英雄になるのを望むのは間違っているだろうか   作:シルヴィ

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泊まるための準備

 「森の出口とはまた違う光景ってのも、綺麗な物ね」

 「角度が違うからだろ。上から見下ろすのと、下から見上げるのは全然違う」

 とはいえ、そう景色だけを見ている訳にもいかない。大草原にはモンスターがいるし、相手が視認してきたら当然戦闘になる。矢面に立つのはシオンなので、ティオネはいいだろうが、汚れる方はたまったものじゃない。

 今まさにモンスターを倒し、返り血を浴びかけたシオンはそう思った。

 倒れたモンスターから投げナイフを回収し、ティオネに渡す。彼女はそれについた血を布で丁寧に拭くと、レッグホルスターに収納した。

 いつもより比較的小さなバックパックを背負い直しながら、彼女は言う。

 「モンスターがいるのに目を瞑れば、団長と良いデートができそう。いつか私と団長のふたりっきりで……」

 「いいんじゃないか。まぁフィンを誘うまでが大変そうだけど」

 フィンはティオネと2人だけになるような状況を避けている。理由はわからないし、フィンも言わないのでその心中を知るのは、3人くらいな物だろう。

 「それならそれで、あんたに協力してもらうだけよ。拒否は許さないからね」

 「別にいいけど、おれの力で何とかなるのかね。恋愛なんて知らないし」

 「だったらシオンも恋すればいいじゃない。そしたらきっとわかるわよ」

 ティオナの想いとか、そういったものが。

 「……興味無いな。恋愛してる時間的余裕も無い。そんなのしてるくらいなら、体を鍛えてる方がいいよ」

 「それはいくらなんでもストイックすぎ。もうちょっと精神的な余裕作りなさい」

 「十分余裕はあるよ。だから大丈夫」

 にべもない、とはこの事か。本人は本気で恋愛事に興味を向けていない。ティオネのように、人の恋愛事情なら別だろうが、シオン自身はする気がなかった。

 一応、先程の川での流水の時、ティオナとアイズに反応はしていたみたいだが……。

 ――アレはどっちかというと、性欲になるのかしらね。

 シオンも男だ。その上そろそろ男女を意識する年齢になる。だから、女の子の意外な姿にドキッとするのは何も不思議じゃない。

 チラとシオンを見やる。

 ――堅物……ううん、違う。もっと根本的な問題かな。

 多分シオンが『女』を意識したのは、あの2人だからだ。自分にとって本当にどうでもいい相手なら、彼はそんな反応を示さなかったはず。

 ティオネには、その意味がわからない。

 わかるのは、一つだけ。

 ――シオンのこの問題を何とかしない限り、あんたが報われる事はないわよ、ティオナ。

 恋するだけでも、愛するだけでもまだ足りない。寄り添うだけでもダメだ。それこそ引っぱたいて嫌われる覚悟を持たなければいけない程のレベル。

 本当に、妹が選んだのは茨の道だったらしかった。

 「シオン」

 「何だ?」

 「ティオナを泣かせたら、ぶん殴るだけじゃすませないから」

 「お、おう……?」

 今彼女が言えるのは、これだけだった。

 そんなやり取りを経て、2人は湖畔にたどり着いた。

 大木をかけ渡して作られた橋を渡り、湖畔に浮かぶ島へと足を踏み入れる。高く巨大な島の頂上付近を目指して歩きつつ、高所から18階層を見渡した。

 「何というか、大きな箱庭みたいな場所だよな、ここ」

 「そうね。非現実的な光景が目の前にあるからこそ、なおさらそう感じるわ」

 「それが『誰にとっての』物なのかは、わかんないけどね」

 「人間にとっての物じゃない事を祈るしかないわよ、そんなの」

 思ったことを口々に言い合い、2人は頂上付近に作られた『街』へと足を踏み入れる。

 木の柱と旗で作られたアーチ形の門には共通語(コイネー)で『ようこそ同業者、リヴィラの街へ!』なんて書かれていたが、フィンから実情を聞かされていたシオンとしては、どうにも乾いた笑みしか出てこない。

