。

 足は鉛のように重く、思うように上がらない。終いには足と足が絡まってバランスを崩し、地面に転倒してしまう。それが合図だったかのように、無数の影が競ってメリーへと押し寄せる。

 それは狼のようでいて、しかし見慣れたそれではない。魔獣ヘルハウンド。その被毛は禍々しいほどどす黒く、鋼のような固さを持っており、走る度に金属音を鳴らす。

 まるで獲物を嘲笑うかのように口は大きく裂け、涎を垂らす姿は魔獣そのものだ。それらは怯える少女を囲み、まるで彼女が絶望するのを待つように、ゆっくりと近づいていく。

 

(…ああ、神様。どうかシドを。シドだけはお救いください。)

 

 最期を覚悟した少女は、ただ恋人の身を案じ、無事であるように願った。

 震える少女と、捕食の本能に駆られた獣達が、すぐ側まで迫った存在に気付くことはなかった。

 

             ☆☆☆

 

 ここは林の中。少年と巨人の戦いは未だに続いていた。

 障害物があれば動きが阻害されると踏んだシドの思惑は半分当たり、半分外れといったところであった。

 一つ眼の膂力の前では、立派に育った木々も薙ぎ倒せばいいだけの邪魔なオブジェクトでしかない。

 とはいえ完全に無視できるものではなく、木の葉が視界を遮って少年を視認するのを困難にしている。それゆえ注意力が少年と木々に割かれ、シドへの攻撃頻度が格段に減った。

 逆に、機動力で優れるシドは、巨人に対して積極的に攻めている。地の利を生かした作戦は一応の成果を上げているものの、シドは攻めあぐねていた。

 

(攻防の優劣は解消した。だけど…決定打がない!)

 

 逆に小さな傷を無視して、少年の攻撃の隙を突こうとしてきている巨人。

 シドも考えなしに行動していたわけではない。既に巨人の攻撃の癖、パターンは把握していると言っていい。だからこそ苦悶(くもん)していた。

 少年の被弾は死と直結するため、避け続けなければならないが、人間である以上、必ずミスは出てくる。時間が経てば体力も精神力も消費し、リスクも高まる。

 早めに決着を付けたいが、シドの剣では足に無数の掠り傷を付けられても、化け物の厚い皮を貫き通すことはできない。まさにジリ貧だ。

 

(何か突破口を見つけるしかない!)

 

 巨人の攻撃を掻い潜り接近し、くるぶしを中心に斬る、斬る、斬る。その足は多数の裂傷を負い、軽微とはいえ蓄積したダメージは無視できないものとなっている。

 それを意識してか、足への接近を警戒を強める巨人だが、素早く動くシドを捕らえることができないでいる。

 巨人がこん棒を左へ右へと振る、振る、振る。最後に振り上げる動作を見てとったシドは動作の隙を突くために突進した。

 再度足を斬りつけようと足元ばかりを警戒していたシドは、次の巨人の動きを予測することができなかった。

 巨体が大きく跳んで空へ舞い上がり、着地した。なんとか踏みつけられるのを回避したシドだったが、その衝撃によって生じた激しい揺れでバランスを崩す。

 

「グワッ」

 

「ぁっ」

 

 シドに巨手の裏拳が迫り―反応ができない彼をそのまま弾き飛ばした。パターン外の行動。思い込みと、注意の偏りで生んでしまった油断と失態。

 数10メーテルも吹き飛んでいったシドは動けずにいた。鼻や口、耳からも出血し血塗れの状態だ。耳鳴りがして視界も揺らぎ、正常な思考を奪う。気を抜けばすぐにでも気を失うだろう。

 段々と巨人が迫ってくる。その顔は心なしか薄ら笑いを浮かべているように見える。

 メリーは無事に下山できただろうか。十分に時間は稼げただろうか。途切れ行く意識の中、走馬灯のように過去の出来事が駆け巡る。

 

 故郷での楽しかった日々、悲しかった母の死、ミルティーク大陸に来てからのこと。

 そして、メリーとの出会い。

 体の中心が熱くなる。本当にここで終わっていいのかと、すべて手は尽くしたのかと、心臓の鼓動が問うてくる。

 弱い心をねじ伏せろ、己の身体を鼓舞しろ、向かってくる理不尽を跳ね返せ!

