わたしの送辞が終わり。
次は卒業生による答辞。
もちろん出てくるのは葉山先輩。
『答辞』
きた。
『卒業生代表葉山隼人』
「はいっ!」
教頭の指揮にあわせ、力強く返事をする葉山先輩。
壇上に上がり、深々と一礼する。
やっぱり、仕草の一つひとつがかっこいい。
だけど、わたしにはそれだけ。
「答辞」
紙を広げて原稿を読み始める葉山先輩………。
かと思ったら、いきなり首を横に振り、紙を閉じた。
葉山先輩?
「やはりこんな有り体の文章のつながりだけじゃ、心から祝福してくれた彼女たちに失礼だと思うので」
そういうと先輩はマイクスタンドからマイクを取り外し、壇上の前の方に出てきた。
えっ!? マジ?!
それは会場にいる全員が思ったことらしく、またまた小さな騒音に包み込まれた。
「僕も今この瞬間に感じていることを話したいと思います」
あれ!?
これってやってしまった系なのかな。
けど、わたしもはるさん先輩の言葉に当てられてしまったからというかなんというか。
はっ!? まさかそれも計算済みでこうなることを予想してあんな挨拶をしたのだろうか。でも、あれは数少ないはるさん先輩の本音でもあったわけだし………。
本当に最後まで抜け目のない人ですね。怖いくらいですよ
「自慢にしか聞こえないと思うので、あまりこういうことは言いたくないのですが、僕は学年二位の成績でサッカー部のキャプテンと文武両道にこなし、尚且つクラス、或いは学年、或いは学校の人気者で学校カーストのトップに君臨する存在と認識している人も多いでしょう。僕もそう思われるのは嬉しいし、そう思われるように努力もしてきたつもりです。みんなに頼りにされる葉山隼人に満足し、それで高校生活楽しく終われたらと思っていた時期もありました。けど、それも彼という存在を知るまでは、の話です。そいつを『知った』のは二年の職場体験のグループを決める時。まあ、それまでに一度テニスの勝負をして負けてるんだけどね」
葉山先輩の言う彼というのは誰なんだろう。心当たりがないわけでもないけど。
「その時から認識するようにはなったけど、そいつがどういう人物なのかは知らなかった。取り敢えず、結衣が入ったという奉仕部に相談を持ちかけ、彼にも問題を話すことになりまして」
やっぱりせんぱいのことなんですね。
……てことは、そういうことなんだよね。
もう、ほんと何なんですかね、あの人は。
何気にスペックが高すぎますよ、せんぱい。
「その日から数日経ったある日、僕は現実というものを聞かされました。僕ら四人の男子は僕を挟んでの友達でしかなかった。そう、つまり彼らは友達の友達でしかなかったようです。僕もこれを聞かされた時は、そんなはずはないと思いました。だけど、実際に目にしてみると僕がいない時の彼らは、お互いに口をきかない仲で、正直言葉も出ませんでした。そして、彼はこの問題を解決する唯一の方法を持ち出してきました。今考えてみても、あいつは僕をぼっちにさせたかったというのが本音なんだろうな。まあ、そんなわけで僕の初めてのぼっち体験が実現しました。でも、普段見えている世界からでは見えていない世界もあるということを甚く体に刻まれた時でもあります。……そういえば夏休みの小学生の林間学校の時は今のとは真逆のやり方だったな。さっき、陽乃さんが言っていた小学生のいじめ問題なんだけど、仲良くさせるのではなく人間関係そのものを壊すというやり方でね」
何というかせんぱいらしい方法ですね。
普通じゃ、そんな方法思いつきませんよ。
「僕は反対したんだけど、だからと言ってあの子たちを仲直りさせる方法があるわけではなかったため、彼のやり方に従うしかなかった。よくもまあ、そんな方法を思いつくもんだと思いましたけどね。ただ、あれはもう二度とやりたくない役でもあります。自ら人間の醜い部分を見せるとかほんと勘弁してほしいよ、まったく。けど、彼はこうも言っていました。これは問題の解決ではなく解消でしかない、と。人間関係を壊すだけではいじめの本質的な解決にはならない。せいぜい猶予期間を設けるだけで、時間が経てば再びいじめが起きる可能性は十分にある、と。それでその子は救われるのかと思いましたけど、クリスマスイベントで再開したその子は、グループの輪に入り、笑うようにもなっていました」
