目の前で、瞳を揺らしながら見上げてくる春の姿。
先程、春の口から驚くべき言葉が飛び出した。
『…一条楽先輩と桐崎先輩が、偽物の恋人っていうのは…本当ですか?』
自分自身が春にその事を口にした覚えは全くない。
楽や千棘が春に告げることも恐らくないだろう。春の楽に対する態度を考えればそれは容易にわかる。
ならば小咲か?いや、小咲もない。妹とはいえ、勝手に秘密を漏らすような人ではないという事は陸がわかっている。
「…どこで知った?」
冗談で聞いているのではない。本当ですかと春は口にしたが、本人の中で確信を持っている。
「るりさんと舞子さんが話しているのを聞いてしまって…」
(…集)
春がそう言った瞬間、陸は心の中で集を咎めた。
集が傍にいる春に気づかなかったとは考えにくい。
さすがに面白そうだなどと考えてやったのではないと思うが、春がどういう行動に出るかわからない今、少しはその後どうするかというのを考えてほしかった。
「それで…、どうなんですか?本当の事なんですか?」
「…まず一つ聞かせてほしい。何で君はそれを俺に聞く?俺のことは嫌いなんだろ?」
改めて問いかけてきた春に、問い返す陸。
直後、春はぐっと押し黙って陸の目から視線を落とす。
だがその間は僅か。すぐに顔を上げた春は口を開く。
「…今は違います。少なくとも、先輩は私が考えていたような人間ではないってわかりました」
少し照れくさそうに、そう口にする春から思わず陸は視線を外してしまう。
…できることなら、嫌われたままの方が良かったのかもしれない。
「それに、もし本当なら私、先輩に相談がしたいんです」
「…相談?」
春の口から出た一つの単語に、陸は顔を上げて聞き返す。
「相談って、何を?」
「だって、私…、今まであの人が平気でたくさんの女の子を侍らせる最低な人だって思ってて…。先輩もお姉ちゃんも、あの人はそんな人じゃないって教えてくれてたのに…。ずっとあんな態度をとってきて…」
要するに、勝手な思い込みで楽を嫌い、冷たい態度を取り続けて今。どんな態度で接していいのかわからないのだろう。
陸は、苦笑を浮かべながら一つ息を吐いてから春の問いに答えるべく口を開く。
「とりあえず、楽と千棘の関係についてだけど…。春ちゃんの言う通りだよ。あの二人は恋人同士じゃない」
「っ…」
春は眉を顰め、悲しげな表情で俯いてしまう。
つまり、春の抱いていた楽への印象は勝手な思い込みだという事。
それなのに、ずっと楽を蔑み続けて…そんな自嘲が春を襲う。
「それで、これから楽とどう接すればいいかだけど…」
「…」
「まぁ、一言謝っとけば大丈夫だろ」
「…へ?」
どうすれば楽に許してもらえるだろう。どれだけ謝れば、それとも土下座か、はたまた…。
と色々考えていた春は、陸のあっさりとした答えにぽかんと呆気にとられた表情を浮かべて顔を上げた。
「別に楽は怒ってなかったし…。色々運が悪かったりしたけど、“あんな所”ばかり見られたらそう思われるのも仕方ないって」
「…」
口があんぐりと開かれ、ただただ呆然としている春。
「…あの人、どんだけお人好しなんですか。馬鹿が褒め言葉になるレベルですよ」
「さすがにそれはどうかと思うけど…、お人好しなのは同感」
さすがに馬鹿が褒め言葉になるはひどいとは思うが、楽がお人好しなのは全面同意である。
楽と過ごしてきた時間が一番長い陸が言うのだから、それは相当である。
「でも春ちゃんにとっては幸いだろ。さっきも言ったけど、一言謝ればそれで済むと思うから」
「い、いや…。それじゃ私の気が…」
春の言うこともわかる。陸に対する態度もそうだったが、楽に対する春の態度はもっとひどかった。
何というか、まるで親の仇を見ているような…。それはさすがに大げさかもしれないが、傍から見ていて第一に陸がそう思うなほど春の態度には冷たさが満ちていた。
「んー…。じゃ、適当に何か景品取ってそれ渡して謝ればいいんじゃね?」
「え…、でも…」
「何だよ、双子の弟の意見が信用できないってのかー?」
「そ、そういうわけじゃ…」
それで大丈夫だと言っているのに、なかなか春の態度が煮え切らない。
もうこの際、渋る春を無視して陸は辺りを見回す。
「お、春ちゃん。あれなんか楽喜ぶと思うぞ。行こうぜ」
「え?あ、あの、本当にそれだけでいいんですか?ていうか、手を引っ張らないでください!」