 この街は高さ二〇〇Mもある断崖の上にある。水晶と山肌の地形を利用して作られているため、明かりは無く、急な斜面には丸太で作られた階段が至るところにあった。

 住居、というよりは天幕や木の小屋、出店風の商店が多く立ち並び、岩に空いた天然の洞窟やら何やらを利用した宿屋が散見している。

 街、というよりは集落を思わせる乱雑さだが、青や白に輝く水晶、三六〇度どこを見渡しても見える18階層の景色が、その乱雑ささえ一つの味に仕上げていた。

 「へぇ、ダンジョンの中にある街っていうからどんな物なのかって思ってたけど……意外とまともなのね」

 「中身はまともとは言い難いが。開いてる店はどこもかしこも冒険者経営だ」

 「ふーん。あ、シオン、この門に書かれてる、三百二十九って何なの?」

 「ぶっ壊れて再建し直した回数。つまり、過去に三百二十八回ぶっ壊れてるな、この街」

 「はぁ!? 普通、街ってそんな簡単に作れる物じゃないわよね? どうやってるのよ」

 「店を見ればわかるだろ。どれもこれも作り直すのが簡単で、壊れても問題無い低費用(ローコスト)の物ばかりだ。要するに『壊されようが問題無い』をコンセプトに作られてるんだよ」

 「……ある意味冒険者らしいっちゃらしいわね」

 「その潔さは尊敬に値するよ、真似するつもりはないが」

 数字から目を離し、街へと踏み入れた瞬間だった。

 「――うん、いつだって願った事は叶わない物なんだね」

 「……?」

 

 

 

 

 

 トン、トン、と何かが跳び続ける音が、木の上から響く。

 それは狼だった。飛び乗っても問題のない枝を選び、だが一切の淀みなく移動する。微かな匂いでモンスターの接近を感知すると、影に隠れてやりすごした。

 「ったく、面倒くせぇ」

 別にやり合っても問題はないのだが、戦闘音や血の匂いに他のモンスターが引っ張られてしまえば泥沼になる可能性が高い。少なくともベート1人でそれをやろうと思うほど、彼は自惚れていなかった。

 そもそもベートは双剣以外の武装を置いてきている。鎧なんて付けてないし、普段靴底に仕込んでいる鉄も外してきた。そんな状態で自ら戦いを挑むつもりが無いのも大きな理由だ。

 「できれば、何事もなく終わらせたいもんだな」

 言いながらまたいくつかの木を飛び越え、そして彼の鼻が、良い匂いを嗅ぎとった。

 罠の可能性はあった。ダンジョンというのはとかく何が起こるかわからない。自分の中にある常識を粉々にしていくのがここでの当然。

 人を食べるために蜜を香らせるモンスター、如何にもいそうである。

 しかしそんな想像に怯えてもいられない。ベートは慎重に移動し、その要因へと近づいた。

 「……ほぉ。匂いの源はこれか?」

 目の前にある赤い漿果。触ると瑞々しいそれと、すぐ横にあった強烈な甘い香りを広がらせていた果実を取る。琥珀色の蜜を纏わせた、ふんわりした綿花のような柔らかさに、これが本当に食べられるのかと疑問に感じた。

 だが、まぁ、疑わしい物もなるべく取って来いとの仰せだ。判断するのはシオンだからと、ベートは名前すら知らぬそれをポイポイと持ってきた小さな鞄(ポーチ)に放り込んでいく。

 気づけばそれに入らぬ程の量を手にしていたベートは、少し取りすぎたか、と後悔した。そもそもダンジョン内部にある果実ができるサイクルがわからないので、どうとも言えないが。

 ――他人様の事なんて考えてる余裕はない、か。

 シオンの言う通り、今回の泊まりは本当に突発的な出来事だ。食料なんて物はもうほとんど残っていないし、寝具だって持っていない。そもそもこういった状況のノウハウなんて誰も習っていないので、必然的に全て手探りになる。