あー、あの時の主役の子が。
だから、せんぱいのことを呼び捨てにしていたのか。
それにしては信頼されすぎているような………。
というかやっぱり年下好きなんじゃないですか、せんぱい。
「つくづく僕は彼が嫌いになりましたね。何も持たないはずの彼が誰かの心に深く影響を与えてしまうことに。だけど、そのやり方は自分が犠牲になることで成立しているということに。二年の文化祭の時だってそう。葉山隼人という存在を使ってまで自分を落とし、問題を解決した。修学旅行の時もああなることも分かっていただろうに、一番効率がいいからという理由であんな方法をとった」
まさか、修学旅行までもそんなことをしていたとは。
バカなんですかね、せんぱいは。少しは自分に向けられる周りの感情も考えてくださいよ。振り回されるこっちはモヤモヤ感が溜まっていくだけなんですから。
「マラソン大会の時も運動部の俺のすぐ後ろをついてきてまで二人きりになり、葉山隼人という人物を見透かされた」
そう言えば、あの時葉山先輩が負けられないライバルがいたとかなんとか言っていたような………。あの言葉の裏に隠れてたのって先輩のことなんですね。
って、なに壇上から降りてきてるんですか、葉山先輩。
さすがにそれはまずいですよ。自由すぎますって。
「三年になってからもそうだったな。何かを選ばなければならない時に限って、彼は俺の前を立ちふさがり、現実を突きつけてきた。そんな彼自身はいつも目の前の選択を結果が自分を傷つけるものであったとしても選んでいた。それは現状維持を好み、現状が変わってしまう選択を選べない葉山隼人にとっては、何も持たない彼より劣っていると感じてしまうには十分すぎるくらいだった。だから、何事においても彼にだけは負けたくないという思いがあった。こうしてみると俺は一年の頃より変わっってしまったと思う。俺だけじゃない。彼に関わった人たちなら多かれ少なかれ、自分の中の変化に気づいていることだろう。だから、やっぱり俺は彼が嫌いだ。…………さて、どうしようか、こんな答辞。なあ、比企谷」
足を止めたのは葉山先輩の自席のところ。つまりはせんぱいの席でもあるわけで……。
「……………俺に振るんじゃねぇよ。何、お前。こんな時でさえ俺との優位をつけたがってんの?」
無視するのかと思ったけど、ちゃんと反応するんですね。
あ、反応しようが反応しなかろうが目立つのは変わらないからか。
「いや、単純に君の話をしていたら終息付かなくなってしまったと思ってね。ならいっそ本人に終わらせてもらおうと考えただけさ」
葉山スマイルでせんぱいにマイクを向ける。
「普通にマイクこっちに向けんじゃねぇよ。嫌だよ、そんなの。お前が撒いた種なんだからお前がどうにかしろよ」
相変わらず、挙動ってますね。
せんぱいだから仕方ないですけど、キモいです。
「ハハッ。そう言うと思ったよ。君はいつだってそうだ。やらなくていいことはやろうとはしない。ずっと君は変わらない。なのに周りの人間を変えてしまう。全く、腹ただしいことこの上ないよ」
「言ってろ。俺にはそんなつもりもねぇし、人間本質的な部分じゃ変わらねぇだろ」
いつも思いますけど、この二人って皮肉を言い合うくらいには仲がいいんだろうか。
「うん、ならこうしよう。比企谷、奉仕部としての君に最後の依頼だ。この答辞を綺麗に終わらせてくれ」
そのくせ、お互いに嫌い合ってるとかよくわからない関係で。
「ハッ、とんだサプライズもあったもんじゃないな。が、まあ仕事じゃ仕方ないな」
仕事としてなら受けるんですね。
「ああ、それにあの送辞を聞いた後では、君も後輩に一言二言は言いたいことがあるんじゃないか?」
「んなの後からでも言えるだろ」
あれ? これってまさかわたしのため?