春の抗議の声を無視して、彼女の手を掴んで陸は目を付けた場所へと連れて行く。
「ほら、あれだよあれ」
「あれって…、くまのぬいぐるみですか?」
その場所へと辿り着いた陸が指差す先。そこには輪投げの一等の景品として置かれているくまのぬいぐるみが。
春は疑わし気な視線を陸に送る。
「あの、本当にあの先輩はぬいぐるみが好きなんですか?」
「信じられないとは思う。けど、あいつ意外とこういう可愛い系の物が好きなんだよ」
春の問いかけに、至って真剣に答える陸。
疑わしく細められた春の目が元へ戻っていく。
「…本当なんですね?」
「あぁ。俺が保証する」
春が問いかけ、陸が頷く。
少しの間、春は考える素振りを見せてから財布を取り出し、中から二百円を取り出して輪投げを始める。
「…うぅ」
しかし結果は、一等どころか参加賞を貰う始末。
どうやら春はこういう遊戯は苦手としているようだ。
「…春ちゃん。もっかいお金出して。俺が取るから」
「え…」
戸惑いを見せる春だが、再び二百円を取り出して陸に渡す。
次は陸が輪を貰って輪投げに挑戦する。
その結果───────
「出ましたー、一等賞ー!!」
「ええええええええぇ!!?」
陸が輪を投げた回数はたったの三回。
その三回で陸はあっさり輪投げをクリアしてしまったのだ。
ふぅ、と息を吐く陸に春は驚愕を隠せない。
「ちょっ、一回で一等賞って…」
「ま、こういうのは昔から得意でさ」
陸はほぇ~、と驚きの目を向けてくる春を見ながら去年も同じようなことがあったなと思い出していた。
去年は小咲に金魚すくいの腕を披露して、今の春と同じように驚いていた。
…一つ違うのは、屋台主のせいでその後微妙な空気になってしまった事か。
「よし、とりあえず楽への謝罪用のブツは用意できたわけだけど…。この際、他の皆が見つかるまで祭りを楽しむとするか」
「あ…」
くまのぬいぐるみを春に手渡し、その春に背を向けて大きく伸びをしながら言う陸。
すると、背後から春のか細い声が耳に届く。
「あ、春ちゃんは嫌だったら別に…」
さすがに、それは嫌だったか。
陸はやっぱりみんなを探そうか、と言うために口を開こうとする。
だがその前に、春が口を開いた。
「いえ、嫌じゃありません」
「え?」
思わぬ春の答えに、目を丸くする陸。
そんな陸をよそに、春は陸が見たことも無い輝くような笑顔を浮かべながら続けた。
「せっかくお祭りに来たんですし、このまま二人で回っちゃいましょう。…あ、もちろん全部先輩の奢りですよ?」
入学式の時に助けてくれた王子様の背中を見たような気がした。
春は隣で歩く陸を横目で見遣る。
先程、ぬいぐるみを手渡された後、陸は大きく伸びをした時。
陸の背中が、春の中であの王子様の背中と重なった。
良く考えれば、陸が王子様だという要素がたくさんあるではないか。
まず、春が拾ったペンダント。あれが陸の言う通り楽の物だったとするならば、気を失った自分を運ぶときに楽が手伝ったのだとすれば、簡単に合点がいく。
他にも、崩れたパイプの山から誰かが自分を助けてくれた時。あの時、近くにいたのは陸だけだった。
陸は王子様が助けたのだと言っていたが…、本当は…。
それに、春の中で決定的だったのは一か月前の出来事である。
そう、デパートで小咲の誕生日プレゼントを選んでいた時のあの事件だ。
助けてくれたのは、王子様ではなく陸だった。
いつも助けてくれたのは、頭の中で思い浮かべていた王子様ではなく、今隣で歩いている陸だった。
そう、憧れていた王子様はずっと身近にいたのだ。
「春ちゃん…、春ちゃん?」
「あ…。ど、どうかしましたか?」
不思議そうにこちらを覗き込む陸。
心なしか距離が近いような気がして、思わず春は顔を赤らめる。
「あのさ…。俺、今までずっと働いてたわけよ…。…お腹減ったのであそこのタコ焼き買っていいですか」
「…別にいいですよ。どうしてそんなに言い訳染みたこと言ってるんですか」
そんな親に恐る恐る何かを頼む子供のような態度で言わなくてもいいのに。
笑みを零しながらすぐに、春は陸の手を掴んでひっぱり、タコ焼き屋台の列に並ぶ。
「本当に、先輩って変な人ですね」
「だぁかぁらぁ、俺は(ry
腹ごしらえも終えて、さっそく陸と春は祭りを回る。
金魚すくい、ヨーヨーすくい、射的にストラックアウト。
特にストラックアウトは、陸の本格的な投球フォームに驚いてしまった。
(…あれ?変だな)
