カーテンを閉めて窓から差し込む西日を遮った部屋の中、その中心で一人の少女が畳の上で何をしているでもなく膝を畳んで座っていた。頭部の左右二ヶ所で髪をお団子に纏め、身丈に合わない大きめの衣服を身に着けた、瞳に光を映さない一人の少女。
叉焼会首領、奏倉羽の側近である夜はゆっくりと瞼を閉じて思考に身を投じる。
頭の中で巡るのはとある二人の事。言うまでもなく、夜の主である羽と現在長が不在の中集英組を取り仕切っている陸の事だ。もうすぐあの出来事から二週間になるのか。集英組組長である一条一征が倒れ、病院に運ばれたのは。それは陸と楽が修学旅行で家を空けていた時に起きた事だった。
あの時は家中が大騒ぎになった。当然だろう。突然、押しも押されぬ組の大黒柱が倒れたのだから。あれから一征の容態が回復したという報せは入っていない。その間、組を守っていたのは一征の息子であり、組の若頭でもある陸だ。長不在の中、夜から見ても陸は良くやっていた。この機を逃すなとばかりに外からシマに侵入してくる敵対組織の対処をしながら一征が請け負っていた仕事を熟し、恐らくほとんど睡眠時間もないのではないだろうか。
そしてそんな集英組の状態を見て、夜は陸を、集英組を取り込むにはここしかないと考えた。羽を、言い方は悪いが唆して陸に結婚を持ち掛けさせた。もしこの話に乗るのなら、組の立て直しに大いに手を貸すという条件も付けて。
しかし即決されるとは思っていなかったが、まさかここまで決断に時間が掛かるとも思っていなかった。一応、陸自身の意志が固まるまで待つとは言ったが、さすがにこちらにも我慢の限界というモノがある。だが、だからといって陸に決断を急かすのは首領の意に反する。どこまでも冷徹で、いざとなれば首領といえども組織のためになるならば、という覚悟もある夜だが、今回の件に関しては円満に事を進めなければならない。陸を取り込む事が第一目的だとしても、それで強引に結婚させて夫婦仲が拗れるのはあってはならない。
「やれやれ…。あの坊やも案外、決断力がないね」
陸は解っているはずだ。どちらの道をとるべきか。
夜は日本に来てから、何度か陸の動向を探っていた。陸が羽ではない他の女性に気を向けている事にも気付いていた。そして、それは恐らく今も―――――――
「もうあの坊やは限界。さて、どうなるか…」
だがもう陸は限界だ。夜には解る。これまで奮闘してきた陸だが、若すぎた。力がある故に、陸は壊れる。経験が、体力が、能力の大きさに追いついてない。それらが齎す結果は、末路は、もうすぐそこまで迫っているだろう。
「…?」
もう陸に残された時間はない、そう考える夜の耳に慌ただしい床を叩く足音が届く。その足音は次第に、夜がいる部屋の方へと近づいてきて、そして部屋の前で音が止んだ。
「夜様!至急報告が!」
「なんだ」
扉越しにいる人物が叉焼の組員だと声から悟り、夜は立ち上がって扉を開けてから続きを促す。この様子から、恐らく只事ではない何かが起こったのだと予期する夜だったが――――――
「集英組組長が、たった今帰ってきました!」
「…なに?」
さすがにそれは予想していなかった。
夜の表情が一瞬、ほんの僅かだが歪んだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
中に入った途端、ちょうど玄関の前を通り過ぎようとした男に見つかってからたった三分程。家の中は大騒ぎになった。小咲、一征、竜を囲む大勢の男達。一征と竜の背後に隠れながら小咲はその様子を眺めていた。
二人を囲む男達は皆、笑みを浮かべ、そして涙を流していた。陸がいたとはいえ、ずっと不安だったのだろう。これから組がどうなるのか、そして何より一征がどうなるのか。一緒にいる小咲の事など見えておらず、男達はただ長の帰還を喜び合っていた。
(えっと…)
しかし、一体何時までこうしていなきゃならないのか。ずっと音沙汰がなかった長が帰って来て嬉しいのは解る。だが家に入ってから多分もう十分以上経ってるんじゃないだろうか。ずっと、小咲達は玄関から一歩も動いていない。靴すら脱いでいない。床に上がってすらいない。扉の前でずっと足止めだ。
「おいおい、何の騒ぎだこりゃ…」
「楽坊ちゃん!」
男達の背に隠れて見えないが、聞き馴染んだその声は小咲の耳にも届いた。まるで訓練された軍人の如く、男達はぴたりと黙るとその少年を中心に一征へと繋がる道を開けた。
「なっ…、親父!?」
「おぉ、楽!久しぶりだなぁ、元気にやってたかぁ?」
そして楽は男達がどいたその先にいる一征を目にし、驚愕を顕わにした。一征も愛する息子を前にして、再会の笑みを浮かべる。
