一条家双子のニセコイ(?)物語   作:もう何も辛くない

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楽の兄貴が兄貴する回








第94話 センタク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空気が重い。いつだったか、珍しく父も声を荒げて両親が喧嘩した事があった。その時と似ていると小咲は胸の奥で感じた。ただ、その時と今では大きく違うものがあった。

 

それは、部屋に満ちた空気の密度。あの時は小咲と春と二人で固まりながら両親の余り見ない姿に震えたものだが、それとは比べ物にならない。飽くまで空気だ。雰囲気だ。実際に重さが身にかかる事なんてあり得ない。なのに、体が重い。まるで全身に得体の知れない何かが纏わり付いているかのようだ。これまで、ごく普通の家庭で育ってきた小咲にとって、初めて感じるやくざの世界の空気。

 

陸は、この世界で生きてきたのだ。

 

陸と出会い、過ごしてきて、彼の事を知ってきたつもりだった。だが、それは間違いだった。本当に、ただの()()()でいただけだった。明るい表の世界で笑っていた陸は、ずっと暗い裏の世界に身を投じていたのだ。自分が知らない所で、今のような殺伐とした空気に満ちた世界で、身を削っていたのだ。何も知らなかった。何も知らない癖に、陸が好きだと、恋人として付き合いたいと、友人に言っていたあの頃の自分が恥ずかしい。

 

座布団の上で膝を畳んで座っている小咲は、膝の上に置いていた手を強く握り締める。

 

(でも…今は違う)

 

心の中で呟く。前の自分とは違うと。

好きな人の全てを知っているとは思っていない。むしろ、これでもまだほんの一部しか陸のいる世界に踏み入れていないのだとすら思う。それでも、小咲にとって大きな一歩だった。陸の隣で過ごしたいのなら、決して避けては通れない道に、小咲は足を踏み入れたのは確かだった。

 

「…で?俺がいない間に色々と好き放題やってくれてたみたいじゃねぇの。羽よぉ」

 

「人聞きの悪い事を仰らないでください。私はただ、りく…。若頭に提案をしただけですよ?叉焼、集英、お互いにとって良い未来が築ける提案を」

 

小咲の隣から、前方から、相手に有無を言わせまいとする威圧感が籠った声がする。

集英組組長一条一征が、叉焼会会長奏倉羽が、小咲達が見た事のない姿を見せている。大勢の部下を預かる、組織の長としての姿を。

 

特に羽には、いつも学校で先生をしている姿や、普段のどこか抜けている様子しか見てこなかった小咲と楽は大きな衝撃を受けた。一征とは二回り以上歳が離れているにも関わらず、彼に対して物怖じする様子は微塵も見られない。

 

羽と知り合ってすぐの頃、陸と鶫から叉焼会という組織についてほんの少しだが聞いていた。陸がいる集英組も、鶫が所属しているビーハイブとも一線を画す規模、そして歴史を持つ大組織。そんな組織を若くして背負う羽の本当の姿が、小咲の目の前にあった。

 

「お互いにとって、ねぇ…」

 

「…何か?」

 

「そのお互いってのはよぉ、陸と羽の二人の事なのか?それとも、集英と叉焼の事なのか?」

 

「…」

 

一征の問いに羽は口を閉ざす。その表情には何の変化もないが、果たして内心はどうなのか。

一征の問いかけに何も答えない。それが全てを物語っているのではないのか。

 

「その両方よ」

 

「…ほぉ?」

 

だが、羽が口を閉ざして数秒後、代わりに口を開いたのは羽の傍らに控え、これまで一度も喋らなかった夜だった。

 

「俺は羽に質問したんだが?」

 

「どっちが答えても同じよ。ディアナへの婚約の申し出は私と首領が話し合ってからしたもの。この件に関しての私の言葉は、首領の言葉も同じね」

 

「…」

 

一征の目が細まる。彼の頭の中で一体どんな考えが、胸の中でどんな思いが巡っているのか。そして、先程の一征の問いかけから口を閉ざしたままの羽も、一体どんな心境で――――――

 

「おやっさん」

 

「おう、何だ?」

 

その時、障子の向こう側から一征を呼ぶ男の声が届いた。一征は顔を障子の方へと向けて返事を返す。

 

「若頭がお帰りになりやした。着替えてからこちらに来ると言ってやす」

 

「あぁ、そうか。報告ご苦労」

 

陸が帰って来た。もうすぐ陸がここに来る。あぁ、ただそれを聞いただけだというのに、胸を満たしていた恐怖が薄らいでいく。本当に何と自分は単純なのだろう。もうすぐ想い人と会えると解っただけで、この空間の空気が平気になるのだから。

 

「…あの、なにか…?」

 

「いや。何でもねぇ」

 

するとふと、隣で胡坐を掻いている一征がこちらを見下ろしているのに気が付いた。その顔は何とも微笑まし気に、まるで今の小咲の心境を悟っているかのようで。

 