 どうせあきらめるなら――すべて出し切ってからでいい!

 

 片手をつきむくりと起き上がった少年を巨人の目は捉えたが、最早虫の息であるそれを警戒することはなかった。

 

(防御は捨てる。最低限動けるだけの力があればいい。すべてをこの剣に掛ける!!)

 

 利用できる生命力をすべて魔力に転化し、詠唱する。

 

「“アリクアム”ッ!」

 

 形成されたのは見慣れた曲剣だが、そのサイズは1メーテル半にまで大きくなっている。さらに今まで以上に眩いばかりの光を放ち、鈴の音のようにリンリンと奏でる。

 少年は両手でそれを支える。ほぼ全魔力を消費し創造された剣はそれ自身の重さが増し、片手では支えきれなくなっていた。

 刃先を地面に向け、引き摺るようにしながら一つ眼巨人へと駆けていく。地面からは火花が散っていた。巨人は少年の異様な様子を認め、渾身の一撃を放った。

 

「ガアアアア!!!!」

 

「ふっ!」

 

 叩きつけられた特大の棍棒は少年へと放たれたが、信じられないことに少年はその一撃を、振るう剣で弾いた。

 

「ギャッ!?!?!?!」

 

 思わぬ事態に一つしかない目を丸くする巨人は棍棒を取り落とし、反動で身体が反り返った。少年は止まることなく足元へと到達し、その剣を振るい――今度こそ、その肉を深く抉った。あまりの痛みに巨人は叫び声を上げながらバランスを崩し、そのまま後ろ向きに倒れる。

 少年は尚も止まらず、倒れる巨人の股へと移動し、その巨体を駆け上がっていく。引き摺る剣は巨人の身体を裂きながら、標的へと向かう。

 少年の動きは魔力の恩恵を受けない分、遅い。それなのに、巨人にとっては先程よりもうんと速く感じ、初めて恐怖した。

 苦し紛れに掲げられた巨人の手が少年の道を阻もうとするが、少年は空を錐揉み回転しながら舞い、斬りつけながらそれを跳び越え、着地。しかし次の瞬間。

 

「ゥガアアアアアアッ!!!」

 

「っ!!!」

 

 ここに来て放たれた弱々しいバインドハウルはしかし、少年の動きを封じるのに十分であった。ここで止まるわけには行かないと、シドは僅かに動く右手を何とか刃に当て、引き裂いた。

 

「う・ご…けっ!!動け…っ!!動けぇぇぇ!!!」

 

 出血する手の痛みを無理矢理押さえ込むように、叫びながら再び走り出し、ついに眼前へと迫る。突き出される剣。最早何もできない巨人は厚い瞼を閉じる。

 とは言え、所詮瞼だ。押し出すように突き出された剣はその眼へと吸い込まれていった。

 

「ギャアアゥア!!」

 

 暴れまわる巨人から離れまいと必死に掴まりながら、なおも剣を捻り込む。

 

「うあっっ!!」

 

 ついには振り払われ地面へと落ちるが、巨人に刺さった剣(アリクアム)は未だ消えず凛々と輝いている。抜こうとしても抜けないようだ。

 

「ウガッ…ウゴッ…」

 

 のた打ち回る巨人も次第に大人しくなり、ついにはぴくりとも動かなくなった。頭上の剣はいつの間にか消えていた。

 しばらくすると燃え尽きた後の煤(すす)のように、その巨躯はぱらぱらと空を舞って消えていった。

 ぼんやりとそれを眺めていたシドは、その中に淡く輝く何かを見つけた。やがてその造形をはっきりとさせて現れたのは、美しい女性だった。

 

「こんばんは。私はイーリス、かつて弓匠と呼ばれた弓師(ゆみし)。」

 

 女性はにっこりと微笑みながらシドへと歩み寄る。巫女の祭服を来て、艶のある黒髪を頭の上で左右に二つ、団子結びにしている。初雪のような白い肌は、触れれば溶けてしまうんではないかと思うほどだ。

 

「私を解放してくれてありがとう。よく頑張ったね。」

 