某人気アニメの黄色いネズミのお面を着けながら、陸がものまねをした時はその上手さに思わず爆笑してしまった。
(私…)
「春ちゃん、ほら」
「え…、これ…」
「さっき知り合いの屋台を見つけてな。買ってきた」
いつの間に買っていたのだろう。今川焼を陸から渡される。
(私、楽しんでる───────)
早速陸がそれを口に含んだのを見て、春も続いて今川焼を口に含む。
「おいしい!」
「だろ?これ、絶対春ちゃん好きだって思ってたんだよなー」
何とおいしい今川焼なのだろう。
春は勢いよく二口目にかぶりつこうとした時、ふとある事を思い出す。
「あ、あの…。先輩、さっきからお代…」
「ん?あぁ…、大丈夫大丈夫。こんなときくらい先輩風吹かさせろよ。それに…」
あの輪投げの後からずっとお代を出しているのは陸だ。
お財布事情はどうなっているのだろうか。もしかしたら、自分は遠慮をしなさすぎなのではないかと心配した春が陸に問いかける。
だが、陸は余裕さえ感じさせる笑みを浮かべて、財布からそれを取り出した。
「念のため、いつも多めに持って歩いてるからな」
「お、おぉ~…」
陸の財布から取り出されたのは…諭吉。
何でそんなに持ってきているのか。今日は屋台のシフトで一杯で、祭りに出る予定はなかったのではないのかというツッコミは受け付けません。
春は、その光景を目を輝かせ、感心の声を漏らしながら見つめる。
「てことで、遠慮はすんなよ?春ちゃんは俺と二人で不服だろうとは思うけど…、せっかくのお祭り、楽しまなきゃ損だろ?」
「っ…」
その陸の言葉で、春は悟る。
陸は、自分が落ち込んでいることに気付いていたのだ。
楽に対する最悪の誤解に気づき、今までの自分の態度を攻め続けていたことに気付いていたのだ。
だから、陸は自分を元気づけようとしている。
「…あ」
春自身、その時に何を言おうとしたのかわからない。
でも、何か言わなければと口を開いて、声を絞り出そうとしたその時。
春と陸の視界の横で、何かが光った直後に低い爆発音が響き渡る。
普通ならば焦る所なのだろうが、視界に入った光の色がその正体を物語る。
「うわ、始まっちまったな…。悪いな春ちゃん、俺と二人で見る羽目になっちまって…」
パラパラという音が鳴り響く中、さらに次々と打ち上げられていく光。
陸がその感動的な光景に目を向ける中、春は陸の横顔を見つめていた。
「私は別に、先輩と二人でも不服じゃないですけど…」
「…え?」
笑みを浮かべてながら花火を見ていた陸だったが、その笑みを固まらせて春の方に目を向ける。
「わ、私はもう先輩の事嫌いじゃないですし!?ほら、先輩は私を助けてくれた恩人でもありますし!?そんな不服に思うほど嫌だとは思ってませんよ!」
「あ、あぁ…。そう…?」
怒涛の勢いで言葉を並べる春に、陸は苦笑を浮かべている。
もうすでに、春は陸から視線を外しているためその表情に気づくことはなかったが。
そして、春の顔が伏せられているため、その顔が真っ赤に染まっていることに陸も気づいていない。
「春!陸君!」
どこか居た堪れない空気になってしまった所で、どこかから聞き覚えのある声が聞こえてくる。
春と陸がその方向へと目を向けると、人ごみを通り抜けてこちらに向かってきている小咲を先頭とした皆の姿があった。
「あっ」
「っ、小咲!」
すると、この人ごみの中の誰かの足に引っ掛けたのか、小咲の体勢が前へと崩れてしまう。
それを見た陸が、真っ先に小咲の方へと駆け寄っていく。
「お姉ちゃん!」
春も小咲の方へと駆け寄ろうとするが、その時にはもう、小咲は陸の胸で受け止められていた。
「っ…」
その瞬間、ちくりと胸が痛む。
小咲が転ぶことなく、怪我をすることも無かったのに。
今の二人の体勢を見ていると、ちくちく胸が痛む。
(どうして…)
何故、と春が考えようとした時、今までとは規模が違う光と音が響き渡る。
春も、陸も小咲も、他の人達もその花火を目にした。
それは、この花火大会で伝統となっている一玉、お結び玉。
カップル二人で目にすると、その二人は永遠に一緒になれるという言い伝えがある、伝説の一玉。
「綺麗…」
「あぁ…。形はベタだけど、すげぇわ…」
小咲と陸が、寄り添うような形でそのお結び玉を目にしている。
それは、小咲にとってとても良い事であり、自分にとっても姉の恋路の進展を喜ぶべきなのに。