 つまり、物は多くて損はない、という事だ。

 そう自分を正当化しつつ、ベートはついでにまだ見ていない果実を探し始める。とはいえこの辺りにある物は大抵漁っていたので、単なる暇潰しのような物にすぎなかったのだが、

 「ん? こりゃなんだ?」

 ふと地面に目を落とすと、まるで水晶のような青い輝きを纏う、涙滴型の飴菓子があった。一見すると宝石のように見えるが、微かな匂いがそれを否定している。

 少し悩んだが、ベートはそれも鞄の中に入れた。何となく希少な気がしたので、他とは別のところにだ。

 念のためぐるりと周囲を見渡したが、落ちていたのは三つ程度。合計で四つ、これでは人数分揃わない。

 「……仕方ねぇ、もう一個探したら戻るか」

 無駄骨になる可能性はあったが、希少な物なら皆で食べたい――そう思ったかどうかは、ベートだけが知る事だ。

 

 

 

 

 

 「うーん、これは洗った後が困るなぁ」

 「干す場所が無い、よね」

 順調なシオン達とベートがいる一方で、ティオナとアイズの方は難航していた。理由はとても単純で、洗った布を乾かす場所が存在しないのだ。

 川辺に置けば砂利がくっついてしまうので、それはできない。

 「木の枝を利用するってできないかな?」

 「虫とか付いたら食い破られるかもしれないし……」

 「じゃあ、厚い布の上に敷いて干す?」

 「それもできそうだけど」

 アイズは近くにあった大きな岩に近づいて、それに触れる。日光を浴び続けたからか、熱を帯びたそれは中々いいかもしれない。

 「この上に薄い布を敷いて、干すのがいいかも。熱が伝われば速く干せるだろうし、薄布があれば小さな砂は避けられるから」

 問題点としては、岩の角に引っ掛って破れる事だが、それは注意していれば大丈夫だろう。

 「それじゃ私は汚れちゃった物を出しておくから、アイズは岩の上に布を敷いてきて。あ、できれば角が少ないのにお願い」

 「うん、わかった」

 シオンが背負っていた巨大なバックパックから、まず比較的綺麗な布を取り出してアイズに渡しておき、次に大量の汚れた布を取り出すティオナ。

 汗に土に埃に血にと、様々な要因で汚くなったそれは、結構な悪臭を放っていた。今更ながらこれの処理をシオンに任せていたのを後悔する。

 「……少しは家事、覚えたほうがいいかも」

 全部シオン任せなのは、ちょっと乙女のプライドが崩れ落ちるから。

 なんて思いつつ、ティオナは川辺にそれを置いて、一枚手に取った。それを川に浸し、

 「……あれ、これどうやって洗えばいいんだろう……?」

 石鹸だとかそういった類の物なんて、あるわけがない。となれば、彼女達にできるのは、一つだけだ。

 ゴシゴシゴシ、と手洗いで布と布を擦り合わせていく。うまくやらないと、固まりかけた血なんかは特に取れない。あまり力を入れ過ぎれば破れてしまうし、考え物だ。

 「ティオナ、これ破れてるけど、どうするの?」

 「んー、一応洗っておいて、後はシオンに任せよ。とりあえず言われた事をこなさないと」

 やはり、モンスターの攻撃を受けて少し破れたりしていた服もある。それ以上破れないように注意しながら洗うのは中々骨だったが、段々興が乗ってくると、楽しくなってきた。

 単純作業でもこなせば夢中になる。

 だがそれは、他に意識を向けるものがあれば即座に中断される程度の集中力しかなかった。

 横を見て、真剣な眼差しで洗濯しているアイズを見た。その横顔は同じ女の子であるティオナから見ても、とても綺麗で、憧れてしまう。

 ――シオンは……。

 彼女の事を、どう思っているのだろう。

 少なくとも、悪いように思っていないはずだ。悪いように思っているのなら、両腕が火傷してまで庇わないはずだから。

 ――彼は、アイズの事が、好き、なのかな。

 そう考えると、チクリと胸が痛んだ。

 一歩通行の片思いは、シオンにちょっとすら届いていない。ティオナが見ていた限り、シオンは自分が誰かと付き合おうとか、そんな事を考えていた様子は無かった。だけど、シオンだって人間で、無感動な無機物じゃない。