 やさしくその胸に抱かれて、女性らしい香りがシドを包んだ。

 どこかで聞いたような話だと思いながら、シドは話に集中することができないでいた。

 

「…今はお疲れのようね。必要なときに私の名を呼んでね。また後でお話ししましょう、シド。」

 

 すう、と女性は現れたときと同じように光の中に消えてい、後には静寂のみが残った。

 

「終わった…」

 

 傷だらけの少年は掴み取った辛勝にほっとしながら、立ち上がって麓への道を行こうとする。身体中が悲鳴を上げ、意識も定まらない。それでも彼女の元へと心が急く。

 ふと、意識の端に引っ掛かる感覚を覚える。木々の合間にある草むらに何かの気配を感じた。ひょいと姿を現したのは、数匹の黒い狼。キルハウンド(魔狼)は瞬く間にシドを中心に円を組み、取り囲む。

 魔力を使い果たして身を守る手段もなく、逃げ場もない状況で、シドはそれでもそれらを睨み付ける。

 

「ウォオオオオン‼」

 

 同朋の咆哮によって狼共は一斉に動き出し、一方的虐殺の火蓋が切られた。

 但し、その対象はシドではない。

 

「ギャウンッ!?」

 

 消魂(けたたま)しい回転音と共に幾つもの紫電の束が、不規則な軌道を描いて狼の群れに衝突した。拡散していく稲光に触れた獣は瞬く間にその身を焦がし、そのすべてが行動不能となった。

 

「大丈夫ですか、シド?」

「あぁ、シドっ、シド!!」

 

 下山したはずのメリーが胸に飛び込んできて、シドは呆気にとられる。しっかりと抱き付いて離れないメリーをあやすように、頭を優しく撫でる。

 次に傍へ近付いてきたのは、厚みのある本を手にしたアルフォードだった。本の表紙には幾何学模様が浮かび上がり、周囲を未だにじりじりと鳴りながら紫電が走る。アルフォードの"法術"だ。

 

「どうしてここに…?」

 

「用事も済んでちょうど良い時間だったので、街に寄ってみたのですよ。そしたらあの咆哮が聞こえまして。街では結構な騒ぎなんですよ?確認しようと中腹へ向かう途中に彼女と会ったので、案内してもらいました。」

 

 道中で粗方聞いたアルフォードだったが、とても信じられないでいた。しかし、この世とも思えぬ雄叫びや地鳴りはその話に真実味を持たせ、さらに尋常でない程の濃厚な瘴気が発生していることで確信する。

 

「道中もでしたが、ここは特に瘴気が濃いですね。」

 

 鼻がひん曲がりそうです、とアルフォードは呟く。

 

「そんなことはいいから!早く手当てしないとっ」

 

「そうですね。シド、肩に掴まりなさい。…出来れば道中話を聞かせてくださいね。」

 

「わ、分かりました…」

 

 アルフォードに担がれながら場を後にするシドは最後に振り返り、最後に見た幻影を探すが見つかることはなく、暗くなり始めた空に散りばめられた星だけが視界に広がった。

 

             ☆☆☆

 

 あれから2週間が経ち、騒ぎは終息しつつあった。

 あの日、僕は道中ですべてをアルフォードさんに話した後、気が抜けたのかすぐに意識を失ったらしい。それから翌日になってようやく目覚めた僕は、覆い被さるように居眠るメリーを見ることとなり、苦笑しながらも無事でいることにほっとした。

 あれからホルン山は定期メンテナンスという名目で封鎖され、アルフォードさんと地元の人達が原因の調査と魔物の排除、壊された景観の復旧に奔走していた。責任を感じた僕も、病み上がりということで特にメリーからは反対されたが、体調が良かったこともあり積極的に参加した。

 魔物が徘徊し出した原因は石塚から漏れた瘴気だった。弓周辺が最も高濃度の瘴気が漂っていたこと、弓が抜かれた時を境に魔物が発生していることから断定に至った。

 瘴気は時に動植物に取り憑き凶暴化させ、時に何も無いところから魔物を造り上げる(・・・・・)、らしい。

 キュクロプスの存在については街は否定的だったけど、荒れ放題の草原と倒された木々を見て、少なくとも大型の魔物が出現したことは認めざるを得なかった。

 既に石塚からは瘴気が漏れておらず、瘴気も薄まり魔物も出なくなったことから、今後も観光客への被害はないだろうということで、石塚付近の結界封鎖を条件にこの事件は内々に処理されることになった。

