文化祭が終わり、その最中に使われた資材などの片付けも終わり、振替休日を挟んで最初の授業の日がやって来た。
振替休日にしっかり気分転換ができたおかげか、文化祭の疲れをしっかりとった状態で朝を起きれた陸。
羽の寝ぼけ乱入というハプニング(日常)もあったが、今日からまた学生の本分に臨むことになる。
「で、あるからしてー…。サマータイムを含めたこの時差はー…」
現在の授業は地理。この科目は選択科目で、教室には陸とは違うクラスの生徒も多数いる。
陸は机に頬杖を突き、利き手に持つシャープペンをくるくる回して少し遊びながら教師の話を聞いていた。
しかしその直後、陸をアクシデントが襲う。
(…あ?)
どう形容したらいいのかわからない。
ただ、背筋に強烈な寒気が奔った瞬間だった。陸の意識が暗い闇の底へと落ちていく。
その途中、自分の体がゆっくりと傾いていくのが分かる。
(何で俺、倒れてんの?)
思考もはっきりしてる。
なのに、視界が暗くなっていく。耳が聞こえなくなっていく。
(やべ、もう無理)
その思考を最後に、ぷっつりと陸の意識は途切れたのだった。
ふと耳に入ったチャイムの音で、陸は目を覚ました。
目を開けた瞬間、飛び込んできたのは白い天井。寝転がっている様だから、それは当たり前なのだが。
しかし、天井の模様がいつもの教室とは少し違う気がする。
「…保健室?」
上体を起こし、周りを見回すと、陸が今寝ている場所はベッドだと気づく。
そして周りはカーテンで仕切られている。うん、間違いなくここは保健室だ。
「…でも、何で。…っ」
しかし、どうして自分は保健室で寝ているのか。
理由を知るため、陸は今日のこれまでの行動について思い返す。
いつも通りとして受け入れたくはないが、いつも通り朝、羽が布団に潜り込んできて。
それと同時に陸も起き、道場へ朝の鍛錬に行った。
そして、六時に鍛錬を止めて汗を流し、身支度、朝食を済ませて七時半には家を出た。
学校に着いて友人と駄弁り、ホームルームも終えて移動教室。地理の授業を受けていて、確か─────
ここまで思い返した瞬間、ずきりと鈍い頭痛が奔る。
まるで、頭がここから何が起こったか、思い出すことを拒んでいるかのように。
(何だ…。何があったんだ?)
手で頭を押さえながら、必死に思い出そうとする陸。
だが、原因不明の頭痛が続くだけで、何も思い出すことができない。
それから少しの間、何とか思い出そうとしていた陸だったが結局何にもならず。
とりあえず、目が覚めたことだし保健室から出なければと思い、上靴を履いてベッドから降りる。
そして、陸がカーテンを開けたと同時に、保健室の扉も開いた。
「失礼しまーす。…お、陸。目が覚めたのか?」
「楽?」
保健室に入ってきたのは楽だった。
楽がこちらに歩み寄ってきて、さらに椅子に座って何か作業をしていた保健の先生が振り返り、陸の方を向く。
「あら一条君、起きたのね。体は大丈夫?」
「はい。特に異常はないと思います」
「そう…。熱もなかったから、ただの貧血かしらね?」
貧血…、貧血か。
貧血で倒れたのなら、目が覚めてからすぐに動けるのは頷ける。
だが…、違う気がする。わからないが、貧血で倒れたのではないという謎の自信が陸の中にある。
「あー…、とりあえずもう大丈夫なんだろ?次は四時間目なんだけど、出れそうか?」
「ん?あぁ、多分」
ともかく、体に異常がないなら授業は出なければ。
楽の問いかけに、陸は頷いて答える。
「あら…。もう少し休んでていいのよ?」
「いえ、大丈夫です。次の体育の授業、ソフトボールなので何としても出たいです」
楽は、次は四時間目だと言った。つまり、陸は二、三時間目を丸々潰したという事になる。
その事にも驚いたが、まず四時間目は体育。そして、その授業内容はソフトボール。
二、三時間目の事は昼休みにでも友人に聞けばいい。
だが体育はそうはいかない。聞いても何ら意味がない。絶対に出たい。
表情にその意志をたっぷり浮かべながら、陸は保健の先生に言う。
すると、保健の先生は一瞬呆けた顔になると、すぐに呆れたように息を吐いた。
「わかったわ。さっきも言ったけど、熱もないから大丈夫でしょう。でも、少しでも異常を感じたらすぐにここに来なさい。わかった?」
「はい、ありがとうございます。失礼しました」
