和菓子屋おのでらの店内に、外で雨が地面に当たる音と冷房が効いている音だけが流れる。
ただ、バイトをしに来ただけなのに。
いや、どうして台風が接近しているこの時期にバイトを頼んだなどと小咲を責めるつもりは毛頭ない。
むしろ陸の方とて台風のことをすっかり忘れていたのだから、そんな権利はない。
しかし、それでも、この一言だけは心の中だけでも言わせてほしかった。
(どうしてこうなった!?)
台風が町を直撃。通り過ぎるのはいつになるだろうか…、少なくとも今晩中は強い風が吹き続けるだろう。
その間、陸は家に帰ることは出来ない。つまり、一晩この家にいなければならない。
つまり、お泊り━━━━
「いやいや、他の家の人は?ほら、お父さんとか」
「お父さんも今日、用事があって帰ってこれないの…。妹も、寮生活してるから…」
あ、小咲って妹いたんだ。
出かかったその言葉を陸は済んでの所で飲み込む。
今はそんなことを気にしている場合じゃない。
このままでは、一晩小咲と二人で一つ屋根の下で過ごすことになってしまう。
「やっぱり駄目だ。さすがに女の子一人の家に泊まったりは出来ないって。悪いけど傘借りるぞ。何とか帰るから」
「え、でも…」
陸は、渋る小咲から傘を借りてから扉を開けて外に出る。
瞬間、陸の目の前に広がるのは惨憺たる光景。
雨が痛みさえ感じるほど陸の顔へと叩きつけられ、さらに強う風が物々を吹き飛ばしている。
さらにどこかから何かが割れる音が聞こえてくる。
「うお!?瓦が降ってきやがった!!」
「気を付けろ!そこの坊主も外に出るんじゃねえ!!」
「「…」」
本当に、どうしてこうなったのだろう。
陸は結局、帰ることを断念せざるを得ず、店の中へと戻った。
これではもうお客も来れないため、まだ早いが陸と小咲は閉店の札をかけて片づけを始めていた。
しかし、本当にこれは小咲の家に泊まるしかないのだろうか。
他に、何か手はないのだろうか。陸は考えながら片づけを進める。
(小咲だって、男と二人は嫌だろうしな。何とかしたいけど…)
そんなことを思う陸の背後では、小咲が<和菓子屋おのでら>と書かれた暖簾を下ろしていた。
手慣れた手つきで片づけを続ける小咲は、特に何も思っていないようにも見えた。
(…困ったな。どうしてもニヤニヤしちゃう)
そんな訳でもなかったようだ。
小咲は頬に手を添えて、つり上がってしまうのを抑えようとする。
(だ、ダメ!こんなみっともない顔、陸君に見せられない!戻れ~、戻って私の顔~!)
両手で頬をぐにぐにと解して、小咲はよし、と陸の方へと振り返る。
「えっと、それでどうしようか。その…夕食とか…」
「ん、そうだな…?ん?」
小咲が、これからどうするかを話し合うため陸に話しかける。
陸も片付けの手を止めて小咲の方へ振り返って、とりあえず案を出そうとして…、動きを止める。
「…どうした?ニヤニヤして、何か面白い事でもあったのか?」
「ふぇっ!?」
何と、完璧だと思っていた表情がまだにやけていたのか。
小咲は慌てて両手を頬に添えて確かめる…。うん、まだにやけていました。
「え、えっと…。その、昨日見たテレビが面白くて、その…、思い出し笑い…?」
「?…?」
(う、うわぁ~ん!ダメ!全然抑えきれないよ~!!)
苦しい言い訳をした小咲は、疑問符を浮かべて呆然としている陸を見て、遂に耐えきれず陸から目を逸らして後ろに振り返ってしまった。
その光景を見た陸は、さらに疑問符を浮かべる。
(…やっぱり、男を家に泊めるのは、女の子にはとても緊張するんだろうか)
それも、ある。それも、あるが…、小咲としてはまた違った理由があることに陸は気づかない。
「じゃ…じゃあ、いろいろ話し合って決めようか。まずは部屋に上がってもらって…」
「え」
少しして、落ち着いた小咲が振り返り、口を開いた。
そしてその口から出た言葉に、陸は呆けた声を漏らす。
小咲もまた、今先程、自分が何を言ったのかを思い出す。
(わ、私ったら何て大胆なことを~!!)
「部屋?え?いいのか?」
まさか、部屋に上げてもらえるなど思ってもいなかった陸。
だが、小咲もまた自分がこんな大胆なことを言いだすとは思っていなかった。
ともかく、動揺を抑えて取り繕おうとする小咲。
「も、もちろん…。だって、別に…ね」
「いや…。ね、て言われても…」
同意を求められても困るのだが…。
すると、陸の困ったよな表情を見てどうしようかと悩み始めた小咲がふと思い出す。
今、自分の部屋はどうなっている?
