季節は夏、博麗神社の桜吹雪もすっかり鳴りを潜め、新緑の葉桜が境内を覆っている。これからの宴会のお題目は花見から虫の演奏会に変わるのだろうかと、桶いっぱいに入った水に素足を突っ込み、神社裏手の縁側に座っていた黄緑は思う。隣では神社の主であり、異変解決の役割を持つ巫女が同じように桶に足を伸ばし、黒猫を膝に乗せて団子を齧っている。なんてことのない、平穏な日常だ。紫は別件でここには来れないし、藍も橙を追いかけるのに忙しい。珍しくも一人で自由に動く時間を得た黄緑は、だからといって遊びに行くほど仲の良い相手も居なかったので一番無難であるとも言える博麗神社に邪魔してお茶を頂いていた。もちろんお茶は貰えどお茶請けは持参である。貧乏性の巫女にそこまで期待してはいけない。
博麗神社に行けば誰かしら居るだろうと踏んでいたのだが、これまた珍しいことに今は白黒の泥棒魔法使いも五月蝿い新聞屋も説教臭い仙人も来ていない。居るのは家主と八雲の式、そして巫女に喉元を撫でられて気持ちよさそうにしている不吉な黒猫だけだ。
「アンタも結構ここに居ることが多いけど、仕事は大丈夫なのか?」
「あの八雲紫の式が言うことじゃないよねえ」
黄緑が黒猫に話しかけると、鳴き声ではなく少女の声で返事が返ってくる。霊夢に撫でられるのも飽きて、黒猫は彼女の膝から飛び降りると、姿を人に変えて二人の前に降り立った。霊夢が不服そうに唇を尖らせる。
「何よお燐、もう少し撫でさせてくれたっていいじゃない」
「巫女のお姉さんに捕まったら逃げられなくなっちゃうからねえ」
赤い髪をおさげにして、深い緑色の服を着た少女はあっけらかんと答える。頭上には猫の耳、ついでに横にも人の耳。耳が四つあるのは獣から人に化ける時のちょっとした遊び心だ。燐は猫のように大きく伸びをして、黄緑に視線を向けながら「そろそろ行こうかね」と思わせぶりに言う。黄緑も溜息を吐いて立ち上がると神社の主が二人を睨みつけた。
「行くならさっさとしなさいよ」
「分かってるよ。これ以上妖怪神社なんて呼ばれて参拝客減らしたくないからね。私らが退治されちゃうし」
ひらひらと手を振って黄緑と燐は博麗神社を降りる。長い参拝客用の石段からいきなり横道に逸れ、二人は森の中に入った。適当に歩いた所で立ち止まると、周囲を何者かに囲まれる。数は六、七人くらいだろうか。一人が黄緑達の前に姿を現し傲岸不遜な態度で口を開く。
「八雲紫の手下だな。率直に聞こう。奴はどこにいる」
「聞いたところでどうする」
「無論、危険な妖怪は退治する」
あくまでも自分が正義だと疑っていない話し方だ。八雲紫が幻想郷を管理しているのは人里にも知れ渡っている話だが、時折それを支配と勘違いする輩が出てくる。今回もその類いのようで、自分が妖怪から人間を解放するという自己陶酔に浸っていることが見なくても分かる。
「よもやこの人数相手に逃げきれるとは思っていまい。素直に居場所を教えれば命だけは取らないでやろう」
何処までも身の程知らずな態度。ここまで来ると背後に強大な妖怪か退治屋でも潜んでいるのではないか黄緑は疑うが、周りにこれといって強力な気配は無い。ただの阿呆か、黄緑はそう判断して、一応は哀れな人間にも慈悲をやるべきだろうと考える。
「自分の実力を考えて物を話しなさいよ。今なら手は出さないでやるからさっさと尻尾巻いて逃げな」
「貴様、状況が分かっていないのか。所詮妖怪の更に下っ端であるという・・・・・・」
「うっさいよ」