 その切っ掛けを作った僕に対する風当たりも、そもそもこうなると誰も予想できなかったことや、積極的に復旧作業に参加したことでそれほどきつくはなかった。

 

「これは一体、なんなんだろう。」

 

 僕は宿舎の部屋で、手の中にある巾着を眺めて呟いた。中には光沢のない黒っぽい鉱物が入っている。

 現場から回収したというアルフォードさんが戦利品として僕にくれたものだ。見たこともない鉱物らしく、今のところはただお守りのように持ち歩いているだけになっている。

 今は療養中で無理だけど、街に出ることがあれば鍛冶屋さんに聞いてみるのもいいかもしれない。

 

「シド、入っていい?」

 

 ドアをノックする音と共に、メリーの声がした。心なしか落ち込んでいるような声音だ。

 

「うん、いいよ。入っておいで。」

 

「失礼します。」

 

 ドアが開かれ、メリーが入ってくる。仕事終わりで来たらしくメイド服のままだ。

 たまにアルクやジャン達も仕事終わりに見舞いに来てくれることがあるが、彼女が見舞いに来てくれたのは僕が目を覚ました日以来だ。

 

「…体調はどう?」

 

「うん、大分いいよ。むしろ今までより良いくらい。」

 

 できるだけ明るく返事をする。

 実際、魔力が今までよりも湧き上がるのを感じ、その分だけ身体能力もあがっているのだ。そのことについては、後で会う予定のウォールズさんに聞いてみようと思っている。

 

「…私、何もできなくて、その…ごめんね。」

 

「何もしてないことないよ。アルフォードさんを呼んでくれたじゃないか。そうでなかったら、僕は確実に死んでたよ。」

 

 僕が指示したとはいえ、僕を置いていったことに自責の念に駆られているんだろう。そうではないのだと、伝えたい。

 

「僕には戦う力があった。僕にはメリーを守る力が。僕がそうしたかったんだ。アルフォードさんにも約束したからね。」

 

 そっと、メリーを抱き寄せて呟く。

 

「生きててよかった。守れてよかった。」

 

「うんっうんっ…!」

 

 自責の念はすぐには取り払えないだろう。恐らくそれには自分自身と向き合って、自分で答えを出すしかないのだ。啜り泣く彼女を僕は抱きしめることしかできなかった。

 

             ☆☆☆

 

 僕はメリーを帰し、ウォールズさんと話をするために多目的ホールへと向かった。今回の件についての報告と、健康状態の確認だ。

 

「入ります。」

 

「シドですね。どうぞお入りなさい。」

 

 中ではアルフォードさんとウォールズさんの2人が待ち構えていた。別々の業務に当たることが多いの2人のツーショットは何気に珍しいのだ。

 

「気分はどうですか?」

 

「全然大丈夫です。もう仕事にも戻れますよ。」

 

「そうですね。では明日から戻ってもらいましょうか。」

 

 アルフォードさんは緩やかな表情で頷き、ウォールズさんへ視線を向けた。

 

「…本題ですが、話はある程度アルから聞いているものの、あなたとも話したいと思いましてね。シドも何か聞きたいことがあるんではないですか?」

 

「はい、そうですね。では…」

 

 誰にも抜けなかった弓が抜けたことや巨人のこと、それを仕留めた際に見た幻のことを話した。ウォールズさんは瞼を閉じながら一つ一つを噛み締めるように聞き入っている。

 

「それと、あの時から魔力が増したような気がして…」

 

「…魔力というのは、その性質上とても増えにくいものです。増やす方法があるとすれば、それは一つ。人としての器そのものを成長させることしかありません。」

 

「人としての器…?」

 

 ひどく抽象的な概念だと思う。

 

「苦難に打ち勝った者がその器を昇華させることができるのだと言われています。私の経験上どうかと言われれば、そうであるように思えますね。」

 

 苦難に打ち勝った時。キュクロプスとの死闘がそれに当たるのだろうか。考え込む僕の肩を叩いて、微笑みながらウォールズさんは続ける。

 

