凡矢理高校文化祭、通称凡高祭が幕を開けた。
この凡高祭は二日間日程で行われる。陸たちのクラスがやる劇は二日目に予定されている。
つまり、この一日目では陸たちは自由だと言っていいだろう。
「お、一条!おはよう!」
「おう、おはようさん」
朝、陸は他のクラスの友人たちに声を掛けられながら自分の教室へと向かっていた。
陸とすれ違う生徒たちは決まって全員笑顔を浮かべていた。
高校での初めての文化祭なのだ、気持ちはわからないでもない。
何を隠そう、この陸も初めての高校での文化祭にワクワクしている一人なのだから。
「お、陸。今日はいつもより少し早いじゃない」
「そうか?別にいつも通りだと思うけど」
胸のワクワクに、ニヤケてしまう顔を抑えて教室に入った陸に一番最初に声をかけたのは、扉の前で友人と談話していた集だった。
集は、今日陸が来た時間がいつもよりも早いことを指摘する。
陸は集の言葉を否定したが…、その時の陸の表情を見た集は目を光らせる。
口を猫のような形にして笑みを浮かべながら陸に歩み寄り、肩に腕を回して耳元で囁く集。
「ま、ワクワクするのも仕方ないよなー?何てったって高校初めての文化祭…。それに陸は明日、生まれて初めて主役をやるんだからなー?」
「べ、別にワクワクなんてしてない」
ニヤニヤと笑いながら言ってくる集から視線を逸らして顔を押し返しながら陸は反論する。
だがその顔には、はっきり図星と書かれていることを陸は全く気付いていなかった。
「とぉ陸、楽は?」
視線を逸らし、僅かに頬を染めている陸をにまにまと眺めていた集は不意に笑みを収めると楽について陸に問いかけた。
まだ楽は教室の中にいない。陸と一緒に来るとばかり思っていた集の予想が外れた。
「…俺が家を出た時はまだ着替えてたからな。まだ着くまでかかると思うぞ」
「いや、まあそれもあるけどさ…」
集の問いかけに答える陸。
だが陸が答えたのは今、楽がどこにいるのかという事だけ。
確かにそれも気になる所ではあるが、本当に集が聞きたかったのはその事ではないのだ。
「楽…、どうなった?」
「…まだどこか塞ぎ込んでる」
集が聞きたかったのは、楽の今の様子。
先日、千棘との一件があってから楽と千棘の二人は目を合わせようともせず関わることなくこの文化祭まで来てしまった。
クラスの中では、二人の破局の時か?と囁かれている。
そんな中、楽はいつも通りに振る舞っていると思っているのだろうが、いつも近くにいる陸たちは楽にどこか元気がないことに気付いていた。
そこにこの文化祭というイベント。
集は少しでも楽の気が明るくなっているのでは、と期待したのだが…、陸の答えはその機体を裏切るものとなってしまった。
「そっか…。ま、折角の文化祭なんだ。楽しんでこうぜ?」
「ああ…」
笑顔を浮かべて集は陸に声をかけるが、陸の表情は浮かない。
集も浮かべた笑みを再び潜めて陸を眺めていた時、教室の扉が開いて中に入ってくる人物。
「…」
「おっ、おっす楽!お前もいつもより早いな~!」
教室に入ってきたのは、楽。
陸は無言で入ってきた楽を見つめ、集は潜めた笑みをまたまた浮かべて楽へと駆け寄っていった。
首に腕を回された楽は、「は?いつも通りだろ…、てかお前もってなんだよ」と集に言葉を返していた。
特に変わった様子はないように見えるこのやり取り。
だが集も分かっているだろう、楽の目の下に薄く隈ができていることを。
「…くそ」
力になってやれないのが、どうしようもなく辛い。
しかしそれも仕方のない事なのだ。
今回ばかりは、当人たちでどうにかするしかない。
周りの人たちが何を言おうと何も変わらないし、決して解決などするはずがない。
だがそれでも…、今まで、生まれてからずっと共にいた楽が見たことのない程苦しんでいる所を見たくない。
陸は筆記用具や文化祭の概要が書かれたしおりなどいつもより少ない荷物を入れたカバンを机に置いてから小さく悪態をつくのだった。
「さてと、今日は俺たちは基本自由行動だからな~。どこ行こっか?」
朝の簡単なホームルーム、そして体育館での文化祭開会式も終えて、1-Cの控室に集まって陸たちはこれからどう文化祭を過ごすかを話し合おうとしていた。
集がいつものように陽気な声で皆に問いかける。
すると、その問いの直後すっ、と誰かの手が上がる。
