遥か彼方のアラムガンド   作:小ノ寺祐佑

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第4話 スタートライン

 消毒液の匂いが漂う一室で、傷だらけの少年が横たわっている。痛々しい傷を負った身体とは裏腹に、少年は安堵の表情を浮かべて静かに寝息を立てていた。

 その傍らでは今年で15歳になった少女が、先日晴れて恋人同士となった少年、シド=ホプキンスを物憂げに眺めていた。

 彼女の名はプルメリア=ニコライ、このデュノワ家で使用人見習いとして、正規の使用人である母に指導を受けながら働いている。

 二人はホルン山へ散策に出掛け、青天の霹靂の如く巨人と鉢合わせた。シドは辛くもこれを撃退したが、満身創痍の状態であった。

 せめて少しでも魔力が残っていれば自動回復機能が働くのだが、微塵も残っておらず、最終的に意識を失ったのだ。

 

 皆からメリーの愛称で親しまれる少女は、苦しくないようにシドの胸に頭を乗せると、彼の匂いに酔いながらうつらうつらとし始めた。

 

「は、はじめまして。」

 

 オドオドとした口調で自己紹介する彼の第一印象は、"純粋無垢(ウブ)"だ。メリーの露出の多い服を見て赤くなっていたが、その反応に嫌らしさは全くなく、まるで年下のように思えた。

 それからというもの、遠い大陸から来たという少年の身の上に興味を持ち、暇があれば声を掛けた。メリーはその元来の人懐っこさと愛嬌でシドとの仲を急速に縮めていった。

 性格は全く違えど、二人は中々に気があった。趣味趣向や笑いのツボ、感性がよく似ていて、共有できることが多かったからだろう。

 メリーにとって彼は特別な存在になりつつあったが、恋愛感情はなかった。彼女のシドに対する感情は、どちらかというと兄弟に向けるそれであった。

 人の心の機微に敏感な彼女は、シドが自身に向ける想いになんとなく感づいてはいたが、素知らぬ振りをした。メリーには思いを寄せる相手がいたからだ。

 アルク=レイ。若くして奴隷長となった彼は、武術でも学術でも才覚を見せ、おまけに顔もハンサムというほぼ(・・)非の打ち所がない人物だ。

 当然、女性達の間でも人気があり、女性との噂も幾度となくあったが、メリーは彼が雇われた3年前からめげずに思い続けて来た。

 メリーはシドにその事を打ち明けた。自身から興味を逸らす意味合いもあった。酷いことをしている自覚はあったが、彼との関係を壊したくはなかった。

 シドの胸のうちは苦しかったであろうに、それをおくびにも見せず親身に相談に乗ってくれた。罪悪感はありつつも、それに甘えてしまっている自分がいた。

 相談するためにシドと会う回数が増えていき、メリーの隣にシドがいることが多くなった。一時期交際しているのではという噂が出回った時が、人の噂も何とやらですぐに沈静化した。

 

 そんな気持ちに変化が訪れたのは、メリーの15歳の誕生日だった。

 季節は雪がまだひらひらと舞う1の月。多目的ホールで行われた誕生日会で、人気者の彼女はたくさんの祝福の言葉やプレゼントを貰い、ご満悦であった。

 口には出さなかったが、シドとアルクからのプレゼントにも期待していた。

 ところが、シドからのプレゼントはなく、“おめでとう”という言葉だけで、そそくさと退いていった。

 もちろん祝ってもらえるだけで有難いことだし、それ以上を求めるのは浅ましいかもしれない。ただ、14歳の誕生日でも手作りの木製ブレスレットをくれた彼のことだけに、違和感を覚えて、もやもやとした思いが渦巻いた。

 アルクは何か迷っていた様子だったが、“後から部屋に行って渡すね”と彼女の耳元で囁いた。何を想像したのか、途端に真っ赤になり、もやもやはどこかへ吹き飛んでいった。

 

 誕生日会も終わり、メリーが部屋で落ち着きなく待っていると、約束通りアルクが尋ねてきた。リルムは邪魔したら悪いからと何処かへと行っていて、つまりは部屋に2人きり。

 

「改めて、お誕生日おめでとう!」

 