男の言葉は最後まで紡がれなかった。一歩、僅か一歩踏み出して跳んだ黄緑が、身体を捻って男の頭に蹴りを放つ。既に人間のものとは呼べない威力になっていたそれは容易く男の首と胴体を切り離した。周りからはお粗末な潜伏も忘れ驚愕と恐怖の叫び声が上がる。中には博麗の巫女の名前を呼ぶものもあって、こらえ切れずに嘲笑が顔に出る。
「アンタらが仕掛けた喧嘩だろう? 博麗の巫女は助けに来ないよ。死にたくないなら今すぐ消えろ」
わざわざ機会を与えずとも全員神隠してしまえば良いのに、自分の甘さは相変わらずだと笑ったのが、相手には馬鹿にしたと取られたようで、ふざけるなという叫びと共に残りの人間が一斉に黄緑に襲いかかる。既に燐の存在には誰も意識を向けていなかったが、燐自身も猫に戻っていて戦闘に参加するつもりは無さそうだ。運が良かったな。黄緑は素直にそう思う。火車の方がきっとえげつない殺し方をするだろう。見た目ではない。むしろ見た目を残すために燐は相手に苦痛を与える殺し方をする。
「良かったね私が優しくて」
黄緑の拳、蹴り、手刀のどれでも人を一撃で殺すのに十分な威力を持つ。人間を辞めるとはそういうことだ。だからこそ黄緑は出来るだけ気付かせないように殺そうとしている。切れ味の悪そうな日本刀を隙だらけに構えて突進してくる男の心臓を抉り、反対方向に居る敵に向かって投げると、ひぃと悲鳴を上げて後ずさる。人を殺すのはやはり苦手だ、と黄緑は溜め息を吐いて遠くから飛んできた矢を叩き落とした。
「くそっ、化け物がぁ!」
「化け物って、私も元は人間なんだけど。まあ今は人外で間違ってないか」
錯乱したように襲いかかって来る男の頭蓋骨をかち割って残りは三人、矢を打ってきた見えない相手も含めれば四人。既に半数以上が目の前の化け物に命を絶たれたことを見てしまった男達は、恐怖で歯をがちがちと鳴らし、それでも立ち向かおうとする。それは勇気ではなく蛮勇。相手の力量も理解出来ない小物の行動だった。
これだから阿呆の相手は嫌なのだ。少しはこちらの都合も考えてほしい。
「いや、待てよ?」
そうか、こっちが受身だったから相手が逃げるに逃げられないのだと黄緑は気付いた。怪物退治に行った者が逃げ帰るのは恥ずかしくとも、怪物に恐れて逃げ惑うことには何ら恥じることはない。だったら黄緑の方から襲う素振りを見せれば男達は逃げていくのではないだろうか。
「警告はした。つまりアンタら全員私に食われても構わないってことだよねえ」
わざと恐ろしげな口調に変える。真似たのは小さな百鬼夜行、伊吹萃香が怒っている時の喋り方だ。大袈裟に足を踏み入れる。それだけで男達が後ずさる。黄緑が獣のようにがぁ! と叫ぶと恐れを成した男達は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。残ったのは黄緑と猫になって隠れた燐、そして三人の男達の死体だけである。
「お燐、好きに持って行っていいよ」
「やった! 黄緑大好き!」
「はいはいどういたしまして」
自慢の手押し車は持ってきていなかったようで、燐は大の男三人を軽々と担いで上機嫌で去っていく。一人になった黄緑は何か気になることでもあるのかしきりに自分の喉をさすっている。
「どうかしたの?」
「叫んだせいで喉痛めた。アンタがさっさと来ないせいよ」
知りませんわよ、と八雲紫は苦笑いを浮かべる。あの程度の人間なら妖力を浴びせるだけで格の違いを理解した筈だ。けして頭は悪くないのに変なところで抜けている自分の式は可愛らしく見える。
「お腹すいた。さっさと帰りましょ」
「そうね。藍もそろそろ戻ってくる頃合だわ」
さっきまでの惨劇など無かったかのように二人は今晩の献立で笑い合う。これもまた、幻想郷の日常風景の一つなのだろう。
モブに優しい黄緑ちゃん
モブに厳しい幻想郷