綺麗にしてるね、と友達には言われるが、陸からしたら汚い部屋だと思われたりしないだろうか。
そう感じた小咲の行動は早かった。
「あ、でもちょっと待って!少しだけ片づけさせて!着替えもしたいし!」
「え?いや、気にしなくていいから。ゆっくり…」
びゅん!と陸の言葉を最後まで聞かず小咲は二階へと上がっていった。
相当急いでいるのが、ばたばたという大きな足音で簡単にわかる。
さらに直後、扉が開く音、そして閉まる音が聞こえ、何をしているのだろうかばったんばったんと音が下にまで響き渡ってくる。
(…何をそんなに片づけているんだ)
小咲が何をしているのか、気にはなるが自分も小咲が戻ってくるまでに着替えを済ませておかなければ。
陸は、周りからは見えない影になっている所で、作業服から朝に着てきた私服へと着替える。
着替え終わる陸だったが、二階から聞こえてくる物音は収まっていない。
だが、先程の何かを動かしているような音とは違い、今は掃除機の音が聞こえている。
片付けだけでなく、掃除までしているようだ。
「…」
何で、そこまで一生懸命になっているのだろうか。
陸が不思議に思った途端、陸の脳裏でよみがえる一言があった。
『ずっと…、ずっと…!』
顔を真っ赤にして、絞り出すように話していたあの時の小咲。
何を言おうとしていたのか、何となくだが陸には分かっていた。
そして、それと同時にその可能性を否定していたのだ。
「…まさかな」
今、こうしてまたその可能性を否定する陸。
あり得ない。あり得てはいけない。自分に、そんな資格などない。
だから、今までずっと、拒否し続けてきたのだ。
「俺みたいな汚い人間に、そんな資格はない」
その一言が、今の陸の象徴である。
これ以上、傍には行けない。これが飽くまで、限界の距離なのだから。
(…これで、大丈夫かな?)
片づけ、掃除、そしてファブ〇ーズを部屋に巻いてから小咲は次に着替えを始める。
引き出しから、次々に部屋着を取り出し、小咲は白いワンピースを着ることに決める。
着替えも終えた小咲は、陸を呼びに行くために部屋を出ようとする。
だがその直前、小咲はハッ、と机の上にある写真立の存在を思い出す。
小咲が目を向けた机の上にある写真立。
その写真には、中学の頃の運動会のある一光景が写されていた。
写真に写されている全員が笑顔に包まれている。
そして、その中心にいるのは、襷をかけ、赤いバトンを宙へと掲げてまわりの友人から抱き付かれている陸の姿があった。
これは、中学最後の運動会で、陸と小咲のクラスがリレーで一位を取った時の光景である。
その写真を、小咲は机の上に飾っていたのだ。
こんな写真、陸に見られたら…、小咲は慌てて写真立をそっと倒して中を見られないようにする。
そして、今度こそ部屋の外へと出て陸を呼びに出るのだった。
「適当に寛いでくれていいから」
「ああ…」
陸が部屋に入ると、小咲が扉の前で立っていた。
少し失礼だとは思ったが、陸は小咲の部屋を見回す。
可愛らしい家具が置かれ、女の子らしい色合いの部屋になっている。
それに、どこかいい香りが…。
「あ、私お茶入れて来るね」
「いや、お構いなく…」
小咲が部屋を出て、パタパタと足音が遠ざかっていく。
小咲が戻ってくるまで、陸は小咲の部屋に一人である。
もう一度、陸は小咲の部屋を見回した。
…うん、まさにザ・女の子といった感じの部屋だ。
「ん?」
すると、陸は気になるものを見つけた。
それは小咲の勉強机の上にある物で、写真立なのだが何故か伏せてあるのだ。
(何で伏せてあるんだ?)
首を傾げる陸。
何か見たらまずいものでも置いてあるのだろうか。
(…見たい)
豊富な陸の好奇心が暴れ出す。
見てはいけない。女の子の物を無暗に見てはいけない。
わかってる。わかってるのだが…、好奇心が疼いて仕方ない。
見ては駄目だろうか…。いや、駄目に決まっている。
だが、もしかしたらただの家族写真かもしれない…。だとしたら見てもいいのでは?
いやダメだ。いや見てもいいだろう。いやだめd…
「…」
陸が、そっと手を差し出す。
その差し出された先は、机の上に伏せてある写真立。
見てもいいじゃないか。たとえそれがいけないことだったとしても今、小咲はこの部屋にはいない。
さっと見て、さっと元に戻す。それでいい。
(…南無三!)