気恥ずかしさを抑える小咲と微笑ましげな表情を変えない一征のやり取り。それを一征を挟んで向こう側に座っている楽が首を傾げながら、三人の対面にいる羽と夜が見つめていた。

 

「っ」

 

障子が開く音は何の脈絡もなく、突然響いた。小咲の息を呑む音はその音に掻き消される。

部屋にいる全員が同時に目を向ける。その先には紺色の和服に身を包んだ、険しい表情を浮かべた陸が立っていた。

 

陸はまず羽と夜を、そして楽、一征と視線を回してから。

 

「―――――――」

 

一征の隣に座る小咲を見て、一瞬呆気にとられたように目を見開いた。

 

すぐに険しい表情に戻ったが、どうやら小咲までもがここにいるとは思っていなかったらしく、更に今の状況を陸に報せた部下からも小咲の事は教えてもらっていなかったらしい。陸が隠しきれなかった小さな動揺を、小咲は見逃さなかった。だからといって、何がどうなったという訳でもないが。

 

現れた陸を見た途端、こちらを見てほしいと思った。自分と陸の視線が交わった瞬間、話したいと思った。だが、できなかった。この部屋の空気が、そして何よりすぐに険しいものへと戻った陸の表情が小咲を留まらせた。今は我儘を通すための時間じゃないと思い出させた。

 

「お帰り糞親父」

 

「あぁ、ただいま馬鹿息子」

 

陸は無表情なまま、一征は挑発気味に笑みを浮かべて、親子は挨拶を交わした。

 

「で?まあ大体どんな話をしてるのかは予想つくが…、何で部外者がいんの?二人も」

 

「っ…」

 

部外者。二人。誰と誰の事を指してるのかは一目瞭然だ。僅かに体を震わせる小咲は内心、小さくないショックを受けていた。確かに部外者というのはその通りではあるのだが…、その事を陸の口からはっきりと言われたのはショックだった。陸との距離が更に開いたような気がした。

 

「おいおい。この二人は関係者だろーが。一人はおめぇの兄貴で、もう一人は…っと、こいつは俺の口から言っちゃぁいけねぇか」

 

「…何の事だ」

 

陸の鋭い視線が一征を射抜く。小咲には理解できなかったが、陸にとって言われたくない何かを一征は口にしようとしたらしい。その言葉が何なのかまでは小咲には解らなかったが。

 

「おら、とりあえずおめぇも座れや。話が始まらねぇ」

 

「…ちっ」

 

舌打ちし、一征を一瞥してから陸は楽の隣へ歩み寄ってから腰を下ろそうとして――――――

 

「おい。おめぇの座るとこはそこじゃねぇだろ」

 

「は?」

 

動きを止めた。一征のその一言に陸はおろか、小咲も、楽も、羽も夜も目を白黒させる。

 

「…何言ってんだあんた」

 

「おら、とっとと座れや。話が始まらねぇ」

 

「…」

 

先程とほぼ同じ科白を繰り返す一征を睨んでいた陸は、もう諦めたように大きく溜め息を吐いてから立ち上がり、今度は小咲の隣で腰を下ろした。

 

「…ヘタレが」

 

「何か言ったか」

 

「ヘタレ」

 

「…」

 

30㎝程、小咲から離れた所で腰を下ろした陸を呆れを含んだ目で見ながら小さく呟いた一征。耳聡くその呟きを捉えた陸がぎろりと睨むが全く効果なし。それどころか今度はハッキリと同じ単語を口にした一征に何も言う事が出来ず、陸は一征から視線を切って正面の羽と夜を見据えた。

 

「それで、何の話をしていたんです?」

 

もうこれ以上、一征に構っていたら話が進まないと判断したのか、陸はその問いを一征ではなく羽と夜に向けた。先程までの陸と一征のやり取りを戸惑いを浮かべた表情で見ていた二人は顔を引き締めた。

 

「どうやらお前の父親は、首領とお前の結婚に不服があるらしいよ」

 

「っ…」

 

夜の口から出た答えに、陸は表情を歪めた。それはまるで、そうであって欲しくなかったと語っているようだった。

 

「まだ陸は答えを出してねぇんだろ?それなのに、もう結婚が決まったみたいな言い方しないでほしいねェ」

 

「ほぉ?けど、ディアナはどうするべきか、もう解ってるように見受けられるが?」

 

「…」

 

陸を間に挟んでの言葉の応酬。その中で、陸は膝の上で拳を握り、未だ表情を歪めたままだった。それが、夜の言葉の真偽を物語っていた。

 

しかし陸は口を開かない。陸の中で出た答えを、或いは未だに答えが出ていない事を口に出すのを躊躇している。

 

「まるで脅しだな」

 

その時、この部屋に入ってからは初めて声を上げた者がいた。

 

楽だ。

 

楽は一斉に集まる視線に一瞬怯みながら、纏わりつくプレッシャーを振り払うように大きく頭を振り、夜を真っ直ぐに見据えながら続けた。

 

