はまりました、すいません。
「坊ちゃん…。いくら怪我はないっつっても、やっぱり大事を取って今日は休むべきだと思うんですが…」
「いや、俺が抜けたら劇が台無しになっちまう。それに昨日から何度も言ったけど、相手が大したことなかった分ぐっすり寝れたし、体の疲れもないから大丈夫だ」
凡矢理高校の制服を着て、靴を履きながら陸は後方から心配げに問いかけてくる竜に返事を返す。
今日は文化祭二日目、つまり陸たちのクラスの劇が行われる日である。
前日、千棘を救うためにならず者たちとドンパチ戦った陸だが、相手が弱かったのもあり怪我一つ負わなかった。
体に疲れはないし、気分も上々。…まあ気分が良いのには一つ理由があるのだが。
「おら、いつまでしょぼくれた顔してんだ竜。強面のお前がそんな顔してもまったく心に響かねえぞ」
「ひ、ひでえっすよ坊ちゃん…」
未だ竜が心配げにこちらを見つめてきているのだが…、普通ならば大丈夫だと竜を安心させるための言葉を言わなければならない。
しかしそれは先程に一度言った。それに竜のような厳つい男にそんな顔されてもぶっちゃけ全く嬉しくないというのが陸の本音である。
「ああ。それと昨日も言ったけど、劇は見に来るんじゃねえぞ。お前らが来たら他の生徒たちが見に来なくなっちまう」
「えぇ!?あ、あれは冗談じゃなかったんすか!?てっきり陸坊ちゃんの照れ隠しかと…」
「んなわけねえだろ。じゃ、俺は行くからな」
「あぁ、坊ちゃん!」
最後も竜に辛辣な言葉をかけて陸は横開きの戸を開けて外へと出る。
陸が出る前にすでに楽は家を出ているため、今日は特に心配することはない。
後、先程言った陸の気分がいい理由だが…、今日、楽の方が先に家を出ていることに関係している。
楽が陸より先に家を出るようになったのは高校に入ってからである。
正確には、楽が千棘と偽物の恋人の関係を始めてから。
そう、今日楽は千棘と共に登校しているのである。
昨日、車の中で千棘を待っていた楽には当然怪我もないし、千棘の方は心配されたが目立った怪我はなく、本人が今日は絶対に学校に行きたいと譲らなかったため、千棘の父アーデルトも苦笑を浮かべながら登校を許したらしい。
ずっと気に病んでいた楽と千棘の仲の拗れ。
目に見えてイライラしている楽をもうこれ以上見なくてもいいのだと思うと、心は踊る。
あの楽を見ているとこちらまで気分が悪くなるのだから、堪ったものではなかった。
ルンルン気分で、気を抜いたらスキップしそうになるほど上機嫌で陸は校舎の中へと入っていく。
ほとんどは昨日と同じ光景。
一つだけ違うのは、昨日と違ってすれ違う生徒たちがどこか落ち着いているように見える所だけ。
「お、一条!おーい皆、もう一人の主役が来たぞぉ~!」
「は?」
意気揚々と陸のクラス、C組に控室として割り振られている教室の扉を開けると、すぐにこちらに目を向けてきた男子生徒が声高らかに叫びだす。
何が起こったのか飲み込めなかった陸は呆然と声を漏らすと、途端陸のまわりをクラスメートたちが取り囲む。
「おい一条、今日は頼んだぞ!」
「劇が盛り上がるかどうかはお前と小野寺にかかってるんだからな!」
「大丈夫?一条君、緊張してない?」
「衣装はばっちりだから心配しないで!」
「…」
クラスメートたちは自分を励ます(?)言葉を言っているのだろうが、みんな一斉に違う言葉を発しており、陸からはよく聞き取れない。
だが黙っていると陸は今からすでに緊張しているのだと勘違いして、さらに大きく陸に声をかけてくる。
「あぁもううるさい!俺は緊張してないし、劇の事だってわかってるから!席に着かせてくれ!」
