正直これが限界でしたごめんなさい…。
天国、極楽、まさにそんな言葉が似合う夏休みも、もう残り少なくなってきた…ある日。
陸は珍しく家から外に出て歩いており、そしてその隣には小咲が歩いていた。
…いや、隣というのは少し語弊がある。だがどう言い表せばいいのかわからない。
傍らと言えばいいのか、それとも眼前と言えばいいのか。ともかく、陸のすぐ傍には小咲がいた。
「こ、小咲。大丈夫か?」
「う、うん…。大丈夫だけど…」
前に水槽のガラス、後ろに陸、この板挟みの状態で。
陸が縮こまった体勢で立たざるを得ない小咲に問いかける。
小咲は大丈夫だと答えたのだが…、それにしても、いくら夏休み真っ只中とはいえ、こんな状態になっているとは思わなかった。
小咲のすぐ後ろに立っている陸だが、その彼のすぐ後ろにもまた人が立っていた。
そのすぐ後ろにも、そして隣にも…、たくさんの人が。
今、陸と小咲は水族館の入り口付近にいるのだが、ここまででわかる様にかなり混んでいる。
何とか人ごみの間に体を入れて進もうとする二人。
「お…、小咲、俺の手つかめ」
「え…?あっ…」
水族館に入ってから、五分くらい経っただろうか。ようやく陸の視界に人ごみの終点が見えた。
体が人ごみから抜けると、陸は今だ人ごみの中にいる小咲へ手を伸ばす。
しかし、差し伸べた陸の手をぼんやりと眺めるだけの小咲。
仕方ない、と陸は小咲の手首を掴んで引っ張る。
「あ…ありがとう」
何故陸が手を差し伸べたのかよくわからなかったのだろう。
人ごみから抜けた小咲は、合点がいったような顔になり、陸へお礼を言う。
「さて、と…。中はゆっくり回れそうだな。どこから行こうか」
小咲の方を見て一つ頷いてから、陸は周りを見回しながら言う。
入り口付近はかなり混んでいたが、中はスペースに余裕があった。
それでもまだ、結構混んでいるように見えるのだが…。
「…あ、陸君!あれ!」
「ん?」
すると、陸と同じように周りを見回していた小咲が、不意に陸の服を引っ張りながらどこかを指さす。
陸は小咲の顔に目を向け、そして視線を小咲が指差している方へと向ける。
<イルカショー 1:30~ イルカスタジアムにて>
「イルカショー?」
小咲が指差している方には、イルカショーの開催時間と場所が書かれた看板が立っていた。
陸はその看板を見てから、小咲へと視線を戻す。
「見たい…んだな」
「…」
見たいのか?と問いかけようとしたのだが、その言葉を言い切る前に小咲は答えを示していた。
目を輝かせ、にっこりと笑いながらコクコクコクと頷き続けるという形で。
「じゃあ…、行くか?」
「うんっ」
あまりの食い付きぶりに、思わず少し引き気味になってしまった陸だが、すぐに気を取り直して小咲に確認する。
小咲は問いかけてくる陸に、もう一度、深く頷いて応えた。
イルカスタジアムへたどり着くのに、そう大した時間はかからなかった。
案内板を見て、現在地と方向を確認しながら進み、陸と小咲はイルカショーが始まる五分前には席に着いていた。それも、幸運なことに空いていた最前列の席に。
「(わくわくわくわく)」
「…」
席に着いた陸は、隣でうずうずと落ち着かない様子でいる小咲を横目で見ていた。
いつもは見られない、あまりに高いテンションの小咲に新鮮味を感じる陸。
…もう少し落ち着くことは出来ないのかという恥ずかしさもあったりなかったりだが。
興奮する小咲を宥めながら待つ三分は、今までの中でも一番ではないかと思えるほど長く感じた。
ショーが始まると、それは凄かった。
とはいえ、小咲は子供のように騒いだりはしなかったのだが。
ならば、何がすごかったのか。
(うわ、すげぇ…。今まで見たことないくらい小咲の目が輝いてる。テンションが上がってる。ていうか、テンションが上がり過ぎて何も言えてねえ)
何というか、無言で訴えてくるのだ。
あのイルカが凄い、あのイルカが可愛い、あのイルカに乗ってみたい等々。
え?何で小咲は何も言っていないのにわかるのか?