「どうするべきかとか、そうじゃないだろ。陸が選ぶのは、陸がどうしたいかだろ?」

 

楽が話す中、小咲は陸の様子を覗き見た。

俯いたままだった。表情は歪んだままだった。むしろ、顔に浮かぶ苦悩が濃くなってるようにすら見えた。

 

「話を聞いてたらアンタ等は、自分達に都合が良い選択を陸に選ばせるよう誘導してるようにしか思えない」

 

「人聞きが悪いね。そな事してないよ。…そな事せずとも、ディアナは自分がどういう選択をすれば周りがどうなるか解ってる」

 

「ふざけんな!俺が言ってんのはそうやって陸を苦しませる権利がアンタ等にはねぇって事だ!」

 

問いに対する夜の返答に、堪らず楽は立ち上がった。今の楽にはもう、部屋を満たすプレッシャーなど感じてすらいないだろう。それを凌駕するほどの怒りを、今の楽は抱いているから。

 

「…なぁ羽姉。ホントにこれで良いのかよ。もしこれで陸と結婚できたとして、ホントにそれで良いのかよ!!?」

 

次に楽はその怒りの表情を羽に向けた。そして問いかける。本当にこれで良いのかと。陸を苦しませ、自分の下へと誘い込む。これが羽の望みなのかと。

 

「陸の事好きなんだろ!?何でこんな事すんだよ!陸を苦しませて…、なぁ羽姉!」

 

「…」

 

羽は何も答えない。楽を見ようともしない。表情は変わらない。この部屋で小咲達を待ってた時と変わらず、無を浮かべたまま。

 

「…羽姉」

 

「坊やが何を言たて変わらないよ。もう首領は覚悟を決めてるね」

 

「…そんな覚悟、捨てちまえよ。好きな人を苦しませる覚悟なんてよ…!」

 

夜の言う通り、羽には自分の言葉は届かないと悟った楽はドスンと乱暴に、音を立てながら腰を下ろした。そして胡坐を掻いた膝に頬杖を突きながら最後に捨て台詞を吐く。

 

小咲からは楽の顔は見えない。だがきっと、今の楽は小咲が見た事ないほど怒りに満ちた顔をしているんだろう。頬杖を突いた腕とは逆の拳が固く握られていた。

 

「…なぁ陸よぉ。すっげぇ恥ずかしくて青くせぇ台詞を楽が吐いてたけどよ。…まあ、綺麗事じゃあ回んねぇわな。特にこういう世界じゃよ、楽が言ってた事なんて真っ先に切り捨てるべきモンだ」

 

「…」

 

「けどよ…。俺ぁよ、今の間だけでもおめぇに綺麗事を通してほしいのよ」

 

陸の目が見開き、ゆっくりと顔が一征の方へと振り向かれた。

 

「…俺ぁおめぇがまだ小せぇガキの頃からヤクザのイロハを仕込んできた。戦闘技術、交渉技術、おめぇがスポンジみてぇにどんどん覚えてくからよ、つい楽しく感じてた俺を今はぶん殴ってやりてぇ」

 

懺悔だ。小咲は直感的にそう感じた。

陸が小さい頃に一征と何があったのか、小咲は知らない。だが小咲は、一征の懺悔を聞きながら、以前に一征と二人でした会話を思い出していた。

 

『あいつはな…、信じられねえかもしれねえがガキの頃は俺や、楽にさえも口を開かない時ってのがあったんだ』

 

『いや、口だけじゃねえな…。一時期は心も開いてなかったかもしれねぇ』

 

『そうしちまったのは、紛れもねえ俺自身なんだ。…もしかしたら、陸は今でも本心を俺に見せてねえのかもしれねえ』

 

暖房が行き届いてなかった寒い廊下で、あの時も一征は今みたいに懺悔をしてるように小咲に話していた。

 

『嬢ちゃん、いきなり何言ってんだこの爺さんはって思うかもしれねぇ。でもよ…、高校の間だけで良い。あいつの事…、それとなく見てやってくれねえか?』

 

思えば、その時だろうか。自分の中でどこかまだフワフワしていた陸が好きだという想いが、硬く固まったのは。どんな過去が陸に在ろうとも、振り払われるまでは絶対に想いは消さないと思うようになったのは。

 

…最近、その決意が揺らいだのは大っぴらに言えないが。

 

「陸。難しい事は言ってねぇ。おめぇの望みを言え。そんで、その望みを叶える手伝いを俺達にさせてくれ」

 

「っ…!」

 

先程までそっぽを向いていた楽も、今は陸の動向に目を向けている。一征が、小咲が、羽が、夜が、陸の選択を今すぐに求めていた。

 

「…おれ、は」

 

唇を震わせながら何かを言おうとする陸と一瞬、小咲の目が合った。

すると、陸の震えがその瞬間に止まった。

 

震えが止まった陸は、何が起こったか解らないと言わんばかりに目を見開いて…そして、笑った。

 

「…俺は―――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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