ようやく書き上げる事ができました。いや、言い訳はしません。遅くなってしまい、申し訳ありません。
しかも長い間待たせた挙句、今回、凄まじいシリアス回でございます。タイトルを見れば大体想像つくと思いますが…。
この話の陸の行動に不快感を抱く方もいるかもしれません。ですが、温かい目で陸くんと仲間たちを見守っていただければと思います。
それでは、長々とした前書きはこの辺にして、本編をどうぞ。
思えば、予兆はあった気がする。初めて会ってから親しくなって、友達として付き合う様になって時が経つ毎に、ふとした時に表情に影が差すようになっていた。決定的だったのは、修学旅行直前に陸と一緒に行った旅館のバイト。思わぬ形で混浴する事になったあの時、明らかに陸の様子は今までとは少し違っていた。今まで感じた事のない刺すような雰囲気。まるで自分を拒絶しているようで戸惑ったのを覚えている。
それでも、ずっとこのまま一緒に…たとえ、自分が望むような関係にはなれなくとも、笑い合える関係がずっと続くのだと、そう疑わなかった。だって、考えた事もなかった。陸と会えなくなるなど、考えた事もなかったのだ。
だが、陸は違ったのかもしれない。いずれ来る別れの時を、ずっと覚悟していたのか。
「もう、お前らと会うつもりはないよ」
何故だろう。どうしても小咲は、その言葉をそのまま受け取る事が出来なかった。
一緒に一条家へと来た皆は、目を見開き、全員が戸惑いと驚きを表情に浮かべている。
だが小咲だけは、小さく唇を噛み締め、どこか悔しさを滲ませていた。
(どうして…)
「竜、どうせそこで聞いてんだろ?お客様のお帰りだ。玄関まで送ってやれ」
着物姿の陸は立ち上がると、そのまま部屋から退室していく。
そんな陸の後姿を見つめる小咲は─────
(どうして、そんなに悲しい顔をするの…?)
「……ん!お姉ちゃん!」
「っ…、春?どうしたの?」
「どうしたのって…、それはこっちの台詞だよお姉ちゃん。さっきからずっとぼうっとして」
「…ううん、何でもない」
陸の事で考え込んで、春に気が付かなかった…とは言わない。言ったら、春はまず呆れ、そして怒り出す事は解り切っているから。
「…どうせ陸先輩の事でも考えてたんでしょ」
「…うん」
それにまず第一、自分の考え事など、春には見通されているに決まっているから。これまで一度も、春に嘘を突き通せたことがない。いつの間にか、楽と千棘の交際がフリだった事もばれていたし…。本当に、どうしてばれたのかがさっぱり解らない事の一つだ。
「本当にあの人は…。少しはいい人だって見直したのに…、お姉ちゃんを悲しませて…!