…実際に今の小咲の目を見てみればわかるさ。
と、まあこんな感じの小咲もそうだが、実はイルカショー初体験という陸もかなり楽しんでおり、様々な芸を繰り広げるイルカを見て歓声を上げたりしている。
さて、その調子で陸もイルカショーに釘付けになっていき、いつしか小咲と同じように目を輝かせ始めたその時、あるちょっとした事件が起こる。
『さて、お次のショーはお客様にも手伝ってもらいたいと思います!』
次は何を見せてくれるのか、ワクワクしながら待っていると司会の女性がお客を見回しながらそう口にした。
そこでふ、と陸は我に返る。
我に返って…、司会者の言葉を飲み込み、これはもし選ばれたらイルカと戯れられるのでは?という考えに至る。
…先程まで感じていた興奮が再燃した。
選ばれたい。選ばれてイルカと戯れたい。
いつしか隣で陸と同じように興奮している小咲の事も忘れ、イルカのこと以外頭からなくなっていく。
『では、そこのカップルお二方!こちらへ来ていただけませんか!?』
陸と小咲の動きが止まったのは、全く同じタイミングだった。
(え、カップル?誰の事だ?)
(あれ…、あの人、私の方向いてる…)
自分が手を向けられていることに気付いた陸と小咲は、そこで自身が一人でここに来ているわけではないという事を思い出す。
そして、互いに顔を見合わせて…、司会者の言ったカップルが誰の事なのかを悟る。
「えっ…、わ、私たちですか!?」
「…どうやらそうらしい」
互いに無言でショーについて語り合っている内、いつの間にかかなり距離が近づいていたようで。
そんな二人の距離感を見て司会者が勘違いしてしまったのだ。
「私たちはそんな…!」
「ま、まあまあ。弁解してたら時間押して司会者の人も困るだろうし…、ここは空気読んどこうぜ」
というよりこれはチャンスだろう。
まさかショーのお手伝いに選ばれるとは。イルカと戯れることができる。
このチャンスを逃したくはない。
カップルと間違われ、小咲は嫌かもしれないが…、悪いがここは付き合ってもらおう。
(うん、後で謝るから小咲。だから今は…、俺のためにと思って協力してくれ)
心の中で何度も謝りながら、小咲の前に立ってステージに立つ陸。
『ではこの旗をお持ちに。こちらの合図で旗を上げると、ルー君がジャンプしますので』
白、赤の旗を陸と小咲にそれぞれ手渡しながら、司会者の人が説明をしてくれる。
『それでは二人共、手を繋いで下さ~い!』
そして説明が終わり、いよいよショーに入るのか。
と、思っていたのだが今、自分たちは周りの人にカップルと思われている。
ていうか、今やろうとしているショーはカップル向けに設定されているのだろう。
ともかく、言う通りにしなければ怪しまれる。
陸は小声で、小咲にだけに聞こえるように謝ってからそっと手を握る。
「っ、ひ、ひゃぁっ!ま、まだ心の準備が…」
だがその直後、顔を真っ赤にした小咲が勢いよく手を離し、さらにその勢いに乗ってもう片方の、旗を持っている方の腕を上げてしまった。
「あ」
『あ、ちょっと、まだ…』
呆けた声を漏らす陸と、思わぬ小咲の行動に焦る司会者。
そして、調教師に仕込まれた通りの行動をするイルカ。
「っ」
傍目でイルカの泳ぎを見た陸は、次に起こることを確信して咄嗟に小咲に覆いかぶさる。
小咲の顔に戸惑いが浮かぶが、それに構っていられない。
小咲に覆いかぶさった陸はそのまましゃがみこみ、直後に襲い掛かる事態に備えて心を構える。
そして、次の瞬間。
陸の背中に、大量の水がかけられるのだった。
「ごめんなさい!」
陸の目の前で、深々と頭を下げて謝罪してくる小咲。
理由は、もちろん先程のイルカショーでのことだ。
小咲が旗を上げてしまったせいで、ジャンプをしたイルカ。
その際に上がった水しぶきで陸の服はびしょ濡れになってしまったのだ。
「いや、気にすんなって。それにむしろ、謝んなきゃいけないのは俺の方だろ。いきなり手なんか繋いじゃって…。一言声かけてからの方が良かったな」
「…」
悪いのは、全部自分なのに。
それなのに、怒ることなく、笑って許しながらむしろ自分が悪かったと謝ってくる陸。
「いやぁ、ホント悪かったわ。あの時、カップルじゃないので他の人を指名してあげてくださいって言っとけば良かったのによ。小咲も、カップルだなんて間違われて嫌だったろ?」
「っ」
聞き捨てならない言葉が、小咲の耳に届いた。
瞬間、今まで申し訳なさにずっと黙っていた小咲の中で何かが燃え上がった。
「そんなことない!」
「え?」
陸が目を丸くしているのが分かる。
だが、今の小咲はそれでも止まらない。
「本当は陸君とちゃんとショーを楽しみたかった…。カップルだって間違われても嫌じゃなかった!」
「!?」
ただでさえ丸くなっていた陸の目が、さらに見開かれる。
小咲も、言い切った後ふと我に返る。
…今、自分はなんて言った?