 いつか――自分の知らないところで、知らない『誰か』に恋するかも、そう考えると居ても立ってもいられなくなって、頑張って、でも意味を成さなくて。

 そうでなくとも、横にいる『妖精さん』にシオンが恋してしまったら……。

 ――あーあ……また堂々巡りしてる。

 諦めるなんて選択肢、最初から存在していないのに。

 こうして意味のない思考が頭の中に居座り続けるのは、これが『恋している』からなのか。

 そう例えば、今目の前にあるシオンが着ていた服を一度広げて、汗とかが滲んで強烈な臭いを発しているのを見、て――。

 「……? ――!?」

 ボフンッ、とティオナの顔が真っ赤に染まる。

 ――待って待ってちょっと待ってっ! 今私何考えたの? 流石にこれは変態だよ!?

 正直言って、ティオナはシオンの匂いが嫌いじゃない。

 でもだからって――本人じゃなくてその人が着ていた服に手を出すのは、ちょっとレベルが高すぎて自分で自分にドン引きした。

 慌ててそれを川の中に突っ込んで、ゴシゴシ洗い出す。

 「……ねぇ、ティオナ」

 「ひゃいっ!??」

 か細い声で呼ばれ、ティオナの声が裏返る。

 バクバクと跳ねる心臓を抑え、なるだけ冷静に問い返した。

 「な、な何? 聞きたいこととかあるの!?」

 ティオナに腹芸ができるわけがない。

 どこか引いているアイズは、指でティオナの目前にある物を示し、

 「そ、そうじゃなくて。その、力入れすぎだと、思ったんだけど……」

 「……あ」

 ……シオンの服は、ボロボロの布切れに成り果てていた。その惨状にティオナはガックリと肩を落として頭を垂れた。

 ――何やってんだろ、私。

 空回りしすぎだ。バカすぎるにも程がある。

 「ふ、ふふっ」

 そんなティオナを見て、アイズは口元に手を当てて笑ってしまう。少し堪えようとしたが、端から漏れ出る笑い声は耳に届いてくる。

 「わ、笑わないでよ! もう、恥ずかしいんだから」

 「ごめんなさい。でも、ティオナの顔が面白くって」

 コロコロと色が変わるティオナは本当に見ていて飽きない。

 素直、なんだと思う。限界まで溜め込んで爆発したアイズと違い、表に出している。天真爛漫な人なのだ。

 だから、見ていて楽しい。

 「もう……あんまりからかわないでよね」

 遂には赤い顔でむくれる彼女は、わかりやすく恥ずかしがりながら怒っている。邪気がないから裏を疑う必要がない。

 言い方は悪いが、友達として理想的なのは、彼女みたいな人なのかもしれない。

 若干人見知りのアイズとしては、ぐいぐい来てくれるティオナは、ちょっと苦手であるのと同時に、こんな自分をきちんと見て話してくれる、貴重な相手でもあった。

 が、そんなアレコレは次の一言で吹き飛んだ。

 「アイズって、シオンの事どう思ってるの?」

 「んなっ、っ!?」

 驚きすぎて咽せたアイズは、視線が微かに鋭くなるのを感じながらティオナを見た。

 もう一度言うが、ティオナに腹芸ができるわけがない。

 何とも無い様子を演じている――ように振舞っているせいで、逆に違和感になっている。顔はもう赤くなっているところが無いくらい紅潮してるし、目はキョロキョロと動いて忙しない。更に口元が引きつっていて、もう見ているこちらが恥ずかしくなってきた。