」
「…」
やはり怒り出す春。最近…というより、陸が学校に来なくなり、その事について小咲が悩んでいる事を悟ってから、陸と会ってすぐの頃を彷彿とさせる荒れ様を春は見せるようになった。
「でも…。きっと何か事情があるんだよ」
「事情って…、それがお姉ちゃんを悲しませていい理由にはならないの!」
御尤も。全く言い返す言葉が見つからない。
「ともかく明日、一言言ってやらなきゃ!」
ふんすふんすと意気込む春。明日、小咲と春、他にもるりや集、千棘に鶫と万里花と、一条家に赴く事になっている。それでも果たして陸に会えるのかという話だが、それに関しては楽が解決している。いや、陸本人にアポイントをとっていないため解決したとは言い難いのだが、組の男から明日は陸に外出する予定はないという話を聞き出したという。今日の学校で楽がその話をし、ならば明日会いに行こう、という話になったのだ。
そしてその話は春に伝わり、春も一緒に行く、説教してやるという事で今に至る。
「ホントに陸先輩は…。大体あの人は────」
「…」
未だに陸に対する不満を口にする春を見て苦笑い。…春も本気で言葉通りの気持ちを抱いている訳ではないはずだ。いや、100%信用し切っているという訳でもないだろうが。明るく振る舞って自分を元気づけようとしている、そんな妹の心遣いに姉は気付いていた。
その方法が、思い人への悪口を言い並べる、というのは少々複雑ではあるが。
「…大丈夫だよ、お姉ちゃん」
「春?」
「きっと話してくれるよ。今までずっと休んでた理由も、私たちと連絡を取ろうとしなかった理由も。…ていうか、全部吐かせようよ、ね?」
やや表情が優れないままだった小咲に、今度は優しい声音で話しかける春。と思ったら、優しい声音はそのままに、なかなか恐ろしい事を口にする春に再び苦笑い。
「だから負けちゃだめだよお姉ちゃん!お姉ちゃん優しいから、先輩が話したくないとか言い出したら分かった、とか答えそうで…。とことん追い詰めなきゃダメなんだからね!?」
「…」
何でそんな、彼氏の浮気で破局の危機を迎えてる彼女へのアドバイスみたいな台詞を言っているのか。まだ陸とはそんな関係では…いや、まだというのは飽くまでもその────
初めは春の可笑しな台詞へのツッコみだったのが、いつの間にやらどこの誰に向けてか解らない言い訳へシフトしていく内なる小咲。そしてそんな小咲に気付かず再び陸への不満を言い連ね始める春。
こんな小野寺姉妹のやり取りはひたすらループを繰り返し、夜遅くまで続いたという。
「そんなこんなでやって来ました本日。さあ、一体どんな釈明が聞けるのか楽しみですね!」
「黙りなさい。そんなお茶らけた空気じゃないのは解ってるでしょ」
「いやそうだけど、あまりに深刻な空気なのもどうかと思ってね?…あれるりちゃん、どうして拳を振り上げてるのかな?もしかしてそのまま振り下ろす気jふぎゃっ!」
後ろの方で漫才している眼鏡コンビはいつもの事なので放って置くとして、現在小咲たちが立っているのは一条家の門の前。時刻は午後一時、集合時刻になったと同時、開いた大きな門の奥。家で小咲たちの到着を待っている楽以外の全員がこの場に集まっていた。
誰かがそう言った訳でもなく、誰かが先に歩き始めたという訳でもなく。後方で漫才をしていたるりと集の二人もすでに静まっている。小咲たちは門を潜り、一条家の敷地内へと足を踏み入れる。門を開けたと思われる二人の男が、両脇で頭を下げて道を歩く小咲たちを見送っている。
鍵は開いており、チャイムを押すことなく家の中へと入る事が出来た。
「…よう」
「楽…」
玄関で小咲たちを待っていたのは、この家に皆を集めた楽。全員が靴を脱ぐのを待ってから、廊下を歩き始めた楽についていく。長い廊下を何度か曲がっていくと、他の場所とは少し雰囲気が違う、陽の光が届きづらい、薄暗い廊下が小咲たちの目の前に現れる。その一番奥には、ここまで見てきた廊下の脇のものとは違う、大きく仰々しい障子。