「…っ!!!!!?」
先程、自分が言ったことを思い返して一気に顔を真っ赤にする小咲。
両手を前に出し、あわあわと振りながら小咲は口を開く。
「あ、あの…、その…」
「…」
ポカンとしながら、陸は黙って小咲の言葉に耳を傾ける。
その頬が染まっていることに、気づかない小咲は相当パニックになっているのは言うまでもない。
「ほ、ほらっ。陸君とは友達として仲が良いって思ってるし、カップルって間違われても嫌じゃないくらいは信じてるっていうか…」
「…」
ちゃんとした理由になっているだろうか。違和感なく言えているだろうか。
心配になって、思わず顔を俯けてしまう。
いつかは絶対、この思いを陸に打ち明けたいと思っている小咲だが、その大事な告白がこんなはっきりしないものになるのは嫌だ。
告白するなら、はっきりと自分で好きだと伝えたい。
だから、今は…今は。
「…そっか。そうだな、俺達、友達だしな。そんな気を遣わなくても良かったな」
陸が笑顔を浮かべながら返す。
小咲も、俯けていた顔を上げる。
「それよりさ、俺の服濡れてるだろ?ちょっと気持ち悪いし、そこの売店でTシャツ買いたいんだけど、選ぶの手伝ってくれるか?」
「…うんっ!陸君、どんなシャツが良い?」
「んー…、イルカが描かれてるシャツとか?」
互いに笑顔を向けながら、売店へと足を踏み入れる。
その後、陸と小咲は色んなシャツを比べるのだが、この間ずっと笑いが途絶えることはなかったとさ。
陽も沈み、辺りが暗くなり始めた時間帯。
陸は家へと帰宅し、玄関で靴を脱ぐ。
「坊ちゃん、おかえりなさいやせ!もうすぐ夕飯ですので、待っててくだせえ!」
「おう、了解」
ちょうど、玄関へと入ってきた組の男から言われた陸は手を上げながら返事を返す。
玄関を抜けて、自室へ入った陸は出かけた当初着ていた服が入った袋を床に置き、ポケットに入った携帯電話をテーブルに置いた。
そして、ドスンと座布団に腰を下ろし、後ろ手で床に両手を付いて天井を見上げる。
「…ふぅ」
その体勢のまま動かない陸。じっ、と天井を眺め続ける陸。
胸の内では、何を思っているのか。
「おぅ、陸。帰ってきてんだろ?入るぞ」
すると部屋の外から低い男の声が聞こえてくる。
その声の主は、陸の返事を待たずに障子を開けて部屋の中に入ってきた。
「何だよ親父。何か用なのか?」
入ってきた男、一征を見て陸は姿勢を直して問いかける。
いつも仕事で忙しい一征は、基本的に用がなければ部屋まで来ない。
その用が、本当に下らない事も多々あるのだが…。
「おぉ、ちょっと急いでお前に知らせてぇ事があってよ」
「知らせたいこと?」
一征は、陸におぅ、と返してから口を開いた。
「さっき、叉焼の方から連絡が入った。詳しい日付はまだ決まってねえみてぇだが、近い内に羽が日本に来るってよ」
「…はい?」
夏休みは、もうすぐ終わる。
それと同時に、嵐ももうすぐやってくる。
感想待ってまーす。