 先程感じた唐突な質問に対する感情が一度平坦になり、冷静になったアイズが答える。

 「そう、だなぁ。うん、やっぱり私にとってシオンは『兄』になるのかな」

 「兄って、血縁がある、わけじゃないよね?」

 「私もシオンも、両親が違うから。異母兄妹って訳でもないからね。完全に、他人だよ」

 だが、それでもアイズはシオンを『兄』として慕っている。

 落ち込んでいた時に、必死になって励ましてくれたこと。

 自分の睡眠時間すら削って、自分の力になろうとしたこと。

 八つ当たりした相手すら、命をかけて助けてくれたこと。

 尊敬しない、理由がない。だからアイズは、シオンに懐いている。たったそれだけの、言葉にすればほんの少しの理由だ。

 他にあるとすれば、兄がいたらこんな人なのかな、と思った事くらいか。

 「シオンがシオンでいる限り、私は彼を兄だと思い続ける。流石に自堕落になったら、兄だと思えないかもしれないけどね」

 働かずに自室で、それこそそこらの神のようなニートになってしまったら、ふん縛ってでも外に出すくらいはするだろうけど、それはそれとして。

 「シオンは、私が大好きな、お兄ちゃん」

 「……そっか」

 藪蛇だったかもしれない、とティオナは思った。

 アイズは確かに、シオンを兄だと慕っている。それに間違いはない。だがそれは、とても恐ろしい事でもあった。

 憧れは、ふとした切っ掛けで恋心になる。

 かつて自分で経験したからこそ、そう言い切れる。ティオナだって、最初は単なる憧れにすぎなかったのだから。

 何よりも、

 ――その顔は、反則だよ。

 キラキラとした目で、頬を紅潮させながら浮かべる微笑は。

 アイズに切なさを感じさせるくらいに、敗北感を与えてきた。

 

 

 

 

 