「それはどうかな。彼女を一番知ってる君なら分かるんじゃないか」
「ったく、いつもいつもおせっかいがすぎるんだよ、お前は」
なっ!?
なんなんですかなんなんですかほんとにもう。
こんな時までもう、もう。
「それを君には言われたくないね」
「ああ、それと。葉山、俺もお前のこと嫌いだわ」
「ああ、知ってる」
ヤバいですヤバいです。
超ヤバいです。
壇上に上がったせんぱいの姿を見たらまた涙腺が緩んじゃったじゃないですか。
「………青春とは嘘であり、悪である。青春を謳歌せし者たちは常に自己と周囲を欺く。自らを取り巻く環境のすべてを肯定的に捉える。何か致命的な失敗をしても、それすら青春の証とし、思い出の一ページに刻むのだ。……例をあげよう。彼らは万引きや集団暴走という犯罪行為に手を染めてはそれを『若気の至り』と呼ぶ。試験で赤点を取れば、学校は勉強をするためだけの場所ではないと言い出す。彼らは青春の二文字の前ならばどんな一般的な解釈も社会通念も捻じ曲げてみせる。彼らにかかれば嘘も秘密も、罪科も失敗さえも青春のスパイスでしかないのだ。そして彼らはその悪に、その失敗に特別性を見出だす。自分たちの失敗は遍く青春の一部分であるが、他者の失敗は青春でなくただの失敗にして敗北と断じるのだ。仮に失敗することが青春の証であるのなら、友達作りに失敗した人間もまた青春ど真ん中でなければおかしいではないか。しかし、彼らはそれを認めないだろう。なんのことはない。すべて彼らのご都合主義でしかない。なら、それは欺瞞だろう……………。だが、そんな彼らをことごとく叩き倒してきた真っ直ぐな少女がいた。彼女に感銘を受けた優しい少女もいた。その子の成長を見守ってきた友達もいた。彼女らのグループを守ろうと調律してきたイケメンもいた。その男の作るグループに満足していた少女もいた。その彼女に恋するお調子者もいた。そんなお調子者の男をこき使うあざとい後輩もいた。そして、そんな彼ら全員に全力で向き合っていた教師もいた。彼女の教え子の中には魔王がいて天使がいて厨二病がいてブラコンがいて。そいつらは全員、常に何かを手に入れようと全力だった。だけど、そのすべてを否定してきた俺には彼女らはあまりにも眩しくて、何度も逃げ出した。なのにいつの間にか挨拶を交わす程度の仲にはなっていた。結局、人の出会いなんてのは唐突で、轆轤回しの会長風に言えばシャープでサドンなノンプレディクダブルであるわけで。心はぼっちを望んでいても世界はそれを許さず、ぼっちから抜け出そうとしても世界はそれを許さない。俺はそのループした世界に一度陥り、部活は半壊した。その時、先生は言っていた。わからないなら、もっと考えろ。計算しかできないなら計算しつくせ。全部の答えを出して消去法で一つずつ潰せ。それでも計算できずに残った答え、それが人の気持ちというものだ、と。だが、その言葉のまま考え尽くしても残ったものは曖昧で、また一から計算するしかなかった。ただ、一つ違うのはその計算は俺以外の奴も一生に計算するというところだ。それで答えが出たのかといえば、その計算は今もなお続いている。だから、目指すものが絞れている奴らは俺たちより一歩も二歩も先に立っていることになるんだ。なら、そこに出てくる障害程度でへし折れるな。考えて計算しつくせ。それでもわからないなら、一から計算し直せ。お前らの先輩はその先でちゃんと待ってるはずだ。………まあ、俺は待たないけどな。平成◯度三月、卒業生代表葉山隼人並びに比企谷八幡」
もう、途中から涙が止まらない。
というか号泣に近いかも。
でも、あんなの聞かされたら泣いちゃいますよ。
しかも最後っ!
