「アンタがやって来たってことは、今年もそんな季節になったってことね」
「ありがたい事にね」
日が昇ってもまだ薄暗い、霜の降りてきそうな幻想郷の冬。博麗神社へと降り立った黄緑を出迎えたのは、寝起きで不機嫌そうな巫女だった。挨拶も無く不躾な言葉。普段から何度も遊びに来ているというのに、博麗霊夢はひと目見ただけで八雲紫の冬眠を見破ってみせた。黄緑も肩を竦めて返す。
今日、博麗神社を訪れたのは仕事であり私事だ。藍にはこの場に来ることを知らせていないし、気付くことも有り得ない。
「私なんかよりも藍に頼んだ方が良いと思うけどね」
「この時期の藍は忙しいわ。とても私に構っている暇なんて無いもの」
八雲紫が動けない冬の間、藍の仕事は単なる補修に留まらず、自分の力で崩れそうな結界を保持することも含まれる。必要な妖力自体は休息中の紫から補充されるものだといえども、片時も気を抜けない重労働であった。黄緑だって何度も手伝いを申し出たが、藍は自分の役目だと譲らない。不眠不休、幻想郷の些事に気を取られる余裕など欠片もなく、この時期のことを藍は何も知ることができない。その代わりに黄緑が各地を歩いて情報を集めてくるのだ。
いつしか、冬の日に一人で幻想郷中を放浪する黄緑の姿は黒幕然とした冬の妖怪と並んでこの季節の風物詩として呼ばれるようになっていた。
「見え透いた嘘ね」
しかし、霊夢は黄緑の言葉が虚偽であると即座に断ずる。博麗の巫女特有の直感を無視しても、黄緑の言い訳には苦しいものがあった。たとえ白黒の魔法使いだろうと、吸血鬼の使用人だろうと、彼女の散漫な嘘は見抜かれていただろう。それは別に構わないと黄緑は思う。他の誰に知られても、ただ、あの三人だけに知られなければ。
「もう時間が無い。今年でケリをつける」
「私は別にどうだっていいわ。アンタらが馬鹿やろうってんなら退治するだけ」
「それで良いのよ」
博麗の巫女は、博麗の巫女として役目を果たしてくれればそれで良い。幻想郷でもっとも原初にして強力なルール。彼女達は自らの役目それ以外にはけして縛られない。
それでも時間が足りない。自分でも間に合うのかどうかすら分からない。
「私は教えるのは全然得意じゃないの」
「去年も一昨年もそれ聞いたわ」
「だから、自分で勝手に育ちなさい」
「それも耳にタコができる程聞いた」
なら良いわ。霊夢はお祓い棒を構える。
「それじゃあ、結界の訓練を始めるわよ」
「お願いするわ、先生」
*
「久しぶりだな、黄緑」
「ええ、いつもならこのまま雑談でもしたいんだけど」
そんな時間は無いの、と黄緑は言う。寺子屋の一室で教材を整理していた慧音はそのただならぬ様子に開いていた巻物を閉じた。かたい話は嫌う彼女が、雑談をする時間も無いと言った。それは上からの命令ではなくら彼女自身が思うこと、彼女自身が必要だと思うこと。そういえば、八雲紫の冬眠はこのくらいの時期だったかと、そんなことを思い出す。
「茶でも淹れようか」
慧音は席を立ち、苦い煎茶を入れるために薬缶を火に掛ける。無駄話をする余裕はない。しかし、時間に限りがあるわけではない。これからの話題を考えれば、互いに一度心の準備をする時間は絶対に必要であった。そういう所は腐っても教師なのだろうと、自分でも気付いていなかった焦りを自覚した黄緑は思う。それと同時にどうしてその感受性を生徒に対して向けることができないのかとも。
黄緑は卓袱台の前で足を崩す。正座をするつもりはない。これは真面目な話ではない。聞けば誰もが笑ってしまいそうなほら話だ。この世の終わりみたいな青褪めた表情など不必要で、話半分に聞いてもらえれば良い。それも面白かろうと笑って乗ってくれれば良い。生真面目で頑固な慧音のことだから「そんな戯けたことができるか」などと説教が始まりそうなものだが。