「あなたは間違いなく、苦難を乗り越えたんですよ。恐らくはそれが魔力の増幅へと繋がっています。あなたの師として誇らしく思います。」

 

 身体と心がむず痒くなって、でもなんだか嬉しくて、うまく表情を作れなくなる。きっと僕、変な顔してるんだろうなぁ。アルフォードさんはニヤニヤしながらこっち見てるし…。

 

 

「えっとですねっ、魔法で新たに二つのことができるようになったんです!」

 

「ほう!それはなんですか?」

 

 話題を逸らすために次に話そうとしたことを切り出した。

 

「アリクアムなんですけど、威力調整ができるようになったんです!」

 

 最初にそれが出来ることが分かったのは、巨人との戦闘でだった。

 あの時は必死で、意識していなかったが、ホルン山での後片付け(魔獣駆除)でもしやと思い試行錯誤した結果、感覚的に出来るようになったのだ。

 剣自体のサイズも威力も段違いになり、身体強化がなくても剣だけの威力でごり押しできる。

 

「魔力分配まで出来るようになったんですね。まあ、感覚的にではあるんでしょうけど。」

 

 ウォールズさんはまるで眩しいものでも見るようにしてこちらを向いている。というか、かつてないほど喜んでいる。

 

「カタリストを使う場合、魔力を込める分だけその威力が上がるものがあります。もちろん限界値はありますがね。魔力調整が出来るようになるかどうかが、並の魔道師と高位のそれとの境目とも言えます。」

 

 段階飛ばしで自分が成長しているようで嬉しくなるが、そうか、僕は感覚的にやってるからまだ不完全なんだなと思い直す。何事も驕っちゃいけない。

 

「あともう一つはなんですか?」

 

「あ、はい!見ててくださいね?」

 

 2人とは少し距離を取り、集中して魔力を練り上げる。何をするのか察したのか、興味深そうに2人はこちらを観察している。魔力が高まったところで、呪文を紡ぐ。

 

「“イーリス”」

 

 左手に集中する魔力の光粉は半月を描き、瞬く間にそれは完成した。

 姿を現したのは僕の身長を遥かに越える大弓だ。その差から、大体2メーテル程はあるのではないかと思われる。

 弓は美しい反りを描いていて、全体的には艶のある黒色だ。握り以外の部分は黄白色の細い紐状の何かが独特の形状に巻かれており、白と黒のコントラストがより美しさを際立たせている。その材質は木のようだが、今までに触ったこともないような質感をしている。

 

「…変わった弓ですね。」

 

「本当に。」

 

 その弓はこの大陸で見られる弓の基準から大きく外れている。

 ここでの弓と言えば、機動性と取り扱いやすさを重視した短めのコンポジットボウが主流だ。主に小動物や小型魔物を森で狩ることが多く、携帯性と連射性能が重視されるからだ。

 大弓もあるにはあるが、これほどのサイズのものはなく、あまり需要がなく使用者も少ない。握りも中央より下、下から3分の1辺りに取り付けられていて、独特の取り回しが必要だろう。

 

「シドの右手が…」

 

「…光ってますね」

 

 二人の視線が注がれている右手には、不定形のオーラが波打つように纏われている。僕がその手に矢をイメージすると、魔力が集中し矢が形成された。

 …矢を作る毎に魔力を消費するんだろうか。だとしたら、矢一本辺りにそれなりの魔力が消費されるので、コスパが相当悪い気がする。

 

「シド、それで1本射ってみますか?」

 

「はい、やってみます!」

 

 この多目的ホールには屋内射的場が存在し、僕もウォールズさんに弓の指導を受けている。二人と共にそちらに移動し、準備を始める。

 今までと勝手が違うので、大弓の経験もあるウォールズさんに、大弓の特徴に合わせた射撃方法の指導を受けた。本当、この人は何でも出来るんじゃないだろうか。

 

「では始めますか。」

 

 そして迎えた本番。十分な距離を取り矢を番(つが)えて引き絞る。

 握には革が巻かれていて、その触り心地はよく、握ると手に吸い付くようだ。矢はオーラを纏って高い金属音を鳴らし、弓はきりきりとしなる。というより、時間経過と共に音が大きくなっていく。