 「――何なのよこの街!? 何でっ、ただの干し肉がこんな値段してんのよ!?」

 「落ち着けって。怒鳴っても仕方ないだろう」

 「怒鳴らずにいられると思う? ただの食材が万を越えるって、どんなぼったくり!?」

 もちろん万を越えるような物はレアな肉だったりするが、他の食材だって洒落にならない値段になっている。

 「ていうかここにお金なんて持ってきてないんだけど!」

 「そこらへんのシステムはちゃんとあるよ。自分の名前と所属【ファミリア】のエンブレムを記入した証文を作ってな。ガメついが、逆に言えば金銭のやり取りは厳密なんだよ」

 「その努力を別のところに向けなさいよ……」

 呆れ果てているティオネは、処置無しとばかりに頭を振った。そんな彼女に、店を開く人相の悪い冒険者が嘲笑うかのように薄い笑みを浮かべる。

 その態度にティオネの額からピキピキと嫌な音が聞こえたが、ここで騒ぎを起こせば大問題になるとわかる程度の理性はあった。

 ザッとリヴィラの街を探索し終えた2人は、一度広場で休憩。持ってきた水を飲み、それからティオネが聞いた。

 「シオン、換金所があるみたいだけど、そこで金を手に入れてから食材を買うの?」

 「いや、そうするつもりはない」

 「じゃあなんでこんなに魔石を持ってきたのよ。意味ないじゃない」

 ここまで魔石の入ったバックパックを背負ってきたのはティオネだ。無駄な労力をさせられたのかとシオンを睨めば、

 「そうじゃない。まぁ、もう少しだけ付き合ってくれ」

 「……わかったわよ」

 それでも話を逸らされたティオネは、我慢した。

 シオンだから、信じるのだ。これが出会ったばかりの人間であったのなら、顔面をぶん殴るだけじゃすかなかったかもしれない。

 そうしてついて行った場所は、つい先程通ったところだ。

 「よお、買い物させてくれ」

 「ん? ……随分ちいせぇな。まぁいい、金か? それとも物か?」

 「物で。買う物は干し肉……そうだな、普通に豚で、六〇〇g分」

 「あいよ。で、そっちが出す物は?」

 言われ、ティオネに向き直る。彼女は唐突に始まったやりとりに目を白黒させていたが、何かあると思い、身構えた。

 「ティオネ、ちょっとバックパックを貸してくれ」

 「え、ええ。はい」

 「ありがと」

 素直に渡すと、シオンは店番の冒険者へ体を向けながら、いくつかの魔石を取り出した。それをカウンターに一つ、二つ、三つ、四つ……と、どんどん並べていく。

 それがある程度の量に達すると、シオンは相手の目を見た。

 「リヴィラの街の最高買取額と、この店の肉の料金だったら、これで十分なはずだ」

 「あぁ? 全然足りねぇよ。少なくともこの倍は――」

 「ここから東に十五分の店」

 「……何の話だ?」

 吹っかけようとした冒険者を、シオンは冷たい瞳で射抜いた。

 「ここより多少高いが、リヴィラの街で売られている干し肉の平均価格よりも、安いところがあった。他にも時間がかかっていいならこの店の次に安い場所も知ってる。――別にいいんだ、ここで買えないなら別のところに行くだけだし」

 そう、シオンが一度リヴィラの街を見回ったのは、開いている店の値段を知るためだ。

 もちろん、いかなシオンとて全てを覚えるなんてできるはずがない。だが必要な物だけを頭の中に纏めるだけなら、できる。その程度の技術は、リヴェリアから教わった。

 過程はさておき結果として、シオンはこの街の最安価格をあっさり把握していた。

 だからこその冷笑。

 『物を知らない子供』扱いした事の、反撃だった。

 「それで、これでいいの? 悪いの? さっさと決めてくれないか、こっちだって暇じゃないんだから」

 「……チッ、食えねぇガキだ。女みたいな形して、詐欺かよ」

 「外見は関係ないなぁ。フィンやリヴェリアから叩き込まれた結果だし」

 「【勇者】に【九魔姫】の教育の賜物って訳か、マジであの噂は本当なのかもな、【英雄】?」

 ニヤついた笑みを向かれたので、シオンもすっとぼけた表情で答えた。

 「さぁね。おれは平団員だから、その辺りは知らされてない。知りたいんだったらフィンに直接聞けば?」

 「生憎と、そんな無謀さは持ち合わせてなくてね。ほらよ、干し肉だ」

 渡された物を、一度開封し、中身を見て、更に重さまで確認してから、

 「……確かに。ありがたく受け取るよ」

 詐欺られていないかと疑う根性。

 ある意味器が小さい行動ではあるが、だからこそ、生き残れたのだろう。見た目やらを気にする人間が、ダンジョンで生き残れるわけがないのだから。

 「今回は負けだ、負け。また来い、楽しみにしてるぜ。今度こそぼったくってやる」

 「値段が安かったらまた来るよ! じゃなかったら来ないけどな」

 減らず口に挑発を返すと、凄まれた。

 それにけらけら笑いながらティオネのところへ行くと、彼女は呆れていた。それはもう、盛大に呆れていた。

 「……なるほど、こういう交渉か。脱帽したわよ」

 「外見で子供扱いされるってわかってたからな。それに、この街での物価の把握は、違う国へ行った時にも使える技術だぞ?」

 「それを使うのは商人くらいでしょうが!」

 シオンは、オラリオとリヴィラの街での買値、売値を同じ視点で見ていない。

 確かに食材やら魔石やらはオラリオで買ったり売ったりした方が安いし高い。だが逆に、リヴィラの街単体で見れば、今のやり取りが普通になるのだ。

 だから勿体無いと思わず安値だとわかれば買いに走るし、そうでないなら逃げる。売れる物で、しかしもう持ちきれないならさっさと売る。

 高い? 安い? どうでもいい、手に入るなら譲ってくれ、そうでないのなら交渉をさっさと終えて別のところに行かせろ。

 そんな態度が出ているからか、相手も応じてくれたのだろう。

 「オラリオの常識なんて気にしたところで、ここで意味があるわけじゃない。余計な思考は削ぎ落としたほうが楽だよ」

 「いや、誰も彼もがあんたみたいになれるわけないから……」

 そんな態度で必要な野菜やら砥石なんかを交換し、必要な物をさっさと回収。一応かなりぼったくられてはいるのだが、実は初めて来た人間はもっとぼったくられるのが普通である。

