屍山の慟哭   作:のんぽりおじさん

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1944年4月15日 13:55 ~北方鎮守府第二兵舎~

 北方鎮守府は、その立派な名称とは裏腹に、実状は地方の港町に毛が生えた程度の設備しかなかった。

 島の南東部にちょこんとあるこの小さな鎮守府は、正門をくぐるとまず右手に衛兵所があり、正面には営庭がある。営庭を囲むように右から施設要員兵舎、鎮守府本部、艦娘用兵舎が一棟ずつ建てられている。他にも倉庫や浴室、酒保や炊事所などの一般的な施設や、艦娘用の修理ドックや工廠などがある。しかし、南方作戦を担当している鎮守府と違い、工廠は兵器の修繕を行う程度のものしかなく、新規開発は出来ない。

 これら建造物のさらに向こうには海が広がっており、海岸には港湾施設がある。とは言っても、大型輸送船ならば一隻、小型輸送船ならば二隻がようやく入港できる程度の大きさしかない。しかも、荷揚げ用のクレーンが一基しかないため、この鎮守府への輸送は一度に一隻が限度であった。なおこの湾港部には、鎮守府本部とは別に、艦隊指揮を行うための艦隊司令部庁舎もあった。

 島の北西部には飛行場がある。厳密には、先述の通り物資輸送が困難なため未完成で、飛行場予定地と呼ぶのが正しい。完成はないだろうという見通しから、今のところは陸上演習場として使われている。

 立ち並ぶ建物は三階建ての本部を除き全て二階建て以下で、その多くは木造建築である。港湾施設、特に艦隊司令部庁舎はさすがに煉瓦や鉄筋コンクリートを用いているが、物資のない鎮守府でその割合は知れたものであった。

 施設のある地域を除けば、島には手つかずの北の孤島の自然が残されており、鎮守府というよりは田舎の学校といった趣すらあった。総兵員は千人に満たない。

 この小さくお粗末な鎮守府に配属された者の多くは軍に入ったことを後悔し、人事担当者を心底恨む。北方鎮守府に初めて着任した艦娘の一人が、不幸艦で名高い翔鶴であったことも合わせて考えればなおさらかもしれない。御多分に漏れず、駆逐艦『不知火』もその一人だった。

 

 不知火は駆逐艦という艦種ながら、戦艦顔負けの鋭い眼光から一部では“氷の女王”と言われている。優秀な彼女が北方鎮守府に配属となったのは、彼女のドスの効いた視線に上官が耐えられなくなって左遷されたからだ、との噂すらあるほどだ。武器を持った時の冷淡無情な振る舞いも、彼女の冷たい印象を強めている。不知火は、一種の諦観を以て自らへの評価を受け入れていた。

 そんな不知火も、流石に北方鎮守府に着任した当初は思うところがあったが、今ではこれまでにないほど満足している。現在の上官である葛木との馬が合ったからだ。不知火にとって葛木は、海軍に入って初めて出会った、尊敬に値する上官であった。

 そして不知火が葛木から受けた今日の命令は、休息だった。

 北方鎮守府において、唯一といってもいい戦力である艦娘の休息は一大重要事項であった。何せ寡兵に喘いでいるのだから、ただでさえ少ない戦力を遊ばせるわけにはいかない。だが、使いすり減らしてしまっては元も子もない。十分な休息を与えなければ、兵はいざという時に仕事が出来なくなってしまう。

 よって、北方鎮守府は戦力を三つに分け、西方と南方の哨戒に二つの艦隊を配置。残った一つは予備隊とし、二日ごとにローテーションすることにした。予備隊はさらに二つに分け、一つは緊急時に備え臨戦態勢で待機、もう一つは完全休養とし、一日おきに交代するという形を取った。

 これが良策なのか拙策なのかはまだわからない。北の海が冬を終えて落ち着きを取り戻したばかりであり、葛木が艦娘の消耗を恐れて消極的な艦隊運用をしているため、未だに本格的な戦闘状態には突入していないからだ。