和服姿の楽が一征へと駆け寄ると、隣に立つ竜、そして二人の背後に隠れていた小咲を順に見た。
「は!?小野寺!?…はぁ!?」
「こ、こんにちは。一条君」
特に小咲を目にした時はただでさえ見開いていた楽の目が飛び出んばかりに剥き出しになった。容態が未だ不安定と思われていた父が帰って来ただけでなく、その父と共につい先程別れたはずの小咲が現れた。楽のキャパシティーはオーバーしているのだろう。楽はただただ二人の間で視線を巡らせ、目を白黒させる事しかできずにいる。
そんな楽の様子に小咲は苦笑を浮かべながら一言、挨拶をする。本当につい先程別れの挨拶をしたばかりだというのに、何か変な感じだ。
「さて、と。再会の挨拶も程々にしとかねぇとな。竜。もうすぐ陸が帰って来るんだったな」
「へい。予定だとそのはずでさぁ」
「っ…。陸って…、親父」
再会の喜びに満ちた空気は一征のたった一言で一瞬にして霧散した。その一言だけで、現在の組の状況を知る者達は皆、容態が良くなっていないはずの一征が突然帰って来たのか、その理由の一部を悟った。
歩き出した一征と竜、そして小咲の三人に道を開ける男達。その三人にやや遅れて、続くように楽も追いかける。
「お、おい親父。親父の身体はもう良いんだよ、な。大丈夫なんだよな?」
「あ?んなのここに俺がいるのを見りゃ分かんだろ。鈍いなぁ、おめぇ」
「色々あり過ぎて混乱してんだよ!マジで大変だったんだぞ!?俺じゃねぇ!陸がだ!」
早足で歩く一征の前に楽が立ちはだかった。その表情は怒りに満ち、一征を正面から睨み付けていた。
その顔を見て、小咲は思った。さっきの自分と同じだと。楽も一征に騙された被害者の一人だ。だがその事について楽は怒っている訳じゃない。陸を騙した事を怒っているのだ。
楽の視線を真っ直ぐに受け止めた一征は、一度息を吐いてから口を開いた。
「俺にはおめぇらに謝罪する義務がある。説明する義務がある。が、後にさせてくれ。今は、やらなきゃならん事がある」
一切楽の視線から目を逸らす事なく、一征は楽の怒りを受け止める。十数秒、視線を交わし合う時間は楽の方から終わりを告げた。両目を閉じ、片手を腰に当てて大きく息を吐いてから、楽は言った。
「…後で全部話してもらうからな」
「あぁ。分かってる」
二人の間で流れた剣呑な空気が霧散し、一征を先頭に再び歩き出す。
(そういえば、どこに向かってるんだろう…?)
ここでふと小咲は思う。玄関前で話を聞けば、今陸はこの家にいないという。今現在起こっている問題に決着を付けるのは良いが、それは陸がいなければどうする事も出来ない。もうすぐ帰って来ると言っていたが、さて今、我々はどこを目指しているのやら。
(…あ。ここって…)
数歩後、小咲は今目の前にある景色に既視感をおぼえた。それもつい最近にだ。
最近、一条家に来た事は…あった。昨日、まだ何も知らないでいた自分達が、陸に一言文句を言ってやろうとしたあの時。そう、この廊下の先、集英組組長が使う仕事部屋に陸はいた。
「さて、と。んじゃ、陸が帰って来るまでここで待たせてもらうとするかね」
他の部屋を仕切る障子とは違い、今目の前にある障子は豪華な装飾がされていた。昨日は小咲の前に立っていた楽は集達の背に隠れて見えなかったし、楽がさっさと障子を開けてしまったため見る事が出来なかった。
一征が豪華な装飾を開け、部屋の中へ入ろうとして―――――――立ち止まった。
一征の両隣にいた楽と竜もまた立ち止まり、そして小咲も部屋の中にすでにいた二人を目にして立ち止まった。
「…お元気そうで安心しました。おじ様。もうすっかり良くなったようですね。知りませんでした」
「あぁ。お陰様で急いで帰って来る羽目になっちまった。もうしばらくゆっくりベッドで横になってるつもりだったのによ」
まさに売り言葉に買い言葉。血の繋がりこそないものの、一時期は同じ屋根の下で家族として過ごした二人とは思えないやり取りだった。互いに笑みを浮かべながら、鋭い視線をぶつけ合う。
蟀谷から一筋の冷や汗が流れる。気を抜けば意識を失いかねないプレッシャーのぶつかり合いが部屋を満たす。それでも小咲は倒れない。ここで倒れたら二度と、もう陸に会う資格が無くなる、そんな予感がした。
「んじゃ、色々と聞かせてもらおうじゃねぇの。俺がいない間、アンタ等と陸でどんな話があったか。全てな」
「…」
小咲の固い決意とは別に、あちらで散らばる火花は更に激しさを増していた。
組織を背負う二人の長が対峙し、決戦が始まろうとしていた。
「…なんか静かだな」
役者は、揃う。
親父「…」(バチバチ)
羽「…」(バチバチ)
夜「…」(ジーーー)
小咲「…」(ビクビク)
楽「…」(ビクビク)
陸「?」
おいてめぇ