 それに比べれば、シオンは実に交渉上手だった。

 「……頭が痛いわ、この街の存在自体が、全部……」

 「あ、あはは……そこまで言うのか。そんなに嫌なのか?」

 「あの性根が気に食わないのもそうだけど、視線が一番うざったいのよ。私まだ子供よ? なのにあの粘りつくような目……何度抉りたいと思ったか」

 ここはガメつい冒険者が多い。要するに、ダメ人間が多いとも言える。幼いティオネに妙な目を向ける人間は、相当数いたらしい。

 何故か一部はシオンにも向けられていたが、多分、容姿のせいだろう。

 妙な悪寒は――気のせいだと、思いたい。

 「そもそもなんで私を誘ったのよ。ベートはともかく、珍しい組み合わせだし」

 ティオネとしては、シオンとアイズ、ベート、そして姉妹で組むのだと考えていた。それがこの状態なのだから、疑問に思っても仕方がない。

 ちなみにシオンの回答は、

 「アイズとティオナの仲がよくなる事を祈ったのが一つ」

 「……確かに、私やベートと違って、あの2人はどこか遠慮がちだったけど。それで? 他の理由は?」

 「冒険者の乱闘が起きて、それに巻き込まれても大丈夫なようにティオネを選んだ」

 「……は?」

 一瞬、ティオネは何を言われたのか、一言も理解できなかった。

 だがジワジワと脳裏にその言葉が染み込んでくると、シオンに対して懐疑的な想いが浮かんでくる。

 懐疑的で留まっている理由は……最早言う必要など無いだろう。

 「別に巻き込まれていいってわけじゃないぞ? 勘違いするなよ」

 「わかってるから大丈夫よ。で、詳しい説明」

 早口で述べると、シオンは少し悩んだ素振りを見せ、

 「ティオネは――()()()()事に、抵抗が無いだろう? さっきだって、剣を抜こうか悩んでたみたいだし」

 「――――――――――――」

 見抜かれていた。

 あまりにもうざったくて、本当に剣を振るってやろうかと考えていたのを。

 ティオネは、誰かを斬る事に抵抗感なぞ持ち合わせていない。

 やられなければ、やられる。

 フィンに助けられなければ、名前も知らない男に手を出されていただろう彼女は、それを身を持って知っていたから。

 「乱闘が起きれば、人を斬る事になる。それを躊躇せずに実行できるのは、ティオネしか知らなかった。それだけだよ」

 「……あっそ。にしても、その言葉を聞く限り、シオンは忌避してないのね」

 「まぁ、今更だし? 気にしたところでどうしようもないよ」

 「……?」

 そのセリフが妙に気になったが、ティオネは聞き返せなかった。

 何故なら、

 「ああ、ごめんティオネ。ちょっと寄らなきゃ行けない場所があったから、先に帰っててくれないか」

 「え? え、ええ、それは構わない、けど」

 どうしてなのかと聞いてみると、

 「忘れてた事があってね。それが終わったらそっち戻るから、気にしないでくれ」

 笑うシオンに、不自然さは見当たらない。

 多少の疑問を感じつつ、ティオネは戻る事にした。戻る、と言ったのなら、シオンは戻ってくるだろうし。

 そう考えている彼女の背を見送り、シオンはふぅと溜め息を吐いた。

 「ティオネが気づいてる様子は無い、か。つまり、狙いはおれだけなのか……?」

 もしティオネにも視線が向けられていたのなら、彼女はきっと気づいていたはず。

 「……さて」

 シオンは一度、リヴィラの街を見上げた。先程と変わらない、ただの街。

 なのにシオンの目には、どうしてか真っ黒な悪意が見え隠れしていた。

 「さっさと終わらせて、皆のところに戻りたいところだな」




うーん、色々追われていた物から開放されてゲームとか小説読んでたら、普通にこっち書くのを忘れてしまっていた。反省。

慌てていたせいで解説やら何やらが書けませんでしたが、この回は繋ぎですし諦めます。

どうしてもここがわからない、とかあったら感想下さい。お答えしますので……。

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