ついに好奇心に屈した陸が、写真立に手をかけて、いざ中の写真を見ようとした…その時だった。
「お待たせー。お茶持ってきたよー」
「っ!!?」
もう、自身の身体能力をフルに使った。
小咲が扉を開けたその音が聞こえた瞬間、陸はばっ、と用意されていた座布団の上に正座で腰を下ろす。
「うむ、ご苦労。礼を言うぞよ」
「…?どうぞ…?」
表情からは陸の動揺はわからなかっただろう。
だが、その口調の変化は小咲に疑問符を浮かばせた。
しかし、陸への信頼の証だろうか、小咲は特に陸に突っ込みを入れなかった。
それがまた、陸に罪悪感を募らせる。
(ゴメン小咲…。俺、もう二度とこんなことしないから…)
心の中で誓う陸。そんな陸を知らず、小咲は口を開く。
「えっと、じゃあ夕食なんだけど…」
「ああ。出前もこの天気じゃ来れないだろうし…。手作りするしかないな。時間も時間だし、そろそろ作り始めないと」
ただ今、六時を少し回った所である。
夕飯を作り上げるのに約一時間として、作り始めるには今が絶好の時間帯である。
「うん。材料はちゃんと冷蔵庫にあったし…、私が作ろうと思うんだけど…。ほら、陸君はお客さんだし」
「っ!!」
陸の体がびくりと震え、戦慄する。
思い出すのは、前に楽が風邪を引いたときのこと。
小咲、そして一緒にいた千棘の二人がしでかそうとする所業の数々。
未だに、陸の中に刻み込まれていた。
「い、いや!お客さんだからこそ、俺が作るよ!こうして泊めてもらうんだから、何かしなきゃな!!」
「え、でも…」
「さてと!キッチンはどこにあるんだ?」
物を言わさぬ陸の口調。
それが、小咲に少しだけ胸の痛みを与えた。
小咲も、自分が料理を苦手にしていることを自覚している。
何度もトライし、克服しようとするのだが上手くいかない。
そして、それを知っているために陸は自分に料理をさせまいと必死になっているのでは、と思うと胸が痛む。
「小咲にも手伝ってもらうからなー。材料切りとか」
「あ…」
本当に、自分の心は単純だ。
さっきまで、沈んでしまった心がすぐに明るくなる。
陸と一緒に、料理ができる。材料を切るという簡単な手伝いしかできないが、それでも隣で料理ができる。
それだけで、こんなにも嬉しくなってしまう。
「うん!こっちだよ!」
小咲は陸を先導してキッチンへと案内する。
キッチンへは、小咲の部屋を出て左に曲がって突き当りの扉を出るとすぐだった。
小咲の家の居間とキッチンは一つの空間の中にあり、そして当然冷蔵庫もその中にあった。
陸は、小咲に許可をもらってから冷蔵庫を開ける。
冷蔵庫の中には、小咲の言う通りたくさんの食材が並んでいる。
少しの間、中を眺めた陸は頭から一つのレシピを絞り出す。
「…うん。和風ハンバーグでも作るか」
「和風、ハンバーグ?」
陸のつぶやきを聞いた小咲が、オウム返しで言いながら首を傾げている。
陸は振り返って説明する。
「言葉のままだよ。まあ、ハンバーグを作ってソースと大根おろしを乗せるだけなんだけど…。っと?」
簡単に陸が和風ハンバーグについて説明していると、陸のポケットの中の携帯電話が鳴りだした。
陸は電話を手に取って画面を見る。
「楽からだ…。悪い小咲、冷蔵庫からハンバーグの材料出しててくれ」
「うん、わかった」
そういえば、帰りが遅くなる、というより明日になることをまだ家に知らせていなかった。
陸はキッチンを出て少し離れた所で通話ボタンを押す。
「もしもし」
『陸!お前、どうしてるんだ!?帰れるのか!?どうなんだ!』
電話を耳に当てた途端、スピーカーから響く楽の怒鳴り声。
思わず耳から電話を離した陸は、楽の声が収まったのを確認するともう一度耳に当てる。
「悪いな楽。今日は家に帰れなそうだ」
『は?じゃあお前どうするんだよ。つうかお前、今どこだ?』
「今、小咲んち。今日はこのまま小咲んちに泊めてもらう」
今日は家に帰れなさそうだという事と、その言葉の後に聞かれた楽の問いに答える陸。
スピーカーからは、楽の呆けた声が聞こえてくる。
『小野寺の家に、泊まる?え?いや、マジで?』
「大マジ。冗談抜きで、俺が帰ろうとした時はもう雨も風も強すぎて」
驚愕する楽に、事の顛末を簡単に説明する陸。
『あ…、いや、わかった。明日には帰れるんだよな?』
「台風がいきなり速度を落としてまだこの町に居座ることがない限りはな」
冗談めかした陸の言葉に、楽が笑っているのがわかる。
陸の顔にも、笑みが浮かんでいる。
『そうか、わかった。じゃあ明日な。小野寺に変なことすんなよ?ま、家族もいるだろうしそんなことできないだろうけどな~』
「するわけないだろバカが。ああ、じゃあな」
電話を切る陸。
そして携帯ををポケットに戻して、再びキッチンに戻る。
(…家に俺と小咲の二人だけ、て聞いたら楽はぶったまげるだろうな)
にしし、と悪戯っぽい笑みを浮かべながら、驚く楽を思い浮かべる。
まあ、言うつもりはないけど、と内心で追加してキッチンにたどり着く陸。
「…小咲、どうして唐辛子を出してるんだ?」
「え?ほら、辛味も必要かなって」
大惨事になるまでに戻れてよかった、と心の底から安堵する陸。
陸は小咲の暴走を止めてから、改めて材料を取り出し調理を始めるのだった。
はい、原作と違ってガチのお泊まり路線です