「…すまんが、私は抜けさせてもらう。お嬢の様子が気になるからな」
手を上げた人物とは、鶫だった。
鶫の言葉で気付いたと思うが、今ここに千棘の姿はない。
開会式が終わるとすぐに、どこかへ姿を消してしまったのだ。
さらに朝から陸たちの傍に…もちろん鶫も例外ではなく近寄ろうともしなかったため、鶫は見失ってしまったのだ。
「そっか…。うん、しょうがないよね。なら、楽も一緒に探してあげたら?」
「は?何で俺が…」
鶫が最優先するべきことは千棘の傍で千棘を守ることである。
そのため、鶫は文化祭を皆で楽しむことは出来ない。今は。
それを察した集が、鶫から楽に視線を移して提案した。鶫と共に千棘を探すことを。
当然、楽は集の提案を拒否しようとする。
今の彼らの関係は、一言で表せば<無>が相応しいと言えるほど。
会話も無く、目を合わせることも無く、席が隣同士であること以外で傍に寄ろうとすることも無い。
そして楽は今の千棘との関係を受け入れようとしている。
だから、千棘を何故自分が探さなければいけないのだ。そう考えている。
「おいおい冷たいな~楽は。恋人の桐崎さんを探してあげないの?」
「いや、それは…」
楽は咄嗟に集の、千棘との恋人発言を否定しようとした。
集は、他の面々は知っているのだから。千棘との恋愛はただの偽物なのだと。
だが、この場でただ一人それを知らない人物がいる。
それは、千棘を探そうと立ち上がっている鶫だ。
絶対に楽と千棘の関係を知られてはならない、ビーハイブの一員である鶫だ。
楽は言葉を飲み込んで、大きくため息をついた。
「わかったよ…。探せば良いんだろ探せば」
観念するかのように、ゆっくりと気だるげに立ち上がる楽。
楽はすでに扉の前に立っていた鶫の隣まで行き、彼女と共に廊下へ出て行った。
残った陸たちは、出て行った二人を見届けてからもう一度向かい合う。
「さて…と。改めて…、どこか行きたいことある?小野寺」
「え!?え、えっと…、私は…うーん…」
再びどこへ行くかを話し合う。
不意に集に質問を振られた小咲は、目を虚空へと上げ、あごに人差し指を当てて首を傾げながら考える素振りを見せる。
だが、小咲が考えている最中にも関わらず、るりが口を開く。
「小咲は一条弟君と文化祭回ればいいじゃない。私はちょっと一人で見たい出し物があったから」
「え」
「る、るりちゃん!?」
不意に飛び出したるりの言葉に陸は目を丸くして固まり、小咲は素っ頓狂な声を上げて驚愕する。
二人、そして集のにやついた視線を受けながらるりは立ち上がって教室を出ようとする。
「ま、待ってるりちゃん!」
小咲は立ち上がり、立ち去ろうとするるりの袖をつかんで動きを止める。
そして耳元で後ろの陸と集の二人に聞こえない様に声を潜めてるりに言う。
「ど、どうして?四人で回ればいいでしょっ?」
「何言ってんのあんたは。この文化祭、大きなチャンスなのよ?まさかこんなに早くあんたと一条弟君を二人きりにできるとは思ってなかったけど…、何としても彼との距離を縮めなさい」
「そ、そんなぁ…、あぁっ!」
小咲は、何とかここにいる四人で文化祭を回りたいとるりに掛け合う。
いや、陸と二人で回ることを嫌がっているわけではないのだ。そんなこと、あり得ない。
だが…、心の準備が全くできていない。小咲にとってはあまりに急な出来事なのだ。
今こうしている間にも、心臓がばくばくと高鳴って仕方ない。気を抜けば暴れ出しそうなほど。
ハッキリ言えば、恥ずかしすぎる。
しかし小咲の努力もむなしく、るりは無情にも小咲の手をほどいて片手を上げながら控室を出て行ってしまった。
それだけではなく、集さえもにやにや笑みを浮かべながら陸の肩を叩いてそのまま控室を出て行ってしまう。
もうすでにクラスの皆はそれぞれ行きたい出し物の元へと行ってしまった。
ここにいたのは、陸たちだけだったのだ。
楽と鶫、るりと集も控室を出て行った今、控室の中にいるのは陸と小咲の二人だけ。
「…どうする?俺は小咲が良いんなら一緒に行きたいけど」
「えっ!?」
流れた沈黙を破ったのは、陸の言葉。
そしてその言葉は小咲にとっては思いもよらぬものだった。
今まで何かを二人でするときはいつも小咲から陸を誘っていた。
しかし今回、二人で文化祭を回ろうかと陸から誘ってきたのだ。
小咲はばっ、と勢いよく首を回して陸を見る。