こんな戯言を話せば慧音が黄緑を睨む。
「一番大真面目に考えてる奴が何を言うか」
「やっぱりそう見える?」
やはり他人にも分かるくらい自分は追い詰められているのだろう。絵空事を現実にしようと躍起になっている自分が、こうやって頭を下げている姿がふざけている様に見えるはずもない。滑稽とは映るのだろう。あの意地の悪い小鬼や腹の中読めない亡霊ならばここぞとばかり彼女を追い詰めるのかもしれない。
「話は分かっている。何度も聞いたからな」
「ええ、詳しい話をしに来たの」
詳しい話、その言葉の意味を慧音は察する。
「まさかそこまで来ているというのか」
「そうじゃなかったらこんなこと言わないわよ」
「いや、それもそうか。茶が入った。何一つ抜かさず全部話してもらおうか」
「分かってるわ」
黄緑は自嘲気味に笑った。
*
「おおっと、まさか黄緑さんの方からやって来てくださるとはもしや自分の方から取材を受ける準備をしてきてくれたのですかそれにしては赤さんの姿が見えませんが」
「うるさい、少し黙って」
会いたくないのをわざわざ我慢してやって来たというのに、平常運転の烏天狗には辟易する。
「あんまり騒ぐと仁葉さんに泣き付くわよ」
「すいませんほんとそれだけは勘弁してください」
黄緑を我が子のように愛する仁葉がそんなことを聞けば、噂だけで妖怪の山から追放、下手をすれば幻想郷にすら居られなくなるかもしれない。黄緑にそれをするだけの度胸があるかどうかは別として、思った以上にこの脅し文句は効果があったようだ。あれだけやかましかった烏がしゅんと大人しくなる。もう少しこのネタでいじってやろうかとも思ったが、今はそんな明るいことを考えられる気分でも無いし、さっさと本題に入りたかった。自覚した焦りを解消しようというつもりは彼女にはサラサラ無かった。
「前に話したことは覚えてるわよね」
「はて、なにぶん鳥頭なもので、すぐには見当着きませんが」
おどけているのか、本心なのかすました顔で首を傾げる。やがて思い出したようにああと呟いた。具体的な中身は言葉に出さないまま思い出したと言う。
「本当に?」
「本当に」
「仁葉さんに誓える?」
「恐ろしいこと言わないでくださいよ」
顔を青くしながらも撤回しない辺り、本当に思い出したようだ。そう判断して黄緑は話を続ける。
「やるんですか」
「やるのよ。もうそれしか無い」
「まあ、黄緑さんらしいというか何と言うか……」
文はいまいち気乗りしないようだった。まったく納得がいっていない訳ではなく、不安になっていると表現したほうが正しい。いつも飄々とした彼女らしからぬ顔だ。
「上手く行くんですかねえ、それ」
「上手く行かせるのよ。それしか無いわ」
「藍さんにも知らせないというのは、個人的な何某かを感じますが」
「あんたが知る必要無い」
黄緑は強く言い放った。単なる念押し以上の薄暗い何かをそこに感じた。例えるならば、手柄を求めて命令を無視する新兵のような危うさ。
「おやおや、怒らせてしまいましたか」
おお怖い怖いと降参するかのように手を上げる文。それ以上は何も言わない。その崩れそうな怖さが、弱さが八雲黄緑という人外の魅力なのだと思っているから。きっと彼女は最後までやり遂げる。その結果がいかなる物になろうと、後悔することはないのだと分かっていたから。
「死なばもろとも、やれと言われたことはやらせて頂きますよ。独占スクープはおいしいですし」
「ええ、期待してる」
これで発行部数も鰻登りだと喜ぶ文を他所に、黄緑は空を飛んで最後の協力者のもとへと飛んでいく。
*
その日、