皆、一度は悩んだことがあるだろう。これから先、自分がしていきたいことは何なのか。
悩んだことがないという人は、これからきっと悩まされることになるだろう。
小野寺小咲、高校二年生。今まさに彼女は、自分の進路について悩んでいた。
母は家を継げと言っている。春と、そして陸と一緒に店を継いでほしいと言っている。
だが、小咲はふと思うのだ。
この世のどこかに、本当に自分がしたいことが…自分しかできないことがあるのではないかと。
「知るか!んなもん自分で考えろ」
「…相談、乗ってくれるって言ったのに」
「大体、あんたのやりたいことなんて私が知るわけないでしょ」
この会話で分かる通り、小咲は自分の進路についてるりに相談していたのだ。
るりを小さなカフェに呼んで、相談を持ち掛けたのだが…。
彼女から返ってきたのは無情なもの…いやまあ、進路の事は自分自身で決めなければいけない事なのだが。
「あんた、こないだの進路相談の事まだ引きずってんの?」
るりが小咲に問いかける。
そしてるりの言う通り、つい先日、二年生内で三者面談が行われた。
小咲も当然、二年生なので母と一緒に担任である羽と三人で進路について話し合った。
小咲母は、真っ先に家を継げと言い、小咲も特にこれがやりたい!というものがないため何となく流される形で肯定の意を示していた。
…小咲母が陸と小咲の事についてで暴走し出した時はどうなるかと思ったが。
何とか問題も無く、そのまま面談は終わってしまった。
「進路というならいっそ、お嫁さんにでもしてもらえば?一条弟君に」
「もう!今はそんな話をしてるんじゃなくて…!」
ジュースの入ったコップを手に、ストローを咥えながらるりが小咲をからかう。
「でもね小咲、それはあんた自身が決めなきゃいけないことだし、あんた自身にしか決められないのよ?ってゆーか、和菓子屋は嫌なの?」
「…嫌じゃないよ。むしろ、お母さんやお父さん、春と一緒に切り盛りしていくのはきっと楽しいと思う。でも…」
もしかしたら、それ以外にもっと何か、自分にしかできないことがあるかもしれない。
そう、思ってしまうのだ。
「るりちゃんは、翻訳家になるのが夢なんだよね?どうしてなりたいって思ったの?」
まだ高校に入る前、中学生の頃にるりから聞いた事。
るりが翻訳家を志したきっかけを、小咲が問いかける。
「んー…、私は元々本が好きだったからね。ある時、ずっと楽しみにしてた海外の作家さんの新作が出て、それを自分なりに和訳して読んでたのよ」
「和訳って…」
さすがはるりというべきか。和訳なんて…、自分なんかには出来っこない。
るりは、さらに言葉を進めていく。…心なしか、口調がだんだんと強くなっていっている。
すると数日後、その作品の和訳版を読んだ人の感想をネットで見たらしい。
だが、その人はるり自身が受けた印象とは全く違う感想を書いていたという。
初めは、受け取り方は人それぞれだろうと納得していたらしい。
それでも、何となく気になったるりはその作品の和訳版について調べてみたらしい。
「そしたらね、和訳版では原作とは全く違う解釈で書かれていたの。…正直腹が立ったわ。私ならもっと、百倍も面白く訳すことができるのに、キィーーーーーーー!ってね」
「す、すごいなぁ…、るりちゃんは…」
ただただ感心するしかない小咲。
そんな小咲から視線を外しながら、るりは再び口を開いた。
「世の中には、言葉の壁のせいで本来ならもっと深い感動を与えられるはずの作品がたくさんある。それを伝えるべき人の力不足によって、十分に伝わらない事が多くあるという事実をその時に知ったのよ。だから私は、作品を書いた人の想いをもっと上手に、もっと多くの人に伝えられる橋渡しをしたいって思ったの」
「…凄い。凄いよるりちゃん…、凄く大人っぽい…!」
「が、柄にもない事を話したわね…」
感心を通り越して、感動すら覚えるるりの話。
目を輝かせる小咲に一瞬視線を向けたるりは、頬を染めながらすぐにそっぽを向いてしまう。
「でも、これは飽く迄私の場合よ。あんたの事はあんたにしかわからないんだから」
「…うん」
しかし、るりの言う通り先程の話は飽く迄るりの話である。
その話が、小咲の参考になるかどうかはこれからの小咲の選択によって変わる。
「もっと他の人に聞いてみたら?もしかしたら、あんたでも気づいてない一面を気付かせてくれる人がいるかもしれないし」
「うん…、そうしてみる」
やっぱりるりは凄い。ハッキリした目標を持って、その目標に向かって努力をして。
(それなのに、私は…)
次の日、早速、まずは鶫と千棘に話を聞いてみた。