何を言っているのかわからない中、我慢強く皆が言っていることを聞き続けていた陸だが、さすがに限界だった。
まず初めに一喝してまわりを黙らせると、すぐさま前に立つ人たちを押しのけて空いているスペースに荷物を置いてどすっ、と腰を下ろす。
「ははっ。お疲れだな、陸」
「集…」
片膝を立て、膝の上に肘を乗せてため息を吐く陸。
そんな陸に声をかけてきたのは、眼鏡を光らせる集だった。
「ま、あんまり怒ってやるなよ。皆、劇を成功させるために必死なんだから」
「それはわかってる。けど、お前もあそこでずっと何を言われているのわからないまま囲まれてたら俺の気持ちもわかるぞ」
「はははっ。でもよ陸、有名な俳優たちはあそこを笑顔で乗り切っていくんだぜ?」
「俺は俳優じゃないって…。それとも劇の主役なんだから、俳優みたいになれってのかよ…」
ニマニマ顔で言ってくる集を陸は軽く睨む。
だがこういうやり取りは昔から続けてきたこと。集はまったく怯むことはなかった。
「り、陸君っ」
「ん?」
視線を集から外して床に落とし、もう一度ため息を吐こうとした所で自分を呼ぶ声に気づく。
自分を呼ぶ声が聞こえてきた方へと視線を向けると、そこには胸元で両拳を握り、何やら意気込んでいる様子でこちらに目を向けている小咲の姿があった。
「小咲…、どうした?」
「陸君!劇、頑張ろうね!絶対成功させようね!」
「い、いや…。小咲、今から張り切ったら疲れるz…」
「頑張ろう!」
「…」
話を聞いてくれない。
これは、張り切っているというより緊張で周りが見えていないという風に見える。
陸は立ち上がり、小咲に歩み寄るが、小咲本人は陸の接近に気づいていない様子。
何かぼそぼそ呟いて、近づく陸の方を見ていない。
陸は小咲の眼前に両手を出して、勢いよく張り手。
「ひゃぁっ!?」
「…ぷっくく」
驚いて飛び上がる小咲を見て、吹き出してしまう陸。
噴き出してからも笑いを抑えるのに必死になっている陸を、小咲は不思議そうに眺める。
「り、陸君…?」
戸惑いを含んだ声を聴いて、陸はん゛ん゛、と咳払いをしてこみ上げる笑みを抑え込む。
「小咲、張り切るのはわかるけど張り切りすぎるのもダメだ。今からそんなに気負ってたら絶対本番で失敗するぞ?」
「で、でも…」
陸が言っていることはわかる。それでもどこか煮え切らない、といった様子で俯く小咲。
「きっと、小咲はみんな頑張ってくれたんだから、自分が失敗したらみんなを裏切ることになるとか思ってるんだろ?」
「っ」
「図星か。まあ、気持ちはよくわかるけど」
事実、程度の違いはあれど陸も小咲と同じように皆のためにも失敗したくないと思っている。
「小咲、それでも気負いすぎちゃダメだ。それで失敗したら、きっとものすっごく後悔するぞ?」
「…」
いつの間にか、小咲の頬の紅潮は収まっていた。
小咲はまっすぐに陸の目を見つめる。
「そうだよ寺ちゃん!私たちのことを考えてくれるのは嬉しいけど、寺ちゃんはまず劇を楽しむことを考えなきゃ!」
陸と小咲の会話を聞いていたのか、準備期間中に劇に出る人たちのための衣装を作ってくれた文芸部の少女が小咲に寄りかかりながら声をかける。
いきなり声をかけられた小咲は、目を見開いて呆気にとられたような表情になるが、文芸部の少女の言葉を聞き終えると笑顔を浮かべて頷いて応えていた。
「おー、青春しとるねー。けど、ちょっと静かにしてもらうよ。ホームルーム始めるからなー」
教室の扉が開いて、キョーコ先生が現れる。
キョーコ先生は室内での小咲と文芸部の少女のやり取りを見て笑みを浮かべるが、すぐに静かにするように言って教壇の上に上る。
いつもと相変わらず、キョーコ先生が行うホームルームは短い。