 

「あ、これヤバイかもです!?」

「「え?」」

 

 弦を持つ手が限界に達して、矢が放たれた。矢はオーラの塊となり、超スピードで飛んでいく。矢は的を大きく外れ、100メーテル以上離れた射的場の壁を貫通し--瞬間、小爆発が起こった。

 

「…」

「…」

「…」

 

 壁だったものは瓦礫と化して、射的場の新たな出入り口を造った。

 

「おっと、私用事を思い出シマシタ。」

「私も早く執務に戻らなければ。シドは報告をオネガイシマス。」

「いやいやいや!?」

 

 このあと、破壊音を聞いて駆けつけたアルクにこってりと絞られた僕らは、臨時の大工として壁だけではなく全館の内装まで塗り直すはめになった。

 

―――――エピローグ

 

「いい匂いがする。最高の“ギフト”の匂いだ。ふぇっふぇっ。」

 

 グラスを片手に開いた窓から覗く外を眺め、男は誰に言うでもなくそう呟いた。

 男の自室であろう部屋は質の良さそうな調度品が揃い、男の趣味の良さが窺えるが、それに反して男の身なりはぱっとしない。全体が紺一色のローブを着込み、深く被るフードから覗く顔はシミとそばかすだらけで、元は悪くないであろう顔立ちを台無しにしている。

 しゃがれた声で、一度聞けば忘れないであろう独特の笑い声をあげながら、グラスに入ったウィスキーを煽る。

 

「相変わらず不愉快な声で鳴くのね。」

 

 男の独り言に言葉を返したのは、暗がりから縫うように現れた妙齢の女性。

 大胆なスリットの入ったスカートからは程良い肉付きの太股が覗き、引き締まった細いウェストラインとは対照的にその胸部からは豊満な双丘が迫り出している。その髪は美しい濡れ羽色で、肩の辺りで切り揃えられている。

 すれ違えば誰もが振り向いてしまうであろう風貌の彼女だが、つり目気味の瞳がきつい印象を与えるのか、声を掛けられることは少ない。最も彼女にとってはどんな男も有象無象であり、逆に好都合なのだが。

 

「おぉ、キャロライン。相変わらず美しいな。」

 

 男の嫌らしい目線が胸に、太股にと注がれ、纏わり付く。そんな視線に吐き気を感じながら、女は先を促した。

 

「あなたに褒められても何も嬉しくないわ。…戯言はやめて。それでハヴォック、“ギフト”を見つけたの?」

 

「これは手厳しい。ヒェッヒェッ。あぁ、まだまだ青い果実だが、熟れれば頬も落ちるほどになるだろうな。」

 

「…どんな子なの?」

 

 女は訝しげに見ながらも、興味をそそられた。いつも曖昧な表現しかしないハヴォックが、これほど断言するのだ。

 

「今は触れられない場所にいる。だがもうじき出てくるだろう。死ななければね。」

 

「何か仕掛けるのね?」

 

「いいや、くだらん者共が何か企てているだけさ。まあ見ていてもらえばわかる。」

 

 不愉快そうに鼻を鳴らすと、ハヴォックはキャロラインへと近付き、その腰に手を回した。

 

「もうすぐ私は永遠を手に入れる。その時は、私のものとなってくれるのかな?我が弟子よ。」

 

「そうね。考えといてあげるわ、教授殿(・・・)。」

 

 腰から臀部へと下りた手を払い除けながら、彼女は鷹揚にそう答えた。男は愉快そうに笑いながら手をひらひらとさせた。

 ハヴォックは再び外を眺め、変化のないマグワイアの街並みを俯瞰する。彼は“永遠”を手に入れるためこの都市に入り、ついに教授職にまで就いたが、結局欲していたものはなかった。肩書きに興味がない彼にとって、今やそれは彼を縛り付ける鎖でしかない。

 失意と諦めの中、つい先日、彼方に可能性に満ちた存在を感知した。あるいは彼なら、求めた“永遠”の材料になるかもしれない。

 

「あぁ、楽しみだなぁ。」

 

 愉悦を含んだその呟きは、正子を知らせる鐘の音に掻き消えた。

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