特に、鶫はグラフや図などを使ってわかりやすく色々と自分の性格や能力に合った職業について説明してくれた。
でも結局、自分自身で答えを出すことはできず。
とりあえずは、鶫が例として出してくれた職業に就く自分を想像したりして考えていた。
(…ダメだ、全然わかんにゃい)
だが、ダメ。小咲の頭の中はグルグルたくさんの考えが回って一つを絞り出すことができない。
頭の中を整理できない小咲は、あの狭い路地の奥にある彼女の秘密の場所に立ち寄っていた。
柵に腕を乗せ、その腕に頭を乗せて寄りかかる。
(今の私がしたい事…、そんなの…)
自分が本当にやりたい事。自分に向いている向いていないなどを考えず、ただ自分がやりたいことを率直に思い浮かべる。
「…陸君」
思い浮かんだのは、陸の顔だった。
小咲は、自分でも気づかずに彼の名前を口にする。
「え?」
すると、小咲の真下から誰かの声がする。
その声に聞き覚えを感じた小咲は、びくりと体を震わせながら視線を下に向ける。
「あれ…、小咲?」
「り、陸君…!」
そこにいたのは、階段を上ってこちらに来ようとしている陸だった。
陸は見上げながら目を丸くし、小咲も目を見開いて頬を赤らめて驚いている。
陸はそのまま階段を上り、小咲の隣で立ち止まってカバンを下ろす。
「ぐ、偶然だね…。良くここに来るの?」
「そうだな…、最近は良く来るな」
「…そっか」
何と陸はここに良く来ているらしい。それだけ、ここを気に入っているという事なのだろうか。
もしそうならば、この場所を教えた自分としても嬉しいものがある。
「それで?何かあったのか?」
「え?」
不意に、陸が両手で柵を握り、顔だけをこちらに向けて問いかけてきた。
「さっきの小咲の顔、何か悩んでますって顔だったぞ」
「っ…」
この短い間で、陸は見抜いていたのだ。小咲が、何かに悩んでいるという事を。
問われた小咲は、陸に話した。自分が何について悩んでいるのか。
そして、それを解決するために友人に色々と聞いていることを。
「…なるほど、進路の事ねぇ。確かに、先の事決めんのは難しいからなー」
「…陸君は、将来何になりたいのかは決めてるの?」
「俺?俺は…」
小咲は、将来やりたいことについて陸に問いかける。
陸は目を虚空に上げて考える素振りを見せてから、口を開いた。
「俺は…、まだ決まってないんだ。悪い、多分その相談には碌に乗れねえわ」
「う、ううん!むしろ、陸君が同じように悩んでるってわかって…ちょっと安心したっていうか…」
謝罪してくる陸に、両手を振りながら言う小咲。
陸は謝ってくれたが、むしろ陸が自分と同じように将来について悩んでいるのだと知れて良かったと思う小咲がいる。
「あっ、ごめんね!?陸君だって悩んでるのに…、そんな安心したなんて…」
「いやいやいや、俺だって小咲も同じように悩んでるんだって安心したよ」
今度は小咲が陸に謝る。陸が悩んでいることを知って安心するなど、失礼極まりないだろう。
それなのに陸は、笑いながら自分も一緒だと言ってくれた。
その言葉を聞いた小咲は、ほっ、と安堵の息を漏らす。
「でも、もう高二の秋だし、そろそろ将来の事決めないとだよね…」
「そうだなー。ま、俺はぶっちゃけ小咲はそんなに焦らなくても良いと思うけどな」
「え?」
その陸の言葉は、小咲にとって思いもよらない言葉だった。
「だって、小咲はもしやりたい事とか見つからなくても、和菓子屋の手伝いしながら探したりできるだろ?小咲の母さんだって、小咲が本気でやりたいって思ってるなら止めたりはしないだろうし」
「…」
「あ、どうしても何も見つからないってなったら俺じゃなくてもいいから誰かに言えよな。将来の事は他人には決められなくても、その人を後押しすることはできるんだから」
考えてもみなかった。高校にいる内に、早く見つけなければという使命感に囚われていた。
ゆっくり見つけて行こうなんて、考えられなかった。
「…ねぇ。陸君は、その…、私に何になってほしいって思う…?」
「小咲に?何になってほしい?」
陸が、きょとんと眼を丸くしているのが分かる。
「んー…。よく分かんねえな。…看護婦とか?」
「か、看護婦?」
「だってほら、小咲すげぇ優しいし。患者に人気でそう」
小咲は知らぬことだが、陸は頭の中で小咲の看護婦姿を想像していた。
白い看護服を着た小咲が患者を世話する光景。そしてその患者はじぶ、いやこれ以上はいけない。
等々、妄想を働かせてしまった事を小咲は知らない。
「小咲は何かないのか?現実的じゃなくていいから、頭の中に浮かぶもの」