楽の歩くペースが速まる。それを見て、小咲は直感する。あの障子の奥に、陸がいるのだ。
どくん、と一際強い胸の鼓動が高鳴り、その後も速いペースで鼓動が鳴り続ける。
何を話せば、千棘たちは思いっきり陸を問い質すつもりでいるようだが、あまり陸が嫌がる事を強要したくはない。かといって、陸の口からどうして自分たちの前から姿を消したのか、これまで何をしてきたのかを聞きたいという気持ちもある。
(ど、どうすれば…。あっ)
「おい陸!今すぐ色々と言ってやりたい事があるけどよ、とりあえず!」
小咲が葛藤している間にふと気付けば障子の前に辿り着き、そして楽が勢いよく障子を開けた。
バン!と障子が壁に当たる音が響く中、突然姿を現した楽、そしてその後ろに立つ大勢の友人たちを目にして、呆然と口を半開きにさせている陸に、楽はさらに一言続けた。
「皆を連れてきたぞ」
場所は移り、少し広めの座敷の部屋に案内された小咲たちは人数分用意された座布団に腰を下ろしていた。ほとんど家具が置かれていない、部屋の中央に大きめのテーブルがあるだけの殺風景な部屋。ここは賓客がこの家を訪れた時に最初に案内される部屋、所謂客室だ。
そう、小咲たちが案内されたのは陸の部屋ではなく客室。その事実が、どうしようもなく今の自分と陸との距離の遠さを容赦なく突き付けてくる。室内に広がる静寂も相まって、小咲の気持ちを大きく沈ませる。
「…で?」
たくさん言いたい事はある。だが、いざ本人を目の前にしてその話題を口に出す事ができずにいた小咲たちに痺れを切らしたのか、陸が口を開いた。
「何しに来たんだよ。俺忙しいし、用ないなら戻りたいんだけど」
「っ、ちょ、ちょっと待て!」
テーブルに両手を突き、立ち上がろうとした陸を隣に座っていた楽が止める。
止める、が、そこから先を口にする事ができない。
何を言えばいいのか解らない。少し前まで、自分たちの近くで笑っていた陸と、今目の前にいる陸がまるで別人に見える。纏っている雰囲気がまるで違う。
「ねぇ、一条弟君。あなた、どうしてこんな事をしているの?」
何もできずにいた小咲たち。だが、それはたった一人を除いて、だったらしい。
「…こんな事、とは?」
「解らないの?学校に来なかったり、私たちの連絡を無視したり。あなた、急にどうしたの?」
陸の雰囲気に臆さず、小咲の隣に座るるりが陸に問いかけた。ここにいる誰もが一番知りたい、何故陸が自分たちの前から姿を消したのか、その原因を。
「…陸、お前が学校を休み始めた理由については、何となく想像できんだよ」
先程までとは打って変わり、黙り込んだ陸に次に言葉を掛けたのは楽だった。
「けどよ、何でなんも相談してくれねぇんだよ。そりゃ、お前が相談したくない気持ちだって解るけどよ…」
陸が楽を横目でちらりと一瞥する。と、ふと一つ、大きく息を吐く陸。
「別に、相談したい事なんて何もない。楽、お前少し勘違いしてるぞ」
テーブルに頬杖を突く体勢から、陸は体を後ろに倒して両手を座敷に突いて天井を仰ぐ。
そして、陸を見つめる皆の顔を見回し、再び口を開いた。
「今、俺は後悔している。さっさとお前らと縁を切っとくべきだったってな」
「なっ…!」
「陸!あんた、何を言って…!」
目を見開く楽、両手でテーブルを叩きながら声を荒げる千棘。
そして、視線を鋭くさせたるりが静かに問いかける。
「どういう意味かしら」
「そのままの意味だよ宮本。そのくらい解らないお前じゃないだろ?」
るりの問いかけに対し、どこか挑発気味に答えを返す陸。るりの視線が更に鋭くなる。
以前、まだ小咲たちと笑い合っていた時、何度かこれと同じ類のるりの視線を陸は受けた事がある。その時、実際陸がどう感じていたのか…、全く意に介していなかったのだろう。
るりの視線を受けながら、陸は更に挑発を返している。