陸は扉の方に体を向けながら顔だけを小咲の方に向けて見ていた。
「あ…、私も…陸君が良いなら…行きたい、です…」
何故、最後に敬語になったのだろう…。自分で自分にツッコむ小咲だが、陸はおかしな敬語に触れることはしなかった。
「なら行こうか。文化祭、盛大に楽しもうぜ!」
「うん!」
さて、ということで控室を出た陸と小咲。
行きたいところは何処かという話になり、互いにそれを譲り合ってしまい時間を潰してしまうという事もあったが、昼も近くなってきた頃には笑顔が止むことなく文化祭を謳歌していた。
これまでに二人が行ったところを振り返ると、まず一年のクラスにあった小さな映画館。
たった十五分という短い時間ではあったが、それなりに面白い物語が見れたと二人は感じている。
そして次に行ったのは二年のクラスにあった、科学実験を使った出し物。
その中で一番目を引いたのは、教室中央に置かれていた巨大な装置。
スタート地点に小さな鉄の球を置くと色々な仕掛けをクリアしていきながらゴールにたどり着くというあれである。
時に二人は歓声を上げながら、球がゴールするところを見届けると出し物担当の人に説明を受けながら実験を見て、体験して、気づけば一時間近くその場にいてしまった。
そして今、三年の廊下の混み様を見て、三年の出し物を見るのを諦めてから二人は一年の教室が並ぶ廊下へと戻ってきていた。
「さてと…。取りあえず一周してきたけど…、喉乾いたな…」
「うん、そうだね…。楽しくて忘れてたけど…、開会式が終わってから私たち、何も飲んでなかったね」
開会式を終えて、控室で楽たちと分かれて、二人でいろんな出し物を見に行って、教室の中で映画を見て、遊んで…。その間ずっと何も飲んでいなかったのだ。喉が渇くのも無理はない。
「じゃあ何か買ってくるか。確か飲み物の売店は一階の玄関前だったよな?」
「うん、そうだよ」
この凡矢理高校文化祭では、校舎に元々置かれている自販機の他に玄関前で飲み物を売っているブースがある。
文化祭には生徒だけでなくその家族や、他校の人もやってくる。
そのため、校舎にある自販機だけでは足りないだろうという配慮である。
そして文化祭のために用意された飲み物の中には、校舎の自販機には入っていない人気の飲み物も売られているという話である。
要するに、ブースで買った方が正直お得なのだ。
陸と小咲は一階に降りるべく階段の方へと足を向けようとする。
だがその時、二人を…正確には二人の内一方を呼び止める声が背後から聞こえてきた。
「おーい、一条ー!」
「…上原?」
階段がある方へと振り返って…、今度は声が聞こえてきた方へと振り返る二人。
すると、二人が目を向けた先にはウェイターの衣装を身に着けた男子生徒がこちらに駆け寄ってきていた。
陸がその男子生徒の方を見て呟いた通り、この男子生徒の名前は上原卓実。
中学時代、一年の時に同じクラスになってからずっと友人として交流してきた人物である。
だが、クラスが一緒だったのはその一年間だけであり、当然同じ高校に入ってから今、クラスは別である。
「お…と、小野寺さんも一緒だったのか…。あれ?二人?」
「そうだけど…。…何だよ」
駆け寄ってきた卓実は、陸と小咲が二人で回っていることを聞いた途端、どこかの眼鏡男が見せたような類のニマニマとした笑みを浮かべる。
「いやぁ~、遂に一条君にも春が来たのか~。何だよ~言ってくれよ~。いつから二人は付き合ってんだよ~」
「つきっ…!?」
「ふぇっ!?」
卓実の性格から、女子と二人で文化祭を回っていることを知られてからかわれるのは覚悟していた。
しかしまさか付き合っていると勘違いされるとは思っていなかった。
陸と小咲は同時に頬を紅潮させて目を見開く。
「あれ?違うの?」
「違うっ。確かに二人で回ってはいるけど、付き合ってない!」
きょとんとした表情を浮かべながら聞いてくる卓実に、先程の付き合ってる発言を否定する陸。
その隣で、小咲もこくこくこくこくと何度も頷いて同調している。
それを見た卓実は、今度は不満気に両手を後頭部につけながら口を開く。
「何だよ…、つまんねえの。てっきり付き合ってんのかとばかり…」
「つまんねえって…」
まるで自分たちの関係をネタにしているかのような…、そんなの堪ったものではない。
