1944年3月2日 19:30 ~北方鎮守府食堂~
噂によると、鎮守府は二種類に分けられるらしい。食事が楽しい鎮守府とそうでない鎮守府、この二つだそうだ。後者は特に「ブラック鎮守府」と呼ばれ、曰く大破しても進軍を強要されるらしい。曰く実力のない新人は配給品だけ剥がされて捨てられるらしい。曰くドックと戦場を往復し続けることになるらしい。
噂の出処は誰も知らない。しかし、艦娘と呼ばれる少女たちはみなどこかでこの噂を耳にしていた。そのため、新人の艦娘たちは期待よりも不安を抱えながら配属先の鎮守府に訪れる。
さて、その噂を信じるならば、ここは「ブラック鎮守府」ではないように思われる。
今は夕食時の夜七時半。食堂は十ほどの艦娘で賑わい、今日の戦果を自慢し合っている。ある者は戦艦に痛手を負わせたと、またある者は魚雷攻撃を華麗に躱したと、各々戦場に身を置きながらも現状を楽しんでいるように見える。
ところが、その中に一人だけ浮かない顔をしている女性がいた。航空母艦の艦娘『瑞鶴』である。
「初めての戦闘はどうだった、瑞鶴?」
お通夜のような顔をしている瑞鶴に声をかけたのは、白銀色の長い髪をなびかせた、淑やかな女性だった。彼女の姉妹艦に当たる正規空母の艦娘『翔鶴』だ。
「もう最悪よ!」
お盆に鯵の塩焼きと味噌汁、そしてまだうっすらと湯気の立ち上るご飯を乗せた翔鶴は瑞鶴の隣に座った。
「どのくらい酷かったかっていうと、もう二度と出撃したくないくらいね」
「あれは最初だけよ。それに、艦載機の発着艦だけだからまだ楽だったでしょ?」
「そういう問題じゃないの。延々と歯ごたえのない敵を叩くだけの作業が楽しいはずないでしょ」
「それで、疲れて食事も喉を通らないってわけかしら」
翔鶴の視線の先には、箸一つつけられていない、冷え切った夕食があった。瑞鶴は姉の視線に気づくと、ため息をついてから言った。
「……翔鶴姉、食べる?」
「結構よ。大盛りで頼んだから」
翔鶴はニッコリと笑いながら答え、ご飯がと盛られた茶碗を手に取った。
「だから、それは瑞鶴がちゃんと食べてね」
姉に促され嫌々ながら箸を取った時、小柄な女性が食堂に入ってきた。辺りを見回して瑞鶴の姿を認めると、手を振りながらおーいと大きな声を上げた。一身に注目を集めた女性は、そのままつかつかと瑞鶴の横まで歩いてきた。瑞鶴は箸を戻し、嫌そうな顔をしていることがばれないように伏せていた。
「瑞鶴よ、提督から連絡じゃぞ」
「なんでしょうか」
「食事が済み次第、司令執務室に出頭するようにとのことじゃ」
変わった口調の女性はそれだけ言うとさっさと食堂を出ていってしまった。
ざわざわとにわかに騒ぎ始める食堂。その中央で瑞鶴は大きなため息をついた。
「食事、食べ終わらなくても良いかな……」
「ダメよ、私も一緒に行ってあげるから、ね?」
苦笑いを浮かべながら、翔鶴は静かに食べ始めた。釣られて口にご飯を運んだ瑞鶴だったが、味がなく飲み込むだけで精一杯だった。横で美味しそうに食べる姉が、少しだけ羨ましかった。