「現実的じゃ、なくて…」
今度は陸に問われた小咲は、ぼんやりと陸の言葉を復唱する。
「え…と…」
小咲は先程、ここで陸と会う直前に頭に浮かんだある事を思い出す。
それは現実的とはとても言えない。いや、ある意味では現実的かもしれないが、それでも今この時期で考えるのは少し現実的とは言いづらい。
「私、は…」
でも、現実的じゃなくていいなら─────
ちょっと、恥ずかしいけど…
「あ、あのね…。陸君は…。私がお嫁さんになったりしたら、どう…思う…?」
「…え」
言ってしまった。いくら現実的とはいえ、お嫁さんになりたいなんて…。
「…そりゃ、良いお嫁さんになるんじゃね?」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
だって、高校生がお嫁さんになりたいなんて…普通なら言われた方は反応に困る所だろう。
それなのに陸は、全く驚いた様子も見せずに答える。
「小咲優しいし、旦那になる男を羨ましがる奴はたくさんいると思う」
柵で頬杖を突きながら言う陸。
「で、でも私、料理とかできないし…」
「んなの出来る奴を旦那にすればいいだけじゃん。それに、どうしても料理したいなら練習しろ練習!」
ぽかん、と呆けてしまう小咲。ここまで真面目に話してくれるとは思ってなかった。
正直、冗談だろと笑い飛ばされるとばかり思ってなかった。
「けどさ小咲。ちょっと言い方気を付けろよな。あんな言い方じゃまるで、俺のお嫁さんになりたいみたいに聞こえたぞ」
「…え?」
小咲は先程自分が言ったことを思いかえす。
『陸君は…。私がお嫁さんになったりしたら、どう…思う…?』
「っ!!」
ぼっ!と、一瞬にして顔が真っ赤になる小咲。
そんな小咲を見ながら、陸は笑っている。
「大丈夫だって、わかってるから。例えばの話だろ?」
「そ、そう!そうなの!ご、ゴメンね!?変な言い方して!」(あぁもうバカバカバカ!どうしてここですぐに否定する言葉を言っちゃうかなぁ!!)
言葉とは裏腹に、内心では全く違うことを思っている小咲。
もちろん、そんな事は露ほども知らない陸は笑みを浮かべながら視線を景色の方に向ける。
「うおっ」
「?」
すると陸が、びっくりしたような声を上げる。
恥ずかしさに顔を真っ赤にしていた小咲は、その声で我に返り、陸の方を見る。
「見てみろよ小咲。すげぇ綺麗だから」
「…うわぁ」
ここには何度も来ている。だけど、門限の関係で今この時間帯の景色を見たことがなかった。
夕陽が射し込み、空は赤みがかっている。
何の障害物もない高い場所から見下ろす町並みに加え、空が綺麗に赤く染まっている。
思わず、小咲の口から感嘆の声が漏れた。
「この時間帯の景色も凄いけど、ここから夜景見たらもっと凄いだろうな…」
「…うん」
陸の言う通り、ここから見る夜景はどれだけ美しいだろう。
星空も見れて、街頭や建物の光に彩られる街並み。
「せっかくだし、ここで暗くなるまで待ってるかなー…と?」
不意にそんな事を陸が言った時だった。小咲のではない携帯の着信音が響き渡る。
小咲のではないという事は、勿論それは陸の物である。
陸はポケットから携帯を取り出して耳に当てる。
「もしもし、あぁ親父か。…買い物?俺が行けってか?前に楽たちが行ってきたばかりじゃねえか。…ジャガイモが足りない?じゃあ、ジャガイモだけ買ってくればいいのか?」
陸が通話を終えるまで待つ小咲。
そして、陸は通話を切って携帯をしまうと小咲の方を見る。
「だーめだ、買い物頼まれた。夜景はまた今度だな」
「…そっか」
ちょっと残念だが、仕方ないだろう。陸には陸の事情があるのだから。
「じゃあ、いつか見に来よう?ここの夜景」
「そうだな」
笑顔を向け合いながら、約束する二人。
いつになるかはわからない。でも、絶対にまたここに来たい。
「…ありがとう、陸君。相談に乗ってくれて」
「え?いや、碌に乗れてなかったと思うけど…」
「ううん、そんな事ないよ。…本当に」
陸が買い物に行くため、もう行かなければならない。悩みが晴れた小咲も、陸に続いて帰路に着く。
陸と道を分かれてから、小咲は先程陸が言っていたことを思い出していた。
(私のやりたい事、まだハッキリはしてない。けど、探していこう。一まず、今はお嫁さんになりたいから。…料理は、もう少し頑張ろうかな)
家に着き、玄関で靴を脱いで家に上がると、小咲は言った。
「ただいまー!今日の晩御飯、私が作ってもいいー?」
「「え!?」」
直後、小咲母と春の驚愕の声が、しっかり小咲の耳に届くのだった。