じと―とした目で眺める陸に卓実はカラカラと笑う。
「いや、すまんすまん。ちょっと今のは軽率だったかな」
卓実は何かを見つければすぐにからかいにかかるし、時に相手をするのが疲れるときもあるが自分が悪いとわかればすぐに謝ることができる。
だから、どうしても憎むことができない。いや、憎もうとしているわけでもないのだが。
「と、二人とも。今から俺のクラスの出し物に来ない?カフェやってんだけど」
すると卓実が陸と小咲をクラスの出し物の客として招待しようと二人を誘う。
陸と小咲が行ったのは、卓実のクラスとは別のクラス。それに卓実は出し物はカフェだと言った。
今、二人は喉が渇いている。卓実が誘ってきたのはカフェ。
「ちょうどいいな。俺は行こうと思うけど、小咲は?」
「うん。私も行きたいな」
二人の意見は一致し、卓実の出し物へと足を運ぶことに決める。
そんな中、陸と小咲のやり取りを見ていた卓実が再びきょとんとした表情を浮かべていた。
「名前で呼び合ってる…。なあ、やっぱり二人って付き合ってるんじゃ…」
「「違う!」」
きっぱりと卓実に否定を入れてから、案内されて卓実のクラス、B組の教室へと足を入れる。
卓実に空いてる席に座ってくれ、と言われた二人は窓側に空いていた二人用のテーブルに着く。
「うわぁ~…、中はこんなにオシャレになってたんだね~…」
「これは…、正直驚いた」
教室の中は、いつも見てきた殺風景なものから変貌していた。
学生によくありがちなたくさんの折り紙の装飾は控えめに、だがその代わりに布を切って作った疑似的な壁紙のおかげで人気カフェとも比べられるほど良い雰囲気が出来上がっていた。
うっとりとしながら教室の中を見渡す小咲と、純粋に驚きに目を染めながら天井を見上げる陸。
天井にぶら下がっている電灯にも仕掛けがされていた。
電灯には色のついたビニールテープが巻かれており、教室の中に大人な雰囲気を醸し出させている。
「お客様、ご注文は如何しますか?」
教室内を見回していた二人に、店員が声をかけてくる。
声をかけられた二人は同時に店員へと目を向けて…、まったく何を注文するかを考えていなかったことを思い出す。
「す、少し待ってください。小咲、何頼む?」
「あ、えっと…。アイスティーを…」
「俺は…、アイスコーヒーを」
「アイスティーおひとつ、アイスコーヒーおひとつでよろしいですね?」
二人の注文を復唱する店員に頷くと、店員は伝票を置いてから奥へと去っていく。
店員が去ってからは、特別なことは何もなく、これからどうするかを話す陸と小咲。
その結果、楽たちを探そうという結論に至った。
特に、千棘を探しに行った楽と鶫はどうしただろうか。
集は楽に千棘と仲直りをしてほしいという思惑も込めて鶫と一緒に行かせたのだから、その後二人はどうなったかも気になる。
「お待たせしました。アイスティーとアイスコーヒーです」
ここで、二人が頼んだアイスティーとアイスコーヒーが届く。
それぞれの前に置かれたカップを手に取って、中に入った液体を口に含む。
「…普通に旨いな。誰が入れてるんだろ」
文化祭の出し物、つまり全て学生がやっているという事。
あまり期待していなかったというのが陸の本音だったのだが、考えていたよりも上手くできていて内心驚いていた。
小咲もアイスティーを堪能していた。
(ここまでクオリティーを高く仕上げるとは…、誰か実家でカフェやってる人がいたんだろうか)
心の中でつぶやきながら、コーヒーを口に含めていく陸。
時に小咲と会話を交わしながら、遂に注文した飲み物を飲み終えた二人。
もうそろそろ昼食時という事もあり、どうせならばこのカフェで昼食を済ませようかという話になった時…、バンっ、という何かが叩きつけられたような音が教室中に響き渡った。
音の発生源は、廊下の方。目を向ければ、その発生源はこの教室の扉だという事が分かった。
何故なら、息を荒げながら扉を開けた体勢で立ち尽していた一人の男子生徒がそこにいたからだ。
そしてその男子生徒は、陸と小咲にとって馴染み深い人。
「ら、楽?」
「陸…、頼む。助けてくれ!」
楽は、呼吸を整えることなく教室の中に入り、席に着いていた陸の元に歩み寄った。
そして、テーブルに両手を置くと、陸も、そして小咲も驚愕する一言を口にするのだった。
「千棘が…、攫われた」