 彼がその手に持っていたのは、白銀に輝くブレスレット。但し、その素材は銀ではない。

 洞窟の奥深くに咲くペンタゴン草。その草が冬にだけ咲かす五角形の花は、金属のように硬質で、光を浴びれば白く輝き、草が枯れないうちに摘めば枯れることがない。

 その見た目から人気の装飾素材ではあるものの、難点はそれが咲く場所だ。洞窟は多くの魔物が生息しており、魔物の中でヒエラキーが存在するが如く、手前は弱く奥に行けば行くほど強力になる。最奥にあるその花は当然入手難度が高まり、街で購入すればそれなりの額になる。

 使用人取締役という役職付きとはいえ、アルクが購入するには少々お高いのだ。感極まって目に涙を溜め、今にも泣きそうな彼女だったが、続くアルクの言葉がそれを制した。

 

「それからごめん!これは僕が用意したものじゃないんだ…。」

 

「え?ど、どういうこと…?」

 

 アルクはぽつぽつとそれを入手した経緯を話し始めた。

 発端はアルクが誕生日プレゼントを用意するのを忘れたことから始まった。そしてそれに気付いたのは昨日の事。その事実にメリーは肩を落としながら聞いていた。そう、彼にはこういうところがあるのだ。

 

「どうしようかと悩んでたんだけど、シドが声を掛けてくれたんだ。相談に乗ってもらったら、これをプレゼントしろって渡されて。さすがにそれはちょっとって断ったんだけど、自分は別にあるし、メリーを悲しませたくないからって押し切られてさ。」

 

 だが、シドからプレゼントが渡されることはなかった。他に用意なんてなかったのだ。だからと言って適当なものを用意ことも出来ずに、今日に至ったのだろう。良く見れば、デザインは違えど以前の木製ブレスレットとどこか似ている。

 

「シド、洞窟にそれを採りに行ったみたいだよ。魔力持ちではあるけど、それでもすごい勇気だよね。しかもそんな風に加工までしてさ…。本当は言うなって言われてたんだけど、さすがにこれはさ。だからごめん!僕のは後で必ず渡すからさ!ところでシドからは他に何貰ったんだ?」

 

 アルクの言葉は後半からフェードアウトしていった。

 見習いの使用人であるシドの給金は少なく、つまり彼が素材を得るためには洞窟へ潜るしかない。ここから程近い場所にあるプション洞窟は10階層まであり、その最下層に花は咲いている。

 階層は他の洞窟よりも浅く難易度も低いが、一階層当たりは他より広く、入り組んでいて迷いやすい。彼はそんな場所に危険を冒してまで入ったのだ、メリーの為に。

 こうまでされて、自分の為に身を引くような健気さまで見せられて、心が動かない女性はいるだろうか。いや、いないはずだ。少なくともメリーは大きく揺り動かされていた。

 頬は火照り、胸の鼓動が木霊する。メリーの中で、シドへの気持ちが芽生えた瞬間だった。

 

 それからというもの、目的と手段が入れ替わった。

 相談をするためにシドに会うのではなく、シドに会うために"相談"という名目を利用した。やがてその名目すら苦痛になって、話にも出さなくなった。

 

 そしてあの夜、メリーはシドに告白し、シドは彼女を受け入れた。

 

 肩を揺すられるのを感じて、メリーは目を開いた。いつの間にか、座ったまま眠ってしまったらしい。

上体を起こすと太陽の陽射しが差し込んで来ていた。ベッドでこちらを向いているシドが、心なしかほっとした表情をしていた。

 

「おはよう、メリー。」

 

「…シドっ!…うぅ…うわぁぁっ!」

 

 命に係わるようなことはないと聞いてはいた。でもいざこうして目の前で起きているシドを見て、込み上げてくるものを抑えることが出来ずに、シドの胸の中でメリーは泣いた。

 

 それからのメリーはぼんやりと浮かない顔をすることが多くなった。邸宅の清掃中も給仕中も、らしくもない失敗をして母から怒られる始末だ。

 シドはあれだけ怖い思いをしたにも関わらず、目を覚ましてからすぐにホルン山に魔獣討伐の手伝いに行ってしまった。メリーは当然猛反対したのだが、迷惑を掛けたからと言って聞かなかった。

 なぜ、立ち向かっていけるのか。メリーの知っているシドは、それほど勇敢ではなくむしろ臆病のはずだった。魔力を扱えるようになってからも変わることなく、謙虚で優しいままだった。

 ところが、アルフォードと共にホルン山に辿り着いた時、魔獣に取り囲まれたシドが向けた鋭い視線は、とても今までの彼からは想像できなかった。

 