 かくいうわけで、本日非番となった不知火は暇を持て余していた。通例として非番の艦娘は入渠ドックで修理を行っていたが、不知火は損害を全く受けていなかったため辞退した。そして休暇の返上と前線勤務を志願した。電探の件について知っていたからだ。だが葛木は首を縦に振らなかった。不知火の上官は「休むことも仕事だ。必要な時に万全でいるように」とだけ言って彼女を追い返した。やむなく兵舎に戻った不知火は、三段ベッドの一番下に横たわった。

 本来ならばここの兵舎は一部屋で三名が共同生活を送れるようになっているが、艦娘の数が絶対的に足りていないため、北方鎮守府においては艦娘に限り一人一部屋という破格の対応となった。共同生活が当たり前の軍隊において、今で言うプライバシーなどという概念は存在しないも同然なのだが、艦娘が女性であることから、葛木の配慮によって当面の間は一人一部屋の使用を許可された。しかしそれは同時に、当面の間は戦力増強がないことも意味していた。

 不知火は枕元にあった本を拾い上げパラパラとページをめくった。内容はあまり覚えていない。最後に読んだのが十日以上前では続きを読んでいるとは言えないだろう。

 本を放り投げて枕に顔を埋める。葛木からの命令は「休め」だった。一方で鎮守府は今、舵取りを間違えれば全滅すらもあり得る危機的状況にある。不知火の内心は、時間を浪費するもどかしさと、僅かな嫉妬でかき乱されていた。顔を横に向け壁を見据える。眼前に浮かんだのは今朝の司令執務室での光景だ。葛木に休養の返上を申し出た時、葛木がそれを断った時、隣にいたのは秘書艦の伊8だった。思い返せば、着任時に初めて葛木と会った時もそうだった。記憶にある限り、あの二人はほとんど一緒に行動していた。

「司令、不知火ではご不満ですか……?」

 ぼそりと呟くと数秒間を置いてから再び枕に顔を埋めた。口から零れた言葉の意味を思い返して恥ずかしくなったのだ。髪の色と同じ桃色に頬を染め、足をバタバタさせる様は“氷の女王”とはかけ離れていた。

 鎮守府中にサイレンの音が鳴り響いたのはちょうどその時だった。不意を突かれた不知火は自分が寝ていた場所を忘れて飛び起き、勢いよく後頭部をぶつけた。倒れこむようにベッドから抜け出す。拵えたばかりのこぶをさすり、相部屋でなかったことに感謝しつつ起き上がると急ぎ部屋を駆けだした。階段を駆け下り、兵舎を飛び出す。向かうは湾港にある艦隊司令部の作戦室。作戦ブリーフィングはここで行われる。

 営庭を走り抜ける最中、幾人かの陸軍兵とすれ違った。確か先日来たばかりの高角砲兵だったかしら、もっと他に持ってくるべきものがあったでしょうに、などと横目で見ていたら思わぬ人物とぶつかった。予備隊として待機しているはずの軽巡洋艦『阿武隈』だった。

「あなた、こんなところで何をしているの?」

 阿武隈は転んで地面に座り込んでいたが、低い威圧感のある声を聞くとハッとして立ち上がった。誰に言われるでもなく、踵を打ち付けて背筋をピンと伸ばし、気ヲ着ケの姿勢を取っている。

「え、ええと、部屋に私物を取りに行っていたら、サ、サイレンが鳴りまして」

「敬語はいらないわ。そんなことよりも……」

 キッと阿武隈を睨み付ける。持ち場を離れる必要があるほどその私物は重要だったのか問い詰めようとしたが、涙目の阿武隈と、何度聞いても耳障りなサイレンの音で我に返る。

「港へ急ぎましょう。出撃準備を整えることが最優先です」

 二人の少女は並んで駆け出した。

 1900ポンドの炸薬弾の雨が鎮守府に降り注いだのは、不知火が作戦室の扉を開けたまさにその時だった。

 戦いの開幕を告げる音色は、声にならない悲鳴と、それを飲み込む爆発音と、建物と命が崩れていく音から成る、悪魔の歌声の如き三重奏だった。

 

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