八色の虹   作:溶けた氷砂糖

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じゃあうちに来ませんか?

 人の雑踏はいつ聞いても耳に新しく、飽きるということが無い。少なくとも黄緑はそう思っている。それは幻想郷の一員になってから初めて思うことで、かつてまだ人間だと自分をはっきり断ずることのできた頃は、耳障りな騒音にしか聞こえていなかった。自分に意識の変化が訪れたのか、それともやはり幻想郷と外の世界では雑踏の質が違うのか。それは彼女には定かではない。ただ一つ言えるのは、彼女が雑踏を好み、人里を練り歩くことを趣味としていることだけだ。

 物売りの声が聞こえる。聞けば今朝の野菜は質が良いらしい。懐には余裕があるし覗いて見ても良いだろうと思い立ち黄緑は足を止める。八雲家の食事は基本的に黄緑が用意する。実は一番上手にこなすのは紫なのだが、彼女が食事を作るなど滅多にないことである。そもそも式として主に作らせるわけにはいかない。よって黄緑が来るまでは藍がその役目を担っていた。これがまた寝ても覚めても油揚げといった具合で、主たる紫は白玉楼へ逃げ出すこともあるし、式の式である橙に嫌われているのも一週間延々と油揚げを食べさせたことが原因である。よって料理番が黄緑に決まるのは必然であった。本人は作るのも嫌いではないのでそこまで気にしてはいないが、それでも時々は疲れて藍に変わってもらっている。その時の献立に十中八九油揚げが紛れ込んでいるのも御愛嬌、たまになら問題ない。ちなみに橙には危なっかしくて任せられないというのが他全員の共通認識である。

「おっ、黄緑ちゃんか。今日はいい人参が入ってるよ」

「ちゃんって、そりゃ私の方が年下なんだけどさあ」

 無遠慮に声をかけてくる壮年の男性に黄緑は少し辟易としながら返す。彼女は式になってから既に十年以上経つが、それでも実年齢としてはせいぜいが三十に届くか届かないかと言ったところであるため、人間でも自分より年上のものは多い。しかし仮にも境界の大妖怪の式を子供扱いするその後胆力には流石に恐れ入る。しかも幻想郷にはこの手合いが多いのだから手に負えない。基本的に長生きのもの程妖怪に寛容なのである。それは長年付き合ってきた経験があるからか、それとも若者のように血気盛んでもなく、母のように守るべき子供を抱えていないからか。

 先日の出来事を思い出して少しグロッキーになりながらも並べられた野菜に目を通す。

「人参かぁ、今日は肉じゃがにでもするかな」

「あら、肉じゃが。美味しそうね」

 後ろから聞こえた声に驚いて振り返る。それは背後を取られた油断から来る反射的な行動だったが、同時に彼女の頭は声音から警戒する相手ではないことを理解していた。より正確に言うならば警戒のしようがない相手であることも。

 日光に当てられて本来よりも少しだけ明るく見える緑色の髪をたなびかせて、爬虫類に似た目を細めた妙齢の女性。服装は珍しいことに珍しさのないただの和服だが、彼女のトレードタマークである桜色の日傘はしっかりと手に携えている。

「師匠、珍しい格好ですね」

「萃香と遊んでたら湖に叩き落とされちゃってね。まだ乾いてないのよ」

 萃香は大笑いして帰っちゃうし、と頬に手を当てる姿はアンニュイな表情を浮かべた美女と形容して差し支えないだろう。しかし、鬼と遊んで(戦って)無事でいるというだけで、黄緑から師匠と呼ばれた彼女が只者でないことは明確である。最初は気付かなかった八百屋の店主も、誰だかようやく見当がついたようだった。

「誰かと思えば幽香さんですかい」

「あら、私の顔を忘れてたのかしら」

「やっぱり服が違うと別人に見えますからねえ」

 気軽に言葉を交わす両者。しかし周りを歩く人々は不安と驚嘆の声でざわついている。それも別におかしい話ではない。今彼が話している相手は、幻想郷で最も危険な妖怪。四季のフラワーマスター、風見幽香なのだから。本来なら口を聞くことすら出来ずに殺されるだろう相手に軽口すら叩いてみせるのはひとえに彼の肝の太さあってのものだ。