 ホルン山も落ち着いた頃、療養中のシドに会いに行った。謝罪するつもりだったが、逆に優しく諭され、包まれるだけに終わった。

 シドは変わっていない、そう、本質的には変わっていないのだ。ただ、変わっていく部分もあるというだけ。人間は不変ではいられないのだ。

 

 いくらか気分も晴れたが、結局は何も変わっていない。

 フラッシュバックするのは巨人と遭遇したあの日。逃げることしか出来なかった自分。

 その場にいても間違いなく足手纏(あしでまと)いになっていたであろう自分。

 もしかしたら、そのままシドは怪物に殺されていたかもしれない。偶然アルフォードさんと遭遇しなければ、魔獣の餌食になっていたかもしれない。

 

――いやだ。そんなのはいやだ。

 今の非力なままの自分に納得がいかない。

 

「もし、私に力があったら…」

 

 一緒に戦えなくても、足手纏いにならないような、せめて自分自身を守れる力。

 それがあれば、傍にいられる。どんな運命も共にできる。

 そんな自分なら、納得できる。

 メリーは決意を固め、使用人の控室へと足を向けた。

 

         〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

「…難しいですね。」

 

 腕を前に組みながら、魔術を学びたいというメリーにそう断言したのはウォールズ=ティンバーだ。

 腕を組むときは大抵居心地が悪いときだ。今回もメリーの魔術を使えるようになりたいという要望に答えられないために申し訳なく思い、仕草に出てしまっている。

 

「それが短期間で、という話なら難しいでしょう。根気良く2,3年掛かってもいいのなら、可能かもしれませんが…メリーの場合、それでは駄目なのでしょう?」

 

「…うん。シドを守ってあげたい。彼は昔からすごく優しくて、でも今はそれだけじゃなく、すごく強くて。でも、私の知らない間に傷付いているかもしれない。今の私じゃ同じ場所に立っていられないって気付いたの。だから強くなって、彼の傍にいれるようになりたい。」

 

 ウォールズにはメリーの切実な思いが嫌と言うほど伝わっている。だからこそ、生半可な言葉は返せないのだ。

 運良く魔力が最短で発現したとしても、保有できる魔力量が少なければ使い物にならない。だからといって魔力量を増加させるのは一筋縄ではいかない。強くなれるという保証がないのだ。

 

「何も魔力だけが守る力ではないです。例えば、武術を始めるのはどうでしょうか。それならば、努力すれば短期間である程度は会得できますし。それと並行して魔術についても学べばよろしいかと…。」

 

 メリーの欲しい答えでないことは分かってはいても、ウォールズにはそう答えることしか出来なかった。

 

「…わかった。ちょっと考えてみるね?」

 

 そう言ってメリーは控え室を後にした。

 

 邸宅前の噴水の端に少女は座っていた。雲一つなく晴れ渡っている空とは対照的に、少女の心は陰鬱としており、噴水のころころと流れる水音と少女の溜息だけだがその場を支配していた。少女は俯きがちに所在無く足をぶらぶらとさせながら、どうしようかと考えていた。

 

「はぁ…」

 

 魔術の習得が難しいことは分かってはいた。メリーはこれでも一般教養では優秀な成績を収めている秀才だ。そんな彼女は魔術についての知識もあり、ウォードさんの言わんとすることも分かってはいる。

 魔術習得で年単位を掛けるのは論外だ。その間にシドにもしものことがあったらと思うと、不安でしょうがないのだ。ただ、非力な自分が武術を学んだところで大して強くはなれないだろう。

 

「プルメリアさん、ここでしたか。」

 

「ふふっ、わたしのことそう呼ぶのって、今じゃアルフォードさんぐらいだよ?」

 

「どうも愛称で呼ぶのは性に合わんのです。」

 

 頬をぽりぽりと掻いてメリーに近付いてきたのはアルフォード=ティンバー、ウォールズの双子の兄であり、お嬢様付きの執事だ。シドを魔獣から救ったのも彼である。

 

「…アルフォードさんの法術って、聖教のものだよね。」

 

「そうですね。興味がありますか?」

 

「う~ん、法術にだけはね。」

 

 その回答にアルフォードは思わず苦笑して返す。メリーの隣に腰掛けてアルフォードは切り出した。

 

「では、試しに習ってみますか?」

 

「えぇ、でも洗礼を受けなきゃいけないんでしょ?」

 

洗礼を受けることは即ち、教会側の人間、つまり聖職者になるということである。聖職者になればそれに伴う義務もあるはずだ。

 