なんなんですか、待つ気はないから俺に並ぶように来れるもんなら追い付いて来いとか言ってわたしを堕とす気でしたか。一瞬ときめきましたがそもそも追いかけるだけでは足りないと思ってたくらいなのでむしろ追いかけてもいいとか言われた時点でもう堕ちてるのでだからそのあの……………涙が止まらなさすぎて引くついた体のせいで最後までうまく言い訳ができませんね。
結局、旅立ちの日にも仰げば尊しもずっと泣いていましたよ。
そりゃもう、歌詞を忘れるくらいには。
そして現在、わたしは独り屋上へと来ていた。
だって、あんな号泣した後に赤く腫れあがった顔でせんぱいの前に立てるわけないじゃん。
空を見上げれば雲のない青い空間。
下からは生徒たちの最後のひと時を分かち合う会合が行われている。
せんぱいたちも今頃はあの中の隅で誰かと話しているんだろうなー。
でも、そんなひと時も長くは続かなくて。
「………なんで来ちゃうんですか、せんぱい」
「そりゃお前。今日がまだお前が甘える後輩で居られる日なんだろ?」
背中越しでも分かるせんぱいのあざとい顔。
「なんでいつもわたしのことばかり気にかけるんですかっ」
自分の声とは思えない低い声。
わたしは何にイラついて何に怒ってるんだろう。
「………なんで、だろうな。お前は俺にできたたった一人の後輩だからなのか単に年下だからなのか。俺にもいま一分かんねぇけど、大切、なんだろうな。いつの間にか奉仕部の部室に入り浸るようになって、あの空間の一部になっていて。あいつら同様、お前も大切なんだよ。それが恋愛感情かと言われれば肯定も否定もできないがな。って、うおっ!」
わたしは無言でせんぱいの胸に抱きついていた。
なのにそんなわたしを驚きはしたものの、嫌がるそぶりも擦り払うこともせず、優しく頭を撫でてくれた。
それがきっかけで、わたしの中のせんぱいに対してのいろんなものが一気にこみ上げてきて。
わたしは人生で初めて男の人の胸の中で泣きじゃくった。
それからしばらくしてわたしはようやく落ち着きを取り戻した。
それと同時に頃合いを見計らったかのように、雪ノ下先輩と結衣先輩と小町ちゃんが顔を覗かせた。
「あーっ! ヒッキーがいろはちゃんを泣かせてるーっ。わーるいんだー」
子供っぽい反応を見せる結衣先輩に先輩がビクッとなり、挙動り始めた。
「いや、別に俺が泣かしたわけでは……ない、よな?」
まさかのわたしに同意を求めてくるせんぱい。
そんなキモカワイイ顔をされると、さっきの仕返しをしたくなってくるじゃないですか。だからこの三人の前で言ってやる。
「いや、ある意味せんぱいが原因ですね」
せんぱいに出会うまでに培ってきたかわいい私の猫なで声で否定した。
「ほーん。お兄ちゃんも中々隅に置けませんなー」
「ヒッキー、キモッ! マジさいてー」
「気持ち悪いから近づかないでくれるかしら、比企谷菌」
三者三様いつも通りの反応を示してくれた。
「おい、雪ノ下。それじゃ、小町も比企谷菌の持ち主になるんだが?」
「あら、確かにそうね。なら八幡菌に訂正するわ」
「なんかその菌、カスピ海のヨーグルトの菌並みには高そうだな」
「あなたの口からヨーグルトの菌が出てくるなんて」
「おい、その表現やめろ。俺の口から出てるみたいじゃねぇか。カスピ海に失礼だろ」
「相変わらずですね、せんぱいは」
未だ彼の胸の中にいるわたしはいつものようなやり取りをする彼らにニヒッと笑ってやった。
「……やっといつも通りの顔になったな」
そんなわたしを見て、ふっと笑うせんぱい。
結衣先輩たちもほっこり笑っている。
………こんな時でもわたしは彼らに心配をかけていたようだ、と気づかされた。
「そんじゃ、小町を頼んだぞ会長」
だから、自ら先輩の胸から離れ、くるっと一回転して。
「ふふ、任されました」
あざとく敬礼。
ありがとうございました、先輩方。
わたしは今日せんぱいにさらに恋して『最後の後輩』を卒業します。
でも、だからと言って負けるつもりもありませんよ。