彼女は孤独だった。周りに仲間が居なかった訳ではない。しかし、彼女のことを本当に理解してくれる者は誰一人として居なかった。当たり前だ、と彼女は思う。彼女の異常は誰にも分からないのだから、自分でも明確に理解することなどできないのだから。本当に異常であるのかすら危ういのだから。
山道にあるのは蛾の群がる等間隔の薄明かりと照らされて不気味に浮かび上がる木の葉だけ。彼女は険しい上り坂を一人で歩いている。時折自分を殺すのに十分な質量を持った鉄の塊が通り抜けていくのを感じながら、何度か身を投げだそうかと考えて、馬鹿げた思考を頭から追い出す。孤独でこそあれ、孤立しているわけではない。小学校の頃から続けたサッカーは、高校に入ってもエースとなって続けている。彼女の異常性とスポーツというものはすこぶる相性が良かったから、生まれ持った運動神経と合わせて殆どのスポーツで活躍することが出来た。しかし、それが彼女の心を癒すことはなかった。
未だ山腹、何も知らぬ脳天気な親の待つ家は遥か遠く。少女は足を止めた。周りには誰も居ない。居なかったというのが正しいだろうか。立ち止まった彼女の目の前に
「どうして気付いたのかしら」
玉のような声、威厳と美しさを兼ね備えた音色。少女は同性である筈のそれに魅了されそうになった。カリスマとはこういうものを指すのかと一人納得する。しかし、彼女の脳内は疑問と恐怖、警戒の色が勝っていて、唇を噛み締め女の質問に答える。
「アンタが出てくるのが見えたからよ」
事もなげに言ってはいるが、不可思議な説明だった。金髪の女が虚空から姿を現したのは、少女が足を止めたのを確認してからである。聡明であった彼女は言葉の意味合いにすぐに気付く。言葉が矛盾しているのではない。
「貴女、未来が見えているの?」
「さあ、もしかしたらアンタ達が過去を見ているのかもよ」
軽口を叩く唇から血が流れている。気丈に振舞っているように見えても、彼女の精神は限界まで追い詰められていた。何もされていないのに、存在の重みだけで押し潰されてしまいそうだ。
貼り詰められた二人の間に風が吹いた。少女の意識が僅かに風に取られた隙間、強烈な存在感を放っていた金色が音も無く消える。常人では反応することも出来ない筈の速度だが、彼女は即座に前に身を投げ出す。アスファルトが乙女の柔肌を傷付け、それでもなお逃げようと立ち上がるが、彼女の自由は最早奪われていた。
「・・・・・・っ離せ!」
組みしかれ、男をも軽々と超える力でねじ伏せられる。一介の女子高生では到底対抗できはしない。事実、少女は必死にもがきながらも、何処かでもう諦めていた。理由も分からないし相手が何物なのかも分からない。ただ、自分はここで死ぬのだろうと、悲しくなんてないと思っていたのに、涙が止まらなくなる。
金髪の女は馬乗りになったまま、殺そうとも話そうともせず、一人ぼそぼそと呟いている。全てが聞こえたわけではないが、断片的に聞き取れた部分から、少女の異常を考察しているようだ。
「おい、何してんだ!」
耳障りなクラクションが鳴る。偶然通りかかった自動車の運転手が道路脇で押し合いへし合いしているのを不審に思って路肩に停める。エンジンをかけたまま、運転手が二人の元へ近づこうとすると、煙のように二人の姿は消えてしまっていた。周りを探して誰も居ないことを確認し、自分の見間違いだったかと自動車へ戻っていく男に少女の声は届かない。自動車が走り去ってから二人はカメレオンの保護色のごとく風景に舞い戻る。
「危ないところでしたわね」
「アンタ、何をしたんだよ」
心も折れ、涙声を上げる。幾ら助けを求めても気付きすらしなかった。理由など関係なしの事実だけが彼女を折った。
「私が少し彼の視界を弄っただけよ」
女は淡々と話すが、少女からはただ嗚咽が漏れるばかり、理解しようともしていない。
「なんなんだよ、アンタ」
「貴女に教える義理は無い、と言いたいところですけど」
少女にかかる力が不意に弱くなる。女の拘束からはほどかれたが、心の折れた彼女に逃げるという選択肢は残されていない。もっとも逃げたところで結果は変わらないと悟っていただろうが。女は地べたに座り込んだ少女に顔を近付ける。
「貴女の
そう言って女は自分の唇で少女の唇を塞ぐ。抵抗こそしても、諦めの境地にある少女に引き離すだけの気概はない。息が苦しくなってきたところでようやく解放されて咳き込む。
「もしここで死にたくないなら、私の物になってみないかしら」
お願いでも選択でもない、ただの命令なのに少女にとっては神の救いにすら見えていた。
*
「とまあ、これが私と黄緑の馴れ初めよ」
不自然な自然に囲まれた日本家屋の縁側で、
「改めて話すと懐かしいわね、黄緑」
「うっさい黙れ。私からすれば恐怖しか出てこないわ」
障子を挟んで後ろに座っていた
「それにしても、私は貴方がここまで成長するとは思ってなかったわ」
「むりやり人間辞めさせて式にした奴が何言ってるんだか」
少女は初めて境界の大妖怪と会ったときに人間として死んだ。妖怪に変化したというものでもないし、人間に式をかけるなんて無理が通ったわけでもない、今の彼女は八雲黄緑の名を持って人間と妖怪の隙間を漂う、実に八雲らしい存在になっていた。そして、彼女の妖怪的才能はその時を折に覚醒していくことになる。
「式にした瞬間に妖力の扱い方を理解するなんて予想外もいいとこでしたわ」
「私の能力を考えれば当たり前のことだろ」
先を視る程度の能力。黄緑の能力を簡潔に説明してしまえば、彼女は未来を予知することが出来るのである。実際に視ることが出来るのは一と百分の何秒という僅かな先。常人が所持していたとしてもほんの僅かな効力しかもたらさない能力。しかし、彼女には式によって強化されている、生まれ持った運動神経と頭の回転の速さがあった。相手の動きを見てから避ける事は容易いし、妖力の制御にしてもあらゆる方法を試した場合の未来を視ることなど造作もない。彼女はそのおかげで幻想郷でも実力者の一人と数えられるようになった。
「それよりも、橙。逃げたほうがいいぞ」
黄緑の忠告は例え能力を介していなかったとしても滅多に外れないそのことを知っている橙は全身の毛を逆立たせて獣の姿に戻り逃げようとするが、一歩判断が遅かった。
「ちぇぇぇぇぇぇぇん!」
猛烈な勢いて飛んできた女性が橙を捕まえて何処かへ連れ去っていく。特徴的な狐の耳や九本の尾を見なくても紫と黄緑の二人には誘拐犯が誰なのか分かっていた。紫がこらえ切れずに噴き出して笑う。
「橙成分が足りなくなったのかしら」
「いやいや、今のは珍しく本気で起こってる時のちぇぇぇぇんだった」
過去には殺伐としたこともあれど、八雲は今日も平和である。
あらすじにも書きました通りこちらは不定期更新になります。あと不死人と比べて文字数も少ないです。