「確かにそうですが、そう堅苦しく考えることはありません。義務を課せられることもありませんし、高位職に就かなければ、今の仕事と兼業も出来ます。」

 

「毎日教会に行かなくていい?宣教活動とかもない?面倒な作法とかもない?」

 

 メリーの心配事は一つだ。教会に帰属することによって、逆にシドの傍にいれる時間が減ること。

 メリーの心配を汲み取って先回りに答えたアルフォードに対して、無遠慮に質問していくメリー。2人の気心知れた仲であればこそ出来ることだ。

 

「教会には毎日行かなくていい、というか私も行っていません。作法も食事前のお祈りであるとか、本当に簡単なものですし、テーブルマナーも含んでいますから覚えて損はありませんよ。」

 

 聖教は他の宗教と比較して自由だとは聞いていたが、それは信仰者の場合の話だとメリーは思っていた。教会側の人間、つまり宣教する側は違うのだと。

 

「具体的に言うと、司祭になるまでは聖職者としての専門的な業務はなく、支援活動をすることがメインです。それも、強制ではありませんが、2つの意味で実践する意味はあります。一つはより高位の法術を使えるようになること、そしてもう一つは、単純に気分が清清しくなるからです。」

 

 ちなみに私は助祭ですよ、とアルフォードは付け加えた。聖職者でも段階があり、それによって職務の比重が重くなる。つまり、司祭未満の助祭であれば、あまり縛られることなくあの強力な法術が扱えるということだ。

 柔和な笑みを浮かべる牧師然としたアルフォードだが、熱心に布教活動をしている姿など誰も見たことがない。

 

「"支援活動"って具体的には何をするの?」

 

「特別なことをする必要はないのです。相談相手になったり、近所の子供の子守をしたり。単純に人の助けになることをすることだと思っていればよいです。」

 

「それだけで魔獣に対抗できるような法術が使えるようになるの?」

 

「はい。人助けをすることで徳を積み、それを教会で還元してもらいます。それによって誰でも(・・・)高位の法術を使えるようになれます。その効力は人に寄りますが。」

 

 誰でも、小さなことを積み重ねれば、それに見合った成果が手に入る。これにメリーが興味を抱かないわけがない。少年に並びたい一心で話に飛びついた。

 

「…話だけ聞いてみようかな。」

 

「それでは今度リルトにある聖教支部へ行ってみましょうか。」

 

「うん、よろしくね!」

 

 見えた一筋の光によって調子を取り戻し、メリーは力強く頷き返した。

 

         〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 

 リルトは中心街は朝にも関わらず活気に満ち溢れていた。道路を埋め尽くす人、人、人。その大部分は朝市へと流れて行き、仕入れたばかりの魚介類や山菜、鶏の生みたて卵などが並べられる市場は客でごった返している。

 一方、残りは大通りを道なりに進み、城が眼前に見える十字路を左へ曲がって見える教会堂へと集まる。この人並みの中にメリーとアルフォードさんの姿があった。

 

「これ、みんな信徒さん?」 

 

「はい。支部が出来たばかりですから、それほど多くはないですね。」

 

 そうは言っても50数名が集まっており、教会堂がそれほど大きくないことを考えると、中々の集まり具合だと言っていい。

 石造りの教会堂は横長に伸び、西に構える中央の塔の先端には尖塔が備え付けられている。両扉の正門は彫りの細かい彫刻が施されており、その芸術性は教会の持つ神秘性をさらに引き上げることに一役買っている。

 時間になると両扉が内から開かれ、信徒達は行儀良く列になって順番に入っていく。扉の前では法衣と見られる白いガウンを着用したシスター達が入場者にパンを配っていた。メリーたちもそれを受け取り、教会の中へと入った。

 教会の中は外側よりもさらに神秘的な雰囲気を漂わせていた。

 ステンドガラスによって調節された太陽の光が、木漏れ日のように教会内へと差し込まれる。

 左右対称に教会を支える柱が打ち立てられており、これまた左右対称に並べられたベンチが用意され、後ろのラックには聖書が備え付けられている。

 中央通路の先には祭壇があり、さらに奥の壁には美しい女性の石像が本を胸の中で包み込むように抱いて祈っていた。

 

「なんか、落ち着くね…」

 

「そうですね。心洗われる空間は人の心を浄化します。教会は心の洗濯をする場所でもあるんです。」

 