平日はもちろん、この文化祭でも連絡事項は簡潔かつ分かりやすく伝えてそれで終わり。
教師として何か他に言うことはないのだろうかとも思わないでもないが、早く終わることは生徒にとって何よりも嬉しい事である。
さて、キョーコ先生が言うには文化祭二日目の展示開始時間は九時からだという。
ホームルーム開始時間が八時二十五分、ホームルームが終わったのが八時半になるかどうか。
約三十分ほどの時間が空いている。
「よーし皆、劇の最終チェックといこうじゃないか!劇に出る人は窓側に、衣装係やステージ設営の人は廊下側に集まろう!」
何と集がリーダーシップを発揮して指示を出している。
いや、クラス委員なのでこれ以外にも何度かしっかり働いている所は見ているのだが。
集と昔からの付き合いである陸と楽は、集の働きぶりを何度見ても慣れない。
今も、二人は同じ表情で、口を同じ大きさ程半開きにして呆然としている。
「ほら陸、立てよ。他のクラスはまだホームルーム中だろうし、大きな声で演技は出来ないけどセリフの確認くらいはできるだろ?」
「あ…あぁ、わかった」
「楽もだ。一応お前は名目上陸の代役になってるんだ。お前もセリフの確認はしてもらうぞ?」
「…そういやよ集。橘はどうした?」
集の指示に従って立ち上がる陸。そして集の言葉を聞いてふと思い立ち、問いかけた楽。
楽の言葉で陸もはっ、と気づいたが、教室の中に万里花の姿がない。
千棘の事があって気にすることができなかったが、昨日も姿を見せなかった。
「あぁ、何でも風邪引いたらしいよ?本人は今日は絶対行くって騒いでたらしいけど」
けらけら笑みを見せながら万里花の欠席に理由を説明する集。
「…ともかく、これでジュリエットの代役は期待できないってことか」
「っ」
陸は、横目で小咲を見ながら口にする。
他人からは、何故プレッシャーをかけるような言葉をと責められそうなものだが、陸としても思惑がある。
「…大丈夫、だよ。うん。万里花ちゃんには悪いけど、精一杯主役を楽しみたいから!」
「…」
他の人には気づかれないほど僅かにだが、陸は笑みを浮かべながら頷いた。
先程の陸の言葉は、今の小咲の精神状態を確かめるため。
さっきのように小咲が気負いすぎていないかを確かめるため。
今の小咲は、さっきと違って笑顔を浮かべられるほど、劇を楽しむと言えるほど余裕を持っている。
(これなら大丈夫だろ。セリフも本番一週間前には覚えてたんだし、心配なのはど忘れだけか)
特に小咲に関しては心配することはなさそうだ。
後は小咲が本番で変なセリフのど忘れをしないことと、自分の事だけ。
(…大丈夫。家でもしっかり練習してきたし、人前が特に苦手なわけじゃないし)
何でも、集が盛大に宣伝してくれやがったせいでかなりの人数が陸たちの劇を見にやってくる予定らしい。
それに、釘を刺しておいたが竜たちが劇を見にやってくる可能性だってある。
かなりの大勢の視線が自分に、劇に出る人たちに集中する。
それを考えると心臓の鼓動が加速するが…、大丈夫だ。やれる、と自分自身に言い聞かせる陸。
陸たちは劇の最終チェックをすることに集中しすぎ、気が付けば九時を過ぎていた。
陸たちの出番は午後のため、時間的にはまだ余裕あるが文化祭をまだまだ回りたいという者もいる。
劇のチェックを続ける者、文化祭を回る者の二つに分かれて再び作業を行う陸たち。
当然、陸と小咲はチェックを続けることを選び、二人でセリフを確かめ合う。
そして、ついにその時がやって来る。
陸たちは、舞台裏で自分たちの前の出番のクラスの出し物を見ながらスタンバイするのだった。
次回は劇です。