ちらっと横目で時計を見ると、次の授業が始まるまであと五分しかない。
許可をもらった陸は、保健の先生にお礼を言うとすぐさま挨拶をして保健室を出る。
「ちょっ、待てよ陸!し、失礼しました」
そそくさと出て行った陸を追いかけて、楽も保健室を出る。
「おい、次体育って…。ホントに大丈夫なのか?」
「あぁ。…そういやさ楽。何で俺は倒れたんだ…って、楽に聞いたって分かんねえか」
陸を心配する楽が問いかけてくるが、本当に体は大丈夫だ。
そう返事を返してから、陸は楽に自分が倒れた理由を問いかけようとした。
しかし、よく考えれば楽は自分と違うクラスだ。いくら兄弟、それも双子とはいえ見てない所で倒れたその理由が分かるわけがない。
それも、熱もない、異常もない。それに保健の先生も貧血と言っていたではないか。
(でも…、貧血じゃない気がするんだよな…)
また、先程も感じた謎の自信が心を過る。
一体この自信は何なのだろうか。陸は疑問符を浮かべながら、未だ返事をしない楽に視線を向ける。
「…」
「…おい。何か知ってるのか?」
「あー…えぇっと…」
楽に視線を向けた陸は、見た。楽が浮かべている苦笑、そして蟀谷から流れる汗を。
間違いない。楽は何か知っている。
陸はもう一度問いかける。
「…姉ちゃんが、歌ったんだ」
「…う、た…?」
うた
うたった
ねえちゃんが、うたった
ゆいねえがうたった
羽姉が、歌った。
「…っ!!?」
「…思い出したか」
そうだ。そうだった。どうして忘れていたんだろう。
羽が歌ったと楽が言った瞬間、全ての思い出が陸の頭の中で過った。
昔、羽が歌う時、陸はいつもその歌を聞かされていた。
音痴などという域を超え、まさに魔王の歌ともいうべきそのメロディーを聞き続けていた。
そしていつしか、陸は羽の歌を聞くごとに気絶するようになっていた。
そう。陸は、羽の歌がトラウマになっていたのだ。
「え…。音楽の先生の代役…?生徒の前で校歌を歌う…?」
「陸ちゃん!引かないでよぉ~!」
授業が終わり、陸が帰宅してからおよそ一時間後。羽も帰宅した後に聞いた話は、陸の心に衝撃を与え、表情を固まらせた。
しかし、それは当たり前である。
羽曰く、音楽の教師の代役をすることになった。そしてその代役をさせることになった音楽の先生は陸のクラスの授業も担当していたのだ。
つまり、陸は羽の音楽の授業を受けるという事になる。
さらに、凡矢理高校では月に一度、全校生徒が体育館に集まって朝礼をするのだが。
羽曰く、その朝礼で、生徒の前に立って校歌を歌う今月の当番になったという。
羽の歌がトラウマになっている陸としては、地獄にも等しい週になりそうだ。
「だ、大丈夫だって。来週まで、俺たちが練習を見ることになってるから。何とかするって」
「練習…だと…?」
楽のその言葉を聞いた時、コンマ何秒かの世界で陸の思考が巡らされた。
練習。来週までに間に合わせる。
羽の歌の下手さから考えると、休み時間などのちょっとした暇も使わないと到底間に合いそうにない。
そう、例えば、家にいる時とか…。
当然、羽の歌は同じ家にいる陸の耳にも届くだろう。
…地獄か。
「…ごめんね、陸ちゃん。大丈夫!陸ちゃんに聞こえない様に、近くの公園で練習するから!」
「…」
微笑んで、なのにどこか悲しげな表情を浮かべた羽が言う。
「…俺も練習に付き合うよ」
「え…、で、でも陸ちゃんは…」
「まずは音程をしっかりとる事を考えないといけないだろ?それくらいなら、声量を抑えてもできるだろ」
どんなに歌が下手でも、しっかり声を出して歌えば大丈夫というが…それを羽に当てはめてはいけない。
もしそんな事をしてしまえば、陸と同じ被害者を生み出しかねない。
だから、まずはしっかり音程を取る事から始めなければいけない。
そしてそれならば、声量を抑えても練習できる。
確信はないが…、声量を抑えれば、もしかしたら耐えられるかもしれないと陸は考えたのだ。
「…もう!そういう所が好き!」
「ちょっ、離せ羽姉!」
感激した羽が陸に抱き付く。抱き付かれた陸は、引き剥がそうと羽の肩を掴んで力を籠める。
そして、そんな二人のやり取りを、楽は微笑ましげに眺めて…
(あ、これ、小野寺の恋を応援する立場の俺にとっては焦らなきゃいけないとこ…なのか?)