 信徒達が思い思いのベンチに腰掛けるのを見て、2人も適当に並んで座る。しばらく待っていると、法衣を来た司祭が祭壇に立ち説教をし始めた。

 刻々と時間が過ぎていく中、特に興味のないメリーは頭を揺らし、ついに浅い眠りに誘われた。肩を叩かれて起きた頃には説教が終わっており、信徒達は一礼をしに祭壇へと向かっていた。

 慌てて立ち上がったメリーはアルフォードに付き添われて一番最後に祭壇へと向かい、前にいた人の見様見真似(みようみまね)で一礼をし、パンを口にした。

 

「プルメリアさん、こちらの盃を見てください。」

 

 アルフォードに促されて祭壇に置かれていた小さな蓮の葉を模した硝子製の盃を覗き込むと、そこには小さな蛹が羽化する手前だった。頭から徐々に姿を現したそれは、まだ乾燥していない皺くちゃの青い羽をひらひらとはためかせていた。

 

「これ、なんていう蝶ですか?」

 

「あなたは盃の中に蝶が見えるのですね?」

 

「え、は、はい…」

 

 メリーが初めて見る種類の蝶のことを司祭に尋ねると、彼は驚きの表情で質問を質問で返した。その反応に少し身を引きながら戸惑った様子を見せるメリーの背後から、今度は女性のおっとりした声が響いた。

 

「あらぁ、もう蝶々さんが見えるのですねぇ。」

 

「ア、アンネローズ司教様!」

 

 司教と呼ばれた女性は、その舌足らずな話し方から想像した通りの眠たそうな目を、メリーへと向けながら微笑んでいた。

 女性らしい細い体つきと、泣きぼくろが印象的な整った顔立ち。女性らしい仕草も相俟って、何処か扇情的な雰囲気を醸し出している。

 いつの間にメリーの背後に立っていたのか、まったく気配を感じ取ることができなかったメリーは自然と警戒心を抱いた。

 

「あら、ごめんなさい。驚かせてしまいましたねぇ。私はアンネローズ、司教をしていまぁす。」

 

「…こんにちは、プルメリアです。」

 

 にっこりと微笑む彼女を中心に弛緩した空気が漂い始め、メリーは気が抜けてしまい、警戒心が吹き飛んでしまった。アンネローズは祭壇に近付いていくと、先程の盃を指で撫でた。

 

「これはですねぇ、見る人によって見えるものが変わるんですよぉ。何も見えなかったり、キラキラと輝く何かが見えたり…蝶々さんが見えたり、ね。」

 

「それって何か意味があるんですか?」

 

「その人の純度、というか…もっと分かり易いところで言うと、法術への適正が分かりますぅ。」

 

 ぴくりと、メリーの肩が揺れる。それは彼女が今もっとも欲しいかもしれないもの。無意識のうちにそれへの適正が判断されたのだ。

 

「それで、その…どうなんですか?」

 

「なかなか見所ありですねぇ」

 

 アンネローズのその言葉にメリーは、少なくとも最初の段階で躓くことはなさそうだと、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「アンネさん、お久しぶりです。」

 

「本当にねぇ!アルくん、なかなか来てくれないんだもの。」

 

「すみません、本職が忙しいもので。」

 

 メリーは2人を交互に見ながら繰り広げられる会話に目を見張る。メリーを筆頭に、どれだけ付き合いの長い間柄でも愛称で呼ぶことのないアルフォードが、恐らく上司にあたるであろうアンネローズをアンネさんと呼んだのだ。

 メリーが彼に目配せすると、苦笑で返した。

 

「私があなたに洗礼を授けてから、ほんの数回しか顔を出さないからぁ。それで、何か用件があって来たのよねぇ?」

 

「はい、実は彼女が洗礼を受けるかどうか迷っていまして…」

 

アルフォードはメリーの事情を掻い摘んで話し、アンネローズはそれに聞き入っていた。

 

「そ、そうです!彼女、聖蝶が見えるようです!」

 

「それはさっき聞いたわぁ。素質は十分みたいねぇ…」

 

 今まで放置気味だった司祭の横槍を受け流して、改めてメリーと向き合ったアンネローズは彼女の頬を両手で包み込んだ。その感触は優しく暖かく、最初は居心地悪そうにしていたメリーもなすがままになっていた。こうしていると、母が娘を愛でているようにも見える。

 ふいにその手が離された。

 

「それで、何が不安(・・)なのかしらぁ?」

 