それなのに…、今までで一番、胸が痛んだのは何故なのだろうか。
「花火すごいキレーだったねー。春もちゃんと見れた?」
「うん、ばっちり」
花火大会が終わり、その後、春たちの中でも花火大会が行われ、解散して家に帰った。
春と小咲はその後、すぐに二人でお風呂に入っていた。
「お姉ちゃん、よかったねー。先輩とあんな近くでお結び玉見られて」
「ふぇっ…」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら小咲に問いかける春。
小咲の顔が一瞬で真っ赤に染まり、びくりと体が震えたことにより大きく水が揺れる。
「それも、その前には先輩に抱きしめられちゃって…。これはお姉ちゃんの恋が叶うのも近いかなー」
「は、春ー!」
さらに追撃を加える春に、頬を染めたまま困った顔をする小咲。
うん、やはりそうだ。小咲の想いは…
「じゃ、私はもう上がるねー」
「うぅ…」
これ以上からかうと怒られそうなので、さっさと退散することにする春。
頬を染めたまま恨めし気に春の背中を見てくる小咲を無視して、春は風呂場から上がって体を拭き、パジャマに着替える。
(そっか…。やっぱり、お姉ちゃんは先輩の事が好きなんだ…)
小咲が陸を想っていることはわかっていたはずなのに。
何で今になって思い知らされると、こんなに胸が痛むんだろう。
(…私は)
もう、気づくしかない。
本当なら、許されないこの想いと向き合うしかない。
(好きなんだ…。先輩の事が…)
扉を開け、部屋の中へと入りベッドへと飛び込む。
陸の事を考えると、心が躍るようになったのはいつからだろう。
陸の顔を見て、ドキドキするようになったのはいつからだろう。
陸と小咲が仲睦まじげにしている所を見て、胸が痛むようになったのはいつからだろう。
いずれも、自覚したのは今日。
でも、自覚したからこそそれは、前からずっと抱いていた思いだという事がわかる。
(…私はお姉ちゃんを応援しよう)
気付いた思いを受け止めて、春が出した結論は小咲を応援することだった。
(二人がくっつけば、この気持ちも諦められる…)
両目から涙を流しながら、必死に決意を揺るがそうとする恋心を抑え込む。
(だから…、早く諦めさせてね…。先輩…、お姉ちゃん…)
涙を拭いて、決意を固めた。
その、はずだった。
「こんちゃーす」
次の日の朝、春の思いも露知らずお店の中に入ってくる思い人。
「あ、陸君。いらっしゃーい」
「いやぁ、親父がここの味にすっかりはまっちまってなー。強引にお使いに出されちまったよ」
「…」
どうして…、どうしてこの人はこんなタイミングで来るのだろう。
諦めるって決意を固めたばかりなのに。
姉の恋を応援すると決めたばかりなのに。
あっけらかんとした顔で入ってきた思い人に、ふつふつとここで炎が燃え上がる。
「お、春ちゃん。いやぁ、昨日の楽は傑作だったなー!ははははは!」
「っ!」
陸の笑い声を聞いた瞬間、春の限界が訪れた。
ずんずんずんと歩みを進め、お店のシャッターを下ろす春。
「…え?」
「ち、ちょっと春!?」
陸と小咲の戸惑いの声が聞こえてくるが、知ったことではない。
しかし…、陸が来ただけでこんなに心が躍るという事は、まだ気持ちの整理がついていないという事なのだろうか。
春の心の葛藤は、まだまだ続きそうである。
おまけ
お結び玉を見た後。春は楽に今までの誤解を謝罪した直後の事である。
「あの…、これ、お詫びの品です…」
「…ぬいぐるみ?」
「はい。せん…、陸先輩が楽先輩は可愛い系の物が好きだって…」
「…おい陸」
「何だよ」
「…俺のぬいぐるみ趣味は秘密だって言っただろーが!何で春ちゃんに言ってんだよ!」
「春ちゃんの気持ちを汲んだ上だぞ。ありがたく受け取れ」
「いや春ちゃんにはお礼を言うさ!でもその前にやるべきことがある!」
「ほぉ、春ちゃんへのお礼よりも大切な事とな?お礼をそっちのけにしてでもやるべき事とな?それはそれは大切な事なんでしょーなー」
「うがぁあああああああああああああああ!!!」
軽い兄弟喧嘩が起こってしまったのはご愛嬌である。
ということで、こういう風になりました。
そして質問なのですが、ハーレムタグをつけた方が良いのでしょうか。それとも、ハーレムまではいかないものの小野寺春というタグをつけるべきなのでしょうか。
活動報告にも同じことを載せてあるので、そちらに回答をお願いします。