「姉ちゃん、練習しないのかー」
我に返った楽は、羽を諭すために口を開いたのだった。
この日から、早速練習は開始された。
思惑通り、声量が抑えられれば陸は耐えることができた。(少しきついが、そこは我慢)
予定に沿い、まずは音程をとることを第一としたのだが…、羽はどれだけ練習しても全く成長が見られない。
いきなり校歌の音程を取らせるのはハードルが高かったかと考えた陸と楽は、発声練習で音程を取る練習を提案。
だが、ダメ。
しかし、さすがにこれをできなければどうすることもできない。
ひたすら、羽にそれを練習させていたのだが…、全く音程を取ることができず、ついに朝礼の前日まで来てしまった。
「なっ…、どうしたんだよ姉ちゃん!その声!」
「いやぁ…、気づいたらこうなってて…」
さらに、前日の朝、早速練習を始めるために陸、楽、羽の三人が合流した時だった。
陸も楽も目を見開いて驚愕した。挨拶をした羽の声が、ガラッガラにかれていたのだ。
「ったく…。毎日夜遅くまで無理するからだぞ。そろそろ止めようって、何度も言ってたのに…」
「うぅ…」
呆れ顔でため息を吐きながら陸が言うと、羽は縮こまりながら俯いてしまう。
「でも、どうすんだよ…。本番明日だぞ?これじゃ歌えねえだろ…」
楽の言う通り、羽の声がこんな状態では碌に歌うことはできないだろう。
「こりゃ無理だろ。羽姉、明日は誰かほかの先生に替わってもらったら?」
「!そんな…、でもっ」
羽自身、これでは歌えないという事はわかっているのだ。
だが、ここまで練習に付き合ってくれた陸と楽。それに、貴重な休み時間、手伝ってくれた千棘や小咲、万里花と鶫。
それらの人達への申し訳なさが、無意識に羽の顔を上げ、羽の喉が嫌だと言わせそうになる。
「…、…。そうだね…。私、まだ全然上手く歌えないし…、これじゃまたみんなに迷惑かけちゃうもんね。ありがと、陸ちゃん。楽ちゃん」
しかし羽は、自分の我が儘を抑えてそう言った。
精一杯微笑もうとしたその顔は、僅かに悔しさと悲しさに歪み、握った両手は震えている。
陸も楽も、ここまで懸命に練習した羽に歌ってもらいたい。
だが、それをすればどれだけの人に迷惑をかけるかわからない。
ダメだ、歌わせるな。自分の身だって恋しいだろう?
(…ダメ、なんだけどなぁ)
こんな事を考える自分は、甘いのだろう。
「ま、時間はもう少しあるし。替えてもらうのはギリギリになったってかまわないんだからさ。羽姉が練習したいんなら、俺達も付き合うぞ?」
「…陸ちゃん」
そう言う陸を見た羽の目の端に、涙が溜まっていく。
そしてそんな羽を見た陸は、次に羽が何をするのかをすぐに悟る。
「陸ちゃん!」
「だがさせない」
飛び込んでくる羽。体を翻してかわす陸。
かわされた羽は、床の上でヘッドスライディングをする羽目になってしまった。
「むぅ…、陸ちゃんのケチ」
「ケチじゃない。いい加減、抱き付くのやめろ」
唇を尖らせる羽を無視して、さっさと練習させるために移動する陸。
三人は楽の部屋に入り、早速羽が発声練習を開始する。
「…?」
「…あれ?」
羽が歌い始めてから少しして、二人の目が丸くなる。
目の前で歌う羽の声に、異常が発生していた。
翌日。いよいよ本番の日。
『以上、校長先生のお話でした。続いて、校歌斉唱です。生徒の皆さんは、ご起立ください』
校長の話も終わり、遂にその時がやって来た。
校歌斉唱。
生徒たちが、当然陸も立ち上がる。
少し経つと、ステージに羽が上り、設置されたマイクの所で立ち止まる。
(…しっかし、驚いたよな。喉が潰れたら歌声がまともになるなんて)
伴奏が始まり、校歌を歌い始める。
未だ、気絶するなどの被害者はゼロだ。
そう、羽の歌声は至って普通なものの、前の圧倒的破壊力は誇っていないのだ。
前日の朝から、羽の歌声はまともになっていた。
そして、陸と楽は、喉が潰れると羽の歌声がまともになるという謎の法則を発見したのだ。
そうと決まれば話は早い。羽には悪いが、朝礼までは喉を治させるわけにはいかない。
ひたすら羽に歌わせ続ける。歌声がまともならば、陸が気絶する心配もないため、しっかりはきはきと羽に歌わせ続けた結果、今に至る。
(…はぁ。何とか、これで乗り切れるだろ)
内心で安堵のため息を吐きながら、陸も校歌を歌い続ける。
だが…、そうそう順調にいかないのが世の摂理である。
(うん、ちゃんと歌えてるみたい。喉の調子も良くなってきたし…)
ここまで、自分の歌声で迷惑をかけた様子が見られない事で、自身に課せられた謎の法則を忘れてしまう羽。
羽の喉が潰れると、歌声がまともになる。
つまり、喉の調子が良くなるとどうなるか─────
(最後の一小節、ファイトっ)
歌っていると、徐々に喉の調子が良くなっていったことに調子に乗ってしまう羽。
ラストスパートといわんばかりに、声量を上げてしまった。…調子が戻った喉で。
「あぁ!?一条、どうした!」
「り、陸~!」
「い、一条が倒れたぁ!」
悲劇は、起こってしまった。
陸君…。乙。