 "不安"は今のメリーに一番しっくりくる言葉だった。彼女は宗教に対する漠然とした不安があるのだ。

 その不安は多岐に渡るが、一番は自身の今の生活が宗教によって過度に干渉されないかということだ。

 次に、信心のない自分が聖職者になってもいいのか、ということ。

 

「大体の話はアルから聞いたんだけど、メイドさんのお仕事と兼業したいのですよねぇ?」

 

 メリーがコクコクと頷く。

 

「兼業は許されているから大丈夫よ?最初は"人助け"が主な仕事だしぃ。」

 

「し、しかし司教様、そのような例はアルフォード氏以外におりません!彼女には教会で下働きをして貰った方がよいのでは?」

 

「あらぁ、じゃあ聖教は間口を広げておいて、後で騙ますようなことをする教団なの?」

 

「い、いえ!そのようなことは…ただ、その方が聖教への理解もより深まりますし、本人にとっても良いのではないかと…」

 

 またもやの横槍に対して放たれたアンネローズの諌めるような口調に、司祭の返答は尻窄(しりすぼ)みになった。

 とはいえ、彼のような考え方の方が聖職者の中では一般的である。聖職者となる大部分の人は敬虔な信者でもあるため、神を信仰することこそが生きる理念であり、聖職に専念することこそが喜びなのだ。

 

「あなたの言いたいこともわかるけどぉ…私だって、最初は信仰心なんてそんなになくて、彼女のことが好きで入っただけだしぃ。」

 

 そう言いながら彼女は祭壇にある石像を指差した。剣を持ち祈るその姿は凛として、まるで使命感を帯びているかのようだ。

 

「彼女はアリア、神より信託を受けて聖教の導き手となった人で、後に聖女様となった人よぉ。」

 

 聖人とは、教会に多大なる功績を残し、信徒の模範となる人のことだ。聖教では聖人は神より遣わされた存在として神格化され、崇拝の対象となっている。

 聖人と認定されるには教皇、枢機卿及び八大司教の過半数によって承認されなければならず、生半可なことではなれない。

 

「司教になると研究職も兼ねるんだけど、迷わず題材は彼女に決めたわぁ。ちなみに研究題目は『聖女様と恋』よぉ。」

 

「し、司教様!その論文は却下されたはずでは…」

 

 うっとりとした表情でアンネローズは語る。恋という世俗的なテーマに、本来それらから切り離されるべき聖女を絡めた問題作は、言うまでもなく却下されたであろう。

 

「そうだけど、私は諦めてないわよぉ。アリア様は最初から浮世離れした方みたいに語られるけど、その原動力は恋だったんだから!」

 

 舌を出しながら軽くウィンクをする彼女は、今までの大人っぽさは何処へやら、まるで少女のように振舞っている。

 聖女アリアは結構な有名人で、メリーも知っている。魔獣が蔓延(はびこ)った時代に、ただの村娘だった彼女は神託を受けて現在の法術を体系化し広めた。聖教が誇る、世界の救世主と謳われる人物である。

 想い人のために直向きに頑張っていたら、聖女になってました。そんなことを想像をすると、メリーは彼女にシンパシーを感じずにはいられない。

 

「こんな私でも司教になってるぐらいだしぃ。誰かを救いたい…守りたい気持ちがあるなら、教団に入る切っ掛けは何でもいんじゃない?」

 

 守りたい人がいる。人と関わるのが好きだから、救える力があれば、救いたいとも思う。アンネローズを見ていると、思ったほど戒律も厳しくなさそうだ。

 

「やってみようかな。」

 

「決まりね!あなた、すごい光るもの持っているから、直ぐに伸びるわよぉ。」

 

 余計なことを考えるのは止めて飛び込んでみることにしたメリーは、決意を新たにする。

 

「メリーでいいですよ!」

 

「じゃあ私もアンネでいいわぁ。敬語もなし!」

 

「うん、わかった。これからよろしくね、アンネ!」

 

「ふふ、よろしくねぇ。私もここの支部の立ち上げが上手くいくまでは、ここにいるから。さっそく洗礼、始めちゃおっかぁ。」

 

 そう言うとアンネローズは祭壇へとメリーを誘い、盃の縁をなぞって何かしらを囁いた。

 盃が一瞬輝いたかと思うと、その中は説明しづらい色合いの液体で満たされていた。敢えて表現するならば、その色は月の下で輝く夜の海だ。

 