「師匠も買い物ですか?」

「そうね、ちょっと花屋に用事があったの。もう終わったけど」

「じゃあうちに来ませんか? ご飯用意しますよ」

「あらいいわね」

 八雲紫が聞いたら顔を青くするか背筋に冷や汗を流すだろう会話を平然とする二人。彼女達の関係は本人達が述べているように師弟である。かつて黄緑が式になって間もない頃。八雲紫が彼女に戦いを教える時に頼み込んだのが風見幽香だった。ともすればせっかくの手駒をむざむざ死なせるような危険な行為。彼女がそれに望んだのは、自分や藍よりも遥かに適任であると考えたから。具体的なことは紫本人にしか分からないが、少なくとも今の関係を見るにけして間違いではなかったのだろう。もちろん死ぬような思いは様々してきたが、トラウマになるようなこともなく、主よりも敬い懐いている。

「それならお邪魔しようかしら」

「分かりました! あ、おじさんとりあえずこれとこれください」

 普段よりも猫を被った様子の黄緑は見た目良さそうな人参とじゃがいもを選んで壮年の男性に代金と一緒に突き出す。買い物を終えた黄緑は幽香を促して人里の外へ肩を並べて歩く。人里の中でスキマを使うことを彼女は好まない。幽香もそれを知っているから文句も言わず彼女と共に歩いているのだ。

 外に出てようやくスキマを開いて、黄緑は先に幽香にくぐらせる。彼女なりの尊敬のつもりなのだろう。自分の師匠がくぐり抜けて向こうにたどり着いたのを確認して、彼女もスキマを越えると藍が手に持った御札を落として固まっているのが目に入った。彼女は幽香を見て思考が停止しているようだった。誰にも風見幽香の来訪を知らせていないのだから当たり前の反応と言えよう。もちろん幽香自身がそんなことを気にするはずもなく、動かない九尾の狐を放って勝手に屋敷の中に入っていく。勝手知ったる、という程ではないにしろ彼女も何度か八雲邸は訪れているので中の構造はだいたい頭に入っているのだろう、その歩みに迷いや遠慮は無い。

 固まった同僚をどうしようかと悩んでいると、こちらから働きかけるよりも先に体の自由を取り戻した藍が黄緑の方を掴んで大きく揺さぶり始めた。

「な、なんで風見幽香が来ているんだ!?」

「私が晩御飯に誘ったからー、って揺れる揺れる」

「あ、すまん。ってお前が呼んだのか!」

 藍は手を離して代わりに帽子の上から頭を抱え始める。幽香が来ること自体はまだいい。いや良くはないのだが大きな問題ではない。問題なのは昼寝から目を覚ました主がこれを聞いて拗ねることだ。黄緑はあの調子だから、必然的に紫の愚痴を藍が一手に引き受けることになる。酒と黄緑が絡んだ時の紫の対応ほど面倒くさいものは無い。突然泣き出したり、怒ったり、そこに賢者の威厳など欠片もないからだ。だが黄緑はそれを知らないので懲りるということを知らない。つまり繰り返されるということだ。実際このような出来事も既に両の手で数え切れないほどである。

「ちょっと、なんで幽香が居るの!?」

「お呼ばれされたからに決まってるじゃない」

 屋敷の奥から錯乱した様子の主の声が聞こえる。おそらく寝起きに顔を見せたのだろう。叩き起こすような真似は流石にしないはずだからたまたまタイミングがあっただけなのだと思いたい。しかし、事情を説明するのもこれで何度目になるだろうか。しかも二人とも黄緑を溺愛しているせいで、二人の間にはいつも険悪な空気が流れるのだ。それも黄緑には勘づかれないように水面下で。これから起こる出来事を想像すると腹の底がきりきりと痛む。今度永遠亭に胃薬でも貰いに行こうかと真剣に悩む藍であった。

 




黄緑が書く度に幼くなっているような気がしますがこっちはこっちで可愛いので問題無いですね。ツンケンしてるのもそれはそれで良いものですが。
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