「何の用かと思えば、そんな下らない事で呼んだのか?あまり俺の時間を減らしてくれるな」
「っ…!」
笑みを浮かべる陸に、顔を真っ赤にした千棘が立ち上がり、何も言う事なく拳を振るう。
「…久しぶりに会ったけど、短気なのは変わってないな。そんなんだから楽にゴリラやら猿女とか言われんだよ」
「こっ…の!」
何度も楽を吹っ飛ばして来た拳を、陸は片手で、それも利き手ではない左手で抑えてみせる。千棘が陸の手から拳を引き抜こうとするが、びくともしていない。
「はっ」
嘲笑を浮かべながら陸は軽く千棘の手を押した、ように小咲は見えた。が、千棘の体はあっさりと後方に倒れていく。
「千棘!?」
「お嬢!」
尻もちをつく千棘に、楽と鶫が駆け寄る。
「陸、てめぇ!」
「怒鳴る相手が違うだろ、楽。先に手を出したのはそいつだ」
「そういう話じゃねぇだろ!」
怒鳴り声を上げる楽に陸は見向きもしない。
部屋の空気が明らかに変わっていた。ここに案内されてすぐと、今。一時期、楽と千棘が仲違いしていた時と同じ空気。だが、今、流れる空気の方が比べ物にならないほど剣呑としている。
「…見損なったわ」
「…見損なってもらえるほど評価してもらってたのか。驚いたよ」
「っ…」
るりは座ったまま陸の顔を見上げ、言う。口を開いたるりを見下ろし、陸は全く変わらない挑発的な調子で返答する。
その際、るりの隣で座る、今まで一言も発していない小咲と目が合った。
陸の瞳が一瞬、揺れた気がした。
「陸様。…あなたはやはり、そちらを選ぶのですね」
「…」
陸と小咲の視線が交わる中、ふと、小咲と同じく無言のままだった万里花が口を開いた。
万里花の目は、陸を敵意に満ちた目で睨む千棘やるりと違い、陸を気遣う色があった。
そして、それは万里花の隣にいる集もまた、悲しげな眼で陸を見上げている。
そんな二人の視線には見返すことなく、陸は小咲たちに背を向けた。
思えば、予兆はあった気がする。初めて会ってから親しくなって、友達として付き合う様になって時が経つ毎に、ふとした時に表情に影が差すようになっていた。決定的だったのは、修学旅行直前に陸と一緒に行った旅館のバイト。思わぬ形で混浴する事になったあの時、明らかに陸の様子は今までとは少し違っていた。今まで感じた事のない刺すような雰囲気。まるで自分を拒絶しているようで戸惑ったのを覚えている。
それでも、ずっとこのまま一緒に…たとえ、自分が望むような関係にはなれなくとも、笑い合える関係がずっと続くのだと、そう疑わなかった。だって、考えた事もなかった。陸と会えなくなるなど、考えた事もなかったのだ。
だが、陸は違ったのかもしれない。いずれ来る別れの時を、ずっと覚悟していたのか。
「もう、お前らと会うつもりはないよ」
何故だろう。どうしても小咲は、その言葉をそのまま受け取る事が出来なかった。
一緒に一条家へと来た皆は、目を見開き、全員が戸惑いと驚きを表情に浮かべている。
だが小咲だけは、小さく唇を噛み締め、どこか悔しさを滲ませていた。
(どうして…)
「竜、どうせそこで聞いてんだろ?お客様のお帰りだ。玄関まで送ってやれ」
着物姿の陸は立ち上がると、そのまま部屋から退室していく。
そんな陸の後姿を見つめる小咲は─────
(どうして、そんなに悲しい顔をするの…?)
陸が今までずっと、心の内に抱いていた苦しみに初めて気付いた
「…坊ちゃん」
「…何も言うな」
戸惑い、驚愕、敵意に満ちた視線を背に浴びながら部屋を出た陸に、部屋の前に立っていた竜が声を掛ける。その言葉に、その気持ちに返事をする気力は今の陸になかった。
よろよろと揺れる体を何とか制し、執務室へと足を向ける。
だが、廊下の角を曲がり、竜の姿が見えなくなった所まで来ると、陸は腕を壁につけ、体を傾ける。
「…これでいい」
この一言の中に、どれだけ陸の苦しみが詰まっていただろう。
「これでいいんだ」
孤独の闇の中。陸の小さな呟きは、誰にも届かない。