「それを飲み干してねぇ。アドバイスとして、ちょっとでも躊躇しちゃうと飲めなくなっちゃうから、一気に飲んだ方がいいわよぉ。」

 

 勧められるまま盃を手に取ったメリーは、どうせ飲みきらなければいけないのであればと、一思いに盃を煽(あお)った。

 それは意外にも無味無臭だった。さらに不思議なのはその口当たりで、飲んだ瞬間にまるで瞬時に気化したかのように軽かったのだ。

 

「それは聖女アリアの血と言われているわぁ。本当かどうか私にも分からないのだけれどねぇ。」

 

 血と聞けば拒否反応を起こすことも考えて黙っていたようだ。ごめんねと謝罪するアンネローズに、気にしないでとメリーは返した。

 しばらくすると身体が芯から熱くなるのを感じたメリーは、まだ飲んだことはないが、お酒を飲むとこんな感じなんだろうかと思った。

 

「馴染んできたみたいねぇ。それじゃ、今後のことだけど、まずはアポリトスにあるミッションスクールに通ってもらうわぁ。」

 

「え!?いきなり言われても、その、お金ないんだけど…それに、今住んでいるところを離れたくないし…」

 

「大丈夫よ、私の推薦で免除してあげる!アポリトスの同盟国にある転移門(ポータル)で移動するから今の住み家からでも通えるはずだし、その通行料も免除するわぁ。ちょっと時間は融通して欲しいけど。」

 

 しどろもどろになるメリーが抱える不安を、一つずつ潰していくようにアンネローズは説明していく。

 

「…男爵様に聞いてみる。」

 

「国家間は関係良好だし、その人が聖教に対して偏見がなければ、何も問題ないはずよぉ。学校は6ヶ月のセメスター制だけど、成績次第では短縮できるから頑張ってねぇ!」

 

 こうしてメリーは男爵の快諾を受け、ミッションスクールへと通うことになるのだった。メリーはその期間、いろんな出会いや冒険を経験するのだが――それはまた、別のお話。

 

―――それから3月が経ち、じりじりと照りつける太陽が降り注ぐ頃。

 

 シドは聖アポリトスの正門前に立っていた。目的は勿論、ミッションスクールの終業式典に参加するため。仕事で忙しいメリーの母、リリー=ニコライの代理だ。

 正門を潜り聖堂街へと足を踏み入れると、さすが宗教国家というべき光景が広がっていた。

 統一感のある造りの家々には聖教の旗が掲げられ、道行く人は皆礼儀正しく挨拶をし、聖教の象徴である剣を象ったペンダントを首から垂らしている。

 シドは親切にも道中に立てられている案内板を頼りに、目的地である中央セントルース大聖堂へと到達した。

 仰ぎ見た大聖堂は、芸術品そのものだった。もしミニチュア模型でもあれば、土産にでも欲しいと思うほどだ。正門の左右に聳(そび)える双塔はそれぞれ意匠の異なる尖塔を備え、片方には鐘が付いている。

 壁全体には彫刻が彫られていて、何かの物語を描いているようだが、残念ながら聖教に詳しくないシドには分からなかった。

 中央扉から幾つかの部屋を抜けると、そこが式典会場だ。

 

「シドっ!こっちこっち!」

 

 黒を基調とした式服を着たメリーはシドを見つけ、手を大きく振りながら嬉しそうにはしゃいでいる。

 途端、シドを複数の鋭い視線が襲う。シドは特に目を遣って確認してはいないが、間違いなく男共の怨嗟の目だ、マチガイナイ。

 シドは学徒の身内のために用意された席に針の筵に座る思いで腰掛けた。

 半刻が過ぎて式典が始まると、厳かな雰囲気が場を支配し、シドへの視線も霧散した。ほっとしていると、祭壇前に豪奢な真っ白な祭服を着た老人が開式を告げた。

 

「――この度は53名以上の生徒を向かえ――皆一様に優秀であり――神に仕えることを願い――以上である。それでは、点火式へと移る。代表者は前へ!」

 

 スピーチが終わったところで、メリーを含む5名の学徒が井桁型に組まれた木の前に進む。優秀な成績を残した者が代表者へと選ばれるので、代表として点火式を行うことは学徒にとって最大の誉れなのだ。

 

「点火、始め!」

 

 その掛け声と共に代表者達は触媒となる本を手に詠唱を開始し、先陣を切ってメリーの法術が放たれた。

 唱えられたのは生活法術"ボンファイア"。焚き火を起こす程度の火を出力するはずの法術だが、メリーの放ったそれはその規模を超え、天高く舞う龍が如く苛烈な勢いを見せた。

 他の代表者も後へ続くが、そのどれもがメリーに及ばず、常識内に収まった。メリーは少々罰の悪そうな表情で下がっていった。

 

「…お見事です。この火は貴方達の意思となり、天に在らせられる神の元へと届くでしょう。これよりしばしの休息が与えられますが、各々は切磋琢磨しまたこの学び舎へ戻ってきてください。そして幾人かの修了過程を終えたものは、ここに戻ってくることはありませんが、どうか学んだことを忘れず、良い聖職者として信徒を導いてあげてください。」

 

 ミッションスクールはセメスター制だが、所謂飛び級をすれば終業式が実質卒業式になるのだ。メリーはまさにその例だった。

 

 その後、賛美歌を合唱して式典は幕を閉じた。堅苦しい式の閉幕から解放された学徒達は、別会場にて用意されたささやかな祝いの席へと雪崩れ込み、一様に弛緩しきった表情で用意された食事に舌鼓を打つ。

 

「メリー、卒業おめでとう!…突然だが、僕は君を一目見たときから恋に落ちていた。どうか僕と付き合ってくれないか?」

 

「おい、抜け駆けは禁止って言ったところだろうが!メリー、俺は君を一生幸せにする自信がある。結婚前提でお付き合いしたい!」

 

「お、おいどんも!」「おらも!」

 

 式典の名残で高揚した気持ちに任せて、ここぞとばかりにアプローチする男達。それに対して、メリーの答えは決まっていた。

 

「みんな、ごめんね!私、もう付き合ってる人がいるの。だからその気持ちには答えられませんっ!」

 

「「「「「がーんっ」」」」」

 

 総勢40名の男達の内39名がこの日、傷心の身となった。それは残り20余名の目撃者によって語り継がれ、メリーは別の意味で伝説を残すのであった。

 

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 大聖堂前、風が出てきて夏の暑さも和らいだ頃、逢引をする男女が一組。

 

「シド、お待たせ!」

 

「もういいの?…なんか呼び止める声が聞こえるけど…」

 

「うんっ。ちょっとしつこくて困ってたんだよね~。」

 

 そう言いながら腕を組むメリー。夕方とはいえまだ人の往来がある中でそれは酷く目に付き、男女交際にも慎ましさを求める聖教の信徒達にとっては顔を顰める光景である。

 

「…ここではちょっとまずいかなぁ。」

 

「気にしなぁい、ふふっ」

 

 メリーの相変わらずのマイペースぶりに苦笑しつつ、2人して家路につく。家に帰れば卒業祝いのサプライズパーティーが用意されているが、メリーはそのことを知らない。

 

「点火式、かっこよかったよ。」

 

「う~ん、ちょっと悪目立ちしちゃったかな。」

 

「確かにインパクトは凄かったけど。」

 

「でも最後だし、パァってやってもいいよねっ。多分アンネ姉さんもそうすればいいって言うし。」

 

 そんな話をしながら、シドは気になっていたことを聞くことにした。

 

「メリー、これからどうするの?やっぱり聖職者になる気はないの?」

 

「うん、このまま男爵様のとこでメイドするよ?私の天職だもん!」

 

「そっか…本当にただ法術だけを習いに行ってたんだね。」

 

 それは以前に聞いていたものの、なぜ法術なのかがシドには分からなかった。メイドをするだけなら要らない素養だろうと思うからだ。

 

「メリーは護衛もできるメイドでも目指しているの?」

 

「ちょっと違うかな。もちろん皆のことは大切だし、守りたいと思うけど。一番守りたいのは、シド。」

 

 メリーは下からシドを上目遣いで見上げながら言った。

 

「前の私じゃ、出来なかったから。でもこれでやっと、シドと一緒に並べられる。そんな自信があるの。ただ守られるだけ、見てるだけじゃない。ここからまた、私達の新しい関係を始めるのっ!」

 

 満面の笑顔でそう宣言する彼女は、自信で満ち溢れていた。あまりに眩しすぎて、シドは目を細め頷くことしかできなかった。

 ポータルから出て、馬車で迎えに来ていたアルフォードさんと共に屋敷に向かう。この後彼女はどんな顔をするだろうか。

 夜の帳が下りた帰り道に、馬車を引く名馬の静かな足音だけが響いていた。

 




次回予告:異分子
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